ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」 新国立劇場公演②
幕間が長いもので、お酒一杯のんだだけじゃ間がもたない。
火照った頭を覚まそうと劇場の内庭をぼぅーっと眺める。
そして、1月観劇予定の方は、以下は見ないで!
第1幕
前奏曲の開始とともに、紗幕の向こう、舞台奥に白い月がゆっくりと上がってくる。
その月はしずしずと移動し、紗幕にはさざ波が映り、右手の方からは、廃船になったかのような木の骨組みだけになった船が姿を現し、幕開きとともに舞台全面に横付けとなる。
そこには、イゾルデが一人座りこんでいて、月は驚くことに朱色に染まった。
この船、舳先がどうも不安定で、ただでさえ、大きな主役たちが駆け上ると、ぐらぐら揺れるところがなんとも。そして、船をしずしずと動かすスタッフの足も見えましたがな。
怒れるイゾルデと不安が一杯のブランゲーネについては、①で書いたとおり。
トリスタンがクルヴェナールとともに出てくると、そこにはなんと上半身裸の、ちょっとワルっぽい海賊みたいな連中も数人ついてきて、すごんだり、へこへこしたりしてる。
こいつらは、マルケ王の到着時にも出てきてへーこらしてたし、2幕のマルケ王の踏み込み、3幕のメロート往来にもついてきて、私的には鬱陶しいことはなはだしかったなぁ。
連中が出てくるとき、舞台に水が張られているのがわかったから、まぁよかったけど。
(1階の前の方だったので、見えなかったのですよ)
トリスタンとイゾルデは、最初から魅かれあう仲として、かなりリアルに描かれていて、特にイゾルデ側からの接近ぶりははなはだしい。
だから、媚薬は、単なるきっかけにすぎず、イゾルデは飲みほしたあと、思いいきり盃を文字通り投げ捨て、まってましたとばかりに、二人はすぐさま抱き合う。
薬が徐々に効いてきて、見つめあい、恥じらい・・・、とかいったプロセスはまったくなしに、即座の熱烈恋愛モード。
そもそも、二人には魅かれあった下地があったわけで、それを強く描いてみせたマクヴィカーの意図はいかに。
たいそうなボックスに入ったガラス瓶に入れられたたくさんの魔法の薬。
女主人の命に背いて、死の薬でなく、愛の媚薬を選択するブランゲーネは、ボックスを持って舞台から去り、われわれ聴衆には、何が調合されたかわからない。
実はこれ、愛の媚薬でなく、同じ媚薬でも死ぬことを欲し、結果、愛を成就するオクスリなのだ。
ゆえに、2幕でトリスタンは、自らメロートの刃に飛び込むばかりか、その刃を自分で何度も突き立てていて、いかにも死を望んでいたことが鮮明だ。
そして、イゾルデも、「愛の死」を歌ったあとは、わたし達に背を向けて、海にに向かって進んでいった訳で、それは浄化というよりも死にゆくイゾルデの姿を見せたものと思う。
原作にあるワーグナーの死への憧憬と愛との関係をよりリアルにしてみせたのではないか。
1幕は朱色の月がずっとかかっておりました。
第2幕
この幕は美しい。
船着き場を思わせる防波堤があり、灯台なのか一本の塔が立ち、そこには無数の銀色の輪がかかっていて、そこに水のさざ波が映し出されている。
逢引を急くイゾルデは落ち着きなく、あっちこっち動きまわり、海の水もすくったりしてる。
ブランゲーネも急くご主人さまに右往左往するさまがカワユイ。
松明をを、これまた思いきり投げ捨てると、のっしのしとトリスタンが登場。
大きな二人の逢瀬は、耳にも目にも大迫力なのだ。
ふたりは、黒にラメのはいった上着を着ていて、同質的。
長大な二重唱が始まると、上から無数の星のようなものが下がってきて、なんと先の輪っかは、ブルーのネオン管になっていて、あたりを青い光に照らしだしたのだ。
こんな幻想的でかつクールで美しい場面は初めて。
ブランゲーネは、右手の奥から姿を現し、後ろから暖色系の照明で照らされ、その影が映り込むなか、あの陶酔的なまでの音楽が響く。
これに感動しないわけがない。エレナちゃんの声が実はもう少し色気があればいいのにと思ったわたしは贅沢でしょうか。
歌い終えると、そこにうつ伏せで次まで待機。
メロートに先導された、マルケ王ご一行さまの踏み込みとともに、青い世界は白日の眩しい世界にとってかわった。
やぶれかけた悲しい雰囲気の幕も背景に降りてきた。
杖をついた爺さんのマルケ王は、ほんとうに弱っていて、これじゃイゾルデに手も出せんわな、と納得するほどの様相。
しまいに階段に躓いてしまうくらい。
このマルケ老王、3幕ですべてを知って出てくるところでは、杖も持たずにかくしゃくとしていたから、2幕ではよほど堪えたんでしょう。
そこまで対比してます。
刃に自ら倒れるトリスタンに、イゾルデは駆け込むでもなし、ゆっくりと歩みより、冷静にそこに膝を落としたように見えたが、これもまた既成のわかっていたことと言わんばかりのことか。
