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2011年3月

2011年3月31日 (木)

ブルックナー 交響曲第7番 ハイティンク指揮

Pansy

ブルー系の色で集められたパンジーの花。
パンジーはすみれ科。
紫のものは、スミレと区別がつかないくらい。
でも、いい色合いです。
冬にもしっかり花をつける力強いパンジー。
かくありたいもの。

今日は、年度の変わり目の日。
帰りの電車では、お勤めにひとまず区切りをつけた花束を持ったお父さんがたを何人か見かけました。
駅へつくと、心なしか感無量のようにしておられる方もいらっしゃいまして、見ていてグッときてしまった。

明日からは新しい年度。

Haitink_conducts_bruckner7

今日は、ブルックナー交響曲第7番
ベルナルト・ハイティンク指揮のドレスデン・シュターツカペレの演奏で。
2004年8月のドレスデンでのライブ録音。
放送録音ですが、録音は極めて音楽的で優秀。

ブルックナーを演奏するのに、ハイティンク&ドレスデンほど、それに相応しい組み合わせはない。
全曲70分の堂々たる演奏は、すみからすみまで恰幅がよく、落ち着きはらっていて、教会の建築物の威容を臨む思いだ。
フレーズのひとつひとつに、積年の重みと説得力があり、間のとりかたや歌の歌わせ方にも余裕とスケールがたっぷりとある。

立派すぎるところが唯一の不満という、贅沢な思いをも持つことになる。
冒頭の静かなトレモロの中から、あの主題が出てくると、体に柔らかな風が吹き込んでくるのを感じる。
そして、最高のピークは清らかで神々しい第2楽章。
そこでは、ワーグナーの死の予感などといった具象的な悲しみではなく、もっと異なる次元で音楽しかそこにはない、といった純なる響きに身をゆだねるのみ。
ほんとうに美しく、そして悲しい。心に沁みる。
克明な3楽章では、中間部ののどかさが身にしみる。
時に、あっけない思いを抱くことの多い終楽章。
透明感あふれる木管に、マイルドなホルン、泣きのチェロなど、ここでもその中間部の寂寥感が素晴らしく、最後は極めて堂々と曲を締める。

久しぶりに聴いたブルックナーの音楽。
ハイティンクの素晴らしい演奏に心洗われる思いでありました。
(爆演堂さんに売ってます)

首都圏のコンサートやオペラの自粛は、ホールが壊れてしまったミューザを除いて4月は始まりそうです。
そんななかで、メータが単身来日して、N響を指揮して第9のチャリティーコンサートを行うようだ。
なんで第9なのかな? S席2万円って?
全額義援金となるそうで、それは実に素晴らしいことであります。
テレビ放送でもすれば、音楽が全国に届くのに、どうなるのでしょうか。



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2011年3月30日 (水)

暗闇のにゃんにゃん2

Shiba_cat1

暗闇に佇むにゃんこ。
こちらを勇猛に睨んでおります。
職場近くのにゃんこたち。

関西方面に数日出張してきました。
いまこうしている間も余震がたびたびある東日本と西日本とでは、今回の震災に対する温度差があるのはあたりまえ。
夜は街も駅も普通に明るい。
京都は季節がら観光客であふれ、大阪の街も活気ありました。
それでいいんです。うれしかったです。

でも、スーパーをのぞいたら、2Lの水や単一乾電池は売り切れでしたね。

Shiba_cat

明るさを補正してます。
いつもこのあたりにたむろする、にゃんこ軍団。
首都圏の夜のほの暗さは、何故かほっと、落ち着くようになってきた。
ねこは、夜が得意。
一方のいぬは、昼型。夜は安眠をむさぼるのでした。

Shiba_cat2_2 

近づきすぎたら、目が寄っちゃいましたよ。

Shiba_cat3

そして、いつもお酒のケースの隅に隠れてるのが、わたしのお気に入りのにゃんこ。

Shiba_cat4

ちょっと補正しました。
めんこいでしょ。
夜大好きのにゃんこたちなのでしたぁ~

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2011年3月27日 (日)

ヴェルディ 「ドン・カルロ」 アバド指揮

Ueno_tosyoguu

いつまで寒いのか。
土曜の寒さは、北風もつのって、ほんとに厳しいものでした。
昨夏の熱さと、今冬の厳寒。
この震災という自然の猛威と何か関係があったのでしょうか。
いずれにしても、自然の力には、人間の無力を感じます。

今年は、桜の便りも届かない。
4月も近いのに、いまだに冬の格好をしてる。
そしてこちらは、上野の東照宮の参道。
でっかい灯篭の影が伸びてます。

Verdi_don_carlo_abbdo_scala

ヴェルディ(1813~1901)の中期末のオペラの傑作「ドン・カルロ」を聴く。
今年、没後110年は地味すぎだけれど、再来年2013年は生誕200年となる。
それは同年のワーグナーも同じで、2013年はオペラは、すごいことになりそう。

ワーグナーを、そして少し遅れてヴェルディを聴き始めて久しいが、イタリア・オペラの華であり、その作品がいずれも祖国愛と人間愛に満ちていて、高潔なヴェルディその人がそのドラマの素材選びとともに偲ばれる。
そして、その音楽は、歌は人間の声の魅力を最大限に引き出し、そしてオーケストラは聴く人の心を揺さぶるリズム感と抒情味あふれるドラマテックなもの。

一方の、ワーグナーは、伝説や神話の世界に、どろどろした人間(神々)ドラマを持ちこんだ、雄弁であるいみ強引な音楽で、人はわかってはいてもそれに飲みこまれてしまう。
わたしは、こちらに飲まれてはや40年近くが経とうとしている。

さて、「ドン・カルロ」はヴェルディらしい、気品と深い感情表現、そして相反する立場の相克の度合いを充実の筆致で描きつくした大作品。

1886年に、パリのオペラ座からの依嘱によって書かれたグランド・オペラとしての性格も有し、その初演版や若干のカットを施した版は、5幕でバレエ音楽までを含んでいた。
その後、当然にして母国イタリアでの上演にさいしたイタリア語版がバレエ抜きの5幕版で出て、さらに序幕を省いた4幕版も一時主流となったりして、いまやだいたい7つの版が数えられるようになったようだ。
 わたしは、こうした版云々は、ほかの音楽もふくめてあんまり気にしない。
旋律や全体のイメージが大幅に違わない限りは、別にどうでもいいじゃないかという気になる。

しかし、「ドン・カルロ」は、そうでもなくって、版による違いがかなり大きい。
 まずひとつに、言語の違い。フランス語とイタリア語では大違い。
これは、なんといってもイタリア語です。
ヴェルディの音楽には、子音の強いイタリア語がしっくりくるのであって、まして明快なヴェルディの音楽には抜けるようなフランス語は合わないと思う。
そして、上演時間が30分は短縮される4幕版と5幕版の違い。
ただでさえ長いオペラだが、序幕のフォンテンヴローの場面は、カルロとエリザベッタの出会いの場なので、これを端折ると、次の幕からの唐突感が否めない。

敬愛するアバドの正規録音が、5幕のフランス語版なのが残念だし、最高のキャストを揃えたカラヤン盤が4幕版なところも残念。
カラヤンは常に4幕版で、これはドラマが冗長にならず、求心力を高めるために有効なことでもあるとはいえる。

 フィリッポ2世:ニコライ・ギャウロウ ドン・カルロ:ホセ・カレーラス
 ロドリーゴ:ピエロ・カプッチッリ    宗教裁判長:エウゲニ・ネステレンコ
 修道士:ルイジ・ローニ        エリザベッタ:ミレッラ・フレーニ
 エボリ公女:エレナ・オブラスツォワ テバルド:ステファニア・マラグー
 レルマ伯爵:ジャンフランコ・マンガノッティ
 天の声:フランチェスカ・カルダーラ 使者:ルイジ・デル・コラート
 その他


  クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
                  ミラノ・スカラ座合唱団
     合唱指揮:ロマーノ・ガンドルフィ
     演出:ルカ・ロンコーニ
                    (1977.12.7 @ミラノ・スカラ座)


この放送録音がこうして耳に出来る喜びは、いかばかりのものでありましょうか。
先に書いた正規DG盤が、1983年の録音。
こちらのキャストとまったく違うメンバーでの録音は、何故フランス語?という思いに今でもとらわれているもので、どうもしっくりこない。
アバドは、「ドン・カルロ」を若い頃から得意にしていて、スカラ座初期やコヴェントガーデンでも取り上げていたし、スカラ座芸術監督時、満を持してシーズンオープニングに取り上げたのが、こちらの上演だったし、ウィーンに移った時も取り上げている。
「シモン」とともにアバドの愛するヴェルディ作品である。

初演や原典にこだわる時期のあったアバドが選んだ版だったし、カラヤンにベスト・キャストをかっさわれ、最高の録音をされてしまったあとに、カラヤンの常套的な版ではない、アバドの独自性を意地でも残したかったのかもしれない。
そのカラヤンとの、この上演のいきさつは有名な話となっている。
スカラ座が、そのイタリアの威信をかけて、全世界にテレビ中継を企画したのが、この上演の1月のサイクルの一夜。
ところが、それに文句をつけたのが大人げないカラヤン御大。
75年から、ザルツブルク音楽祭で上演していて、このほぼ同じキャストで、ユニテルにビデオ収録を予定し、歌手たちと契約しているとしたのだ。
やむなく、スカラ座側は、ドミンゴ、M・プライス、ブルソン、オブラスツォワ、ネステレンコで上演し、予定どおりテレビ中継をした。
こちらも豪華なキャストであります。
 日本でもNHKが、テレビとFMで放送してくれました。
観ましたよ、わたしも、興奮しながら。
でも、映像がイマイチで、やたらと暗かった。
そして、FM放送の音源もデッドで乾いたものだったのが残念で、そのテープはもう失われてしまった。
こんなことが、始終あったもんだから、わたしのカラヤン嫌いは増長されたのであります。
しかも、自分のほうのビデオ収録は、結局、復活祭音楽祭の83年まで、しかも違うキャストでしか録画されなかったのだから。
要はきっと、78年に自身がEMIに録音するものと、キャストがほぼ同じだったから、妨害したかったのではないかと。

これによって、アバド&スカラ座のドンカルロは、後年のフランス語バージョンに転じてしまったのではないかと思料。
75年に「マクベス」、76年に「シモン」、79年に「仮面舞踏会」、80年の「レクイエム」、81年の「アイーダ」と続いたアバド&スカラ座のDGへのヴェルディシリーズ。
77か78年の「ドン・カルロ」が、すっぽり抜け落ちているのですから。
まるで、巨人軍のようなカラヤン様。

しかしですね、カラヤンの「ドン・カルロ」も、ベルリンフィルの威力をまじまじと感じる凄い演奏なところがニクイんですな、これが。
カラヤンの同オペラは、わたしのお宝として、75年のザルツブルクライブがあります。
こちらの歌手たちに、ドミンゴとルードヴィヒが変わってます。

オペラの筋は、どこにも書かれてますので、今回は省きます。

ハプスブルク朝スペインの末期、宗教の対立による国民難と政治と宗教の間に挟まれ悩む国王。一方国王を意のままにする保守本流の宗教の権化の存在。
結婚を約束し愛し合いながら、期せずして義母と義息子の立場になってしまった若い二人。
そこにからむ、愛国心と義侠心、友情に富んだ勇猛な男と、美貌ゆえに嫉妬と不倫に苛まれ、最後はみずからけじめをつけんとする強靭な女性。
 こんな、相対立する人物たちのドラマ。

アバドは、こんな複雑にからみあった人間の心理ドラマに、深く食い込んだ作品が大好きで、そこに決して鋭くならないメスを入れ、登場人物たちの心情を鮮やかに描いてゆく。
明晰でしなやか、どんなちょっとしたフレーズにも歌があふれ、オーケストラは常に流れるように停滞なく、くっきりとしている。
カラヤンのような強烈なドラマテックな響きはここにはなく、登場人物たちによりそうような音楽が時に強く、そして時には優しく鳴り響くのだ。
高名なフィリッポ2世の、「ひとり寂しく眠ろう」は文字通り、愛する息子や妻から愛を得られない男の無常をオーケストラによって描きつくした名伴奏だ。
この美しさともなう雄弁さは、変な例えだけれど、アバドの愛するマーラーの音楽をも思いおこしてもしまった。

