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2011年6月

2011年6月30日 (木)

ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ノリントン指揮

Minatomirai_guuchoki

横浜で見かけたモニュメント。

じゃんけんぽん、あいこでショ!

NHKの朝テレビ小説「おひさま」を毎日に観てます。

日本の敗戦をピークに、昭和を生き抜いた太陽のような女性(母)を描いてます。

いまちょうど、敗戦の暑い夏の頃のシチュエーション。
お国のために、教師として、心ではちょっと疑問に思いながらも、子供たちを日いずる国の国民として教育してきたヒロイン。
 敗戦とともに、180度異なる価値観に。
占領軍の戦犯探しも国内で厳しかったのですね。

じゃんけんで負けたとたんに、それまでの生きざまが、まったく否定されてしまう。
いまもまた、知ってしまった国民から総スカンをされて惨憺たる状況に陥ったエリアの国々があります。
火種を孕みつつも、人心は、そんな力のないくらいに疲弊させられてしまった近隣のお国。
いろいろです。

我が方も、物質文明に惑わせれ、自由と長寿を謳歌しきったものの、気が付いたら、自然に噛みつかれ、行き場のない閉そく感の中で呼吸するのも。
そして、電力指数を気にしつつ汗だくの毎日。
なんなんでしょうね。

「おひさま」ドラマの感情豊かで、情報少なめ、思うところは、自分やまわりの人々のみ、という小さなコミュ二ティの不自由だけれど、幸せ感漂う設定。

あらゆることを知ってしまうことのできる、いまある私たちの不幸は、極めて大きいと思う。
日々、情報を求めずはいられない、わたしたちの悲劇。

Rvw_sym6_norington

レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RVW:1872~1958)の交響曲シリーズ。

交響曲第6番ホ短調

まさに戦中の音楽で、1944から1947年にかけての作曲。
ヨーロッパでは、伝統的島国国家として欧州の覇権を弱りながらも維持したかった英国。
世界レヴェルでは、欧州代表としてアメリカやソ連と組み、連合国として、日本・独・伊に対峙した英国。
 敗戦国の日本と同じく、小さな島国は、独立独歩というプライドを生むとともに、気がつくと周辺の競争に競り負けていたりする。
とっても親近感ある国だと思いますね。

その戦火の交響曲第6番は、交響曲のジャンルにおいては大器晩成のRVWの75歳の円熟の音楽。
何度も記しているとおり、9つのRVWの交響曲は、いずれも特徴が異なり、多彩な作者の顔を見せつけてくれる。
大方が、おおらかな第3や第5に魅せられ、あとは標題音楽的な「ロンドン」や「南極」、壮大英国伝統オラトリオ風の「海の交響曲」、純粋交響曲としてシンプルな第8と第9。
そして、大胆な和声とシリアスなムードの第4と第6。
 こんな9曲。

明確な4つの楽章からなる35分あまりの、オーケストラにみによる作品。
全編に暗い影を感じ、切なさと、人を寄せつけないまでのシャープな雰囲気。

4番と同じくらいに。厳しい出だしの1楽章。
はやくも暗澹たる気分になってしまう。
前の曲の田園風景はどこへいった・・・。
でも、中間部に、RVWらしい牧歌的な歌が出てきて、ひとまず一安心。
しかし、これで終わるかと思うとそれは大間違い。
 暗いムードに覆われた第2楽章は弦によるエキゾテックなムードの晦渋な様相をのうえに、ときおり、ラッパが不穏な刻みをかけてくる。戦火の不安な社会そのもの。
変わって、サクソフォーンがジャジーな雰囲気を出しつつ、オケが無窮動的に走り回るスケルツォ的な3楽章。
またも、早いテンポで厳しく始まる終楽章。
中間部は、暗いムードのオルガンもまじえ、最初の悲劇的なムード回顧しつつ、救いのないいまを静かに嘆く。
そして、そのまま暗さを繰り返しつつ静かに終える・・・・。
不思議な交響曲です。

RVWの交響曲は多種聴いているけれど、9曲全部を違う指揮者で取り上げることまではいかなかった。
6番のイメージに遠い、サー・ロジャー・ノリントンロンドンフィルハーモニーの演奏。
サー・ロジャーは、デッカにLPOとRVWの録音を継続したが、途中で終了してしまった。
残されたなかで、4番と6番をカップリングしたノリントンの目利きは確かだ。

LPOの卓抜な合奏力と輝かしい金管と渋い弦。
このあたりを、ちゃんと聴けるところが嬉しい97年の録音。
ハイティンクも同時期に録音しているが、そのハイティンクに比べ、音のエッジが鋭く、響きは先鋭。
でも、透き通るような弦は、マイルドで分厚くふくよかなハイティンクとは大違い。
4・6番は、歌少なめエッジの効いたサウンドも、曲の真髄を現しているかもしれない。
長生きをしたRVWのしたたかさと、英国へのかわらぬ愛が、滲み出て聴こえる。

