ワーグナー 「神々の黄昏」第3幕 ミトロプーロス指揮
12月の週末のトーキョータワーは、ダイヤモンドヴェールの照明となってます。
時間限定。
しかも、30分間、レーザーを駆使したショーをやってるんです。
その一瞬を見たけれど、写真撮れなかった。
スカイツリーに負けずに頑張ってますな。
同期として嬉しいし、わたしも頑張んなくっちゃ。
今日はワーグナー。
それも珍しいところで、「ミトプーのたそがれ」でございます。
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ ジークフリート:ラモン・ヴィナイ
グンター:クリフォード・ハーヴォット ハーゲン:ルヴォミル・ヴィチェゴノフ
グートルーネ:ルシーネ・アマーラ ウォークリンデ:ヘルタ・グラッツ
ウェルグンデ:ロザリンド・エリアス フロースヒルデ:シューケ・ファルカナジアン
ドミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
(1955.10.30@N.Y.)
カーネギーホールでのライブ録音。
ミトロプーロスのワーグナー録音自体が非常に珍しいのでは!
あとは、メトでのワルキューレ(これはリング上演だったのかどうか?)ぐらいしか音源は見当たらなかった。
ニューヨーク・フィルは、今みたいにへたれてなくて、重厚で分厚く、かつ、とんがってる。
ミトプーの切れ味鋭い指揮が、無慈悲なまでにジークフリートの死の悲しみをつのらせる・・・・。
それに輪をかけて、高貴でかつ悲劇一色のトーンにつつまれた、ラモン・ヴィナイのジークフリート。
ヴィナイのジークフリートゆえに、この音源に手を出したくらい。
父親、ジークムントと完全に同一化してしまったかのような思いを抱かせる、ジークフリートの死と、その前の記憶をたどり、ブリュンヒルデを回顧する場面。
一般的ではなさすぎるけれど、こんな色合いのジークフリートは聴いたことがない。
3幕だけだからかもしれないが、呑気で屈託のないジークフリートの姿がどこにも見当たらない。
バリトン歌手であり、ヘルデンテナーでもあったヴィナイ。
イヤーゴ、スカルピア、リゴレット、カニオ、テルラムント、オテロ、トリスタン、ジークムント、パルシファル・・・、これらに一人で最高峰の歌唱を残したのは後にも先にもヴィナイだけ。
ドミンゴだってできません。
そんな貴重はヴィナイのジークフリートが聴けたのです。
そしてお馴染みアストリッド・ヴァルナイのブリュンヒルデ。
雨が降ろうが、風が吹こうが、槍が飛んでこようがヴァルナイはまったく自分の世界をもっていて、そのペースで歌い通している。
人間味豊かな、艱難くぐりぬけたひとりの女性を歌いだしていて、ニルソンの神を感じさせる怜悧さとはまた違うブリュンヒルデ。
メードル、ヴァルナイ、そしてニルソンと、思えばワーグナーソプラノの系譜でいうと、50~60年代は一番すごい時代だったんですな。
アマーラのリリカルなグートルーネはいいが、、情けなさが特徴のそのものハーヴォットという人にグンターと、ハーゲンはちょっとイマイチかな。
それにしても、ミトプーのワーグナーは強靭でかつ神々しいまでの崇高さを感じさせる。
テンポはかなり動くが、ハイスピードの部分と、思い入れたっぷりの部分が、不思議に自分にしっくりくる。
でも自己犠牲は少しやりすぎか、けっこう飛ばしてますぞ。
時代がかってなくて、今でも充分通用します。
こんなの聴いちゃうと、今の若いバイロイトの兄ちゃん指揮者たちが、ひよっこみたいに聴こえるから困ったもんだ。
録音は時代と録音の背景を考えればまずまず鮮明なもの。
なによりも、とても安く手に入りました。
ちなみに、最後のハーゲンの一言は何故か入ってません、なんでだろ。
冒頭の写真の数分前、こっちは、ハート入っちゃってます。
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