« Wonderful & Beautiful  レミオロメン | トップページ | ベルリオーズ 幻想交響曲 チョン・ミュンフン指揮 »

2011年3月25日 (金)

アダムズ ヴァイオリン協奏曲 クレーメル&ナガノ

Hasetec

このメーカーは黄色くて目立ちます。
これは、電気自動車の「電気充電器」であります。

ガソリンスタンドでいうところの、ガソリンを注ぐポンプマシンであるところの計量器です。

しかし、姿は似てますが、充電器はエネルギーを一定量計量して注ぎ込む機械ではなく、受電した電気を、相手の電気自動車の抱えているキャパシティを測りつつ(信号のやりとりをしながら)、適正な充電を行う一見ローテクながらハイテク的なマシンなのです。

この写真は、急速充電器といいまして、電気自動車がゼロから適正な満タン状態(80%)にするのにかかる時間が15分~30分のものをいいます。
それ以外に、低速(普通)充電として6~7時間を要する機械も、さらにその中間60分の中速充電機器も一部メーカーにはあります。

ガソリンを注ぐのは、原始的なモーターポンプで地下タンクから汲み上げるだけのことですが、電気充電は大容量の電気の移動と車ごとの緻密なマッチングに伴う通信のやりとりも加え、時間がかかるのです。

そこには、またAC/DC(交流/直流)といった要素も加わります。
電機は家庭には、交流で流れてきて、それでは波があるので電化製品内部やACアダプターで直流に変換します。
運びやすいのが交流、電気の力でものを安定的にものを動かしやすいのが直流。

急速充電は、交流を直流に変換し短時間充電。AC→DC
低速充電は、交流をそのまま充電し、自動車内で直流に変換。DC→DC(→AC)

こんな違いです。
では、その車は何時間走るのかは、また次回。

なんだか、電気自動車普及推進委員会みたいになってきたぞ。

Adams_violin_con

ジョン・アダムズ(1947~)のヴァイオリン協奏曲
1993年の作曲。

パターン化された反復音楽の作曲家として、いまも活躍を続けるアダムズ。
ライヒやグラスといった人たちと並ぶ、その筋の大物でありますが、アダムズは劇音楽=オペラへの傾倒も深く、これまで3作品を残していて、いずれも社会的な事象、そう、われわれがテレビを通じて観知ってきた出来事をオペラに変換してきていて、いまある作曲家として、強い存在となっている。
そのオペラ「ニクソン・イン・チャイナ」は、メットのレパートリーとなったし、原爆をモティーフとしたオペラも書いているのだ。

このヴァイオリン協奏曲は、34分の大作で、その出始めは、まるで、バーバーやコルンゴルトを思わせる前世紀末の甘味かつ健康的なアメリカンラプソデックの雰囲気まんまんで、100年は耳が後戻りしてしまった感がある。
さらに、多くはベルクのヴァイオリン協奏曲のオマージュのようにも聴こえた。

この部分は、ポスト・ミニマルの甘味かつ刺激的な音楽の始まりである。
作者自身が意識していなかったという、ユーゲント・シュティール様式。
世紀末退廃感も溢れた、でも100年前の再現でなくして、基本ミニマルに、そうでない要素、それは通常クラシカルなものも含む広範なものをプラスして成り立った音楽という。

耳に馴染みやすいものだから、それは一聴、後退感をも催すが、ときおり鋭いまでにキレのいい、そう心地よいくどさ=常習性という安堵感、それらをもたらす、われわれ聴き手の耳と精神にしっかりと刻印を刻みこむたぐいのイケナイ音楽なのだ。
それは、シンプルに述べれば、かっちょイイということ

3楽章の全編に、そんな感じを聴いて、嗅いでとれるが、わたしには第2楽章が、ベルクへの近親感でもって、痺れるほどに快感だった。

クレーメルの無機質なヴァイオリンは、時に情念も感じられ、そら恐ろしい。
そして、わたしには、K・ナガノの指揮する何食わぬ顔をした、音符まるだしのデジタル感あふれるオーケストラ(LSO)が、素晴らしく魅力的だった。

|

« Wonderful & Beautiful  レミオロメン | トップページ | ベルリオーズ 幻想交響曲 チョン・ミュンフン指揮 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アダムズ ヴァイオリン協奏曲 クレーメル&ナガノ:

« Wonderful & Beautiful  レミオロメン | トップページ | ベルリオーズ 幻想交響曲 チョン・ミュンフン指揮 »