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2011年6月28日 (火)

フランツ・シュミット 交響曲第4番 ルイージ指揮

Sengakuji_1

天候は不順ですが、夏本番は、日に日に強くなってます。

さて、こちらの後ろ姿。
おわかりの方は、相当な通ですな。
少し隠れた家紋もヒントになります。
ここの寺に主と仲間とともに眠る方です。

どこまでも延命の使命をあげつらって継続してしまうアホな政権に、今日、期せずして最寄駅を降りたら、細心の案内体制とガードに驚いた東電株主総会。
株主の方には申しわけありませんが、どちらもこちらも絵空事のようです、わたくしのような貧乏庶民には・・・・。

先週来、交通期間は毎朝乱れております。
3か月以上経って、弱者はもう限界。
被災地ばかりでなくって、国内全域・・・・。
日本中、生き残れる安全区域の人々の情報しか出てこない。
テレビやマスコミもその方棒にすぎない。
どれだけの人々が国内で、苦しんでいるでしょうか。
ばかやろうの政治家どもに、心から立腹してます。
あいつらも、一文無しから体験してみればいいんだ。
 
生きることが精いっぱいの人々がたくさんいるのに、あいつらは、自己の延命と名誉しか考えてういない。
すべてを失う恐怖を味わわせてやりたい。

Sengakuji_2

はい、正面。

そうです、大石内蔵助さんでございました。
泉岳寺の入り口に立つ高潔なる像。
手にするは、浪士たちの連判状で、遠くを見やるその視線は江戸城を向いてます。

こんな高潔で、目線高い人物こそ、いまの日本に必要な人。


五反田でちょっと打ち合わせがあり、面白くないことになったので、芝方面にある事務所までムシャクヤして歩いてしまった。
途中、泉岳寺に寄って、大石さんを見上げ、四十七士にご挨拶し、ちょうど練習中のN響練習場の横を通って帰りました。
少し、元気が出ましたよ。
ありがとう300年前の浪士のみなさん。
 それにしても、○響のみなさん、いい車乗ってるねぇ。

Franz_schmidt_sym4_luisi

フランツ・シュミット(1874~1939)の交響曲第4番

ブラティスラヴァ出身で、ウィーンにて活躍したシュミットは、シェーンベルクと同年の生れ。
シェーンベルクが、無調から自身があみだした十二音へと躊躇なく進んでいったのに対し、F・シュミットは、番号交響曲を4曲、室内楽・器楽ソロ、オペラ、声楽にと、レパートリー的に、その軸足は過去に踏みがちな存在。

一番有名なのが、この交響曲第4番と、オペラ「ノートルダム」、そしてオラトリオ「7つの封印」。
おぺラを除けば、それらび録音は多くて、愛好家も多いんです。

マーラーのずっとあとの、この交響曲。
自然や人間、その心理などとは無縁に思われるような難しげな晦渋さと、伝統にのっとった明快な構成感。
なんだか中途半端なイメージしか与えかねない音楽だけど、その、しんねりむっつりとした音楽が、実の本質は、情熱的で夢想的なところがわかると、超はまってしまう。

まずは、ブラームスの1番の延長で聴きましょう。
次は、マーラーのなんでもござれ的な聴き方で聴きましょう。
そして、前期シェーンベルク的な豊穣なロマンティシズム的な耳で聴きましょう。
随所に甘やかな歌回しを聴きとれるはず。

明快な4つの楽章からなる伝統的な交響曲。
ひとつの主題がトラウマのように全体を支配する。
旋律をたどることも容易だし、それが変転するさまを、追いかけるのも魅力。
2楽章の涙に濡れたような葬送風のアダージョ楽章が素晴らしい。
 冒頭のトラウマモティーフから始まる終楽章。
ここで、マーラーのような大爆発があれば、暗から明が、もっと際立ち、この曲はもっと演奏されていたかもしれない。
このように、演奏効果にやや乏しい第4をはじめとする交響曲。
渋好みですが、マーラー、シュトラウス、プッチーニ、レオンカヴァッロ、シェーンベルク、シュレーカー、などなどがお好きな方、そしてその系譜が想像できる皆さん、シュミットの交響曲を聴いてみてください。

わたしは、CD初期80年頃に、メータとウィーンフィルによるCD(録音はレコード時代)で目覚め、スウィトナーがN響で取り上げた演奏を録音して聴き、あとはヤルヴィとベルリンフィルのFM放送も聴き、などをしております。
 しかし、今回の、ルイージと、中部ドイツ放送響の隅々まで日の当ったかのような明るくも、リリカルな演奏を聴いちゃうと、また別次元のシュミットを思うことができる。
 ヴェルディのような地中海サウンドを、思ってしまったワタクシ、間違っておりますでしょうか。

ファビオ・ルイージのコスモポリタンなフランツ・シュミットでした。

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2011年6月26日 (日)