そして、そのフィリッポ2世を歌うギャウロウの素晴らしさをなんと例えよう。
深みある美しい琥珀のバスは、わたしたちの世代にとって忘れえぬ歌声で、目を閉じるとフィリッポ2世の頭の上に悩みの王冠が見えてくるようだ。
 同じく忘れえぬ歌声と、そのお姿は、カプッチルリ
おおよそ、オペラのロールのなかで、もっとも高潔でかくありたいと思う人物の一人がロドリーゴなわけなんだけれど、カプッチルリは、彼のシモンやマクベス、リゴレットとともに、完全に役に同質化してしまっていて、友愛のバリトンと呼ぶに相応しい存在なのだ。
この低音男声ふたりを、わたしは幸いにして何度も聴いた経験があって、最近はそれでもってもう私の人生よしとしたくなるんだ。
 そのふたりに、フレーニが加わると、これはもう鉄壁。
フレーニの優しく女性的な歌声は、思わぬ強靭さももって耳に溢れてくる。
この3人は実夫婦であり、兄弟妹のような関係にあって、インタビューで、アバドがフランス語版を録音した時、ユーモアでもって、イタリア人がイタリアのオケとイタリアの歌手とドイツの会社にヴェルディをフランス語で録音した・・・、と言っていたのを覚えている。

カレーラスの生真面目で、いくぶんひ弱な感じを漂わすドン・カルロは、その真っ直ぐぶりがとても相応しく、わたしには、訳知り顔(声)のドミンゴより好ましい。
当時、大活躍のオブラスツォワは、その声の威力と上から下まで万遍なく伸びる声が、きっと舞台で聴いていたら、耳にびんびんきてさぞかし興奮させられるんだろうと思う。
実際、スカラ座の客は、彼女に大興奮である。
しかし、わたしたちは、コソットやヴァルツァを知ってしまっているから、凄いだけのオブラスツォワは、やや大味か。でも、立派な歌であることは間違いないです。

このオペラは、名アリアや重唱がたくさん。
ロドリーゴの友情あふれる死の場面には、今回も泣かされましたね。

このCD。正規ではありませんが、ちゃんとしたステレオ録音で、音は鮮明かつリアル。
NHK放送の寂しいデッド感はなく、へたな正規録音よりずっとましですよ。

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2011年3月26日 (土)

ベルリオーズ 幻想交響曲 チョン・ミュンフン指揮

Imeve2

こちらは、三菱の電気自動車「i-MiEV」(アイミーブ)です。
日産のリーフが、初の一般車として登場させたのに対し、先行したi-MiEVは、軽自動車クラスの車両。
ごらんのような、かわいいラッピングデザイン。
企業の宣伝を施した営業車としても、最近よく見かけるようになった。
歩いてると、都内では一日一台は見かける。

i-MiEVとリーフでは、搭載バッテリーが違うので、走行可能距離も違います。
i-MiEVで、120kmぐらい、リーフは160Km。
そして、冷暖房やオーディオをフルに使用して悪天候のもとに走った場合、i-MiEVで70km、リーフで100kmは大丈夫といいます。
 坂道などでは車輪の回転で、逆に発電的な効果もでるので、逆にその間、走行距離が伸びたりもするスグレ物。

そして、燃費という言葉で、ガソリン車に比べると、ガソリンが今の高値安定1リットル150円とすると、電気自動車はその10分の1くらいの電気代。
もちろん、外充電はお金を取られることになるかもしれないし、一般財源化してしまったガソリン税にかわる新たな税制が付加されるかもしれないけれど、それでも燃費コストは大幅に違ってくるはず。

Imeve1

車は、300万超えで高いけれど、すぐに元はとれると思います。
ちなみに、電池の寿命は10年。その後も、リチウム電池は回収され、ほかの用途に供されます。リサイクルです。

エンジン音がないから、無音で車内も静かで音楽好きにはたまらない。
そして、加速の良さは驚きといいます。
わたしも、欲しいぞ、電気自動車。
iPhoneのアプリには、日産リーフのもがあって、そこで遠隔から空調や充電も操作したりできちゃうみたいです。

電気さえあれば、被災地でも活躍できる電気自動車。
くれぐれも申しますが、わたしは自動車屋さんじゃありません。
いま、もうこんな世の中になっているということを申し上げたいのです。
震災が不幸にして起きてしまったけれど、この流れは止めようがありません。

Berioz_sym_fantastique_chung

こちらは、現実じゃなくて、幻想のはなし。
思えば、3月11日が、幻の話だったらよかった。
でも避けられない事実で現実なのだから、受け入れるしかないです。

月一シリーズ、ベルリオーズ「幻想交響曲」。

今回は、朋友、隣国のチョン・ミュンフンの指揮する、パリ・バスティーユ管弦楽団の演奏で。
ヴァイオリンのチョン・キョンファの弟、ミュンフンは、当初は、ピアニストとしても活動していて、チャイコフスキーの協奏曲の録音もあったくらいの名手(指揮はたしか、デュトワ)。
もうひとり姉がいるけれど、いずれも情念系の濃い演奏で鳴らした姉弟。

でも、みんな、歳とともに緩くなっちゃった感があるけれど、いまは少し丸くなって、深みもましてます(はず)。
というのは、指揮者デビュー当時は、やたらと新鮮で、たくさん聴いたけれど、東フィルやN響に繁茂に登場するようになって、ちょっと飽きちゃった。
継続してお聴きのファンの方々には、いまのミュンフンさんを知らず、申し訳ありません。

DGに録音をし始めた頃の、チョン・ミュンフンは、掛け値なしに素晴らしい。
この幻想は、そのもっともたるものでして、どこもかしこも、イキがよくて、音は飛沫を上げるがごとく跳ねまわり、激烈で、かつ繊細で美しい局面も処々あります。
そして、音色の艶っぽさは極めて魅力で、これはパリのオーケストラということもあるでしょうか。
ライブ感あふれる自在さもあって本能的なものを強く感じるが、思いつきでない勢いの良さが、完璧さを漂わせてるところもいい。
 浮沈が激しい1楽章、優美さとリズムのキレのよさの2楽章、歌にあふれながらも内声部まで血の通った3楽章、断末魔の叫びとならず妙にエレガントな4楽章、緩急が豊かで血沸き肉躍る興奮の終楽章。

バスティーユ・オペラのオーケストラは、かつてのオペラ座管弦楽団と思う(と思う)。
こんなに上手いオケだとは、オペラ座時代のかつての録音からは想像もできなかった。
1989年新設時のバスティーユは、バレンボイムがその指揮者となる予定だったがゴタゴタで解雇。そして、ミュンフンが急遽選ばれ、DGを中心に、オーケストラやオペラ録音に名作を残すようになったのは、まだそんなに昔の話じゃない。
 でも、このバスティーユは鬼門で、任期5年で解雇されてしまったミュンフン。
その後は、コンロンで、いまはフィリップ・ジョルダンがその任にあるみたい。
名前も、バスティーユの名前が取れて、パリ国立オペラ(Opera national de Paris)というようになった。
数年前の来日で、トリスタンを観劇したが、音色の美しいワーグナーに感銘を受けたものだ。
パリやフランスのオーケストラには、わたしはどうも憧れみたいなものを抱くのかもしれない。

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2011年3月25日 (金)

アダムズ ヴァイオリン協奏曲 クレーメル&ナガノ

Hasetec

このメーカーは黄色くて目立ちます。
これは、電気自動車の「電気充電器」であります。

ガソリンスタンドでいうところの、ガソリンを注ぐポンプマシンであるところの計量器です。

しかし、姿は似てますが、充電器はエネルギーを一定量計量して注ぎ込む機械ではなく、受電した電気を、相手の電気自動車の抱えているキャパシティを測りつつ(信号のやりとりをしながら)、適正な充電を行う一見ローテクながらハイテク的なマシンなのです。

この写真は、急速充電器といいまして、電気自動車がゼロから適正な満タン状態(80%)にするのにかかる時間が15分~30分のものをいいます。
それ以外に、低速(普通)充電として6~7時間を要する機械も、さらにその中間60分の中速充電機器も一部メーカーにはあります。

ガソリンを注ぐのは、原始的なモーターポンプで地下タンクから汲み上げるだけのことですが、電気充電は大容量の電気の移動と車ごとの緻密なマッチングに伴う通信のやりとりも加え、時間がかかるのです。

そこには、またAC/DC(交流/直流)といった要素も加わります。
電機は家庭には、交流で流れてきて、それでは波があるので電化製品内部やACアダプターで直流に変換します。
運びやすいのが交流、電気の力でものを安定的にものを動かしやすいのが直流。

急速充電は、交流を直流に変換し短時間充電。AC→DC
低速充電は、交流をそのまま充電し、自動車内で直流に変換。DC→DC(→AC)

こんな違いです。
では、その車は何時間走るのかは、また次回。

なんだか、電気自動車普及推進委員会みたいになってきたぞ。

Adams_violin_con

ジョン・アダムズ(1947~)のヴァイオリン協奏曲
1993年の作曲。

パターン化された反復音楽の作曲家として、いまも活躍を続けるアダムズ。
ライヒやグラスといった人たちと並ぶ、その筋の大物でありますが、アダムズは劇音楽=オペラへの傾倒も深く、これまで3作品を残していて、いずれも社会的な事象、そう、われわれがテレビを通じて観知ってきた出来事をオペラに変換してきていて、いまある作曲家として、強い存在となっている。
そのオペラ「ニクソン・イン・チャイナ」は、メットのレパートリーとなったし、原爆をモティーフとしたオペラも書いているのだ。

このヴァイオリン協奏曲は、34分の大作で、その出始めは、まるで、バーバーやコルンゴルトを思わせる前世紀末の甘味かつ健康的なアメリカンラプソデックの雰囲気まんまんで、100年は耳が後戻りしてしまった感がある。
さらに、多くはベルクのヴァイオリン協奏曲のオマージュのようにも聴こえた。

この部分は、ポスト・ミニマルの甘味かつ刺激的な音楽の始まりである。
作者自身が意識していなかったという、ユーゲント・シュティール様式。
世紀末退廃感も溢れた、でも100年前の再現でなくして、基本ミニマルに、そうでない要素、それは通常クラシカルなものも含む広範なものをプラスして成り立った音楽という。

耳に馴染みやすいものだから、それは一聴、後退感をも催すが、ときおり鋭いまでにキレのいい、そう心地よいくどさ=常習性という安堵感、それらをもたらす、われわれ聴き手の耳と精神にしっかりと刻印を刻みこむたぐいのイケナイ音楽なのだ。
それは、シンプルに述べれば、かっちょイイということ

3楽章の全編に、そんな感じを聴いて、嗅いでとれるが、わたしには第2楽章が、ベルクへの近親感でもって、痺れるほどに快感だった。

クレーメルの無機質なヴァイオリンは、時に情念も感じられ、そら恐ろしい。
そして、わたしには、K・ナガノの指揮する何食わぬ顔をした、音符まるだしのデジタル感あふれるオーケストラ(LSO)が、素晴らしく魅力的だった。

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2011年3月24日 (木)

Wonderful & Beautiful  レミオロメン

Leaf

日産「リーフ」。
そう、電気自動車です。
震災で、電気供給がままならない状態となってしまい、その普及に文字通り、水がさされてしまった。

しかし、電気自動車は、自動車の一形態として必ずそれなりに位置を占めるものと思う。
電源供給インフラは、ほかの発電手段も含めて、時間が解決する。
そして、なによりも、この電気自動車という「電化製品」は、強力なリチウム電池を積んだ蓄電装置なのです。
発電の分散化と需要に応じた適切な供給、そう、スマートグリット社会の一翼は、この「電化製品」が担うのです。
 企業、都心生活者や一部の環境に目覚めたセレブたちのものだけでないことが、この震災でも明らかになりました。
電気があるという前提ながら、過疎地区にガソリンスタンドがなくなりつつある今、みんなで共有するシェアリングカーとしても有効。

夢じゃないです、現実なんですよ。

私は、自動車会社のまわし者じゃないけれど、これからある電気自動車の世界を、今後ちょろちょろ書きますので、是非興味をもってくださいねぇ。

Remioromen

お彼岸も過ぎたのに、寒の戻りです。
被災地には気の毒このうえない。
そして、首都圏も計画停電と、こんどは水道かよ、と、放射性物質で平穏じゃないけれど、不思議に慣れつつある日々。

夜、街が暗く、人も少ないのも悪くない。

「レミオロメン」
以前、とりあげたベスト盤から、どうしても好きになった曲を。
冬が本当に去ってしまう前に。2007年冬のシングル。

「Wonderful & Beautiful」

冬の首都高の渋滞の中、イラつきと予測できない思わぬ雪。
満たされた都会と、足りない田舎、どっちが・・・・。
でも君がいてくれたならば・・・。

地方のどの街も同じように均一化した郊外店舗で埋め尽くされている。
でも一歩でるとそこには自然と暗闇がある。
そのある程度ちょうどいい自然がある不便さが本来いいのかもしれない。
そうした存在が暖かい街が、早く復興しますように。