第3幕
またも月が昇っているが、今度は血の赤です。
例によって、水が張られているようです。
廃墟と化したティンタジェル城を模したのか、石積みの城壁が右手にあって、物見台にもなっている。
忠実なクルヴェナールは、動き的にはそんなにかいがいしくないけれど、スキットルからご主人になにか飲ませたりもしてます。
このふたり、みょうにべたべたするところが、外国演出家らしいところ。
抱き合ったり、介抱中に髪の毛をなでなでしたりしてるし。
最初は赤かった月も、トリスタンの苦悩の巨大なモノローグになったときに、その色を失い無機的なベージュになった。
これがいつ赤に戻ったか、ワタクシ音楽と歌に夢中になりすぎて覚えておりませぬ。
グールドの疲れをしらぬものすごい熱烈歌唱はすごかった。
イゾルデ到着を知り、傷口から血を沸き立たせるところでは、ちゃんと血糊を出して手を赤く染めてました。
しかし、舞台中央に倒れて横たわってしまう。
黒いベールと赤いドレスの(いや実際は黒が裏地の長いドレス)イゾルデが夢中になってやってくるが、このとき、テオリンは本当に息を切らせ喘いでいて、そのうえで、「トリスタン、ああ」と歌うものだから、こっちも涙がちょちょ切れましたよ。
で、血に染まった手を取ると、イゾルデの手もその血で赤く。
その後の決闘シーンも、マルケの何でや?の問いの間も、イソルデはずっとトリスタンの傍らにうずくまったまま。
メロートは武器を構えずクルヴェナールにやられてしまうが、クルヴェナールはバシャバシャとやってきた例の男たちにあっさりやられてしまい、男たちも、マルケ王の合図とともに、体を左右にゆっくりと揺らしながら彼方に消えてゆきました。
みんないなくなってしまい、マルケは椅子に茫然と腰かけ、ブランゲーネは例の体育座りのまま動かず、あたりは暗く、そして徐々に青い照明に包まれてゆきました。
赤い月を背景にイゾルデが歌う「愛の死」。
これほど感銘を受けたことはありません。
月も徐々に沈んでゆきます。
歌い終えると、イゾルデは背をむけ、舞台奥、そう海の彼方へと静かにゆっくりと歩んでゆき、赤い背中のみがだんだんと小さくなり、弱まる音楽とともに消えてゆきました。
実に美しいエンディングでありましたことでしょう。
幕
しかし、残念なことに、音楽が消えて余韻を楽しむ間もなく、上階の方から拍手をする方ひとり。つられてその拍手は広がっていってしまいましたよ!
なんでそうなるの????
わたしは、拍手もせず、じっとしたまま。まだ涙が出てくる。
泣き虫のわたしですが、人の感情表現の多様さに、今日ほど感じさせられたことはありませぬ。
9回目のトリスタンだけど、愛の死は、感動しながら聴きつつも、また速めの拍手きたら嫌だなと思いつつ聴いてしまうのです。
1月の上演では、こうならないことをお祈りしてます。
演出家マクヴィカーとブリティシュ軍団。きっと尾高さんのコネクションでもあるのでしょうか。
品のいい象徴的な舞台は、極めて美しく、ほどよく近未来的であり、余計な読み替えのないところがとてもよかったのではなかろうか。
衣裳デザインも、時代背景を見据えつつも人物の心象に合わせ、演出に相応しいもの。
人物の動きがかなり動的で、せわしいのは昨今の演出ならでは。
一度の観劇で、まだなんとも言えませんが、マクヴィカーは、「愛と死」というテーマを明快に掘り下げてみたのではないでしょうか。
リングもブリテッシュだった。
このトリスタンも、新国のレパートリーとして、繰り返し上演して欲しいものです。
(画像は記事①とともに、新国のサイトと産経ニュースから拝領してます。)
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コメント
こんばんは。
いや~凄い舞台でしたね。私は単品で買ったので一番後ろになってしまいましたが、それでも一階席だったのでかなり音は良かったです。私は休み時間に売店周辺をぐるぐるうろうろしてたのですが、恐ろしく混んでいたせいかお会いしませんでしたね。いやはや。
終幕、拍手が早すぎて私も頭にきました。新国立にはスポンサー用というか「業務用」的な席もあるらしいんで拍手した人はそういう席の人だったんじゃないかなと予想。私のいた列は空席がありましたが(売り切れじゃないの?)、スポンサー用の席だってことを小耳にはさみました。なんか勿体ないです。
投稿: naoping | 2010年12月29日 (水) 19時43分
naopingさん、こんにちは。
いらっしゃるとは思いつつ、あの人混みはこれまでの新国で初経験でした。
トーキョーリングのように、情報満載じゃない舞台でしたから、ゆっくりと観劇できました。
歌手がすごすぎ!
