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2010年9月

2010年9月30日 (木)

ショスタコーヴィチ 交響曲第12番「1917年」 ハイティンク指揮

5
あか貝と、つぶ貝。
刺身と貝、海の幸を、こんな風に喜んで生で食べる国民は、いくつかあっても、日本が一番。
何でも食べてやろうというチャレンジ精神がずっとこの国にはあって、動物は奥手だけど、海や川のものはみんな食べてきたんじゃないかしら。
どれもこれもお酒にも、ご飯にも合います。
でも飲みすぎ注意ですな。

 飲みすぎといえば、この夏、お姉さん酔っ払いが出没しまして、目を見張ったものでした。
私の通勤先の駅を降りると、駅のアーチをこえて道路をまたぐ歩道橋がありまして、その下り階段に、彼女はいらっしゃったんです。
真夏のくそ暑いあの日々の朝9時頃。
階段に腰掛け、傍らには赤ワインを置いて、ゆらゆらと揺れながら、四方八方文句を言ってらっしゃる。
長いきれいな髪に、すらりとしたジーンズ。かっこいい美人さんですよ。
しかし、完璧に酔ってる・・・・。

数日後、今度は階段の下をよろよろと歩いてらっしゃる。
相変わらず、さらさらの長い髪に、今度はデニムのミニを履いていて、おっ、と思わせる美人っぷり。
やたらと怒ってて、目があったら大変・・・、と思わせる酔いと絡み具合。
通りかかる人に悪態付いてる、朝8時55分。
怖いわ、どうしようと思いつつ、真横を通り過ぎると、「お~い」と一声。
弱気なワタクシは、周囲の目も意識しつつ、聴こえなかったフリをしてそそこくさと、現場を立ち去ったのでございます。
そのあと、わーわー言ってたけど、多分次のターゲットを見つけたのでございましょう。

あの夏の日以来、彼女を見かけることはありません。
どーしちゃったのかしら。
心配だし、も一度会ってみたいオヤジ心もありま~す。はははっ(笑)・・・
期間限定の泥酔姉さんでした。もしかしたら、彼女は水木しげるの世界の人かしら・・・・。

Shostakovich_sym12_haitink
タコいきます。

長いこと放置してあったショスタコーヴィチ交響曲シリーズであります。
去年暮れに、ゲルギエフの「タコ・ナイト」を聴いて、毒気が抜けられて、すっかりタコ熱が覚めてしもうた。
あれ以来、ショスタコーヴィチは聴いておりませぬ。
謎の多い指揮者に謎の作曲家。
さっぱりわからんであります。

こういうときは、基本に戻ってハイティンク
結局は混乱を招いただけの、例のヴォルコフ証言(分厚い文庫、読みましたよ)の真っ盛りの録音時期だけに、ハイティンクの演奏もその影響を受けているとも言われるが、そんなことはほっといて、ここに出てくる超立派な純音楽的な演奏を素直に楽しみ、感じればいいのであります。
まさに、基本。それ以上のことはしてないが、でも音楽レヴェルは最高水準。
ベートーヴェン以来の交響曲の流れの中に、シンフォニストとしてのショスタコーヴィチをしっかりと捉えてみせたのがハイティンクらしい流儀で、ロシア臭はない、こうした西欧流の演奏が、わたしにはしっくりくるんです。
コンセルトヘボウが、まだその独特の美を誇っていた時期だけに、ホールの響きの美しさとともに、強烈なフォルテでも全然威圧的にならない。
完璧なオーケストラに無欲無私の指揮者の演奏なのだ。

1917年の10月革命&レーニン讃。
暗さから輝かしい勝利風の結尾を迎える、さもありなん的な、アタッカで4つの楽章がつながった賑々しい交響曲。
正直、空々しいほどのエンディングは、5番や7番と同じくティンパニの連打を伴う壮絶なファンファーレで、いまのわたしには耳に辛い音楽である。
これなら、4番や13~15番の方がずっと好き。
例の証言では、ショスタコーヴィチさんは、レーニンなんてその年(1917年)に見たこともなく、レーニンを迎えての行進運動に参加したものの、誰が来るかも知らされてなかった。
むしろ、その年、衝撃だったのは群衆のいざこざで、少年が兵に惨殺されたこと・・・、なんて言ってた、と書かれてる。
1961年の交響曲第12番「1917年」でございました。

もう、そんなこと、どーでもいいや、と思える最近のショスタコ。
だから、ハイティンクが一番なんです。わたくし。
タコ好きの皆さん、あしからず。

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2010年9月29日 (水)

プロコフィエフ 交響曲第6番 プレヴィン指揮

Maihama1
秋のお刺身盛り合わせ。
生のアオヤギ(ぷりっと甘~い)、濃厚〆サバ(大好きー)、戻りかつお(大好物、脂ノリノリーっ)、生アジ(コリッコリ)、こんな4点盛り。
お酒も大量に摂取したことは、言うまでもありません。

新橋の「舞浜」という魚と地鶏焼きの店。
新橋は、サラリーマンの街だから安くて新鮮、そして、ここはお昼の焼き魚も行列の店。

Prokofiev_sym6_previn
新鮮といえば、アンドレ・プレヴィンが、ロサンゼルス・フィルの指揮者になったときは、これもまたナイスなコンビの誕生に沸いたものだった。
1985年、ジュリーニの後を受けて音楽監督に就任し、当時はロイヤル・フィルとの掛け持ちで、多忙な売れっ子指揮者だった。
プレヴィンといえば、ロンドン交響楽団(LSO)。
LSO退任後は、ピッツバーグ響の指揮者となり、さらにLSOと疎遠になるのを覚悟で、英国では、ロイヤル・フィルのオファーを受け、ピッツバーグ後は、ロス・フィルという具合に英国・米国でのポストを歴任したところが面白い。
 そのプレヴィンが、11月のN響に、またやってきてくれる。
N響の首席客演を引き受けたこのとも意外だった。
首の具合が悪く、長期の旅行が難しいとのことで、しばらく来日がなかったが、数年前から再びN響にやってくるようになった。
賞味期限切れとか、なんとか見る筋もありますが、マリナーと同じく、プレヴィンは相変わらずプレヴィンで、腰かけてよろよろしながらも、プレヴィン・オーラは絶大で、N響からまろやかで、親しみやすい響きを引き出すのがさすがのところだ。

今回のプレヴィンの演目は、ブラームスの3番と4番。
そして、武満作品にガーシュインの弾き振りと、プロコフィエフの5番。
2回のコンサートは、なかなか魅力的な演目で、プロコはしばらく演奏してないのではないかしら。
欧米のオケへの客演演目と同じものをいつも携えてくるから、きっと自信にあふれた演奏になりそう。
あと、N響メンバーとの室内楽なんてのもあって、多彩なプレヴィンが味わえる11月の初めなのであります。

さてと、今日は、プレヴィンとロサンゼルス・フィルがさかんに取り上げたプロコフィエフから、交響曲第6番を。
この曲、けっこう好きなんです。
2~4番がシャープでモダンな厳しめの作品なのに対して、5~6番は旋律的で聴きやすく、一方で機知に富んでいて爆発的でもある・・・。
こんなイメージを単純にもっている。

1946年の作曲で、翌年にムラヴィンスキーにより初演。
いうまでもなく、この時のソ連は、戦勝国として、そして共産国として絶頂にあり、わが日本は敗戦のどん底にあって、この赤い国に北の島々を掠めとられてしまった時でもあります。
3楽章形式で、終楽章の明るく快活なヴィヴァーチェは勝利の美酒に酔うようにも聴こえるが、ここはショスタコーヴィチと同じように、はちゃむちゃフィナーレの中に隠された作者の警鐘があるともいう。
メランコリックな懐かしい旋律と、暗い雰囲気が交互に相まみえる長大で複雑な1楽章。
このクールでかつ優しい旋律の宝庫は、まさにプロコフィエフならでは。
緩徐楽章にあたる2楽章の優美なことといったら、バレエ音楽のひとコマのようであります。しかし、どこか小骨が刺さったように、何か問いたげなのです。

プレヴィンとロス・フィルの演奏は、一聴、乾いた印象を与えるが、これはロイス・ホールのややデッドな響きを優秀なフィリップス録音陣がまともに捉えてしまったからかもしれない。
しかし、プレヴィンの本質ともいえる音色の暖かさと、ロスフィルの明るさが見事にマッチして、プロコフィエフのモダンな響きを軽いタッチで捉えている。
外面的な効果を狙うことは押さえこんでいて、2楽章の深い響きに、プロコフィエフの問いたかった戦争の悲しみを歌い込んだ感があるのです。
ある意味渋い演奏。
本場系の演奏は疲れてしまうので、西欧風のプロコやショスタコが好きなわたくしです。

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2010年9月27日 (月)

ラフマニノフ 交響曲第2番 マリナー指揮

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美しくも涼しげな刺身盛り。
それに冷酒とくればもう、酒飲みならば生唾ごっくんでございましょうよ。
夏の小料理屋にての光景。
これからは、肴も変わってきて、そしてお酒はぬる燗で。
四季に応じて同じ酒肴でもいろいろ楽しめる日本の食べ物、飲み物はほんとうに絶妙で繊細。
どっかの国にも季節の食べ物はあるだろうけれど、こんな細やかな味わいからは遠く、強火で強引に炒める料理ばかり。

Rachmaninov_sym2_marriner
忘れたころに、ありえへんマリナー・シリーズ(マリナーらしくない驚きレパートリーのこと)。
相変わらずの、爽やかな印象を残して帰国した、サー・ネヴィル・マリナー
4つのコンサートのすべてを聴くことができて、ほんとうに幸せだった。
当初は、ドイツもの中心のオーソドックスプログラムに苦言を呈したものの、実際に聴いてみれば、やはりマリナーはマリナー、マリナー以外のものではありえない、明るく爽快な演奏ばかりで、べートーヴェンもブラームスもシューマンも、みんな素敵な交響曲演奏だった。
本流ドイツ音楽好きの方からしたら、まったく不甲斐なく、指揮もわかりにくいし、可も不可もないじゃないか、とみなされようが、音楽の楽しみ方は一様でなく、わたしなどマリナーの芸風をしみじみ味わえるようになってきたから、こんな聴き手もいるもんなんです。

マリナーがシュトットガルト放送響時代に録音したラフマニノフ交響曲第2番
協奏曲やヴォカリーズならそんなに不思議じゃないけれど、濃厚甘々の交響曲となると、ちょっとびっくりのレパートリーじゃないでしょうか。
放送交響楽団のポストは、広範なレパートリーをこなさなくてはならないから、ブルックナーやマーラーまで指揮していたマリナーなのであります。
 ドイツの放送オーケストラは、高機能でフレキシブルなオケばかりだから、マリナーのさわやかでこだわりのない個性と不思議なマッチングをしていていて、何度も聴くCDなどでは、出来栄えは完璧だし、飽きのこない普遍的な演奏に仕上がっているように感じる。

全曲で49分間。
繰り返しを省略していることもあるけれど、短いです。
テンポもいつものように若干早め。
のびのびとした第1楽章、弓を思い切り引っ張って弦をしっかり歌わせていて実に気持ちがよい。録音がやや高音がキツく、きんきんするのがちょっと残念。
爽快で、中間部もまったくサラッとした2楽章。
そしてキターっ、美しの3楽章。
どこまでもニュートラルで、情に溺れることのないクラリネット独奏から、しなやかな弦楽器にその雰囲気は橋渡しされ、ラフマニノフの音楽の持つ歌心と美しさのみが素直に引き出されているのを感じる。
この音楽に思い切り浸って恍惚となってしまうことが多いワタクシ、そしてそんな演奏も多く聴いてきたけれど、このマリナー卿のように音楽だけをナチュラルに感じさせる気品ある3楽章はあまりないかもしれない。
この甘味なる3楽章は、プレヴィンのもっとビューティフルでやわな雰囲気がいいし、ヤンソンス(フィルハーモニア)の感傷的な没頭感もいいし、尾高さんの上品ノーブル演奏も好き。マリナー卿の一歩引いたようなスマートな音楽に語らせた演奏も好きになった。
 4楽章では、弦による大きな呼吸の第2主題が、テンポを落としこれまでの流れと変わって、驚くほど滔々と歌わせるものだからびっくり。
でも主部の速い部分はずんずん進む感じで、そのあたりの対比が意外や劇的であったりして、最終コーダとエンディングではマリナー・マジックの驚きの超アッチェランドが待ち受けているんだsign03
びっくらこく、ありえへんマリナー卿ですぞ。

この演奏、誰にもお薦めの一品ではありませんが、マリナー好きは当然として、ラフマニノフ2番好きなら一度は聴いても損はありませんね。

ところで、このシュットットガルト放送響、歴代の指揮者がユニークですな。
シューリヒトやカルロスも指揮してた創立時代から、70年代チェリビダッケ、次がマリナー、ジェルメッティ、プレートル、ノリントン。
来シーズンからは、若手のステファン・ドヌーヴが就任。
フランスのドヌーヴは、スコテッシュ管の指揮者もつとめる注目株で、日本にもやってきているみたい。ピリオドもしっかり身につけてしまったこのオケ、どうなるでしょうか。

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2010年9月26日 (日)

NHK交響楽団定期演奏会 マリナー指揮④

Nhk
今日も、サー・ネヴィル・マリナーを聴きに渋谷。
こちらは、総本山NHK様でございます。

台風は去り、強い風が街をきれいにしてくれた。
青い空は高く、空気は清涼で気持ちいい。
マリナーの清潔なシューマンを聴くのに最高のお膳立てが整った。

今日はNHKホール1階L5の真ん中あたり。
ステージ近く、マリナーの指揮姿もよく見えるし、弦出身だけに、ヴァイオリンに体を向けて指揮することが多いから、その表情もまるわかり。
クールな指揮ぶりと、その表情だけど、顔色がだんだん朱に染まってきて、熱が入ってくるのもよくわかる。

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  シューマン   序曲、スケルツォとフィナーレ
  
            ピアノ協奏曲

             Pf:アンティ・シーララ

           交響曲第3番「ライン」

      サー・ネヴィル・マリナー指揮 NHK交響楽団
                      (2010.9.26@NHKホール)

         
シューマンの作品のなかでも、一番マリナーにあっていると思われる交響曲第3番
おおらかなラインの流れとその周辺の風物や生活。
1楽章冒頭から、壮大さというよりは、一陣の風のような爽快さが先立つマリナーならではのライン
そう、ラインの川岸に吹く風と、そこに咲く可憐な花々を感じさせるチャーミングなシューマン。
 全体にホルンの響きは強め、木管はおとなしめ、弦は透けるような軽やかさと繊細さ。
こう書くと、ちぐはぐに思われそうだけど、主旋律のヴァイオリン中心のバランス設定ながら、第2ヴァイオリンの副声部、ビオラ・チェロの中低音域にも目が行き届いていて、耳に心地よい安心感あふれる響きが醸し出されているんだ。
 マリナー演奏の、気持ちよさは、このあたりの配分の妙にあると思う。