満たされ過ぎた冷たい都会に、今回は、大いに警鐘がなって、いま都会に住む人々も不自由さに慣れることで、心のゆとりが出てくるのかもしれません。

 
 Wonderful 不確かであれ &Beutiful 不自由であれ
 ここでいいって君が笑ってくれたら
 Wonderful 限界はない &Beutiful どんな小さな
 幸せも見つけ出し 光で照らしだすよ


                         (作詞・作曲 藤巻亮太)

まったく詩的で素晴らしい歌を紡ぐ若者たちです。


Remioromen_wonderful
http://www.youtube.com/watch?v=UvsoO3JJyfE



 
 

 

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2011年3月23日 (水)

シューベルト 弦楽五重奏曲 シフ&ABQ

Toshoguu4

今年の春は、いまのところまだ遠いものだから、梅の花も長くきれいに咲いてます。
都内某神社にて。
こんな梅の花、一輪一輪が、とても愛おしく思えるようになった。
あの日以来・・・・、という言葉がこの先、何度言われることだろう。

でも、もうあの日から、みんなそれぞれ、別の日をしっかりスタートしているのですな。
私も辛いけれど、音楽を聴いて気を震わせ、感情を豊かに保ちたいと思います。

Schubert_quintett

シューベルトの晩年の名作、弦楽五重奏曲ハ長調を。
ザ・グレイトのすぐあと。
その死の年、31歳の作品は、チェロを2本要するユニークな編成で、古今のチェリストたちが、名四重奏団に加わって、数々の名演を残してきた。
弦楽五重奏だと、ヴィオラが二本となる場合が多いが、ここでチェロが二本ということは、当然に重厚さを増しているように思うのだが、実際に聴くこのシューベルトは、爽快さといつものシューベルトらしい歌謡性がとても溢れている。
そして、その加えられたチェロに注目して聴いてると、なかなか雄弁な存在であることにすぐに気が付く。

しかし、若いくて晩年。
いつもシューベルトに感じる陰り、そう死の影みたいなものを、この長大な五重奏曲のあちこちに聴くことができる。
そして、ベートーヴェンの晩年の第9やピアノソナタ、四重奏のような澄みきった境地にも似たものもここにはある。
けれども、あちらのように神への感謝といった沈思黙考的なものではなく、より幻想的でロマンテックで、明るい肯定的な喜びの感覚も感じる。

なんといっても、終りがないかのような抒情溢れる2楽章が素晴らしい。
嘆息ともとれる切々とした冒頭の旋律が、延々と息の長い展開をし続けるが、各楽器で橋渡されてゆくピチカートが時に切実なまでに聴こえる。
ところが、そこに夢見心地になっていると、切実なる情熱的な流れが急に押し寄せてきて、びっくりしてしまうのだ。
某評論家氏ならば、魂の叫びなどと表現したくなるような、シューベルトの心の深淵をのぞくような思いのする中間部なのでありました。
でも、次には、冒頭の第一部が再びやってきて、とても心が鎮められることとなる。
 この楽章の美しさと凄さゆえに、この五重奏曲が永遠の輝きを持っているように思われるが、ほかの楽章も大作としての威厳ある佇まいをもっていて素晴らしいのです。
調性が、ハ長調。
グレイトや、モーツァルトでいえばジュピター。
構えが大きく、快活であるとともに、明暗がくっきりとしている。

こんなシューベルトの音楽も、いまのちょっとウェットな気持ちのときには、ぴったりくる。

シフを加えたアルバン・ベルク四重奏団の、ほにかに甘ささえ漂いながらも、気品と折り目正しい演奏は、もう完璧であります。
大物なのに、無用にでしゃばらないシフのチェロもここに、しっくり収まってました。

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2011年3月21日 (月)

佐村河内 守のこと

※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。
当時の想いにつき、そのままに残します。

今日、2本目の記事を起こさざるを得ない気持ちに突き動かされました。

被災された方からコメントをいただき、教えていただいた作曲家。
佐村河内 守(さむらごうち まもる)。

この番組をご覧いただければ、佐村河内氏の人となりがよくわかると思います。
そして、感動のあまり涙が出てしまいます。
人間の強さと、音楽の力、そしてなによりも佐村河内氏の天才性がよくわかります。

多くの方が、もうご存じなのかもしれませんが、私などは、そういえば、去年の東響のチラシが印象的だったあの人か・・・、程度の印象しかなかったことを恥じ入るのみです。

交響曲第1番は、被爆2世である佐村河内氏が広島の名のもとに書いた壮大な音楽。
これもyoutubeを通じて、その終楽章たる第3楽章のみを本日はじめて聴いたのみだが、切実で、リアルで、シリアスなその響きは人の心にどんどんと突き刺さってくるものがあった。
しかし、その根底にあるのは、祈りと希望の光。
最後の慰めに満ちた弦の調べと鐘の音には、心から安堵し、その感銘に涙がにじんでくる。

3楽章の視聴のみだが、マーラーの6番や3番の終楽章、同じ9番、10番、ブルックナーの第9、ショスタコの11番、ワーグナーの「神々の黄昏」を思わせる。

この番組で氏が語っている。

「自分の音楽を通じて、ひとつの闇(やみ)ってものを感じてもらって、その後にくる『小さな光の尊さ』というものを感じてもらいたい・・・・・、日常の他愛ない幸せを、本当に輝いて、尊いんだと感じるはず。それを音楽で継承していきたい」


CD音源はなく、実演も逃してしまったけれど、こんな素晴らしい音楽をご紹介いただいたことに、感謝を捧げたいと思います。

よろしければ、みなさんも、是非お聴ききください。
そして、被災地を思い、人を思い、明日を思うこととします。

   交響曲第1番のyoutube
        ↓
http://www.youtube.com/watch?v=0TQPgVMQ600

http://www.youtube.com/watch?v=pED5OICGVp0

http://www.youtube.com/watch?v=M6rEeASHo64

※本記事は、執筆当時のままにつき、事実と異なる内容が多く含まれております。

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ベートーヴェン 交響曲の緩徐楽章を聴く アバド指揮

Tokyotower20110318_4

こんにちは、ありがとう。。。。

遊ぼう・・・

3月18日の東京タワーです。

ぽぽぽぽ~ん。

この一週間、人生の中で、こんなに多くテレビみたことない。

だから、やたらと気になるAC。

自分は、損傷も受けなかったけれど、しかし、仕事上は、間違いなく大打撃。

いつもの音楽視聴生活に戻すのも大変だけど、大事なのは、やはり日常。
あの揺れから、日本人の日常は、誰もが大きく変わってしまったけれども、その変わってしまった日常を粛々と受け止め、現実を生きていかなくてはならないと思う。

Abbado_beethoven6

ベートーヴェンの交響曲は、緩徐楽章がいい。
最近、めっきりそう思う。
偶数番号のもの。
歌謡性と抒情性に富んだ緩徐楽章が、その交響曲の代表になっている。

交響曲第2番 第2楽章「ラルゲット」
 ともかく美しいです。不安な日々にも、平安を与えてくれます。
この交響曲は、ベートーヴェンの交響曲のなかでも、わたしには一番最後にやってきた曲。この独特の明るさはとても魅力的。

交響曲第4番 第2楽章「アダージョ」
 快活な4番の中にあって、それこそ女神のように美しい楽章。
ここでは、なんといってもクラリネットの長いソロが素晴らしい。
この作品は、カラヤンの演奏で、自分には7番よりもずっと早くお馴染みになりました。

交響曲第6番「田園」 第2楽章「小川のほとりの場面」アンダンテ・モルト・モッソ
 描写音楽のような、のどかで平和に満ちた光景がゆったりと展開します。
もしかしたら、この震災でこんな風景は失われてしまった地域もあるかもしれない。
でも、誰の心にもある田園風景は、永遠なのである・・・・。
鳥のさえずりが、今日はいつになく懐かしく、寂しくも感じるのでした。

交響曲第9番 第3楽章「アダージョ・モルト・カンタービレ」
 巨大な作品に相応しい、大きな緩徐楽章。
マーラーやブルックナー並みのアダージョ。
子供の頃は、終楽章ばかりに耳がいっていて、それが待ち遠しく、長くて変化の少ないこの緩徐楽章がとてももどかしかった。
長じて、いまや第9は、この楽章でもっていると思うようになった。
終楽章が、全体のなかで異質に感じ、晴れやかさの勢いにまぎれてしまい、それまでの3つの楽章が霞んでしまうのだ。
そして、それを聴くのは、時と場所を大いに選ぶことになる。
1楽章の革新的な技法と切実さ、2楽章のトリオとの対比も鮮やかなスケルツォ。
そして、柔和でかつ天国的なアダージョは、どこまでも、どこまでも広がってゆく伸びしろの大きな音楽。
ここに、明日への希望といまある感謝、そして決然とした勇気を聴きとることも可能だ。
今日、この楽章を聴いて、涙がでるほど感動した。

ベートーヴェンの偶数番号と緩徐楽章の演奏で、定評のあるのは、ワルターとクリュイタンス。そこに、アバドウィーン・フィル盤も加えたい。
アバドの瑞々しい感性が、ベートーヴェンの音楽の歌謡性と結びついていて、そこにウィーンフィルの音色も大いに寄与しています。

春が近いと感じさせるアバドのベートーヴェンでした。

いま、テレビで、「ポポポポ~ン」の60秒ロングバージョンを見て、嬉しくなった。

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2011年3月19日 (土)

バッハ 「主よ人の望みよ喜びよ」 リパッティ

Tulip

とある公園で見つけたチューリップの花。
めげずに、寄り添うように、すくっと立っておりました。

まだ余震は続いてます。

被災地のことを思っても、祈ることしかできない自分です。
瓦礫と化した街、そこから立ち上がらんとする人々。
避難所の苦行。
傍観者たる、わたくしには、歯がゆいけれど、何もすることができない。
節電と、無駄なことをしないこと、それしかないです。

それと、音楽を聴いて、文章を書くこと。。
遠巻きながらの応援です。

今日も都内にいましたが、夜はどこも真っ暗。
フィンランド大使館が、その機能を広島に移転したらしい。
広島と岡山が、地震が少ないという点で、いま日本で一番安全な場所かもしれませんな。
西が日本を支える時代が来るのだろうか。。

Lipatti

ディヌ・リパッティ(1917~1950)のピアノといえば、私にはバッハ「主よ人の望みよ喜びよ」のコラールです。
マイラ・ヘスの編曲による名品。
そのヘスのピアノによる同曲は、実は聴いたことがないのです。
やはり、なんといっても、この曲はリパッティ。

カンタータ147番「心と口と行いと生活で」。
大体、歴でいうと初夏の頃。
受胎の喜びと感謝を、マリアが、洗礼者ヨハネ(あのサロメのヨカナーンです)の母、エリザベトのもとに訪問して述べた日のこと。
これを、マリアの訪問の祝日といいます。
いわゆるマニフィカトでもありますが、イエスを授かった喜びとともに、戒めの気持ちをも歌いつつ、最後はイエスへの愛となるカンタータであります。

そのなかの、コラールがこの曲。

心の慰めにして、心の糧。すべての悩みから救ってくれる。そんな命の力。
イエスをそんな風にして歌うコラールです。
キリスト者でなくとも、だれしもが、心にそんな何かを持っていると思う。
それは、神様でもあり、身近な人でもあり、私には音楽でもあったりするのです。

短い曲だけれども、静かなタッチで、楚々として歌われる心にしみいる名旋律。
伴奏部の左手と、コラールを歌う右手。
切なくなるほどに、神々しいリパッティのピアノ。
こうした音楽に、演奏、言葉は多くをいりません・・・・。

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2011年3月18日 (金)

ハウェルズ 「楽園讃歌」 ハント指揮

Tokyotower20110318_2

震災から1週間。
今日、3月18日の午後4時半くらいの東京タワーです。
きれいに晴れたけれど、冬を思わせる肌寒さ。
ゆえに、空がとても澄んできれいでして、薄雲もしっかり見えるところが、停電の影響下にある稼働半ばの首都の空を思わせます。

ともかく人が少ない。
朝のラッシュは本数が少ないから、混雑としては変わらないけれど、帰宅は分散し、明日からの連休もあって、早めの帰宅が多いみたい。

でも、この連休。
子供たちの春休みもからんで、脱出組が東京駅や羽田は混雑しそうだ。
お父さんを置いて、プチ疎開であります。
 仕事仲間が、どうしても中国に飛ぶ用事があるというのに、フライトは高いチケットがかろうじて残っているのみという。
財なした方々が大挙して帰国。
お隣韓国も同じ状況。

