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2010年10月

2010年10月30日 (土)

ゴールデン街のにゃんにゃん

Nana1
お疲れさまぁ~~confident

気持ち良さそうに寝てますにゃ。

いま、人間のわたしは、最高に眠い、そしてぐたぐたであります。

実は、事務所の引っ越し。
台風が来るというので、金曜の夜に実行。
貧乏会社なもんで、自らそれぞそれに肉体を駆使し執り行うこと数時間。
運び込みが終了したのは、午前3時。
本日も、雨を押して出社し、設営作業。

出来ると頭では思っても、体が動いてない。足が、腕が、腰が抵抗してままならない・・・・。
悲しい現実に、猫になりたい自分なのでありました。

このにゃんこは、新宿ゴールデン街の著名なねこ様でして、「お嬢」といいいます。
検索すると、たくさん出てきますよ。

Nana2
酔っててボケてますが、フラメンコのお店、「ナナ」の前にいました。

人懐こくて、触っても全然動じないし、ふわふわで、チョー気持ちいいニャンコなのでありました。

あぁ、からだ痛ぇ。
こんな夜は、ツェムリンスキーを聴いて、酒飲んで寝るのだ。

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2010年10月28日 (木)

モーツァルト フルート協奏曲 ツェラー&クレー

Sakurasuisan
ある日の「さくら水産」。
仕事仲間とやけくそになって、4時くらいから飲もうといことになったけど、まだ早いし、お金もないし・・・・、こんな時の強い味方が「さくら水産」。
4時から居酒屋タイムやってます。

ホッピーセット390円、オニオンスライス80円、魚肉ソーセージ50円、冷奴180円。
しめて700円。これにホッピー替えや何かをいれても1000円ちょっと。
嬉しいさくら水産なのでした。

 ちなみに、ここのお昼の定食は、ワンコイン。
ご飯、味噌汁、海苔、卵は食べ放題。
ほかの居酒屋チェーンの定食も安値追従で、一般の定食屋さん、ことに個人でやってるとことろなどは、たまったもんじゃないです。
嬉しいけれど、考えものの今どきの食です。

Mozart_flotenkonzerte

さくら水産とはまったく関係なく、クレーモーツァルト行きます。
ベルンハルト・クレーは、オペラ指揮者だけに伴奏指揮もやたらとうまい。
過度な自己主張がなく、相手に巧みに合わせ、その呼吸を読んだ指揮ぶりはきっとソリストにとっても心強く、共演しやすいに違いない。

ドイツ・オーストリア系の古典から後期ロマン派までを万遍なくレパートリーとしているが、それらの中でもモーツァルトはもっとも素晴らしいのではないでしょうか。
伸びやで、隅々まで息づくフレージングのよさ。
それらがとても自然で、誰しも爽快でおおらかな気分になれる。
短調のモーツァルトより、長調のモーツァルトがいい。
クレーのモーツァルトはそんな感じだ。

今日聴いたのは、モーツァルトのフルート協奏曲ふたつ。
フルートは、カール・ハインツ・ツェラー
オーケストラは、イギリス室内管弦楽団
こんなコンビに、いかにも爽やかさを感じるでしょ。

ツェラーは、言うまでもなく、ベルリンフィルの首席フルート奏者としての名前が先に立ちますね。
ウィキを調べたら、2005年に亡くなってるんですね。
ベルリン・フィルには、ニコレの後任として、1960~69年、75~93年に主席を務めているとのこと。
毎度、昔話で恐縮ですが、わたくしには、カラヤンのもとでのフルートといえばツェラーで、ニコレ時代は知らないし、ゴールウェイの時はカラヤン嫌いで印象薄い。
アバド時代に、おっツェラーだと思ってやたら感激したこともある。
でも、ツェラーは、カラヤンの70年代のビデオ映像の中でこそ、やたらと鮮明なんです。
映画風に、奏者のアップもやたらと劇的で、楽器や指先をアップにしてみたりで、ツェラーはとても印象に残ってるんですよ。
そしてカラヤンの指揮といえば、もちろん目瞑りの境地。
素晴らしき70年代・・・・。

話はそれましたがね、ツェラーの鮮やかなフルートは、モーツァルトのフルート作品が持つギャラントな雰囲気と、曇りない明るさを見事にあらわし切っております。
聴いてて、こんな風に楽々と吹けたらどんなにか楽しいだろうな、と思ってしまうのでありますよ。

このフルートに対し、クレーは、モーツァルトの歌心をしっかりと踏まえつつ、ツェラーの歌いまわしにピタリと寄り添ってます。
イギリス室内管という、ニュートラルな響きと機能性を併せ持ったオケも最適の組み合わせなのですな。

今日は、まるで12月の陽気で、しかも強い雨と風の首都圏。
こんな日は、すごく体が疲れちゃって、発泡酒1本で顔が火照ってしまう。
そんなときに、今日のモーツァルトは本当に優しく微笑みかけてくれましたよ。

1974年の録音。当CDは、1991年のモーツァルト・イヤーの際に購入したものです。

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2010年10月27日 (水)

ベイもうかんべん・・・・

Bay

まさかのどんでん返し。
今日は携帯に号外が入り、昼前から仕事にならん。

住生活グループの買収交渉がTBSとの間で破談に。
割り切っていたけれど、住生活なんだらかんだらが、本拠地も監督も白紙の状態なんて言ってのけるし、某お気楽知事は、ドーム欲しいなんて言っちゃうしで、なんだか、いやぁ~な感じが漂っているここ数日。
明日のドラフト会議を前に、取ってつけたような破談発表。

この一件で、住だかリクシルだかの名前も国民の記憶に刻まれたし、赤字球団に無駄金を投じないですんだことが好材料で、株価がうなぎ登りというじゃない。
TBSには、口は災いで買い手を無視した発言の数々、これまで球団経営に及び腰だったことなどがはねかえってきて、またこの球団を抱えることとなった。

結果的には、どう否定しようとも、売名行為という結果のみが残った住なんたらかんたら。
ベイの掲示板見てたら、「INAXの便器見つけたらションベン引っかけてやる!」なんて、ナイスなご意見があって笑ってしまったけど、わたしならTOTOにしかションベンはしないぞup   くそったれめpout

気の毒なのは、選手やスタッフたち。そして明日ドラフトを迎えるプロを目指す選手たち。
ベイ指名は正直人気薄だろうし、FA権行使の内川・村田も揺れ動いていることでしょうよ。
だが君たち、こんな危急存亡の時こそ、我こそはの意気に感じて進んでベイに身を投じて欲しいものだぞ。

本拠地移転で合意できなかったとの報道もあって、TBSさんには重荷でございましょうが、こうなってよかった。
来年にまたこんな売却騒動がおこらないように、再出発をしてもらいたいもんです。
 あと1ヶ月でノジマ含めて、こんな大きな買い物を決断できる先が出てくるとは思えないし。。。。、それと、あのYグループのクソじじいが、何を言うか、何を仕掛けるか楽しみではある。

Hossy2
はぁ、、こんなベイのファンは悲しいよ。もう勘弁してくんなさいまし・・・・・・。

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ハイドン 交響曲第102番 クレー指揮

Cosmos_hiratsuka_3
秋がなくって、冬が来てしまった。
秋晴れの高い空なんて、今年は見たかしら?
油断のできない今年の天候。11月にまた暑い日が来るかも・・・。

そして油断ならないのは、台風と地震。
自然も政治も仕事も日常生活も、なにもかも落ち着きなく、いやぁ~な雰囲気ただよいまくり。
音楽に逃避するわけじゃないけれど、それこそ音楽だけが救いの毎日を送っております。

Mozart_haydn_klee
ベルンハルト・クレー特集。

クレーは、1936年、ドイツ・チューリンゲンのシュライツの街に生まれていて、現在74歳。
先日の都響来演時の背筋の真っ直ぐ伸びた流れるような指揮ぶりを見ると、とうていその年齢を感じさせない。
シュタット・シュライツを調べてみたら、ドイツの森に囲まれた自然豊かな美しくも可愛い街のようだ。
中世の香り漂う街と森、そしてそこにある教会の尖塔は、まさに先日感動したブルックナーの世界そのもの。
ドイツの地方都市の劇場のカペルマイスターを歴任したたたき上げのオペラ指揮者で、ハノーヴァー、リューベック、デュセルドルフのオーケストラと関係を築き、英国ではBBCのマンチェスター響の首席客演をつとめてもいる。

レコーディングでは70~80年代にメジャーレーベルへの録音が多く、巨匠たちがひしめく有名曲ではなく、彼らが取り上げない曲目や、大全集録音の補完的な演目などを担当させられることが多く、ちょっと気の毒かつ地味な存在だったのだ。
 でも、それらはクレーにしか録音はなく、演奏の完成度も高かったから、逆にクレーの実力のほどを好楽家に印象づけることとなったわけだ。
 それらの一例としては、1970年のべートーヴェン生誕200年記念のDG全集の管弦楽曲や、EMIのシューマン合唱作品、フィリップスのモーツァルト全集の初期オペラ、などであります。
 本領のオペラや伴奏指揮などは、また次に。

今日は、主席指揮者をつとめた、ハノーヴァー北ドイツ放送フィルハーモニーとのライブ録音シリーズのなかから、ハイドン交響曲第102番を。
93年のライブ録音で、さすがは放送局、実に鮮明で響きも美しく音楽的な録音であります。
そして、古楽だ、ピリオドだ、言ってる昨今の演奏スタイルからしたら、完全に一時代前のコンサートスタイルの演奏。
でも私の世代には当たり前に普通だったこうした演奏が、とても新鮮に感じる。
皮肉なことだけど、こうした演奏で初めてクラシック音楽に接し、ずっと何十年も聴いてきた音楽のスタイルも正しいことだと思う。
 ミンコフスキのような奏法だなんだかんだの領域を超えてしまった演奏スタイルも知ってしまったし、かたや、こうしてクレーのハイドンを極めて新鮮な想いで聴くことができる。
思えば、音楽の楽しみ方が、幅の広がりをもって、贅沢な選択ができるようになったわけであります。

ハイドンのザロモンセットの中でも、最後の3つの交響曲はさらにワンセットなっていて、ほかのふたつと違ってタイトルがないので地味な存在だけれども、102番はハイドンが行き着いた交響曲の完璧な姿が見てとれる名作とされる。
 クレーは、この素晴らしい名品をいつもの清々しさでもってすっきりと歌い、くっきりと楽章の特色を描きだし、どこまでも気持ちのよいハイドンを聴かせてくれるのだ。
ことにチェロのオブリガート・ソロをともなった2楽章の古典的な清潔さの中に、ちょっとロマンの香りを感じさせるあたりが実に素晴らしい。
もちろん、悠揚な序奏を持つ1楽章は、主部との対比が鮮やか。
小股の切れ上がったようなメヌエット楽章。ピリオドにたよらずとも、こんなに生き生きとした弾んだ表現ができるのだよ。
クレッシェンドの連続するリズミカルな終楽章の歯切れのよさと、堂々としたエンディングの築き方。
曲よし、演奏よしの、いいハイドン。

クレーのハイドンは、DGに「朝」「昼」「晩」の初期3作をプラハ室内管と録音したものがあって、いまは入手不可の廃盤レアものでございます。聴きたいup

このCDは、ハノーヴァーのオケのライブラリーの1枚で、モーツァルトの初期交響曲とハフナー、シューベルトのドイツ舞曲も収録されていて、いずれも清廉たる名演でございます。

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2010年10月26日 (火)

東京都交響楽団定期演奏会 クレー指揮

Suntry_10m
ベルンハルト・クレーは、隠れたるドイツの名指揮者であります。
私のような70年代男たる世代には懐かしい名前で、74年だったか、N響に登場して、当時ドイツでも巨匠ばかりのN響に、新鮮な若手世代の登場を印象付けたのだった。
N響アワーで、魔弾の射手とベートーヴェンの5番が放送され、すごく鮮烈な印象を持った。
司会の大木氏も手放しの誉めよう。
 その後何回かやってきたけど、評判はむしろ芳しくなく、日本には疎遠になってしまった。
でも都響や、大阪のオケにはたまにやってきていたようで、今回、ようやくその実演に接することができたのでした。

クレーは、私にはオペラ指揮者であるとの印象とともに、エデット・マティスの旦那さんとして、彼女の伴奏での指揮と達者なピアノの腕前に鮮やかな思い出を持っている。
このあたりはまた次の機会に。

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   エルガー     チェロ協奏曲

          Vc:ボリス・アンドリアノフ

   ブルックナー   交響曲第4番「ロマンティック」

      ベルンハルト・クレー指揮 東京都交響楽団
                      コンサート・マスター:山本友重
                      (2010.10.25@サントリーホール)

サントリーホールがそうしたのか、都響が始めたのか、開演前のアナウンスで、「余韻をお楽しみになるお客様のためにも、拍手は指揮者が手を降ろしてからお願いします」とありました。
当たり前のことなのに、なんだかそうまでしなきゃいけないのか、と情けなくなる。
しかし、海外でも同様の惨状らしくて、あのバイロイト音楽祭でも音が鳴り終わらないのに拍手が出てしまうのを、このところの放送でよく聴く。
なんでもきっちりの日本のシステム。これも、まぁ、いいじゃないですかね。

ロシアの若手チェリスト、ドイツの指揮者、日本のオーケストラ。
まさにインターナショナルな顔ぶれによるエルガー。
でも、エルガーのちょっと古風だけれど、気品と情熱と哀愁に満ちたこの名作は、そんなことはお構いなしに、どんな顔ぶれによる演奏でも曲がしっかりと受容してしまい、聴き手にひたひたと迫ってくるのだ。
アンドリアノフ氏は、ロシア系統の濃厚イメージの流れとはやや異なり、スタイリッシュな趣きも兼ね備えた技巧派といった感じを受けた。
2楽章の細かいパッセージの連続では、聴いていて快感を覚えるようだったが、一方で冒頭のメインの主題ではチェロが地鳴りをするような響きで驚きだったし、アダージョ楽章のさらりとした抒情も対照的に柔らかいものだった。
 クレーとオーケストラは、チェロにつけている、という感じで、控え目に終始した印象。
4楽章の最後に、冒頭のモティーフが帰ってくるところでは、かなり感動的で、ソロもオケもこれまでの歩みを回顧するようで、聴いていてはからずも涙ぐんでしまった。

曲は素敵なのだけれど、ちょっと小手ならし的に感じた前半。
しかし、休憩後のブルックナーは、あまりにも素晴らしく、会場に居合わせた聴衆ひとりひとりに爽やかな感動をしっかりと植えつけてくれた演奏だったのだ。
レコードや音源で聴いてきた、クレーの演奏は、爽快かつ明晰で歌が満載という印象。
そして、今宵のブルックナーも、まさにそういった演奏で、どんよりと重厚な往年のドイツの巨匠たちのものとは完全に一線を画すのびのびと、スッキリした内容。
でも内容が決してないわけでも、空虚なわけでもなくって、どこをとってもヨーロピアンなセンスあふれるサウンドで、ブルックナーに必須の教会や森を感じさせる響きをまとっているし、都響がまたクレーの細かな指示に見事についていってるのが見事なもの。
 細かな指示といっても、微に入り細に入りのものではなく、その時の感興に合わせた強弱の指示とか、フレーズの協調程度のものなので、おそらくオーケストラも弾きやすい指揮ではなかったでしょうか。
対抗配置をとっていて、こうすることで、ブルックナーの場合の第2ヴァイオリンとヴィオラの重要性と、弦4部の絡み具合がとてもよくわかった。
クレーはとりわけ第2ヴァイオリンに対して丁寧に指揮していて、ちょうど私の席は第2ヴァイオリン側4列目だったもので、クレーがこちらを向いて指揮する機会が非常に多かった。
ときに音を抑えて、「Silent!」と言ってたのまで聞こえたりしましたよ。

すべての楽章が、ブルックナーの音楽があるがままに演奏され、そのように聴こえた。
譜面を置きながらも、暗譜で指揮したクレー。
楽章間の間の取り方も、なかなかのもので、オケメンバーを見渡しつつ、会場が期せずして静寂になるのを待って、タクトを構える。
こうしたナチュラルで、音楽への純な態度は、観ていても、そして出てくる音楽が嫌味なく自然なものだから、聴いていても、クレーの飾らない人間性を素直に感じさせてくれる。

感動的な終楽章、最後の高まりを経て神々しいエンディングをむかえ、感動に震えていたが、音が鳴りきって、残響がホールのこだまする。
クレーは、構えきったまま。オーケストラも微動だにしない。
われわれ聴衆もまんじりともせず、じっとしたまま。
こうした間を経て、大きな拍手とともに、ブラボーの嵐。
何度、クレーは呼び出されたろうか。
ソロ奏者やオケメンバーを讃えつつ、自身もオーケストラから拍手を受けると、謙虚に、一度もページをめくられなかった指揮台のスコアを軽く叩いて、これのおかげと言わんばかりのクレーさんでした。
ブラボーの拍手はなかなか止むことはありません。

久しぶりの都響。
なかなかの充実ぶりで、のってますね

ベルンハルト・クレー、今週特集してみましょう
サヴァリッシュのお弟子さん筋でもありますし

過去記事~「クレーのブラームス2番」

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2010年10月24日 (日)

千葉にて「チーバくん」

Chiba_sogo
遅ればせながら、祝クライマックスシリーズ優勝、千葉ロッテマリーンズ。
愛する正妻へっぽこベイスターズが、身売り問題はひとまず落着しつつも、旧株主と新株主との間がどうもかみ合わない。
採算重視の企業論理を盾にするのは当たりまえのことなれど、地域性の高いチーム競技などにおいては違和感もつきまとうのも事実。
それを指摘した行政の長に対し、「うっとうしい」と言ってしまう企業にベイを任せていいのかという不安もある。
強けりゃ、なんのことはないんですがねぇ・・・。

で、草の根のようにたくましく強かったロッテマリーンズ。
正妻が弱い時は、2号たるロッテを応援するしかない。
ハマスタとちょっと空気が似てるけれど、ファンの熱烈さと一丸さでは比ではないかも。
地域密着を成功させ、企業・行政・地場TVぐるみの体制を築き上げたマリーンズ。
セ・リーグより一歩先んじたパ・リーグであります。

日本シリーズはどうなりますか!