早めのテンポで、こだわりなく進んだ「ライン」。
5楽章のアンバランスな交響曲。
マリナーのてきぱきとした指揮で聴くと、楽章が次々に進んで、もうちょっと立ち止まって風景を眺めていたくなる気分が高じてくるのも事実。
でもそんな時は、立派なシューマン演奏がたくさんあります。
そちらを聴けばいいこと。
マリナーは、いつもこうなんです。ちゃんと、マリナーの個性が反映されたシューマンに、私はシートにゆったりと腰掛け、軽~い気持ちで音楽に身をゆだねることができました。
 私にとって忘れられない「ライン」は、敬愛するシュナイト翁と神奈川フィルの演奏。
敬虔なクリスチャンでもあったシュナイト師が、4楽章で聴かせてくれた聖堂の大伽藍のような響き。それと鮮やかな対比を示した堂々たる終楽章。
 サー・ネヴィルの今日の「ライン」は、聖堂の圧倒感や王道をゆくドイツの響きとは、遠く離れたところで、シューマンの抒情と爽やかな歌心を紡ぎだした点で、こんなシューマンもありだ!と思わせるにたる名演奏でありました。
終楽章の心地よいアッチェランドも印象的で、びっくりするくらいのブラボーを浴びてましたよ。
紅顔のサー・ネヴィル、うれしそうに楽員を称え、コンマス篠崎さんを引っ張っていって今回も早めのオケと一緒の退場。
なんて、飾らない愛すべきマリナー卿でありましょうか。
前のほうにいたもので、少しシャイにしながらも、前列付近の聴衆に手を振ったりと、満足そうにしておりました。

ライン中心に書いてしまいましたが、冒頭の「序曲、スケルツォとフィナーレ」。
これは、実はすごくいい曲なのではないでしょうか。
CDでもほとんど聴くことがない曲で、緩徐楽章がない短め交響曲として、気軽に聴ける桂作に思った。
1番「春」と同じようなフレーズも飛び出してきて、ここではもう、マリナーらしい明るく開放的なシューマンが楽しめたのである。

今回も若手奏者による協奏曲が、据えられている。
これまで何度も書きましたが、コンサートの王道は、序曲や交響詩の導入部に、協奏曲、そしてラストは交響曲。というのが王道プログラム。
今回のマリナーは、すべてそのパターンで、そこに英国文学がからんだりという味わい深い仕掛けもあったが、今宵はオール・シューマンというくくり。
 31歳の若いアンティ・シーララというピアニスト。
フィンランド出身。紅顔の金髪青年といった面持ちで、バリバリ弾くタイプではなく、ちょっとやわな感じで、難しいパッセージの連続も、さらさら何事もなかったように弾いてしまう草食タイプ。
これはこれで、いいのだけれど、個性弱すぎで、マリナーに完全に位負けしてたような・・・・。ちょうどコンサートの中間で、眠気もさそうような、ある意味では気持ちいい演奏。
もう一皮も二皮もむけてほしい若すぎのシーララ君に感じましたが、いかに。

今回の一連のマリナー・コンサート。いずれも名も知らない、これから活躍しそうな若手奏者ばかりが共演者として選ばれた。
若手ゆえに、マリナーの合わせものの達人としての才が際立ち、ソリストを救ったヶ所も随処にあったが、マリナーの音楽性とソリストの素質がばっちりかみ合ったのは、ゲルハルト氏の弾いたサン=サーンスのチェロ協奏曲と、フロストのクラリネットによるモーツァルト。
今日のシューマンは、活力不足でちょいねむ、でした。

こうして、今回のマリナー詣では、今日で終了。
あと明日も同じプログラムによる演奏会があって、その後、サーは英国へ帰郷。
ポストを持つようなお歳でもないけれど、ともかくその若さを日本のファンに印象づけたサー・ネヴィル。
ヨーロッパでの活動も拠点は絞って少なめ。
願わくは、古巣アカデミーと録音も演奏会も再開して欲しいもの。
そして、すぐにでも再来日してN響と、そして神奈フィルに客演して欲しいもの。

Guinness

 終演後、pocknさんと久しぶりのご対面。
アバドを通じてお知り合いになったpocknさん。
私と同じような音楽鑑賞歴をたくさんお持ちで、欧州でのコンサート経験も豊富。
好きな音楽談義は尽きません。
これも、マリナーの爽快演奏を聴いたがゆえの気持ちのよさ。
英国風のパブが満員で、数歩、歩いた先にあったバーにて麦酒に興じました。
 まずは、卿に敬意を評してギネス。

Fishchips

フィッシュ&チップス。
ちょっと洗練されすぎかもですが、美味でしたよgood

Krombache

シューマンに敬意を表して、ドイツのビールをbeer

pocknさん、楽しいひとときをありがとうございました。
アバド・オフ会やりましょう!

そして、サー・ネヴィル、素晴らしい演奏の数々、ありがとう。
また元気に日本に来てくださいnote

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2010年9月24日 (金)

フィンジ 「見よ、満ち足りた、最後の犠牲」 フィンジ・シンガース

Moon
9月22日のほぼ満月。
関東地方は、23日のお彼岸が満月だったけれど、大雨。
神奈川の実家で撮りました。
バカチョンデジカメでは、三脚なしではこれが限界。
でも、木々の陰りとともに、妙に美しく撮れました。

Finzi_choral_works
ジェラルド・フィンジは、55年の生涯の中で数は少ないながらも、多岐にわたるジャンルに作品を残した。
お馴染みの管弦楽作品や協奏曲に加え、歌曲と声楽作品にもフィンジの真髄を見ることができる。
英国作曲家の声楽作品はめずらしくないけれど、フィンジほどイギリス英語という流麗で気品ある言語に切実に結びついている歌の数々はないかもしれない。
もちろん、英語による素晴らしい声楽作品は他の作曲家たちもたくさん書いてるけれど、フィンジのものは、仏語や独語がまったく似合わない作品の数々なのです。
 私の声楽作品の一面的な聴き方にすぎず、今後もっと多くの英国声楽作品を聴き進めたら違ってくるかもしれないのでありますが、それほどに、本日の「フィンジ 合唱曲集」の1枚こそは、「イングリッシュ」という言語のディクションにぴたりと付随した音楽はないと思わせるに足るものなのであります。
無伴奏のアカペラ、ないしは、オルガンを伴奏とする合唱による作品。
全部で11曲収められております。
フィンジ・シンガーズ」という、フィンジ・トラストによって1982年に創設された合唱団による、誠意と純度の高い演奏は、完璧極まりない技巧のなかに、フィンジらしい抒情と繊細なガラス細工のようなクリスタル感覚も滲ませる名品なのである。

 1.神は、昇られた・・・
 2.甘き聖なる晩餐よ、来たれ。
 3.3つの短いエレジー
 4.我が眼差しを照らしたまえ
 5.わが美しきもの
 6.かのかたを、讃えよう
 7.7つのパートソング
 8.マニフィカト
 9.純白の開花日
10.この夜に
11.見よ、満ち足りた、最後の犠牲

      フィンジ・シンガース
         指揮:ポール・スパイサー
         S:スーザン・グリットン
                (1990.9)


いずれも宗教的・讃美歌的な歌の数々で、その歌詞とともに聴き進むのは、日本人には骨の折れること。
でも、英国詩人や作家による、だいたいの歌詞は目を通してなんとなく雰囲気だけ押さえておけばいい。
 あとは、無心に無伴奏やオルガンといった宗教的だけどシンプルな伴奏をともなったこれらの作品の言葉の雰囲気と、響きの美しさ、そして誰が聴いても感じることのできるピュア世界にどっぷりと身を浸して、耳と心で感じるまで聴きこむのがよい。

いずれも旋律的で、優しいムードにあふれているが、これらの中で、そこそこ劇的なのが、最後のアンセムで、第2次大戦後、St. Matthew's, Northampton教会のために書かれた11曲目の「見よ、満ち足りた、最後の犠牲」

この教会のエンリー・ムーアの「聖母子像」をイメージしたブリテンやラッブラ、バークレイなどの作品とならぶひとつのようであります。
このあたり、わたくしの拙い読み取りなので間違っていたらごめんなさい。
 いずれにしても敬虔なフィンジの篤信と優しい眼差しが、17分間の美しい合唱作品に結実しているのを見てとれます。
そして、本当に素晴らしく感動的なのは、最後の60秒に訪れるフィンジのマジック。
清純に、神妙に、そして生真面目に進んでゆく美しい合唱。
ほかの諸作にも通じる高貴で折り目正しい純潔の響きなのだが、その1分間は、甘味なる囁きともとれる絶美なるアーメンの合唱に満たされるのであります。
 これには泣きました。
言葉はわからなくとも、こんなに心にしみとおる歌ってありません・・・・・。
冒頭のこの作品の題名を歌う場が回帰し、その後オルガンが浄化されたような雰囲気をかもし出しそのアーメンの言葉へ。

Richard crashawの原詩を、まだまだ理解できてはいません。
ですが、そんな宗教感を持たずとも、このフィンジの音楽の持つ美しさとシャイなまでの儚さは、一度知ってしまうと、心の襞をそっと埋めてくれるような優しさを伴ってわたしたちに迫ってくるのであります。

Stmatthewschurch Madonna

St. Matthew's, Northampton教会と、聖母子像(Henry moore)。

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2010年9月22日 (水)

フィンジ 「エクローグ」 ベビントン

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そろそろ北海道では秋が急速にやってくる頃でしょう。
春とともに短い秋。
ドラマティックな季節の移り変わり。
かの大地にお住まいの道産子諸氏、お知り合いもたくさんいらっしゃるけれど、みなさんこうした四季をおおらかに楽しんでらっしゃる。
 テレビで見てると、ホワイトシチューや、いまやってる「金麦」のCMは、みんなこんな光景。
美瑛のひとコマですが、こうした風景も現地の方々は別に自然に受け止めてらっしゃるし、札幌では、都会的な生活に明け暮れているのも事実。
でも、北海道や東北の自然は、日本固有の大事なものですね。
某国による水資源をあてこんだ山の買い占めが横行しても打つ手なしの日本。
したたかさ、まるでなし。
国内の競争に疲弊しまくり、外には目が向かない国民性。

少なくとも、日本固有の文化や自然は、われわれがしっかり守りましょうよ。
英国病だなんて前時代的なことを言ってるおバカな政治家は無視して、同じ島国、英国を見習いましょう。

Finzi_ferguson_rawsthorne

フィンジ
(1901~1956)の名品「エクローグ」を、これまでこのブログではまともに取り上げたことがなかった。
何かのカップリングで、息をひそめるように、静かに佇んでいるような大人しい作品だから、それらメインのツマみたいに聴いていて、大好きだけど、ことさらに声をあげて誉めそやすこともしてこなかった。
だいたいに、フィンジの作品は、そんな風にみんなで聴きましょうよ、的な聴き方はまったく似合わなくって、一人静かに誰もいないところでそっと聴くような音楽なのですから・・・・。

ナイーブなフィンジの作風や人となりは、過去記事からフィンジ・タグをクリックしていただければ、わたしも拙く書かせていただいております。
当CDの解説によりますれば、作曲家ラッブラは、この作品を称して「乱れぬ落ち着き」としたそうでありまして、それは落ち着いた悲しみの抒情という意味でまったくその雰囲気を言い得ているものといえましょう。
当初、1929年、ピアノと弦楽のための協奏曲の2楽章として造られたものだが、1952年、全体が未完に終り、エクローグとして残された。
死後の1957年まで、出版されることも演奏されることもなかった・・・・。

もう何も言葉は多くをいりません。
間接的に何度も、この曲のことは書いてます。
繰り返します・・・涙なしには聴けない、どこまでも清純無垢の汚れない美しい音楽で、これを聴いて心動かされない人がいるだろか・・・・。

今回入手したのが2008年9月の新しい録音で、マーク・ベビントン(bebingtonこの読み方でいいのか?)の美しいピアノに、ホワード・ウィリアムス(知らない指揮者)指揮するところのバーミンガム市交響楽団のもの。
新しいくせに、録音がややデッドなのだけれど、フィンジのこの曲はどんな演奏、どんな録音でも、演奏する人々を神々しくしてしまうし、出てくる音にも一音一音、気持ちと魂がこもって感じる・・・・。

また言おう、私の葬式、いや、死にそうなとき、まだ意識のあるうちに、この曲を何度も繰り返しかけて欲しい。
ついでに、クラリネット協奏曲も。

フィンジの音楽の中では、素敵すぎる歌曲「ディエス・ナタリス」とも相通じる音楽。
youtubeなどでも聴けますから、まだ聴かずにいらっしゃる皆さん、どうぞ聴いてみてください。
そして心で、涙してください。

ちなみに、カップリングのファーガソンのピアノ協奏曲が、まるでフィンジの曲のような切ない美しさに満ちた曲です。
こちらはまたいずれ、別の演奏で取り上げる予定。

Shiokari

こちらは、塩狩峠
峠越えの緩やかな坂。
高潔な殉教があった場所。

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2010年9月21日 (火)

NHK交響楽団オーチャード定期 マリナー指揮③

Orchard_hall_1
今日は、オーチャードホール。
蒸し暑いし、渋谷の雑踏はいやだけれど、今日も聴きます、サー・ネヴィル・マリナーを。
今日の席は1階後方。
長いオーチャードホール、ステージは遠く、上には2階が被っちゃっていて、これでS席かよ、って感じで不満。 (S席しか売ってない!プンプン!)
前からこのホールは、NHKとならんで避けたい場所。でも選択はできず、やむなし。
遠い音像ながら、その溶け合いと、響きは悪くなく、前の方の頭と、早過ぎる拍手、周囲の飴食いに負けることなく、決死の気分で音楽にかじりつくようにしました(笑)

ところで、コンサートでの写真はご法度。
あたりまえながら、とりわけ厳しい日本のホール。
開幕前か終演後ならいいのでしょうかねぇ。
前回サントリーでは、客引きを待って、堂々と撮ってみたけど、係りのおねぇさんは何も言わなかった。
今日のオーチャードは、おねぇさん方の見回りも厳しく、アナウンスで、撮るな撮るなと盛んに言っていたものだから、小心のあたくしは、やむなくこの映像をパシャリ。
これすらも咎められるんでしょうかねぇ・・・・。
権利の主張と保護の領域の按配、わたくしにはよくわかりません・・・・。

そんなこと言いつつ、思いつつも、遠くで聴きながらも、マリナーは、マリナー。
サー・ネヴィルは、サー・ネヴィルでございましたnote

Nhk_orchard
   
   メンデルスゾーン 序曲「フィンガルの洞窟」

   モーツァルト    クラリネット協奏曲

              「Let’s Be Happy」(アンコール)

          Cl:マルティン・フロスト

   ブラームス     交響曲第2番

     サー・ネヴィル・マリナー指揮 NHK交響楽団

                    (2010.9.20@オーチャードホール)

いかにもマリナー好みのプログラム。
冒頭のメンデルスゾーンから流動感あふれるマリナー節全開。
遠くで汽笛を聴きながら・・・じゃないけど(若い方は知りませんよね)、遠くで音像がしっかりマリナーの造り出す美しい弦中心の響きで、私に耳にしっかり結ばれる思い。
これは、言っちゃなんですが、マリナーを聴いてるという思いと現実が結びついてしまったに他ならず、もしかしたら他の方はそんな風には思わなかったかもしれない。
好きな演奏家を実演で聴くとことって、こういうことなんではないでしょうか。
あれれ?ということも正直思いつつ、日頃音源で聴いてる好きな演奏との折り合いをつける。
こんな聴き方でいいのではないでしょうか。
そして、絶対的でない、円熟の文字が似合わないマリナーこそ、音源で育まれてきた私の中での偉大な指揮者であって欲しい。

なんだか妙なことを書いてますが、マリナー卿の指揮というのは、CDで聴くのとおんなじなんです。

 前回定期で書いたように、ライブで時に燃え上がるマリナーは、今日は大人しめ。
でも、モーツァルトは絶品でございました。
美しいモーツァルトのイ長調、シルキーな弦とふんわりとした管のうえに、天衣無為ともいえるフロスト氏の縦横無尽のクラリネットが乗って、言葉に尽くせぬほどの感興に富んだ演奏が繰り広げられたのでありました。
 長身で、北欧ご出身ならではの鮮やかな金髪。黒のぴったりスーツには、シルバーの縁どり鮮やか。アクションも豊かで、その体は音楽に合わせてオケと一体になっていたし、へたすりゃ指揮までしかねない勢い(笑)
でも、マリナーさんは、マイペースで、でもソロの縦横無尽な演奏にピタリと合わせて、とりわけ強弱ゆたかにオケをリードしてました。
見た目はユニークながら、マリナーともども、モーツァルトの本質をしっかり押さえた名演だったと痛感してます。
 アンコールは、弦セクションをバックに、縦横無尽、技巧の限りをかけ抜ける、痛快きわまりない演奏の曲。これはいったいどういう曲にございましょうか!

