R・シュトラウス 「ドン・キホーテ」 K・クラウス指揮
「ほら吹き」・・・・、そう、「うそつき」であります。
えーっ、そんな名前をお酒に。
おいしくないんじゃないの?と、うそっぽく感じて手が伸びないと思うのとは、逆の思いで、思わず手にしちゃうネーミング。
語源を調べたら、法螺貝は山伏や兵が、合図や獣よけに吹いて使っていて、見た目や思った以上にぶぉーーっ、と大きな音が出るから、物事を大げさに言う人の例えだそうな。
一方で、仏具的にも使われていたから、そちらの方の深淵な意味合いもここではあるかも。
しかし、「おおげさじゃなくって、旨いよ、飲んでみるっしょ」というような意味合いのネーミングかもです
旭川の高砂酒造のお酒。
中富良野産の「雪ひかり」米を使ってまして、キレがあって爽快、飲みやすい純米酒でありました。
これ、うそじゃないよ~
「法螺吹」のあては、「かつおの刺身」にしましたよ。
さくで買ってきて、適当に切って、上から、にんにくスライス+みょうが+生姜細切れをバラっとかけていただきます。
今回は、刺身だったけど、タタキでも同じようにしてOK。
臭みが抜けて、パリっとした薬味の食感と、かつおのネットリ感が抜群なんですよ。
これも、うそじゃありませんぜ~
今日のCDは、うそつきの妄想男を描いた、R・シュトラウスの交響詩「ドン・キホーテ」。
セルヴァンテスの書いた「騎士ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ」に基づいて書かれたこの作品、驚きは変奏曲形式で書かれていること。
そして、独奏楽器に登場人物の役柄をあてはめ、まるでオペラのように、そして物語が手に取るように写実的な交響詩となっている。
1897年、シュトラウス34歳の作品で、毎度驚くその独創ぶりと、作曲技法の熟達ぶり。
いまやコンサートに欠かせない交響詩はあらかた書き終え、あと有名どころでは「英雄の生涯」と、晩年の「メタモルフォーゼン」のみ。
そして交響詩のあとは、ふたつの交響曲に向かう。
でも驚きは、15曲あるオペラのうち、この「ドンキ」の頃は、まだ第1作の「グンドラム」しか作曲していない。
オーケストラ作品を卒業してから、オペラの森へ向かうこととなるシュトラウス。
だから、シュトラウスは、オペラを聴かずして始まらないわけ。
これ、うそじゃありません~
騎士物語の読み過ぎで理性を失った男が、ドン・キホーテ(独奏チェロ)と名を変え、従者サンチョ・パンサ(独奏ヴィオラ)を伴って騎士道を極めようと旅にでて、抱腹絶倒、間違い、感違い、おバカの限りを尽くし、最後は夢破れ帰郷し静かな平安とともに死を迎える。
序奏と10の変奏と終曲。
風車を巨人と間違えて突撃、羊の群れにも突撃、マリア像を運ぶ僧侶を貴婦人誘拐と勘違いして攻撃、ちょっと見栄えのよくない娘を姫と思いこんで主従の礼をつくし、村のご婦人さんたちから木馬に乗せられ感違いして進軍、水車小屋にも突進して水浸し。
最後は故郷の友人が見かねて騎士に扮し、決闘で負けたら帰郷の勝負に敗退。
こんないろんな出来事が、シュトラウス・マジックでもって音楽によって巧みに描かれてる。
最初は日本語解説を片手に、その変奏ごとに行われる音楽描写を味わっていただきたい。
コンサートではオペラのように字幕があったりすると面白いかも。
まるで、スクリーンで映画を見てるようになる。
でも、そうした写実的な場面以外、騎士道を語るところや、愛を語るところなどの、シュトラウスらしい深い心理描写や抒情にも注目して欲しい。
シュトラウスの交響詩では、ちょっと地味だけど、聴けば聴くほどに味わいのある音楽です。
この作品、独奏のチェロとヴィオラがとっても重要。
有力ソリストを招いて協奏的に演奏するのと、オーケストラの首席をソロに迎えて、親密な雰囲気のもとに交響詩として徹するのと、そのどちらもありの演奏の仕方。
前者では、フルニエやシュタルケル、ロストロポーヴィチが何度も録音してるし、後者はウィーンフィルやニューヨーク・フィル、コンセルトヘボウ、シカゴなどの名主席がいるオケの録音が多い。
今日の私の1枚は、前者のカテゴリーで、チェロの貴公子フルニエとウィーンフィルの首席で、バリリSQの一員でもあったモラヴェクをソロに迎えた、これも貴族系の出自を持つクレメンス・クラウスの指揮で。
1953年のモノラル録音ながら音質は素晴らしく生々しい。
ウィーンフィルがウィーンフィルであった頃。
柔らかく、さりげないポルタメントに色気が横溢していて、古臭さは一切ない純正ウィーンの音色。
それを難なく引き出すクラウスの指揮は、シュトラウスへの愛が宿ったかのような手作り感あふれるもの。それでいて、すっきりとした透明感にもあふれている。
