シュッツ マタイ受難曲 フレーミヒ指揮
数日前の銀座の夜。
まだそんなに更けてないのに、この暗さと人通りの寂しさ。
都心部は、昼の活気が戻ったような気がするけれど、夜は引きが早い。
歓迎会なども、一次会で駅近あたりでさっぱりと終えてしまうから、よけいに寂しいですな。
夜の暗さは、わたしはこれでいいと思う。
でも、飲む元気とお財布の余力のある方は、自粛しないで暗い中でどんどん飲んで食べればいいと思う。
一方で、コンビニやスーパーなどで、アルコールも含めた飲料が品薄状態。
製造側が被災してたり原材料の流通が滞ったりしているから。
チェーン店や仕入れ力のある居酒屋や飲食店はなんとかいいが、個人のお店は食材が限られ、コストも上がっている。
風評食材もここに影響してるし。
身の周りの個性的でおいしい個人のお店が、客足も減り、メニューも減り、当面休商との張り紙がなされたりしてました。
震災後、もうすぐ1ヶ月、こうしてじわじわと、悪影響はまだ浸食中。
止まない余震もますます気がかりで、糸口がまた遠のいた気もしてしまう・・・・。
聖金曜日、復活祭は2週間後。
今日は、もうひとつの「マタイ受難曲」、ハインリヒ・シュッツ(1585~1672)のものを。
バッハのまさに100年前の作曲家、シュッツはドイツの合唱音楽の神様ともいうべき人である。
ドレスデンで活動をしたが、当時のドイツ宮廷はどこもイタリアからの流れに浸食されていたが、シュッツは敢然とドイツ語によるドイツ人のための作品を書き続けた。
ほかにも「ルカ」も「マタイ」も受難曲として残されているし、有名な「クリスマス・ヒストーリエ」のような名作もある。
1666年、6が3つ並んでますが、これは偶然として、シュッツ81歳、バッハのマタイに先立つこと、約60年まえの受難曲。
オケや器楽は含まず、無伴奏の合唱と独唱とによって淡々と進められる。
テノールの福音史家、バスのイエス、その他のソロ、民衆や複数宗教家、権力側などの合唱からなる。
バッハのように、コラールや、詩による合唱曲は、冒頭の序の合唱(これ、マタイによるイエス・キリストの受難の物語なり)と、最後のイエスと神を讃える合唱を除いてまったくない。
ここでは、それら2曲を除くと、福音書の言葉(物語)がそっくりそのまま朗唱風に歌い、語り継がれてゆく。
このあまりに、静謐で地味な音楽の進行に、正直耐えられないかもしれない。
シュッツの静的な受難曲は、バッハの心に突き刺さるような雄弁さに比べると、劇性が少なく、1時間あまりの間、辛いものがあります。
今回久しぶりに聴いて、やはり、その感はぬぐえない気持ちだけれども、この厳粛さと、70年代初めの東ドイツ、ドレスデンにおける古雅で厳格な音楽造りが演奏に反映されたこのCDの希少ぶりに、妙に感じ入った次第なのです。
当時のザ・エヴァンゲリストともいうべきシュライアーの清潔な歌唱が素晴らしいのです。
のちに、思い入れ強い歌唱に傾き、「うま過ぎ」の印象を与えることになるシュライアーだけれども、ここでは、ドレスデンの教会内の響きの中に、美しく端正に収まっているように感じる。
全体を統括するフレーミヒの指揮。
どこがどうという訳ではありませんが、ストレートにシュッツの音楽を、感情を排して再現してみせたというべきでしょうか。
マタイ書をなどを見ながら聴くことで、この静かな語り口の音楽が、自分のなかでドラマテックに展開する思いがありました。
福音史家:ペーター・シュライアー
イエス:ヘルマン・クリスティアン・ポルスター
ピラト:ジークフリート・ローレンツ
ペテロ:ハンス=ヨアヒム・ロッチュ ほか
メルティン・フレーミヒ指揮 ドレスデン十字架合唱団
(73.3.10@ドレスデン、ルカ教会)
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コメント
シュッツ!
この厳しい状況下、三十年戦争の時代を生きたシュッツの贅肉を削ぎ落とした音楽が一番しっくり響くのかもしれません。厳しくも優しさの滲み出る音楽。
3つの受難曲の中で、特にヨハネが大好きです。
久しぶりにこのフレーミヒのマタイも聴いてみましょうか。
投稿: golf130 | 2011年4月 9日 (土) 13時35分
golfさん、こんばんは。
>贅肉を削ぎ落とした音楽<
そうです、まさにそういう音楽がシュッツですね。
バッハも偉大ですが、シュッツを聴いてしまうと雄弁に聴こえすぎてしまうくらいです。
静かに、こうした音楽を聴くのも心慰むものでした。
投稿: yokochan | 2011年4月 9日 (土) 23時55分