時節柄、よせばいいのに、わたしも誘われましたが断りました。
歌舞伎町へ飲みに行きましたそうな。
ところが、韓国系のお店は、ほとんどお休み。
脱出であります。
それほどまでに揺らいだ安全神話。
東北・関東はデンジャラスなのでありましょうか。


Tokyotower20110318_3

東京タワーの先っぽ。
曲がっちゃいました。
同期のわたくしもいち早く、いろいろと曲がってます・・・・。

大きな企業や組織の大系のなかには、それぞれの役回りがあって、そうした体系のもと、その冠たる企業ネームが、一体として保たれている。
全部とはいえませぬが、大企業に籍を置く方々に、組織上関係ないのは末端の現場。

大元の組織からは、直系の関係会社がまずあって、その下に、その関係会社の子会社、さらに、その子会社から委託された実務を請け負う会社。

その最後の会社=人が、現場を張る人々。

大企業中心の日本のシステムは、そうなっているものと思います。

東電とて同じこと。
連絡や意思のストレートな疎通が、もしかしたらそこなわれていたのでななかったのでしょうか。表面的にしか見てなくて、こんなこと書いて、事実でなければ申し訳ないと思います。
 
 しかし、この1週間、日本のシステムそのものが、どうみてもそうなってるとしか思えません。
表に出てくるのは、冠をかぶった方々。
死を決して、ロシアンルーレットのような立場に追い込まれているのが現場の方々。
会見に出てらっしゃる方々も、本心で必死に仕事をされていると思いますが、現場感覚はないと思う。

現場から組織のトップまでの曲折を、きっと日本は、今後、町や村の感覚でもって、この教訓をもとに解決・前進させてゆくことになり、また強くなっていくのか、と期待します。

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イギリスの作曲家、ハウェルズ(1892~1983)の、「楽園讃歌」。
第二次大戦を、その生涯にはさんだ人で、戦火もさることながら、1935年最愛の息子をポリオで43才にして亡くしてしまい、心の傷を得てしまった人である。

そんな辛い思いを神への思いへと昇華させ、1938年に完成させたのが「楽園讃歌」で、6部からなるレクイエムなのだ。
ところが、この作品は、自身の「秘なるドキュメント」として公開を拒むハウェルズによって封印され、1950年、RV・ウィリアムズの勧めでもって、ようやく初演された作品なのであす。

英語もときおり交えたラテン語の聖句によるレクイエム。

心に突き刺さるくらいに切実な音楽は、ハウェルズの音楽をずっと聴いてると、共通のものがある。
かなりシビアで真面目な感じだけれども、そこには抒情とモダンな和声とのせめぎ合いが感じられ、傷ついた人の心の襞をひたひたと、そして静やかに埋めてくれるような優しさがあるのでありました。

ハウェルズは、かの悲劇があってから、どちらかというと宗教の人というイメージが強いが、本日、かくなる日本の状況を踏まえて聴くと、悲劇を受け止め、その先の何かを求める短調のハーモニーの中ながら、強いメッセージを発信する作曲家と聴くことができた。

英国合唱音楽の司祭のようなハントとロイヤルフィル、そしてロンドン近郊の3つの合唱団のコーラスに独唱者。
つつましくも、すばらしく力強い演奏でした。

この作品がまったく大好きなわたくし。
ヒコックスの演奏が、だれがなんといおうと素晴らしすぎる。
この系統の音楽ジャンルのなかでも、トップクラスで好きなハウェルズの作品なのでした。

 「ヒコックスの楽園讃歌」

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2011年3月17日 (木)

ドヴォルザーク 「スターバト・マーテル」 クーベリック指揮

Chidorigahuchi1

先々週の皇居のお堀。
半蔵門あたりからの写真です。
都会のど真ん中にあって、静謐な光景。
いったい誰が、いまのこの惨状を予想できたでしょうか。
いや、こんなことを言っては怒られてしまうけれど、日本が陥ったマイナス状況に、もしかしたら周期的に予想されるもっともヤバイ地震が来てしまったら、さらに拍車がかかる。
と、ここ数カ月私は仲間にも言い続けてきました。

それが現実となってしまった。

選んでしまった政治に、あれこれもう文句をつけても始まらない。

いよいよ、画像左手におられます、天皇陛下のメッセージも下り、国中あげての問題であることが、ますます鮮明になりました。
そのことを議論する余裕もなく、この国のオーナー兼地主(大家)さまのご出動は、この国の危急存亡の時の悲壮感をいやでも増します。
さしもの内閣も、これで褐が入ったのでしょうか。。。と思いたい。

どんな奇抜な策を講じても、世界が注目する原発の問題はクリアして欲しい。
注水が抜本策ならば、それをなす人材を広く求めればいいじゃないか。
人道や人権は、この際議論をあとにして。
ならばおまえが、と言われたら・・・どうしよう。
でも、このスパイラル的な経済停滞にあって、明日の見えない私なぞ、思いきって飛び込んでしまいたい衝動にも駆られるのだ。
こんな明日のない人間や、死刑囚、無謀な若者、右系の方・・・・。
こんなこと書いたら絶対叱られるけれど。

進化したロボット技術は、こんなとき、いったいどうしたのだろう。
だれしも予測しえなかったことだけれど、利益を生まない、そうした発明技術への経済保障も今後、課題となりました。

Chidorigahuchi2

千鳥ヶ淵のまだ「つぼみ」もない桜。
その先にある国会議事堂。

ともかく無情なまでの厳しい寒さと降雪。
普段なら積もることも少ない仙台周辺。
自然はどこまでも、東北地方に無情なのだ。
義援活動はクリック継続してますが、銀行メカニズムがパンクしちゃうし、都市機能は電力不足で今宵マヒ寸前だし。
都心は、一時空洞化しそうであります。
気のせいか、どこでも聞かれた隣国2国の言葉が、街でも電車でもまったく聞かれなくなりました。
かつて、与信上、世界の国々に「カントリー・リスク」を付与して国情をトータルに評価していたけれど、いまや政情が均一化しつつあるなか、あらたな「カントリー・リスク」は自然災害を主なるものにしなくてはならないのかもしれない。

そうした意味では、日本はかなりの上位でリスクある国なのかもしれない。

でもがんばる国が日本なのだ!

Dovorak_stabat_mater_kubelik

ドヴォルザーク(1841~1904)の名作「スターバト・マーテル」。

古今「悲しみの聖母」には、名曲名品が多いが、その中でも長大さにかけてはトップクラス。
そればかりか、旋律の美しさと抒情性においてダントツなのがドヴォルザークのその作品。

ドヴォルザークは、これまでさんざん書いてきた、マーラー時代の作曲家でもあり、そこそこ先輩でありまして、亡くなったころは、5~7番にかけてのマーラー作品時代。
ブラームスとマーラーの中間。
でも、革新的な技法を誇るわけでもなく、その膨大な作品のほとんどが調和のとれた自然と郷土を愛する人間の本質=土着心、といったようなものを常にもった愛すべき音楽ばかりを残した。

この「スターバト・マーテル」は、ドヴォルザーク39歳の壮年期の作品で、90分、10の部分からなる大作。
大きいけれどひるむ必要はまったくなくって、どこかで聴いたことあるような素朴で懐かしい旋律がこれでもかとばかりに溢れだしてくる歌謡性にとんだ名作なのでした。

相次ぐ愛する子供たちの死に、何度か筆を置きつつも5年をかけて、その子供たちを思い、偲びながら書いた「スターバト・マーテル」は、全編に愛が満ちてます。

愛するイエスの死を嘆く聖母マリアに寄せた哀歌は、いまのわたしたち日本人の心境に相和する内容ではないでしょうか。
マスコミが、リアルなまでに被災者にスポットをあて、その涙を放送によって全国に伝えている。

そうして、いままだ行方知れずの被災者同士の情報交換の場になればいいし、なによりも他人事となりがちな他県の人々に、直接的に語りかけるたどたどしい東北の言葉が、いやでも涙を誘い、心を奮い立たせることとなる。

音楽を聴くことを始めた昨日から、個人的に聴くことの意義をどこかに求めてきた。

でも、聴きながら思ったことを、こうしてブログにして、読んでいただいて、ほんの少しでも共感していただければいいのではないかと思い日々のことと音楽のことを書いている。
アクセス状況をみると、東北方面からのアクセスは極端に減ってます。
非被災地同士が、同じような思いを抱いて、被災地の皆さんを応援していきたいと思い、音楽を聴くことにしてます。

いまも、関東は千葉沖で大きな地震がまたありました。

クーベリックとバイエルン放送響の明るい南ドイツサウンドは、ドヴォルザークの本質をとらえています。
マティス、レイノルズ、オフマン、シャーリー=クァークの各国70年代歌手たちの真摯な歌は心打つほどに素晴らしいものです。

個々の場面の素晴らしさは、今日ここでは記すことができません。
なにやら、なにもかもが愛おしくなってくるような、ドヴィオルザークのメロディアスな「嘆きの聖母」なのでした。





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2011年3月16日 (水)

バッハ 「神の時こそ良き時」 ガーディナー指揮

仕事がありません。。。。
経済活動停止中の首都圏。

音楽を聴く気がしない・・・・のじゃなくて、24時間テレビにくぎ付けだから、音楽がおちおち聴いてらんないの。
気分的に滅入ってるのも事実だし、被災地のことを思えば、という気分もあるけれど、刻々と変わる諸所状況に、油断ができないから。

震災の傷跡や被災者の皆さんの状況+余震や他に広がる地震の状況+福島第1原発の状況+計画停電の状況+電車の運行状況+物資の確保にまつわる生活環境の状況。

こんなにも常に知っておきたい状況が重なり、それらの情報が遮断されると不安になる。

いったい、日本はどうなってしまうんだろう。
この経済活動の停滞は、大手やそこに勤務する方々には影響はないかもしれないが、中小零細の企業や飲食・レジャー・芸能関係業界に圧倒的にマイナス負担を与えていし、今後苦境に陥るものと思う。
そもそも、大手しか生き残れない社会の仕組みが競争社会を仕組んだ前政権と、その後のへっぽこ政党の無策によって助長あるいは完成してしまったことで、強者弱者が鮮明になった。
そこへきて、この試練である。

日本の歴史のなかでも最大級の苦難。

Ginza20110316

本日3月16日午後6時30分の銀座の様子。
いつもなら、ビルのネオンがきらめいているこの場所。
真っ暗です。
歩道の街頭も消灯。
木村屋さんは、あんぱんを求めるお客さんがたくさん。
その店頭に、この桜が置かれてまして、「地獄に仏」的な、怪しいまでの美しさを醸し出していたのでありました。

盆や正月のような静かな都心。

テレビで延々と流される「AC~広告機構」のCMに、多くの人が、何かやれること・優しい気持ちを考えるようになってる。

世界に誇れる日本の心です。

Bach_cantata_actus_tragicus_gardine

バッハカンタータ「神の時こそ良き時」BWV106

バッハ若き日のころの作品で、哀悼行事用のカンタータ。
伯父の死に際して書かれたもので、ミュールハウゼン時代のものといいます。

旧約と新約の死にまつわる聖句をもとにしていて、旧約における「定められた死」と新約における「救済としての死」。このふたつの死のせめぎ合いを、最後はイエスの力によって浄化され祈りに収斂するさまを歌っている。
短い作品ながら、とても美しく抒情的。
深刻さは少なく、心にそっと優しくふれてくる音楽のたぐいです。
厳しいバッハの姿はなく、その眼差しは優しい。

わが心と魂は、やさしく静かに慰められたれば
神がわれに約束されしごとく 死はわが眠りとなれり


ガーディナーのシンプルで、透明なバッハは無用な力みがなく、音楽のみがそこにある。

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2011年3月15日 (火)

起きていること~なう~

Fukushima_nuclearpower

青と白と緑と黄色。

自然が織りなす、この世の色彩美しさ。

2年前の初夏に訪れた、福島県の大熊町の公園から見下ろす海です。

Fukushima_nuclearpower5_2

視線を左の内陸に転じると、この光景。
こちらは、福島第一原子力発電所。
違う機会の写真なので、天気そのものが異なりますが、いずれもわたしが撮りました。

中央の四角い建物が、原子炉建屋。

Fukushima_nuclearpower1_2

お隣の高台に、東電が整備した見晴らし公園があります。
そこから見たパノラマは、素晴らしいものでして、とても気分が晴れてよろしいものでした。

こうして説明された板を見ても、配置はわかっても、原子力発電、そのもの仕組みはわかりませなんだ。
いま、事故が起きて、散々説明されて理解におよび、同時に、同じ原子力発電でも、西日本の多くが違うということもわかった。

しかし、地震にまつわる、原発の不具合の諸々が、海外から極めてマイナスイメージにとらえられ、日本の教訓を生かして、反原発という動きが生じている。
過敏なヨーロッパは、日本からの退去指令が来日組には出ているし、隣国でも日本渡航を控える動きも始まり、わたしの知り合いも明日、本国に引き揚げてしまうこととなった。

Fukushima_nuclearpower3

地震の被災地でない場所が、異なる被災地となってゆく。

電力需給の問題から生じた計画停電は、わたしもふくめ、多くの方々に多大な影響と負荷を与えているものと思う。
そもそも、東電が考えた供給責任とはなんであったろうか?