シェーンベルク 「グレの歌」 アバド指揮

Daikanyama_flower

今日、6月26日は、敬愛するクラウディオ・アバドの78回目の誕生日ですgood

病に倒れながらも、音楽への不屈の愛情でもって、復活を遂げてきたアバド。
気どらず、謙虚で無欲な姿勢はずっと変わらず。
誰もがうらやむ大きなポストにしがみ付くことなど一切せず(誰かと大違い)、あっさり投げだしてしまい、若者たちとの共演や指導に心血をそそぐマエストロ。
大巨匠と呼ぶに相応しいけれど、そんな言葉が似合わない、アニキのようなクラウディオ。
いつもニコニコしてます。

アバドのファンになって、これで39年。
無為に歳を経てしまった私に比べ、どんどん進化して高みに昇ってゆくかのようなマエストロ。
「大地の歌」や「ライン」、ショスタコーヴィチなどへの果敢な取り組みも継続中。
羨ましいくらいの若さ、いや、それは私などの元気不足の中高年には、見習わなくてはならないクラウディオの気力の高さでございます!

Schoenberg_gurre_lieder_abbado

マエストロ・アバドの誕生日に選んだ音楽は、シェーンベルク「グレの歌」。

広大なレパートリーのアバドが得意とするところを羅列すると。

ドイツ・オーストリア系の古典・ロマン派、ロッシーニ・ヴェルディとワーグナーのオペラ、ブルックナーとマーラー、新ウィーン楽派、ムソルグスキー中心のロシアもの、現代もの。

こんな感じでしょうか。

なかでも、若い頃からずっと指揮し続けているのが、マーラーと新ウィーン楽派の音楽ではないでしょうか。
マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク。
ツェムリンスキーをやってくれないけれど、世紀末を彩るこの流れは、わたくしも最も好む音楽エリアでございます。

アバドが「グレの歌」を取り上げたのは、1988年。
ECユースオケとマーラー・オケの混成という若者オケを振ってのもので、FM放送もされました。
そして、そのあと、92年にウィーンで演奏。
この曲にとって待望のオーケストラ、ウィーンフィルを指揮してのライブ録音の登場は、白日のもとに晒されたかのような明晰なブーレーズ盤ぐらいしか知らなかった私にとって、大いなる歓びだった。
潤いとしなやかな歌と、ウィーンフィルならではの甘い響きにあふれたこの演奏に、身も心もすっかり夢中になってしまったのでした。

 ヴァルデマール:ジークフリート・イェルザレム トーヴェ:シャロン・スウィート
 山鳩  :マリヤナ・リポヴシェク    農夫:ハルトムート・ウェルカー
 道化クラウス:フィリップ・ラングリッジ 語り:バルバラ・スコーヴァ 

   クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
                    ウィーン国立歌劇場合唱団
                   アルノルト・シェーンベルク合唱団
                   スロヴァキアフィルハーモニー合唱団
                  (1992.5 @ウィーン・ムジークフェライン)


以前の記事から引用。

>そのまんま「ワーグナー」である。
第1部のヴァルデマール王と乙女トーヴェの愛の二重唱は、トリスタンそのものの官能の世界。
テノールとソプラノで交互に歌われる9つの歌は、ツェムリンスキーの抒情交響曲との類似性も見られる。
山鳩が王の妻の嫉妬で、トーヴェが殺されたことを歌う。
鳥の登場は、ジークフリートの世界。

第2部は短いが、王の恨み辛みのモノローグ。

そして第3部は、怒りで荒れ狂う王の狩の様子。これはまさにワルキューレ。
そして王に付き従う道化は、性格テノールによって歌われるとミーメそのもの。
最後は、シェーンベルク独特のシュプレヒゲザンク(語り)により、明るさがよみがえり、光り輝く生命の始まりが語られると大合唱による大団円となる。<


後期ロマン派最後の輝きともいえる濃厚な世紀末ムード。
大規模きわまりない大オーケストラは、その作曲のために、48段の楽譜を必要としたともいわれる。
デンマークの詩人、ヤコプセンの原作の独訳がベース。
1900年に取り掛かり、翌年に半ば完成。この頃の作品は、浄夜とペレアス。
長い中断を経て完全に出来あがったのは、1911年のことで、その頃はもう作風が変わっていたはずだが、濃厚ムードを変えることなく、調性ありの豊満サウンドを作りあげた。
初演は、フランツ・シュレーカー

2時間近くの大曲は、聴くほどに快感と満足感を覚える。
そして、ワーグナー以降のオペラのひとつともとれるので、ツェムリンスキーやシュレーカーのオペラ作品にも通じるロマンテックかつ、痺れるような甘味さも。
ヘルデンテノールが大活躍するので、テノール好きにもたまらない。

