ショスタコーヴィチ 交響曲第12番「1917年」 ハイティンク指揮
あか貝と、つぶ貝。
刺身と貝、海の幸を、こんな風に喜んで生で食べる国民は、いくつかあっても、日本が一番。
何でも食べてやろうというチャレンジ精神がずっとこの国にはあって、動物は奥手だけど、海や川のものはみんな食べてきたんじゃないかしら。
どれもこれもお酒にも、ご飯にも合います。
でも飲みすぎ注意ですな。
飲みすぎといえば、この夏、お姉さん酔っ払いが出没しまして、目を見張ったものでした。
私の通勤先の駅を降りると、駅のアーチをこえて道路をまたぐ歩道橋がありまして、その下り階段に、彼女はいらっしゃったんです。
真夏のくそ暑いあの日々の朝9時頃。
階段に腰掛け、傍らには赤ワインを置いて、ゆらゆらと揺れながら、四方八方文句を言ってらっしゃる。
長いきれいな髪に、すらりとしたジーンズ。かっこいい美人さんですよ。
しかし、完璧に酔ってる・・・・。
数日後、今度は階段の下をよろよろと歩いてらっしゃる。
相変わらず、さらさらの長い髪に、今度はデニムのミニを履いていて、おっ、と思わせる美人っぷり。
やたらと怒ってて、目があったら大変・・・、と思わせる酔いと絡み具合。
通りかかる人に悪態付いてる、朝8時55分。
怖いわ、どうしようと思いつつ、真横を通り過ぎると、「お~い」と一声。
弱気なワタクシは、周囲の目も意識しつつ、聴こえなかったフリをしてそそこくさと、現場を立ち去ったのでございます。
そのあと、わーわー言ってたけど、多分次のターゲットを見つけたのでございましょう。
あの夏の日以来、彼女を見かけることはありません。
どーしちゃったのかしら。
心配だし、も一度会ってみたいオヤジ心もありま~す。はははっ(笑)・・・
期間限定の泥酔姉さんでした。もしかしたら、彼女は水木しげるの世界の人かしら・・・・。
タコいきます。
長いこと放置してあったショスタコーヴィチ交響曲シリーズであります。
去年暮れに、ゲルギエフの「タコ・ナイト」を聴いて、毒気が抜けられて、すっかりタコ熱が覚めてしもうた。
あれ以来、ショスタコーヴィチは聴いておりませぬ。
謎の多い指揮者に謎の作曲家。
さっぱりわからんであります。
こういうときは、基本に戻ってハイティンク。
結局は混乱を招いただけの、例のヴォルコフ証言(分厚い文庫、読みましたよ)の真っ盛りの録音時期だけに、ハイティンクの演奏もその影響を受けているとも言われるが、そんなことはほっといて、ここに出てくる超立派な純音楽的な演奏を素直に楽しみ、感じればいいのであります。
まさに、基本。それ以上のことはしてないが、でも音楽レヴェルは最高水準。
ベートーヴェン以来の交響曲の流れの中に、シンフォニストとしてのショスタコーヴィチをしっかりと捉えてみせたのがハイティンクらしい流儀で、ロシア臭はない、こうした西欧流の演奏が、わたしにはしっくりくるんです。
コンセルトヘボウが、まだその独特の美を誇っていた時期だけに、ホールの響きの美しさとともに、強烈なフォルテでも全然威圧的にならない。
完璧なオーケストラに無欲無私の指揮者の演奏なのだ。
1917年の10月革命&レーニン讃。
暗さから輝かしい勝利風の結尾を迎える、さもありなん的な、アタッカで4つの楽章がつながった賑々しい交響曲。
正直、空々しいほどのエンディングは、5番や7番と同じくティンパニの連打を伴う壮絶なファンファーレで、いまのわたしには耳に辛い音楽である。
これなら、4番や13~15番の方がずっと好き。
例の証言では、ショスタコーヴィチさんは、レーニンなんてその年(1917年)に見たこともなく、レーニンを迎えての行進運動に参加したものの、誰が来るかも知らされてなかった。
むしろ、その年、衝撃だったのは群衆のいざこざで、少年が兵に惨殺されたこと・・・、なんて言ってた、と書かれてる。
1961年の交響曲第12番「1917年」でございました。
もう、そんなこと、どーでもいいや、と思える最近のショスタコ。
だから、ハイティンクが一番なんです。わたくし。
タコ好きの皆さん、あしからず。
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