昨日からのせっかちなる計画停電は、電力会社たる「供給責任」という責務にがんじがらめになった、おそまつな事態じゃないかと思う。
間違っていたら関係者のお叱りはうけるかもしれませんが、大企業は、まずは管理と営業。
営業は大本部がいくつか。
その本部は、大口先担当。それ以外は準大口や、並や中、小とさまざま。
その担当部署が、部によって分かれているはず。
停電にあたっては、まず、それらの担当セクションが一堂に調性しなくてはならない。
 最初はその調整ができずに、概略イメージだけが走ってしまい、各セクションが、個別供給先に節電協力依頼をしてしまい、対応が分断されてしまった。
あげくには、被災地までも停電させてしまった。
 この大企業的な縦割りセクショナリズムは憂うべき問題。

民主党が陥ってしまった主導力なき、ちぐはぐな場当たり対応も、まさに部門・分野を統括し指示する人材がいないことのあらわれ。


Fukushima_nuclearpower4

首都圏・関東で、おきてる食糧・物資の不足は、西日本にも伝播してます。
当然であります。
物流難の状況下、関東のものが、被災地にゆく。
首都で不足するものは、西日本から調達する。
結局のところ、困るのはいずれ西日本。
目に見えてる構図であります。

現実に、目下最大級に必要な物資として、発電機、バッテリー、照明、電材機材など。
これらは、急速に品薄になるのであります。


それにしても、被災地の現状には心穏やかならず、テレビを見ていて涙に暮れてしまうことしきりであります。
東北は、真ん中に、東北道と4号線が通り、そこから左右に、日本海側と太平洋側に国道・県道がそれぞれ沿岸に伸びている。

わたしは、何度もそのルートで各地に車で行ったことがある。

真ん中ルートは、真冬でも高速だから、ほぼ不変といっていいかもしれない。
その左右は、やたらと遠大で、気象の影響をうけやすい。

たとえば、「福島」ならば「中通り」から「会津」と「いわき」、反対側は新潟。

「宮城」は、東は沿岸を近くに持つが、山形を経由して酒田・鶴岡までは遠い。

大きな「岩手」では、東北道の通る盛岡を中心とすれば、西の秋田までは山脈をいくつも越えなくてはならないほど遠い。
東の三陸沿岸は、実は、ここも北上山地等、さまざまな山脈を越えないと達することができない。日本で一番大きい県なのです。

「青森」は最北端。左右も多きいれど、沿岸は一体化してます。

要は、東北の右側の南北、長大な地区の被災地には、季節的にもアプローチしがたいとのことを書きたかったのです。
冬には、極めて出張しずらい地区だったのです。

ともかく、不足している幾多の物資が、大口あけてる首都圏を飛び越して、全国から無事集まることを期待します。
それも、一刻も早くです!!

あーーっあ、いまも、こんどは静岡東部と、私の実家神奈川西部で、大きな地震が起きました・・・・。
連鎖する地震。
富士山は勘弁してよ・・・。

いま、バッハを聴いてましたが、ちょっと、これじゃ音楽のこと書けません。
今宵はさよなら・・・。

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2011年3月14日 (月)

身近では・・・

東電の計画停電が、昨夜発表され、我が家は第1グループと確認。
就寝したけれど、でも何度も揺れを感じて落ち着いて眠れない。
被災地の方々の思いはこんなもんじゃないでしょう。

明けて月曜日、二転三転する東電の停電計画。
停電前提で、電車も運休相次ぎ、私はまったく身動きとれず。
大口JRが運休するから、供給目途がたったのか?なんだかよくわからず、こんなこと毎日繰り返された日には、生活がなりゆかない。
23区のほとんどが停電グループ仕訳にはいっておらず、都内住まいの方と、都下・近県の我われとの格差も生まれる。

さらに原発の不透明な状況も極めて不安。

あまけに、地震のための物流難を想定した食糧確保が土曜から始まり、パンや米、水などの食品とティッシュ・トイレットペーパー、ガソリンも品薄なのに加え、停電を現実とした物資確保が、月曜から始まった。
市内への放送で、停電が始まると、水不足が予想されます・・・な~んてやっちゃうもんだから市民はいやでも購入に走りますわな。
出遅れながらも、近所のメガドンキホーテに飛んでいったものの、巨大な駐車場は満杯。
店では、停電がくるかもしれないので、レジが対応できないとかなんとかいって、閉店しますとのことぢゃないですか。
無理やり食品フロアに降りると、品物はほとんどなし!
電池もカセットガスボンベも売り切れ。
しかし、酒はふんだんにある・・・・。
酔ったら逃げらんない・・・・。

Super2

ホームセンターもドラッグストアも全部同じ。
ガソリンスタンドも閉店。
唯一、フルサービスの高めの(ふだんあまり売れてない)SSのみ営業してて、そこは1Kmの渋滞で、何も知らずに走ってると給油渋滞に並んじゃってるって具合。

今後ますます、震災や節電による生産や稼働減の影響による品薄と、物流網の劣化にて、こうした困窮は深まると思われます。

それを思っても、これでいいのだろうか?

テレビで見てると、水と食べ物の不足が深刻になっている被災地。
あるものをまとめ買いしてまわる首都近県の人々。
自分だけが良ければという人間の心理は押さえようもない・・・・。
確保できた水や米を、そのまま被災地に送れと言われたら、自分ならできるであろうか?
とりあえず義援の手続きはしてみたものの、どうにも満たされない思いです。。。

こんな心境だから、音楽はお休みです。
神奈フィルのマーラー以来、なにも聴いてません。
暇さえあれば、音楽を聴いてたのに、こんなことは生まれてこのかたありません。
少し、落ち着いたら(そういう時が来たら)、聴いてみたい音楽がいくつもあります。

繰り返しますが、震災に見舞われた皆さまのご冥福とあわせまして、お見舞いを申し上げます。

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2011年3月12日 (土)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 金 聖響 指揮

いまも続く大震災の余震。
そして、被災の甚大さが次々に明らかになっていて、むごいくらいの映像が報道されています。
その被害はまだ継続中だし、連鎖する地震も不安をあおって、今後、何がおこるかわからない・・・。
私の住む千葉や、職場の東京では、スーパーやコンビニに食品がまったくなくなっている。
物流が寸断され、日常ではなくなってしまった。
赤水だし、都市ガスは停止、電気も計画的に停電の予告・・・・。
交通機関もまだ不完全。
帰れなかった自宅に戻った土曜、食器は割れ、お気に入りの置物も落ち、部屋は混乱。
身近に起こっている事象です。

それでも、こうしてネットはつながっている。
この強いインフラは、災害時の教訓となろうか。

でも、こんな思いは生ぬるい。
むごたらしい映像を見るにつけ、東北・茨城の皆さまにみまわれた惨状に、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
親戚もいますし、仕事柄、仲間も多いし、始終伺うことが多かった地。
青森から福島までの太平洋沿岸。いずれも訪問したことがある思い出深い地です。
どうか皆さん、ご無事でいらっしゃってください。

Kanaphill_201103


  マーラー 交響曲第6番

 金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
       (2011.3.12@みなとみらいホール)

今日、12日土曜日は、神奈川フィルハーモニーの定期演奏会の日。

開催が危ぶまれましたが、yurikamomeさんから、決行のご連絡。
帰宅しなかったもので、都内から横浜まで、スムースに移動。
ひと気の少ないみなとみらい地区(ほとんどのお店がクローズしてます)、そしてみなとみらいホールは、3割~4割の入り。

こんな時に、音楽を聴くという、どこか後ろめたい感情・・・・。

今朝から、そんな思いにとらわれ、中止も半ば期待していた。

しかし、主催者側と演奏者側の熱い思いが、そんな思いを払拭してしまう、たぐいまれなるコンサートとなったのであった。

正直いって、わたしには、いま、言葉がありません。
特殊なシテュエーションが作用し、演奏する側と聴き手が一体となって、高みに達してしまう。
不謹慎ではありますが、マーラーの6番ほど、そんな思いを高めてしまう曲はありません。

この曲は、何度も実演に接して、「もう封印」などと思ってきた演奏ばかりなのです。

アバドとルツェルンの来日公演は、わたしのコンサート経験No1で、病後、復調のアバドが喜々として笑みを浮かべながら指揮するもと、その無垢な指揮者に、全霊を尽くす奏者たちが無心で、夢中になって演奏する神がかった演奏。

ハイティンクとシカゴの完璧極まりないなかに、スコアのみがそこにあるといった完全演奏。

どちらも忘れえぬ体験。

そして、聖響&神奈川フィルのマーラー6番は、そのどちらでもない、悲しいくらいに美しく、痛切で、感情のこもった真っ直ぐな演奏だった。

それでいて、流れの良さを大切にしたスマートさも。

正直、こんなに心のこもった、全身全霊の演奏が聴けるとは思わなかった。

わたしは、指揮者と演奏者が一体化しているのが、うれしくって、まぶしくって。

そして、音楽が素晴らしくって。

そしてなんといっても、この震災が悲しくって、恐ろしくって、テレビで何度も見た映像が、辛くって、何度も何度も鳥肌が立って涙ぐんでしまうのであった。

 しかし、音楽への前向きな取り組みは、マーラーの絶望的な思いとは逆に、明日もある未来を予期させる若さと逞しさを感じさせました。

ハンマーで心かきむしられた終楽章。
あの、あまりに特異なエンディング。

指揮者も奏者もすべて動きを止め、その静寂がいつまでも、永遠に思われました・・・・・。

演奏会の冒頭。
聖響さんは、いまのこのとき、演奏家にとってなにができるか・・・、それはいい音楽をすること。義援金の募集のこと、などを話され、わたしたちも一緒に、長い黙祷を捧げたのでした。

この演奏会。
開催を決意した主催者側、果敢に一心不乱の演奏を繰り広げた聖響&神奈フィル、ホールに集まった音楽を愛する聴衆・・・・、心が一体になりました。
こんな時に、コンサートなんて・・・、という思いを一蹴してしまうような、心のこもった、愛に満ちた演奏に救われました。
どうか、奏者と聴き手が達したこの思いが、被災地の皆さまに少しでも届きますように。
そう、明日も、明後日も、まだあるんですから!

アフターコンサートは、意を決して集まったいつもの神奈フィル応援隊の皆さんに、首席チェロの山本裕康さんをお迎えして、短いながら充実の時間を過ごせました。
その間にも、お店のテレビでは、第一原発のガス爆発を報じるなど、まったくもって尋常ではない状況にありました・・・・。

こうしている間にも、余震や余波の揺れが起きてます。
家人ともども不安で寝不足です。
みなさま、ご養生ください。

そして、被災地のみなさまには、心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

Minatomirai20110312

ひと気のない、みなとみらい地区。

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2011年3月11日 (金)

大変なことに!

