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2011年1月 8日 (土)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 小澤征爾指揮

Azumayama4_2

いつもの山の頂き。
冬枯れの芝とシンボルのような一本の木。
寂しいです。
薄日差す冬空も厳しいし、相模湾もいつもの輝きがないです。

名曲シリーズ。
最後の今夜は、こんな景色にぴったりの音楽を。

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」なのです。

「ジュピター」「運命」「未完成」「新世界」「悲愴」。
かつての交響曲の名曲は、いずれもタイトル付き。
入門者にはイメージしやすいし、レコードも売りやすい。
だから当然に、わたくしも、このあたりから集めていった。
回数の都合から省略しましたが、あと「田園」「合唱」「英雄」「時計」「イタリア」などでしょうか。ベートーヴェンは強かった。
いまの若い方々からしたら、あまりに手ぬるい世界と思し召しにございましょう。
わたし達の世代の音楽入門は、よい子の音楽教室的に入り方をしたのです。
メディアはレコードとNHK、レコ芸しかなく、情報が限られていた。

番号のないブラームスやチャイコフスキーを聴いたのは少しあと。
マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィチなんて、ずっとあと。
いまやこの3人が超人気作曲家となり、いきなりこれで入門される方もいらっしゃる。
世の中、変わりましたなぁ・・・・、としみじみしてみる。

過去の追想と、このしみじみ感を毎夜味わい続けた今週でございました。

Tchaikovsky_sym6_ozawa

「悲愴」の演奏で選んだのが、小澤征爾指揮するパリ管弦楽団
1974年の録音で、小澤さん39歳。
サンフランシスコ響にボストン響の音楽監督を兼務し、ヨーロッパでは、ベルリンフィル、ニュー・フィルハーモニア、そしてパリ管の常連指揮者。
文字通り、世界を股にかけた小澤さんの活躍は、眩しく、そして輝かしいものだった。
高校時代、近かった箱根にクラブで出かけたとき、外人さんに会って、「どこから来たんですか?」と聞いたら、「ボストンよ」と答えてくれた。
思わず「Oh! Seiji Ozawa!」と言ってみたら、そのご婦人は、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれたもんです。

パリ管とは、EMIから始まり、フィリップスにその録音が引き継がれたが、チャイコフスキーやストラヴィンスキーなどのロシアものが多い。
ボストンとの兼ね合いで、フランスものの録音がなかったのが残念だが、ともにミュンシュつながりのオーケストラ。
ほんとうは、ショルティやバレンボイムじゃなくって、小澤征爾がパリ管の指揮者になればよかったのに。
パリ管は、歴代不思議な指揮者ばかり起用してる。
わたしたち日本人は、フランス、とくにパリと名がつくとどうも弱くて、憧れというか、おしゃれ感を感じてしまう。
だからパリ管には、本場の指揮者を求めたくなってしまう。
小澤さんは、その許せる指揮者のひとりだ。
70年の万博で来日したパリ管は、プレートルとボドという、いま思えば最高の組み合わせだった。
インターナショナルなオケとなってしまったパリ管より、フランス国立管の方が、フレンチムードと機能性を併せ持った優れものになっているように思う・・・・。

小澤の悲愴は、のちに、ボストン響、サイトウキネン、ベルリンフィル(映像)との演奏があるけれど、後者ふたつは未聴。
自在なボストン響よりも、カラフルで、いい意味で軽さのあるパリ管との演奏の方が好き。
胸かきむしるような悩み多き悲愴ではまったくなく、ロシア系の演奏とは対局にある悲愴。
当時、ハツラツとして溢れんばかりの情熱に満ちた演奏が多かった小澤にしては、ちょっと踏み込みも足りないような気がするが、仕上がりがとてもキレイで、流れるような節回しが嫌みなく、すっきりとさせてくれる。
アバドとともに、大好きな悲愴の演奏であります。

カップリングの「眠りの森の美女」は、録音も含めて、もっと素晴らしい。
LPでは、くるみ割りと合わせての発売だったが、そちらはCDでは未入手。
これぞフランスのオケと、しなやかな小澤節がぴったりと噛みあった演奏なのでした。

これにて、昭和の名曲シリーズ、交響曲部門終了。
次回より、いつものワタクシに戻ります。
管弦楽曲等、続編はまたいずれ。

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コメント

ありゃ【昭和の名曲シリーズ、交響曲部門】終了ですかぁ。。。残念かも~(^^;。ワタクシにもコメントできるシリーズなので(苦笑)。
ワタクシ、小澤さんはほとんどCD聴いてないしライヴも未聴です(汗)。しっかと聴いておきたい。。。かも。

投稿: 左党 | 2011年1月 9日 (日) 00時03分

左党さん、連ちゃんありがとうございます。

そうなんです、昭和は終わり、懐古は続けたいと思いつつも、山のような未聴音源を処理せねばならず、ここ数年のワタクシのトレンドに戻ります。
 昭和も交えつつ参りますので!