イェルザレムのヴァルデマールは、ブーレーズ盤のトーマスとともに、最高の出来栄え。
ヒロイックで悲壮感あふれるこの役柄をしっかり歌い込んでいるが、どこかクールで醒めたところがいい。。
それと好対照の性格テノールの道化役は、アバドお気に入りのラングリッジ。
光ってます。ラングリッジは、亡くなってしまったのですね。
トーヴェのスウィート、山鳩のリポヴシェク、農夫のウェルカー、いずれもワーグナー歌手ながら度を越した歌い過ぎもなく、何度も聴くに適度な歌唱かもしれない。
合唱の精度も高く、混成部隊とは思えない。
当初、違和感を感じたスコーヴァの語り。
シュプレヒ・ゲザンクの語りは、男声によるものが大半で、それに慣れた耳には、女声版は、少しキンキンと響きすぎて、辛いものがあった。
でも、慣れてしまえば、いや、よく聴けば、これほどに微に入り細に入り、細やかな語りを聴かされてしまうと、その説得力の方が違和感に勝るというもの。
どこかイってしまったかのような感じで始まるが、演劇性の高いスコーヴァの語りは段々と熱を帯びて、そして浄化してゆくのがよくわかるようになった。
 その語りのあとに訪れる混成8部による大讃歌の解放感と煌めきが、とても活きて聴こえる!

これら豪華布陣を統括するアバド。
音量のレベルの幅がやたらと大きく、それらが明快で、強大なフォルテも澄んでいるし、最弱のピアニシモの美しさもアバドならでは。
 冒頭の前奏曲、絡み合う木管と弦、そして柔らかなトランペット。
この出だしがとんでもなく好き。
ウィーンフィルの魅力が早くも満載の場面で、抑制の効いたアバドの知的な指揮が光る。
そのあと続く、濃厚な二重唱の背景も同様に、アバドはオケを抑え気味に、響きの美しさに注力して、そう、アバドのユニークな新時代のワーグナー演奏のように明晰な歌を信条とする音楽となっている。
いくつかあるオーケストラによる間奏や前奏もシビレルほどに美しい。

 いまに至るまで、単独で何度も取りあげている「山鳩の歌」は、淡々としたなかに鎮魂の哀歌と怒りがみなぎるが、アバドの演奏では、ここにマーラーを感じることもできる。

そして、最後の大団円。
徐々にクレッシェンドしていって、眩しいくらいに高揚するさまが、最高に素晴らしい。

  仰げ 太陽を 天涯に美しき色ありて、東に朝訪れたり。

  夜の暗き流れを出でて 陽は微笑みつつ昇る

  彼の明るき額より 光の髪は輝けり!


夜が主体の物語が、最終で一転、輝かしい太陽の朝となる。
いまの気分にぴったりの明るい未来あふれる結末を、アバドは素晴らしく演出してくれました。

過去記事

  「ブーレーズとBBC交響楽団のCD」

 「俊友会演奏会」

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2011年6月25日 (土)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 現田茂夫指揮

Minatomirai

暑い梅雨の中休み。
この日、「暑いぞ熊谷!」では、39.8度を記録。
東電の供給余力も9%となりましたぞ。

こんなとんでもない、蒸し暑さのなか、大いに気分爽快となるコンサートに行ってきましたscissors

Kanaphill201106

    團 伊玖磨     交響曲第1番 イ調

    ラフマニノフ    パガニーニの主題による狂詩曲

           Pf:外山 啓介

    チャイコフスキー 交響曲第5番

  現田 茂夫 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
                 (2011.6.24@みなとみらいホール)

ショスタコーヴィチと同じようにその出世作となった團伊玖磨交響曲第1番
おまけに雰囲気もショスタコっぽいその作品。
そして、ラフマニノフにチャイコフスキー。
現田さん、お得意のロシアン・ナイトでございました。
これは絶対に、聴かナイトいけない、ということで、汗だくになりながらホールに向かいましたが、走らナイトいけないぎりぎりのタイミングで飛び込みました。

マーラーと並んで、シーズン前から楽しみにしていた、チャイコの5番。
現田さんの指揮で、神奈フィルの音で、絶対に聴いてみたかった。
ホールに入ると、ほぼ満席で、女性や学生さん多数。
皆さんお目当ては、わたしのようなチャイ5じゃなくって、外山君の弾くラフマニノフのようでございます。
大正解のマーラーシリーズに次いでの大盛況。
嬉しいじゃありませんか!
 そして、華々しいチャイコフスキーのエンディングのあとは、演奏のみなさんも、ホールのわたしたちも、満面の笑み。爽快爽快!