Chinakun
国体開催中の千葉。
そして、チーバ君でございます。
こうして横から見ると千葉県の形なんです。
笑えるでしょ。
私がとりあえず今住んでるのは、首の左の付け根くらいかしら(笑)

Chinakun2
フロントはこんな感じ。
これもまた「いぬ」ということで・・・・。

国体が終わっても、頑張る「チーバくん」なのでした。

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ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 サヴァリッシュ指揮

Cosmos_hiratsuka_1
とりどりのコスモスを中心に。
清楚な雰囲気がとてもいいですな。
足元のサルビアも赤がアクセントでいいです。

Tristan_sawallisch
びわ湖トリスタンから1週間。
アラベラ、トリスタン、フィガロと珠玉のオペラ3作を観劇。
そしてサヴァリッシュ特集。
「アラベラ」は正規録音、ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」は、WALHALLレーベルのバイロイト音楽祭の放送音源。
サヴァリュシュの「フィガロ」は残念ながら存在しません。

1957年バイロイト音楽祭
ウォルフガンク・サヴァリッシュのバイロイト・デビューで34歳は、当時のバイロイト最年少記録。
演出は、ウォルフガンク・ワーグナーで、57年から59年までの3年間続いた。
当時は、今と違って演出サイクルが短く、3年から4年で交代していたようで、しかもヴィーラントとウォルフガンクの兄弟の持ちまわりだったから、いかに彼らが天才的であったがよくわかるというもの。
 戦後新バイロイトの「トリスタン」は、52~54年がヴィーラント演出で、カラヤンとヨッフムが指揮。ついで、こちらのウォルフガンク&サヴァリッシュ。
その後が、ヴィーラント&ベームの高名なもので、62~64、66、69、70年の上演。
さらに、74~77年がエヴァーディンク&クライバー、シュタイン。
81~83、86、87年ポネル&バレンボイム、93~96、99年ミュラー&バレンボイム、2005、06、08、09、11年マルターラー&大植、シュナイダー。

Tristan1957
こうして見ると、ウォルフガンクはトリスタンをバイロイトでは1度しか演出してなくて、兄が得意としたのと同時に、外部招聘演出が4回もある。
指揮において長いのは、ベームとバレンボイム。
さらに推測するに、次のトリスタンは、ティーレマンの指揮であろうこと。
ワーグナー好きは、バイロイトの上演記録を眺めて過ごすのが好きでして、何年はだれそれということまで覚えてしまっているんです。

サヴァリッシュは、57年から62年までバイロイトに登場し、トリスタン、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンを指揮していて、これまでにない新鮮なワーグナー演奏をバイロイトに打ちたてたのだけれど、その後長続きしなかったのは、アニア・シリアをめぐる三角関係とかなんとか言われてますが、とても残念なこと。
サヴァリッシュのあとは、スウィトナーが登場し、やがて70年代にはシュタインが中心指揮者となるわけで、カイルベルトも含めて、N響指揮者たちのバイロイトとの結びつきがうかがえて興味深い。

 トリスタン:ウォルフガンク・ヴィントガッセン イゾルデ:ビルギット・ニルソン
 マルケ王:アーノルド・ヴァン・ミル       クルヴェナール:ハンス・ホッター
 ブランゲーネ:グレース・ホフマン       メロート:フリッツ・ウール
 牧童:ヘルマン・ウィンクラー          舵取り:エグモント・コッホ
 若い水夫:ワルター・ガイスラー

   ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮 バイロイト音楽祭管弦楽団
                           バイロイト音楽祭合唱団
   演出:ウォルフガンク・ワーグナー
                           (1957.@バイロイト)

この若きサヴァリッシュのトリスタンは、堂々たる演奏で、早めのテンポでクリアーで清新な指揮ぶりを印象付けた正規ライブ録音のロマンテッシェオペラ3作と印象が少し異なる。

  Ⅰ(75’23”)、Ⅱ(85’38”)、Ⅲ(80’35”)

タイムだけからでは、その演奏の内容は推しはかることはできないが、テンポ感としてはじっくり目。時代様式やヴィーラントと違って斬新すぎない演出との兼ね合いもあったかもしれない。もちろん2幕はほぼカットなしだから、それで長くなってはいるけれど。
前奏曲からしてそのゆったりしたテンポに驚き、これを聴いてだれがサヴァリッシュであると想像できようか。だが聴き進むにつれ、この劇場独特の雰囲気がこうした古い音源からでも立ち上ってくるのを感じ、往年の凄歌手たちの唖然とするくらいの歌に牽引されるようにして、サヴァリッシュ先生の指揮にも力がみなぎってくるのを感じ、2幕の二重唱のピーク、そして3幕のトリスタンの狂おしいまでの熱狂ぶりに感銘を覚える。

Tristan1957_2
それにしてもヴィントガッセンの強靭極まりない声の威力といったらどうだろう。
10年後のベーム盤では聴くことのできない猪突猛進ぶりなんだ。
それでも歌のフォルムが崩れず完璧なところが手に負えないくらいに素晴らしい。
 対するニルソンは、後年の安定感がまだないような気がする。
でも冷凛とした少しきつめの強い声は、まさにニルソンのイゾルデ。
 この二人を聴いてしまうと、ジークフリートとブリュンヒルデともども、私の刷り込み歌手たちだけに、安心感と懐かしさがこみ上げてくる。
その仕上げは、「愛の死」で、感涙にふけることとなる。
思いのほかロマンティックに傾いたサヴァリッシュの解釈ではあるけれど、一陣の光のように輝くニルソンの声には参ってしまう。

最初は違和感つきまとうホッターのクルヴェナールが、意外と器用で、心愛の情にあふれた名唱だし、定番グレースの美しいブランゲーネもいい。
ミルは、もう少し味があるといいけど。

録音は、50年以上前を考えると音はそこそこ鮮明で、バランス的に歌手主体でオケピットが弱めであるが、あの木の劇場の柔らかい響きは聞きとることができる。

本ブログ17本目の「トリスタンとイゾルデ」記事でした。
音源・映像は23本目。



   

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2010年10月23日 (土)

祝三ツ星☆☆☆ 大阪「太庵」

Matsutake1_2

10月19日、 「ミシュランガイド京都・大阪・神戸2011」で、大阪の日本料理店「太庵」が三ツ星に選定されました!

こちらのお店は、2003年頃から通い出し、手抜きの一切ない正統日本料理が、日本酒から焼酎、ワインまで、豊富なお酒を飲みながら楽しめる名店として、大阪出張の折は、大阪の仕事仲間の皆さんと集う場所であったのであります。

このところの不芳な状況で、1年もご無沙汰しちゃってますが、ついに三ツ星の栄誉に輝き、本当に慶賀の至りでして、お店のファンとしてご主人と奥さまに心からおめでとうと申し上げたいと存じます。

この写真は、昨年の秋に訪問したおりの一品。
「松茸」ですよ。
本体と、しかも千切りです。
店中、出汁と松茸の香りで満たされ、至福の時を味わうのでありました。

別館ブログをリンクしときます。

 「太庵」1
 「太庵」2
 「太庵」3



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R・シュトラウス 「アラベラ」 サヴァリッシュ指揮

Cosmos_hiratsuka_2
コスモス咲いてます。
いろんな色の種類があるけれど、こうして単色でそろって咲いているのもキレイなもんです。
この色の種類は、ベルサイユとかいうのかしらね。

Arabella_sawallisch
サヴァリッシュ特集を始めたと思ったら、オペラウィークとなってしまった。
私の大好きなオペラ3作を、1週間で観劇するという至福に恵まれ、このところの過酷な毎日が、気分的にかなり和らいだものだ。

まだそれらの舞台の残像と音楽の響きが耳に残っているうちに、もう一度CDで聴いてみようと思う。
しかも、サヴァリッシュの指揮で。

   アラベラ:ユリア・ヴァラディ  マンドリーカ:ディートリヒ・F・ディースカウ
   ズデンカ:ヘレン・ドナート   マッテオ:アドルフ・ダラポッツァ
   ヴァルトナー伯爵:ヴァルター・ベリー  アデライーデ:ヘルガ・シュミット
   エレメール:ヘルマン・ウィンクラー ドミニク:クラウス・ユルゲン・クッパー
   ラモラル:ヘルマン・ベヒト    フィアッカミッリ:エルフリーデ・ヘーバルト
   カルタ占い:ドリス・ゾッフェル

 ウォルフガンク・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立歌劇場管弦楽団
                      バイエルン国立歌劇場合唱団
                         (81.1@ミュンヘン)


ミュンヘン生まれのサヴァリッシュが、R・シュトラウスを得意にするのは同郷ということもあるけれど、ピアノの名手で劇場たたき上げのオペラ指揮者としての必然でもあり、ドイツの劇場の監督を転々と務めあげた実績の賜物でありましょう。
当然に、モーツァルトとワーグナーも大得意。
劇場の変遷は、アーヘン・ヴィスバーデン・ケルン・ハンブルク・ミュンヘンと着実にステッアップして故郷に返り咲いている。
ハンブルクとミュンヘンは、カイルベルトの後任で、バイロイトでも同時期に活躍したし、N響との関係においても同じ。この関係はシュタインも結びついてきます。

シュトラウスのオペラ指揮者というと、あえて現役を除外すると、K・クラウス、ベーム、カイルベルト、ケンペ、カラヤン、サヴァリッシュということになるでしょう。
しかし、その全15作を全部指揮した指揮者というと、サヴァリュシュをおいて他にないのでは。
1988年のミュンヘンで、全作品を上演しているのである。(ただし、「ばらの騎士」だけは、ミュンヘンではカルロスの専売特許ゆえに、指揮してないが、過去指揮しているはず)

サヴァリッシュのシュトラウスは、N響でもオーケストラ作品でお馴染みだが、ストーリーテラー的な面白い演奏ではなく、全体の構成をしっかり掴んで、作品の隅々までに目が行き届いた安定感あるものである。
そして、旧来のドイツの巨匠のような重厚さというよりは、明晰でスタイリッシュな響きをオーケストラから引き出すので、シュトラウスのオペラ、ことに中期以降のものほど素晴らしいわけなんだ。
いずれ、全作上演の放送音源が出てくるものと期待されるが、いま聴けるものとしては、「エレクトラ」「アリアドネ」「影のない女」「インテルメッツオ」「アラベラ」「無口な女」「平和の日」「カプリッチョ」の8作品。

この「アラベラ」の録音は、ライブではなく、スタジオ録音で、放送オケではなく手兵のシュターツオーパーのオーケストラで行われているのがうれしい。
このオケは、高名な放送オケの影に隠れがちだけど、そちらにひけをとらないくらいに、優秀で機能的なオケなんだ。独特の明るさと劇場の雰囲気を持った色のある存在。
カルロスが愛したのもよくわかる。
シュトラウスやワーグナーにかけては、理想的なコンビだった。

このコンビの「アラベラ」といえば、そう、1988年の来日公演。
この時は、わたしは結婚を控えていて、「マイスタージンガー」奮発S席1本のみだったので、テレビ観劇のみでしたが、幸い音源とモノラルビデオが手元に残っていて、ポップとヴァイクルの素敵な恋人たちを確認することができる。ズデンカのカウフマンもよかった!
Arabella_bayerisches_2
ダブルキャストの、トモワ・シントウとカウフマンを実家の「音楽の友」で発見。
こちらのマンドリーカは、アレン卿でございました。

CD録音では、なんといっても、ヴァラディF=ディースカウの実夫婦による恋人たち。
あのカイルベルト盤(64年)から、17年を経て若々しさは後退したものの、声の威力と歌い口の抜群のうまさは変わらない。相変わらず「うま過ぎ」ではあるけれど、シュトラウスやワーグナーは、こんなFDが私は好きであります。
FDよりも、ここではヴァラディの清新なアラベラがとっても素敵なのであって、旦那の歌唱指導もあろうかと思うが、すっきりとしてて暖かい声は極めて女性的で、わたしなどは、奮いつきたくなってしまうのです。ヴァラディは、それこそ旦那の影に隠れて、あんまり人気はなかったかもしれないけれど、80年代を代表する名ソプラノだと思いますよ。

ズデンカのリリカルなH・ドナートは、まさにぴったりの役柄で、わたしは彼女のパミーナを観たことがあるけれど、とってもチャーミングだったなぁ。
甘口テナーのダラポッツァのマッテオ君は、これでよいでしょう。
R・コロの声が贅沢にも頭にあるもんだからしょうがないです。
パパ・ママは、ベリーシュミット。完璧ですな。

Arabella_1_bayerisches_1
こんな風に、完成度の高いミュンヘンの「アラベラ」であります。
が、私には、すべてが白日のもとに晒されてしまいすぎたかの感もあるんです。
かつての先輩カイルベルトの趣きある過去を懐かしむような演奏や、旧ショルティ盤のウィーンのかぐわしきよき時代を感じさせるオケと録音に、いまだ魅かれるんです。
このオペラって、デジタルな最新録音で聴くよりは、古めの録音で聴く方がどこかいい。
ヴァラディも、ヤノヴィッツもポップもいいけど、やっぱりデラ・カーザかな・・・・。
とか言いながら好きなオペラは、どの演奏でもみんな好きになってしまうんですな、気が多いもので、これがまた。

それにしても、シュトラウスはこのオペラにも、美しい旋律を惜しげもなく投入したものだ。
それらは、主人公アラベラに与えられていることが多く、彼女のモノローグや可愛い妹との二重唱、マンドリーカとの二重唱などであります。
1幕で街から帰ってきて、マッテオを勧める妹に向かって「彼は私にふさわしくないの・・・、理想の男性が現れたら・・・」と揺れ動く心情を歌う場面。やがて姉妹の二重唱となる。
ここはほんとうに美しい!
あとこの幕の最後にも長いモノローグが歌われる。ここでも周りの男性たちを否定し、街で見かけた男性を想う。けれど、今宵の舞踏会を想ってきっぱりする。ワルツが素敵すぎ。
彼女だけ、こんなに歌いどころが満載でおいしい役柄だけど、それはまだ続きます。
 2幕では、マンドリーカと出会い、これまた可憐な二重唱を歌う。
この幸せな愛の歌は、youtubeで発見した、ローテンベルガーとプライの映像がやたらと心に残っていますね。
 最後の幕では、なんといっても、混乱が静まり一杯の水を手に回廊をしずしずと降りてくる場面。この清涼かつ、精巧なガラス細工のように美しい音楽をなんと例えようか。
そのあとの、幸せ急転直下のような洒落た幕切れの場面もシュトラウスの天才的なまでの鮮やかさである。

アラベラのこうしたおいしい聴きどころを脳裏に置きながら、マンドリーカが天然男からひとり恋する男に変貌してゆくところや、本当は一番素直で可愛いズデンカちゃんの心情を想いつつ、マッテオの情熱一本やりのおバカさんぶりを楽しむ。
そして、ブッフォ的な存在のパパ・ママの娘を想う心情をを推し量りつつ、求愛振られ3人組のそれぞれの個性までも聴き分ける。
さらに、いわずもがな的にとって付けたように組み込まれコロラトゥーラの妙技も楽しむ。

何度聴いても美しくも愛らしい「アラベラ」でございました。

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2010年10月20日 (水)

