ペーター・ホフマンを偲んで
わたしたち、ワーグナー好きにとって忘れえないテノール、ペーター・ホフマンが亡くなりました。
11月30日、バイエルン州ゼルプ市の病院、肺炎にてと報じられております。
享年66歳。
この報を、昨日、わたくしは知らず、今朝、コメントいただいた方と、いつもお世話になっておりますこちらで知り、愕然としました。
難病と闘い抜いた末、風邪によって肺炎となっての死。
まさにジークムントのように、戦いの末に、召されてしまいました。
euridiceさんの備忘録の記事と、そちらに掲載されておりますホフマンの死にまつわる本国の記事をどうぞご覧ください。
わたしは、涙が出てしまいました。
バイロイト音楽祭のHPでのホフマン紹介欄には、没年が載ることとなりました。
歌手生命は短いものですが、ホフマンの場合は、まだまだ絶頂期に病をえて舞台から去らざるをえなかった。
いつも愛着をもって聴いてきた歌手たちが、この世を去ってしまうと思うこと。
彼ら・彼女らが、歌わなくなって・話題にのぼらなくなって久しい時分に、思い出したように訃報に接してしまうものだから、その歌手の現役時代を若き日々に聴いてきた自分の体験とすり合わせた場合の、今との時間の空白の喪失感は、かなり大きなものと感じます。
うまく言えませんが、要は自分も確実に老いていってるということの寂しい裏返しなのでしょうか。
ホフマンの声を初めて耳にしたのが、1976年のバイロイト音楽祭100年の記念碑的な「リング」上演においての「ジークムント」でした。
当時、革命的だったシェローの演出にばかり話題が集中し、FMで聴いたときは、激しいブーイングばかりに耳がいってしまった。
しかし、混乱した舞台とまだ手探りのブーレーズの指揮というなかで、音源だけでも一際輝いていたのが、ホフマンそのひとだった。
わたしは、歌手では、コロとトーマスがそれぞれ分担してジークフリートを歌うというので、そちらばかりを期待していたが、結果はさんざん。
シェロー・リングでの立役者は、ホフマンとツェドニク、マッキンタイアにジョーンズだった。
以来、ずっとバイロイトでの活躍は聴いてきました。
ワーグナー以外も、クラシック以外もありますが、やはりわたくしにとって、ホフマンは不世出のジークムントなのです。
もちろん、パルシファルもトリスタンも、ローエングリンも素晴らしいのですが、孤独の雰囲気と悲劇の色濃いジークムントがホフマンと切ってもきれない役柄なのです。
今日は、ホフマンのジークムントを聴いて、ありし日を偲びたい。
ジークムントの登場する1幕と2幕をつまみ聴く。
1幕は、1985年、ニューヨークフィルの演奏会のライブ。
エヴァ・マルトンに、マッティ・タルヴェラという申し分ない組み合わせ。
指揮は、ズービン・メータ。
演技が伴うことなく、歌にも格段のゆとりと力強さがある。
ずっと歌い込んできたジークムント役。心情をしっとりと、そして細やかに歌い込んでいる。
メータの指揮が少しきれいごとすぎるかもしれないが、ドイツのオーケストラとは異なる軽さのようなものを感じるのは私だけ?
