シューベルト 弦楽五重奏曲 シフ&ABQ
今年の春は、いまのところまだ遠いものだから、梅の花も長くきれいに咲いてます。
都内某神社にて。
こんな梅の花、一輪一輪が、とても愛おしく思えるようになった。
あの日以来・・・・、という言葉がこの先、何度言われることだろう。
でも、もうあの日から、みんなそれぞれ、別の日をしっかりスタートしているのですな。
私も辛いけれど、音楽を聴いて気を震わせ、感情を豊かに保ちたいと思います。
シューベルトの晩年の名作、弦楽五重奏曲ハ長調を。
ザ・グレイトのすぐあと。
その死の年、31歳の作品は、チェロを2本要するユニークな編成で、古今のチェリストたちが、名四重奏団に加わって、数々の名演を残してきた。
弦楽五重奏だと、ヴィオラが二本となる場合が多いが、ここでチェロが二本ということは、当然に重厚さを増しているように思うのだが、実際に聴くこのシューベルトは、爽快さといつものシューベルトらしい歌謡性がとても溢れている。
そして、その加えられたチェロに注目して聴いてると、なかなか雄弁な存在であることにすぐに気が付く。
しかし、若いくて晩年。
いつもシューベルトに感じる陰り、そう死の影みたいなものを、この長大な五重奏曲のあちこちに聴くことができる。
そして、ベートーヴェンの晩年の第9やピアノソナタ、四重奏のような澄みきった境地にも似たものもここにはある。
けれども、あちらのように神への感謝といった沈思黙考的なものではなく、より幻想的でロマンテックで、明るい肯定的な喜びの感覚も感じる。
なんといっても、終りがないかのような抒情溢れる2楽章が素晴らしい。
嘆息ともとれる切々とした冒頭の旋律が、延々と息の長い展開をし続けるが、各楽器で橋渡されてゆくピチカートが時に切実なまでに聴こえる。
ところが、そこに夢見心地になっていると、切実なる情熱的な流れが急に押し寄せてきて、びっくりしてしまうのだ。
某評論家氏ならば、魂の叫びなどと表現したくなるような、シューベルトの心の深淵をのぞくような思いのする中間部なのでありました。
でも、次には、冒頭の第一部が再びやってきて、とても心が鎮められることとなる。
この楽章の美しさと凄さゆえに、この五重奏曲が永遠の輝きを持っているように思われるが、ほかの楽章も大作としての威厳ある佇まいをもっていて素晴らしいのです。
調性が、ハ長調。
グレイトや、モーツァルトでいえばジュピター。
構えが大きく、快活であるとともに、明暗がくっきりとしている。
こんなシューベルトの音楽も、いまのちょっとウェットな気持ちのときには、ぴったりくる。
シフを加えたアルバン・ベルク四重奏団の、ほにかに甘ささえ漂いながらも、気品と折り目正しい演奏は、もう完璧であります。
大物なのに、無用にでしゃばらないシフのチェロもここに、しっくり収まってました。
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