震災最中ながら、被災がこれ以上広がりませんよう、祈るばかりです。

大手町と神田の間くらいで、客先と面談後、ビルを出たとたんに揺れました。
現実とは思いたくない、あぁ、これでもう・・・と思うくらい・・・・。

建物がら人々が出てきて、おろおろとしていて都内はパニック状態。
当然に、携帯はつながりません。
東京駅にむかうと、JRも地下鉄もすべて止まってる。
タクシー乗り場は、延々と続く長蛇の列。

事務所のある田町まで休みながら歩くこと2時間。
街は、人であふれかえり、道路は雑踏のようだ。
車も超渋滞。
ビックカメラやヤマダ電気は、シャッターを降ろしている。
カフェやラーメン屋さんは満員。
コンビニやパン屋さんも満員。
スーパーには、買い出しの若手社員がチラホラ。
頭巾をかぶったおびえた小学生に付き添う母親。

テレビで刻々と流される各地の被害。
背筋が寒くなります・・・・。
被災されている地域の方にはお見舞いの言葉もありません。
                       17:30

Uchikanda

地震発生時の様子です。

Ichihara

千葉の自宅から見えた市原製油所の火災。
25Km離れてますが。
「この影響で有害物質が雨に混ざって降ってくる・・・」という風評が出て、わが住宅にも管理組合が注意を促すように貼り出してます。
しかし、これはどうも間違いらしい・・・・。(コスモ石油のHP)
むしろ心配は、原発。

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2011年3月 8日 (火)

エルガー 戴冠式頌歌 ギブソン指揮

Nihonbashi

お馴染みのお江戸日本橋。
上にすっぽりかぶった首都高の閉塞感もまたお馴染み。
どうにもならないですが、夜などはこんな風にして、内照なども川面に反映して不思議に美しい光景となるのでした。

現在のこの橋、Wikによれば、江戸から数えて19代目だそうで、1911年(明治44年)のものだそうであります。

Elgar_coronation_gibson_2

本日は、エルガー(1857~1934)。
英国のマーラーと同世代人であります。

エルガーの作品で、マーラー第5~第6あたりでいうと、「戴冠式頌歌」という声楽作品があります。
1902年、エドワード7世の戴冠式用に作られた曲で、まさにマーラーの5番の年。
しかし、エルガーにはその前年、1901年に作曲した「威風堂々」第1番の行進曲があって、その中間部の名旋律に歌詞をつけたらどうかね?との打診も、同じ国王から得ていた。
同時進行し、頌歌の方が完成は先んじたけれども、国王命の方によって書いた「威風堂々」による合唱作品、そう、プロムスで必ず最後の定番となる、「希望と栄光の国(Land of Hope and Glory)」の方が早くに初演され、大ブレイクした。
その数ヶ月後に、7部からなる「戴冠式頌歌」が初演されることとなった。

クリストファー・ベンソンという作詞家による名作であるが、相前後した「希望と栄光の国」と、本来の「戴冠式頌歌」の最終大7部目にすえられた「希望と栄光の国」では、詩も音楽も異なるのであります。

曲の始めから、「God shall save the king, God shall make him great,Goda shall guard the state, all that hearts can pray,・・・・」と、いかにも英国風な、生真面目、王室愛的な英国国教会の世界ではありますが、エルガーはなんら疑念もなく、まっすぐな音楽を書いているように聴こえます。
 しかし、曲も詩もやがてすこし陰りを帯びていて、南アフリカにおけるボーア戦争(英国がまつわる植民地戦争)という当時の戦火の影もにおわせているという局面になる・・・。
この時期の前後、英国は中東での火種を植えつけてしまった張本人だし、衰えつつある大国のイメージをずっと引きずってゆくことになる。

帰る国、出身の国を持つことのできかったマーラー
対するエルガーは、どこからどこまでも英国人で、帰る場所は英国と定めらていたし、本人も完璧な英国人として生きて死んだ。
マーラーは、その点、なにも持たないひとりの人間だったし、生国も死ぬる国もなかった。
どちらが幸せだったか?
そりゃ、エルガーの方でしょうな。
でも、世界中が今、コスモポリタン兼亡国のマーラーを愛し、夢中になってる。
クールなマーラーと、愛国・熱中の騎士エルガー。
日本人である、わたくしには、どちらもまたよしなんです。
どちらも、いまのくだらん閉塞社会を突き抜ける要素を強くもってると思う。

この35分の熱っぽい音楽の最後、最初はアルトの気品に満ちた独唱から始まり、いくたの苦難を超えてきたあとの結末として、やがて晴れやかなあの名旋律が、オーケストラと合唱の大ユニゾンでもって壮大に奏でられるのです。
しかし、ここでは行進曲とそれに準じた「希望と栄光の国」のように、晴れやかにジャンジャンと終わることなく、そう、まるでマーラーの「復活交響曲」のような神々しいファンファーレでもって、曲を閉じるのでありました。

  S:テレサ・カーヒル         A:アン・コリンズ
  T:アンソニー・ロルフ=ジョンソン B:グィン・ハウエル

       アレグサンダー・ギブソン指揮 スコテッシュ・ナショナル管弦楽団
                            同       合唱団
                                                         (1972.12 @ペイズリー)


ギブソンの熱い指揮が全編を覆ってます。
精度云々は別な次元のはなし。
こんなような素晴らしい演奏を前に、なにもいうことはありません。

1911年、こんどは、ジョージ5世の戴冠式にも演奏されたそうですが、そこではまた歌詞が一部刷新されたそうでございます。
詞は変わっても、エルガーの反戦と純粋な愛国心は変わらなかったのです。

そして、その1911年は、冒頭の日本橋19世の生まれた年なんですね!
歴史は、みんなつながってる!

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2011年3月 6日 (日)

プッチーニ 「蝶々夫人」 モッフォ&ラインスドルフ

Horidomecho

日本橋界隈からも見えるスカイツリー。
3月4日のお姿です。
こうして、どこからも見えるスカイツリーは、東京の景色を変えつつある。

Ningyocho1

でも、ちょっと路地に入ると、いまでもこんな雰囲気の場所がまだまだたくさんあります。

Ningyocho2

江戸の頃にタイムスリップしたみたいな極狭路地も。
粋な町人が、ちょろっと出てくるような感じですよ。

Puccini_madama_butterfly

お馴染みのプッチーニ(1858~1924)の「蝶々夫人」を。
1903年に完成、1904年に初演。
マーラーの第5と第6の年代に重なるのでありました。

プッチーニあたりになると、R・シュトラウスとともに完全にマーラーと同時代ということが理解できる。
豊饒な大オーケストラの響き、甘味な旋律、劇的な響き、大胆な和声、打楽器の巧みな多用、そしてなんといってもオーケストレーションの見事さ。
いずれも、聴く人を陶酔させ、惑わすほどに夢中にしてしまう。

でも、マーラー指揮者で、プッチーニも得意とする人は以外に少ないように思う。
アバドは、プッチーニはまったく触れることもしないし、ハイティンクもそう。
バーンスタインもショルティも。
メータ、レヴァイン、カラヤン、シノーポリあたりが、その両方を得意にした。
そして、ここにエーリヒ・ラインスドルフ(1912~1993)の名前も加えていいと思う。

ラインスドルフは、ウィーン生まれのユダヤ系で、戦中にアメリカに逃れ帰化しているが、その活躍のわりに、評価が定まらず、印象もいまひとつ薄い。
広範なレパートリーを持ち、あらゆるジャンルをも手掛けたから、万能指揮者のように扱われたし、ひとつのオケと蜜月を築くタイプでもなかったからかもです。
オペラ指揮者としては、仕事人のようにテキパキとまとめ上げるから、劇場に録音にひっぱりだこ。
モーツァルトから、ワーグナー、シュトラウス、コルンゴルト、ロッシーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニ・・・・・、あらゆるオペラを指揮して録音もしてます。
こんな指揮者は、現在のレヴァインをおいてほかにいません。
カラヤンも敵わないのでした。

こちら「蝶々夫人」は、ラインスドルフには2つの録音がある。
早めのテンポで、感情移入は少なめで、淡々としながら蝶々さんの気の毒な物語を進める指揮ぶり。
シノーポリの微に入り細に入り、といった大胆かつ緻密な表現とは大きく異なるが、プッチーニの音楽の良さ、素晴らしさをストレートに味わわせてくれるという効能がある。
でも味も素っ気もないかというと、そうでもなく、ちゃんと歌わせどころでは気持ちよくしてくれるし、泣かせてもくれます。
最後のクライマックスにおける金管の強奏は悲壮感もたっぷりでなかなかです。
こんな程よさがいいラインスドルフなのです。

 プッチーニ 「蝶々夫人」

  蝶々夫人:アンナ・モッフォ      
      ピンカートン:チェザーレ・ヴァレッティ

  スズキ   :ロザリンド・エリアス   
      シャープレス:レナート・チェザーリ

  ゴロー  :マリオ・カルリン     
      ボンゾ  :フェルナンド・コレナ
  神官    :レオナルド・モンレアーレ  
                                        ほか
 エーリヒ・ラインスドルフ指揮 ローマ歌劇場管弦楽団/合唱団
                 (1957.7 @ローマ)


この「蝶々夫人」を捨てがたいものにしているのは、ラインスドルフの指揮よりも、アンナ・モッフォの蝶々さんにある。
モッフォは、2006年に亡くなってしまったが、その最盛期は、デビュー時の50年代半ばから60年代半ば頃まででしょうか。
70年代は、復調して「カルメン」やグルックなどにも挑んだけれど、声は低くなり少し痛々しかった。
57年録音のこの蝶々さんは、ハリのある若々しい声と一途な歌い口が健気な蝶々さんに相応しく、とってもチャーミングなのだ。
やや古めかしいほかの歌手たちの中にあって、一段と輝いていて気品に満ちているし、ちょっとした嘆息や悲しみの呻きなどが、演技を感じさせずリアリティにとんでいて、引き込まれてしまう。
独特の陰りを帯びた声と低音もモッフォの魅力。
死の場面の慟哭と、語りは鳥肌ものだし、そのあとの「愛しい坊や・・・」の歌の真っ直ぐな歌唱は、もう涙なくしては聴けませんでした・・・・。

Moffo

映像もあるみたいなモッフォのチョーチョーさん。

Moffo_5

74年に来日したモッフォ。
美人の風格。
高校生だったワタクシ。その頃も美人好きでしたヨ


「蝶々夫人」過去記事

 「シノーポリのCD」
シノーポリもいいけれど、わたしにはバルビローリ盤が忘れがたい。

 「新国立劇場2009」
6月の再演では、ネルゾンス夫人、オポライスが出演予定と思ってたら変わってしまった。

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2011年3月 5日 (土)

ディーリアス 「アパラチア」 バルビローリ指揮

Hamamatsucho2

3月の小便小僧は、春の火災予防運動に連動です。
これ、実にさまになってますな。
有志での毎月の活動。
いつも楽しませていただいてます。

Imgp2676

ディーリアス(1862~1934)の「アパラチア」を聴きます。
そういえば、来年はディーリアスの生誕150年なんですな。
ディーリアス好きとしては、あまり騒がれることなく、静かに迎え、静かに終わって欲しい記念の年です。

マーラーと同時期に活動したディーリアス。
マーラーの交響曲第5番と同じく1902年に完成した作品が、「アパラチア」。
ニグロ民謡の主題による変奏曲という副題がついているとおり、アメリカのまさに風物を描いた桂曲なのです。

イギリスの作曲家というくくりで、生まれと育ちはイギリスではあるけれども、両親はドイツ人。
裕福な実業家の家庭だったので、ドイツやフランスで音楽修業を自由気ままにすることができたディーリアス。
そこで、いろんな音楽や芸術仲間と交流し、身の肥やしとなったけれど、奔放な生活も自身の体を蝕むことになったという。
作曲家としての道は、そんな風だったけれど、父親は当初、自分のあとを継がせたくて、実業家としての道を用意していた。
でもディーリアスは自由な道を歩みたくって、アメリカでの農場経営ということに逃げ道を見出し、渡米。オレンジ・プランテーションの経営を行うこととなった。
1880年代半ばのこと。

John

フロリダ州のセントジョンズ川に面する街は、そのほとんどが黒人で、ディーリアスはその中でも特異な白人だったという。
身のまわりの世話をする黒人がバンジョーを弾いて歌う歌が忘れらなかったディーリアスは、脳裏について離れなかったこの曲と、アメリカでの思い出を、後に「アパラチア」という大規模な変奏曲形式で取りあげることとなった。
その完成は、アメリカ時代から十数年後となった。
忘れられない思い出を必死に音楽に残そうとしたディーリアスなのでした。

イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、北欧と、ディーリアスは広範なコスモポリタンだった。
しかし、その音楽はマーラーのような個人的な心の内面でなく、そこはかとない映りゆく心象風景といったもので、曖昧で茫洋とした感覚的なものである。
どちらもわたしにとって、大事な音楽だし、どちらにも共鳴できる。

38分あまりの大作であるが、ディーリアスらしい詩的な雰囲気と、懐かしい過去への思いに満ちていて、どこかで聴いたような、どこかで見たような音の光景がここにある。
序奏と14の変奏、そしてフィナーレからなっているが、要所で合唱が、そして最後のフィナーレの盛り上がりでは、バリトン独唱と合唱が相和して歌う。
その基本旋律が「Oh honny, I'm going down the river in the moning」というかつて耳にして、離れがたかった黒人奴隷の歌。