後半のブラームス
間の取り方、ための少なさともに、マリナー卿ならではの横へ横へと流れるような爽快なブラームスで、南オーストリアのおおらか風物というよりは、日頃われわれが慣れ親しんだ田園風景だったり、山の光景だったりで、なによりもその日常性が際立っているのがうれしい。
1楽章のピチカートと管のスタッカートにのった木管のさえずりも、あっけないくらいにサラリと演奏される。ブラームスの音楽そのものが持つ美しさが、そのままに表出されたみたいだ。
ちょっと寂しい2楽章のさりげない美質、素朴な雰囲気で媚の少ない3楽章。
そして終楽章の歓喜の爆発も決して劇的でなく、明るさと気品の高さが際立ち、終結部への盛り上げも極めて着実で、聴いていておおらかな気持ちにみたされるブラ2でありました。

N響のうまさ、音の強さ、そして繊細さを遠めながらゆえに痛感したのも今宵。
プレヴィンとともに、N響がお気に入りの指揮者となったサー・ネヴィル。
こだわりのなさと、おおらかさ、過度な主張の少なさのかわりにある完全さへのこだわり。
それらがおのずと生み出す爽快な演奏。
そんなところに、重厚なN響も大いに共感をしめしているのかもしれない。

Orchard_hall_3
終演後は、いつもマリナー記事に、親密なるコメントをくださる「ナンナン」さんと初めてお会いして、軽く会食。
マリナー卿のことをずっと語れる希有のお方。
お互い、珍しいですねぇ、と笑いながら楽しい時間を過ごすことができました。

元気なサー・ネヴィルが、次に来日したときは、N響の合間をぬって、ギャラは厳しいけれど、神奈川フィルに客演してもらって、石田コンマスとRVWの「揚げひばり」を演奏して欲しいsign01という結論に達しました。
 どうもお世話になり、ありがとうございました。

               



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2010年9月19日 (日)

第14回「英国歌曲展」 辻 裕久 テノールリサイタル

Ginza1

銀座のど真ん中にある王子ホールへ。

毎年、初秋のこの時期に開催される辻裕久なかにしあかね「英国歌曲展
今年、第14回目を数えるが、わたしは残念ながら昨年から。
それまで気になりながらも、行けなかった。
だって、辻さんのリリカルな美声で聴く英国作曲家の歌曲の数々、ほんとうに素晴らしいのだもの。
今年のタイトルは「夢の谷
美しいチラシやパンフレットもこのシリーズの楽しみのひとつで、なかにしさんの解説と辻さんの歌詞の対訳も私にとってはとても貴重なものとなりつつある。

British_songs_14

  クィルター     「3つのブレイクの歌」
                夢の谷、野の花の歌、夜明け

  ウォーロック   「3つのベロックの歌」
                ハナカーの風車小屋、夜、我が故郷

  ディーリアス   「4つの古いイギリスの詩」より
                白く 柔らかく 甘い彼女、 水仙に

  ウォーロック   「ピータリズム 第1セット」
                チョップチェリー、哀歌、ラテキン

  なかにしあかね  「夢の谷」~テノールとホルンのための(世界初演)

  ブリテン      「カンティクル第1番」
                私の愛する者は我がもの

             「カンティクル第3番」~テノールとホルン、ピアノのための
                 なおも雨は降る
            
            ~「ロンドンデリー・エア」~(アンコール)


      テノール:辻 裕久

      ホルン :今井 仁志

      ピアノ  :なかにし あかね

                     (2010.9.18@王子ホール)
      

このコンサートのタイトルにもなっている「夢の谷」。
ロジャー・クィルターのブレイクの詩につけた3つの歌曲の1曲目。
伸びやかでメロディアスな旋律線が魅力のクィルターは、シェイクスピア歌曲「来たれ死よ」が有名だけど、この「夢の谷」もちょっと陰りを感じたりして、とてもいい歌でありました。
以前、金子裕美さんの歌で聴いておりました。
なかにしさんの解説によれば、「夢の谷」のタイトルは原詩にはなく、クィルターの命名だそうな。
Dream Valley」~なんだかとっても詩的でいいタイトルなのであります。

  
  追憶よ こちらに来て 奏でておくれ 心地よい歌を
  お前が 風のままに その調べを 漂わせるあいだ

  私は 恋人たちが溜息する川辺をながめ
  輝く水面を眺めて 空想にふけろう

  私はせせらぎから 水をすくって飲み リネットのさえずるのを聞こう
  そして、そこに日永一日寝そべって 夢をみよう

  また夜が来れば 行こう 淋しい心の気の向くままに
  暗く沈む 谷に沿い 静かなる哀愁を湛えて
                      

                    (辻 裕久 訳)

まさに、「夢の谷」の光景が目に浮かぶような素敵な詩であり、辻さんの名訳。
リネット(linnet)は、英国や北欧に多いムネアカヒワのことみたい。
鳥は違えど、わたしは昨日の朝聴いたヴォーン・ウィリアムスの「揚げひばり」を思いおこしてしまう。あちらも谷で聴く高く舞うひばりの鳴き声なんです。

そして、プログラム後半の冒頭に、同じブレイクの詩に作曲した、なかにしさんの新作「の谷」が初演され、こちらも非常に印象的な作品でありました。
ホルンとテノール、というブリテンが好んだ組み合わせで、ピアノはお休み。
でも驚いたのは、そのピアノを効果的に使ったホルンの奏法で、N響でお馴染みの今井さんは、立ち位置を変えて、蓋の開いたピアノに向かってそのホルンを吹いて、まるで谷に「こだま」するかのようにピアノを共鳴させていたのですよ。
そのあとに辻さんが共感をこめて真摯に歌い、ホルンは強奏したり、弱音器をつけたりといろいろな奏法で楽しませてくれる。
最後はもう一度、ピアノを共鳴させて、テノールとともに、夢の谷に一陣の風をふぅ~っと吹かせて曲を閉じました。

いつも謎めいていて「たいしゃくしぎ」のイメージばかりが先行してる、ウォーロックの歌曲は楽しくもユーモアとシニカルさを持った味のあるものと、今回痛感した。
「我が故郷」はしみじみと、「チョップチェリー」や「ラテキン」は軽快でユーモアたっぷり。
なかにしさんのお話では、「ピータリズム」は、自身の名前でもあり、当時販売されていたビールの広告から拝借した名前らしい。
謎の多い早世のウォーロック、私も酒飲みだけに、なんだか親しみを感じますねぇ。
ヒック・・・(「ラテキン」では、しゃっくりで曲終了~オリジナルなのでしょうか~笑)

英国作曲家のなかでは、ディーリアスが一番好きだし、この道にのめり込んだのもディーリアスのおかげ。
でも、こうしてほかの作曲家たちの歌曲作品の中にもぐりこむと、ディーリアスの歌曲は独特で、なかにしさんも解説で指摘しておられた。
たゆたうような旋律ともいえない曖昧な流れのなかに、歌を乗せてしまった感じ。
でも、私はそんなディーリアス・ワールドが大好きで、2曲歌われた作品のどちらにも、大いに感銘を受けた。
辻さんの繊細な歌い口となかにしさんの緩やかなタッチのピアノがよかった。
ピアノの伴奏が散文的で印象的で、帰宅後、「水仙に」のピアノ伴奏版とオーケストラ伴奏版(フェンビー版)を聴き比べてみたが、オーケストラは広がり豊かながら切なすぎで胸がしめつけられそう。
ピアノは、もっと瀟洒な感じで、フランスのメロデイを聴くかのようだった。
どちらも、ディーリアスでありました。

後半は、ブリテンの深刻な「カンティクル」を2曲。
第1番は、ピアノとテノール。
当然に、ピーター・ピアーズを想定して書かれているが、「彼は最愛の人、彼もまた私のもの」と何度も繰り返し歌われ、これはまた、おホモちっくな曲かともとれるところが微妙。
しかし、彼を無二の神ととらえればなんのことはない、信仰篤かったブリテンの思いが甘味なまでに、伝わってくる。

そんな背景を歌い・引き出したお二人は、この作品に対する想いも強いとおっしゃる。

第3番は、ホルンが加わる。こちらはデニス・ブレインを想定して書かれた。
この曲は重くて、深い。
「Still faiis the Rain~なおも雨は降る」が、何度も節の冒頭に歌われ、それが徐々に高まりホルンもピアノも深刻になってゆく。
十字架の釘に、殺し合う人間たちに、動物たちに。。。
この世の修羅場に降り注ぐ雨。
しかし最後にイエスの声が感動的に、しかも抑揚少なくシンプルに歌われ、いやでも感動が高まるのでありました。
「なおも愛そう、私の無垢なる光と、血とを流そう、汝のために・・」
辻さんの混じりけのないピュアな歌に、それをそっと支えるなかにしさんのピアノに、ブリリアントで神々しい今井さんのホルンに、最後はわたくし、涙が出ました。
戦争レクイエムと一脈通じる、反戦の士であったブリテンの名作に思います。

お二人のユーモアたっぷりのお話を交えてのこのコンサート。
最後に、ホルンも交えて、「ロンドンデリー・エア」(なかにし編)がしみじみと歌われ、ちょっと重くなった気持ちを、爽やかに解放していただきました。

来年は、9月25日。
第15回の節目に、リクエスト大会らしいのです。
これまで演奏された曲や、こんなの聴きたいの曲などをリクエストできます!
こちらのページでどうぞ。
私ももちろんリクエストしますよ。
英国音楽好きのみなさん、来年是非note

 過去記事 「第13回 英国歌曲展」

Ginza4
王子ホールのお隣は、三越新店。
階上には、緑の芝生がありましたよ。
銀座の真ん中でこんな光景。
でも肝心の店舗はブランド屋さんばかり。異国の方ばかり。
多くの方は、気軽なカフェに・・・・。

Ginza5
ミキモト前のコスモス畑。
去年と同じ。
では、失礼します。

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2010年9月18日 (土)

ヴォーン・ウィリアムス 「揚げひばり」 マリナー指揮

Azuma_1
まだ暑かったころの空。
いつもの、神奈川の小山の頂上。
空は秋の雰囲気。

Rwv_marriner

夏を偲んで、今日は軽く爽やかなものを。
公演中のサー・ネヴィル・マリナーにもちなんで。
この1枚は、以前、「ヴォー・ウィリアムスのさわやかな世界」として、このレコードが発売された時のキャッチフレーズのままに記事にしております。

今回は、その中から、「揚げひばり」のみに絞って聴いてみましょう。

雲雀=ひばり。
漢字で書くと、雲のスズメかぁ。見た目が確かにスズメに似てるけど、雲をつけるだけで、やたらと文学的な香りがするじゃありませぬか。
上へ上へと飛翔しながらさえずる様子から、雲の漢字を上に冠したのもよくわかりますな。

レイフ・ヴォーン・ウィリアムス(1872~1958)の「揚げひばり」ほど、私たち日本人の心の提琴にふれる英国音楽はないのではないでしょうか。
冬が去り、お日さまの暖かさを背中に感じつつ、野原で高く舞う雲雀の楽しげな声を聴く休日の昼下がり。
そんな光景を思い浮かべてください。
春の初めから初夏にかけての季節がいいですな。

さらに、RVWが音楽的に解釈しようとした小説家・詩人ジョージ・メレディスの詩に目を通すことで、この素敵な音楽の魅力は倍増するんです。

     ひばりは空に舞い上がり、輪を描き始める
    ひばりは、とぎれることのない多くの環のある
    銀の鎖のような音をしたたり落とす・・・・

    どこまでもひばりは飛んでゆき、その声を大地にしみこませる
    この谷はひばりの金色に輝くグラス
    そこには、なみなみとワインがあふれ、
    ひばりと一緒にかかげるのだ・・・・


雲雀が鳴くのは高く舞うときだけ。
揚がったら、降らなくてはならないけど、その時は鳴かない。
そういえば、「美空ひばり」って名前もよく出来た美しい言葉の組み合わせであります。
「ひばりヶ丘」とかも、全国にいつくかあるけれど、いかにも住んでみたくなる街の名前ですねぇ。
関係ないけど、ビバリーヒルズをもじって、チバリーヒルズなんて呼ばれた千葉のバブリーな某ヶ所は、いまではすっかり閑古鳥の街になっちゃった。

ふたつの世界大戦を経験したRVWの音楽は、非常に多面的で、9つある交響曲は田園風のものあり、スペルクタルあり、描写音楽風でもあり、不協和音乱れ飛ぶシャープなものあり、モダニスト風のものありと、ほんといろいろ。
やはり親しみやすいのは、英国の風景を感じさせる緩やかで美しいメロディを持つ作品でありましょう。
自国の民謡を採取し各地を回ったRVWの真髄はそのあたりにあるのです。
オペラ作品もいくつもあって、ただいまいろいろ聴いているところでありますが、それらの作品の中にも、こうした田園情緒あふれる抒情的な旋律があふれていて、ともかく素敵なRVWなのであります。

一度聴いたら好きになってしまう「揚げひばり」。
キム・ヨナちゃんがフィギアスケートで演じたことにも、そのセンスの良さを感じますな。
アルウィンの「リラ・アンジェリカ」とともに、素敵な選択として、クラヲタたちを感心させた出来事でございます。

マリナーを好きになったきっかけのような、このレコード。
1974年頃に発売され、ジョン・コンスタブルの風景画とともに、ずっと私の心に刻みこまれている1枚。
これぞ、マリナー&アカデミーのこちらも真髄である、さわやかさの極致。
アイオナ・ブラウンのでしゃばらないソロは、完全にアカデミーの一員として一体となっていて、有名ヴァイオリニストたちの弾きすぎる演奏より、この曲の場合はるかに好ましい。

Azuma_3
まだ淡い色づきのコスモス。
夏は去り、こちらはこれからが本番shine
    
 

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2010年9月16日 (木)