モーツァルト 「フィガロの結婚」 新国立劇場公演

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新国立劇場公演、モーツァルト「フィガロの結婚」を観劇。
オープニングの「アラベラ」と交互に上演されていて、4回中の最終日にあたる火曜日でありました。
ともに、男女の恋愛の機敏を、ある意味リアルに描いたオペラ。
女性に翻弄される男たち?
ズボン役が活躍することでも共通。
とても考えられた上演の仕方だと思います。
若杉さんの後を継いだ、尾高さんの初回からのヒットではないでしょうか。
サロメのあと、モーツァルトの音楽を理想としてオペラを書き続きたシュトラウスであるからゆえ、音楽的にもこの2作を並べるどおりは筋が通ってる。

さらに思えば、この1週間に、アラベラ→トリスタン→フィガロと3作を観たわけで、モーツァルト、ワーグナー、シュトラウスという、ドイツオペラの本流の系譜を逆にたどることで、わたくしのそこそこ永い音楽鑑賞歴のなかでも、特筆すべき出来事であったと思う次第なんです。


アルマヴィーヴァ伯爵:ロレンツォ・レガッツォ 伯爵夫人:ミルト・パパタナッシュ
フィガロ:アレクサンダー・ヴィノグラートフ   スザンナ:アレナ・ゴルシュノヴァ
ケルビーノ:ミヒャエラ・ゼーリンガー      
マルチェッリーナ:森山京子
バルトロ:佐藤泰弘                バジリオ:大野光彦
ドン・クルツィオ:加茂下 稔            アントーニオ:志村文彦
バルバリーナ:九嶋香奈枝

     ミヒェアエル・ギュットラー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                        新国立劇場合唱団
     演出:アンドレアス・ホモキ
                            (2010.10.19@新国立劇場)

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新国のフィガロの定番となった、ホモキ演出のプロダクション。
2003、2005、2007に次いで4回目の上演だけど、私は今回が初めて。
もっと早く観ておくんだった。
この完成された、汲めども尽きぬ魅力があろう演出を実体験してまずそう思った。
ホモキ演出を観るのは、まだこれで4作目だけど、いわゆる読み替えの強弱は作品により様々されど、そんな表層的なことこだわらずに、人物たちの心理に即したこと細かな描写や場面の鮮やかな急展開、そして、そう来たかと思わせる落とし所の意外性とその納得感。
スピード感と若々しさ。演じる側の負担も大きいかもしれないが、観る側からしたら、息も切らせぬ舞台に目を離せないし、既知のオペラがこの次どうなっていくだろうという憶測の楽しみも味わえる仕組みとなるわけだ。
 効果ねらいのへたな読み替えは、面白さはあっても、有名オペラ以外は、へたすりゃ慣れない方の誤解を生むだけとなるが、ホモキ演出は、あらゆる方に等しく訴える力を持っていると思う。(でも、西部の娘はよくわからなかった・・・・)

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ホモキも述べているように、フィガロは、モーツァルトが貴族という体制批判に託した先進の思いを、時代設定を廃して「非歴史的空間」としたことで、鮮明に打ち出している。
オペラの開始前から、舞台には、狭小な四角い枠が据えられ、この中でドラマが始まるのであるが、舞台装置は、ホモキお得意の段ボールと後に出てくるクローゼットのみ。
最初は、登場人物たちは、領主・婦人・使用人・お小姓・領民などの立場の枠組みをしっかり持っていて、それぞれがそうした衣装をまとっている。
それが、フィガロとスザンナが領主権復権を狙う伯爵との対立軸に立ち始めると、壁の一方が崩れ、天井が少し開き、舞台も斜めに傾いでしまう。
さらに伯爵が形成不利となってくると、壁はさらに開き、天井もさらに空く。
最終幕の、庭園での取り違えのドタバタでは、登場人物たちは、端役にいたるまで真っ白な衣装になってしまい、立場の境がなくなってしまう。
貴族や領主云々ではなく、男と女、そして人間でしかなくなってしまう。
ある意味、モーツァルトの持つ音楽の普遍性を突いた完全なる舞台ではないでしょうか。

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人物たちの細かな動きに目が離せないのと同時に、少数ながら登場する領民たちの動きも一人一人が役者的な能力を要求されるくらいに細やかで、見ごたえがある。
引っ越し途上の段ボールを序曲のうちに運ぶのもそうだし、フィガロの場合は男子が、ケルビーノには女子が、という具合に愉快に取り囲むのも領民たち。
そして、ケルビーノの軍隊行きを過剰なまでに揶揄するのも男子領民たち。
ケルビーノを取り囲んでぼこぼこにしちゃうし、進軍には、デッキブラシを使って銃となし、彼を壁に立たせて銃殺もどきのパフォーマンスを見せてくれちゃう。
モテ男、女たらしとしての存在を際立たせた演出ならではの男の嫉妬場面。

人物の感情表現が、例えば、手近の壁を叩いたり、床を踏みしめてイライラを表出したりと、問わず語り的な日本人の感情表現と違って、はっきりしているところも、オペラではわかりやすい動きかもしれない。

終幕で、伯爵が間違いを悟り、ペルドーノ・・と婦人に許しを乞う場面。
混乱の中から、即転で、神妙な音楽に転じるモーツァルトの音楽の神がかりの場面だけど、ここから終結までは、さほどの動きはなく、わたし的には消化不良。
全員が同じ衣装でそろって仲良く大団円なのだけど、もう少しひねりが欲しかったかも。

今回は舞台の細かな記載はしません、というかできません。
もう一度観てみたいホモキのフィガロですが、このプロダクション、4回目となると、このあたりで打ち止めかも。

歌手の若々しさと、太っちょさんが一人もいない、スマートさとキレのよさは、チームワークとしても完璧ではなかったでしょうか。
多彩な多国籍チーム。
イタリア人、ロシア人、ギリシア人、オーストリア人、日本人。
ワーグナーやシュトラウスだったら、ドイツ・北欧・アングロサクソンなどの方々が多いが、モーツァルトは民族を問わずの多彩な顔ぶれも問わない普遍性がある。
 みんな強い個性はないけれど、明るい声の持ち主で、各所に散りばめられた名アリアをそれぞれ完璧に歌って、素直に、「あぁ、いい音楽だ、美しい旋律だ」と思わせてくれる歌唱だった。
演技もそれぞれうまくて、的確。
各人、調べたら、皆さんそれなりに活動してて、映像もあるし、HPもある歌手もいたりで、まだまだ知らない実力派がいるものだと思ったりしてる。

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一番気にいったのは、ゼーリンガーのケルビーノ。
粒立ちのよい品のいいメゾの声で、ビジュアル的にも可愛くて、あのキルヒシュラーガーを思い起こしてしまった。
ロシアのソプラノ、コルシュノヴァはスタイルが抜群で、スーブレット的なてきぱきスザンナというよりは、もっと女性的な存在として見えて、その歌もそうした感じに聴こえた。
ギリシア的なエキゾチックなくっきり美人、パパタナッシュは、銀髪の鬘だとやや違和感あったけど、最後に鬘を外して黒髪で出てきたときはかなり美しくて、目を見張ってしまった。その歌唱は存在感あったけれど、低い方にややクセを感じたけどそれもまた微細。
前回上演では、あのカワユイ、コヴァレフスカが婦人を歌ったみたいだから、ほんとうに悔やまれます。
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 伯爵は、その前回に続いてのレガッツォ。この人は素晴らしい。
明るめのバリトンで、アクはまったくなく滑らかでありながら伯爵の押し付けがましさも歌いだしていたと思う。
その対比としてのヴィノグラートフのフィガロも、ロシア人とは思えない明確な歌い口。
伯爵との声の対比では、どうかとも思われたが、その姿とともに若々しい声によるフィガロでありました。
 日本人歌手による他の諸役は、ずっと定番の方々で、まるでなりきり状態。
こうして、脇をしっかり固めているからこそ、舞台が映えるのですな。
なかでも、気にいったのは九嶋さんのキュートなバルバリーナ。

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指揮は、ドレスデン出身の若いギュットラー
氏のHPはこちら(ローエングリンが鳴りますのでご注意を)
この人、何気に登場したとおもったら、やたらとアルミンクばりのイケメンなんですよ。
隣にお座りの殿方が、「おぅ、いい男だなぁ」な~んて言ってましたよ。
そればかりでなく、指揮は完全暗譜で、指揮の半分以上は舞台を見ながら、でもオケには驚くほど的確に、そして弾むように指示をだしていて、舞台とピットを完全に掌握している。
休憩中に指揮台を見たら、確かに何も置いてない、まっさら。
早めのテンポで終始流れの良さと、リズムの良さを感じさせてくれて、一方で情感にも欠けておらず、完全に舞台の出来事とオケが一体化。完全な劇場のカペルマイスター。
ヴィブラート弱めの透明感あるサウンドを、お疲れの東フィルから引き出してました。
そうそう、神奈川フィルファンとしては、浅めのピットなので、コントラバス主席の黒木さんの活躍ぶりが、真正面にうかがえて嬉しいのでした。

精緻な美しすぎる造化の妙のR・シュトラウス。
人間の本能をくすぐり麻痺させてしまうまでのワーグナー。
表面上の美しさを超えてしまった無垢で永久なるモーツァルト。

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あぁ、こんなに忙しいのに、仕事も大変な状況なのに、こんな素晴らしいオペラたちを短期間に楽しんでしまった罪なワタクシでございました。

 

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2010年10月17日 (日)

ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 沼尻竜典オペラセレクション

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昨年の「ルル」に続いて、2度目のびわ湖ホール。
ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を観劇。
今回の席は2階レフトのバルコニー席。
隣の人が乗り出さなければ、舞台全貌がよくわかる良席。そして、幸いじっとしてる方でしたので安堵。しかし、カーテンコールには、お尻が落ちちゃうくらいに、乗り出しての熱烈拍手で、こっちは何にも見えないよ。
それと、飴食い多数。うるさい。

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しかし、本当に美しいホールです。
都内のせせこましい場所では考えられないことであります。
こういうところで、日常的にオペラが観れたら幸せなことだけど、客数の多さから止むをえないことながら、文化芸術東京一極集中は、こうした素晴らしいホールを訪問するにつけ、もっと振り分けられないものかと思ってしまう。

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  トリスタン:ジョン・チャールズ・ピアース  イゾルデ:小山 由美
  マルケ王:松位 浩              クルヴェナール:石野 繁生
  ブランゲーネ:加納 悦子           メロート:迎 肇聡
  牧童 :清水 徹太郎             舵手 :松森 治
  若い水夫:二塚 直紀

    沼尻 竜典 指揮 大阪センチュリー交響楽団
               びわ湖ホール声楽アンサンブル
               東京オペラシンガーズ
    演出:ミヒャエル・ハイニケ
                     (2010.10.16@びわ湖ホール)

ザクセン州のケムニッツ劇場で2004年に制作されたプロダクションを借り受けての上演。
そしてなんといっても、ワーグナーやシュトラウスのメゾ役には欠かせない小山さんが、イゾルデに挑んだこと。
ドイツでも、是非イゾルデをやったらと勧められていたという小山さん。
まさに満を持してのイゾルデ挑戦。これは観ない手はなかった。
ワーグナー・ヘルデンテノールとして活躍のピアースも聴いてみたかったし。

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その小山イゾルデ。どう聴いても、どこをとっても小山由美
ついつい聴き親しんだ、これまで聴いたフリッカやオルトルート、クンドリー、ブランゲーネなどのイメージを思い浮かべてしまう、いつもの小山さん。
姿勢正しく、キリッとした出で立ちは小山さんならではで、1幕前半の怒れる居丈高なイゾルデの雰囲気がバッチリ。
2幕の恋に夢中の情熱的なイゾルデとしては、以外に冷静な存在に感じ、観るこちら側にも軌道修正が必要だったが、3幕でトリスタンのもとに駆け付けてきて茫然としてやがて恍惚境に入ってゆく。そんなさまが、小山さんはまったく堂に入っていて、ここへ来てついに小山イゾルデの真骨長を見た思い。
そして、その歌は、高音が苦しいのはやむなしとして、でもこのあたりは今後歌い込めば解消してゆくのではと思われるが、小山さんの持ち味は決して絶叫にならない気品ある強い声で、クリアな明晰さもあるから聴いていて非常に安心感がある。
「愛の死」は、感動的なまでの名唱でございました。
さらに歌い込んで、日本の誇るイゾルデになって欲しいと願ってやみません。

トリスタンのピアース。1幕で背を向け海を見守る大きな背中に本格的なものを期待し、「え、イゾルデ?」の一言で、おっ、これはいいぞ、と思った。
・・・のもつかの間。
この人、全然だめ。
不調だったのかどうかしらないけれど、声は全然届いてこないし、独白的なヶ所はまだいいが、歌が歌えてない。バイオを見ると、ワーグナー諸役やオテロを始終歌っているけれど、どういうこと?
http://www.youtube.com/watch?v=TlcaZN2TFog&feature=youtube_gdata

youtubeに、ピアースのトリスタンがあったから、聴いてみてください。
これよりひどかった。やっぱり体調でも悪かったのか?
しかも大男で、動きも鈍重でキレがないから、しゃっきりしてた小山さんの動きと好対照。
3幕の長丁場で、「あぁ、イゾルデ・・・」と夢見るところなんて、ヘロヘロだった。

ほかの3人は、実に素晴らしい。
声量も、歌のうまさも、独語の確かさもばっちり。
マルケの松位さんの、深々としたコクのあるバス。
まるでF・ディースカウのような歌い口のうまさを見せたクルヴェナールの石野さん。
いつもどこかで聴いている加納さん、彼女のブランゲーネ、ほんとうに素敵でした。
彼女、こんなに立派な声だったんだ。ディクションも明晰で完璧。
その他の方々も、主役たちを盛り立て、メロートなんて、演出の意図もあって、とても重要な動きをしていましたし、さんという明るめのバリトン、よかったです。

終始早めのテンポを崩さずに、流れのよいトリスタンを作りあげた沼尻さんとセンチェリー
オケの精度の高さに、正直驚いたけれど、音は意識して抑えていた様子。
小編成かと思われたけれど、カーテンコールでオケ全員が舞台に上がり、そのフル編成ぶりにびっくり。
指揮者の腕の確かさを確認した次第です。
いま風のもたれないスッキリ系のワーグナーは、好きです。
日本人らしく、あっさりした醤油系のトリスタンは、トリスタンを除いた歌手たちとぴったり符合してます。
年2回の沼尻オペラ。民営としてこぎ出すことになったセンチェリー響にとっても、オケピットの仕事はこのオケの特徴づけとしても今後大事な仕事でありましょう。

さて、演出は。変なことしてないだけに、まぁよかったけど。
いろんなトリスタンを映像も含めて、楽しめるようになったけれど、今回はちょっと個性が薄め。

第1幕
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全幕にわたってベースとして登場するのは、なんと、ヴァンフリート荘。
ややチャチな造りの館が前奏曲から幕が開いて前面にあることが確認できる。
前奏が終わると、それが上にせり上がって、今度は館の内部の部屋のよう。
ソファに荘にあってワーグナーが弾いたと思われるピアノが置かれている。
部屋の向こうは、ガラスドアを隔てて、船の舳先で、その先は海のようである。
ブランゲーネが、女主人の伝言を持って舳先に腰かけるトリスタンのもとゆくと、舞台装置は半回転して、ブランゲーネ・クルヴェナール・トリスタンのやり取りが見える仕組みで、のこり半分の部屋の中で、イゾルデが気にしてそわそわしてるのも見える。
で、舞台上部に、10に割った巨大な長方形の鏡面が斜めに吊るされていて、下の動きを映し出している。この鏡は、全幕そこにあり。
媚薬を調合したブランゲーネは、二人が盃を交わし合うまでそこにいて立ち会っている。
朦朧とした二人のもとに、メロートとマルケが来るが、早くももたれ合ってる二人を見つけてしまうことになる。

第2幕
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ここでも、安普請のあの館が。そこから顔を出したりひっこめたりして、イゾルデとブランゲーネはやり取りしている。なんかせせこましいです。
その館がまた上にあがってしまうと、舞台には何もなくなってしまい、そこで長大な二重唱が歌われる。
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二人は過剰にベタベタすることなく、ちょっと距離を置いて、例の観念的なセリフを歌うのだが、夜の帳が下りる頃になると、舞台奥に丸い黒い影のようなものがゆっくりと降りてきて、その後ろは赤く染まっていて、なかなかの美しさ。
 ところが、マルケご一行が踏み込んでくると、後ろの●は、さっと落ちてしまう。
それは、布でできたのです。後ろはグレーで、亀裂のようなものが走っている。
剣を抜いたメロートは、同じく剣を構えたクルヴェナールに牽制されていて、さらに素手のブランゲーネから追い込まれてしゅんとしてしまう。
トリスタンは、剣を構えるが、戦わずしてメロートの長剣に飛び込んでしまい、大柄のピアースは、どっすんと倒れるのでありました。

