ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ノリントン指揮
NHKの朝テレビ小説「おひさま」を毎日に観てます。
日本の敗戦をピークに、昭和を生き抜いた太陽のような女性(母)を描いてます。
いまちょうど、敗戦の暑い夏の頃のシチュエーション。
お国のために、教師として、心ではちょっと疑問に思いながらも、子供たちを日いずる国の国民として教育してきたヒロイン。
敗戦とともに、180度異なる価値観に。
占領軍の戦犯探しも国内で厳しかったのですね。
じゃんけんで負けたとたんに、それまでの生きざまが、まったく否定されてしまう。
いまもまた、知ってしまった国民から総スカンをされて惨憺たる状況に陥ったエリアの国々があります。
火種を孕みつつも、人心は、そんな力のないくらいに疲弊させられてしまった近隣のお国。
いろいろです。
我が方も、物質文明に惑わせれ、自由と長寿を謳歌しきったものの、気が付いたら、自然に噛みつかれ、行き場のない閉そく感の中で呼吸するのも。
そして、電力指数を気にしつつ汗だくの毎日。
なんなんでしょうね。
「おひさま」ドラマの感情豊かで、情報少なめ、思うところは、自分やまわりの人々のみ、という小さなコミュ二ティの不自由だけれど、幸せ感漂う設定。
あらゆることを知ってしまうことのできる、いまある私たちの不幸は、極めて大きいと思う。
日々、情報を求めずはいられない、わたしたちの悲劇。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RVW:1872~1958)の交響曲シリーズ。
交響曲第6番ホ短調。
まさに戦中の音楽で、1944から1947年にかけての作曲。
ヨーロッパでは、伝統的島国国家として欧州の覇権を弱りながらも維持したかった英国。
世界レヴェルでは、欧州代表としてアメリカやソ連と組み、連合国として、日本・独・伊に対峙した英国。
敗戦国の日本と同じく、小さな島国は、独立独歩というプライドを生むとともに、気がつくと周辺の競争に競り負けていたりする。
とっても親近感ある国だと思いますね。
その戦火の交響曲第6番は、交響曲のジャンルにおいては大器晩成のRVWの75歳の円熟の音楽。
何度も記しているとおり、9つのRVWの交響曲は、いずれも特徴が異なり、多彩な作者の顔を見せつけてくれる。
大方が、おおらかな第3や第5に魅せられ、あとは標題音楽的な「ロンドン」や「南極」、壮大英国伝統オラトリオ風の「海の交響曲」、純粋交響曲としてシンプルな第8と第9。
そして、大胆な和声とシリアスなムードの第4と第6。
こんな9曲。
明確な4つの楽章からなる35分あまりの、オーケストラにみによる作品。
全編に暗い影を感じ、切なさと、人を寄せつけないまでのシャープな雰囲気。
4番と同じくらいに。厳しい出だしの1楽章。
はやくも暗澹たる気分になってしまう。
前の曲の田園風景はどこへいった・・・。
でも、中間部に、RVWらしい牧歌的な歌が出てきて、ひとまず一安心。
しかし、これで終わるかと思うとそれは大間違い。
暗いムードに覆われた第2楽章は弦によるエキゾテックなムードの晦渋な様相をのうえに、ときおり、ラッパが不穏な刻みをかけてくる。戦火の不安な社会そのもの。
変わって、サクソフォーンがジャジーな雰囲気を出しつつ、オケが無窮動的に走り回るスケルツォ的な3楽章。
またも、早いテンポで厳しく始まる終楽章。
中間部は、暗いムードのオルガンもまじえ、最初の悲劇的なムード回顧しつつ、救いのないいまを静かに嘆く。
そして、そのまま暗さを繰り返しつつ静かに終える・・・・。
不思議な交響曲です。
RVWの交響曲は多種聴いているけれど、9曲全部を違う指揮者で取り上げることまではいかなかった。
6番のイメージに遠い、サー・ロジャー・ノリントンとロンドンフィルハーモニーの演奏。
サー・ロジャーは、デッカにLPOとRVWの録音を継続したが、途中で終了してしまった。
残されたなかで、4番と6番をカップリングしたノリントンの目利きは確かだ。
LPOの卓抜な合奏力と輝かしい金管と渋い弦。
このあたりを、ちゃんと聴けるところが嬉しい97年の録音。
ハイティンクも同時期に録音しているが、そのハイティンクに比べ、音のエッジが鋭く、響きは先鋭。
でも、透き通るような弦は、マイルドで分厚くふくよかなハイティンクとは大違い。
4・6番は、歌少なめエッジの効いたサウンドも、曲の真髄を現しているかもしれない。
長生きをしたRVWのしたたかさと、英国へのかわらぬ愛が、滲み出て聴こえる。
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