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2011年2月27日 (日)

R・シュトラウス 「サロメ」 二期会公演

Uenobunka

上野文化会館のロビーって、こんな風だったっけ。
ユーゲントシュティール風であります。

Salome2011

そして、二期会公演、R ・シュトラウス「サロメ」を観劇。
みどころは、なんたって、ペーター・コンヴィチュニーの演出。
刺激的で、一瞬たりとも目の離せない舞台に、歌唱でしたsign01

2009年のネーデルランドオペラのプロダクションで、指揮のルテスも、そのときと同じという。
言葉と音楽に応じた掘り下げが深いコンヴィチュニー演出だから、指揮者とのコンビネーションも大事。
地味だと、思ってたゾルテスだけど、この起用は万全だった。

  サロメ:大隅 智佳子 
     ヘロデ:片寄 純也
  ヘロディアス:山下 牧子    ヨカナーン:友清 崇
  ナラボート:大川 伸之     ヘロディアスの小姓:田村 由貴絵

  ユダヤ人:高田 正人          ユダヤ人:菅野 敦
  ユダヤ人:新津 耕平      ユダヤ人:加茂下 稔
  ユダヤ人:畠山 茂       ナザレ人:北川 辰彦
  ナザレ人:櫻井 淳       兵士  :井上 雅人
  兵士  :倉本 晋児       カッパドキア人:千葉 裕一

   シュテファン・ゾルテス指揮 東京都交響楽団
                   (2011.2.26@東京文化会館)

なにをやらかすかわからないコンヴィチュニー。
幕開け前でも演出が始まっいることもあるので、少し早めに上野の文化会館に出向いた。
でも、今回は、会場は、普通で、えんじの幕も閉まったまんま。
今日の千秋楽、客席は、空席が目立ったけれど、ほかの日はどうだったのでしょうか?
こんな面白い舞台が見られるのに、もったいないことです。
ともかく、舞台の隅から隅まで動きが満載で、字幕を追ってると、細かな動作を見逃してしまう。
同時進行する各々の出来事が、それぞれに絡みあっているし、台詞にも注意をはらってないと、重要なメッセージを見逃してしまう。

サロメの最後の長大なモノローグの言葉ひとつひとつが、この演出の解釈のカギとなっているようだ。
ヨカナーンの血に染まった首を前に歌う狂喜の女の強烈な歌ではなくて、ここでは、恋する女のラブソングであった!
こんなこと書くと、舞台をご覧になっていない方々は、??でしょうね。
わたしも、正直、そう来るとは思いもよらなかった。
最後の、その衝撃の結末に向けての、舞台の様子を、記憶が消えないうちに残しておきます。
※画像は、二期会のHPとネーデルランドオペラのHPから拝借しました※

Salome1
時代は、イエスが活動していた聖書の時代から、現在ないしは、ほど遠くない近未来。
閉鎖状態の密閉空間の部屋で、天上は少し崩壊しており、それでもシェルターは万全でどこにも窓もないし、出口もない。
真ん中に長いテーブルが配置され、まっ白いクロスでおおわれていて、酒の瓶やグラスが散乱している。
白いスーツは、どうもヘロデ王らしく、ヘッドホンで音楽を聴きながら、ノリノリの様子で、周囲はまったく眼中にない。
テーブルの真ん中には、白い袋をかぶった男。(ははぁ、ヨカナーンだな)
左手のソファには、けだるい様子のサロメ。黒ずくめのスポーティな出で立ち。
ナラボートをはじめ、ユダヤ人、カッパドキア人、ナザレ人、兵士たちはみんな黒づくめのスーツ姿。
小姓は、アメリカンダイナーのウエイトレスのようなかっこ。
ナラボートは、サロメに熱い視線を送るが、彼に思いを寄せる小姓は気が気でない。
王様は、ずっと音楽に合わせて踊ってるし、ナラボートは小姓に口で・・・あれをさせちゃってるし・・・・、白いクロスの中からは、ヘロディアスとカッパドキア人(誰かわかんない)がその行為の最中だし、白い袋をかぶったまま、ヨカナーンは警告を行うし、その警告の強い歌にほかの人々は、手を叩き、大歓声・・・。
もうめちゃくちゃでござりまするがな。。。。
いつも5人そろって書物を見ながら議論しているユダヤ人をはじめ、登場人物は全員、最初から最後まで出ずっぱりで、始終性行為に及んだり、酒を飲んだりしている。
要は堕落しきった人間たちなのである。

わからなかったのは、恋敵サロメを、小姓がナイフで刺してしまい、倒れたあとも執拗に刃をたてている。
あれ、サロメ死んじゃった。
と思ったら、全員が群がり、その肉をむさぼるシーンがあった・・・・。
これは、いったい??