フルニエのソロも、ドン・キホ-テが高潔な人物のように聴こえ、オーケストラの枠組みからはみ出ることなく、それでいて存在感もばっちりのドンキなのだった。
クラウスとシュトラウスは、いわば朋友のような間柄だったのだろう。
オペラ「ダナエの愛」は、クラウスが初演しなくてはダメと最後までこだわったというし、最後の名作「カプリッチョ」の台本共同作者でもあったクラウス。
ベームは、その音の忠実な再現者であったのにくらべ、クラウスは、その体現者であったかもしれない。
1954年に61歳で亡くなってしまったクラウス。
あと20年以上は活躍できたはずで、もしそうだったらと思うと残念でなりませんね。
この曲、カラヤンとロストロポーヴィチが刷り込みなんですが、ちょっとウマすぎる。
プレヴィンや小澤盤、ハイティンクと並んでこのクラウス盤が好きなのでした。
来週は、神奈川フィル定期で、ドン・キホーテ。
楽しみです。
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コメント
こんばんは
R・シュトラウスの管弦楽曲で1曲選べと言われたらこの曲を選びます(^^
カラヤンとフルニエのDGG盤、バルビローリとデュプレとの協演による名盤がありますが、好きなのはこのクラウス盤です
>ウィーンフィルがウィーンフィルであった頃。
柔らかく、さりげないポルタメントに色気が横溢していて、古臭さは一切ない純正ウィーンの音色。
yokochanさんの、このコメントに尽きますね\(^_^)/
録音もモノラルながら最高に典雅な音です
投稿: 天ぬき | 2010年9月 4日 (土) 21時10分
こんばんは。デュ・プレのモノクロジャケットによる「コンチェルト・コレクション」からボールトと共演したもの。やはり、「協奏曲」スタイルなのでしょうか。とくにフルニエの十八番なのか、カラヤン、セルと共演してますね。マイスキー、メータ。ハレル、アシュケナージ。結構、強力ですね。マイスキーはアシュケナージと演奏会で取り上げたと言われています。やはり、髭のおじさんは重厚な音色でワーグナー寄りです。主人公であるチェロの音色が決めてでもありますね。クリーヴランドもR.シュトラウスを得意にしているオケでしょう。
投稿: eyes_1975 | 2010年9月 4日 (土) 23時24分
天ぬきさん、こんばんは。
シュトラウスの管弦楽曲NO1とのことですね。
派手さがなく、しみじみと、いい曲です。
私も大好きですが、シュトラウスにおいては欲張りなものですから、いま聴いている曲がNo1といきたいところです(笑)
カラヤンの旧盤は、実は聴いたことがなくて、あの素敵な影絵のようなジャケツトのみが脳裏に刷り込みなんです。
バルビローリは是非とも聴いてみたいですねぇ。
このクラウス盤は、レコードだときっともっと味わいがあるかもしれません。
まさに、ウィーンはウィーンです!
投稿: yokochan | 2010年9月 5日 (日) 01時43分
eyes_1975さん、こんばんは。
デュプレには、いくつかドンキの演奏があるのですね。
皆さんのコメントを拝見してると、いろいろ気になって来ますね。
アシュケさんや、メータも何度か録音してますね。
マイスキーは、N響で、亡きスウィトナーと共演してたような記憶があります。
チェリストにとって、ドヴォルザークとともに、必ず演奏しなくてはならない名曲なのでしょうね。
いまのクリーヴランドの指揮者メスト氏は、録音自体が途絶えているのでわかりませんが、シュトラウスはオペラ以外はあまり取り上げてないようですね。残念。
投稿: yokochan | 2010年9月 5日 (日) 02時08分
お挙げのディスク、R・シュトラウス生誕150年記念として、クラウスのDeccaへのこの作曲家の録音を纏めた五枚組(478-6493)で、手元にございます。本当に粋で過剰の力みが皆無な、愉しい演奏ぶりで、故・志鳥栄八郎さんの御表現を借りますと、聴いていて思わず含み笑いが出る‥感じの指揮ぶりです。まだ学生時分の頃、KING・RecordがSL-5000番台の1500円盤で、これらの音源を発売して呉れていた事も、懐かしく思い出されましたね。
投稿: 覆面吾郎 | 2021年9月 6日 (月) 09時06分
シュトラウスにK・クラウスなくば、「カプリッチョ」が生まれなかったことを考えると、クラウスのシュトラウス演奏も愛おしく思えます。
氏のJ・シュトラウス、ワーグナーもさらに評価されるべきかと!
投稿: yokochan | 2021年9月 9日 (木) 08時38分