当時まだ存命だった、バーンスタインとやったら、いったいどんな風になったろうか・・・・。
そして2幕は、シェロー=ブーレーズのバイロイト盤。
1980年のこのプロダクション最終年度。
NYPO盤の1幕と比べると、劇場での演技を伴った歌唱ゆえに、より劇的で自在さがある。
熱さとほの暗さ、声のスピントの按配など、いずれもこちらの方が素晴らしい。
そして、2幕のジークムントは、あまりに切ない。
ジークリンデと逃避行から、元気一杯のブリュンヒルデから死の宣告を受けてしまうが、愛する人を体を張って守ることに、ブリュンヒルデの強い同情を得る。
しかし、喜びも束の間、探し求めた父に剣打ちすえられ、敵の槍に屈してしまう・・・・。
なんと悲しい存在なんだろうか。
ホフマンの歌声で、こうした場面を聴くと、心が痛くなってしまう。
映像で見るとさらに辛い。
シェロー演出では、残酷なまでに、何度も槍を突き立てられるジークムント。
そして、父ウォータンの腕の中に倒れ込む・・・・。
何度見ても涙が出てしょうがない。
ペーター・ホフマンは、いま、ウォータンの腕の中、ヴァルハラの英雄の席に列せられたのでありましょう。
そこには、メルヒオールも、ローレンツも、ヴィントガッセンも、キング、トーマス、歴代のワーグナー・テノールたちが盃をたむけていることでしょうか。
ペーター・ホフマンが天に召され、その魂が安らかなることをお祈りいたします。
過去記事
「バーンスタインのトリスタンとイゾルデ」
「ホフマン、ワーグナーを歌う」
「ブーレーズのワルキューレ」
「レヴァインのパルシファル」
「ハイティンクの魔笛」
「バイロイトのローエングリン」
| 固定リンク
コメント
yokochanさん、
やはり感無量ですね。
yokochanさんに比べて、ホフマンを知ったのはずっと遅くて、もっと早く知りたかったと残念に思ってきました。でも、出会いというのはそういうもので、出会ったときがその人にとってのそうあるべき時なのでしょう。
ホフマンの歌声と人生は、大勢の心の中で生き続けると信じます。
当然のことですけど、通り一遍の追悼記事が多い中、かつてすでに闘病生活に入ったホフマンにインタビューして記事を書いたジャーナリストの追悼記事が見つかったのは幸運でした。是非皆様に読んでいただきたいと思います。
リンクありがとうございます。一応TBもしておきます。
投稿: edc | 2010年12月 3日 (金) 08時22分
早い。。。66才とは早すぎる。。。病状について全く知りませんでした。ペーターホフマンはまだ若手のワグナー歌手という位置づけて私の記憶の中でストップしたままでした。ご案内のブーレーズの指輪はFMラジオで聴いていました。その時の記憶が今でもそのままなのです。ジークフリートではなく私の中ではホフマン=ジークムントなのです。
私が好きな歌手は私の不勉強と努力不足のせいでどんどんいなくなってきました。「昔はよかったなあ」という言葉を私自身感じるようになってきました。とりわけオペラ歌手についてそう感じます。今は若い頃に買いためてあるLPレコードやSPレコードを繰り返し聴いて楽しんでいます。
ペーターホフマン。あの若々しい声を今日は当時エアチェックしたカセットテープで聴いて一人でお通夜をすることにします。悲しい酒になりそうです。
投稿: モナコ命 | 2010年12月 3日 (金) 18時30分
euridiceさん、こんにちは。
ずっとホフマンを愛してこられたeuridiceさんのご心中、ご察しいたします。
いつも、ホフマンのことは教えられることばかりで、彼の生きざまや考えも、貴記事にて何度も拝見して、その都度、ホフマンの人間的な魅力に感じいったりしたものでした。
>ホフマンの歌声と人生は、大勢の心の中で生き続けると信じます<
本当に、おっしゃる通りですね。
これからも、残された音源や映像を大切に聴いていこうと思います。
そしてご案内いただきました追悼記事には泣かされました。
TBもどうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2010年12月 4日 (土) 16時14分
モナコ命さん、こんにちは。
またしても、名歌手がひとり召されてしまいました。
悲しいです。
わたしにとっても、ホフマン=ジークムントでして、キング=ジークムントと拮抗しております。
でもあんなに運動神経抜群のカッコいいヘルデンテノールは、もう出てこないでしょうね。
バイロイトで、クリングゾルが実際に槍を投げ、それをひしと受け止めたホフマン。その映像がどこかにないものでしょうか?
ピカピカのCD音より、レコードの方が、往年の歌手を聴くには確かにいいですね。
追悼聴きをすると、ついつい飲みすぎてしまうのが難点です!
投稿: yokochan | 2010年12月 4日 (土) 16時19分
お久しぶりでございます。
ええ?
ペーターホフマン亡くなったんですか??あのロック歌手になっちゃった人ですよねえ?昔テレビでリングの映像を観た事があったのですが・・・。
全然知りませんでした。。
66歳とは、まだ相当お若いのに。。
遅ればせながら、ご冥福をお祈りいたします。。。
投稿: 恋するオペラ | 2010年12月10日 (金) 23時06分
恋するオペラさん、こんばんは。
こちらこそ、ご無沙汰でした。
そう、そうなんですよ。
ホフマン氏が亡くなってしまいました。
ずっと聴いてきたし、ワーグナー歌手でしたから、かなりのショックです。
ロックも歌う、オペラ歌手。
マルチな方でした。
重度の病からは逃れられなかったのですね。
とても残念ですし、ホフマンのような歌手はもう生まれないと思います・・・・。合掌。
投稿: yokochan | 2010年12月10日 (金) 23時30分