第3幕
なんという閉塞的な空間。そう、トリスタンが小さなベットに巨大な体を横たえるのは、ヴァンフリート荘の書斎。ピアノもあるし、図書棚には本がぎっしりで、階段を上ると、上には物見の牧童がいる。
またもやせせこましい場所において、トリスタンは愛の渇望に苦しむのであるが、ほんとに息苦しい。声も出てないし、すっきりしなくて欲求不満が募る。
 イゾルデの到着とともに、その館は今度は下に沈み、2幕と同じ舞台に戻る。
トリスタンは、イゾルデに手を差し伸べるが、彼女の手に届かず息絶えるが、この場面を段差を使ってうまく表現していた。
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クルヴェナールはメロートをたやすく仕留めるが、マルケ王にやられてしまう。
普通はお連れの兵士にやられるのに、こんな展開初めてみた。
 浄化しつつあるイゾルデとトリスタンの亡きがらは、徐々にせり上がっていき、スポットを浴びたイゾルデの神々しい姿とともに幕を下ろす。

こんな概要ですがね、ヴァンフリート荘の意図がわからないけど、まぁあんまり深い意味はなさそう。(な気がする)

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これまで、かなりのトリスタンを観てきたけれど、ホールの規模や親密な雰囲気から、一番気楽に楽しめたトリスタン上演であったように思う。
優れた日本人歌手ばかりだし、こんな上演を安い価格で始終観れたらどんなに幸せだろう。
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頭の中に、トリスタンの音楽を響かせながら、ジャズの音色が遠くでこだまする夜の琵琶湖を散策して帰りました。

(画像は、びわ湖ホールとケムニッツ劇場関連HPから拝借しております) 

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びわ湖「トリスタン」紀行

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 びわ湖ホールで上演された「トリスタンとイゾルデ」を観劇に、日帰り楽旅してきました。
極力安く行こうということで、新幹線は使わず。
行きは、マイレージ使用で伊丹空港からバスで京都入りして、JRで大津まで。
帰りは、京都から夜行バスで東京駅に早朝着。
朝帰りの日曜、寝不足でボーっと歩くワタクシに、ご近所の視線が痛い。
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大津では、こんなゆるキャラ発見。「ちま吉」君でござるよ。
1週間前の大津祭の曳山から投げられる「ちまき」をイメージしたものだそうな。
ちま江、ちま太郎、ちま二郎、ちま三郎、ちま犬・・・・、たくさんあり。

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街ではジャズ・フェスティバルも行われていて、いたるところでライブ演奏中。
いいねぇ~。先週は、横浜もジャズだったし。
ジャズライブ中の曳山会館を見学し、浜の方へ降りて食事。
Sukiyakidon1
焼肉屋さんで、近江牛のすき焼き丼@1000円+ビール。
県民ショーに出てきた「赤こんにゃく」も入ってます。
が、しかし、忘れておった。関西のすき焼きの甘さを。
私の奥さんの両親は滋賀県なので、めったにやらないけど、我が家のすき焼きも関西風なんです。大量の砂糖と醤油で煮込む方式は、割りしたで育ったわたくしの口には合わないのですよ。
トリスタン観劇中も喉が渇いてしょうがなくて、幕間のドリンクがやたらとおいしかったんだ。
ちなみに、この日のオーケストラ、大阪センチュリー響と因縁の某府知事もいらっしゃっていて、私の真横で、にこやかに赤ワインを飲んでましたよ。近くで見ると若いねぇ。

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終演後は、湖畔を散策しながら大津駅。ジャズライブはまだやってまして、その響きがどこまでも聴こえて、いい感じ・・・、でも、こちらは頭の中がトリスタン状態だから勘弁してね。

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駅前には、こんなきれいな噴水イルミが。
バスの出発は0時過ぎ、それまで京都駅周辺で飲んで過ごすことに。

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 おばんさいの店で食べた、若狭カレイが絶品でございまして、日本酒たくさん飲んじまいました。
こんなに飲んでバス乗って大丈夫かな、と思いつつも飲んでるし。

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仕上げは、第1旭でラーメン。
九条ねぎがしこたま。
ここでもビール。

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バスは、3列で、お隣とは通路とカーテンで仕切られていて、死んだように眠ることができるんです。大阪・京都から横浜を経由して、@6800円。

朝から、腹いっぱい、早朝の東京駅に降り立ち、これから旅立つ人々を尻目によたよたと、自宅に向かうさまよえるクラヲタ人なのでした。

オペラ本編はのちほど。

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2010年10月15日 (金)

R・シュトラウス 「アラベッラ」 新国立劇場公演

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新国立劇場シーズンオープニング、R・シュトラウス「アラベラ」を観劇。
全部で6回上演のうちの5回目。 熟してきてます。
アラベラ関係の記事・ブログは、読みたい欲求を抑え込み、白紙状態で迎えました。

ところで、いつから「アラベッラ」になったんだ?
独語読みをしたら確かに「アラベッラ」かもしれず、抑揚を付けずに「アラベラ」というより「ベ」を強調して呼ぶとそれなりに聴こえる。
でもなんだかなぁ~、長年親しんだ「アラベラ」がいいぞ。
タイトルのみ新国さまにならって「アラベッラ」とさせていただきます。

平日のせいなのか、演目のせいなのか、わたしは、大好きなシュトラウス作品のひとつでもあり、おおいに楽しんだが、劇場の雰囲気はややクールで反応弱め。
幕間も皆さん静かで、このオペラのことや、シュトラウスのことを語っている方も少なめ。

咋シーズン・オープニングはオテロ、その前はトゥーランドット、さらにその前がタンホイザー。
そうなると、次は必然としてシュトラウスsign01

でもやっぱり、シュトラウスでも「アラベラ」くらいになると馴染みが薄いのと、このオペラは淡々とした劇の運びだから、盛り上がらないのか。
シュトラウスの好んだ女性が主役の揺れ動く心情ドラマ。
そこにつけられた精緻でクリスタルのように美しい響きと洒脱な音楽。
純情なる姉妹の愛が突然現れた田舎王子様や日頃近くにいた男性によって成就するという、いわば日本人好みのわかりやすいシナリオ。
しかも、そこに放蕩だけど娘を愛する親父や、その親父を憎からず支える母親も出てくるからよけいに私たちの感性にぴたりとくる。
 静かな劇場の雰囲気は、もしかして皆さんシミジミと劇と音楽に浸っていた証しなのでしょうか。大騒ぎするような内容のオペラじゃないし。

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   アラベラ:ミヒャエラ・カウネ    マンドリーカ:トーマス・ヨハネス・マイヤー
   ズデンカ:アグネーテ・ムンク・ラスムスッセン
   マッテオ:オリヴァー・リンゲルハーン
   ヴァルトナー伯爵:妻屋 秀和   アデライーデ:竹本 節子
   エレメール:望月 哲也       ドミニク:萩原 潤
   ラモラル:初鹿野 剛         フィアッカミッリ:天羽 明恵
   カルタ占い:与田 朝子

     ウルフ・シルマー指揮 東京フィルハーモニー交響楽団
                   新国立劇場合唱団
                   合唱指揮:三浦 洋史
     演出:フィリップ・アルロー
     衣装:森 英恵
                        (2010.10.14@新国立劇場)


愛すべきオペラ「アラベラ」。
シュトラウスの15のオペラは、みんな好きだけれど、この作品は、ばら騎士・カプリッチョ
・影なし・アリアドネなどとともに、上位にあるオペラ。
あっ、ダフネもダナエも、インテルメッツォ、無口も・・・・あぁ、みんな大好き、気の多いわたくしです。
ともかく、当ブログでは何度も書いてますが、オーケストラ作品以外、オペラのシュトラウスをなんでも聴きこんで欲しいと思ってます。

字幕を見ながら観劇して、つくづく思うのは、あたりまえのことながら言葉と音楽の不可分性。
そんなことは当たり前のことながら、ワーグナーはライトモティーフの高度な手法によって人物や、その心情・背景も雄弁に描きつくした。
シュトラウスは、音楽もそのひと手段として、音によるリアルな描写を極めたわけで、今日のオペラを見ながらも、人物がちょっと勇ましい言葉を口づさめば、音楽はそれに合わせて急変したり、場合によってはある楽器にちょろっとそれ風の色合いを出してみたり・・・。
全曲のすべてに渡って、毛細血管のように、このような仕掛けが微細に施されていて、精密な音楽が出来上がっているのだ。
 だから大まかに見ると、アラベラには達観したかのような透明感あふれる雰囲気が、ズデンカちゃんには、かわいい、でも中性的な曲想が、マンドリーカには大胆かつ野性的かつ純なムードが、マッテオ君には、一方的な情熱が・・・・。
こんな要素が、その時のムードに応じて絡み合って出来上がっている。
・・・・、そんな風に思いつつ観劇するゆとりもございました。

で、まず自分が感じた全体像を総括しちゃうと、歌とオーケストラは◎、演出は○、衣裳は△、といった感じです。
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アルローは、新国アンドレア・シェニエをまだ観てないので、今回が初アルロー。
大成功だったバイロイトの「タンホイザー」の舞台写真で観知っているイメージは、曲線のうまい活用と、カラフルな舞台カラー。
そして、今回の「アラベラ」の舞台も、ともかくカラーが美しい。
全体のイメージは「ブルー」。それを基調色として、彩なす舞台はとっても美しかった。
そして、曲線もまんま曲線で回廊に巧く使っていたが、手すりがシンプルだったり全体が簡潔すぎて見た目、機能的すぎでもあった。
このあたりは、緊縮予算も影響してのことだろうか・・・・。
時代設定を1860年のウィーンから、1930年頃のウィーン、そう、シュトラウス作曲当時のナチス台頭の一番きわどい時期。でも芸術・文化が爛熟期であった頃に移しての演出。
 

こうした時代設定の移し替えは非常に自然で、違和感はなかった。
しかし、これまでの豪華な舞踏会やもったいつけた社交の場面などの舞台に慣れ親しんできたので、この殺風景な舞台は物足りなく思えたのも事実で、すべて白日の元にさらされてしまって風情不足か。
恋人達4人は、それなりにシリアスな存在として、描かれているが、それ以外の人物達は、背景の衆も含めてコミカルで、その動きもわざわざ滑稽な存在になっていたと思う。
このオペラにはそうした側面があるのは事実で、恋するカップルたちを際立たせようとの意図であろうか。 しかし、過ぎたりは及ばざるがごとしで、背景にうごめく衆人らが、シュトラウスの美しい音楽を相殺してしまっていたように思える。
パンフレットには、アルローは、複雑なキャラ、ズデンカを主役に据えてもいいくらいと述べているが、彼女がそのように存在していたかというと、そうでもなかった。
それは、ちょっとぽっちゃりで、動きが女性的に過ぎたズデンカ役のラスムッセンによるところも大きい。
普段はあまり目にとまらないホテルマンとか、そもそも出てこない生真面目なメイドさん、マンドリーカの従僕トリオなど、面白い存在と仕立てたところが、ユニークなところ。
ことにメイドさんには泣かされてしまった。
常に気の毒そうに、ズデンカに同情していて、最後にパパ・ママと下着姿で自分の思いを遂げたこととの過ちを告白したときに、彼女はズデンカの小さな靴を抱えて出てきて、それこそ泣きながら涙ながらに靴をはかせるんだ。これにはお父さん、まいりましたよ。
あと、気になったのが、タバコ。
みんなやたらと、プカプカと煙を出して吸ってます。
こんなことができるのは、電子タバコのおかげだけど、タバコを嗜まないものとしては、見てるだけで苦しい。
それに、そんな姿がカッコよく映るもんだから、禁煙しようとしてる方々には毒だし悪影響ですよ・・・・・。

このように、ピリっとしたアイデアは満載だけど、ちょっと消化不良の演出。

わざわざ森英恵に託した舞台衣装。
ブルーのアラベラのドレスやマンドリーカのカッコイイスーツ、ダンサーたちのせくしぃ~なおみ足強調など、個々にはさすがと思わせるものばかりだったけれど、かえってそれらが浮いてしまう結果になったのでは。
先に記した衆人たちも、色とりどりなものだから、舞台の色彩が拡散しすぎてしまい、落ち着きがなくなった。

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歌手の皆さんは見事。
光っていたのは、パパママ。どちらも日本人歌手として、主役たちに全然ひけをとっていない。特に、久々の普通の人間を演じた妻屋さんの本場仕込みの独語の見事さと役作り。
竹本さん、マーラーのメゾなどで欠かせない人だけど、豊かな声で、しっかりした母キャラも見事に打ち出してました。
天羽さんのコロラトゥーラも完璧だし、歌に気持ちが宿ってましたよ。
 さて、肝心の主役たち。
その存在感からして、マイヤーのマンドリーカが際立っていて、最初のワイルドな登場ぶりからして先の悩めるヴォツェックの強いイメージを払拭してしまった。
豊かな声量と性格表現の確かさとを兼ね備えた心地よいバリトン。
FMでパリでのウォータンを聴いて感心したけれど、この若々しいバリトンは今後注目であります!
 カーテンコールで、マイヤーが一番ブラボーを浴びてしまい、トリに出てきたアラベラのウネには、ブラボー少なめで、ちょっと気の毒。
清楚なビジュアルと清潔な歌唱は、まさに正しいアラベラだったけれど、ちょっと地味な感はぬぐえなかった。これは、演出の意図も影響してたかも。でも彼女、美しい方です。
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 ズデンコ君=ズテンカちゃんは、北欧出身のラスムッセン
可愛いけれど、ズデンカっぽくないかも。ツィトコーワがよかったなぁ・・・。
声の力では姉を上回り、繊細さでは姉の比でない、という感じ。でも彼女、かわいい方です。
 痩身でしゅっとした、リンゲルハーンのマッテオ。最初は情熱に満ちた輝かしいテノールだったけど、後半は苦しかった。
求愛3紳士は、意外とこのオペラのキモでもあるが、望月・萩原・初鹿野の3氏はいずれも素敵な振られ男ぶりでした。

最後にオーケストラ。
お馴染みとなったシルマーの指揮は的確で隙なし。
オペラ指揮の手だれとして、全体をてきぱきと統率してゆく技は見事なもので、シュトラウスの千変万化する音楽を巧みに描きつくしていたと思う。
あとは、舞台にあふれる色彩に反して、オーケストラの色と香りの不足。
こればかりは、いかんともしがたいかもです。
ちなみに、休憩中に指揮台を覗きこんだら、シルマー氏の指揮棒は、持ち手の部分にコルクのようなものがなく、巨大な箸みたいだった。

舞台の様子をごく簡単に。

1幕
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ホテル住まいの破綻寸前のヴァルトナー伯爵家の一室。
ブルーの壁には、クリムトの有名な絵が4枚かかっている。
左手にドアが4つあり、そこから家人たちが出入りするほか、奥は入り口で、そこが明るくなることで、来訪者がわかる仕組み。
アラベラは、毛のマフに両手をくるんで登場し、オーバーを脱ぐとズボン姿。
そして、右手には、ブラインドがかかった窓があって、アラベラとズデンカのえも言われない素敵な二重唱のときに、アラベラがそれを開くと、外は雪が降りしきっているのだ。
これは美しい。
 マンドリーカがヴァルトナーのもとに登場したときは、彼はキツネの効果な毛皮を首に巻いていて、鞄を持ったお供3人。地所を示すのに大きなカラー地図を広げてました。
これを見て、ウォーナー・リングの地図を思ったのは私ばかりではないかも・・・・

第2幕
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真ん中の回廊から下り立つアラベラ。
青と青系カラーで埋め尽くされた真っ青の舞台。
空には満天の星と、満月が光っている。雪が止んだんだ。
アールデコ風でもあるが、ちょっと安普請。予算ないもんですんません的。
左右はカフェになっていて、真ん中でいろんなことが進行してるのに、ヴァルトナーはずっとカードにふけってる。(もちろんタバコもくもく・・・・)
 二人の恋人の出会いと、告白の素晴らしい二重唱は、この舞台の前にこれまたブルーの紗幕カーテンを引いてそこで行われるが、後ろの出来事が丸見えなので、落ち着かず。
階段でご夫人が、気分を悪くしてうずくまってる。これが気になってしょうがなかった。
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フィアケルミリはこれでいいのでしょう。
お決まりの役柄だし、ブルーの中に際立つ赤。
モエ・ド・シャンドン(シャンパン)は少なめだし、中は空でリアル感なし。
まき散らす花も白だけで、ちょっと華やかさがない。
台本では、街中の花屋から買い占めて、ばらや紅白の椿を撒くはずじゃなかったかな?

