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2010年10月 8日 (金)

R・シュトラウス 「サロメ」 ドホナーニ指揮

Higanbana_2 
怪しいまでの姿で咲き誇る「彼岸花」。
ちょっと田舎を走行中に発見しました。

毎年この時期に、この花を載っけていて、あぜ道にある理由は毒性があるから、もぐらや地中の害虫から死者や農作物を守るための昔の知恵。。。なんてことを書いてます。

この花ともいえない額のような赤い存在は、どこか魔界の雰囲気が漂い、あっちの世界へいざなわれる気持ちに覆われる。
え?あっちってどっち?
ご想像にお任せします・・・・。

Salom_dohnanyui
今日は、肉食系のオペラ、R・シュトラウス(1864~1949)の「サロメ」を。
もう何もいうことはありませんな。

今週は、後期ロマン派・世紀末の作曲家の濃厚オペラを特集してみたのだけれど、シュレーカーツェムリンスキーも、大戦前は大変な活躍ぶりだったのに、ユダヤ人であることから後半生は没落してしまい、いわゆる退廃音楽のレッテルを貼られてしまった。
 しかし、同時代人だったR・シュトラウスは常に順風満帆で、一番早く生まれ、早くから活躍し、一番長生きをして晩年まで創作した。
恵まれた環境と、バイエルン人であること、音楽が大衆的で明快だったこと。
そしてそれ以上に、シュトラウスにとっては陰のイメージだが、ナチス政権と妥協せざるをえなかった点が大きい。
シュトラウスのオペラは、神話や寓話、恋愛ものなどが多かった点も当局のお目に触れない点で有利だったかもしれない。
もちろん、シュトラウスは芸術に対しては妥協せず、ホフマンスタールのあと、お気に入りの作家となったツヴァイクがユダヤ人ゆえに、ナチスから迫害されてしまうが、シュトラウスはこれを強く擁護し、帝国音楽総裁の職をはく奪されてしまうことになる。

でも、シュトラウスが、そのオペラ初期の頃の「サロメ」や「エレクトラ」みたいな強烈な作品ばかりを書いていたら、きっと当局からお叱りばかりを受けていたであろう。

オスカー・ワイルドの原作。そう、前回のツェムリンスキーもワイルドの作品。
オペラにおける、ファム・ファタール(運命の女・魔性の女・男を狂わす女・・・)としては、サロメは代表格で、旧約聖書時代からの存在だから強烈であります。
ちなみに、オペラにおけるファム・ファタールさまは、「ルル」、「カルメン」、「クンドリー」、「マノン」、「マクベス夫人」などが思い浮かぶけれど、まだありましたかね。

悩めるヘルデンテノールを主人公にしたワーグナーの完全な影響下にあった1作目「グンドラム」、ジングシュピール的メルヘンの「火の欠乏」、これらいまやほとんど顧みられない2作に続いて書かれた「サロメ」は、1905年にドレスデン初演され成功を博し、各地で上演されたものの、好ましくない内容として発禁扱いにされることもあったという。
ちなみに、今週のシュレーカーやツェムリンスキーの諸作は、この10年後。

この「サロメ」が、前2作と、そしてワーグナー以降のドイツオペラにあって革新的であったのは、優れた文学作品をその題材に選んだことで、しかもその内容が時代の先端をゆくデカダンス=退廃ものであったこと。
咆哮しまくるオーケストラとむせかえるような豊饒な響きに、聴く者を不安と興奮に誘う不協和音や大胆な和声。
それに対抗せんとするには、強靭な声の持ち主たちがと必要となる。
しかも、その彼女はダンスをしなくてはならないのだから!

次ぐ「エレクトラ」でも同様の作法がさらに推し進められたが、5作目の「ばらの騎士」では一転、古典への回顧と耳当たりよい普遍性を伴った大向こう受けする名作を書くことになった・・・・・。
シュトラウスの15作のオペラをすべて聴いてきて、「エレクトラ」から「ばら騎士」への変化が一番ドラマティックであることには感嘆するが、初期2作を含めて、そのいずれにもいろんなシュトラウスの顔がしっかり見え、そしてその顔すべてがシュトラウスの姿なのだと理解を深めることができた。
オーケストラ作品だけでは、理解の及ばない複雑だけど、実はシンプルなR・シュトラウスなのだ。

