ディーリアス 「アパラチア」 バルビローリ指揮
3月の小便小僧は、春の火災予防運動に連動です。
これ、実にさまになってますな。
有志での毎月の活動。
いつも楽しませていただいてます。
ディーリアス(1862~1934)の「アパラチア」を聴きます。
そういえば、来年はディーリアスの生誕150年なんですな。
ディーリアス好きとしては、あまり騒がれることなく、静かに迎え、静かに終わって欲しい記念の年です。
マーラーと同時期に活動したディーリアス。
マーラーの交響曲第5番と同じく1902年に完成した作品が、「アパラチア」。
ニグロ民謡の主題による変奏曲という副題がついているとおり、アメリカのまさに風物を描いた桂曲なのです。
イギリスの作曲家というくくりで、生まれと育ちはイギリスではあるけれども、両親はドイツ人。
裕福な実業家の家庭だったので、ドイツやフランスで音楽修業を自由気ままにすることができたディーリアス。
そこで、いろんな音楽や芸術仲間と交流し、身の肥やしとなったけれど、奔放な生活も自身の体を蝕むことになったという。
作曲家としての道は、そんな風だったけれど、父親は当初、自分のあとを継がせたくて、実業家としての道を用意していた。
でもディーリアスは自由な道を歩みたくって、アメリカでの農場経営ということに逃げ道を見出し、渡米。オレンジ・プランテーションの経営を行うこととなった。
1880年代半ばのこと。
フロリダ州のセントジョンズ川に面する街は、そのほとんどが黒人で、ディーリアスはその中でも特異な白人だったという。
身のまわりの世話をする黒人がバンジョーを弾いて歌う歌が忘れらなかったディーリアスは、脳裏について離れなかったこの曲と、アメリカでの思い出を、後に「アパラチア」という大規模な変奏曲形式で取りあげることとなった。
その完成は、アメリカ時代から十数年後となった。
忘れられない思い出を必死に音楽に残そうとしたディーリアスなのでした。
イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、北欧と、ディーリアスは広範なコスモポリタンだった。
しかし、その音楽はマーラーのような個人的な心の内面でなく、そこはかとない映りゆく心象風景といったもので、曖昧で茫洋とした感覚的なものである。
どちらもわたしにとって、大事な音楽だし、どちらにも共鳴できる。
38分あまりの大作であるが、ディーリアスらしい詩的な雰囲気と、懐かしい過去への思いに満ちていて、どこかで聴いたような、どこかで見たような音の光景がここにある。
序奏と14の変奏、そしてフィナーレからなっているが、要所で合唱が、そして最後のフィナーレの盛り上がりでは、バリトン独唱と合唱が相和して歌う。
その基本旋律が「Oh honny, I'm going down the river in the moning」というかつて耳にして、離れがたかった黒人奴隷の歌。
まずは、その序奏が印象派風ですばらしい。
朝もやのなかに、アメリカの川辺の湿原が浮かび上がってくるかのような雰囲気が醸し出される。
やがて、この曲のモットーである基本旋律が、コールアングレで歌われると、もう聴く者を望郷への世界へと誘ってくれる懐かしサウンドだ。
この旋律さえ気にいって覚えておけば、全曲が楽しく聴くことができる。
いろいろ姿を変えつつ展開され、それぞれに味わいがあるが、何といっても、最後のクロージングがあって、それがあるからこそ、ここまで聴いてきたっていう風なフィナーレが待ち受けているんです。
あの旋律を木管が歌い、バリトン独唱が「Oh,honny・・・」先の歌と歌い出すと合唱が合いの手を入れる。
快活な朝、そしていましもくる夜明けを歌い、おおいなるクライマックスとなる。
しかし、オーケストラは、それを受けて、静かに、静かになってゆき、消えるようにして音を失ってゆく。
この美的な感覚はどうでしょう。
黒人たちの悲しさと、水辺の大自然。
どちらも美しく、切なく描かれてます。
バルビローリの最晩年の1970年7月の録音。
このあと日本にやってくるはずだった。
ハルレ管弦楽団との、いつくしむような名演奏であります。
バルビローリは、ディーリアスも、そしてマーラーも素晴らしかった。
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コメント
ありがとうございます。
>実にさまになってますな。
ですね!
投稿: edc | 2011年3月 6日 (日) 12時33分
euridiceさん、こんばんは。
小便小僧、男子たるもの、この手の制服は羨ましいし、コスプレより、似合うものですね。
投稿: yokochan | 2011年3月 6日 (日) 21時34分