当時流行の記念写真が何度もフラッシュを焚いてました。
空の月は微妙に位置を変えてます。
マンドリーカの心情を映すかのように。

第3幕
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なかなかに美しい3幕のホテルのロビー。
吹き抜けの空には、夜も更けて、今度は雲行きが怪しくなって雪が舞っている。

階上が部屋になっていて、マッテオはズボンからシャツをはみ出しながら、タバコをくゆらし事致した満足感に浸っている。
アラベラが楽しそうに帰ってきて、そのあとマンドリーカと両親が帰ってくるのだが、そのお供はカード仲間ばかりでなく、振られ組やフィアケルミリや踊り子さんなど、その他大勢が勢ぞろいしちゃう。
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こんな衆目の中で、気の毒なズデンコは女の子の正体を明かすわけだし、痴話喧嘩もみんなに丸見え。
涙誘う、先のメイドさんの一件があり、舞台は徐々に収束に向かうが、ここでも台本にはないと思われる占い師がちょろっと出てきて責められたりする。
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シュトラウスのオペラの大団円。
主人公の女性が、すべてを達観し、澄みきった心境に落ち着く。
絶美のオーケストラにのって、その心情を歌うが、階段にドレス、ブルー一色の中で歌うカウネのアラベラは本当に美しかった。
そして、シュトラウスの言葉にすることができないほどの美しい音楽。
わたしは、当然に涙ウルウル・・・・。

婚約のしきたりたる、グラス一杯の水。
マンドリーカが飲み干し、派手にグラスを投げて割る。
いいですね、この展開。
私が観てきテレビ放送やDVDは、アラベラは「あるがままの私を受け止めて!」と歌って、階段を駆け上がり、それを喜びの顔で見送るマンドリーカで幕になるケースが多かったように記憶してます。
今回は、階段の中ほどで、ふたり熱く抱擁して、シュトラウスらしい洒落た急展開のエンディングとなった。
これもまたよし。心が熱くなった終結でした。

注文はいろいろ付けたけれど、なんだかんだで、素晴らしい上演でした。
なんといっても、R・シュトラウスの音楽が素晴らしすぎるのですからねnote

「アラベラ」の過去記事

 「ショルティ&ウィーンフィルのアラベラ」

 「ハイティンク@
グライドボーンのアラベラ」

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2010年10月13日 (水)

ベルリーズ 幻想交響曲 サヴァリッシュ指揮

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新鮮なホルモンとハラミnote

新橋の一部立ち飲みの焼き鳥・ホルモンの店。
もちろん安くてうまいんだな、これが。
先日、仕事仲間とここで飲んでたら、隣におじさんサラリーマン二人が座りました。
わたしより、ちょっと年上で、新橋ならどこにでもいるオジサンって感じ(私も)。
しばらくして、賑やかな店の中から、彼らの会話の一部がちらほら聞こえてきましたよ。
そしたら、テンシュテットがどうのこうの、ベルティーニがどうだ、バーンスタインだとかの単語が聞こえるじゃないの。
想像するに、マーラーを語っているみたい。
でも、ちょっと古いのよね。そう、完全に私の世代っぽいマーラー受容歴を語ってる。
新橋のこんなコアな場所(となりは風俗よ!)で、テンシュテットなんて言葉を聞くなんて・・・・。アバドは?メータは?レヴァインは?と突っ込んでやりたかったけど。
念のため、知ってる人か顔覗いてみたけど、見知らぬオジサンでした(笑)。


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月イチ幻想シリーズ
10月のベリリオーズ「幻想交響曲」は、サヴァリッシュスイス・ロマンド管弦楽団の非正規ライブ録音ですっ。
昨日は、このコンビによる唯一の正規盤の「わが祖国」を聴いたのだけれど、こんどはオーケストラの側に伝統があって、ドイツ一辺倒的なイメージがあったサヴァリッシュがオケの方に寄り添ったかのようなレパートリーなので、その内容はいかに。

67年にアンセルメ退任後、クレツキが3年間後をつとめ、70年から80年までがサヴァリッシュ時代。
その間、正規録音は、昨日のスメタナのみ(ほかにあったらご教示いただければと)。
そのサヴァリッシュがスイス・ロマンド管を引き連れて来日したのは、1976年のこと。
テレビとFMで放送され、エアチェックもしたわたくし。そのテープは残念ながらもうないけれど、曲目はよく覚えていて、それは「田園」&「幻想」の二本立て文化会館だったのであります。そして、たしかアンコールが「ラ・ヴァルス」だったような記憶もあります。
 もう毎年のようにN響に客演していたサヴァリッシュだけど、そのレパートリーは純正ドイツものばかりで、ドイツの正しい指揮者というイメージがしっかり植え付けられていた中で、スイス・ロマンドとの来日で「幻想交響曲」を取り上げたことに、新鮮な驚きを感じたのであった。
のちに、確か84年N響定期でも「幻想」を指揮していて、こちらはCDR化してあるものの、今回は探すのが大変なもので確認せずです。
その時は、ショスタコの5番とか珍しいレパートリーを披露していたので、円熟とともに、フランス、ロシアものも進んで手掛けるようになったサヴァリッシュ先生なのです。
歌劇場の総裁という重圧や多忙から解き放たれつつあったこともその要因かもです。

今日の演奏は、1973年、モントルーでの演奏で、まずまずのステレオ録音でして、鑑賞に支障はございませぬ。
慎重な出だしと、几帳面さに終始した1楽章だけど、主部の盛り上げかたや、旋律の美しい歌わせ方はやはり名手サヴァリッシュと思わせます。
2楽章のワルツは、インテンポで貫き通すものだから端正ではあるものの、優雅さはもちろん、面白みに欠ける。
3楽章では、録音のせいか、オケのせいか、なかなかに鄙びた雰囲気が出ていてまさに田園情緒を感じるのであります。
木管の音色は、あのアンセルメの時の録音のスイスロマンドとおんなじ。
フランス式の管楽器を使っていたのでしょうか。
断頭台行進は、これも録音のせいかおとなしめ。ラッパの拭き方も生真面目でありまして、これなら断頭台を踏み外すことなく、正確に昇り詰めることができるでしょう。
終楽章になると、いきなりアクセルを踏んでしまう先生。
あのお馴染みの鋭い眼光がキラリと光ってオケを煽ってゆくさまが目に浮かぶ。
でも、そこはサヴァリッシュ博士、基本冷静な中に、そうした情熱ギラリが顔を出す趣きなのでございます。
沈着な中に漂う熱気のうちに曲は堂々と閉じるのでございました。オシマイ。

Sawallisch
どう聴いてもサヴァリッシュの幻想交響曲。
わたくし、拍手も入れて、52分のシンフォニーを聴いた充足感に満たされております。
できれば、フィラデルフィアあたりで、ちゃんと録音して欲しかったサヴァリッシュの幻想でした。

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2010年10月12日 (火)

スメタナ 交響詩「わが祖国」 サヴァリッシュ指揮

Azumabashi
隅田川にかかる吾妻橋。
あるオフィスからぱしゃり。
ちょっと前ですから、いま現在とちょっと様子が違ってるかも。
う○この尻尾がちょろりと見えます。

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見え見えのこじつけですがね、こちらはヴルタヴァ川にかかるカレル橋。
真ん中の古いのがそうでしょうかね。
中世の雰囲気が残る黄金の街プラハ。行ってみたいデス。

 今日は、スメタナ交響詩「わが祖国」を。
そして、ずっとその復活を待ち望んでいた演奏で。
そう、サヴァリッシュ指揮のスイス・ロマンド管弦楽団の「わが祖国」がようやく手に入ったのです。しかも廉価盤です。
70年代後半にレコード発売され、あまり話題になることもなくその姿を消してしまい、外盤でCD化されたもののまったく見かけることなく、ずっと廃盤状態。
そーなると聴きたくてしょうがなくなるのが人情。
サヴァリッシュらしからぬレパートリーだし、音楽監督をしていたとはいえ、スイス・ロマンドとの貴重な録音でもあるということも渇望の要因。
1977年ジュネーヴのビクトリアホールでの録音。
このホールでの録音といえば、創設者アンセルメとスイス・ロマンドの黄金コンビによるデッカ録音をいやでも思いおこすし、あの分離のいいリアルな音は、ホールの響きの良さというよりは、音の粒立ちの良さを実感できるものだった(と思います)。
 アンセルメ以降、デッカに他指揮者による録音がいくつかあったが、音楽監督による正規録音はこのサヴァリッシュ盤が久方ぶりのものかも。
しかも、多分このコンビ唯一の録音かも。
おまけに、N響指揮者としてお馴染みのサヴァリッシュから次期指揮者がシュタインと引き継がれたこともあって、何だか愛着もあるスイス・ロマンドかも。
 こんな「かも、かも」が、連鎖してどうしても聴きたかったという点もあります。

まず一聴してみて気付いたのが、あのビクトリアホールの録音と思わせる響き少なめのリアル感。
やはり分離がとてもよく、左右、各楽器がしっかり別れて聴こえます。
そして少し音量を上げて聴いた方が、その印象が強まって、音楽の只中に身を置く感じが強まります。

そして何度か聴いてみての印象は、全体としては手堅く生真面目な演奏で、スメタナの音楽の伝えんとした要素が過不足なく表現されているように思えること。
 どこをとっても普通の最上の出来栄えといった感じで、余計なことはせずにただ音楽の力だけでもって誠実に聴かせてしまったような演奏に思った。
でも、そこはサヴァリッシュ。音楽造りがとてもスタイリッシュで、キビキビと進行し、歌うところは滔々と聴かせ、ドラマテックなたたみこみも充分あるので、だれることなく全曲の74分が進行する。
「高い城」や「モルダウ」もいいが、最後にゆくにしたがって、スメタナの思いとともに、ひたひたと熱くなってゆくように全体の構成感を捉えているようで、地味な後半の「ターヴォル」や「ブラニーク」が手に汗握るように迫真の演奏となっているんだ。
最終では、心が解放されるような大きな感銘を受けた次第。
オケのゲルマンでもなし、フレンチでもなし、といった不思議にローカル・インターナショナルなところがよい。
明るめの管楽器に、歯切れのいい金管、分厚いアンサンブルながら明晰な弦楽器。

サヴァリッシュ、シュタインともに、ジュネーヴ大劇場のオペラ指揮も兼ねていただけに、きっちりとした構成感豊かな演奏をこの素敵なオケに持ち込んだ指揮者たち。
その後の、ジョルダン、ルイージ、スタインバーグ、ヤノフスキと、いずれもユニークかつトレイナー的な指揮者が歴代で、いまでもなんだかとっても気になるスイス・ロマンドなんです。
しかも、ブザンソン優勝の神奈川県人・山田和樹君が、2012年より主席客演指揮者になることが決定しておりますから、ますますでございますな。

今週は、サヴァリッシュしますsign01


 

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2010年10月11日 (月)

今日のわんこ 3態

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今日のわんこ。
その1は、とある駐車場の車中。
けなげにご主人さまを待つワンコ。
でも、暑いんじゃないかい?
舌伸びきっちゃってるしぃshock

Wanko4jpg

今日のわんこ、その2も車中。
とあるラーメン屋さんで、ご主人がラーメンすすってるのをじっと待つお二人。
運転席と助手席。犬運転中、信号待ちしてるみたいだわ(笑)

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おっと見つかってしまった。
怪しい人物に容赦なく吠える助手席のわんこ2号。
1号はただ見つめるのみ。
こんなことなら、チャーシューの1枚も持ってくるんだった・・・・・。

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轢かれちゃったその3・・・・、じゃなくって、こちらは車外のわんこ(笑)
某スーパーマーケットの駐車場にて。

Wanko2

ひもでがっちり、つながれてますがね、お水も用意されていて、気持ちよさそうにお休みのわんこでありました。

やはり車中放置はかわいそう。
まわりに迷惑のかからない場所を選んで、その3の作戦が一番、わんこにとってもいいのでしょうねぇ。

ご主人を待ちわびる今日のわんこなのでしたぁdog

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2010年10月10日 (日)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 イシイ=エトウ指揮

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横浜の土曜日は雨だった。
横浜ジャズプロムナードが開催されていて、街のあちこちでジャズライブが行われていて、とても賑やかnote
人も普段の土曜日より多いみたいだ。
でも、みなとみらいホールはちょっと人が少なめ。
もったいないことだ。
気持ちのよい朗らかな演奏が聴けたのに。。

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  コープランド    「エル・サロン・メヒコ」

  ヒナステラ     ハープ協奏曲

              Hp:篠崎 和子

  ドヴォルザーク  交響曲第9番「新世界から」

   キンボー・イシイ=エトウ指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                     ゲストコンサートマスター:山本友重
                         (10.9@みなとみらいホール)

南北アメリカにまつわる音楽を集めた洒落たプログラムでした。
当初は有名名曲を中心に据えたプログラムに、最近よく目にする不思議な名前の日系指揮者ということで、あんまり気乗りしないコンサートだったのに・・・・。

ところがどっこい、冒頭のコープランドからして、オーケストラから明るく、明晰な響きを巧まず引き出すブレのない本格指揮者に目を見張ることにあいなった次第なのです。
人懐こいメキシコ民謡の歌わせ方、リズムの取り方、いずれも見事なものです。
ダイナミックレンジの広い10分程度のこの曲が、こんなに楽しく聴けたのは初めて。
帰宅後、手持ちの新旧バーンスタイン盤を聴き比べてみたけれど、そちらはリズミカルだけど、歌わせ方が濃厚で、重心も低く感じた。
昨日のエトウ&神奈フィルの軽やかで弾む演奏の方がよいぞ!
管のソロの皆さんも輝いてましたし、兄弟共演となった山本さんのコンマスのソロも美しかったであります。
ところで、エトウさんと呼んで、いいんですかねぇ?
パンフレット等の写真で見ていたのと大違いの親しみ溢れるナイスガイ。
友達によくいるタイプって感じです。


 次いで黄金色に輝くハープが中央に据えられ、オレンジの鮮やかなドレスの篠崎さんが登場。
そういえば、彼女のこのヒナステラの演奏、出光音楽賞の受賞で「題名のない音楽会」で見たし、録画した記憶ありますよ。南米ムードあふれる、すっごく印象的な音楽だったと。
で、その印象はさらに高まったと同時に、小柄な彼女が一たびハープを抱きかかえると、もう乱れ弾きのようにジャラン・きらリン・シャラシャラと見て聴いていて、そのパワーと没入感に圧倒される想いだった。
 忘れられようもない1楽章の特徴的な旋律で突き進む1楽章は、打楽器が楽しいし、おっとびっくり、ハープもその木の部分を手のひらと、拳で、交互に叩いているし。。
この楽章の後半は、曲は急に静まり静かに終わるのだけれど、その雰囲気のままに、神秘的な第2楽章へ。
これはなんだか、南米の森の中の静かな湖面を見るかのような気分。
ハープの長大なカデンツァで篠崎さんの繊細かつ鮮やかなタッチのソロが堪能できた3楽章冒頭。(いや2楽章の終りなのか、どちら??)
ハープの涼しげなシャワーを浴びるようだった。
一転して明るく開放的になるが、こちらは、オケがいろんなことやってて楽しい。
ハープもオケの一員のように、鍵盤楽器か打楽器かと思えるくらいに溶け込んで、大盛り上がり。ズドンと一撃で突然の終結。
 いやぁ、楽しかった。素敵なハープを聴かせてくれた篠崎さんにブラボー。
そして、前半にこうした日頃聴くことのできない演目を並べた指揮者・オーケストラを大いに讃えたいsign01

いまさら「新世界、されど「新世界、やっぱり「新世界」は名曲だったnote
手垢にまみれてしまったように感じてしまい、有名曲には不感症になっていたイケナイわたくしの初心を呼び覚ましてくれたような素晴らしい演奏でした。
第1楽章から、私の心は懐かしい想いと、この曲を初めて聴いたときの新鮮な想いに満たされたのです。
多くの方がきっとそうであるように、クラシックに目覚めた曲の一つが「新世界」。
小学校のときだから、もう40年以上も前のことですよ。
ケルテスとウィーンフィルのレコードを聴いたときのこと、その時の感動が、急に甦ってくるなんて。

エトウさんの奇をてらうことのまったくない素直な音楽づくり。
本格的でありながら、実は細かなところに目も行き届き、内声部の充実にもよく心がけていてまとまりが実によい。それでいて、出てくる音の清々しいこと。
神奈川フィルの持つ繊細で美しい音色をすんなりと引き出しているところも素敵なのです。
このオーケストラとの相性はばっちりのようで、評判も上々のようです。
オペラ指揮者としての素質が、オケのまとめ方、歌わせ方、どこにも溢れてます。
過激演出の多いベルリン・コーミッシュオーパーの常連だし、マグデブルク劇場の音楽監督に就任も予定されている実力派。
オーケストラとしては、しっかり押さえておきたい指揮者のひとりですな。