NHK交響楽団定期演奏会 マリナー指揮②

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 朝からしっかり降った雨もあがった赤坂、サントリーホール。
こちらは、終演後のホール。
ナイスなブラームスを聴いて満足の足どりは軽い。
来日中の、サー・ネヴィル・マリナー指揮するNHK交響楽団の定期演奏会を聴いてきました。

前回も書いたけれど、序曲ないしは、オーケストラ曲+協奏曲+交響曲、といった安定感ある王道プログラムがオーチャード定期も含めて組まれたマリナー卿のシリーズ。
よくみたら、シェイクスピアを題材とした作品に、イギリスにゆかりのある作品(フィンガル)が、それぞれ冒頭に置かれていて、これもマリナーならではのスパイスなのでありました。

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     チャイコフスキー 幻想序曲「ハムレット」

     サン・サーンス  チェロ協奏曲第1番

     バッハ       無伴奏チェロ組曲第6番~プレリュード

           Vc:アルバン・ゲルハルト

     
     ブラームス    交響曲第1番


      サー・ネヴィル・マリナー指揮 NHK交響楽団
                   (2010.9.16@サントリーホール)


チャイコフスキー
のハムレットが演奏会にのるのは、非常に珍しいのでは。
もちろん、ライブでは初めてだし、CDはバーンスタインを持ってはいても、その印象は薄い。
ところが、今宵、サー・ネヴィルの鮮やかな演奏を聴いて、その良さに開眼。
悩めるハムレットを象徴するかのように重苦しいムードに包まれてはいるが、中間部で、オーボエが愛の主題をメランコリックにかなでると雰囲気は一変して、バレエのひとこまのような旋律的な情景に変わる。
全曲で、2度ほど訪れるこの場面、チャイコフスキー特有のメロディーを嫌みなくスマートに聴かせるマリナーの指揮にN響がしっかり応えていて、聴き惚れましたよshine
劇的場面との対比もとれて痛快なチャイコフスキーでございました。
それにしても、このような曲をひょいひょいと、さりげなく指揮するマリナー卿のお姿。
本当に若い。
その指揮姿は、昔とちっとも変わらない。
今日は、ティンパニのほば上、P席だったから、サー・ネヴィルの真っ正面でじっくり対面聴きすることができました。
ティンパニや金管がもろに聴こえてしまい、バランスはイマイチの席だけど、卿のお姿をしっかりこの目に焼き付けることもできましたよhappy01

サン・サーンスのチェロ協奏曲もロストロさんやデュプレで馴染んだ曲ながら、実演は初。
しかし、P席では、チェロは背中を向けていて、やや音像が遠い。
情熱と抒情、軽快さと新古典風、いろんな要素が詰まった幻想曲のような協奏曲。
おもにオーケストラを聴きつつ、ソロの音色に耳を澄ます状況。
ゲルハルト氏は、見た目、青年のようだが42歳。
プログラムによれば、父親がベルリンフィルの首席第2ヴァイオリン奏者、母親が声楽家というサラブレット君で、すらりとした容姿でかなりのイケメンでこりゃ鬼に金棒。
そして、遠い音像ながら、その音はマイルドでかつブリリアント。
マリナーの曲を知り尽くしたかのような見事なサポートを得て、素直で好印象のチェロでございました。
 アンコールのバッハ、オケが鳴らなかったこともあって、ホールにこだまする1本のチェロが朗々と響くさまに、大いに感動してしまった。
そして、なんてきれいなチェロを弾く人なのだろうか。
そうそう、ゲルハルト氏、次のブラームスでは、黒っぽいカーディガンを着て第2プルトでN響の一員として弾いておりましたよ!
終演後、学員に囲まれ、なごやかに握手大会。
いい光景でしたぁ。

Marriner1
休憩後は、マリナー卿のブラームス
意外なレパートリーと思われるけれど、アカデミーと録音した全集録音は、私の愛聴盤のひとつ。
マリナーは、思いつめたような演奏を絶対にやらない。
苦節うん十年のブラームスの1番を演奏するに、指揮者は、まず足を踏みしめ、立ち位置もしっかり押さえて、オケを見渡して、渾身の指揮棒を振りおろすのが定番かと。

でも、サー・ネヴィルは、そんなことはいっさいありません。
元気に指揮台に駆け上り、それこそさりげなく、指揮棒を振りおろして、曲をスタートさせるのであります。
この何気ない普通さと、飾らずに振りかぶらないところが好きなのでして、マリナーの演奏に常々感じるところなのであります。
コクが足りない、浅い、内容が薄い・・・、こんな風に思う方はそれはそれとして、マリナーやアカデミーの演奏に縁のない方でございましょう。
 そんな風な印象に終始してるかと思ったら、不覚をとってしまう。

マリナーの面白いところは、突如として燃え盛るところがあるから油断がならない。
ティンパニの連打も心地よく、さらさらと進行した1楽章に続いて、2楽章開始までの短いインターバル(マリナーは、楽章の間も短め)で、テンポを指示したかのように柔らかい感じで空振りをしてから曲に入った。
とてもよく歌い込んで、N響の腕っこきの皆さんのソロもよく決まって、ほんと、心洗われるような名演でした。
すいすいの3楽章から、アタッカで入る終楽章。
深刻ぶらずとも、悠揚たる響きは出せるという典型のような力みのまったくない演奏。
主部の有名な主題は、期待どおりの早めのテンポで、堂々としてないところはまったくよろしい。爽快さを第一に感じるブラームス。
なにもしんねりむっつり、重厚さばかりがブラームスじゃない。
重たいN響から、こんなスマートな響きを引き出してしまうマリナー卿が、さらに好きになりましたよ。
しかし、徐々に熱してきて、ティンパニの強打、強烈な金管、エッジの効いた低弦など、最終場面に向かってどんどん音楽は高まってゆき、最後は軽くアッチェランドがかかって、壮麗なエンディングを晴れやかに迎えたのでありました。
最終の一振りは、うなり声を発した熱いものでございました。

いやぁ、気持ちいいブラームスを聴かせていただきました。

私のブログをご覧いただいているとおわかりのとおり、私のフェイバリット指揮者は、アバド、ハイティンク、プレヴィン、マリナー。
いずれも強い個性というよりは、どちらかというと控えめな音楽造りをする人たち。
でも音楽が好きでしょうがない生真面目さと、時に彼らが燃え上がるとき、音楽におのずとドラマを語らせることができる指揮者たち。

帰宅後、CDでマリナーのブラームスを確認した。
繰り返しを励行しつつも、テンポ感は今日の演奏とだいたい同じ。
でも、音のエネルギーがライブでは倍増してる。
次の2番が楽しみなサー・ネヴィルのブラームスです。

 「マリナー&アカデミーのブラームス1番」過去記事

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2010年9月15日 (水)

スーク 「夏の物語」 K・ペトレンコ指揮

Sumida_river1
浅草の吾妻橋のほとりから。
海上遊覧船が橋の下をくぐってます。
そして、左手にはスカイツリー、中央はアサヒビール本社。
ビルの上に、泡のようなイメージがのった、いかにもバブリーな建物。
その横には、お馴染みのモニュメント。
う○こ、じゃありませんぞ。

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今日は、すっかり涼しかったけれど、逝く夏を惜しむ今週の企画。
要するに、盛夏に取り上げる暇がなかったものを、あわてて出してるシリーズともいえよう。
本日は、知ってしまった以上は、根こそぎ聴かずはおれない作曲家のひとり、チェコのヨゼフ・スーク(1874~1935)の、大オーケストラのための交響詩「夏の物語」を。
今年の春に取り上げた「人生の実り」は、自身の生涯を描いた点でも、その最充実期の作品で1917年。
「夏の物語」は、その前1909年の作品で、祖父のドヴォルザークの影響下にあった作風から離脱して、後期ロマン派・印象派風の濃密サウンドにすっかり様変わりした魅力的な作品。

スークの作品数は、どうもそんなに多くはないけれど、その作風の変遷にはとても幅がある。
何の要因がそうさせたか、非常に興味はあるけれども、世紀末の風潮があらゆる芸術家にもたらした幻想的かつ象徴的な要素は、「後がない、先が見えない」といった刹那的な緊迫感からもたらされたもので、古典プラス民族楽派の正統な血統の家系にあったスークですらも飲みこまずにはおかない大きな流れだったのだろう。

この印象派風でもあり、かつ退廃感もただよう音楽は、マーラーやR・シュトラウスをすっかり聴きなれた、現在の私たちにも全く違和感なく共感できる音楽であります。

マーラーは、この同郷の作曲家のことをずっと気にかけていたようで、「夏の物語」を指揮したかったという手紙も残されていて、その思いも果たせずに亡くなってしまう。
5つの楽章からなる50分近い大作。
 
 Ⅰ.「生への呼び声」
 Ⅱ.「真昼」
 Ⅲ.「インテルメッツォ~盲目の音楽家たち」
 Ⅳ.「幻想のなかで」
 Ⅴ.「夜」


対訳がないので、各章はこんな感じか・・・。
海の一日を描いたドビュッシーの「海」のように、「夏」の一日、しいては「夏」という季節の盛衰、さらには、それを人生に置き換えたような作品といっていいかもしれない。

 曲は曖昧な中から始まり、それがやがてウェーベルンかベルクのような盛り上げ方を示してくれて、すっかりその素晴らしいサウンドに魅了されてしまう自分を発見する。
親しみやすい旋律のⅡは、日本の盛夏ほどには眩しくない真昼の音楽で、物憂げである。
素敵なのは、Ⅲの哀歌のようなインテルメッツォで、やや古風な歌いまわしがいにしえの楽師たちを偲ぶようでもある。ヴィオラのソロも渋いし。
ダイナミックなスケルツォ楽章でもあるⅣは、幻想に取りつかれてしまったかのような没頭感と酩酊感あふれる音楽。
そして、最終のⅤ「夜」は、まるでディーリアスを思い起こすような感覚的、かつすこぶる陶酔的な音楽。わたしゃ、こんな音楽がたまらなく好きなんです。
夜鳥のさえずりや、森のささやきなどが、甘い旋律に乗って歌われます。

   キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・コーミュシュオーパー管弦楽団
                 (2004.1@ベルリン・コーミシュオーパー)


ふたりいるペトレンコのうちの、キリルの方。
(もうひとりは、ワシリー・ペトレンコで、CDが最近たくさん出てるし、日本のオケにも客演してますが、こちらも逸材)
キリル・ペトレンコは、まだ38歳ながら、ドイツ移住後は、オペラハウス中心に地道に活躍をして昇りつめた実力派で、あのホモキのベルリンのコーミシュオーパーの音楽監督をつとめている。
先に書いたとおり、ティーレマンのあとの、バイロイトの「リング」の次期新演出上演の指揮者として最有力視されております。
 さらに、運営サイドとの軋轢から潔く辞表を叩きつけたK・ナガノのあとのバイエルン・シュターツオーパーの後釜としてもその名があがっております。
知的なアプローチながらも、熱い音楽を引き出すエモーション豊かな指揮者に思います。
 オケが実にうまく、素晴らしいスークの音楽を聴かせてくれる1枚でした。

Sumida_river5 
角度を変えてみると、左奥には、東武鉄道が走ってます。
日光から、浅草まで。
沿線の通勤・通学の足に加えて、国際観光列車となりうるだろうか・・・・。

河の上の長い夏は、こうして終りを告げつつあるのでありましたthink


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2010年9月14日 (火)

カゼッラ 「イタリア」ラプソディ フロンタリーニ指揮

Napolitan1
麗しのナポリタンshine
どなたも好きですよねぇ。
大衆的な洋食屋さんや、喫茶店のナポリタンが好き。
食べると、口のまわりがケチャップで真っ赤かになっちゃうし、シャツにはねないように注意が肝要だ。
粉チーズに、タバスコも必須アイテム。
甘さと辛さとマイルド感が嬉ちィ~heart04
特別に、目玉焼きをトッピングしてもらいましたよ。

Casella_respighi
 夏を偲んで聴く音楽。
今日は、その名も狂詩曲イタリア」。
作曲者のアルフレード・カゼッラ(1883~1947)は、トリノ生まれの作曲家・ピアニスト・音楽学者。
プッチーニ後に捲き起った、オペラから器楽への回帰や古典復興の潮流に、レスピーギに少し先んじるかたちで乗った人で、マリピエロ、ピッツェッティらとともに活躍した人。
オペラもあるが、作曲の主体は、交響曲や管弦楽作品とピアノ作品。

マルトゥッチに認められ、パリではフォーレの弟子にもなったほか、後期ロマン派や新古典派の流れにもしっかり乗って、多彩な顔を持っているという。
こんな解説を読んじゃうと、これまた次々に聴いてみたくなる、クラヲタ人なのでした。

1909年、パリ滞在中に書かれたこの「イタリア」は、R・シュトラウスの同名の曲も真っ青のド派手で、濃厚エモーショナルのギンギンサウンドなのである。
はっきりいって、聴いてて恥ずかしいわ、あたくし。
なにもそこまで的な、くどくてわかりやすい、もろイタリア。
 そう、最後の方で「フニクリ・フニクラ」が出まくりで、オケが荒れ狂うのです。
おまけに、トスティやマリオ・コスタの有名な歌曲もそこに絡みまくってハチャムチャな結末を迎えにおよんで、笑ってしまうのでありました。
 前半も、イタリアの荒野かマカロニウエスタンっぽい妙にエキゾテックな雰囲気の音楽が横行するからまた面白い。

はぁ、そうですかって感じであっけにとられたまま終わってしまう19分間。
たしかに、イタリアであった。
でもしかし、カゼッラの作品、ほかはどうなってんだろ?
気になる作曲家ではあります。

  シルヴァーノ・フロンタリーニ指揮 モルタヴィア国立管弦楽団

Napolitan2

愛しのナポリタンのアップ。
東京タワーの近くの某喫茶店です。

あぁ、いま、食いてぇーーーーっlovely

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2010年9月13日 (月)

MY MEXICAN SOUL~メキシコ管弦楽作品集 アロンドラ・デ・ラ・パーラ指揮

Golden_street1
新宿のゴールデン街。
初めて行きました。
怪しい過去を持つ木造長屋風の飲み屋街は、いったい何店舗あるのだろう。
店の名前も、内容も、外観もそれぞれに趣向に富んでいて、一見には入りにくい。
外国からの団体さんも数十人でうろうろしてたけど、手分けしないとひとつの店には絶対入れないよ。
Golden_street2
そこで、意を決して入った店がこちらのバー。
このバーは女性店主で、アメリカンミュージックの流れる正統バーでございました。
左手にモヒカンいますが、ゴールデン街は安全で楽しく飲めるナイスな横町ですよ。
皆さんも是非wine

Alondra_de_la_parra
美人にほだされて音楽を聴かずして記事にしてましたが、デビューCDを購入してみました。
アロンドラ・デ・ラ・パラーラ、メキシコ生まれの女子指揮者。
早くも出来たばかりの自分のオーケストラを手にして、南米・北米、欧州各地で活躍中。
日本にもいずれ近いうちにやってくることでしょう。

そのCDは、故郷メキシコの作曲家ばかりを収めた2枚組。
ラテンリズムたっぷりのものから、哀愁ただようメロディアスなもの、基本は明るく楽しい13曲をワクワクしながら聴くことができるんです。

