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2010年11月 2日 (火)

マーラー 交響曲「大地の歌」 シノーポリ指揮

Nosapp1

この先にある北方領土。
歯舞諸島が、天気が良ければ見えるはず。
かなり以前、真冬に釧路に泊まり、現地の方の車で厚岸、根室、そしていたずら心で吹雪のなか、納沙布岬まで強行。
途中、車が雪にはまってしまい、雪まみれになりながら脱出。
助けてくれた方に、バカすんなよ、と言われながらも、さらに進んでここに到着。
ホント、死ぬかと思った。
もう7年も前ですが、生きててよかった。

政治が弱いのか、周囲が強いのか、日本は完全な負のスパイラルに陥っていて、内外ともに不条理が横行している。
国も庶民も辛いです。

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マーラー「大地の歌」。
昨日は、ツェムリンスキー「抒情交響曲」。

「大地の歌」が1908年、「抒情交響曲」が1923年。
ともに、女声と男声のソロを伴う連作歌曲交響曲で、メゾにテノール、ソプラノにバリトンという両極の声部を配し、7楽章という形式も同じ。
さらに、マーラーは、李白を中心とした中国詩を素材とし、ツェムリンスキーは、インドのタゴールの詩を素材としているので、ともに欧州から見たエキゾシズム。
さらに、どちらもドイツ語の訳集からとられているので、本来の原語からすると、ややフィルターがかかっている。

では、年代からして、ツェムリンスキーがマーラーの二番煎じかというと、決してそうではなく、外観=形式のみを踏襲しつつも、その音楽や個性はまったく別物というべきで、昨日も書いたけど、マーラーは厭世と死、ツェムリンスキーは神秘性と愛への憧憬。
マーラーは、ワーグナーを超えて違う次元に到達してしまったのに比して、ツェムリンスキーはトリスタンの延長を濃密に描いたような印象を受ける。
 ツェムリンスキーの朋友・弟子のシェーンベルクが、抒情交響曲の10年以上前、マーラー第9と同じ次期にトリスタン的な「グレの歌」を作曲してしているところがすごいところで、シェーンベルクがその後に無調や12音に走っていったことで、戦後、師がマイナーな位置に甘んじてしまったことの対比がよくわかる。

「大地の歌」と「抒情交響曲」、こうしてふたつ比べてみるのもおもしろいことであります。

今日の演奏は、シノーポリの指揮によるもの。
こちらのウリは、フィルハーモニアと番号交響曲を全部録音したあと、間をおいて、時の手兵ドレスデンと録音した1枚だということ。

フィルハーモニアとのものは、5番にスタートして出るたびにいくつか揃えたけれど、退屈になって途中で挫折してしまい、それきり。
最初に感じた新鮮味や、濃厚さ加減が、逆に鼻に着くようになってしまった結果でありました。
でも、96年録音のこちらは、ドレスデンのオーケストラの持つ味わいが、シノーポリの強さを中和してしまったようで、耽美的なまでに沈滞し、かつ思索的な様相を呈しているんだ。
この頃からシノーポリの音楽は、極端なダイナミズムや濃厚な味付けが影を潜めつつあって、音楽をじっくり見つめて語るようになっていったと思う。
バイロイトのパルシファルやリングなども、そうした傾向が強かったし、ブルックナーに傾倒していったのもそのあらわれかと。

だから、「告別」はフェルミリオンの名唱も加えて、聴いていて息をひそめて耳を澄ましてしまうくらいの深みある演奏が展開される30分間なのだ。
無常感ただようフルートに、去りゆく友に想いを馳せるメゾ。
背景のバスの持続音・・・・・。なんと繊細かつ微弱な世界なんだろう。
ewig ewig・・・・では、消えゆく影を、水墨画の山並みの彼方に感じ、そこに人生の終焉を感じることもできるが、ここでは最後ではなく、別離の先にある新たな世界や出会いをも感じさせる、不思議な明るさも感じさせる。
シノーポリの音楽の持つ明晰さがもたらす世界かもしれない。

テノールのK・レヴィスは、声が明る過ぎ上ずってしまい不自然だが、フェルミリオンの知的かつ明晰な歌唱は素晴らしく、シノーポリの指揮とドレスデンのオーケストラにピタリとあっている。

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コメント

今晩は。マーラーの交響曲はどの曲も色々な演奏を集めてきましたが、何故か4番と大地の歌だけが盲点です。4番は手持ちはショルティ&シカゴとマゼール&ウィーンフィルだけですし、大地の歌はクレンペラーとレニー&ウィーンフィル盤とイスラエルフィル盤だけです。4番は楽天的過ぎてあまりマーラーらしくないような気がして、マーラーの交響曲にしてはコンパクトな長さなのにあまり親しめません。大地の歌はクレンペラーがあまりに強烈過ぎて他の演奏を聴く気が起こらないのです(他の指揮者の演奏で愛聴している皆さんご免なさい)。でもシノーポリ&ドレスデンがそれほど素晴らしいのなら聴いてみてもいいかなと思いました。今は国内盤が1000円で入手可能ですし。90年代に高いレギュラー盤を買った方に申し訳ないみたいですね。

投稿: 越後のオックス | 2010年11月 3日 (水) 00時35分

言い知れぬ寂寥感と儚い希が明滅するような、シノポーリとフェルミリオンの「告別」に惹かれ、愛聴しています。感動的な演奏ですね!