で、あの拍手には頭にきました。
業務席の方かもしれないですね。
観たくてもチケットが手に入らない方がいるのに、ほんともったいないです。
年末・年始は忙しいからよけいにそうなってしまうんでしょうかね。
投稿: yokochan | 2010年12月30日 (木) 15時20分
あの拍手 3階4列目 私が座っていた2~3人横の席
1800人を道連れにしましたね。
終わってからずっと睨んでおきましたが。。。。
投稿: heibay | 2011年1月 2日 (日) 11時27分
heibayさん、こんにちは。
あの無情なる拍手のそばでしたか!
まさに道連れでした。
なんで、我慢できないんでしょうね・・・・。
しかし、2009年のバイロイトのトリスタンの録音CDRを聴いてみましたが、こちらは和音とかぶって盛大な拍手が沸き起こっておりましうた。。。。
日本ばかりか、本場も無情が吹き荒れてます。
投稿: yokochan | 2011年1月 3日 (月) 11時06分
こんな丁寧な音楽作りと幻想的なトリスタン。初めてです。今から四半世紀前(1986年)にルネ・コロがキャンセルしたウィーン日本公演のトリスタン以来、何度か観ました(海外でも含めて)。
抽象的なものを、丁寧に解きほぐし、音楽も丁寧。とても秀逸でした。
投稿: 劇場から徒歩5分に住んでいる人 | 2011年1月 4日 (火) 21時31分
劇場から徒歩5分に住んでいる人さん、こんばんは。
ご近所で羨ましいです!
>丁寧な音楽作りと幻想的なトリスタン<
おっしゃるとおりに思います。
どこをとっても無理のない舞台に、安心感もありました。
ウィーン公演、わたしも行きましたが、アダムのマルケ王がめっけもののような素晴らしさでした。
素晴らしい上演でしたね。
コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2011年1月 4日 (火) 23時18分
こんばんは。
トリスタン行ってきました。席は二列目センター通路席で快適でした。どこにも寄らず直帰ですがこの時間です。歌手はみんな立派でした。ツィトコーワの表情と仕草がかわいく繊細で大変素敵でした。夜明けですよーの歌が今回一番でした。主役の声は二人とも低い声が出ないので表現力が不足かなとは思いますが贅沢かな。オケは残念でした。崩壊寸前。東フィルの悪いパターン。終演後ほとんどブラボー無し。カーテンコールでも寂しい状況でした。あのオケでは大野がかわいそうと感じました。かみさんはオケが濁っていたという感想ですが、ワーグナーも案外良いということで、これからが怖いです。
投稿: Mie | 2011年1月11日 (火) 00時03分
Mieさん、こんばんは。
千秋楽のご観劇でございましたか。
しかも、ご夫婦仲良く。
それにしても、奥さまも、ワーグナー道に足を踏み入れようとされていらっしゃいますご様子で!
ツィトコーワは、近くで観ると可愛くて、その良さがとっておよくわかりますね。
私も大いに気にいったブランゲーネでした。
東フィルは、今回どうも歩が悪いようですね。
私の時は、最初の方と、金管がアレレでしたが、全般には大検討と思いました。
年末の大盛り上がりと、正月の息切れの違いが出てしまったのでしょうか。
ともあれ、素晴らしいトリスタンでしたね。
投稿: yokochan | 2011年1月11日 (火) 23時56分
ウィーンの歌劇場、実際をみてないけど、歌手だけにこだわるなら、行きたい・観たいけど。
随分、新国 と 細かいところが微妙に違っても、概括的に似ているよね。
同じ演出家だから。。。
12月、ウィーンの歌劇場のインターネット画像付LIVE。
全体像が判ったら、焼き直しがよく判るだろうね。。。
投稿: Tantris | 2013年10月19日 (土) 08時20分
Tantrisさん、こんにちは。
ウィーンでもマクヴィガー演出なんですね。
世界基準で演出の使い回しがなされるのは、せちがらい世の中なのでやむなしですね。
よき演出ならばずっと残して欲しいものです。
ミュンフンの指揮なのですね、ウィーンは。
投稿: yokochan | 2013年10月20日 (日) 15時39分