 1.ホセ・パブロ・モンカージョ 「ウアパンゴ」(1941)
 2.グスタボ・エルネスト・カンパ 
      「ヴァイオリンと管弦楽のためのメロディア」Op.1(1890)
        Vn:ダニエル・アンダイ
 3.リカルド・カストロ 「アツィンバの間奏曲」(1900)
 4.カンデラリオ・ウイサル 「イマジネス」(1927)
 5.マヌエル・マリア・ポンセ 「南国協奏曲(ギター協奏曲)」(1941)
      
  G:パブロ・サインス・ビジェガス
 6.フベンティーノ・ロサス 「波濤を越えて」(1884)
 7.アルトゥーロ・マルケス 「ダンソン第2番」(1994)
 8.シルベストレ・レブエルタス 「センセマヤ」(1938)
 9.カルロス・チャベス 「馬力」組曲~第3曲 (1954)
10.フレデリコ・イバッラ 「シンフォニア第2番」(1993)
11.エウヘニオ・トゥサイント 「即興的ピアノのための協奏曲」(2006)       
        P:アレックス・ブラウン
12.マリオ・ラヴィスタ 「クレプシドラ」(1990)
13、エンリコ・チャペラ 「イングエス」(2003)  

     アロンドラ・デ・ラ・パーラ指揮   
         フィルハーモニック・オーケストラ・オブ・ジ・アメリカズ


ここまで書いて、外は雷が鳴り響き、停電thunder
メキシカーン・サウンドに雷がいやにマッチしてて、これはこれは、と思ってにんまりしてたら、ブッツンと切れまして暗闇に。
記事はセーブしておいてよかった。
5分で復帰。
いまや、外は激しい雷雨が吹き荒れてますぜ。
中米旋風が雷を呼び込んだのか。
恐ろしいオナゴ指揮者、アロンドラsign03

ポンセとチャベス、レブエルタス以外は、まったく見たことも聞いたこともないメキシコ人たち。
正直言って、どれがどれだか、さっぱりわからない。
外盤だし、解説も読むのも今日は、目がくらくらしてしょうがない、ただ聴くのみ。
ラテン・テイストを十全に感じるのだけれども、ラテンとひとくくりにした場合、その範囲はあまりに大きく広範。
メキシコ・カリブ・ベネズエラ・ブラジル・アルゼンチン・アンデスなどなど、赤道を交えての南北はとても大きい。
それぞれにある近代クラシック音楽も、そのルーツを各エリアの民族音楽や、その言語の元へとも遡ることができるから、それぞれに特徴的なはず。
クラシック音楽を愛好していても、やはりこのあたりの音楽は一番縁遠い部分で、スター性のあるオロンドラちゃんが、こうして果敢に自国の音楽を集成して録音してくれたのは、文献的な意味でも、かの地の音楽を世界に広める意味でも、極めて価値のあることだと思う。
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美人指揮者のデビューだったら、ベートーヴェン7番とか、シェエラザードとか幻想とかの華やかな曲で、大衆路線となるところだが、自国音楽を広めようとの使命感すら漂う本盤は、とても潔くも本格志向で、応援のしがいがあるというものだ。
日本のメーカーの某女性指揮者の売り込みかたと比べると、SONY MUSICのその姿勢の違いは明らか。
アロンドラは、解説書への寄稿で、「メキシコのオーケストラ作品は、あらゆるオーケストラのコアなレパートリーとして、しっかりと位置づけられるべき!」と語っています。

そして、2010年は、メキシコがスペインからの独立抗争開始から300年の節目の年ともあります。

まだ2回しか聴いてなくて、これから聴きこんでいきたい2CD。
簡単に、それぞれ触れておきます。

まず、1曲目モンカージョ「ウァバンゴ」は、おおらかで、メキシコの豊かな自然や風物がやがてリズミカルでダイナミックなダンスミュージックのように盛り上がってゆくのが気分よろしい。元気モリモリであります。

ちょっと感傷的で、古風なつくりのヴァイオリンをともなった2曲目のカンパ「メロディ」。

カストロ「アツィンバ」は同名のオペラの間奏曲。
メロディアスでヴェリスモ風な感傷あふれる曲。オペラってどんなだろう、興味深々。

チェレスタやハープのグリッサンドに涼しげな鳥のさえずりのような木管、大地のような低弦、かなりいい雰囲気の印象派風な4曲目、ウイサル「イマジネス」。これいいgood

有名なポンセギター協奏曲は、ロドリーゴにも通じる、スパニッシュな雰囲気。

超有名なワルツは、これがオリジナルだった、ローサス「波濤をこえて」。

思わず体が動きだしちゃうマルケスの「ダンセン(ダンス)」は、テキーラなんぞ飲んで興じたら、知らぬ間に踊っちゃうんでしょうな(笑)

映画音楽のようなサスペンスに満ちてる曲。かっちょええぞ、レブエルタス「センセマヤ」sign01
いつ襲ってくるかもしれぬ野生の動物や昆虫たちのいる密林をゆく決死隊なり(古い)。
オケうまいし、アロンドラちゃん、どんな形相で指揮してんのか見てぇな~。

チャベス「馬力」は名前ほどでもなく、やや不甲斐ないぞ。

おどろおどろしいイバッラ「シンフォニア」。なんだかよくわからん曲

そして、このアルバムで、わたくしが一番気にいって、心なごんだ曲が、トゥサイント「即興的ピアノのための協奏曲」
たぶんにクロスオーバーっぽい曲で、そのピアノは晩年のビル・エヴァンスみたいに、ちょっと水っぽいのだけれど、アメリカとメキシコの両方を感じさせる夜の音楽だ。
バーボンとテキーラを交互に飲りつつ、海辺で夕日を見るの図であります。
アロンドラちゃんのセンスばっちりよheart04

ラヴィスタ「クレプシドラ」は、サン・アントニオ川をイメージした曲で、その河の岩々がギリシアのクレプシドラを思い起こさせたのか(たぶん)。
オスティナートのような繰り返しの神秘音楽。

チャペラ「イングエス」、解説によれば、FIFAメキシコ対ブラジルのサッカーの戦いを描いてるみたい。ホイッスル鳴るし、太鼓系も賑々しい。でもそれ以上ではない。よくわからん。

というわけで、デコボコありますが、総じて楽しいメキシカンでございました。

アロンドラ・デ・ラ・パラーラさま、しっかりオケを整理してコントロールしてます。
そして音楽への共感ぶりも感じさせてくれます。
果敢なスタートをきった彼女、次の1枚がどう出てくるか、試金石でございましょう。


Thunder
自宅から適当にシャッター切ったら、雷がこんな感じで撮れましたぞ。
夏はようやく終わりそう。
今週は、逝く夏を偲んでの最後の暑い夏特集。
まずは、美人のメキシコ・ミュージックでした。

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2010年9月11日 (土)

NHK交響楽団定期演奏会① マリナー指揮

Nhk

昨日の神奈川フィル定期から連チャン・コンサート。
できるだけ、こういう聴き方は避けたかったが、神奈フィルは定期会員だし、サー・ネヴィル・マリナーは、わたしのフェイバリット指揮者だしで、やむをえない。
しかも、二期会の魔笛も行きたかったんだよね。
みんな重なっちゃうんだから。

2007年に28年ぶりにN響に登場したマリナー。今回は、4つのプログラムで、ベートーヴェン、シューマン、ブラームスの交響曲に、若手を起用した協奏曲と序曲を組み合わせた王道演目。
好きなマリナーだから、喜んで暑い渋谷の極悪雑踏を抜けて巨大ホールに行ったけど、普通なら、さまよえるクラヲタ人としては見向きもしない演目です。
せっかくのマリナーなんだから、英国ものや、得意のスペイン音楽なんてのも聴いてみたかったところ。
86歳とは思えない、かくしゃくたるマリナー、そのあたりは、また次回来日に期待しましょう。
でも、思えば、新宿ではグシュルバウアーが「魔笛」を指揮し、渋谷では、マリナーがベートーヴェンを指揮してる。
ともに70年代を沸かせた爽快指揮者が、味のある大ベテランとして、東京で同じ日に指揮してるのだから、これはもう感慨深い70年代オヤジなのであります。

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   ベルリオーズ 歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲

   シベリウス   ヴァイオリン協奏曲

            アルメニア民謡(アンコール)

              Vn:ミハエル・シモニアン

   ベートーヴェン  交響曲第7番

      サー・ネヴィル・マリナー指揮 NHK交響楽団
                       (2010.9.11@NHKホール)  

颯爽と登場のサー・ネヴィル。
しゃんとしてて、指揮台でも腰掛けなし、ともかく若い86歳。
サヴァリッシュ87歳、プレヴィン81歳、いずれもN響ゆかりの指揮者たちからすると、若すぎ。
そして、小粋なベルリオーズの喜劇の序曲。
こんな瀟洒な曲をさらりとさりげなく聴かせるのがマリナーの極意。
重厚なN響から、デュトワばりの爽快なベルリオーズの響きを引き出してくれました。

この時期涼しいシベリウスの協奏曲のソロは、見た目、22歳にはとうてい見えない落ち着きあるシモニアン君。
この曾孫のようなシベリア出身のロシアのヴァイオリニストを巧みにリードするマリナー卿。
合わせものの達人たる由縁をヒシヒシと感じました。
若いのに、いや若い故か、弱音を意識して多用するシモニアン君は、巨大ホールなことなどお構いなしに急に音を絞ったりして、自らその繊細なる弱音サウンドに酔いしれている。
マリナー卿は、そんな加減を巧みに察知して、ついてゆくし、逆に煽って大いに盛り上げリードしたりと、協奏曲を楽しんでる趣きがありました。
大人です。
 で、シモ君のヴァイオリンは美音で、かつ技巧のほども抜群。
2楽章のシャープな抒情がとてもよかったです。
近現代ものに強そうなシモニアン君、今後に注目です。
第二のレーピンになるか

休憩後のベートーヴェン
これを期待していらっしゃった方も多かったでしょう満席NHKホール。
いまや普遍的な有名曲となった1楽章の提示部では、わたしのまわりの方々、みんな首をふりつつ音楽に興じてましたよ。
いいじゃありませぬか、この光景。
文化予算を削りやすいからと、ともかく削減対象とする某国政治家に、こんな聴衆の姿を見せてあげたい。みんな日々の生活はあるけど、こうしてひと時、音楽に耳を傾け、心の糧としているのであります。

かつてのアカデミーとのベートーヴェンは、オーソドックスかつ新鮮、室内オケでのベートーヴェンが珍しい時代に爽やかな風を吹かせてくれた録音だった。
オケは変わっても、その爽快ベートーヴェンは同じ。
4つの楽章をアタッカですべてつないで、一気に演奏して、リズム感というよりは、流動感を高めて聴かせてくれたような第7。
リズムはとどまることなく弾んでいるし、テンポも弛緩なくだれることがない。
ピリオド奏法を意識した、昨日の金さんのべートーヴェンが編成を刈り込んで、サラサラのお茶漬けみたいに演奏したのだけど、マリナー卿は、7・7・6・5・4&2管の弦が多めの編成で、従来版・従来奏法によりながらも、出てくる音楽は瑞々しく爽快で、古楽奏法によらずとも、お茶漬け風味が出せるし、同じお茶漬けでも、単純にお湯をかけただけなのと、出汁とお茶でさりげなく味付けしたものとの、味わいの違いは大きい。

前回来日でも感じた、思わぬ味付けは、金管やティンパニの強奏。
これは金さんのピリオド奏法のお株を奪うような痛烈なアクセントでありました。
終楽章まで、インテンポで、急がず慌てずの明晰かつ堂々たるベートーヴェンでした。
余裕のN響も、マリナー卿をおおいに讃えておりました。
こんなベートーヴェンなら、いつ聴いてもいい。
べートーヴェンに食傷気味の方にひろくお薦めしたいサー・ネヴィルのべートーヴェンでございました。

拍手にこたえるマリナー卿。
お馴染みの、かた時も離さない指揮棒をくわえる仕草も見せてくれました。
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70年代のマリナー。
わたしの中では、マリナーはこの時代の姿のままなのです。
今日のマリナーも、貫禄はついたけど、全然変わってないのでした。

でも、昨日の神奈川フィルが一丸となったR・シュトラウスは素晴らしかった。
N響さまでも、あのような必死に身も心も捧げたような演奏には敵わない。かもnote

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神奈川フィルハーモニー定期演奏会 金聖響指揮

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これを見たら、ドン・キホーテだったら・・・・。
竜か大蛇か勘違いして突進か。
みなとみらいホールへ向かう途中のランドマークのモニュメント。

シュトラウスといえば、リヒャルト
同じリヒャルトのワーグナーとともに、シュトラウス愛のわたくし。
今シーズンもっとも楽しみにしていたコンサートのひとつは、まったくもって素晴らしい演奏会となりました。
最初のベートーヴェンから、最後のシュトラウスまで、音楽の感興は徐々にカーブを描きつつ高まってゆき、最終の「ドン・キホーテ」の穏やかなエンディングに至って最高潮に達し、つい涙ぐんでしまったのでありました。
曲が静かに終わって、ソロの山本さん、聖響さん、オーケストラの皆さん、ステージの上では微動だにしない。
私たち聴衆も拍手すらできない。
長い静寂にホールが包まれたのでございました。

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    ベートーヴェン   ピアノ協奏曲第4番

    シューマン     トロイメライ

         Pf:伊藤 恵

    R・シュトラウス   交響詩「ドン・キホーテ」

         Vc:山本 裕康   Vla:柳瀬 省太

         Vn:石田 泰尚

      金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                  (2010.9.10 @みなとみらいホール)

協奏的作品をふたつ、でもオーケストラを聴く楽しみがたっぷり味わえる曲が並べた秀逸なプログラム。

淡いオレンジ色のドレスであらわれた伊藤恵さん。にこやかな笑顔がいいです。
でもひとたび鍵盤に向かうと、その集中力と音楽へののめり込みぶりたるや、目を見張るものがありました。
いきなり始まるピアノ。
この連打音からして、こんなにニュアンス豊かに弾かれるのにびっくりした。
続くオーケストラの音を聴いて、久しぶりだけに、しまった、コレか・・・。
そう、つぃーーっと、ヴィブラート弱めの弦なのでした。
昨年の頃からすると、弱めだし、楽員さんも自由に弾いてるみたいだけど、サラリと、ややのっぺりした響きは、味わいの濃い伊藤恵さんのピアノと合わないのでは、と思いつつ第1楽章はどんどん進行。
それにしても伊藤さんの弾き出すピアノは素晴らしく、深い。そして透明感もある。
最後のカデンツァの緊迫感といったら言葉もありませぬ。
常に音楽を感じながら、体も動いている。弾いてないときもオーケストラと一緒に動いている。いや、指揮をしている!
これは、金さん、やりにくいだろうな。
いつしか、音楽は完全に伊藤さんがリードしてしまい、オーケストラも掌握しちゃったみたい。
 同じことを、かつて内田光子さんの演奏で経験した。
そのときは、ヤンソンスとコンセルトヘボウだったのだけれど、ヤンソンスは形なしだった。
 第2楽章の深遠な雰囲気もよく、3楽章では飛翔するような軽やかさが素敵。
ここでは、金管とティンパニが、待ってましたとばかりに登場しにぎにぎしいが、この強打・強奏は毎度のことながらどうにかならないものか。
まぁ、そんなことはおかまいなしに、伊藤恵さんのピアノは素敵なわけで、ワクワクするフィナーレではドキドキしましたよ。
 アンコールのお得意のシューマンも、ほっと一息、安らぎの音楽を聴かせてくださいました。
神奈川フィルには、伊藤さん、どんどん来演してもらいたいです。