1楽章は繰り返しも行っていたけれど、早めの爽快テンポで40分くらいの演奏時間は決て飛ばした感じはなくって、歌うところはしっかり歌っていたゆえに大昔に聴いたムーティ日本デビューのときのようなスッ飛ばしたイメージはない。
ラルゴのイングリッシュホルンの名旋律を聴いて、はからずも涙があふれてしまったわたくし。弦が各部4人から、最後はトップによる四重奏となって静かになってゆくところも、やたらと感動してしまってどうしようもなかった・・・。
痛快な3楽章に次いで、出ました明るく前向きな想いにさせてくれるかっこいい終楽章。
終わって欲しくないと思いつつ、回想録のようにして曲を閉じ、余韻に浸ろうと思ってたら、指揮者がまだ手を降ろしてないのに、間髪いれずのバカブラボー。
これはいけませんねぇ。
アフターコンサートでも話題になって、妙に盛り上がりましたよ。
でもそんなことも忘れさせてしまう、気持ちのいい「新世界」、そして素敵なコンサートが聴けて幸せなのでした。

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いつものように、いつもの場所で、いつものものを飲み、いつものものを食べる。
でも、今日はちょっと違うぞ。
初めてお越しいただいた方と、復帰された方、そして可愛いおまけつきheart04
いいコンサートのあとは、お酒も本当においしい。
怒りながら飲むのと全然違う(笑)
このところ、神奈川フィルは正解続き。

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神奈川フィルを応援する署名アンケートも11万を超えたということです。
ベイスターズも横浜に残ることがほぼ確定だし、なんだか嬉しいではありませんか。

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ランドマークのジャズライブ。
4時から飲み始めて、まだ8時前。
気分よろしくもう一軒。
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前から行きたかった、野毛にある焼き鳥「若竹」。
こちら、まじ、うまいですよ。
正しい麒麟の瓶ビール、普通の日本酒を燗して、次々に出てくる焼き鳥の数々。
あぁもう、幸せ。
辛味噌で食べる手羽なんて、もう最高!
みなさん、最後までお付き合いありがとうございました。

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2010年10月 8日 (金)

R・シュトラウス 「サロメ」 ドホナーニ指揮

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怪しいまでの姿で咲き誇る「彼岸花」。
ちょっと田舎を走行中に発見しました。

毎年この時期に、この花を載っけていて、あぜ道にある理由は毒性があるから、もぐらや地中の害虫から死者や農作物を守るための昔の知恵。。。なんてことを書いてます。

この花ともいえない額のような赤い存在は、どこか魔界の雰囲気が漂い、あっちの世界へいざなわれる気持ちに覆われる。
え?あっちってどっち?
ご想像にお任せします・・・・。

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今日は、肉食系のオペラ、R・シュトラウス(1864~1949)の「サロメ」を。
もう何もいうことはありませんな。

今週は、後期ロマン派・世紀末の作曲家の濃厚オペラを特集してみたのだけれど、シュレーカーツェムリンスキーも、大戦前は大変な活躍ぶりだったのに、ユダヤ人であることから後半生は没落してしまい、いわゆる退廃音楽のレッテルを貼られてしまった。
 しかし、同時代人だったR・シュトラウスは常に順風満帆で、一番早く生まれ、早くから活躍し、一番長生きをして晩年まで創作した。
恵まれた環境と、バイエルン人であること、音楽が大衆的で明快だったこと。
そしてそれ以上に、シュトラウスにとっては陰のイメージだが、ナチス政権と妥協せざるをえなかった点が大きい。
シュトラウスのオペラは、神話や寓話、恋愛ものなどが多かった点も当局のお目に触れない点で有利だったかもしれない。
もちろん、シュトラウスは芸術に対しては妥協せず、ホフマンスタールのあと、お気に入りの作家となったツヴァイクがユダヤ人ゆえに、ナチスから迫害されてしまうが、シュトラウスはこれを強く擁護し、帝国音楽総裁の職をはく奪されてしまうことになる。

でも、シュトラウスが、そのオペラ初期の頃の「サロメ」や「エレクトラ」みたいな強烈な作品ばかりを書いていたら、きっと当局からお叱りばかりを受けていたであろう。

オスカー・ワイルドの原作。そう、前回のツェムリンスキーもワイルドの作品。
オペラにおける、ファム・ファタール(運命の女・魔性の女・男を狂わす女・・・)としては、サロメは代表格で、旧約聖書時代からの存在だから強烈であります。
ちなみに、オペラにおけるファム・ファタールさまは、「ルル」、「カルメン」、「クンドリー」、「マノン」、「マクベス夫人」などが思い浮かぶけれど、まだありましたかね。

悩めるヘルデンテノールを主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」、ジングシュピール的メルヘンの「火の欠乏」、これらいまやほとんど顧みられない2作に続いて書かれた「サロメ」は、1905年にドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として発禁扱いにされることもあったという。
ちなみに、今週のシュレーカーやツェムリンスキーの諸作は、この10年後。

この「サロメ」が、前2作と、そしてワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
咆哮しまくるオーケストラとむせかえるような豊饒な響きに、聴く者を不安と興奮に誘う不協和音や大胆な和声。
それに対抗せんとするには、強靭な声の持ち主たちがと必要となる。
しかも、その彼女はダンスをしなくてはならないのだから!

次ぐ「エレクトラ」でも同様の作法がさらに推し進められたが、5作目の「ばらの騎士」では一転、古典への回顧と耳当たりよい普遍性を伴った大向こう受けする名作を書くことになった・・・・・。
シュトラウスの15作のオペラをすべて聴いてきて、「エレクトラ」から「ばら騎士」への変化が一番ドラマティックであることには感嘆するが、初期2作を含めて、そのいずれにもいろんなシュトラウスの顔がしっかり見え、そしてその顔すべてがシュトラウスの姿なのだと理解を深めることができた。
オーケストラ作品だけでは、理解の及ばない複雑だけど、実はシンプルなR・シュトラウスなのだ。

 ヘロデ :ケネス・リーゲル   ヘロディアス:ハンナ・シュヴァルツ
 サロメ :キャサリン・マルフィターノ  ヨカナーン:ブロン・ターフェル
 ナラボート:キム・ベグリー        小姓:ランディ・シュテーネ
 奴隷  :ランファイグ・ブラガ     
 ユダヤ人、ナザレ人:ペーター・ローゼ、マルティン・ガントナー ほか

   クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
                   ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                      (94.4@ウィーン・コンツェルトハウス)

冒頭に、肉食系と書いたのだけれど、この演奏は濃厚な肉料理というよりは、ソースは軽め、素材も新しいヌーベル・キュイジーヌといった感じで、疲れて帰ってきて聴いても、そんなにもたれることなく、さらっと聴けてしまう演奏に感じたんだ。

そう思わせる要因は、指揮者とサロメにある。
分析的な演奏で、時に面白みに欠けるドホナーニだが、オペラではそうした趣きはプラスに転じていて、聴き慣れた作品が鮮やかな切り口と手際のよい整理により、鮮明な姿で音となっているのを感じる。
ドホナーニの、こんな少しデジタルっぽい演奏も、シュトラウスの場合はいいと思う。
ところが、この指揮から微妙にはみ出る色気を放つのがウィーンフィルなのだから、指揮者にとっては心強いというか、やりにくいオーケストラなんだ。

キャサリン・マルフィターノは、90年代サロメを各地で歌っていて、映像にもあるし、日本でもウェールズオペラとともにやってきて歌っている。
映像なし彼女のサロメを聴くと、ニルソンやボルク、ゴルツ、リザネック、ジョーンズといった強烈な声のおっかないサロメとは完全に一線を画したニュー・ヒロインとしてのサロメ像を歌いだしているのを感じる。
女性的だったベーレンスや、いまだ未聴のステューダーとも異なるのではと思う。
 マルフィターノ、ちょっと少女ふうでもあるし、コケテッシュに振る舞うようでもあり、神秘的でもある。ところが最後は大バケしてエキセントリックな女になって猛突進。
こんな「サロメ」にゃ会いたくねぇ。
きっと騙されて、ぼろぼろにされて後悔してしまう・・・・だろうねぇ~。

ターフェルのヨカナーンは、神々しくて立派だが、ちょっとマッチョすぎないか。
リーゲルのすっとこヘロデ王は最高。
その妻シュヴァルツもなかなかの薄情ぶりでよろしい。
端役に、いまや新国や各地で活躍する歌手の名前を見出すのも、オペラ視聴の楽しみ。

Higanbana2
白いのも、ちらほら。

今週は、20世紀初頭のドイツのオペラを3作、関連づけて聴いてみました。
ワーグナー以降のドイツオペラ、ヴェルディ以降のイタリアオペラ。
それぞれ、ますます聴いてゆきたいさまよえるクラヲタ人なのでありました。
 そして、週単位でテーマを決めて音楽を聴くことを継続してるが、なかなか疲れますし、ネタ切れ御免です(笑)

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2010年10月 6日 (水)

ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 コンロン指揮

Chuka_police
中華風のイルミネーション。
安安心全~安全安心、どちらでも意味が通る。
漢字ってすごい文字であります。
中華街の入口のひとつにある警察署の前庭より。
なんだかんだいって、中華料理は週に一度は食べてるかも。
しかしですねぇ、お手柔らかにお願いしますよ、なんたって悠久の大国なんだから。

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アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871~1942)の1幕物のオペラ「フィレンツェの悲劇」を。
前回のシュレーカーとほぼ同時代人で、やや年上。
ともに、マーラーの意匠を次ぐ作曲家で、同じユダヤ人として、晩年はナチス台頭により不遇の晩年をむかえている。
そして、指導者と指揮者としても大きな足跡を残している。

ツェムリンスキーは、いうまでもなく、シェーンベルクの良き友であり師であり、義理の兄でもあった。それとマーラーと結婚する前のアルマの音楽の師でもあり、愛情も抱いていた。
あと有名なところでは、コルンゴルトもいたし、当然に新ウィーン楽派の面々も間接的にそう。
指揮者としては、ウィーンやプラハで優れたオペラ指揮者でポストももっていたくらい。

一方のシュレーカーは、ベルリン音楽大学長を務めたので、その門弟はたくさん。
ラートハウス、クルシェネク、グロース、フィビヒ、ホーレンシュタイン、ロジンスキ、ローゼンストック・・・・。
ウィーンからフランクフルト、ベルリンとそれぞれ拠点を変えて、指揮活動も盛んで、ご存知のとおり、マーラー千人の初演者であります。

このふたりは、互いに自作を指揮しあってたはずだし、優れた台本作家でもあったシュレーカーにツェムリンスキーは、オペラ台本を依頼したりもしている。

ふたりの音楽は、初期のものほどお互いにロマン派の流れの中にあり折衷的だが、世紀をまたぐと、甘味濃厚後期ロマンティシズムの境地にあふれるようになっている。
しかし、シュレーカーがメロディアスで、プッチーニ的であるのに対し、ツェムリンスキーはより生々しく表現主義的な様相が強い。
ともかく、オペラ作曲家として、わたしにとって、探求のしがいのあるふたりなのであります。

ツェムリンスキーのオペラ作品は8作。
「フィレンツェの悲劇」は、その5番目のもので、1916年の作。
原作は、かのオスカー・ワイルド。
1時間を切るコンパクト作品として、同じ作曲家の「こびと」や、フィレンツェを舞台にした「ジャンニ・スキッキ」などとも抱き合わせて上演されたりする。

    グィド・バルディ(若い貴族):デイヴィッド・キューブラー  
    シモーネ(商人):ドニー・レイ・アルバート
    ビアンカ(シモーネの若い妻):デヴォラ・ヴォイト

 ジェイムス・コンロン 指揮 ケルン・フィルハーモニー・ギュルツニッヒ管弦楽団
                         (97.3@ケルン)

16世紀 フィレンツェ 商人シモーネの邸宅

商人の邸宅の居間で、貴族バルディが、商人の妻ビアンカの元に膝をつき、お互い目を見つめっている・・・・。
そこへ、壮年の旦那、シモーネが帰ってくるので、ビアンカはあわてて飛びあがり、ふたりは離れる。
シモーネは、衣料の外商からの帰りで、大きな荷物を背負っている。
 妻にずいぶんゆっくりなお出迎えだな、もっと早く来い、とあたる。
そして、彼は、この二人の関係を怪しんでいる。
この男は誰だ?親類かなにかか?と問うシモーネに、グイドは、自分の名前を明かす。
これを聞いたとたん、コロッと態度を変え、ななんと、フィレンツェに並ぶもののいない偉大な支配者のご子息であられますか・・・・、と。
グィドは、あなたの留守中に何度か来てたんですよ、孤独で気の毒な奥さまのお相手をしていたんですよ。と気楽に応える。
シモーネは、それはそれは。。。と、商売のチャンスとばかりに、妻に荷物を持ってこさせ、高価なダマスク織りを見せて、あーだこーだと褒めそやし売りつけてしまう。
正直者のシモーネさん、お金は明日届けさせますよと、グィド。
さらに調子にのって、次から次に高額商品を売り付けるシモーネ。
大金の約束に、ついには、この家にあるものは、みんなあなたのものですとシモーネは言う。
ところが、グィドが指名した欲しいものは、ビアンカであった。
シモーネは笑顔で、「そりゃ冗談でしょ、この女は家事や糸紡ぎの仕事があるんでさ。」
とビアンカに部屋に籠ってろと叱る。
あれこれ、忙しく出たり入ったりしているシモーネの傍らで、「恥を知れ」とか、「商売しか頭にない、あんな男は大嫌い、死んでしまえばいい」、とグィドにささやくビアンカ。
 そこに戻ってきたシモーネは、「いま、死とかなんとか言ったか?」と問い、しばし妄想にふけり独白する。やがて冬が来て、わしの頭はグレーに染まり、そして賢さを増すというものだ・・・・・。そして、リュートを取り出し、グィドに弾くようにせがむが、若者はいまはそんな
気分じゃない、と断る。

やがて、シモーネは庭に続く扉を開けて、月に照らされた庭に出てゆく。
二人きりになった、グィドとビアンカは、もう最高に甘ったるい濃厚二重唱を歌う。
 しばしのち、シモーネが戻ってくる。
グィドは、暇を告げるが、え、もう、ドームの鐘はまだ鳴ってませんぜ、もうここで会えなくなるんじゃないかと不安なもんでね、とシモーネ。

かつて、わが家系が不名誉を受けそうになったときに、わしはそりゃ抵抗したものよ。。。
 え、あなたはいったい何を言い出すんだと、グィド。
だんだんと激昂してくるシモーネは、ビアンカに剣を持ってこいと命じ、決闘を挑むが、グィドはやめるんだと言いつつも、剣をとる。
ビアンカは、やっちまえ、死んでしまえ、と若い方を応援する。
やがて、取っ組み合いの決闘となると、シモーネはグィドの喉元を渾身の力で締め付け、お前はここで裁かれるのだと、とどめに最後の力を振り絞る。
苦しい声で神に祈りを捧げるグィドに、アーメンで弔うシモーネ。。。。
 さて、もう一人だ。。。、とゆっくりと立ち上がってビアンカに向かうシモーネ。
ところが、ビアンカちゃんは、優しく、うっとりと、「なんで、あなたはそんなに強いって言ってくれなかったの?」
シモーネは、「え? お前はどうしてそんなにキレイなんだ」と、ふたりは熱く抱き合うのでした。。。


           ~幕~

あれ?偉い人の後継ぎ殺しちゃって、そのままそれでいいのかよ?って残尿感のたっぷり残る幕切れ。
一見、ヴェリスモ風な血なまぐさい市井の出来事を扱っているようだか、そこはオスカー・ワイルド。
力(権力)の前に屈服する人間の弱さと偽善を描いたものとされる。
なるほどね。

それにしても、力強く豊饒な前奏曲の出だしに続いて、すぐさまに官能的な旋律が流れだす。このオペラはこうした対比の連続で、一方で、商人がお宝を次々に引っ張り出して披露する場面では、金銀財宝キラキラ的な写実感にあふれていて、これはまさにR・シュトラウスのお得意の技とおんなじだ。
そして、夫の隙をついた濃厚ラブシーンでは、そりゃもう甘々のとろけるサウンドが耳をくすぐるんだ。もう堪りませぬよ。
ちゃんと歯を磨いて寝ないと、虫歯になっちゃうくらいに危険な甘さなんだ。
 で、最後の劇的な決闘シーンに、あっけないくらいの夫婦見直しのシーン。
静かに、夜の帳が降りるように曲は終ります。
うっふっーーーんheart04