おっ、トゥーランドットじゃん、と思わせる威圧的なブラスの響きで始まる團1番。
連続する20分あまりの曲のなかに、4楽章の形式を埋め込み、さらに、おっ、ショスタコだ、F・シュミットだ、ムソルグスキーだ、日本民謡だ・・・・などなど、いろいろ感じる玉手箱的折衷音楽。
初聴きでしたが、なかなか親しみやすく、わかりやすい曲でした。
ことに、オーボエが歌う日本的な哀愁の調べが美しいものだ。
受取る私の方が、お疲れムードで、すこしぼぅっ~として聴いてしまいました。
オケもエンジン始動が遅めだったかもしれません。

次いで外山啓介氏登場。
ラフマニノフのこの曲は、ピアノ協奏曲と違って、歌わせどころが後半にあるのみで、あとはモザイクのように変奏を積み上げるのみだから、奏者にとっては難しい曲なのではないかと思う。
若い外山君は、外観のスマートさを崩さず、冷静に弾いていて、そのぶん、曲の外側に立っていたように感じた。
あまりに美しく、そして有名な第18変奏になって、ピアノもオケにも熱い血が通ったようになり生気にあふれた魅力的な演奏になり、その後は怒涛のように、洒落たエンディングに向かったいきました。
終わりよければ・・・、ということでございます。
あと、なによりも気になったのは、啓介君の「髪の毛」。
別に、ないもののヒガミでもないけれど、今風のイケメン風の前髪は、お父さんは嫌いだゾ!
気になってしょうがなかったゾ!

さて、気をとりなおして、お楽しみの後半。

小学校時代からの付き合いの長い曲のひとつが、チャイコフスキーの5番
カラヤンとベルリンフィルのレコードを擦り切れるほど聴いて、その華麗な演奏がひとつの基準となってしまい、その後いろいろ聴いたソビエト・ロシア系のむせび泣きと勇猛な演奏にはついてゆけなかった。
この曲は華麗で、カッコよくなければだめなのです。
あとは、ハイティンクやアバドのようなヨーロピアン的な演奏も好き。

そんなワタクシを絶対に満足させてくれるであろう、と確信犯的に思いこんでいたのが、今日のコンビによる演奏。

そして、その思いはまったくその通りとなりましたよhappy01

あのカラヤンでさえもほの暗い冒頭を足取り重くテヌートぎみに演出していたのに、現田&神奈川フィルは、その持ち前のきらびやかなサウンドを冒頭から隠そうともせず、(いや、出てくる音がそんな風に響いてしまうのだからしょうがない)眩しいくらいの鮮やかなチャイコフキーを描いてみせちゃう。
もう、うれしくって、わくわくしちゃって、体がオケの皆さんと一緒に動いてしまいそう。
そして、好きな曲すぎるので、指揮したくなって、腕が、指がむずむずしてしまう。
 それにしても、楽員のみなさん、気持ちよさそうに弾いてらっしゃることnote

マーラーではずっと対抗配置だったけれど、この日は、久しぶりの通常(なにが通常かわからなくなったが)の配置。
右から低音、左から主旋律と高音域、間に中音・木管と、いわばレコード少年にとっての基本配置は、耳にとっても心地よく、安心感すら感じた。
 いろいろ聴けて、試せて、そういう意味でも神奈川フィルは、バラエティ豊かなオーケストラなのだ。

2楽章へは、休みなくアタッカでつないだ現田さん。
3楽章へは、休みを置き、3と4楽章はよくあるように、こちらもアタッカ。
前半と後半、暗と明を明らかに際立たせる意図でしょうか。
しかし、どちらも輝きすぎ(笑)

その2楽章の美しいことといったら!
甘味なホルンに、優美はオーボエ、軽やかクラリネット、優しいフルート、透き通るような弦セクション、威圧的にならない金管。
もう、ほんとたまりません。クリスタルな耳のご馳走です。
夢見るように聴いてしまいました。

エレガントなワルツもオシャレ。
そして、超かっちょイイ終楽章。
オケもノリノリ、現田さんもいつものように背中に汗が抜けてきて踊るように指揮、コンマス石田氏もいつもより立ち上がり弾きが多い。
見て、聴いて、最後の大フィナーレに向かって、きらきら輝く大行進を目の前に、顔に笑いさえ浮かべてしまったワタクシ。
はたから見たら、にやにや笑いの不気味なオジサン。
見事にきまったエンディング。
イェーイ、カッチョええぞsign03
気持ちいいーーーーっsign03

会場は大ブラボーでした。

上気して、ふらふらと階段を下りると、下に待ち受けしは、現田さん、オケの女性メンバー、理事のみなさん。
手には、ブルーダル基金の募金箱。
すっかり術中にはまり、ご協力させていただきました。

こんな素敵な気分にさせていただき、ありがとうって感じですよ!