さて、後半の「ドン・キホーテは、マーラーと同じように、ぎっしり壮観のフルオーケストラのステージ埋め尽くし。そこに協奏曲のソリスト席のようにチェロの山本さん。
 木管の楽しい旋律で物語の開始。
神奈フィルの管は、いつも軽やかでいいんです。
やがて錯綜しつつも、オーケストラは騎士・チェロ殿の登場を準備するのだけれど、ここまでは手探り感もややって先走り感もあり。
こんな長い序奏的な導入部を聴きながら出番を待ちうけるって、緊張するだろうな。
そしていよいよ、ドン・キホーテの登場。騎士道精神に燃え使命感あふれる登場というよりは、山本さんらしい、優しくスマートな騎士の登場。
やや音が乗ってないな、と思ったのもつかの間、ヴァイオリンソロとの掛け合いで、アイコンタクトをとりつつ、石田コンマスが山本ドンキを盛りたて、鼓舞するような気合のこもった弾きぶりで、完全リラックス。そして、ここからすべてが決まりに決まる。
 やっぱり、石田氏はすごい。全体の空気を見通して、オーケストラやソロをリードしてゆく天性の何かを持ってる。指揮者も心強いし、楽(笑)です。

それと魅惑的だったのが、柳瀬さんのヴィオラのつややかで美しいこと。
ヴィオラの音色ってこんなにきれいだったかしら、とつくづく感心。
CDや音源ではあんまり気にしてなかったこの曲でのヴィオラの存在。
その魅力を引き出したシュトラウスの筆の冴えも素晴らしいが、こうした名手にかかると、気がつかずにいたものが引き出される思いだ。

山本さんのチェロは、雄弁さというよりは、その繊細さと爽快さ、そして、お人柄がにじみ出たような温厚であたたかな音色が魅力に思ってます。
だから、ドン・キホーテが随所で、いろんな思いにとらわれて考えにふけったり、独白する静かな場面がとっても味わいが深く、最後の人生を回顧する場面では、ドン・キホーテの見果てぬ思いとその死を優しく包み込むような絶美のソロを聴かせていただきました。
ここで、わたくしは涙ぐんでしまったのです。
オケのみなさんも、完全に感情が入ってて、感動しながら演奏してるのがわかったし、聖響さんも感極まってるのがわかった。
こんな素晴らしい演奏を聴かされちゃったら、そりゃもう拍手もできません。
静寂ののちに沸き起こった拍手は、それはもう盛大で温かいもので、私もブラボー一声献上いたしましたよ。
山本さんと聖響さん、抱き合ってハグしてます。

聖響さん、終始ノリノリの指揮ぶりで、こんなイキのいいのは、あの青春譜のようなマーラー以来。あれこれいじくりまわさずに、素直な音楽造りに徹していたことがいい。
だって、シュトラウスの音楽って完璧に書かれすぎているから。
あとは、楽器の強弱のバランスをもう少し工夫して欲しいところか。
でも、対向配置は、シュトラウスの音楽で効果バッチリ。観て、聴いて面白い。
やはり聖響さんは、後期ロマン派から近現代ものがいいみたいだ。
 そしてなんといっても、神奈川フィルのきらめく音色は、シュトラウスにぴったり。
またしても思い出すのは、シュナイト翁とやった「死と変容」と最高に美しかった「最後の4つの歌」の陶酔境でございます。

神奈川フィルにも吹く厳しい風を吹き払うかのような、素晴らしい演奏会。
メンバー全員が、ソロを盛りたて完璧に一体となった親密なる演奏。
それを束ねた、石田コンマスに、気概溢れる金聖響。
いい形になってきた。うれしいよ。

Minatomirai2

お決まりのアフターコンサート。
メニュー見ずともオーダーできるくらいになっちゃった。
でも、新メニューがそろそろ欲しいぞ。

今回の定期は、われわれ懲りずに勝手に応援する会の総帥yurikamomeさんが慶事にてお休み。
目出度いお席に出席のこととはいえ、このコンサートを楽しみにしておられて、断腸の思いでございましたでしょう。
カメラも入ってましたので、この素晴らしいコンサートはいずれお聴きになれるものと安堵しております。
この会に2度ほど、山本さんにもお越しいただき、ご一緒できたことは、思えば光栄かつ素晴らしい出来事でした。
演奏に打ち込むお姿を拝見していて、その思いはひとしおでございました。

リハーサルの模様がUstream配信されてまして全曲確認できますよ。こちら

そして、神奈川フィルの活動支援のために、皆様、こちらで応援メッセージを是非ともお願いいたします。

    

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2010年9月 9日 (木)

ラフマニノフ 「フランチェスカ・ダ・リミニ」 ノセダ指揮

Jelly1
今日は涼しかったですな。
30度近くあったのに、涼しく、いや寒くも感じてしまった。
暑さ慣れしてしまった我々の体でございますゆえ。

こちらは涼しげなゼリー。
桃果汁なんですよ。うま〜イheart02

Rachmaninoff_francesca
今日の「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、ラフマニノフのオペラ。
このCDは、だいぶ前に買って、一度聴いたきり。
甘味なラフマニノフ・サウンドを期待してたら、その暗い雰囲気に肩透かしを食って、それっきりになっていた。
ザンドナーイのオペラに接し、その暗さの要因が、許されざる愛ゆえに地獄にさまよう恋人たちを描いたことにあると知り納得。
そう、あのオペラでは二人のなれ染めから、悲劇的な死までをドラマティックに描いていたのに対し、こちらのラフマニノフのオペラでは、ダンテと地獄を案内するヴェルギリウスも登場し、地獄の場面を前後に、間に恋人たちの物語を描いている。
こちらの台本は、なんとチャイコフスキーの弟、モデストであります。
プロローグと2つの場、エピローグの3部構成、65分のコンパクト設計でございます。

ラフマニノフのオペラは、3作あって、そのいずれもがCD1枚分。
アレコ」「けちな騎士」「フランチェスカ・ダ・リミニ」。
短いがゆえに、そしてドラマ的にも中途半端ゆえに、なかなか上演に恵まれない。
でもロシア臭が濃く、時おり思いだしたようにあらわれる甘い旋律には、ラフマニノフ好きなら堪らない音楽でございましょう。
1904年の作曲で、ザンドナーイが1914年だから、ラフマニノフの方が先んじていたわけ。

 ヴェルギルの影:ゲンナジ・ベズベンコフ  ダンテ:エウゲニ・アキモフ
 ランチェオット・マラテスタ:セルゲイ・ムルザエフ
 フランチェスカ:スヴェトラ・ワシレア     パオロ:ミシャ・ディディク


   ジャナンドレア・ノセダ指揮 BBCフィルハーモニック
                    BBCシンガース
                          (2007.5@マンチェスター)


プロローグ
 ダンテとその案内役のヴェルギル(ヴェルギリウス)が地獄の淵にたってその底知れない穴を覗き込んでいる。
次に案内したところでは、泣き叫び嘆く魂の声がこだまする。
そして、そこにフランチェスカとパオロの二人の姿を見つける。
ヴェルギルは、「惨めな時に、幸せだった時期を思い起こすことほど悲しいことはない」と語る。


第1場
 ここより、物語は遡り、悲劇の顛末を。
リミニ家の宮殿。ランチェオット(ザンドナーイのときは、ジョヴァンニ)は、相次ぐ戦勝で領主の覚えもめでたく、再度、戦に出陣しようとしている。
ところが、ランチェオットは彼の若い妻が自分を愛しておらす、美男の弟パオロとの仲を怪しんでいる。
しばらく戻らないと言い置いて出陣して、留守中と称してを見張ってやろうと画策する。


第2場
 夕暮れ、パオロがフランチェスカのもとに忍んでくる。
兄がいないとわかると愛を告白するパオロ。
フランチェスカは、本を読みつつ、その内容のとおり、私たちの愛はこの世ではなく、天国でこそ永遠なるもの・・と拒むが、パオロの情熱にほだされ、ついに抱き合ってしまう。
「永遠の二人の幸福!」と甘味なる二重唱を歌う。
雲であたりが陰り、そこに潜むランチェオット。憎悪をみなぎらせる。
「いや、永遠の天罰だ!!」と・・・・


エピローグ
 プロローグと同じく地獄の光景。
フランチェスカとパオロの魂があらわれ、「あの日、あれ以上はもう読むことはなかった・・・」と歌う。彼らは罰せられた。
同情するダンテは力を落とす。
合唱が、プロローグのヴェルギルの言葉を歌いつつ、音楽はドラマテックに終了する。


ざっとこんな感じです。
ザンドナーイのオペラが、ふたりの愛に焦点を当ててワーグナーばりの濃厚サウンドにしたてていたのにくらべ、ラフマニノフは、地獄の禍々しい場面を前後において、ダンテやヴェルギリウスも登場させ、神曲のモットーを語らせるようにした。
もちろん、嫉妬に狂う兄の激唱と、若い二人の甘々の情熱二重唱もおおいに聴きものです。
この愛の場面は、ラフマニノフの交響曲の緩徐楽章そのものですよ。
地獄の場面では、ヴォカリーズ唱法の合唱による苦しみの声が、なかなかに不気味な雰囲気を醸し出してます。
それと、1場と2場のあいだの間奏曲が、やたらと美しいことも付け加えておきましょう。

ノセダBBCフィルが、先鋭な音楽造りで実に引き締まっていてよろしい。
歌手では、なんといっても、いま各所で活躍するワシレアの清潔な歌いぶりが素晴らしい。
あと、ロシアっぽい深いバリトンの声を持つムルザエフ、徐々に熱を帯びてきてやたらと情熱的になるパオロを歌うディディクという熱いテノール氏、それぞれ気にいりましたぞ。
むにゃむにゃするロシア語は苦手だけど、ラフマニノフやムソルグスキー、チャイコフスキーのオペラにはよく似合う。
こうした音楽には、英語やドイツ語ではピンとこないですし。

このジャケットは、オルセー美術館にある、カバネルの「フランチェスカとパオロの死」。
道化(たぶんヴェルギリウス?)が覗きこんでます。

あと印象的なのが、ロセッティの作品。
Rossett_francesca_da_rimini
ダンテとヴェルギリウスをはさんで、使用前と使用後みたいに左右にフランチェスカとポアロ。
フランチェスカ・ダ・リミニ特集終り。

 ラフマニノフのオペラ記事

  「アレコ キタエンコ指揮
  

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2010年9月 7日 (火)

チャイコフスキー 「フランチェスカ・ダ・リミニ」 

Cream_soda
台風がやってきて、それはそれは大変なことなのだけれど、秋風を運んできそうで、猛暑も先が見えてきた感じであります。
もっとも暑いころ、娘と浅草に行き、甘味処で涼んだおりのクリーム・ソーダ。
クリーム・ソーダ大好きです。
ちなみに、扇子はあたしのもの。

William_dyce_francesca_da_rimini
横浜で観劇したザンドナーイ「フランチェスカ・ダ・リミニ」。
そのタイトルは知ってはいても、内容はイマイチ不明で、ましてダンテの神曲とどうつながりがあるのか、あまり気にもしてなかったことが、そのオペラ観劇で、一挙に納得・解決のすっきり気分となりました。

フランチェスカ・ダ・リミニを描いた絵画も、かなりあるようで、いろいろ調べてみたら、レコード・ジャケットで見たことあるような作品もたくさん。
ロメオとジュリエットっぽいけど、実はフランチェスカ・ダ・リミニだったりしたこともわかった。
こちらの絵は、ウィリアム・ダイスのもの。
ルネサンス期の物語らしくその時代の雰囲気がよく出てるし、三日月に金星がとてもロマンティック。

(オペラの時のパンフレットや解説書の絵は、グスタフ・ドーレのもので、奥には、ダンテとヴェリギリウスの姿もシルエットで描かれていた)

Tchaikovsky_sym5_francesca_marriner
「フランチェスカ・ダ・リミニ」にまつわる音楽で、一番有名なのは、チャイコフスキーによる作品。
ダンテによる交響的幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ
シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」に付けた幻想序曲と対をなすような劇的かつロマンテックな音楽は、よくレコード・CDでも1枚にカップリングされていた。
 許されざる愛に落ちた男女の悲劇を描いた点でも、お互い姉妹作みたいな存在。
ロメオの方が、ひと際有名ではあるけれど、こちらのフランチェスカもチャイコフスキー節炸裂で、全然負けていなくて、むしろロメオより、むせかえるような濃厚ロマンティシズムを感じさせる点では上かもしれない。

それと、ダンテが神曲で描いた地獄編の中の一篇なだけけに、地獄を垣間見たマンフレッド交響曲のような激しさと禍々しさも感じさせたりもする。
ロメオの7年後の作品で、チャイコフスキーはバイロイトに行ってワーグナー体験もしているころだけによけいにドラマテックな音楽に仕上がっている。

だいたい3つの部分でできていて、真ん中には、美男美女の不倫の恋人たちの愛の情景がやたらと濃厚・繊細・きれいに描かれていて、うっとりしてしまう。
先の絵画などを思い浮かべて聴くもよしである。
でも、最後は二人の壮絶な死であり、それはそれは劇的なのであります。

久しぶりの聴いて、とても堪能しましたよ。
許されざる愛に生きたとして、地獄をさまようとされる、フランチェスカ。
思えば、結婚相手として偽られて美男の弟パオロに会ってしまった訳で、その出会いにはまったく罪もなく、やがて本来の相手が醜男だったことを知ったとしても、一度火がついた心は冷めないもんでしょう。
ともかく可哀そうなフランチェスカなのです。
で、相手役のパオロは、情熱をどんどんぶつけてくるわけだから、いい気なもんですよ。

今日のCDは、サー・ネヴィル・マリナー指揮するところの、アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズの演奏でございます。
チャイコフスキーのこんな劇的な音楽を、マリナー&アカデミーで喜んで聴いてるヤツはおおそらく、ワタクシぐらいでしょうか。
このコンビのチャイコフスキー全集は、アバドやハイティンク、メータのそれと並んで、大好きなんですよ。
本場から遠くはなれた純西欧的なスマートで、すっきりしたチャイコフスキーに、ロシアの大地を感じることはないが、知性と詩情との巧みなバランスを強く感じる。
ロストロや、バーンスタインの濃厚チャイコもたまには聴きたいけれど、普段取り出す機会が多いのは、マリナーのような演奏なんです。
まさに、クリーム・ソーダのようなチャイコフスキーです。

次回も、フランチェスカ関連いきますnote

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2010年9月 6日 (月)

ザンドナーイ 「フランチェスカ・ダ・リミニ」 首都オペラ公演

Kaat
今日も暑いsun
でも、足取りも軽く、ご厚意を賜り神奈川県民ホールへ。
こちらは、県民ホール近くに建設中の「神奈川芸術劇場」。
外観がこんな具合に完成。
ミュージカル、演劇、ダンス等を中心に、オペラ・バレエ等の県民ホールとの住み分けを図る由で、芸術監督は宮本亜門氏。
来年1月、「金閣寺」で、こけらおとしが計画されてます。
たまたま、近くで結婚式を挙げられたカップルが、係の方に見送られて車待ちをしてましたよ。ピュアで、新鮮ですねぇ~。

