R・シュトラウス 「4つの最後の歌」 フレミング&ティーレマン
有楽町駅前。
交通会館を中心に、きれいなイルミネーションにおおわれてました。
かつてはちょっと古えの趣きだった有楽町も、銀座の窓口ばかりでなく、商業施設や反対側のビックカメラ、そして丸の内から続くビジネス&ブランド街の混在にて、キラキラする街が蘇った。
今年最後の更新。
といっても、数時間後には新年初なんていいながら登場しますけど。
別に新年だからって、普段と変わらない生活をしたいわたくし。
でも、音楽の節目は、このところずっとこの曲。
昔は、NHKが大晦日に第9を必ず放送していたので、それを録音しつつ年を越すのが多かった。N響以外の海外ライブも多かった。
そして、ここ数年は、バイロイトのライブで年を跨ぐわけ。
でも今年はFMチューナーがお陀仏になってしまい、70年代後半から続いたバイロイトライブのエアチェックも、終止符を打ってしまうことになった。
終りは必ずくるもの。
でもこんなにあっさりくるとは思わなかった。
夏にネットで聴いたことが本当に救いだった・・・・。
そんなことを思いつつ、音楽の嗜好や聴き方も、少しづつ変化させていってる自分がいるわけです。
2010年の記事数291。別館飲食系が少しの26。
よく書きましたし、多くの方に閲覧いただきました。
ありがとうございました。
R・シュトラウスの「最後の4つの歌」。
今年は、ルネ・フレミングとクリスティアン・ティーレマンとミュンヘン・フィルハーモニーの濃厚な組み合わせで。
わたしとほぼ同い歳のフレミングは、またたく間にスター歌手になってしまった。
実演ではまだ接したことがないけれど、舞台ではきっと映える歌手なのでありましょう。
映像でもその雰囲気は独特で、気品と風格とともに親しみやすさも感じさせる。
マルシャリンや伯爵令嬢、アラベラなどのR・シュトラウスのお嬢様ものが素晴らしいのは当然であります。
だがしかし、視覚を伴わず、音だけで彼女の歌声を聴く場合には、時として味わいが濃すぎて、退いてしまうことも多い。
上手さが鼻につくのであり、節回しも独特な場合が多くて、そこだけが目立ってしまう。
でもですよ、それでも彼女の甘味料たっぷりの極上スゥイーツな声は魅力なんです。
ことにR・シュトラウスは。
先輩のキリとおんなじ。
「4つの最後の歌」でも、今風のすっきりとしたクリアな歌唱とは遠いところにあるように感じ、隈取りは濃く、ときに聴きなれない歌い口にも聴こえてしまうくらい。
晩年のシュトラウスが行きついた、諦念と澄みきった心境を歌い出すことはしていない。
音の美感に酔ってしまっているような感じ。
それは、ティーレマンの指揮にも感じ、もっと深い音楽が欲しいとおもったりもする。
しかし、シュトラウスはツワモノで、元気な老人だったから、去年も書いたけれど、これが最後とは全然思っていなかった。
そして、フレミングの歌にも、これからの夢や希望も込められているようで、深淵さは少なめなのだ。
大好きなこの作品だから、これはこれでアリの歌であります。
しかし、アイヒェンドルフの詩は深いです・・・・・。
「かくも深く夕映えのなかに、私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう、これがあるいは死なのだろうか」
このCDのわたしにとっての聴きものは、むしろ併録された「アリアドネ」と「エジプトのヘレナ」にありました。
フレミングの表現力の素晴らしさと、水を得たようなオーケストラ。
2008年4月、ミュンヘンのガスタイクでの録音でした。
これにて、年の部、終了でございます。
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