露骨な性描写は、終始行われいて、ヨカナーンの姦淫を咎める警告も空しく響くほどに、ヘロディアスは、多数の男たちと複数プレイに及んでいる始末。
この間でもヘロデは、まったくわれ関せずの状態で、参加しても自慰行為のみなところが・・・・。

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サロメは「いい気持ちだわ、月を見てると・・・」と歌うその眼の先は、ワインボトルにくくり付けられたチープな白い風船。
それを、ナイフで割ってしまうサロメ。
こんな混沌とした状態がずっと続く。
テーブルに全員が一列に腰掛けると、真ん中はヨカナーン。
女性3人を除くと13人いる。
イエスを囲んだ最後の晩餐を思ってしまった。
 ヨカナーンを見たいとナラボートに迫るサロメは、小姓の服を脱がせながら、さも彼女を餌にしようとするがごとくで、結局念願かなってヨカナーンの袋をはぎ取ることになる。
一段と強く警鐘を歌うヨカナーンは、ヘロディアスの淫らな行為を侮蔑するし、一方のサロメは、無邪気にヨカナーンに迫る。
混乱を来たし、ナラボートや小姓も交えるが、小姓は、ヨカナーンに向かって酒ボトルを振りあげたら、間違えてナラボートに命中。
バタンキューである(笑)
「おまえの髪の毛は、まるで葡萄の房・・・」と歌うとき、サロメはハサミを持ってきて、ヨカナーンの髪を切ろうとする。こんな感じに、セリフにその都度敏感に反応して描写が細かいのだ。
結局、サロメへの思いを羨んだナラボートは、ふらふらとやってきたヘロデ王によって射殺されてしまう。
ヨカナーンは、死体に口づけを行うと、その横に伏せてしまうという意味不明の行為。
生き帰させるのかと思ったら??
ほかの男たちが、群がってきて、死んだナラボートのズボンを下ろしてお尻を出してしまい、あらやだ、みんな順番に○○掘ってるじゃありませんか・・・。
王様も喜んで、恍惚として腰を動かしてるし。。。
もう、ここまで見せなくてもいいじゃないか・・・。
でも、コンヴィチュニーの徹底ぶりは、これでもかと言わんばかりで、退廃に行きついた社会のブザマな様子を動物のような性描写で表出してみせているのだ。
ちなみに、死者の血にすっとこどっこいのヘロデが、足を滑らせる件も、ちゃんと描かれている。

サロメに酒を告ぐように、果物を食べるように(この時、バナナをむき出すものだから、またなんかするかと思ったらそうでもなかった)、ここに座るように、あと、何するんだったかな?というボケな言葉に、あれを持って来いと命じたのは、予想通り、「ヤク」でございました。手にゴムバンドを巻き、小姓に火を起こさせヤクを調合しているんだ。

Salome3

ヘロデの望みに応じて、強烈なリズムで7つのヴェールのダンスが始まる。
サロメは、ヨカナーンの脱ぎ捨てた白いジャケットを来ていて、下は黒いタンクトップ。
シルエットで、壁に影が怪しくうごめくが、そのダンスは淫靡でもなんでもなく、健康的でモダン。テーブルでそれを見物する15人の人物。
白いクロスを引っ張りだして、それを持ちながら踊り、見物人の後ろにまわって踊りを指示すると、みんながそれぞれに踊りだす。
サロメひとりじゃなくって、全員が、てんでバラバラに踊る。
こんな滑稽な「7つのヴェールの踊り」は見たことない。
サロメは、壁にドアの絵を書き、そこをこじ開けようとするがそうはいかない。
ほかのメンバーもみんな同じことをする。
最後は、テーブルの下から、白いドレスの少女が出てきて、サロメの手を取って退場(だったかな?)。ほかの皆さんは、そこにぶっ倒れた。
出口のない閉塞状態からの脱却を図ったあげくである。