横浜=神奈川の文化発信力と吸収力の高さは、開港以来の伝統ではないでしょうか。
毎度聴いてる神奈川フィルの独自サウンドも固有のものだし、その神奈川フィルがピットに入った本日のオペラなどは、東京でもお目にかかれないレアな上演なのでありました。

Zandnai_francesca_da_rimini
イタリアの19世紀末作曲家リッカルド・ザンドナーイ(1883~1944)の名前は、オペラ「フランチェスカ・ダ・リミニ」の作曲者として程度の認識しかなくって、このオペラも抜粋盤としてデル・モナコが歌ったものと、昨日のテバルディとコレッリのものしか知らなかった。

まさか、こんなオペラを実際に体験できるとは思いもよらぬこと。
しかも日本初演でございました。

ザンドナーイ(Zandnai~ザンドナイと呼んでたけど、今回上演ではザンドナーイになってますので)は、マスカーニの弟子だったそうで、その活躍時期は第一次大戦前後の不穏な時期にもあたり、プッチーニやマーラー、新ウィーン楽派作曲家たちが活躍していた頃にあたる。
ゆえに、後期ロマン~世紀末といった濃厚爛熟サウンドと思っていただいていいと思います。
このあたりの音楽が、無性に好きで大好物のわたくしには、最高のご馳走でございました。

ヴェルディ後のイタリアオペラの流れを、血なまぐさいヴェリスモオペラが掴み、それをさらに親しみやすいメロディー主体のオペラに結実させたプッチーニが、ヴェルディ後継者として一歩抜きんでたけれども、その周辺にあったイタリア作曲家たちの中にも捨てがたい人々がたくさんいて、ザンドナーイもその一人。
ライトモティーフを多用し、旧来のオペラの構成感から抜け出して自由な枠組みのなかで、激しいドラマに複雑で大規模なオーケストラを伴った分厚いサウンド。
そして歌手たちは、ドラマティックな歌唱力を要求される。
明確なアリアはなく、ドラマを語るように歌わなくてはならず、愛の歌もそのドラマの中でオーケストラと張り合いつつ歌いこまなくてはならない。
 そう、ワーグナーの影響を多大に受けつつ、同時代のR・シュトラウスのようでもあるイタリア・オペラに感じたのであります。
それでいて、劇の内容はナイフによる殺傷で幕が降りるヴェリスモパターンを踏襲してるし、壮大な史劇的な内容としてはのちのトゥーランドットを先取りしている。

フランチェスカ・ダ・リミニの素材は、ダンテの神曲の地獄篇のごく一遍。
それを1901年、戯曲化したのがダヌンチョというイタリアの多彩な作家で、その作品をもとに台本化されたものに作曲されたのが、ザンドナーイのこのオペラ。
フランチェスカは許されざる恋愛を貫いたとして、いまも地獄をさまよう女性としてダンテは書いている。
でも、このオペラでは、そんな向う見ずな女性としてではなく、運命に翻弄され足を踏み外してしまったリリコ・スピント役の不幸な女性として描かれていて、相手役の二枚目テノールとともに、いかにもオペラの素材的に生まれ変わっているのでありました。
 そして、禁断の恋愛に走るふたりは、まんま「トリスタンとイゾルデ」であり、美男パオロの夢見心地の登場は、ローエングリンの登場のようでもあったし、劇中、トリスタン、パルシファルやガーヴァンの名前も語られ、ワーグナーの強い影響下にあることを何度も思わせてくれる。

 フランチェスカ:斎藤 紀子     パオロ:大間知 覚
 ジョヴァンニ :飯田 裕之     マラスティーノ:大野 光彦
 サマリターナ:背戸 裕子     ズラーグティ:細身 涼子
 オスタージオ:谷田部 一弘    ベラルデンコ卿:三浦 大喜
 ビアンコフィオーレ:下條 広野  ガルセンダ:水谷 友香
 アルティキーラ:川合 ひとみ   アドネッラ:中島 貴子
 道化師:上田 飛鳥


  岩沼 力 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
           首都オペラ合唱団
             應義塾ワグネルソサエテティ男声合唱団OB
           慶應・日本女子大混成合唱団コールモエロディオン有志
                        合唱指揮:川嶋 雄介、柳 暁志
  総監督:永田 優美子
  演出:三浦 安浩

                                              (2010.9.5@神奈川県民ホール)


こうした日本初演演目を2日、異なるキャストで上演するのは、ほんとうに並大抵の努力ではないと思う。
二期会や新国でお馴染みの大野さん以外は、そうしたステージの経験もお持ちながら、不覚にも初聴きの歌手の方々ばかりだったけれども、その実力のほどと充実ぶりは、手放しで誉めたたえたい。
なかでも、主役のヒロイン、出ずっぱりの斎藤さんは、最初から最後までスタミナ配分も確かで、しかも最後の方では、その声は輝かしさを増し緊張感ある舞台を一際引き締めておりました。
優しい一面を持ちつつも嫉妬に狂う夫を歌いこんだ飯田さんも喝采を浴びてました。
邪悪な弟を歌った大野さんのうまさ、何気に重要な4人の待女のみなさんも素敵でありました。あと、印象に残ってるのが健気な妹を歌った背戸さん、柔らかな声を聴かせてくれた大間知さん、人間テーブルをしたりと活躍し、深いメゾの声の細見さん。
オペラ幕開けと幕引き役の上田さんの道化、冒頭に登場し、このオペラの悲劇の始まりの要因を語った兄役谷田部さんと、三浦さん。
こうした方々が見事に役に没頭して演じ歌う姿が、初オペラとは思えないほどに、観劇する私をしっかりと捉えて離さず、あっという間の2時間30分でした。

1幕
政略結婚を前提に、妹フランチェスカを政敵マラテスタ家の長男ジョヴァンニに嫁がせようと画策するポレンタ家のオスタージオは、足萎えで強面のジョヴァンニでなく、美男の弟パオロを兄と偽って妹に見せて話を進めてしまおうということになる。
姉との別れを寂しがる妹のサマリターナ。
そこへ、パオロが登場し、フランチェスカは夢見心地になり一瞬にして、ふたりは恋に落ちる。


2幕
ジョヴァンニの妻となったフランチェスカ。
館では、敵との交戦が始まり、パオロとあの時以来の再開をし、戦闘のなか、愛を確かめ合うこととなる。
戦勝し、兄が帰還。妻がそこにいることに驚くが、勝利の葡萄酒を渡され満悦。
弟のマラスティーノが目を負傷しつつ登場し、再度の戦いのさなか、フランチェスカとパオロは抱き合う。


3幕
フランチェスカの寝室で、待女たちが歌い踊り主人を慰める。
フランチェスカの心のうちを知った女奴隷ズマラーグティの手引きで、パオロがやってきて、ふたりは愛に溺れるのでありました。

ここでは、女奴隷に片目の弟マラスティーノの視線が不気味と語るのが、後の伏線。
そして甘く情熱的な二重唱は、トリスタンのそれそのもの。

4幕
マラスティーノが、フランチェスカに言い寄る。そして彼が、苦痛に叫ぶ地下牢の囚人を黙らせに下りてゆくすきに、地下扉を締めてしまう。
弟が変なの、と帰ってきたジョヴァンニに苦言を呈し去るが、扉を開けさせて出てきた弟にフランチェスカとパオロの仲を忠告され、怒り心頭のジョヴァンニは出発を遅らせることに。


フランチェスカの寝室では、待女たちが心配そうにしているが、やがて妹似のひとりの待女を残し退場。ここで、揺れ動く気持ちと懐かしい妹を思って、その待女に語る。
(ここは、死を前にしたデスデモーナの場面とそっくりですな)
やがて、パオロが偲んできて、ふたりはまた熱く燃え上がる。
しかし、そこへ扉を激しく叩く音とともに、夫ジョヴァンニの声。
逃げるパオロだが、服が扉に引っかかってしまい隠れられなくなってしまう。
そうとは知らないフランチェスコは夫を入れてしまうのであった。
パオロに襲いかかるジョヴァンニに楯となって刺されてしまうフランチェスカ、そしてパオロも一撃のもとに倒れる・・・・。
ドラマティックな激しい音楽とともに幕。

 この演出では、最後の幕の前に冒頭の道化が出てきた・・・。

 パオロとフランチェスカ=トリスタンとイゾルデ、ジョヴァンニ=マルケ王
 マラスティーノ=メロート  ズラーグティ=ブランゲーネ
こんな風にも見て取れるけれる。 

演出は、「今も地獄をさまようフランチェスカが、何故そうなったか、ことの顛末を回顧
する(させられる)体裁をとった」とあります。
道化にその案内役としての役回りをさせていた訳で、最後の登場は劇的な幕切れにやや水を差すものに思われたし、無理があった。
それと、舞台に始終登場してた4人の黒子のような存在の女性たち。
パオロの登場とともに、薄いヴェールを周辺に覆ってもぞもぞしてたし、牢獄や兄弟の邪悪な場面でも動かぬ背景として四隅にいる。
フランチェスカの運命を司る妖女たちなのだろうか。
このあたりの象徴的な存在は、初物オペラの場合、観る側に混乱を招くだけで、小細工を弄せず普通にストレートな演出をすべきやに思いましたが如何でしょうかね。
 実際、私の隣にいらっしゃった年配の方は、「こりゃオカルトだわ・・・」なんて呟いてましたし。。。。
しかし、舞台は美しいものでした。
大きな額縁に蝶、背景にあった悲劇の主人公たちの絵画。背景の海や空。
グリーンやブルー、赤の照明。
パオロ登場の際の幻想的なリング。
最後の幕切れには、空だった額縁にフランチェスカの絵が降りてきて完結。。。

この上演の主役は、オーケストラであったかもしれない。
大編成の豊穣なるオーケストラサウンドをソツなく整理して聴かせてくれた岩村さん。
でもそれは神奈川フィルの魅力的な美音があってのもの。
大音響でも混濁することなくきれいに響き渡ったし、抒情的な場面での繊細さ、特に弦楽器。それぞれのソロの素晴らしさ。
パオロ登場のうっとりする官能的な場面のチェロのソロとそこに絡む木管の素晴らしかったこと。
ピットの中でもいつもの神奈川フィルだったし、いやむしろピットの中でこそ、その音色が映えるのかもしらん。
こうした後期ロマン派以降の音楽には最適なのです。

お気に入りになりそうなオペラをまた見つけ出して、いつにもまして長文になってしまいました。

今回、ご案内いただきましたyurikamomeさんと、興奮さめやらず、中華街に向かい、味のあるお店にご案内いただきました。
よいお店をご紹介いただきありがとうございました。

あの世界の小澤sign01が愛するこちらは、台湾料理風のお店。
Fukurou1
お店の人のお話では、食べることは食べるのだけれど、よく飲まれるそうですよ。
小澤さん、しっかり治して、またこちらにいらして欲しいものです。

Fukurou2
小澤さんのサインをパシャリ。

ザンドナーイの豊穣サウンドに、おいしい中華。
いい日曜日でした。
ありがとうございましたconfident

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2010年9月 5日 (日)

テバルディ&コレッリ 

Asakusa_taya_2

また、浅草ネタで恐縮です。
仲見世通りから行ったら、奥まで進み、伝法院通りに入って旧ロックの方へ。
街灯の一本一本に、浅草ゆかりの方々が、こうして紹介されてます。
田谷力三さんといえば、浅草オペラ。

息の長い歌手でしたから、私も子供時代、テレビでよくその歌を聴いたものです。
懐かしい~。

Tebaldicorelli_2
今日は、懐かしいオペラ歌手を。
それも、同窓会のように、お互い懐かしくも、でも新しい役柄へ果敢に挑んだ意欲満載の1枚。

レナータ・テバルディフランコ・コレッリの二重唱。
コレッリの方が1年早く生れ、1年早く亡くなった。
そう、ともに82歳で2003年と2004年に。
所属レーベルの違いから、その共演盤はそうたくさんはないけれど、ペーザロに所縁があり、とても仲がよかったはずだ。
テバルディというと、デッカでデル・モナコとの共演、コレッリというとEMIで、カラスやステルラ、ニルソンとの共演が盤上では多い。

まだ引退前だった、1972年に録音されたこの二重唱集は、ふたりには珍しい役柄も含まれていて、とても聴きものだ。

  プッチーニ   「マノン・レスコー」

  ヴェルディ   「アイーダ」~アムネリス!とラダメス

  チレーア    「アドリアーナ・ルクヴルール」

  ポンキエッリ  「ラ・ジョコンダ」

  ザンドナイ   「フランチェスカ・ダ・リミニ」

     S:レナータ・テバルディ

     T:フランコ・コレッリ

   アントン・グァダーニョ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団
                         (1972.9@ジュネーヴ)

テバルディのアムネリスなんてビックリだけど、この頃は、声の衰えがやや隠せず、逆に低音域の方に往年の輝きを見出すことができるようになっている。
それでも、その歌の貫録と、美しい声は随所に聴き取れてとてもうれしい気持ちになる。
子供心に、テバルディの舞台写真やジャケットを見て、その美しさに憧れたものだ。

一方のコレッリは、予想以上に声はしっかりしており、独特の粘りのあるロブストな声が楽しめる。
一歩足を前に出して歌う独特のスタイルは、これもまた子供時代に、来日公演をテレビで見て、その声とともに、脳裏に残されているのだ。

あぁ、素晴らしき名歌手たちの時代。
いまはビジュアル優先か・・・・。

これより、ワタクシ、横浜へオペラを観に行ってまいります。
ご厚意を賜り、ザンドナイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」を観劇です。
名前だけは知ってはいても、その上演に立ち会えるとは思ってもみなかったこと。

今回のCDでも、ひときわ熱い音楽なのです。
かつては、デル・モナコも得意にした情熱的なオペラ。
行ってきま~す。

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2010年9月 4日 (土)

R・シュトラウス 「ドン・キホーテ」 K・クラウス指揮

Horahuki
「ほら吹き」・・・・、そう、「うそつき」であります。
えーっ、そんな名前をお酒に。
おいしくないんじゃないの?と、うそっぽく感じて手が伸びないと思うのとは、逆の思いで、思わず手にしちゃうネーミング。
 語源を調べたら、法螺貝は山伏や兵が、合図や獣よけに吹いて使っていて、見た目や思った以上にぶぉーーっ、と大きな音が出るから、物事を大げさに言う人の例えだそうな。
一方で、仏具的にも使われていたから、そちらの方の深淵な意味合いもここではあるかも。
しかし、「おおげさじゃなくって、旨いよ、飲んでみるっしょ」というような意味合いのネーミングかもですbottle
旭川の高砂酒造のお酒。
中富良野産の「雪ひかり」米を使ってまして、キレがあって爽快、飲みやすい純米酒でありました。
これ、うそじゃないよ~

Bonito
「法螺吹」のあては、「かつおの刺身」にしましたよ。
さくで買ってきて、適当に切って、上から、にんにくスライス+みょうが+生姜細切れをバラっとかけていただきます。
今回は、刺身だったけど、タタキでも同じようにしてOK。
臭みが抜けて、パリっとした薬味の食感と、かつおのネットリ感が抜群なんですよ。
 これも、うそじゃありませんぜ~