マーラーも大いに心に響きましたが、今回みたいに、気分よろしく、エンジョイさせてくれるコンサートもほんとに大事だと思います。

それにしても、現田さんは当然として、神奈川フィル向きの曲だと思いましたね、チャイコの5番。
次週は、神奈フィルで聴きたい曲、お願いランキングでも記事にしましょうかね。

アフターコンサートに、いつものメンバーと、いつもの店で、いつものものを飲み、いつものものを食べ、いつものように終電近くに帰りました。

Kirin

暑かったし、気分よかったし、で、死ぬほど美味しいビール。

Kirin2

お昼ごはんから10時間ぶりくらいの食べ物、死ぬほど美味しいピザ。

Kirin1

こんな風にラスト・オーダーとなると、ピッチャーを在庫してしまう。
誰かが、大曲にはさまれた個性豊かなマーラー7番、なんて言ってました(笑)

みなさん、お世話になりました。

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2011年6月23日 (木)

「スピルバーグの世界」 J・ウィリアムズ&ボストン・ポップス

Miami1

マック・アメリカシリーズ2の最後を飾ったのが、「マイアミ・バーガー」。
2011年、2月でした。

Miami2

トーストしたバンズからはみ出す、肉!

でも、千切りレタス顔だしてるので、ヘルシー感も漂います。
しかし、レタスはよっぽど異常に食べなくては、食物繊維も摂取できないし、これだけじゃ野菜不足ですな。

Miami3 

浮いてます、浮いてます・・・・。

Miami4

そう、その仕掛けは、とうもろこしから出来たパリパリのトルティーア。
だから、このバーガーの食感はパリっとして、そしてチリ・ソースが決めて。
子供にはちょっとばかり大人の味となりました。

マイアミは、フロリダ州です。

スピルバーグの「ジョーズ」の映画は、フロリダじゃなかったようだけれど、そのイメージはぴったり。

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ハリウッドに、ジョン・ウィリアムズがいなかったら、スティーブン・スピルバーグやジョージ・ルーカスのあの名作の数々は、精彩をひとつもふたつも欠くこととなったことでありましょう。

60年頃からの活動歴はずいぶんと長く、しかも、有名作品ばかりなのに驚く。
「独身アパート」、「宇宙家族ロビンソン」、「タイム・トンネル」、「ダイアモンド・ヘッド」、「おしゃれ泥棒」、「華麗なる週末」、「ジェーン・エア」、「チップス先生さようなら」、「屋根の上のヴァイオリン弾き」、「ポセイドン・アドヴェンチャー」、「シンデレラ・リバティ」、「タワーリング・インフェルノ」、「大地震」・・・・・、もう書ききれません。

そして、ジョージ・ルーカスとの「スター・ウォーズ」シリーズに、スティーブン・スピルバーグの作品のほとんど。
最近では、「ハリー・ポッター」シリーズもそう!
こうして見てくると、とんでもなくすごくって、アメリカの映画の歴史とともにある音楽家と強く実感できます。
 そして、信頼関係に強く結ばれたスピルバーグ作品ばかりを集めた1枚が今日のCD。

映画では、たいていロンドンのオーケストラや、ハリウッドのオケを使っているけれど、そのその時も、J・ウィリアムズが指揮しています。
そして、この人の多彩なところは、指揮者としての才能の豊さにもあって、かのアーサー・フィードラーのあと、そのフィードラーの存在とイコールのような関係にあったボストン・ポップス・オーケストラの指揮者になったことも、驚きだった。
たくさんの音源で、そのナイスな演奏は確認できますな!

 ①「レイダース 失われたアーク」~マーチ
 ②「オールウェイズ」~テーマ
 ③「E.T.」~地上の冒険
 ④「続・激突!カージャック」~テーマ
 ⑤「ジョーズ」~テーマ
 ⑥「ジョーズ」~サメ狩り、檻の用意
 ⑦「太陽の帝国」~歓喜
 ⑧「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」~とらわれの子供たち
 ⑨「E.T.」~オーバー・ザ・ムーン
 ⑩「1941」~マーチ
 ⑪「太陽の帝国」~大空のキャデラック
 ⑫「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」
           ~オートバイとオーケストラのスケルツォ
 ⑬「未知との遭遇」


    ジョン・ウィリアムズ指揮ボストン・ポップス・オーケストラ
                   ダングルウッド祝祭合唱団
                     (1990.5 @ボストン)


いずれも、その時の音楽だから、あたりまえながら映画のシーンがまざまざと思い浮かんでくるような生き生きとした演奏に、ほぼボストン響という抜群のうまさと音楽性の豊かさをもったオーケストラであることを実感。
 血沸き肉躍る冒険活劇(古くさい表現ですな)の、「レイダース」は、「スター・ウォーズ」と「ハリー・ポッター」と並んで、全DVDを揃えて、息子と一作一作、毎週末に楽しんだものだった。
そんな手に汗にぎる親子に、アメリカのメジャーオケの威力で聴くこのサウンドは、とっても贅沢なものだ。
同じく、「ジョーズ」は、あのあまりに有名なクレッシェンドする恐怖心を高める音楽が、無慈悲なまでの打楽器の相奏で、かなりの興奮をもたらすこと、約束できます。
(ハルサイのあれにも似たり)

