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2011年1月 7日 (金)

ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」 セル指揮

Azumayama1

今回も、山頂の満開の菜の花の写真から。
正月3日目、箱根駅伝が駆け抜けたあと、西湘・湘南地区は急に曇り空になってしまった。
それでも、こんな空と早春の花の対比は都会では、まず見れるものではありません。

Azumayama2

山を降りて散策してみたら、こんな商店がいまだに存在。
こちらは、○○電機といって、ワタクシの小学校の御用達のお店。
まだ存続していて驚愕にも似た驚きでした。

完全に時間が止まっている。

こんなのんきで、悪く言えば田舎の街に愛想をつかして飛びだしたけれど、いまやまた、この育った街が愛おしくなって、散々に街のすみずみを歩き尽すようになったワタクシ。

この街を離れてからの年月。
変わったつもりでも、それは結婚して、子供たちに囲まれただけのことで、実は、自分の心象はまったく変わっていなかった。
山の麓の小学校、海辺の中学校。
それも変化なく存在しているのを見るにつけ、そう思う。

名曲は、自分の過去を映し出すもの。

いまの自分の嗜好は、ここ数年ではぐくまれたものなので、過去の思い出は少なめ。
でも、有名曲は昨今まったく聴かなくなってしまったものの、年明けの今回、連続して聴いてみると、過去の自分の思い出ばかりをこうして語ってしまう。
共有・共感できない方々には、申しわけございません。
 そしていまある、昨今の演奏と音楽を、未来に懐かしむ方々には、絶対に味わうことができない豊穣の世界を、わたしと同じような世代の方々が共有していることも申し訳なく思います。

Dovorak_sym9_szell

ドヴォルザーク交響曲第9番「新世界から」。
これまた名曲中の名曲。
この曲を指揮者たるもの、指揮し、録音せざるをえなくなる。
あらゆる指揮者で、これを録音していない人はいないかも。
一番やりそうもなかった指揮者も、なんだかんだで録音してます。
K・クライバーと、アバド、ベーム、フルトヴェングラーがそう。

ごたぶんにもれず、わたしの初レコードは、「新世界」です。
それも、ケルテスとウィーンフィルという鉄壁の演奏で。
これや、同じ指揮者とロンドン響のものは、すでに記事にしてます。

今回は、それに次ぐ懐かし「新世界」ということで、ケルテスのハンガリーの先輩、ジョージ・セル指揮のクリーヴランド管弦楽団の音盤で。

早世してしまったケルテスは、ウィーンとロンドンで人気があり、ロンドン響をプレヴィンに譲ったあと、セル亡きあとの後任として請われていたクリーヴランド管との関係にあったわけである。
あの、テルアビブでの死がなければ・・・・・・。

実は、そんな思いに浸ってしまうくらいに、ふたりのハンガリー系指揮者たちに共通する「新世界」なのである。
いまでこそ、信じられないことながら、ハンガリーは、戦後は東側の国。
大きく、くくるとチェコもともに、スラヴ系であるわけだが、同じ戦後の東諸国の一員であることが、ますはセルとケルテスの共通点。
そしてドヴォルザークやスメタナとともに、自国のバルトークにも共感をよせ、得意演目にしたこと。

ふたりの「新世界」は、快速でドラマテック。
でもケルテスの方が雰囲気的で歌心があるのに、セルはスピード感についてこれない人をそぎ落として、残された優秀なクリーヴランドでもって、きっちりと仕事を済ませた感がある。
何もそこまで、飛ばすことはねぇだろう、とおもうくらいに、キビキビと、そして淡々とことは運び、気がつくと終楽章になっているっていう寸法だ。

この指揮に完璧についているクリーヴランドも驚きとともに、セルの導きだす自在なアゴーギグの変化にも、さっとついてゆく技量に驚く。
 そのセルの指揮は、常に、完璧な練習からうまれる容赦ない音の再現みたいな感じを持っているけれども、懐かし写真とともに70年に来日したおりの指揮姿、そして万博を経て、絶頂期に向かいつつあった日本を思ったりすると、なんだか、とても切なく思えるようになってくるのだ。
鉄壁さゆえの悲しさ。
さらにそこに味わいがあるからなおさら。

今回、セルの新世界を久々に聴いて、確たる印象を持てなった。
曲にも演奏にも。
明るく開放的に、そして表題性をはずして明快にすっきりと、それがいま多い演奏スタイル。
セルの指揮のものは、それとは別次元の孤高の雰囲気だった。
しかし、それがいいかどうか今宵はわからなかった・・・・。
酔いすぎかも・・・・・。

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コメント

セルのドヴォルザークってば、聴いたことあるのは8番のみです(汗)。8番のスピード感は抜群だと思いますが。。。9番もですか(笑)。そりゃあ探して聴かねば。。。です(^^)。

投稿: 左党 | 2011年1月 8日 (土) 23時50分

左党さん、まいど。
セルの新世界は、70年の某誌にてケルテスとバーンスタインと並んで、大絶賛だったのですよ。
当時のオリジナルジャケットが、内側のブルーの部分。
懐かしいんです。
最近の新世界とは違う別世界かも、です。

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 00時22分

お早うございます。新春名曲シリーズ、楽しく読ませていただきました。前にも書いた覚えがありますが、私がクラヲタになったキッカケは小学校の音楽の時間に聴いた新世界の第4楽章でした。誰の演奏だったかは今では知りようもありません。ライナーとセルの2大厳格巨匠の演奏で新世界に親しんだのが中学1年ごろのことでした。当時はベームはもう亡くなっており、晩年のカラヤンとレニーはどちらが凄いかとか、この2人の後継者になれるのは誰かとかクラヲタたちが喧々諤々の議論をしているころでした。当時はCDが高かったですね。小澤さんの復活やジュリーニのブル8が6000円とか6600円というのが当たり前でした。今だったらその金額でマーラーやブルックナーの全集が買えてしまいますよね。
 ポピュラー名曲の思い出話から隠れたお宝名曲の発掘まで精力的にこなしてしまうブログ主様のエネルギーには何時ものことながら圧倒されます!
 

投稿: 越後のオックス | 2011年1月 9日 (日) 11時26分

越後のオックスさん、こんばんは。
名曲シリーズは、実はあれこれ選曲に悩むことがなくって気が楽なんです。
でも、これでいいのか、と思うところがヲタですね(笑)

しかし、ほんとうに楽しい1週間でした。
心のよりどころみたいなものでした。

機会は違えど、皆さん、名曲へはいろんな思いで接していたものと思います。
高額CDやレコードも、高値でしたが、その分いやというほど聴いたものです。いまの消費聴きは贅沢すぎ。

バカみたいに聴いて更新してますが、お読みいただき感謝至極でございます。

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 22時51分

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