ダンスの報酬に、ヨカナーンの首を求められ、それ以外の代償を求めるようにとの王は、倒れた人々の服から宝石や金を巻き上げて差しだしたりするし、ヘロディアスも札束などをくすねてまわってる。
そして、またヤク切れのヘロデは、茫然と座っているヨカナーンに薬の調合を手伝わせている。
でも、そのヨカナーンに目を付けたヘロディアス。ズボンを脱がせ、喜びの声を上げ、彼に跨り、そしてまたしてもはじめてしまうのでありました・・・・。

それを見たサロメの嫉妬と怒りは、ひとりの娘のようであった。
そして希望の適ったサロメに、銀の盆に載った首が出てくるかと思いきや、ヨカナーンの首の作り物は、舞台前面にいつのまにか転がっていて、そのいかにもわざとらしいフィギア首を抱いて歌うサロメの横には、椅子に腰かけたヨカナーン。
あの禍々しい首は上から吊り下げが降りてきて、そこにくくりつけると、舞台天上にのぼっていって消えちゃった。
「わたしを見ていたら、愛したはず。愛の神秘は、遥かに大きいわ、死の神秘よりも・・・」
ここを歌うサロメ、とっても美しい歌だったし、オーケストラもぐっと音量を落として、歌声を浮かびあがらしていた。最高の場面であった。

舞台奥では、ヘロディアスが何故かかいがいしく、乱れた舞台を後片付け。
ヘロデとともに、夫婦そろって座ってグラスを汲みかわしていて、あの娘は怪物だ、いやさすがは私の娘などと、ホームドラマ風に褒め合っている。

サロメとヨカナーンは、幕を二人で仲良く閉じてしまう。
やがて、ふたりステージ前に出てきて、「わたしは、接吻したわ、あなたの口に・・」と歌い、本来なら圧倒的なフォルテとなるところだが、オーケストラはちょっと弱めで、むしろ明るい色調。
ふたりは、仲良く足早に退場。愛が成就してしまったのでありました。

幕が閉まったまま、音楽は後奏へと入り、ヘロデの最後の一言はどうなるんだ、と思っていると、客席前方の男性が、やおら立ち上がり、日本語で、「あの女を殺せ!!」と叫びました。横の連れのご夫人は、必死にとどめておりました・・・・・。
こうして、あの激しいエンディングは、こんな終りかたはケシカランという怒れる観客によってトドメを刺されたのでございました。


拍手に戸惑いながらも参加したわたくし。
なんだか、狐につままれたみたいでしたよ。
カーテンコールの中、あの観客の方は、大声で文句を言いながら、一般観客が拍手するなか、ホールをあとにしておりました。

やられましたねぇ。またもや、コンヴチュニー・マジックに。

Salome_223_web

あの登場人物のひとりの観客は、われわれ聴衆の気持ちを代弁するものだし、ドラマの退廃したシチュエーションは、いまわれわれが置かれている、閉塞感あふれる社会とそのシステムがもたらす心の中の無秩序そのものでありましょう。
もともと、このドラマやシュトラウスの音楽が持っていた側面を鮮やかに、徹底的なまでに描きだしてしまったコンヴィチュニーに容赦のないプロ魂を見る思い。
生ぬるさなんて、これっぽっちもなく、露骨な性描写や、暴力行為もこれだけ明快に見せられてしまったら、ドラマの必然として受け入れるしかない。
そこまで見せつけておいて、最後の希望の結末。
本来少女であったサロメとヨカナーンは、この閉塞社会から愛を得て飛び出すことに成功したわけだ。
サロメの音楽、こんなに深いものがあるとは思わなかった。

