ベルリオーズ レクイエム 小澤征爾指揮
去年訪問した広島の平和記念公園。
修学旅行生や、外国のお客さんがいつもたくさん。
どんな人間でも、ここへ行ったら無口になり、同じ人間が造り出す戦争の凶器への怒りを感じることになる。
8月は、日本の戦後のスタートラインの月でもあるが、日本が世界にも例のない悲惨な体験をしてしまった月。
86(ハチロク)、89(ハチキュウ)のことを、もっと世界に声を大にして言うべきとも思うし、一方で、他国になしてきたこともしっかりと認めて、みそぎを続けるという、そんな強いしたたかさも必要で、日本人にはなかなか持ちえない気質かもしれない。
その点、同じ敗戦国でも、ドイツ人は明快であり続ける国民性で、自己主張とともに、自己批判精神もはっきりしてて豊かだ。
いい悪いがはっきりしてる。
小澤征爾が、渡仏してコンクールをいくつも突破していったのが50年前。
一人の才能ある音楽家として、こいつはいい、と認められた日本人。
師事した名指揮者たちの中にシャルル・ミュンシュがいる。
思えばミュンシュと同じポストをたどり、ベルリオーズやラヴェルを特に若い頃に得意にした小澤さん。
ボストン交響楽団と同時に、パリ管弦楽団をもよく指揮してたので、パリ管の指揮者になることもファンとしては願ったのだけれど、いくつかの録音を残したあとは、パリでの活動はフランス国立管が中心となった小澤さん。
フランスのオケとのベルリオーズも聴きたかったところである。
DGへのベルリオーズ録音がコンプリートされず、RCAやCBSにまたがることになったのは、イマイチ残念。
DGというレーベルは、有力アーティストが名前を連ねていたので、アーティストが録音したいレパートリーも非常に制約を受けると、というようなことを小澤さんはDG専属時代に語っていた。
ちなみに、DGは、そのあと、バレンボイムとパリ管でベルリオーズ全集を企画し、さらにそのあと、レヴァインとベルリンフィルでも企画したが、いずれも未完。
合唱付きの大作を手際よく明晰に聴かせる小澤さんは、ベルリオーズのレクイエムを若いころから得意にしていて、何度も取り上げていたはずだ。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、という途方もなくバカらしい巨大な編成を必要とするこのレクイエム。
さぞかしすさまじい大音響なんだろう、とやたらと期待しつつFM放送を録音したのが小澤&ベルリン・フィルのライブで、高校生の頃。
たしかにティンパニとラッパが鳴り渡るトゥーバ・ミルムのド迫力はすさまじいもので、カセットテープでは音がびり付いてしまい、どうしようもなかったくらい。
でも、そんな大音響の場面は、全曲80分間の中のごく一部。
このレクイエムは、抒情と優しさに満ちた美しい音楽なのだと、何度もそのカセットテープを聴いて思うようになった。
その後にやはり放送録音した、レヴァインとウィーンフィルのライブでも、ウィーンのしなやかな音色が際立つ優しい音楽として実感。
こうした硬軟の際立つイメージを持ちつつ、正式音源を手にしたのはCD時代になってから。
その珍しい組み合わせとレーベルの珍しさからずっと聴きたかった「ミュンシュ&バイエルン放送、シュライヤー」のDG盤をまず購入。
この剛毅さと歌心を併せ持った名盤は、いずれまた取り上げたいと思う。
その後、バーンスタイン、プレヴィン、そして今宵聴いた小澤と揃え、演奏会でもゲルギエフと読響の意外なまでに祈りに満ちた名演も聴くことができた。
ベルリオーズのレクイエムが結構好きなのであります。
作品番号5、ベルリオーズ34歳の作品は、その若さがとうてい想像もできないほどの、壮大さと緻密さ、そして教会の大伽藍のもとで聴かれることを想定して書かれた響きの放射。
一方で、心にしっかりと響いてくる祈りの音楽としての立ち位置もしっかり確保されている。
ベルリオーズの本質は、ばかでかい巨大サウンドではなく、抒情味にあると確信できる音楽に思う。
