ツェムリンスキー 「フィレンツェの悲劇」 コンロン指揮
中華風のイルミネーション。
安安心全~安全安心、どちらでも意味が通る。
漢字ってすごい文字であります。
中華街の入口のひとつにある警察署の前庭より。
なんだかんだいって、中華料理は週に一度は食べてるかも。
しかしですねぇ、お手柔らかにお願いしますよ、なんたって悠久の大国なんだから。
アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871~1942)の1幕物のオペラ「フィレンツェの悲劇」を。
前回のシュレーカーとほぼ同時代人で、やや年上。
ともに、マーラーの意匠を次ぐ作曲家で、同じユダヤ人として、晩年はナチス台頭により不遇の晩年をむかえている。
そして、指導者と指揮者としても大きな足跡を残している。
ツェムリンスキーは、いうまでもなく、シェーンベルクの良き友であり師であり、義理の兄でもあった。それとマーラーと結婚する前のアルマの音楽の師でもあり、愛情も抱いていた。
あと有名なところでは、コルンゴルトもいたし、当然に新ウィーン楽派の面々も間接的にそう。
指揮者としては、ウィーンやプラハで優れたオペラ指揮者でポストももっていたくらい。
一方のシュレーカーは、ベルリン音楽大学長を務めたので、その門弟はたくさん。
ラートハウス、クルシェネク、グロース、フィビヒ、ホーレンシュタイン、ロジンスキ、ローゼンストック・・・・。
ウィーンからフランクフルト、ベルリンとそれぞれ拠点を変えて、指揮活動も盛んで、ご存知のとおり、マーラー千人の初演者であります。
このふたりは、互いに自作を指揮しあってたはずだし、優れた台本作家でもあったシュレーカーにツェムリンスキーは、オペラ台本を依頼したりもしている。
ふたりの音楽は、初期のものほどお互いにロマン派の流れの中にあり折衷的だが、世紀をまたぐと、甘味濃厚後期ロマンティシズムの境地にあふれるようになっている。
しかし、シュレーカーがメロディアスで、プッチーニ的であるのに対し、ツェムリンスキーはより生々しく表現主義的な様相が強い。
ともかく、オペラ作曲家として、わたしにとって、探求のしがいのあるふたりなのであります。
ツェムリンスキーのオペラ作品は8作。
「フィレンツェの悲劇」は、その5番目のもので、1916年の作。
原作は、かのオスカー・ワイルド。
1時間を切るコンパクト作品として、同じ作曲家の「こびと」や、フィレンツェを舞台にした「ジャンニ・スキッキ」などとも抱き合わせて上演されたりする。
グィド・バルディ(若い貴族):デイヴィッド・キューブラー
シモーネ(商人):ドニー・レイ・アルバート
ビアンカ(シモーネの若い妻):デヴォラ・ヴォイト
ジェイムス・コンロン 指揮 ケルン・フィルハーモニー・ギュルツニッヒ管弦楽団
(97.3@ケルン)
16世紀 フィレンツェ 商人シモーネの邸宅
商人の邸宅の居間で、貴族バルディが、商人の妻ビアンカの元に膝をつき、お互い目を見つめっている・・・・。
そこへ、壮年の旦那、シモーネが帰ってくるので、ビアンカはあわてて飛びあがり、ふたりは離れる。
シモーネは、衣料の外商からの帰りで、大きな荷物を背負っている。
妻にずいぶんゆっくりなお出迎えだな、もっと早く来い、とあたる。
そして、彼は、この二人の関係を怪しんでいる。
この男は誰だ?親類かなにかか?と問うシモーネに、グイドは、自分の名前を明かす。
これを聞いたとたん、コロッと態度を変え、ななんと、フィレンツェに並ぶもののいない偉大な支配者のご子息であられますか・・・・、と。
グィドは、あなたの留守中に何度か来てたんですよ、孤独で気の毒な奥さまのお相手をしていたんですよ。と気楽に応える。
シモーネは、それはそれは。。。と、商売のチャンスとばかりに、妻に荷物を持ってこさせ、高価なダマスク織りを見せて、あーだこーだと褒めそやし売りつけてしまう。
正直者のシモーネさん、お金は明日届けさせますよと、グィド。
さらに調子にのって、次から次に高額商品を売り付けるシモーネ。
大金の約束に、ついには、この家にあるものは、みんなあなたのものですとシモーネは言う。
ところが、グィドが指名した欲しいものは、ビアンカであった。
シモーネは笑顔で、「そりゃ冗談でしょ、この女は家事や糸紡ぎの仕事があるんでさ。」
とビアンカに部屋に籠ってろと叱る。
あれこれ、忙しく出たり入ったりしているシモーネの傍らで、「恥を知れ」とか、「商売しか頭にない、あんな男は大嫌い、死んでしまえばいい」、とグィドにささやくビアンカ。
そこに戻ってきたシモーネは、「いま、死とかなんとか言ったか?」と問い、しばし妄想にふけり独白する。やがて冬が来て、わしの頭はグレーに染まり、そして賢さを増すというものだ・・・・・。そして、リュートを取り出し、グィドに弾くようにせがむが、若者はいまはそんな