そして、天にも舞うかのような飛翔感を「E.T.」で味わいましょう。
戦時を描いたコメディ・パロディ1941のマーチは、そんなことは抜きに、やたらとアメリカンなマーチ。バーススタインが嬉々として振りそうな音楽でございます。

そして、映画としても、音楽としても最大傑作「未知との遭遇」。
これはやはり、すばらしい。
大学時代のプリミエ公開を鳥肌を立てつつ見たのを、いまだに、覚えている。
(同様の思い出が、スター・ウォーズであり、何故かサタディ・ナイト・フィーバーだったりする)
リゲティばりのトーンクラスターを用いた、映画としては前衛嗜好。
武満サウンドを感じることもできます。
そして、「オズの魔法使い」も出てきます。
その音階は忘れられなくなります。
クラシック界では保守的な作品だが、未知の体験と友愛を、その後の全和音的、ピースフルなサウンドで思いきり解放してみせた、心も解き放たれる名作だと思う。
自身の指揮のいくつかと、メータ&ロスフィル以上の名演!

明日6月24日は、スピルバーグが制作協力した「SUPER8」が日本公開。
そちらでは、J・ウィリアムズは音楽担当しておりませんでした。

J・ウィリアムズの本格クラシカル作品もいくつかありまして、近々、ご紹介します。
かなり晦渋です。
このJ・ウィリアムズの映画への立ち位置の源流は、第二次大戦のドイツ・オーストリアからやってきた作曲家たちにたどることができます。
そう、コルンゴルト、スタイナー、ローザ、ニューマン・・・・。
このあたりの探求も、ほんとにおもしろいです。

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2011年6月22日 (水)

アイヴズ 交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」 マリナー指揮

Idaho1

また、マックアメリカ・シリーズやります。

Idaho2

こちらは、アイダホ・バーガーでした。
今年の1月の終わりに発売。
これも実にウマかった。
そのかわり、ボリューム(カロリー)満点で、ビールと一緒に食べれば、もう何もいらないくらい。

Idaho3

しっかりローストしたビーフパテの上には、アイダホのハッシュド・ポテトがドカンと鎮座。
さらに、カリカリのベーコンに、玉ねぎにチーズ風のソース。

いま思い出すだけで、食べたくなっちゃう。

Ives_sym3_marriner

先週は、急な出張で中座しました、アメリカ近代シリーズ

アイダホ州は、アメリカ北西部で、コロラドの自然豊かな地域。
もちろん行ったことはありません。
ポテトのイメージしかないです。
その地にもオーケストラはあるんでしょうかね。

そして、アメリカの州はたくさんあるから、どこがどこだかさっぱりだけど、「キャンプミーティング」はおもに、アメリカの地方の街で行われた。
 そもそも、キャンプ・ミーティングって何?

広大なアメリカの地に入植した人々。
キリスト教を奉じながらも、聖職者や教会、集会所も場所によってはなくって、宗教への渇望が人々にはあった。
その望みを癒すために、移動集会のようなものが開催され、そこに人々は何日もかけて集まり、そこに滞在して、信じるキリスト教の集会に没頭したのだった。
それが、「キャンプミーティング」らしい。
アメリカの教会やテレビの伝道演説は、かなりアグレッシブで熱っぽいから、日常から離れた泊りがけの集会への参加は、かなり盛り上がったのではないでしょうか!

音楽以外で、充分に食っていけてたという休日作曲家、チャールズ・アイヴス(1874~1954)の交響曲第3番「キャンプ・ミーティング」というタイトル。

3楽章形式。

Ⅰ 「古きよき仲間の集い」
Ⅱ 「子供たちの日」
Ⅲ 「コンムニオン(聖餐式)」


しかめっつらで、悪戯心も満載、そして複雑な同時進行の展開を好むアイヴズの作風からすると、かなり穏健で、アメリカの良き時代を思い起こさせる懐かしい響きに満ちている。
讃美歌の引用が多く、それがいろんな楽想と絡み合いながら、アイヴズならではの、一筋縄ではいかない複雑さも、実は醸し出している。

それでも4番や2番に比べたら、かなり聴きやすい音楽で、20分ちょっとの室内オケによるシンフォニエッタ、という気分。
 wikiを見たら、ニューヨークフィル時代のマーラーが、この曲に目をとめ、ヨーロッパに持ち帰ったらしい、とありました。
1904年頃の作品で、初演は戦後まで待たなくてはならなかったとされます。

サー・ネヴィル・マリナーアカデミーは、こうした曲でも、明快で鮮度高い純な演奏を残してくれている。
見通しのよさと、小気味いいアンサンブルは、アメリカ音楽においても強みを発揮していて、この交響曲以外のバーバー、コープランド、コーウェル、クレストンなどの曲も気持ちよく聴くことができます。

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2011年6月21日 (火)

