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2011年2月19日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第14番「死者の歌」 ロストロポーヴィチ指揮

Onuma3_2

殺伐とした北国の冬景色。
その先は湖だし、なんにもなくって怖いくらい。
でも、雪は溶け、春は着実にやってきている。

Onuma1 

氷も溶けて、季節はなにもしなくてもめぐってくるんですな。

しっかし、いまのどっかの我が国は、もうお先なし、っていうくらいに先が見えない。
幕末と同じように、気がつけば列強に周囲を脅かされ、政治は末路をたどるばかり。
そして、市民生活は爛熟と荒廃の混在。

Shostakovich_sym14_rostoropovich

ショスタコーヴィチ交響曲第14番「死者の歌」。
「死」のことばかりを歌いこみ描きだした、ある意味徹底した音楽。
でもこれが交響曲といえるかどうか、いつも首をかしげてしまう。
男女ふたりの独唱を要し、それぞれが独唱をつとめる11の楽章からなる連作歌曲のような存在。

マーラーの「大地の歌」、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」などと同じような仕組みながら、正規の番号交響曲として位置付けたのはショスタコーヴィチだけ。
マーラーは、死もそのひとつとして意味するかもしれないが告別を大きなモティーフとし、ツェムリンスキーはずばり、男女の愛を描いた。
だがしかし、ショッタコーヴィチは、「死」。
それもさまざまな局面における死を描き尽している。。。

その死の先には、なにもなく、救済の信念のかけらもない。
ご丁寧にも、作者自身が述べている。
「死は始まりでもなく、正真正銘の終わりであり、その先には何もない。何も起こらない」
・・・・・そこまで、言う?
なんて絶望的な人なんでしょう。

1969年に昨年亡くなった、バルシャイの指揮で初演されたが、わたしのクラシック聴き始めの年で、音楽雑誌のニュースでこの暗い作品の初演の記事を読んだ記憶があるし、翌々年にバルシャイのレコードが発売されたときの新世界レーベルの広告もその暗さにおいて、よく覚えている。
1969年は、アポロによる月面着陸の年で、翌年の大阪万博にその時持ち帰った月の石が展示されたのも、遠くない記憶であります。
ベトナム戦争は末期、米ソ、それに中国がソ連との駆け引きのカードとして登場してくる時分。いまの経済大国中国が信じられない頃で、日本はGNP2位を誇り、高度成長まっただ中。

一方のソビエト連邦は、ブレジネフ体制下にありアメリカとの冷戦と宇宙競争の最中ながら、官僚体制の腐敗と劣化も進行中。
革命や戦争を身をもって体験してきたショスタコーヴィチは、音楽側での体制側にいたのかもしれないが、自身の死も見据えて、あとのない絶望的な死に対して期待を抱いていたのではなかろうか。
ここまで思いつめていたショスタコーヴィチが、約2年後、パロディと諧謔と深淵が混在する不思議な15番の交響曲をその最後の交響曲とするのである。

ガルシア・ロルカ、アポリネール、ブレンターノ、リルケ、キュッヘルベケルらのいずれも死にまつわる詩。

     S:ガリーナ・ヴィジネフスカヤ   Br:マレク・レシェティン

    ムステゥフラフ・ロストロポーヴィチ指揮モスクワ室内管弦楽団
                              (73.2@モスクワ)

バルシャイ以来、この曲の音源は数々あるが、わたしが初めて買ったレコードがこのロストロポーヴィチ夫妻のもの。
本格指揮演奏としては、初期の方だが、その熱気と表現意欲の凄まじさにはすでに古くなってしまった音源を聴いても驚愕である。
響きが隅々まで切実で、あまりの容赦ない厳しさにおののいてしまう。
指揮棒一本で、こんな強烈な表現ができるということに、ロストロポーヴィチ自身がびっくりしながら演奏してるみたい。
この演奏は、わたしに非常な緊張を強いる。
ハイティンクやオーマンディ、サヴァリッシュ(N響ライブ)でCD以降は馴染んできたけれど、それら西欧風の洗練さを少し帯びた演奏にくらべ、ロストロポーヴィチは原色であり、切実さにおいて、その死の描き方がまるで実体験のように隣り合わせなところがすごい。
一度聴くと、しばらく敬遠したくなって、やはりハイティンクや、新しいところではヤンソンスあたりが純音楽的で聴きやすい。

夫人のヴィジネフスカヤも切羽詰まった歌唱で、これはもうマクベス夫人のようだった。
いかにもロシア的な歌唱ながら、その高音は、久しぶりにきいてクールでありながらとても美しいものだった。
レシェティンのほの暗いバリトンも聴きごたえあり。
この初演組の二人の歌唱は、この作品のソプラノとバリトンの中で、一番素晴らしいのではないか。

今回は、楽章のひとつひとつの印象と、その詩については書きしるす気がおきなかった。
夜遅くに、何度も何度も聴いてると、救われない思いにとらわれ、いい夢見れなくなりそう。
ショスタコの交響曲のなかでは、4番、13番と並んで、いちばん気になる存在が14番。
今度は、詩に内容と、個々の音楽について、もう少し書いてみたいと思います。