冒頭のレクイエムからキリエの場面では、死に際しての戸惑いや祈りを模索するかのような静かな出だし。
そして、最後のアニュスデイでも、冒頭部分が繰り返されるが、不思議なまでの清涼感が漂い、ティンパニの静かな連打もかつての怒りが遠く過ぎ去って平安が訪れようとする安堵感に満たされて曲を閉じる。
これらに挟まれて、ディエス・イレ(トゥーバ・ミルム)の爆音、明るいまでの輝かしさを持つみいつの大王、無伴奏の合唱による静かな雰囲気のクエレンス・メ。
ラクリモーサは、涙の日を怒りで迎える趣の強い大音響サウンドを持っている。
オーケストラのリズムの刻みがやたらと印象的で、この作品の中でも好きなか所。
続く奉献唱のドミネ・イエスでは、また静かで抒情的になって木管を中心としたオーケストラの背景が美しい。
終曲にも同じ場面が回顧されるホスティアスは、男声、トロンボーン、フルートによる宗教的な対話のようである。
そして、この曲最大の聞かせどころがサンクトゥスで、テノール独唱が天国的なまでに美しく神を賛美して歌う。これはもうオペラアリアのようである。
続くホザンナのフーガのような壮麗な合唱、そしてまたテノール独唱が回帰し、その後も眩しいくらいに高らかにホザンナが歌われ、最終のアニュスデイに引き継がれる・・・。
小澤さんの演奏は、この作品のこけおどし的な存在から背を向け、ベルリオーズの抒情性が綾なす祈りの音楽という本質に迫った真摯なもので、師であるミュンシュやバーンスタインとも違った独自のベルリオーズとなっていると思う。
小澤征爾指揮 ボストン交響楽団/ダングルウッド祝祭合唱団
T:ヴィンソン・コール
(1993.10@ボストン)
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コメント
今晩は。私が愛聴しているのは、コリン・デイヴィスの新盤です。シュターツカペレ・ドレスデンを指揮したライブ録音盤で、ドレスデン空襲犠牲者追憶演奏会の記録です。デイヴィスはベルリオーズのスペシャリストとして若い頃から知られてきましたが、ここでもスペシャリストの名に恥じない名演を聴かせてくれています。C・デイヴィスのベルリオーズでは同じくシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した序曲集も好きです。
バッハの教会カンタータ全曲鑑賞ですが、やっと38枚目まで進みました。あと22枚です。シュライアーが指揮した世俗カンタータ8枚も聴かなければなりませんね・・・
投稿: 越後のオックス | 2010年8月 6日 (金) 22時05分
越後のオックスさん、こんばんは。
ドレスデン盤もあるのですか。
デイヴィスは、そうすると都合3回録音してるんですね。
まさにスペシャリストです。
この曲やヴェルディのものは、モニュメント的な要素もありますから、いろんな思いが演奏に乗るとすごいことになりますね。
レニーの演奏もそんな感じです。
カンタータ、ずいぶん進んだのですね。
私には、きっと真似できないことであります(笑)
投稿: yokochan | 2010年8月 6日 (金) 23時41分
ご無沙汰です~!
>このレクイエムは、抒情と優しさに満ちた美しい音楽
全くの同感であります。この曲は繊細で静かなところが、よりすばらしいですね。
BPOとのライヴは、私もカセットで録りました。ビリってましたね。
ボストン響との来日公演のテレビ放送も印象深いです。
投稿: 親父りゅう | 2010年8月 7日 (土) 00時41分
親父りゅうさん、こんばんは、こちらこそ、ご無沙汰しちゃってます。
ベルリオーズは、破天荒な人生ゆえ、その音楽が誤解されやすいですが、静かな音楽の素晴らしさに気が付くとそのイメージが変わりますね。
当時のライブは貴重ですが、今聴くと厳しいです。
でも捨てられないのですよね・・・・。
小澤さんは、ボストン時代が好きです。
投稿: yokochan | 2010年8月 8日 (日) 00時14分