まずは、その序奏が印象派風ですばらしい。
朝もやのなかに、アメリカの川辺の湿原が浮かび上がってくるかのような雰囲気が醸し出される。
やがて、この曲のモットーである基本旋律が、コールアングレで歌われると、もう聴く者を望郷への世界へと誘ってくれる懐かしサウンドだ。
この旋律さえ気にいって覚えておけば、全曲が楽しく聴くことができる。
いろいろ姿を変えつつ展開され、それぞれに味わいがあるが、何といっても、最後のクロージングがあって、それがあるからこそ、ここまで聴いてきたっていう風なフィナーレが待ち受けているんです。

あの旋律を木管が歌い、バリトン独唱が「Oh,honny・・・」先の歌と歌い出すと合唱が合いの手を入れる。
快活な朝、そしていましもくる夜明けを歌い、おおいなるクライマックスとなる。
しかし、オーケストラは、それを受けて、静かに、静かになってゆき、消えるようにして音を失ってゆく。
この美的な感覚はどうでしょう。
黒人たちの悲しさと、水辺の大自然。
どちらも美しく、切なく描かれてます。

バルビローリの最晩年の1970年7月の録音。
このあと日本にやってくるはずだった。
ハルレ管弦楽団との、いつくしむような名演奏であります。
バルビローリは、ディーリアスも、そしてマーラーも素晴らしかった。

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2011年3月 4日 (金)

シベリウス 交響曲第2番 渡邉曉雄指揮

Suzakayasoba3

新潟は、蕎麦どころでもあります。
日本の蕎麦どころといえば、北から、北海道、岩手、山形、福島、栃木、群馬、長野、新潟、福井、兵庫、島根。
こんな感じでしょうか。
今でも好きだけど、いっとき、三食すべて蕎麦みたいな、熱中時代がありまして、夜は当然にお酒をともなうことになりまして、「蕎麦屋で一杯」という人生を実践しておりました。
そのようにして、蕎麦屋で酒を飲むという行為は、とても美しくて、潔い行動なのですが、いかんせん高くつきます。
手打ちの、脱サラ風のこだわり蕎麦屋さんなどは、ほんと美味しいし、文句のつけようがない。
でも、酒も本物のいい酒が揃えてあるし、どこにも妥協がないから、コストはそれなり。
だから、そうした「蕎麦屋で一杯」的な飲み方はやめました。
ボンビー派としては、盆暮れくらいにしか行けない、お蕎麦屋さんのたぐいなんです。

しかし、町の蕎麦屋さんはいいですな。
蕎麦やうどんのメニューがやたらと豊富で、注文すると、びっくりするくらいにあっという間に出てくる。
そんな蕎麦屋が、夜に蕎麦だけは正規価格で、つまみは蕎麦の具材ゆえに格安に出してくれる。出前もする嬉しいお蕎麦屋さん。
いまは自分にとって、そんな場所が、最高の蕎麦屋さんかもしれません。

Suzakayasoba4

新潟の蕎麦は、そのほとんどが、つなぎに「ふのり(布海苔)」をつかったもので、こうして四角い器に盛り付けて食べることが多かったため、これを「へぎそば」と総称しているようです。
一口サイズに盛り付けられたサラッとしたお蕎麦を、薄めのそばつゆに、じゃばじゃば付けて食べます。
江戸風に、濃い口のつゆに、ちょろっとつけるのではなくって、思いきり浸して、注ぎ込むように食べるんです。
ともかく、さっぱりと美味しい蕎麦なんですよ。
あぁ、書いてる今食べたい。

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マーラーの交響曲第5番(1902)から7番(1905)の同世代音楽シリーズ。

ヨーロッパの中心の大帝国で着実に演奏家として、作曲家としてその地歩を固めつつあったマーラー。
ユダヤ人でもあったマーラーであるが、その存命時期では、出自を外的にどうこうされることなく、ボヘミヤから自然児のようにやってきた感じだ。
しかし、ユダヤ人であるという自身のアイデンティは後の厳しい世間より、先行してマーラーは感じていたはずで、非ゲルマンとしての悲哀を持ち続けていたはず。
それが、直接的には出ないで、自身の内面に特化したところがマーラーのすごいところです。

それでもって、北欧の方に目を向けると、1902年には、シベリウス交響曲第2番を作曲しておりました。
このあまりにも有名な交響曲は、コンサートにおける人気曲のひとつにもなってますが、マーラーとの時代背景を考えると、とても興味深いです。
ロシア的なメランコリーとリリシズムを受け継ぎながら、それに反するような民族的な雰囲気の様相も持ち合わせている。

このころ、フィンランドは、ロシア統治下にありながら民衆の不満もたまりつつあり、暴動も発生し、ナショナリズムが蘇生されつつあった時分。
日露の結果なども、世界的に影響を及ぼしつつあった。

そんな時勢においての愛国家シベリウスの交響曲に、まったくブレはなく、暗から明、伝統的な4楽章を踏まえつつの真っすぐな音楽の残すこととなった。
自国のことを思いながらの作品。
その後は、もっと内面を掘り下げて、複雑な味わいを呈するようになり、聴き手にも容易じゃない聴き方を要求するようになった。

フィンランドの血筋を引く渡邉先生。
この方のシベリウスは、これまで何度聴いてきたかわからない。
全集も、今回と同じ解体前と後の日本フィルと2度。
個別には、日フィルや京響、都響などともあります。
ともかく、シベリウスの世界的な大家でありまして、81年ヘルシンキフィルの来日公演での名演も、CDで著名な渡邉さんです。

1976年7月、小樽市民会館でのライブ録音。
7月の小樽は、そこそこに暑くって、北欧の寒々しさはやや薄かった環境かもしれませんが、ホールに漲る熱くてかつクールな雰囲気は、35年後に、こうしてCDを再生しても同じく感じられるものでした。
ともかく、熱くて、真っすぐ。
とりわけ、第2楽章の明確でかつ、じんわりとした盛り上がりは素晴らしいものがありました。
いつも醒めてしまいかねない終楽章の盛り上がりは、意外なまでに淡々としていていながらも結構な情熱をはらんでいて、その雰囲気のまま明るく曲を閉じる。
無駄なことを一切せず、しっかりと省いてしまい、曲のあるがままを鳴らしてしまった、そんなシベ2でありました。
オケは、ちょろちょろと、なにかとやらかしてますし、本演奏が正規化しなかった要因としての、ホール内の雑音も看過することができません。
でも、渡邉&日フィルのコンビによるシベリウスは自然で偉大なのでした

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2011年3月 3日 (木)

ラフマニノフ 前奏曲集作品23 アシュケナージ

Suzakayasoba2

新潟の郷土料理「のっぺ」。
こんなに色彩感ある郷土料理って他に知りません。
これ、栃尾の油揚げとともに、大好きな新潟の食べ物のひとつなんです。
冷たい状態で食べるのですがね、サトイモの粘りが決めてで、ねっとり感も楽しめるんです。
こちらでは、とり肉でしたが、鮭の方がそれっぽいですな。
しかし、うまい。
お酒がどしどし進むんですよ。

このところ連続してます、新潟の食は、別館「さまよえる神奈川県人」でも出しますので、よろしければご覧くださいまし。

Rachmaninov_preludes

マーラー交響曲第5番~第7番あたりの、同世代作品シリーズ。

今日は、ラフマニノフの10の前奏曲作品23(1902年作)

1902年から、1905年は、日本では、明治35年から38年という年代。
調べたら、日露戦争の最中なんです。
「坂の上の雲」の世界なんです。

そしてそのロシアで、活躍の途についたのがラフマニノフで、当時はモスクワで作曲と指揮活動をしていて、ピアノ協奏曲第2番は1900年に発表済みの頃。
ロシアがアジアに目を向け、南下するのを小国・日本が阻み破ったことは、西欧には脅威だったし、各地の民族運動にも影響を与えたとされる。
そのロシアが、いまやソ連体制以上に、南の四島に固執しはじめたのは、南下政策という歴史的な経緯があってのこと。
これを易々と許してしまったいまの日本は・・・・・。
あらやだ、わたしのブログは、そんなふうなことは触れずにおきたいですので、ここまで。

マーラーの音楽は、国情や政治のことはその音楽からあまり感じることが少なく、むしろ個人的な内面の発露という傾向が強い。
そして、ラフマニノフも民族主義的な傾向は少なめで、自身が幼いころに聴きなじんだ教会の鐘の音や、グレゴリオ聖歌などが、常にその音楽に顔を出していて、マーラーと同じくその内面をその置かれた状況に応じて表出してみせた、そんな音楽に思う。
後年、ロシアを出て、スイスやアメリカに暮らし没したラフマニノフは、「望郷」一筋の心情にあったことは、みなさまご存知のとおりです。

そのラフマニノフ。ピアノ独奏用の前奏曲を作品番号のあるものでは、生涯24曲書いている。
そう、その24といえば、バッハにショパンです。
あきらかにショパンを基本として、24の調性に前奏曲を残したわけであります。

今宵聴いたのが、作品23の前奏曲集で全部で10曲。
その10年前、1番目にあたる作品3の2。
さらに7年後、作品32の13曲の前奏曲集。
これらを合わせて、24の前奏曲集となるのです。
こんな風に、間を空けながらも、24の作品にしてゆく手法と考え方は、いかにもむっつり型のラフマニノフらしいところ。

全部聴くと2CD分。一夜のコンサート+アンコールみたいな感じ。

少し渋めな、あとの作品32の13曲よりは、よりメロディアスでかつリズミック。
アンコールピースとしても、よく取り上げられる作品も内包しているから、全般に聴きやすい音楽なのです。

流れで聴くのが一番よろしく、そこに身をゆだねる快感もありますが、気に入ってる作品は、ショパンの雨だれ風の物憂さのある1番。
同じくショパンのバラードのような華麗で劇的な2番。
あまりに美しい4番は、まんまショパンでノクターン風。
でもロシアの憂愁も濃い名作ですよ、これは素晴らしい名品なり。
これを聴くと、なぜかアシュケナージを思い出す第5番。ぎくしゃくした不思議なリズム感が一度聴いたら忘れられない、いかにもラフマニノフっぽい曲。
流れるようななかに、巧みに切ない旋律を織り込んだ7番。
ほかも、詩的で幽玄な雰囲気を持つ曲ばかり。

こんな曲を聴きながらお酒を飲むと、どんどん飲んでしまいます。
後の望郷のセルゲイの時期の作品は、ときに切なくなりますが、この頃のものは結婚もあって、幸せ感が素直に感じ取れ、旋律美でもって聴かせちゃいます。

あの頃は、本業でもってちゃんとしててよかった文句なしのアシュケナージのピアノ。
この手の作品の決定盤でしょう。
かつての昔、文化会館でこの作品のいくつかを聴きましたよ。
タートルネックで、そそくさと出てきて、ちょこまかしてると思ったら、いざピアノが鳴りだすと、そのスケール感の幅は、極めて広く、かつ繊細。
あとあと始めた棒振りの時と全然違うのでした・・・・・。

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2011年3月 2日 (水)

ラヴェル 弦楽四重奏曲 イザイ四重奏団

Ikasumi5

新潟一泊紀行
素晴らしい東京交響楽団の演奏会のあとは、そりゃもう「飲み」ですよ
ご一緒いただいたIANISさんのお勧めの酒は、「鮎正宗」。
淡麗でありながらも、しっかりとした存在感のある酒でして、あてを選ばないオールマイティの完璧な存在。
大いに気に入りまして、あれこれたくさん飲んだあとに、締めとして再度飲んだのですが、酔ってはいてもこれが一番でございました
奥に見えるは、新潟の栃尾の油揚げでございます。
これ、わたくし、大好きなんですよ。
厚揚げなんかよりずっと。

Ikasumi6

お刺身は、二品チョイスしました。
手前が、なんと贅沢にも「のどぐろ」。
奥が「かんブリ」。
日本海各地は「のどぐろ」がうまいが、北陸・山陰はお値段がやたらと高く、時価でごまかされてしまう。
しかし、新潟はいいです。
こちらでは、そこそこのお値段で、こうしてお刺身や、塩焼きが食べれちゃうんです。
両方とも、とてつもなくウマかった

Ikasumi9

こちらが、実においしかった。
味わい深く、日本酒にも極めて合う「冬菜のおひたし」。
冬菜は、小松菜に似た冬の菜っ葉で、新潟の女池(めいけ)という地区で採れる野菜。
女池は、7号バイパスを走っていると、その名のインターがあるから名前だけは見知っていたけれど、このような貴重な野菜が採れるとは思いもよらないことでした。
いまや生産者も少なく、希少になりつつあるみたいですよ。

青菜の甘さと、少しのえぐさと、食感のシャキシャキ&トロみが実にいいのでした。
以上は、IANISさんにお教えいただいたことです。

以上の模様は、さらに別館、さまよえる神奈川県人にてご報告します。

Debussyravel_ysaye

今日は、ラヴェル(1875~1937)の弦楽四重奏曲。
マーラーと同世代、第5~7交響曲と同じ頃の音楽を聴くシリーズ。
この作品は、1902~03年にかけて書かれたラヴェルの傑作。

この作品ぐらいになると、ドイツ=オーストリアとフランスという文化&人種の著しい違いを感じざるをえない。
レハールの甘味さは、同じ広域ドイツ語圏という世界でマーラーとカテゴリーをひとつとするが、ラヴェル、そしてドビュッシーとなると同時代でも、表現の質、音色、響きが全然異なる。
ドイツ語とフランス語の大いなる違いかもしれない。
それは、知覚(独)と感覚(仏)の相違かも。
ゲルマンとラテン。ユダヤはまたその間くらいかしら??
日本人は、そちらかというと前者の世界??