ツェムリンスキーに異常な執念を燃やしたJ・コンロンケルンのオケは、実にスマートでかつ濃密。ツェムリンスキーの音楽の特徴を余すことなく捉えているし、オペラに長けた人だけにその雰囲気もばつぐん。
 剛直なアルベルトの商人は、このオペラの主役だけに歌いどころもたくさんあるかわりに、コロコロ変わる心情を歌い込まなくてはならないが、見事なバスバリトンでしたよ。
シャイー盤の、ほの暗いドーメンも捨てがたいし。
で、登場が少なめだけど、デヴォラ・ヴォイトもこうした曲ではホントうまい。
一言ふたこと、が実にサマになってるし、決闘シーンの殺せ殺せは、まるでサロメかエレクトラみたいな没頭的なもの。
 キューブラーのリリカルな甘さはこれでよしの若様ぶりでした。

コンロン盤とシャイー盤、ふたつでかなり満足だけど、息子ジョルダンのパリ演奏も気になるひとつであります。
ツェムリンスキーのオペラもシリーズ化しますよ。

Hamasuta
ある夜のハマスタ。
身売り報道もなんとか移転なしで済みそうで、つくづくも迷惑な一言だった。
あとひと試合。
意気消沈の選手たち、このところ1点も取れません・・・・。
やっぱ、強くなきゃ、ファンも権力もやどりませんな。
大量の解雇や引退が吹き荒れる厳しい状況は身につまされます。
木塚の引退、佐伯の解雇、田代2軍監督のドラゴンズ行き・・・、理不尽な人事が昔から多いのもこのチーム。

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2010年10月 4日 (月)

シュレーカー 「はるかな響き」 アルブレヒト指揮

Tokyo_tower1
ある夜の東京タワー。
スカイツリーに日本一の座をすでに渡し、来年にはこれまでの役割も終える。
私と同期だけに、とても寂しい。
運営会社は民間企業だけに、電波事業収入の大半がなくなるとタワーの運用もおぼつかなくなるという・・・・。
いつまでも残って欲しいぞ、東京タワーflair

Scherker_der_ferne_klang
フランツ・シュレーカー(1878~1934)のシリーズ。
国内盤のまったくないオペラばかりで、外盤で入手できるものはあらかた揃えて、それぞれ機会あるごとに聴きこんでいるけれど、その音楽はすぐにお馴染みになるものの、劇内容の把握が容易でない・・・。
ということで、多少脚色を交えてのご案内、あしからず。

9作あるシュレーカーの劇場作品のうち、1作目の「Flammen ~炎」(1902年)に次ぐオペラが「Der ferne kang~はるかな響き」。
10年の隔たりは大きく、イマイチ過去に軸足あった前作から大きく世紀末ワールドに踏み出したシュレーカーを感じる作品。
ツェムリンスキーや前期シェーンベルクと同類の雰囲気に、わたしはとろけるくらいにわが身をその音楽に溺れさせることができる。
ナチスによって退廃音楽のレッテルを貼られてしまうシュレーカー。
大まかな概要は、過去記事をご覧ください。
フランクフルトにおける初演は大成功で、すぐさまワルターが上演し、シュレーカーのオペラは主にドイツにて人気を得てゆくこととなる。
全3幕、2時間30分。
ピアノ版のヴォーカルスコアを作成したのはアルバン・ベルク。

大オーケストラに、それに張り合う強い声の歌手たち。
でも抒情的な繊細な歌い口も要するので、ワーグナー歌手というよりも後期のシュトラウスのオペラが歌えるような強さとリリカルさを兼ね備えた歌手が必要。

シュレーカーのオペラをいくつか聴いてきて(いまのところ記事準備中も含めて6作)、音楽のパターンは読めてきた。

①ライトモティーフの効果的な多用
②ロマン派の響きを表現主義や象徴主義、印象派風、新古典風、民族風・・・、そうあらゆる要素の中に封じ込めてしまった。
ゆえに中途半端な印象やとらえどころのなさを与えることとなる。
③オペラの中で、お約束の超濃厚ロマンティシズム溢れる絶美な場面が必ずある。
それらは、ヒロインのソプラノが夢見心地に陶酔感をもって歌う。
④③の反動のように、酒池肉林のはちゃむちゃ乱痴気シーンが出てきて、にぎにぎしい。
そこでは、大衆的なダンス音楽だったり、高尚なワルツだったりと、舞踏の権化のようだ。
⑤シュプレッヒシュテンメの先駆的な活用。
⑥ヒロインの女性の心理が摩訶不思議。
その女性たちは、たいてい「痛い女性」たち。
わかっちゃいるけどイケナイ恋にはまってしまい、悔恨にくれることになる。
彼女たちに与えられた没頭的な歌がステキなわけで、シュレーカーの心理もまたあれこれ想像してみたくなる。

これからもっと聴きこんで、研究してゆけばまた違った印象や顔も見えてくるかもしれないが、これらの多面的なシュレーカーの音楽が私はとても好きなのであります。

 グレーテ:ガブリエーレ・シュナウト  フリッツ:トマス・モーザー
 グラウマン(父):ヴィクトール・フォン・ハーレム 母:バーバラ・シェルラー
 役者:ハンス・ヘルム     ヴィゲリウス博士:ジークムント・ニムスゲルン
 老婆:ユリア・ジュオン    白鳥亭亭主:ヨハン・ウェルナー・プライン
 合唱団員1:ペーター・ハーゲ   通行人:ロルフ・アッペル
 伯爵:ロラント・ヘルマン       騎士:ロベルト・ヴォーレ
 男爵、合唱団員2、警察:ギドン・ザックス
 ルドルフ:クラウディオ・オテッリ  その他

   ゲルト・アルブレヒト 指揮 ベルリン放送交響楽団/合唱団
                   RIAS室内合唱団
                    (1990.10@ベルリン・イエスキリスト教会)

第1幕
 1)グラウマン家の居間
グラウマン家の娘、グレーテとその幼馴染の芸術家フリッツはお互い魅かれあう仲。
フリッツには、「はるかなる響き」が聴こえる。それを求めて、生まれ故郷から世界へと飛び出して行こうとしている。
外界で神の栄光を得て、グレーテの前に有名となって帰ってくること、そしてその時には、彼女の足元に、富と名声、私自身とそのすべての愛を投げ出すと約束して、彼女に口づけして走り去る・・・・。
 残されたグレーテの前に老婆があらわれ、語る。
「あの青年は、こんな可愛い少女を残して誠実ではない。。。白鳥亭の父親、ヴィゲリウス、地主たちはもう十分、不名誉なこと・・・」
この言葉に不安になるグレーテ。
 やがて、母がきて、家事へと駆り立て、夫が今日も白鳥亭で飲んだくれて金を浪費しているとぶつくさ言うが、グレーテが町を出て働きたいというと、無下に振る舞う。
 そこへ、白鳥亭で飲んでいた面々がどやどやとやってくる。
父グラウマンは、娘を賭けにかけて負けてしまい、面々は冗談半分にグレーテをかっさらいにやってきたのだ。
私には、約束した人がいるーーーっと言っても構ってもらえず、地主は迫る。
いよいよ困ったグレーテは、「フリッツ、あなたのもとへ」と、そこを逃げ出す。


 2)森の中
フリッツのことを想いつつも、彼女は自殺することも考えてしまう。
フリッツは、私のことをとてもきれいだと言ったわ、こんな若くして死んでしまうなんて・・・、
と思いとどまり、彼が遠く離れてしまったことを嘆く。
そこにまたあの老婆があらわれ、ささやく。
「お嬢さん、ついておいで。素敵な服に、美男の遊び仲間、豪華な家で一日中、愛とお楽しみが待ってるよ・・・」
グレーテは、老婆についてゆく。


第2幕
 10年後、ヴェニス近くの舞踏場
話し声と音楽が喜びを満たす「仮面の館」の外から聴こえ、ダンサーや女たちが客を引こうと待ち構えているが、彼女たちの話題は、いまやこのプレジャーハウスのプリマに成長した紳士たちがご執心のグレーテのことだ。
あの森の出来事から10年、女性の美しさや男性たちの欲望といった周囲の喧騒から欺くようにして、物憂げな彼女は、フリッツへの想いにまだ捉えられているのだった。
彼女は歌う、「私の周りには輪がきつく、きつく取り巻き、私の顔は歪んで見える。。だから私はみんなと同じように野放図に笑い、息が切れるまで踊り狂うの・・・」とやけ気味。
 そこで彼女は、自分や他の女性たちを一番喜ばせた紳士の相手をするわ、と提案。
伯爵と騎士が、それぞれ我こそはと、歌い、騎士の冒険譚が人気を博し、決断を迫られるグレーテ。
 騎士の歌、瞳、そしてその動きは、私にあるものを想い起こさせたと、グレーテ。
そうして、フリッツの愛への希望を語る。
 そこへ、ゴンドラに乗って、見知らぬ男がやってきて、皆はそれに注目する。
そう、その男こそ、フリッツその人なのでありました。
お互いにそれとわかった二人。フリッツは、グレーテにまだ若い日々と同じものを見出し、これまで長年散々苦労して何も見つからず、ゴールを見失って諦めていたところに、あの祝福された「響き」を聴き、それに導かれるようにしてここにやってきた、と語る。
「この響きはいったい・・・、これでもう探し求めることはない。悪魔は生と愛をだまし取ったけれど、いまこそ、私はあなたのみを求める、女神よ、愛するグレーテ、わたしのもの・・・」と熱烈に歌い、グレーテはその腕に飛び込む。

 しかし、腕の中のグレーテは、かつての可愛いグレーテではないのでは、大いに疑問にとらわれ、恐怖も感じたフリッツ。
伯爵は彼女のためにと決闘を挑むが、フリッツは、こんな絶望のもとに戦いをする価値はないとして、その場を立ち去る。
 「あぁ、フリッツ・・」と希望をたたれ絶望するグレーテ。
伯爵に促されて、「そうね、踊りましょう」と狂乱の音楽に合わせて踊り明かすグレーテ。


第3幕
 1)劇場の前のカフェの庭
1幕に出てきたヴェギリウス博士と売れない役者の古い知人ふたりがカフェに腰掛けている。
二人はかつての思い出話、とりわけ、あの町での悪戯話などをしてしきりに懐かしんでいる。
今宵の出し物は、「ハープ」という劇で、その作者こそフリッツであった。
カフェには、出演者の合唱団員が二人やってきて、今宵の出し物は成功をおさめるだろうと語っている。
と、そこにグレーテが警官に連れられてやってくる。
彼女は、公演を観劇し、気分が悪くなってしまい、そこへ酔った浮浪者に親しげにからまれてしまっていたのである。そう、彼女は街の娼婦レベルまで落ち込んでいたのである。
ヴェギリウスが彼女をグレーテと認め、警官を帰すが、その間、劇が終り、それが大失敗に終わったことを一同は聞いてしまう。
しかも、フリッツが病に冒されていて死を待つばかりとのこともグレーテは知る。
「わたしは、彼のところに行かなくてはならない・・」とヴェギリウスに懇願し、彼はグレーテをフリッツの元に連れてゆくこととなる。


 2)フリッツの書斎
小鳥の鳴き声が美しい庭。
フリッツは、病の中、失意と悔恨にさいなまれている。
彼は、いまや自身の名誉欲や野望のためにグレーテを突き放してしまい、自分の幸運もいまや尽きてしまったことを強く感じていた。探せど探せど、見出すことができなかった・・・。
 そこへ、友人のルドルフがやってきて、元気を出せ、最終幕だけ書き直せば成功するからと勧めるが、当のフリッツにはもうその力も気力も萎えてしまった。
彼の唯一の想いは、グレーテのことだけだった。
その時、ヴェギリウスの訪問が告げられる。
そして、彼の耳には、いまや忘れ去っていたあの「あるかな響き」がはっきりと聴こえるのであった。
ヴェギリウスの陰に隠れたようにした惨めな女、そう、グレーテがあらわれる。
お互いの名を呼び合い、ついにふたりの恋人は再び結びついたのでありました。
グレーテは彼を腕の中に抱き、「フリッツよゆっくりお休み・・・」と優しく歌い、フリッツは、「あぁ、親しきひとよ、甘き陶酔の香り・・・、グレーテ、おまえがノートを開いたのか・・・・」と虚ろになりながら息絶える・・・・・。

 彼の名を激しく叫ぶグレーテ。
                   ~幕~    

半分、想像も交えて、こんな内容かと。多少の間違いはご容赦を。

それにしても、わたくしにはこの魅力的な音楽を、これまで何度聴いたことであろう。
こんな感じで、シュレーカーの手に入る音源を少しでも手があくと、手当たり次第に聴き、耳になじませている日々。
 そうして聴いてくると、自分なりの聴きどころをいくつか持つようになる。
Ⅰ.まず、「はるかな響き」のモティーフや他のライトモティーフで出来ている前奏曲。
そのあとの若い恋人たちのまだ爽やかさの残る二重唱。
白鳥亭の輩たちがドヤドヤ押し寄せるシュレーカーお得意の乱痴気音楽。
森に一人になったグレーテの心情をあらわすかのような、極めてロマンテックなモノローグとオーケストラによる超濃厚間奏曲。
Ⅱ.乱痴気2号は、ヴェネチアのお遊び場所。世紀末の盛り場の雰囲気ムンムン。
グレーテの夢見るようなモノローグでは、彼女がイッちゃってるのを感じるし、その後にゴンドラで登場のフリッツの長大な歌はもう、トリスタンの情熱的な歌そのもので、聴いていてのめり込んでしまうし、独語のセリフを見ていて歌いたくなっちまう私なのだ。
この幕の最後に、また乱痴気が戻ってくるが、その顛末がまたかっこいい音楽なんだ。
Ⅲ.この幕ではなんといっても、2場への長大な間奏曲の絶美の素晴らしさ!!!
プロムスで、メッツマッハーが演奏したものです。
夜露滴るようなロマンテック極まりない素敵な音楽なのです。
 それが、鳥のさえずる中庭の死を待つフリッツの部屋への場面転換となるんだ。
そして最後の邂逅の場面。
これもまた、そう、トリスタンの死に際に駆け付けるイゾルデの劇的な場面に同じ。
勝利に満ちたような輝かしい音楽も響くが、夢見心地のフリッツの歌の背景は、おぼろげで儚い、そしてはるかな響きの変形も鳴り響く。。。
静かな死を迎えるかと思ったら、グレーテの「フリッツ・・・・Nein!」の絶叫とともに、激しいフォルティシモのエンディングとなるのがびっくりで、こちらは心臓にちと悪い。

シューレーカーやツェムリンスキーのオペラの紹介に、アルブレヒトの果たした役割は極めて大きい。
世紀末音楽以外の場合は、そのザッハリヒ的な味もそっけもない演奏に不満を感じるアルブレヒトであるいけれど、こうした音楽には、のめり込まんばかりの情熱と、ほどよい冷静さが心地よい。
機能的なオケとともに、申し分のない指揮であります。

ワーグナー歌手ばかりのキャストも充実の極み。
シュナウトは、アルブレヒトのお気に入り歌手であるけれど、うまくて器用なところは認めるにしても、ブリュンヒルデっぽくて、おっかさんみたいなイメージをぬぐいきれない。
最後の絶叫も怖すぎ・・・。
デノケやシュヴァンネヴィルムス、シェーファーぐらいの、もう少しリリカルな歌手で聴いてみたい。
モーザーのフリッツが非常に気に行った。気品ある声とうらはらに、融通の効かない剛直さもよく出てるし、没頭的な歌唱がよかった。
ほかの馴染みある歌手たちも万全です。

このオペラ、「烙印」とならんで、ヨーロッパではたまに上演されるみたいで、日本でも大野和士がコンサート形式で初演してますのでお聴きなった方もいらっしゃるのでは。
現在のような不況の真っ只中では、シュレーカー作品などが上演される見込みはまったくないが、不安な世相になると、世紀末的な思想や爛熟芸術が以外に心を救うのでは、なんて勝手に思ってます。

次のシューレーカーは、「おもちゃと姫君」であります。

Tokyo_tower2

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2010年10月 3日 (日)

トホホ球団極まれり

Hossy
わたしは悲しいよweep
ご承知の通りの身売り報道。
かつて何度も繰り返された球団身売りの噂。
今度ばかりは真実だろう。
かつては、栄華を極めた遠洋漁業の大会社の元に、マルハ大洋ホエールズはどこまでも安泰と思われたのが、ワタシがファンになった頃の川崎のオレンジと緑の軍団。
反捕鯨の世界潮流も後押しして、マルハは事業変革し、その一環で球団も売却。
その時点で、いろいろ取りざたされたけれど、TBSという放送メディアに落ち着いたことで一安心。