気分じゃない、と断る。
やがて、シモーネは庭に続く扉を開けて、月に照らされた庭に出てゆく。
二人きりになった、グィドとビアンカは、もう最高に甘ったるい濃厚二重唱を歌う。
しばしのち、シモーネが戻ってくる。
グィドは、暇を告げるが、え、もう、ドームの鐘はまだ鳴ってませんぜ、もうここで会えなくなるんじゃないかと不安なもんでね、とシモーネ。
かつて、わが家系が不名誉を受けそうになったときに、わしはそりゃ抵抗したものよ。。。
え、あなたはいったい何を言い出すんだと、グィド。
だんだんと激昂してくるシモーネは、ビアンカに剣を持ってこいと命じ、決闘を挑むが、グィドはやめるんだと言いつつも、剣をとる。
ビアンカは、やっちまえ、死んでしまえ、と若い方を応援する。
やがて、取っ組み合いの決闘となると、シモーネはグィドの喉元を渾身の力で締め付け、お前はここで裁かれるのだと、とどめに最後の力を振り絞る。
苦しい声で神に祈りを捧げるグィドに、アーメンで弔うシモーネ。。。。
さて、もう一人だ。。。、とゆっくりと立ち上がってビアンカに向かうシモーネ。
ところが、ビアンカちゃんは、優しく、うっとりと、「なんで、あなたはそんなに強いって言ってくれなかったの?」
シモーネは、「え? お前はどうしてそんなにキレイなんだ」と、ふたりは熱く抱き合うのでした。。。
~幕~
あれ?偉い人の後継ぎ殺しちゃって、そのままそれでいいのかよ?って残尿感のたっぷり残る幕切れ。
一見、ヴェリスモ風な血なまぐさい市井の出来事を扱っているようだか、そこはオスカー・ワイルド。
力(権力)の前に屈服する人間の弱さと偽善を描いたものとされる。
なるほどね。
それにしても、力強く豊饒な前奏曲の出だしに続いて、すぐさまに官能的な旋律が流れだす。このオペラはこうした対比の連続で、一方で、商人がお宝を次々に引っ張り出して披露する場面では、金銀財宝キラキラ的な写実感にあふれていて、これはまさにR・シュトラウスのお得意の技とおんなじだ。
そして、夫の隙をついた濃厚ラブシーンでは、そりゃもう甘々のとろけるサウンドが耳をくすぐるんだ。もう堪りませぬよ。
ちゃんと歯を磨いて寝ないと、虫歯になっちゃうくらいに危険な甘さなんだ。
で、最後の劇的な決闘シーンに、あっけないくらいの夫婦見直しのシーン。
静かに、夜の帳が降りるように曲は終ります。
うっふっーーーん
ツェムリンスキーに異常な執念を燃やしたJ・コンロンとケルンのオケは、実にスマートでかつ濃密。ツェムリンスキーの音楽の特徴を余すことなく捉えているし、オペラに長けた人だけにその雰囲気もばつぐん。
剛直なアルベルトの商人は、このオペラの主役だけに歌いどころもたくさんあるかわりに、コロコロ変わる心情を歌い込まなくてはならないが、見事なバスバリトンでしたよ。
シャイー盤の、ほの暗いドーメンも捨てがたいし。
で、登場が少なめだけど、デヴォラ・ヴォイトもこうした曲ではホントうまい。
一言ふたこと、が実にサマになってるし、決闘シーンの殺せ殺せは、まるでサロメかエレクトラみたいな没頭的なもの。
キューブラーのリリカルな甘さはこれでよしの若様ぶりでした。
コンロン盤とシャイー盤、ふたつでかなり満足だけど、息子ジョルダンのパリ演奏も気になるひとつであります。
ツェムリンスキーのオペラもシリーズ化しますよ。
ある夜のハマスタ。
身売り報道もなんとか移転なしで済みそうで、つくづくも迷惑な一言だった。
あとひと試合。
意気消沈の選手たち、このところ1点も取れません・・・・。
やっぱ、強くなきゃ、ファンも権力もやどりませんな。
大量の解雇や引退が吹き荒れる厳しい状況は身につまされます。
木塚の引退、佐伯の解雇、田代2軍監督のドラゴンズ行き・・・、理不尽な人事が昔から多いのもこのチーム。
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コメント
シャイー盤で聴きました。
「影のない女」の短縮盤のようなオペラですよね。
作曲も同時期だし、なんか関係があるんでしょうかね。
ツェムリンスキー・シリーズよろしくお願いします。
投稿: コバブー | 2010年10月 9日 (土) 21時58分
コバブーさん、こんにちは。
短いし、適度に劇的だし、なんといっても甘味だしで、お気に入りのオペラのひとつです。
同じ頃に活躍した二人ですから、台本選びも含めてお互い意識していたことは間違いありませんね。
ツェムリンスキー、次も準備中なんですが、対訳なしなので難行です。
頑張りますので、楽しみにお待ちください(笑)
投稿: yokochan | 2010年10月10日 (日) 14時09分