小澤先生は、60年代からいまの2011まで、体系的に聴かれるとよいと思います。
先生が、日本人として、音楽家として、どのように大きくなっていったか。
わたしは痛切に感じるのです。
限界も、可能性も、すべてあります。
小澤さんの音楽は、そう、日本人の心そのものです。
あっ、語りすぎてしまいました。

ところで、さとうさん、と打って変換すると、日本人で一番有名な名前にしか変換されません。
さとう、で打つと「左党」がでます(笑)

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 00時30分

昨日、たまたま「江夏の21球」をyoutubeで見ました。当時京都から横須賀に転校してきた小学生の私、
近鉄ファンでございました。無死満塁になったときは日本一を確信したんだけどなぁ~(苦笑)。
昭和、万歳!でございます・・・。

名曲シリーズ、楽しませていただきました。
私はyokochanさんより、ちょっとだけ若い世代に属するのですが、事情はあまり変わりませんでしたよ~。
情報源はレコ芸、駅前のレコード屋でLPを眺めて演奏家や曲名を覚えたり。私がクラシックにはまり始めた頃はベームが亡くなり、晩年のカラヤンVSバーンスタインで盛り上がっておりました。その二人も数年後お亡くなりに。
私も例によって「運命」「英雄」「田園」「新世界より」「悲愴」、この辺から入りましたよ~。
小澤さんは、ボストン響とのマーラーシリーズが本格的に始まり(8番だけ先行して録音していたんですよね)、「復活」は発売当日にお年玉をはたいて買いました(2枚組6000円!)。
今でも大事に持っておりますが、帯が茶色くなっちゃってます。そりゃ20年以上経ってますからね。
小澤さん&パリ管の「悲愴」は名曲名盤300の類ではいつも上位に来ていたのに、いつの間にか・・・ですね。世の中冷たいものです(笑)。サイトウ・キネンの「悲愴」も持っておりますが、少々あっさり目です。
私もパリ管を小澤さんがやっていたらずいぶんと面白かったと思っています。
パーヴォ・ヤルヴィは意外とやってくれそうな気がしますので、期待しております。


おっと、長々と失礼いたしましたm(_ _)m

投稿: minamina | 2011年1月 9日 (日) 10時40分

 昭和の名曲シリーズ 交響曲部門楽しみました。またぜひお願いします。

 小澤征爾は、ほんと私の中学時代のアイドルでした。「ボクの音楽武者修行」を何度繰り返して読んだことか…。その後こっちも偉そうになって生意気に批判なんかするようになりましたが、やはり偉大な日本人指揮者です。
 小澤が切り開いた道があるから、大野もあそこまで成長したんだと思います。病気からも回復したようですので、さらなる活躍を願っています。
 なんとか新国に登場してくれませんかね。

投稿: コバブー | 2011年1月 9日 (日) 11時22分

今年も楽しみにしております。

私が人生で初めて聴いた交響曲はyokochanさんも時々取り上げられているエルガーの1番なのです(…そう、幸か不幸かあれを入門にしてしまったのです)。最初が肝心!その後のクラシック人生は大きな回り道を強いられ…今週取り上げられている名曲を聴いたのはずっと後のこと。でも名曲はやはり名曲ですね。久々聴くとやはりいい曲ばかりなんですね。小澤さんの悲愴は後のボストン響のあっさり演奏を持っていました。そうそうハイティンクとコンセルトヘボウの70年代(だったと思う)のLPは、当時全然人気がなかったけど(失礼)、好きでよく聴きました。

投稿: Tod | 2011年1月 9日 (日) 15時18分

こんにちは。時々訪問させていただいています。本年もよろしくお願いします。
「悲愴」は指揮者によっていろいろな表現ができる不思議な曲だと私は思っています。ムラビンスキーとカラヤンの演奏は、どちらも名演といわれていますが、全然雰囲気が違いますね。小澤征爾指揮の演奏もCDでもっていますが、独特の魅力を感じますね。
ところで、私は、ずっと上演を待っていたワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を生の舞台で鑑賞できました。ブログに「トリスタンとイゾルデ」の感想やワーグナーの音楽について書きましたので、ぜひ読んでみてください。
http://desireart.exblog.jp/11874692/
ご意見、ご感想などをブログにコメントを書き込んでくださると感謝です。