大隅さんのサロメが、期待通りまったく素晴らしくって、最初から最後まで役に没頭しきった大胆な演技で見ごたえがあり、声の方も相変わらず通りがよくってハリもあって、技巧的にも万全で、愛をどこまでも求めたひとりの女性を歌いこんでおりました。
ほんと、見事でした。
片寄さんのシュールなヘロデもよかった。この人の声はなかなかでした。
ヘロディアスの山下さんの美しいメゾの声。いやらしい感じと、どこか母親っぽい仕草などもよく出てました。この演出ではなにかと大変だったことでしょう。
「カプリッチョ」で素敵なオリヴィエを演じた友清さんのヨカナーン。
力強さはなくって、どちらかというとインテリな預言者みたいな役回りだったから、ちょっと声は弱めでも、真摯な歌声はとても好感を持ちました。
気の毒なナラボートは以外なほど力強い声の持ち主だった大川さん、ずっと出ずっぱりで大活躍の小姓の田村さんの複雑な役回りながら、そのうまさは際立ってました。
その他の役柄も、新国などでお馴染みのみなさんが、しっかりとしていて、それぞれに多彩な演技を要求されるこの演出の中で存在感を持ってました。

ダイナミックで大胆な音楽を期待すると、軽く裏切られてしまうショルテス指揮の東京都交響楽団。
音を抑えつつも、歌い手と舞台を掌握しつつ、的確な指揮にオーケストラだった。
色気や官能は控えめ。もっと鳴らしてもいいとも思ったけれど、明快でよかったのではないでしょうか。

終演時間は15時40分。
まだまだ明るい。
気分的に、夜でなくって、ほんとよかった。

ネーデルランドオペラのサイトで、映像が少し見れます。→こちら


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コメント

 二日目を聴きました。私自身は、この演出は?の部分もありますが、最後のシーンは、なるほどと思いました。

 大隅のモノローグは、二日目もよかったですが、最終日はさらによかったでしょうね。本人のプログによると、モノローグに勝負を賭けていたようです。
 日本人ソプラノの逸材中の逸材ですので、また成長してくれると思います。
 
 ゾルテスは、また聴いてみたい指揮者です。

投稿: コバブー | 2011年2月27日 (日) 09時41分

こんにちは。
面白い演出だったようですね。ただ、公開稽古の記事をどこかのブログで読んで、「ああ、これあたしはダメだわ」と思い今回は遠慮しました。二期会のシュトラウス上演の欠席は珍しいです。大隅タン聴きたかったですが。

投稿: naoping | 2011年2月27日 (日) 10時58分

わたしは初日と最終日、両キャストを観劇してきましたが、甲乙つけがたい仕上がりだったと思います。あのラストはたしかに感動的でした。二期会のチームとしての真摯な取り組みも素晴らしいものだったと思います。
コンヴィチュニーの演出については率直に言いまして、面白いところは多々あったものの、全面的に賛同は致しかねるといったところでしょうか。読み替え演出は、言葉と舞台上の出来事の些細な齟齬が気になって音楽に集中できないのが個人的な難点です。

投稿: 白夜 | 2011年2月28日 (月) 17時01分

コバブーさん、こんばんは。
わからないという意味での?と、こんなこと?のふたつの?がわたしにもあります。
しかし、なによりも踏み込みが強く、観ていて面白かったのがなによりです。

大隅さんは、やはり最後に焦点をあてていたと、ご本人も書かれてますね。
素晴らしい歌手です!
わたしも、ショルテスは、ちゃんともう一回聴いてみたいです。

投稿: yokochan | 2011年2月28日 (月) 21時33分

nopingさん、こんばんは。
いらっしゃると思ったのですが。

もっとカラフルな舞台になるかと思ったら、以外と地味な舞台でした。でも人物たちの行動は過激でした。
歌手のみなさんは、ほんと、歌に演技に実に素晴らしく、全員が踊らなくてはならないという極めて得意な上演でした。
大隅たんは、素晴らしいですよ、じっさい!

投稿: yokochan | 2011年2月28日 (月) 21時38分

白夜さん、こんばんは。
両キャストをご覧になられたのですね。
不可解なか所が、いくつもあったので、もう一度観てみたいと思ってました。
あれだけ、動きが激しいと、家に帰って2度も音源で確認したのですが、舞台が思い出せません。
そういう意味では、音楽と舞台の乖離があったのかもしれません。
でも、個人的には、全部とは言わずとも、謎解きが伴う読み替えは好きです。
しかし、謎解き自体、ほんとうに音楽を聴く行為と合致してるか考えると疑問ですが・・・・。

投稿: yokochan | 2011年2月28日 (月) 22時01分

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