アルヴェーン 交響曲最4番「海辺の岩礁から」 スヴェトラーノフ指揮
今年初めの湘南海岸。
海、山、夕焼け。
わたくしの大好きなシテュエーションにございます。
まいど書いてしまうことで恐縮ですが、こうした自然のおりなす光景を見るにつけ、私の脳裏にはその景色に見合う音楽が心象風景として浮かび上がり、こだまするのです。
音楽と風景・心象はきっても切れないもの。
でも、ベートーヴェンやブラームスの交響曲を聴いて、田園を除いて何か風景が思い浮かぶでしょうか。
「けしからん」、とお思いでしょうが、相当な年月、クラシック音楽を聴いてきて、古典派よりはロマン派、ロマン派よりは、民族・後期ロマン派などを親しく聴くようになっている自分なんです。
もちろん、バッハもほかのBも、Mもロマン派軍団も好きなわけですが、より近い世代の音楽を喜んで聴いているさまよいヲタ人なのでございました。
北欧シリーズ、最後は、スウェーデンのアルヴェーン(1872~1960)です。
交響曲第4番「海辺の岩礁から」。
長命なアルヴェーンは、作曲家のみならず、絵描きとしても優秀で、自国の風物に即した作品をたくさん残していて、スウェーデン狂詩曲などは誰しも知る名作になっております。
5つある交響曲の4つめ。
私はともかくこの曲が大好きで、ブログエントリは3度目。
レコード時代末期、81年頃、ウェステルヴェリイの指揮によるレコードを衝動買いした。
ひとつには、北欧通の大束省三氏の素敵な解説によるところも大で、実際の音が見事な解説によって、まだ見ぬ北欧の海を意識させることとなった。
真夏に買ったそのレコード、暑い日のクールダウン効果を意識して夏夜によく聴いたもだった。
CD時代以降も、ヤルヴィ、ヴィレンなども加え、北欧各国の色を味わえるようになったが、肝心のスウェーデンの本場ものは、かのレコードのウェステルヴェリイのみ。
いまの音楽不況にあっては、こうした曲のローカルな演奏はなかなか味わえなくなってしまった。
ソヴィエト・ロシアの盛衰のなかで、スヴェトラーノフの音源は、両期にまたがってふんだんにあって、いまだに驚きの音源が次々に出てくる。
西側に早期に出て没してしまったコンドラシンとは大きな違いかもしれない。
そんなスヴェトラーノフの珍しいレパートリーがこのアルヴェーン。
スウェーデン人としての民族派以上に、アルヴェーンは、後期ロマン派的な風潮をずっと引きずっていて、1918年完成の第4交響曲でも、まるっきしツェムリンスキーと思うような、濃厚ロマンティシズムとエロティシズムをたたえているのであります。
ちなみに、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」が、1923年で5年後。
グレの歌の作曲開始が1911年の7年前。
いかにアルヴェーンの音楽が、その時代と最新の風潮に組み込まれていたか。
「トリスタン」の影響下にまともにあった。
「海と男と女」はトリスタンの破滅的な愛と、海の孤独の蒼茫たる母体的な世界。
その他、この曲の来歴と内容は、過去記事をご残照ください。
3度目の再褐として、作者アルヴェーンのお言葉。
「この交響曲は二人の人間の愛の物語と関係があり、象徴的なその背景は外海へ転々と広がる岩礁で、海と島は闇と嵐の中で、互いに戦いあっている。
また月明かりの中や陽光の元でも。
その自然の姿は人間の心への啓示である。」
スヴェトラーノフの、容赦のない濃厚攻撃に、タジタジとなりつつも、いつしか、その独特の世界に引き込まれてしまっている自分。
いやですよう、スヴェトラおじさんと、エッチな音楽のアルヴェーンが、完全にタッグを組んでしまったら。
もうどうしようもないんだから。
アァー、とかしか歌わない二人の独唱も濃いです。
本場スウェーデンのストックホルムフィルの爽快さもにじませた演奏が、懐かしく思える、スヴェトラーノフとロシア国立交響楽団の凄まじくも、濃い口のアルヴェーンでごあいました。
この曲は、大推薦なのですが、間違ってもスヴェトラさんのCDでお入りになりませぬよう。
でも、哀愁でまくり、思いきり抱きしめられちゃうような、こんなアルヴェーンもありかもです。
89年、モスクワでの録音。
フィンランドはクールで寒々しく、厳しい自然と対峙。
ノルウェーは自然とうまく妥協しながら、大らかな民族意識をにじませている。
スウェーデンは洗練されつつも、陽気でかつ狡猾、自己主張に隙がない。
こんな風に感じます。あしからず。
三国ともに味わい深く、楽しみは尽きない。
有名大作曲家も聴きつつ、こうした各地・各所の作曲家、当然に日本作曲家も含めて聴きながら、音楽の受容の幅と世界感を深めていきたいと思うのです。
「ウィレン&アイスランド響」
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