酔いながらこんなことを書いてます。

27歳のラヴェルが書いた、詩的でシルキーなまでの繊細な音楽。
そのくせ、しっかりと伝統に基づいた構成の美しさも併せ持ってる。

優美で私たちが共有するラヴェルのイメージそのものの第1楽章。
さりげない各奏者のピチカートひとつに芳香を感じ取ることができます。
この楽章の出だしの第1主題は、ふとした拍子に思い浮かぶことができる名旋律だと思いますね。
その、ふとした拍子ってのはいろいろありますが、わたしに一番多いのは、芳醇な赤い葡萄酒なんてのを飲もうとした瞬間とかであるんです。
 弾むピチカートで始まる2楽章も、憂いを含んだおフランスのムードが感じられますな。
続く3楽章は、全編ためいきばかりでできたような、アンニュイな場面の連続。
しっかりと第1楽章の主題も姿を変えて顔をだしていて、全体が巧みに一本化されている。
さすがは27歳とはいえ、ラヴェルなのでした。
 えぐさも感じる突発的な出だしの4楽章。
錯綜するリズムと旋律が支配するものの、ゆるめのテンポで伸びやかな雰囲気となった終楽章。
青竹のように、すくっと真っすぐでありながら、フランス的な香ばしさも感じさせる名曲です。

マーラーとは、背中あわせで、かつまったく異なる世界なのでした。

イザイ四重奏団は、作曲&ヴァイオリン奏者のイザイが創設した楽団の、おそらく2代目。
明晰であいまいさのこれっぽちもない演奏ながら、不思議と香りゆたかな名演。

ラヴェルと必ずセットになるドビュッシーの四重奏曲は、この作品よりさかのぼること、約10年前。その東洋の香りのする不可思議な雰囲気の曲を、わたしはNHKの某放送で、中学時代に聴いてずっとそのイメージを引いてきた音楽。
こちらは、またその時の思い出とともに記事を起こしたいと思います。

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2011年3月 1日 (火)

レハール 「金と銀」 ガーディナー指揮

Bandai2

日曜に訪れた新潟の街。
信濃川にかかる萬代橋。
いつも川とそこにかかる橋を見ると渡りたくなるし、下へ行って全貌も確かめてみたくなる。
ここは、これまで見てきたいくつもの橋の中でもかなり美しい。

Bandai

かつては、この橋はずっと手前と、ずっと先まで伸びていたらしいです。

Hurumachi

この日、新潟では「新潟アニメ・マンガフェスティバル」が行われていて、それ風の若い方々がたくさん闊歩してましたよ。
ここ古町のアーケードでも、B級チックなおいしいものの屋台にまじって、コスプレ系の方もいましたよ。
まぁ、わたしのようなオジサンには縁はございませんがね。

Hurumachi2

でも、ここらへんになると、黙っちゃいらんないすね。
新潟は水島新司の出身地。これは、「あぶさん」ですよ。
でも私には、南海のユニフォームの方がしっくりくるんですがね。

Hurumachi3

そして、このフォーム見てくださいよ。
ドリームボールを投げる水原勇気ちゃんです。
懐かしいっすなぁ~

Tamakou

もうひとつ、ブロンズ像を。
こちらはアニメじゃなくって、忠犬「タマ公」。
新潟の忠犬は、雪崩に埋もれたご主人や人々を2度に渡って救出したといいます。
シバ犬らしからぬ、精悍な面持ちでございました。

Wiener_soiree_gardiner

このへんで、1曲。
レハール(1870~1948)のワルツ「金と銀」。
ハンガリー生まれのレハールだが、ハプスブルク家のオーストリア=ハンガリー帝国ゆえに、ウィーンやベルリンで活躍したオペレッタ作曲家。
世紀をまたいで、絢爛たる爛熟のウィーンでの活躍。

一方には、われらがグスタフ・マーラーもあった。
マーラーの交響曲第5番と同じ、1902年の作品がこの「金と銀」。
メリー・ウィドウ」が交響曲第7番と同じ1905年

ウィーンやベルリンで、レハールやマーラーが鳴っていたことを考えると、その音楽の違いに驚く。
ハプスブルク王朝は、第一次大戦終了とともに1918年に幕を閉じるが、その最後のもっとも芳熟な文化をしっかり表明しているようなレハールの音楽は、人間の内面に踏み込んでくることはなく、ある意味気楽にその美的世界に陶酔をもって浸っていればよろしい。
一方の、マーラーはそんな具合にはいかないのは、みなさん御存じのとおり。

でもわたしは、レハール好きですよ。
J・シュトラウス一家よりも最近は好きかも。レハールと同時代のオペレッタ作曲家もいいです。
ここにも、世紀末の刻印がしっかりあるんです。

今日の演奏は、ガーディナーウィーンフィルを振った不思議な組み合わせの1枚。
メリーウィドウも録音しているこのコンビだが、案の定、少なめのヴィブラートで、すっきりと聴かせていて、こちらが期待するキンキラの豪華さや、歌の豊かさからは遠い演奏に感じる。
ウィーンフィルのまろやかな音色だけが、従来のイメージを残すのみ。
これはこれで、新鮮だし、聴きあきないサウンドかもしれない。
ホィップクリームののったザッハトルテでなくって、新鮮なジャムののったスコーンみたいな感じ・・でょうかねぇ。

マーラーの5~7番の同時代シリーズです。
そして、新潟紀行も続きます。



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東京交響楽団新潟定期公演 大友直人指揮

Ryutopia1

新潟市の文化会館「りゅーとぴあ」。
いつもお世話になってますIANISさんにお誘いいただき、日曜日に新潟へ行ってまいりました。
お目当ては、東京交響楽団新潟定期公演
英国ものですから。
そして、美しい「りゅーとぴあ」のホールトーンで聴けるのですから。

Tso2011

   
   パヌフニク    交響曲第3番「祝典交響曲」
                (シンフォニア・サクラ)


   ラヴェル     ピアノ協奏曲

              Pf:上杉 彩子

   スタンフォード  交響曲第3番「アイリッシュ」

      大友 直人 指揮 東京交響楽団
            (2011.2.27@りゅーとぴあコンサートホール)

ヤナーチェックのあの曲ですよ・・との開演前のIANISさんのご指摘のとおり、そうだったポーランドの作曲家パヌフニク(1914~91)の1963年作曲の交響曲。
フルオーケストラの4隅に陣取ったトランペット奏者4人のみによるファンファーレで始まる第1部。爽快な出だしで、ホールもすぐに温まり響きが心地よい。
3つに分かれる第1部は、最後はフルオケの大強奏。
そして、第2部は、グレゴリオ聖歌、それもポーランドで親しまれていたという聖歌がピアニッシモで、それもごく静かに奏でられ、その繰り返しが徐々に各パートに広がり、やがて全オーケストラのフルサウンドになって華々しく曲を閉じる。
非常に聴きやすい音楽ではあるももの、最後のくだりなんてのは、非常にベタなやりくちで、そうですか・・・ってな感じもありました。
パヌフニクは、交響曲を10曲も残しているそうで、試しにほかも確認したくもあります。
こうした曲を頭にもってきたけれども、私を含めた聴衆は、もの珍しさを通りこして、曲にしっかり反応しておりましたし、それは最後のスタンフォードでも同じこと。
したり顔の東京の聴衆よりも、音楽に対するどん欲さといいましょうか、しっかり聴いてやろう的な雰囲気が感じられました。
演奏も的確で、キビキビしたものでしたね。

オケの人数を刈り込んで、次はラヴェル
前の曲といやでも比べてしまうとわかる、その格の違い。
ラヴェルには、敵いませんな。
小編成で、管などは、1管。
それでいて、あの鮮やかな色彩感。
音の煌めきが違いますよ!
ラヴェルのすごさが引き立ってしまった前半でありました。
上原さんのピアノは、なかなかに落ち着いたもので、第2楽章をオケの方に思い切り体を向けて聴きあいながらしっとりと弾くさまなどは、バリバリ弾くイメージがあった彼女の新境地でありましょう。
この楽章は、それにしても美しいのです。
コールアングレのソロと、楚々としたピアノに涙ぐんでしまいました。
ちなみに、わたしの大むかしの結婚式で選んだ音楽のひとつが、この楽章なのでございました・・・・。
東響の管や打楽器の方々は、皆さん腕達者でして、ソロのたくさんあるこの協奏曲のオケの大切さが、こうしてライブで観て聴くと実によくわかる。

休憩中にIANISさんと、ラヴェルその人を絶賛しながらアルコール注入。

いい気分で、スタンフォード(1852~1924)であります。
7曲あるスタンフォードの交響曲は、ハンドリー&アルスターの全集を持っていて、何度か聴いていたけれども、どれもが同じような顔をしていて、唯一の特色はといえば、アイルランドのブラームスだな、という点のみの印象しかなかった。
今回は、「アイリッシュ・シンフォニー」を何度も何度も聴いて耳にすっかりなじませて本番に挑んだので、その印象はかなり明確になったとともに、こんないい曲だったんだ、と思いを新たにした次第なのです。
そして、ここでも素晴らしかったのは、聴衆の集中力。
うつらうつらしている方は、まったくいらっしゃいません。
曲が終わると、熱い拍手とブラボーに包まれたんです。

とりわけ素敵な楽章が、3楽章のアンダンテ・コン・モトの緩徐楽章。
これぞ、アイリッシュ。まさにアイリッシュハープをイメージさせるハープの清冽で夢見るようなソロから始まり、アイルランド民謡をモティーフとした郷愁をそそる旋律が木管で奏でられる。これは、「庭の千草」に似てると思った。
「The Lament of the Sons of Usnacht」(ラメントは嘆き、Usnachtは地名でしょうか?)
バックスもこの民謡で曲を作ってるようです。
その旋律を下支えするホルン。そのホルンモティーフが徐々に形を変えて出てくると、これはもうブラームス。
クライマックスでは、第4交響曲(ブラームスの)第2楽章なのです。
しかし、それはあるとしても、ともかく美しく儚い。
これは、ブラームスでも、ブルッフでもシューマンでもない、アイルランドを愛する作曲家スタンフォードの作品なのです。

古典的な佇まいのきっちりした1楽章は、流麗な第2主題が美しく気にいった。
リズムが面白い2楽章はスケルツォ楽章で、妙にクセになる。

快活で、終楽章としてのククリが見事な4つめの楽章。
ここでもふたつのアイルランド民謡が用いられていて、その奏法が1番(ブラームスの)の終楽章のようにはればれとしているものだから、どうしてもブラームスチックに思ってしまう。
その民謡は、「Molly McAlpin」「Let Erin remeber the days of old」のふたつ。
しかし、ここで鳴るフィナーレは、勝利や暗から明といったドイツ的なものでなく、先に記したとおり、やはりアイルランドの風物や空気が織り込まれた清々しいもので、爽快そのもの。
くどいくらいのエンディングの和音の繰り返しも、どこか微笑ましいものでありました!

東京公演を経て、しかも遠征最後の曲となると、指揮の大友さんも、東響もその力の入れ具合と曲へののめり込みぶりは尋常でなく感じられ、これは素晴らしい名演でした。
曲はあまり知られてなくても、熱意と愛情あふれる演奏に、聴衆の意気込みでもって、名曲へと昇華され、盛り上がってしまうという典型です。

いい演奏会でした。

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広々とした空間のホールロビー。
こんな贅沢空間は、首都圏ではありえません。
札幌のキタラにも似てる。

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ホールの様子。
見た目も、その響きも美しいのでした。

Ryutopia2

終演後は、このホールをあとに・・・・。
もちろん、おいしい日本酒でございますよ
そちらは、また次回に。
IANISさん、どうもお世話になりました。

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