NHK交響楽団定期演奏会 シュテンツ指揮
晩秋と初冬の境目。
今週の土曜もまたNHKホール。
わたしにとって、N響に魅力的なコンサートが続いている。
そして、新鮮なマーラーが聴けた。
マーラー 交響曲第2番「復活」
S:クリスティーネ・リポーア
A:アンケ・ファンドゥング
マルクス・シュテンツ指揮 NHK交響楽団
東京音楽大学合唱団
(2010.11.20@NHKホール)
マルクス・シュテンツというドイツの中堅は、今が旬の指揮者で、これからいろんなポストを得て大活躍することでありましょう。
なにより、オペラが振れるのがよい。ケルン歌劇場を率いて、上海で先頃「リング」上演をしたツワモノだ!
貴重なリング通しを、ついでに日本でもやって欲しかったところだが、発展著しい中国には行っても、日本には来ない演奏家が今後も増えるのでしょうな。
雑談はさておき、シュテンツの指揮ぶりは、なかなかの本格派で、左右巧みに振り分けながら、奏者への指示は細かすぎず、流れと全体の構成を重視したしなやかなもの。
そして、その音楽は、敏感かつニュアンスに富み、繊細さを重視した大人のマーラーに感じられた。
第2ヴァイオリンとビオラを入れ替えた対向配置。
2基のティンパニや、大小銅鑼をはじめとする打楽器群も左右に分かれるオーケストラ。
きっちり25分の第1楽章。長大さも少しもだれず、大音響もうるさくない。
強弱の幅が豊かで、この楽章の肝、しいてはマーラー指揮者のリトマス紙ともいうべき中間部。
冒頭場面が再現し、打楽器、ティンパニが炸裂したあと、音楽は死に絶えたように止まり、その後、低弦がうごめくようにはい上がってくる。
ここでの休止の緊迫感と、低弦のニュアンス豊かな最弱ピアニッシモ。
テンポもここではすごく落としている。
限界の緊張の見事な表出に感じた。
こんな微妙で自在な表現は、続く早めのテンポ設定の2楽章でも威力を発揮していて、思わず耳をそばだてしまう新鮮さを持っているのだ。
さらに、3楽章、ここでも低徊することなく進むが、子供の不思議な角笛を強く意識させる歌謡性を感じた次第。
次ぐ「原光」は、シュテンツの解釈をそのまま理解し、同質化したアンケ・ファンドゥング。
この人は素晴らしい。
繊細きわまりない歌い口を貫きながら、巨大ホールにその深い声をも届けることができているのだった。
わたしの記憶違いでなければ、彼女は、バイロイトにも出ていたのではなかったでしょうか。
深淵ではなく、何故か優しい雰囲気の4楽章の後は、巨大な終楽章。
まるで、オペラを観て、聴いているかのような伸縮自在・縦横無尽のドラマが嫌味なく展開される思いに酔い、浸ったのです。
ビジュアル的にも、左右の打楽器奏者が、いくつもかけ持って、出番に備えてそろりそろりと移動する様子なども見ながら、大いに楽しんだ次第にございます。
ともかく、音の出し入れがうまく、聴いてて、あっ、そう来るか・・・、とか思うことしきり。
そして驚きは、スコアが段ボールに入ったまま手元にないので番号を指摘できませぬが、展開部へ導入する打楽器によるクレッシェンド。
復活視聴歴35年になるけれど、こんなに長い、どこまでも長いのは初めて!