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今日のCDは、うそつきの妄想男を描いた、R・シュトラウス交響詩「ドン・キホーテ」。
セルヴァンテスの書いた「騎士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ」に基づいて書かれたこの作品、驚きは変奏曲形式で書かれていること。
そして、独奏楽器に登場人物の役柄をあてはめ、まるでオペラのように、そして物語が手に取るように写実的な交響詩となっている。
1897年、シュトラウス34歳の作品で、毎度驚くその独創ぶりと、作曲技法の熟達ぶり。
いまやコンサートに欠かせない交響詩はあらかた書き終え、あと有名どころでは「英雄の生涯」と、晩年の「メタモルフォーゼン」のみ。
そして交響詩のあとは、ふたつの交響曲に向かう。
 でも驚きは、15曲あるオペラのうち、この「ドンキ」の頃は、まだ第1作の「グンドラム」しか作曲していない。
オーケストラ作品を卒業してから、オペラの森へ向かうこととなるシュトラウス。
だから、シュトラウスは、オペラを聴かずして始まらないわけ。
 これ、うそじゃありません~

騎士物語の読み過ぎで理性を失った男が、ドン・キホーテ(独奏チェロ)と名を変え、従者サンチョ・パンサ(独奏ヴィオラ)を伴って騎士道を極めようと旅にでて、抱腹絶倒、間違い、感違い、おバカの限りを尽くし、最後は夢破れ帰郷し静かな平安とともに死を迎える。

序奏と10の変奏と終曲。
風車を巨人と間違えて突撃、羊の群れにも突撃、マリア像を運ぶ僧侶を貴婦人誘拐と勘違いして攻撃、ちょっと見栄えのよくない娘を姫と思いこんで主従の礼をつくし、村のご婦人さんたちから木馬に乗せられ感違いして進軍、水車小屋にも突進して水浸し。
最後は故郷の友人が見かねて騎士に扮し、決闘で負けたら帰郷の勝負に敗退。

こんないろんな出来事が、シュトラウス・マジックでもって音楽によって巧みに描かれてる。
最初は日本語解説を片手に、その変奏ごとに行われる音楽描写を味わっていただきたい。
コンサートではオペラのように字幕があったりすると面白いかも。
まるで、スクリーンで映画を見てるようになる。
 でも、そうした写実的な場面以外、騎士道を語るところや、愛を語るところなどの、シュトラウスらしい深い心理描写や抒情にも注目して欲しい。
シュトラウスの交響詩では、ちょっと地味だけど、聴けば聴くほどに味わいのある音楽です。

この作品、独奏のチェロとヴィオラがとっても重要。
有力ソリストを招いて協奏的に演奏するのと、オーケストラの首席をソロに迎えて、親密な雰囲気のもとに交響詩として徹するのと、そのどちらもありの演奏の仕方。
前者では、フルニエやシュタルケル、ロストロポーヴィチが何度も録音してるし、後者はウィーンフィルやニューヨーク・フィル、コンセルトヘボウ、シカゴなどの名主席がいるオケの録音が多い。

今日の私の1枚は、前者のカテゴリーで、チェロの貴公子フルニエウィーンフィルの首席で、バリリSQの一員でもあったモラヴェクをソロに迎えた、これも貴族系の出自を持つクレメンス・クラウスの指揮で。
1953年のモノラル録音ながら音質は素晴らしく生々しい。
ウィーンフィルがウィーンフィルであった頃。
柔らかく、さりげないポルタメントに色気が横溢していて、古臭さは一切ない純正ウィーンの音色。
それを難なく引き出すクラウスの指揮は、シュトラウスへの愛が宿ったかのような手作り感あふれるもの。それでいて、すっきりとした透明感にもあふれている。
フルニエのソロも、ドン・キホ-テが高潔な人物のように聴こえ、オーケストラの枠組みからはみ出ることなく、それでいて存在感もばっちりのドンキなのだった。

クラウスとシュトラウスは、いわば朋友のような間柄だったのだろう。
オペラ「ダナエの愛」は、クラウスが初演しなくてはダメと最後までこだわったというし、最後の名作「カプリッチョ」の台本共同作者でもあったクラウス。
ベームは、その音の忠実な再現者であったのにくらべ、クラウスは、その体現者であったかもしれない。
1954年に61歳で亡くなってしまったクラウス。
あと20年以上は活躍できたはずで、もしそうだったらと思うと残念でなりませんね。

この曲、カラヤンとロストロポーヴィチが刷り込みなんですが、ちょっとウマすぎる。
プレヴィンや小澤盤、ハイティンクと並んでこのクラウス盤が好きなのでした。

来週は、神奈川フィル定期で、ドン・キホーテ。
楽しみです。

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2010年9月 3日 (金)

シューベルト ピアノとヴァイオリンのためのソナチネ   ゴールドベルク&ルプ

Asakusa5
今日もまた浅草。
夕暮れの仲見世通り。
この時間になるとシャッターも締まりつつあって、そのシャッターにも粋ないろんな絵が書かれていて楽しめるんです。
ほろ酔いのワタクシ、それよりも、前から歩いてくる粋な女子衆に心奪われ、夢中になって、かつさりげなくシャッターを切ったのでございます。
むくつけき男子も写っちゃったけど・・・・・、でも、天井がオープンされ、暮れきらない藍色の空が、女子衆とともに、なんだかとっても爽やかな雰囲気でございましょう。
(誤解のなきように申し上げておきますが、この時は娘と一緒なんですよ、変な気持ちで撮ったんじゃないですよ、となんだらかんだら・・・・)

Schubert_vnpn
シューベルトはロマン派だろ、とお叱りを受けそうですが、ベートーヴェンを古典派とくくるのと同じくらいに、ロマン派のくくりに閉じ込めては、初期の若書き作品を見落とすことになる。
その両方の傾向を併せ持った作品のひとつが、3曲あるピアノとヴァイオリンのためのソナチネ
1816年、19歳の作品で、サロン的な機会を想定して書かれているから、これだけでも古典風な様相を呈しているし、ピアノが主体的なところもまたモーツァルト・チックであります。
昨日のベートーヴェンの大公トリオが1811年で、最後のヴァイオリンソナタもその頃と思うと、若きシューベルト作品は古典風な領域に軸足があるようだ。

でも、これらの音楽は、まがうことなくシューベルトのものであって、のびのびとした楽想や、短調のちょっとしたため息のようなフレーズに、そうしたものをチョロチョロと感じることができる。
ピアノの活躍が目立つが、特にそれは歌曲の伴奏のように感じることもあって、そこにあるのはまぎれもない、「歌」であります。

後の「二重奏曲」と「幻想曲」では、ロマンあふれる素晴らしい作品を書くシューベルトであります。

1番ニ長調、2番イ短調、3番ト短調
これらのなかでは、1番がもっとも有名だし、簡潔な3楽章形式でメロディアスな愛らしい作品であります。
2番は、なかなかに大きな規模に拡張しており短調の調性が悲しみの雰囲気をよく醸し出しているものの、歌は止められない。
3番の同傾向ながら、こちらの終楽章が歌謡性とリズムに富んでいて、初期の交響曲を思わせるところがうれしい。

ポーランド生まれ、フルトヴェングラーのもとでのベルリンフィルのコンサートマスター。
ユダヤ人ゆえに多々変遷を余儀なくされたゴールドベルクの最後の地は1993年の富山県。
晩年は指揮者として、新日本フィルで活躍したが、私は一度も聴く機会を持たなかったのが悔やまれる。
このヴァイオリンは、すっきりと真っ直ぐで雑味がまったくなくピュアな美しさを秘めているので、シューベルトにはまったくうってつけ。
ルプとの共演なんて、誰が考え付いたのだろう。
デッカはこうして、歴史的に素晴らしい顔合わせの録音をいくつものこしてくれている。
素晴らしいシューベルト全集です。

Sentokun2
は~い、せんとくんですよ~
無邪気に遊んでますよ。
しかしねぇ~

Sentokun1
怖いもの見たさで、この画像をクリックしてみてくださいよsad
都内のアンテナショップでは、彼との握手会もございますよ・・・・、う~む。

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2010年9月 2日 (木)

ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番「大公」 プレヴィン

Asakusa
おなじみ、浅草の雷門。
昼は、観光客でごったがえしてるけれど、日も暮れるとだいぶ空いてきて、こんな感じに。
江戸=東京の代表的なイメージのひとつですな。

Asakusa4
でかいsign03
いまは名前も変わってしまった松○電○の名前が刻まれてますよ。
この中はどうなってんでしょね?

Beethoven_brahms_previn
今日は、ベートーヴェンピアノ三重奏曲第7番変ホ長調「大公」を聴きます。
何気に、ウィーン古典派の流れで聴いてますよ。

よく言われるように、古典派時代のピアノトリオは、ピアノがあくまで中心で、ほかの楽器は添え物のような伴奏みたいな存在に終始することが多い作品が多かった。
その概念を覆してしまったのが、ベートーヴェンのこの作品。
俗に言う「大公トリオ」であります。
3つの楽器が対等に存在しあい、有機的に協調するさまは、聴いていてそれぞれの楽器のいいところが素直に出てくるし、その響きのブレンドを楽しむことは、音楽を聴く喜びを心から満たしてくれる。
また、ひとつの楽器にずっと注目して聴いてみるのも楽しい聴きものだ。
最初はピアノ、次はヴァイオリン、そしてチェロ、といった具合に。

ルドルフ大公に献呈されたゆえに、「大公」という大仰なタイトルがついているが、本当はそんな雄大そうなイメージを植え付けられてしまうのもどうかと思っている。
この曲は、それを意識せずに聴いたほうがいい。
たしかに第1楽章はおおらかで構えが大きいが、曲全体としては瑞々しい汲めども尽きぬ楽想の豊かさに裏付けられた明るさと抒情にあふれた音楽だと思う。
なかでも第3楽章の変奏形式による緩徐楽章は実に美しいもんだ。

そんなイメージにぴったりなのが、今日のCD。
アンドレ・プレヴィンのピアノ、ヴィクトリア・ムローヴァのヴァイオリン、ハインリヒ・シフのチェロの常設でないドリーム・トリオ。
 鋭さと繊細さを合わせもった若々しいムローヴァ、つややかで安定感あるシフ、かれらと絶妙なバランスを保ちつつ全体をリードするプレヴィン。
その柔らかく、しなやかなピアノは魅力的であります。
 過去の大演奏家による高名な立派すぎる演奏に疲れたら、こんなマイルドで、気持ちのいい演奏もよいのではないでしょうか。
これもまたおっかない顔ばかりでない、ベートーヴェンの一面ですからね。

Eye
さて、ここでクイズです
このお目々は、誰でしょうsign02

答えは、明日の記事にて(更新できれば)。

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2010年9月 1日 (水)

モーツァルト セレナード第10番「グラン・パルティータ」 ベーム指揮

Azumayama11
オレンジ色のコスモス。
このキバナコスモスは、白やピンクのコスモスより先駆けて晩夏より咲きはじめます。
なんだか、秋でもなくて、盛夏でもない様相をしてて、夏休みが終わって、通常の日々が始まったような元気を感じさせてくれる。
花は、人の手が加わらなくても鮮やかな色を自分で出すところが、まったくすごいですな。

Mozart_wien
で・・・、うぇーーん、大ショックsign03

今日、聴こうと思ってたCDを久方ぶりに取り出したら、CDの鏡面部分がご覧のように、粉を拭いたように真っ白けっけ。さらさら状態。
愕然とした。
ウィーンフィル面々によるの柔らかな演奏のモーツァルト「グラン・パルティータ」。

こうした現象は、かつて、サヴァリッシュの「影のない女」、インバルのマーラーの大半に起こっていて、経験済みだけど、ひさしぶりの出来事に、しかも貴重な1枚にこれが起きて、ショックだわ・・・・・・。
おりから、昨日の記事にあるように、へなちょこ野球を見たあとのことだけに、ダルさもひとしお。一気にやる気がうせましたよ。
しかも、今日もおんなじ状況が、走馬灯のように繰り返されておりますがね・・・・。

しかし、こうなると、自分のコレクションがどんだけいかれてるか確認してみたくなりますが、膨大なCDの山を前にしては、そんな気もおきないのは、多くの愛好家の皆さまにはご理解いただけることと存じます。

で、今日は「グラン・パルティータ」を聴くに、身も心もなっていたし、手持ちはあとベームしかないので、再度ベームべルリンフィルの管楽アンサンブル盤を取り上げることとなった次第にあります。
再発、申し訳なしです。

Mozart_gran_partita_bohm_2
ケッヘル361。モーツァルト25歳の頃の作品。
モーツァルトに限っては、いつもそもそもの話になるけど、なんでそんな若造が、どうしてこんな愉悦と深淵さにあふれたスゴイ曲を書けてしまうのだろう、ということになる。
オーボエ2、クラリネット2、バセット・ホルン2、バスーン2、ホルン4、コントラ・ファゴット(コントラバス)1=13管楽器のためのセレナード。

しかし、モーツァルトは、どれだけ、いろんな楽器のために作品を残したろうか。
当時存在してたあらゆる楽器に音楽を付けたのではなかろうか。
単独の管楽器のための作品もさることながら、管楽器のためのセレナードやディベルティメントはたくさんあって、それぞれが個性に満ちた捨てがたい名曲だから始末に負えない。
R・シュトラウスが、ミュンヘンオペラのブラームス派だった保守的なホルン奏者の父も意識しつつ書いた作品に同じ編成のセレナードがある。
シュトラウスが、交響詩やオペラにおいて、モーツァルト的な部分とワーフナー的な部分を合わせ持っているのは、こんな編成の作品があることでも推し量ることができる。

この13楽器のための「グラン・パルティータ」は、かのアインシュタインも最高傑作と絶賛した管楽のための作品としては名曲中の名曲で、全7楽章50分の大曲ながら、少しも弛緩することなく、聴く者を微笑みの境地に誘う天国のような音楽なのであります。

全7楽章。
快活な1楽章、最初のメヌエット楽章である2楽章、深淵な雰囲気の3楽章、第2のメヌエットである4楽章は明るいなかにも陰りもあったりして、管楽のモーツァルトの代表的な雰囲気。ロマンツェの5楽章は、夜曲という名が相応しいナイト・ミュージック。
クラリネットの旋律からはじまり、それが変奏されてゆく長大な6楽章は、これだけ取り出しても、各楽器の名技性も味わいつつギャラントなムードにも浸れます。
最終7楽章の快活さは、モーツァルトのオペラの終曲そのもの。
あっけないくらいだけれど、何かまだありそうで、そうでもない、でも人生ってそんなもの・・・って的な音楽であります。

ベルリンフィルの面々による演奏は、もう完璧すぎて、ベーム翁の指揮下にあって最大限のモーツァルティアンぶりを発揮してます。
個々の奏者の鮮やかぶりもさることながら、合奏というスタイルの中でのバランスのよさと音のブレンド感は、日頃の演奏において、つねにお互いを聴きあい尊重するというスタープレイヤーの枠を超えた演奏ぶりなんです。
粉がふいておジャンになったウィーンフィル盤も、まったく同じ傾向の演奏。
そちらは、もう少し色があったりでした。
この頃になると、ベーム翁はいるだけで・・・ってなオーラ爺さんかもしれませんが、さすがの気品ぶりと、まとまりのよさでありました。

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