 ヘロデ :ケネス・リーゲル   ヘロディアス:ハンナ・シュヴァルツ
 サロメ :キャサリン・マルフィターノ  ヨカナーン:ブロン・ターフェル
 ナラボート:キム・ベグリー        小姓:ランディ・シュテーネ
 奴隷  :ランファイグ・ブラガ     
 ユダヤ人、ナザレ人:ペーター・ローゼ、マルティン・ガントナー ほか

   クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮
                   ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                      (94.4@ウィーン・コンツェルトハウス)

冒頭に、肉食系と書いたのだけれど、この演奏は濃厚な肉料理というよりは、ソースは軽め、素材も新しいヌーベル・キュイジーヌといった感じで、疲れて帰ってきて聴いても、そんなにもたれることなく、さらっと聴けてしまう演奏に感じたんだ。

そう思わせる要因は、指揮者とサロメにある。
分析的な演奏で、時に面白みに欠けるドホナーニだが、オペラではそうした趣きはプラスに転じていて、聴き慣れた作品が鮮やかな切り口と手際のよい整理により、鮮明な姿で音となっているのを感じる。
ドホナーニの、こんな少しデジタルっぽい演奏も、シュトラウスの場合はいいと思う。
ところが、この指揮から微妙にはみ出る色気を放つのがウィーンフィルなのだから、指揮者にとっては心強いというか、やりにくいオーケストラなんだ。

キャサリン・マルフィターノは、90年代サロメを各地で歌っていて、映像にもあるし、日本でもウェールズオペラとともにやってきて歌っている。
映像なし彼女のサロメを聴くと、ニルソンやボルク、ゴルツ、リザネック、ジョーンズといった強烈な声のおっかないサロメとは完全に一線を画したニュー・ヒロインとしてのサロメ像を歌いだしているのを感じる。
女性的だったベーレンスや、いまだ未聴のステューダーとも異なるのではと思う。
 マルフィターノ、ちょっと少女ふうでもあるし、コケテッシュに振る舞うようでもあり、神秘的でもある。ところが最後は大バケしてエキセントリックな女になって猛突進。
こんな「サロメ」にゃ会いたくねぇ。
きっと騙されて、ぼろぼろにされて後悔してしまう・・・・だろうねぇ~。

ターフェルのヨカナーンは、神々しくて立派だが、ちょっとマッチョすぎないか。
リーゲルのすっとこヘロデ王は最高。
その妻シュヴァルツもなかなかの薄情ぶりでよろしい。
端役に、いまや新国や各地で活躍する歌手の名前を見出すのも、オペラ視聴の楽しみ。

Higanbana2
白いのも、ちらほら。

今週は、20世紀初頭のドイツのオペラを3作、関連づけて聴いてみました。
ワーグナー以降のドイツオペラ、ヴェルディ以降のイタリアオペラ。
それぞれ、ますます聴いてゆきたいさまよえるクラヲタ人なのでありました。
 そして、週単位でテーマを決めて音楽を聴くことを継続してるが、なかなか疲れますし、ネタ切れ御免です(笑)

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コメント

今晩は。コンヴィチュニー演出の「サロメ」観劇お疲れ様でした。この演出家、私は食わず嫌いのようです。シュトゥットガルト歌劇場の演出を手がけたワーグナーのリングのDVDが出ていて、興味はあるのですが、「ワーグナー鑑賞上級者用」などと紹介しているホムペもあったりして怖くていまだに手が出せません。でもサロメの演出は素晴らしかったようですね。
 ドホナーニの「サロメ」はDVDを持っています。確かにドホナーニの作る音は時にデジタル的な感じがしますが、私は彼の音楽作りが結構好きで、クリーヴランド時代のドヴォルザークやマーラーはお気に入りです。次はシノーポリ指揮ベルリン・ドイツオペラの「サロメ」が観たいですね。

投稿: 越後のオックス | 2011年2月27日 (日) 02時45分

越後のオックスさん、こんばんは。
コンヴィチュニー演出を実演で観るのは、これで3度目。
映像は幾度か。
しかし、映像ではとらえきれないのが、こうしたおもしろ演出家。
舞台全体を観ることで、そのすごさがわかります。
彼の演出のすべてを肯定するものではありませんが、音楽をよく理解したうえでの踏み込み方は、ほかの演出家からしても抜きんでていると思います。
そしてなによりも面白いことです。

ドホナーニは、いまや影が薄いですが、実はすごくなってそうですね。

投稿: yokochan | 2011年2月28日 (月) 21時28分

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