えーーー、どこまで、と思いつつ聴いてたけど、まだ終わらない。
こんな手段をとっても、全体の構成の一部として聴かせてしまうシュテンツの腕前はどうだろう。
合唱の入りも、極めて繊細。
だから、フォルテの個所がとても雄弁で、どこまでも幅があるように感じる。
リボーアのソプラノが、ちょっとフラットぎみだったけれど、そののちは万全。
独唱・合唱ともに相和して、バンダ・オルガンも加わって、大いなるクライマックスを見事に築いて、曲を終結した。
シュテンツの小手先でない、音楽性豊かなユニークなマーラーを堪能することができました。
N響は、こうしたドイツ系の指揮者は、確実に押さえておくといいと思う。
N響かつての伝統の、ドイツカペルマイスター指揮者は、こうしたシュテンツのような進化したマルチ指揮者によってとって替わってきているのであるからして。
最後に、苦言というか課題を。
今日は、最初から最後まで、おそらく補聴器のハウリングと思われるキンキン音に悩まされた。静かなところでは、演奏者も気にしていたくらい。
人のことは言えないが、N響定期の場合年齢層が高く、この事象は非常に多いと思われる。機器の問題として、どうにかならないものだろうか。
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コメント
うわぁ~~。。。
『復活』大好きなので、聴きたかったですねぇ。
独自のスタイルを持つ本場の指揮者。いいな~。
・・・明日も楽しみですね♪
投稿: 左党 | 2010年11月20日 (土) 23時18分
初めてお邪魔します。
最近時間に余裕ができてまたクラシックをぼちぼち聴き始めています。
復活を生で聴くのは30年ぶりでした。
スコアなど読めないし、音楽を聴くだけという楽しみ方なので詳しいことはまったくわからないのですが、
>展開部へ導入する打楽器によるクレッシェンド。
ここの部分が本当に長くて驚きました。
こういうのは指揮者が勝手に長くしたりできるものなのでしょうか?
舞台裏のテインパニは実際に叩いているのですか?
ホルンやトランペットの人は途中から舞台に出てきたので生なんだなとわかりましたが打楽器の人が出てきたのは見落としたのかな?
クラシックのコンサートは行っても途中で寝てしまうことが多いのですが、昨日は最後まで眠気に襲われることもなく楽しめました。
自由席のチケットで見に行ったのですが、すごく感動しました。
機会があったらまたコンサートに行きたいと思います。
お邪魔しました。
投稿: ちょび | 2010年11月21日 (日) 09時47分
左党さん、おはようございます。
期待通りのユニークなマーラーでした。
マーラー人気ゆえ、巨大ホールはソールドアウトでしたよ。
今日のマーラーは、最上級のオーソドックス演奏が聴かれると思います。
投稿: yokochan | 2010年11月21日 (日) 11時21分
ちょびさん、こんにちは、はじめまして。
コメントありがとうございます。
久しぶりの復活、ご堪能されてなによりでした。
わたしも、今年6月に神奈川フィルで聴いたのが、25年ぶりぐらいでして、80年代、マーラーにはまっていた頃のもの以来でした。
こうした曲の場合、やはり、ライブはいいですね。
わたしは、スコアは見るだけで決して読めませんが、例のヶ所はまだ未確認です。こと細かい指示があるマーラーですが、あれは、長さの指定はないのでしょうね?
ステージ裏の別動体もちゃんと指示通りで、マーラーの演奏してた通りを目指していると、シュテンツはどこかで述べているようです。
ともかく、いいコンサートでしたね。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2010年11月21日 (日) 11時36分
お疲れ様です。
演奏の感想はちょっと別れましたが、それ以外のところは同じ意見でした。
投稿: 河童メソッド | 2010年11月21日 (日) 12時36分
河童メソッドさん、こんにちは。
変化球マーラーに、わたしはある意味新鮮さを覚えました。
自己耽溺型とも異なり、いまなら、これもありかと。
しかし、こんなこと言ってはなんですが、多すぎですよね。自分もあと少しでそうなるのですが、コンサートに出かけるというのも、刺激になるしいいことなのでしょう。。。しかし、マナーは守ってもらわないと、ですねぇ。
投稿: yokochan | 2010年11月21日 (日) 14時48分
私も聴きました
昨日昼に札幌から飛んで
今早朝戻りました
とにかく素晴らしかった
言葉 になりません
何度も何度も聴きに来てますが
並み外れて最高でした
これで打ち止めにします
ミューザはキタラに近い音響でいいホールですね
投稿: sba | 2010年11月23日 (火) 00時05分
sbaさん、こんばんは。
もしかしたら、多分ですが、こちらのコメントはミューザの、マリス&コンセルトヘボウのものと思い、そうコメントさせていただきます。
ヤンソンスの熱意ある音楽造りは、聴き手も奏者も虜にしてしまいますね。
いつまでも若い音楽であるところも魅力です。
そしてミューザとキタラは似てますね。
あとひとつ、新潟のリュートピアも同じ雰囲気に思いました。
遠征、どうもお疲れさまでした。
札響がキタラで聴きたいです!
投稿: yokochan | 2010年11月23日 (火) 01時01分