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コメント

ショスタコの交響曲で気になる存在は、4番、13番、14番ですか!
2曲ダブリます。
私は、4番、8番、14番、15番です。
中でも、この14番は魂を抉るような凄い曲だと思っております。
バルシャイの全集しか持っていないので、他も聴いてみないとなりませんね。

投稿: golf130 | 2011年2月19日 (土) 20時19分

golfさん、こんにちは。
気になる存在は都度変わるかもしれませんが、8と15もなんとなくそうですね(笑)
いずれも、よくわからない番号ですからして・・・。
14番は歌があるだけに、リアリティが強いです。
こちらのロストロ盤は緊張感高く、厳しい内容でした。

投稿: yokochan | 2011年2月20日 (日) 10時50分

お久しぶりです。この盤!大学生の頃から愛聴しています。廉価盤だったのです^^しかし内容が。。。当時のソ連がOKするはずのないものばかり。このころはまだロストロ夫妻はまだロシアにいたころですか?ソビエト政府の監視下でようこそレコード化してくれました。ヴィシネフスカヤの演奏、すばらしい。ショスタコーヴィチの本音の作品という感じがしますね。

投稿: モナコ命 | 2011年2月20日 (日) 20時23分

モナコ命さん、こんばんは。
私も大学時代に買った廉価盤なんです。
ソ連はまだまだナゾの国でしたし、おっかない隣国でした。
ソルジェニーチェンとかいう名前もいまや懐かしいもので、当時の反動体制から飛び出した人々の悲劇がよく話題になったものです。
ロストロ夫妻が、ソ連を抜け出す前の切実な演奏は、おっしゃるとおり、よくレコードになりましたね。
当局は油断してたんでしょうね。

投稿: yokochan | 2011年2月20日 (日) 23時39分

ついにショスタコシリーズも14番まで来ましたねぇ。

しかしこの曲は暗いですよねぇ。
ショスタコの曲の中では一番好きな曲ではあるんですけど、あまりの重さからそうそう頻繁に聴くわけにもいきませんね。

僕はこの曲はバルシャイ盤ふたつ(レニングラード初演、モスクワ初演)が好きです。

が、このコメントを書くに当たって、ロストロポーヴィチ盤を聴きなおしていますが、こんなに凄い演奏だったのか!と思い驚いています。

なんというか室温が2℃は下がったような…、そんな背筋が凍りつくような感じです。

投稿: ライト | 2011年2月21日 (月) 08時52分

ライトさん、こんばんは。
ようやく、忘れたころに14番です。
実は13以降は何度も取り上げてますので、全曲は制したことになってます。
ケルン以外のバルシャイをお聴きとは素晴らしいですね。
わたしも一度は聴かなくてはと思います。

そして、ロストロさんの凄さは、こんなところにあったと実感しました。

投稿: yokochan | 2011年2月22日 (火) 00時11分

今晩は。皆さんタコさんの交響曲で気になる曲ってあるんですね。私の場合一番気になる曲は3番と14番です。どちらもなかなか理解できない曲だからです。3番は、コーラスが出てくるまでの脈絡の無いように見えるオケだけの部分が何度聞いてもよくわからないです。4番やタコさんが尊敬していたマーラーの交響曲以上に分かりません。赤っぽい合唱部分もソ連が崩壊し、アメリカも弱くなってしまった今現在聴いても「何だかなー」と言う感じです。14番は、第3曲の「ローレライ」が騒々しい感じがして苦手です。聴き始めたばかりの頃は全楽章が苦手だったのですから少しは私も進歩したのかもしれません。ちなみに私は3番も14番もコンドラシンの全集に入っているのとバルシャイの全集に入っている演奏で聴いています。

投稿: 越後のオックス | 2011年4月24日 (日) 02時25分

越後のオックスさん、こんにちは。
タコ14は、詞と音楽の関係をもう少し探ってみたいと思ってまして、いまだにつかみきれてません。
はたして交響曲といえるか否かも。
マーラーやツェムリンスキーのように番号を外さなかったことも。
ショスタコの謎は果てしないものです。
3番の赤くて左なところは面白いですが、後半がなんだかなぁ~って感じもします。
2番もへんてこですね。

投稿: yokochan | 2011年4月24日 (日) 08時16分

第6楽章がやや冗長な「大地の歌」よりもこの曲の方が
構成が密でより優れていると思います。
第11楽章「結び」の付き放し感は、「死神=国家」であった
作曲家の心情に他なりません。

投稿: 影の王子 | 2011年10月 2日 (日) 19時22分

影の王子さん、こんにちは。
この曲はすごいものですね。
大地の歌にはマーラーならではの甘味さがあってそれはそれで構成感を突き抜ける良さを感じますが、このショスタコ音楽には救いもなにもなく、暗さのみ
なるほど、死神=国家ですか。
まさにそうですね。
最後まで、死神との戦いと無視の人生だったのでしょうか。

投稿: yokochan | 2011年10月 3日 (月) 22時29分

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