投稿: dezire | 2011年1月 9日 (日) 18時05分

こんばんわ、はじめまして。
私は神戸にある大学の3回生で、学生オケに所属しているものです。
初めてブログを訪問いたしました!
「悲愴」は去年12月の定期演奏会で演奏しました。苦しみや悲しみの中、美しさが表現されているというか…とても感動的な曲で、大好きです。
オーケストラのことについて勉強になりそうなので、また時々読みに来たいと思います!
では、失礼します。

投稿: えみっちょ | 2011年1月 9日 (日) 22時00分

minaminaさん、まいどっ。
昭和は人それぞれに、思い出満載ですな。
戦争あり、絶望あり、復興あり、バブルあり・・・日本の栄枯盛衰の縮図のような時代。
音楽もそうです。
西洋音楽を、文字通り国中が受け入れた時代だと思います。
ゆえに、名曲なんですね。

レコード1枚が1800~2000円。
当時はムチャクチャ高価なしろもの。
やがて、2300円、2600円の時代も。
その後にCDとなって、1枚4500スタートでした。

いやはや、こうした話題で、今度ヲタオヤジ会でもやりましょうよ(笑)。

小澤さんは、この頃から濃淡あれどしっかり小澤さん。
和製オケもいいですが、まだまだ海外で頑張ってほしいですね。
パーヴォのパリ管は、これまでになく期待大です!


投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 22時01分

コバブーさん、こんばんは。
「ボクの音楽武者修行」、わたしも愛読してました。
そして、わたしもまったく同じく、小澤ファンでレコード・CDを鬼集しましたし、新日フィルの定期会員ともなりましたが、ここ10年は批判系になってしまい、空白があります。
でも、やっぱり小澤は小澤。
過去の思いをこうして蘇らせてくれる音源を聴いてしまうと、なぜそう思ったのか悔恨にくれてしまいます。
ひねくれもほどほどにして、いまの小澤さんを聴かなくてはならないのですね。
若杉さんとは違ったキャラですが、たしかに一度はわが新国に登場して欲しいですね。
「フィガロ」か「ばらの騎士」あたりで・・・・。

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 22時43分

Todさん、こんばんは。

そうですか!
エルガーの1番がご入門交響曲でござましたか。
なんだかうらやましく存じます。

わたしなんぞ、名曲名演の洗礼を受けて、紆余曲折、まるでパルシファルのような難渋を経て、いまのヲタ生活に至りました。

ハイティンクの悲愴は、ふたつあって、最初のものは、まさしく無視された音源。
4番もそうでした。
その後の再録からハイティンクとコンセルトヘボウの絶頂のものとなりました。
最初のものが、とても聴きたい今です!

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 23時01分

dezireさま、こんばんは。
悲愴ほどの名曲になりますと、本場ロシア、欧州、日本といずれ異なる名演が多いです。
歳をへると、ロシア系や上手いカラヤンはつらいですが、日本人的には小澤でしょうか。
その時の感情で聴き分けてみたくなる、名曲の数々です。

新国トリスタンいかれましたか。
明日が千秋楽ですが、こんな素晴らしいプロダクションはレパートリー化して欲しいものです。
わたしは、何度も実演に接してますが、今回ほどの素晴らしさはなかったかもしれません。

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 23時15分

えみっちょさん、こんばんは。
そしてはじめまして、ようこそ。
学生オケで活躍されていらっしゃるとのこと。
私も、高校時代は、田舎町の学校のオーケストラ部に入ってまして、フルートなんぞを嗜んでました。
それでも、ヘボなものでして、今思えば恥ずかしい思い出ばかりです。
どんなポジションでも、若い時に経験したものは、あとあと、絶対に生きてきますよ!
ことにオーケストラのように、ひとりじゃできなくって、互いに聴きあう組織にいらっしゃればなおさらです。

悲愴のような名曲を通じて、感動を味わうことができて、ほんとうに羨ましいと存じます!
ヲタ的な曲も多々出ますが、これからもご覧いただければ幸いです。ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2011年1月 9日 (日) 23時29分

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