投稿: さすらい人 | 2010年11月 3日 (水) 08時52分

越後のオックスさん、おはようございます。
4番と大地の歌が盲点ですとは、以外ですね。
4番はさほど長くなく、静かに楽しめるので重宝してますし、天国的な緩徐楽章などは大好きです。
そして、大地は、なんといっても歌が魅力。
クレンペラーは、わりと後年に聴いてますので、わたしには、バーンスタインとイスラエルが刷り込みでして、爾来いろいろ集めてしまいました。

昨今の廉価盤や輸入盤の激安ぶりに、自分がかつて支払ってきたものは一体何だったろうか・・・、と空しくなります。
でも、安くなってもCDは売れない。
完全なデフレ・スパイラルでございますね。

投稿: yokochan | 2010年11月 3日 (水) 10時42分

さすらい人さん、おはようございます。
シノーポリ盤のファンがいらっしゃって嬉しいです!

ほんと、告別は、歌手も指揮者も素晴らしいですね。
無の境地みたいです。

投稿: yokochan | 2010年11月 3日 (水) 10時44分

先越されちゃいました〜(笑)。
シノーポリの激安マーラーBOXを少しずつ聴き進んでいる私です。
大地の歌はまだ未聴ですが、楽しみになって来ました。LP時代にワルター&フェリア、パツァーク盤が刷り込みになっており、だいぶ雰囲気の違う大地の歌にまた期待を掛けております。

投稿: golf130 | 2010年11月 3日 (水) 22時34分

golfさん、こんばんは。
お先に失礼をばいたしました(笑)
あのボックス、欲しいような、もうわかってしまったようなで、複雑な心境ですが、この大地の歌は、まったく素晴らしいものでした。
ワルターのウィーン盤、わたしはかなり後で聴いてます。
バーンスタインやカラヤン、ショルティが先だってまして、ちょっと変わってます。

投稿: yokochan | 2010年11月 4日 (木) 00時18分

 ショスタコーヴィチやプロコフィエフやマーラーの名演で日本でも親しまれてきた大指揮者ルドルフ・バルシャイ氏が亡くなられました。かなりのショックです。亡くなる直前までフーガの技法を編曲する仕事に励んでいたそうです。心からご冥福をお祈りします。

投稿: 越後のオックス | 2010年11月 4日 (木) 21時17分

越後のオックスさん、こんばんは。
バルシャイの訃報は、わたしもHMVのニュースで知りました。
わたしの世代だと、バルシャイは室内オケの指揮者で、ショスタコ14番の初演者というイメージが強く、マーラーを指揮したり、レニングラードを録音したりしたときは、驚いたものです。
バルシャイ版の編曲ものの名作も多いですね。
バッハはどこまで完成してたのでしょうか。
残念なことですね。

投稿: yokoyama | 2010年11月 5日 (金) 18時17分

今日は。過去記事に書き込み失礼いたします。人気の高い4番と大地の歌が盲点だという少し恥ずかしい告白をしてからもう大分経ってしまいましたね。去年の夏、この2曲にもっと馴染もうと思ってhmvでブーレーズの4番と大地の歌、それにケント・ナガノの大地の歌を購入して何度も聴きました。ブーレーズは4番がクリーヴランド、大地の歌がウィーンフィルです。どちらも素晴らしい演奏でした。4番は同じ米国の名門楽団を指揮した快速演奏ですがショルティとは全く違った魅力に溢れています。大地の歌も終楽章「告別」の素晴らしさをクレンペラーやレニーとは全く異なるアプローチで教えてくれました。ナガノの大地の歌は、彼のパルシファルでの明晰な指揮が記憶に新しかったので大いに期待していたのですが、そしてナガノの指揮は期待を裏切らないものだったのですが、フォークトの歌唱にどうしても馴染めませんでした。ネット上でもフォークトの歌唱に対する評価は分かれており、「新鮮味があっていい」という人も「これの何処がマーラーなんだ!バッハのマタイじゃないぞ」と怒っている人もいます。フォークトはバイロイトでローエングリンをやったそうですが、こういう歌い方でローエングリンをやっているのであれば私は彼のローエングリンやタンホイザーには、親しめそうにありません。

投稿: 越後のオックス | 2012年6月16日 (土) 11時53分

越後のオックスさん、おはようおざいます。
マーラーの音楽は、時には遠くに、時には近くに、常にわたしたちとともにあるような気がします。
ほんと、予言通り、時代がやってきたわけですね。
そして、4番と大地に、ブーレーズとケント・ナガノですか。
なかなかにユニークな選択に存じます。
わたしは残念ながら両者ともに、まだ未聴なのですが、コメント拝見しまして、だいたいのイメージが湧くようなきがしました。
ブーレーズは、早く全集化されないかと思ってます。

そしてフォークトですが、ただいま新国のローエングリンで来日中ですね。
バイロイトでのワルターとローエングリンは、ずっと聴いてきましたが、デビュー時はずいぶんと頼りないな、と思いましたが、いまはほぼ肯定しております。
ネズミが出てくるノイエンフェルスのローエングリンも、彼あっての感があります。映像を見てなおさらに思いました。
ソロCDを購入しましたので、近々レヴューしたいと思います。

投稿: yokochan | 2012年6月17日 (日) 10時16分

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