でもその時、あの老獪ジジイが暗躍していたとは・・・・・sign03
彼奴は、今回の報道スクープを後押しするような言動をしたし、だいたいにおいて、なんであのクソじじいが、他球団のことにあんな軽々しい発言をするのだろうかpout
 わたしは、何が頭に来たかって、あのすっとこどっこいジジイが、ベイスターズのファンを無視したかのような無神経なフランチャイズ移転をほのめかしたことだ。

球団経営の採算や運用の必然性から導き出された結論が、フランチャイズ移転や掛け持ちなら、ファンとしては縷々説明を受けたうえで納得感もあろうというもの。
ところが、売却話と移転を「しょうがない」、「TBSへも俺が無理してやったと」か抜かしたあげく、「新潟もいいんじゃない・・」なんて抜かしやがった。

金満虚珍軍をかかえる読売オーナーになぜこのような傍若無人を許すのか。
虚珍主体、虚珍人気に安住してきた衰退業界プロ野球界の縮図のような出来事にございます。

Bay2_2 
TBSのベイへの力の入れ具合は見え見えで弱々しいものだった。
応援番組は、日曜早朝の数分間だし、テレビもラジオも虚人ばかり。
株主のひとり、ニッポン放送も虚人しか放送しない。
まぁ、マルハから引き継いでくれただけで、これまでめっけもんだったけど・・・。

しかし、ハマスタで、負けても負けても、こんな光景に歓喜し、大声援を送ったファンたちを舐めとんのか、ナベの野郎sign03
もう~、ぷんぷんでありますangry

フランチャイズというのは、ファンとしてはとても重要。
私は、故あって結婚後、千葉にいますが、神奈川県民として長く大洋ホエールズを応援してきたから、その思いはどんなことがあっても県民意識とともに変わらない。
一方で、千葉ロッテも、ベイと被らないから応援してます。
身近な存在ですからね。

でも、球団身売り+本拠地移転となれば、もう違う球団と見なさざるをえません。
N県は、酒もうまいし、食べ物もいいし、友人もいるし、大好きな県だけど、近いけど遠い。
ちょっと感覚が違います。

もし、ベイが抜けて、他チームが横浜に来たら、私はそちらに鞍変えするかもしれません。
スポーツチームやオーケストラは、土着であるべきだと思います。
 全国区の上位人気チームが、富と権力で他チームを圧倒し、格差を完膚なきまでに付けてしまった、セ・リーグの状況は人気後発・地域密着のパ・リーグとだいぶ様子が違うし、それは、東京一極集中の経済をつくり出してしまった前政権から今にいたる怠惰な政治と同じこと。

ベイが、移転して、その先がそれを見事に活用して、街に活況を呈したら、それは実に喜ばしいことで、まして日本海側であることがポイント。
だから、移転話はいいことなんだ。
 でも、よりによって我がベイとはねぇ・・・・。

わたしの心は、いま千々に乱れております。

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2010年10月 2日 (土)

チャイコフスキー 大序曲「1812年」をバカ聴きする

Hamanoyu
刺し盛りシリーズ、最終回は船盛りだsign03
だいぶ以前の温泉旅館のひとコマ。
鯛子さんは、まだパクパクしてたし、伊勢海老くんも動いてる。
ともに、ビールを飲ませてあげて、成仏していただきました。合掌。
あなごく~んは、いなかったけれど、翌朝は、この伊勢海老が味噌汁に浮かんで出てきましたよ。
あと、アワビの踊り焼きとか、金目の煮付けとか、鯵のつくね鍋とか、タラバとか、サザエご飯とか・・・・
そして、これっdownwardright
Hamanoyu2
朝からこれだよ、金目くんの活き造りだよぅeye
さすがは伊豆某所。
もう何年も前のこと・・・・・。
このときは、しばらく魚の顔を見たくなかったし、魚顔の人にも会いたくなかった。
でも、酒飲みは魚であります。

頑張って稼いで、また行くぞrock

フェイヴァリット4人組によるロシア共通録音曲目は何かと、しばし考えること1分。
チャイコフスキーの4、5番とスラヴ行進曲、そして「1812」とチャイコのみ。
では、こたびは、やけくそゆえに、激しく燃え尽きたく候にて、「1812」を選びしクラヲタ人。

アバドは2種あるから、都合5種の「1812」を一夜にして連続聴き。
あ~、も~、お腹一杯wobbly
この先の短い人生、「1812」を聴き尽した感あり、もう生涯、聴くことはあるまいよ。

Marriner_tchaikovsky61812
マリナー、ありえへんシリーズにも加えたいくらいの、らしくない選曲。
アカデミー管を、90名前後の編成に膨らませてのチャイコフスキーだけど、極めて音楽的。
テンポを微妙に動かして、自在な雰囲気。静かな部分で、ここはもっとゆっくりと歌って・・・、という場所も、あっけなくスルーしちゃうのが、まさにサー・ネヴィルだけど。
マリナー&アカデミーのチャイコフスキー全集に共通の透き通ってみえるくらいの透明感ある響きは、常設オケにはない、やや薄めの編成による見通しのよさ。
録音レベルも、この曲に限っては、やや低めなので、ボリュームをあげて澄んだアンサンブルを気持ちよく聴いているとエライことになる。
録音による大砲の音が盛大に入ってきて驚かされるし、ワタシのボロ装置が心配になる。
最後は、全然威圧感のない爽快な盛り上がりで魅せます。

Previn_tchaiko_1812_2 
ついでの、同じロンドン組で、常設ロンドン響を、アンドレ・プレヴィンが指揮したものを聴くと、旋律の歌わせ方やアゴーギクの巧みさ、緩急のうまさなどを痛感する一方、案外重たい音色なことに気付く。
EMIの録音によることもあるかもしれないが、プレヴィンの演奏は、フィリップスでもDGでも結構重心が低いことに思い当たる。
テンポもマリナーより速い。
でも静かな民謡調の部分のチャーミングなことと、ドラマテックな部分のスピード感の対比が実に鮮やかで、70年代初めの若々しく体調も万全であった聴かせ上手なプレヴィンならではの見事なチャイコフスキーなんですよ。
大砲は、軽めのキャノン砲。これならボロ装置も大丈夫。

Heitink_tchaikovsky
レコード時代、一番聴いたのが、メータとこのハイティンク盤。
これぞまさに、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と旧名で呼びたくなる、荘厳かつ堂々たる演奏。
こんなに、神々しく、しかもシルキーな美しさをまといつつ、劇的な、そう大人の1812演奏をしらない。
ホールを圧する打楽器の響きが心地よく、一瞬、このコンビで慣れ親しんだマーラーを思い起こしてしまう。
全体は、ゆったりめのインテンポで、この真っ直ぐの直球ぶりが至極頼もしい。
最初の盛り上がりで、弦がユニゾンを刻む前。そこには大砲は不発でなし。
その変わり、教会の鐘とおぼしき壮麗な音色がガラ~ン、ガラ~ンと響き、テンポは押さえたまま最高潮の盛り上がり部分に突入し、ここで大砲がグワーッと鳴り渡り、先の鐘とともに、極めて堂々と厳めしいくらいに純音楽的に曲を閉じる。
不思議な満足感を覚える生真面目1812でありました。

Abbado_tchaikovsky_sym3_1812_cso
しっかし、アバドが、その資質からしたら、「1812」を録音するなんて思いもよらなかった。
CBSへのシカゴ響との交響録音の余勢をかった勢いだが、そのシリーズの「くるみ割り」と並んで、アバドはあまり気乗りしないで指揮していたんじゃないかと思いつつ、当時は聴いたものだった。
でも、よく聴けば、シカゴという高性能の新鋭機器を手にして、俊敏で鮮やかな「1812」となっていて、速いところは高速で、歌うところは極めて美しくリリカルに、カモシカのようにスリムで、敏捷な演奏になっております。
毎度のことながら、CBSじゃなくって、シカゴのオーケストラホールの録音ならDGの方が、はるかによかったから、この全集はそれだけが私の不満なんです。
こちらでも、最初から大砲ズドンズドン鳴ってますよ。
で最後は、かなりテンポを上げて、アバドは激しいまでの熱気の中でロシア国歌を歌いまくるのでありました。

Abbado_tchaikovsky_1812_bpo
まさかアバドが、また「1812」を・・・、と思わせたベルリンフィルとの再録音。
シカゴから5年たった95年の録音。
基本はあんまり変わらなくて、速めの間髪いれないテンポ設定も同じ。
思うに、アバドは、この大仰なバカバカしい曲をスピード感あふれる劇的なドラマに仕立てようとしているようで、ロシアの明と暗を描こうとしたのではないかと・・・・。
中間部の民族調のフレーズは、シカゴ盤よりももっと歌い込んでいて、交響曲の一節のような真実味溢れるものになっている。
そして、異常なまでにうまくて鮮やかなベルリンフィルの音色に思い切り浸ることができるのも、嬉しい。
シカゴは、高性能の人間が紡ぎだすフレシキブルな高機能製品に感じ、ベルリンフィルは優秀な人間が寄り集まった有機体としての温もり感を感じさせる。 
 大砲は、太鼓で代用。その後の弦のトレモロユニゾンは、ものすごいテンポから入り、やがて鐘が打ち乱れる頂点に至るが、熱狂の中にもどこか醒めた冷静さが伺えるところがこの時期のアバドかもしれない。
大砲は鳴らさず、大太鼓のボコンボコンという連打が、妙にうれしかったりする。
アバドらしい、1812。
アバドも本心では、こんなの振らずに、ムソルグスキーの方がいいや・・・、と思っていたかもしれない。

はぁ、疲れましたよ、1812sign02
もう聴きたくねぇーーーー。

しいて、今日の気分で選ぶと、ハイティンク→プレヴィン→マリナー→アバド。
こんな感じでしょうかねぇ。
また変わるかもしれないけど、もう聴かないから、これでおしまい(笑)

タイム:
 マリナー(14’57”)、プレヴィン(16’25”)、ハイティンク(16’09”)、アバドⅠ(14’31”)、アバドⅡ(14’40”)

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2010年10月 1日 (金)

ムソルグスキー 「はげ山の一夜」ほか アバド指揮

Sashimirobataya
今日のお刺身は一見、地味で、色どりも渋いです。
白身を中心に、貝とタコ。
食べ物の色と酒って、微妙に合うようなところがあって、こんな刺し盛りだと、淡麗な辛口日本酒がいい。
マグロとか、かつおだと、ビールやウィスキーもいい。

要は、酒ならなんでもいいんですbottle

長年飲んでると、酒にまつわる逸話がたくさんあるはずなんだけど、わたくしは、その量と酒歴からしたら、少なめかもしれない。
社会人になっての飲みは、学生時代の呑気で大らかな飲みより、気合いも入り、緊張感に満ちたものになったから、飲む量も半端ないけど、二日酔いもかなりのものだった。
独身時代は、帰らない(帰れない)日々が何日も続いたことがあって、会社のトイレで足を洗ったり洗濯したりもした(笑)。さすがに、その洗面台で水浴びはしなかったけど。
まだ酒が残っている状態で、朝、飲み屋か、喫茶店から会社に出社するわけですよ。
朝から、やたらテンション高くて仕事も乗ってて、うるさいくらい。
でも、酒臭いんですよ。
昼前には、急速に元気も萎え、トイレに籠るようになりまして、酒をまったく飲まない当時の上司に、ついにワタクシは、別室に呼ばれ、さんざん説教を受けたもんです。
でも気持ち悪くて、何を言われたかも覚えてないんです。
その人に向かって○○を吐かなくてよかった・・・・。
そんな日々が毎日。ついに上司も折れ(評価を下し)、何も言わなくなってしまったものでありました。(はははっ)
昼ごはんは、食べれません。
でも、夕方になると胃が活性化して、何かを食べたくなる。
そしてまた繰り出して、冷奴に枝豆、刺身に焼き鳥が一日唯一の食事となるのでございました。
 私のまわりには、こんな人ばかり。とんでもない業界であり、会社でございました。
その業界、いまは斜陽ですが、会社はまだしぶとく生き残ってますよ・・・・。
それにしてもおバカな社内でしたよ。
何するかと思ったら、急にデスクの横のゴミ箱に○○吐いてる人いるし、会社に泊まって重役室でパンツ1枚で発見されたヤツもいるし、やはり会社に泊まってパンツ一枚でオートロックに締め出され、新聞捲いて夜を明かし、一番出勤の女子社員に見つかり救助されたヤツもいるし。。。。。
ワタシじゃないですよ(笑)

Abbado_mussorgsky_lso
なんだか、酔っ払い記事になってしまったけれど、今週のテーマは、おわかりでしょうか。
マリナーの来日にちなんで、わたしのフェイバリット指揮者4人を、それもロシア音楽に絞って聴いてみたのです。
写真は、刺身シリーズで、おのずと酒の話に脱線してしまいました。

最後に登場は、クラウディオ・アバドでございます。
もう何度も書いてますがね、アバドを聴いて38年。
ずっと一緒にいるみたいな、朋友みたいな、兄貴みたいな、そんな感じさえ抱いている、私の尊敬すべきマエストロなんです。

そのアバドが、ほとんど異常ともいえる執念を燃やしていたのが、ムソルグスキー。
スカラ座時代に、「ボリス・ゴドゥノフ」と「ホヴァンシチーナ」を上演して、ミラノの聴衆を辟易とさせながらも、その完成度の高さにうるさいオペラゴアーも黙らせてしまった。
しかし、イタリアものは、シモンとツェネレントラばかりで、ヴォツェックやローエングリン、フィガロにボリス、ペレアスばかりを喜々として振っていたアバドは、スカラ座には収まりきらなくなってしまったのも事実。
のちのウィーンでも、同じようなことが展開され、ほんとうにアバドは渋いオペラが大好きなんです。

今日の1枚は、アバド初のムソルグスキーで、ロッシーニとヴェルディの序曲集に次ぐRCAへの録音だった。
その内容がまたチョー渋い。

  1.歌劇「ホヴァンシチーナ」~追放されるゴリツィン公の出発
  2. 「ヨシュア」
  3.歌劇「サランボー」~巫女たちの合唱
  4. スケルツォ変ロ長調
  5.「センナヘリブの敗北」
  6.交響詩「はげ山の一夜」(原典版:聖ヨハネ祭の夜のはげ山)
  7.「アテネのオイディプス王」~神殿の人々の合唱
  8.歌劇「ホヴァンシチーナ」~モスクワ河の夜明け
  9.凱旋行進曲「カルスの奪還」

     クラウディオ・アバド 指揮 ロンドン交響楽団
                     ロンドン交響楽団合唱団
                     (リチャード・ヒコックス指揮!)
                  Ms:セルヴァ・ガル
                   (80.5@ロンドン・キングスウェイホール)

まったくもって、こんな曲目で1枚のCDを作っちゃうところが、ムソルグスキー・フェチたるアバドの所以。
はげ山は、いまでこそ原典版は珍しくないが、当時はこのアバド盤が初か2回目ぐらいの録音で、ほかの曲目はホヴァンシチーナ以外は、ほとんど馴染みのないものばかり。
「スケルツォ」と「はげ山」以外は、R・コルサコフのオーケストレーションによるものの、その根クラな響きは、抑圧されたロシアの民の声そのものを反映しているようで、本当に救いのない暗さなんだ。
曲名からして、追放とか敗北とか入っちゃってるし。

アバドがムソルグスキーにさほどまでこだわるのは、以前にも書いたとおり、リベラルで平和主義者であるアバドが、ムソルグスキーの音楽がいろんな人の手で纏っていた装飾を洗い落し、原色のロシアの大地の声と民衆の心、そしてさまざまな矛盾を本来描いていた作者の真の姿を炙りだすことに執念を燃やしたからにほかならないと思う。

「はげ山」が、通俗名曲じゃなく、ほの暗いて悪魔的な雰囲気の強い作品に聴こえて、ビター過ぎて、とうてい学校の音楽の授業じゃ聴かせることのできない別物になっている。
後の第1版は、歌劇「ソロチンスクの市」の間奏として改編され、そちらの方が有名曲として長く定着してきたわけだが、原典版が出版されたのは1968年まで待たねばならなかった。
アバドは、ライブも含め「はげ山」を都合4回録音しているが、いずれも原典版。
こんな人いません。
ECユースオケ(79)、ロンドン響(80)、ベルリンフィル(93)、ベルリンフィル合唱版(95)。
荒削りな生々しい迫力にかけては、当ロンドン盤が随一かも。
なお、ベルリンフィルとは、「展覧会」とのカップリングで、はげ山とともに、2,3,5,7の各曲、さらに「はげ山」合唱付きバージョンと「ホヴァンシチーナ」のオケ抜粋を再録音していて、そのホヴァンシチーナはウィーン時代に全曲録音もあるから、いずれも複数録音していることになる。
ほんと、好きなんだから。
まだルツェルンでやってないのが気になるところ・・・・・。

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