クィーン 「オペラ座の夜」~「ボヘミアン・ラプソディ」

Masaki

色の配分の神がかりな美しさですなcatface

Queen_a_night_at_the_opera

今日は、クラシック音楽から少しはずれて、「クィーン」=「Queen」を。

彼らの音楽をイギリス音楽と呼ぶことに、わたしのブログにおいては差し支えないと思う。

イングランド出身のロックグループ。

1973年から、リードヴォーカルのフレディ・マーキュリーの死の1991年を経ても、外来ヴォーカルを交えつつ、ずっと活動をなんらかのかたちで継続中。

クラシック音楽好きとしては、スペインのおっきな(?)歌姫、モンセラット・カバリエとの共演でも記憶される、フレディ・マーキュリー
いかにも風の風貌だった。
エイズへの罹感を表明し、45歳にして亡くなってしまった名ヴォーカリストだった。

ほかのメンバーは、ジョン・ディーコン、ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ
この4人のシンプルなギター・サウンドをベースにしたロックは、とてもわかりやすいと同時に、4人のハーモニーの美しさが、私なんぞの、クラヲタ少年には、もっとも困った存在だった団体を揶揄して、「クィーン少年合唱団」と呼ばしめたものだ。

それは中学・高校時代で、ビートルズを心棒していたからがゆえかも。

そして、大学時代、まわりが半端ない音楽好きで囲まれた。
ブリテッシュロック、ニューミュージック、フォークソングなどなど。
わたしも負けずに、ワーグナーとアバドを貫いたけれど、諸所、影響されました。
そんななかのひとつが、「クィーン」でございました。

知ってはいたけれど、彼らの歌唱力と正統派ロック。
そして、英国を背負ったような気品とユーモアに、伝統。
ビートルズのあとの世代だけれど、ビートルズよりは保守的。
でも、かれらにないグループ力と陰りのない明快さ。

このLP(CD)の、メイン曲はやはり「ボヘミアン・ラプソディ」。

この曲の内容はすごいのです、深いのです。
そして音楽は、6分あまりにわたって、曲想をさまざまに変える、オペラアリアのようなのであります。

 これは現実なのか それともただの幻なのか
 まるで地滑りにあったようだ 現実から逃れることはできない
 目を開いて 空を仰ぎ見るがいい
 僕は哀れな男 だが 同情はいらない
 いつでも気ままにさすらってきたから
 いいこともあれば 悪いこともある
 どっちにしたって 風は吹くのさ
 僕にはたいしたことはない

 ママ たった今 人を殺してきた
 あいつの頭に 銃口を突き付けて
 引き金を引いたらあいつは死んだよ
 ママ 人生は始まったばかりなのに
 僕はもうダメにしてしまった
 ママ ああママ
 ママを泣かせるつもりじゃなかったんだけど
 明日の今頃になって 僕が戻らなくても
 いまのままで生きていって まるで何事もなかったように

 もう遅すぎる 僕の最後がきた
 体中を震えが走る 体中が苦痛に攻め立てられる
 さよなら みなさん
 僕はもう行かなくては
 あなた方の元を離れ 真実と向き合う時だ
 ママ ああママ
 僕は死にたくないよ
 ときどき 考えてしまうよ いっそ生れてこなきゃよかった

 一人の男のシルエットが小さく映る
 スカラムーシュ 道化よ ファンタンゴを踊っておくれ
 雷鳴と稲妻 とても恐ろしい
 ガリレオ ガリレオ
 ガリレオ ガリレオ
 ガリレオ フィガロ ー 貴き人よ
  彼は貧しい生れの哀れな男
    この怪奇な運命から命を救ってやろう
  気ままな人生を送ってきたんだ 彼を逃がして

 「神に誓って おまえを逃がしやしない」
  ~彼を逃がしてやろう
 「神に誓って 逃がしはしない」
  ~彼を逃がしてやれ
 「いや逃がさない」   僕を助けて
 「いや、ぜったいダメ」 助けて
 NO No No No・・・・
 ママ ママ 愛するママ 僕を助けて
 魔の王ビールズバブよ
 僕から悪魔を取り除いてくれ 僕のために・・・・

 それじゃ 僕に石をぶつけ 顔に唾を吐きかけようと思ってるんだな
 僕を見殺しにして それでも僕を愛しているというつもりか
 ああ 君がそんな仕打ちをするなんて
 すぐに逃げださなくては いますぐここから逃げださなくては
 
 何もたいしたことはない
 誰もが知ってることさ
 たいしたことじゃない
 ほんとうに僕にはたいしたことじゃないのさ
 
 どっちみち 風は吹くのさ

     (参照訳:有満麻美子)


大学生当時は、「ママ、人を殺しました・・・」という内容が衝撃的で、どうしようもなく犯罪者の独白的で暗くて救いがないと思いました。
曲想の変わる局面で、中間部にガリレオやフィガロの名前が何故か出てくる。
そんなことはまったくわからなかった。
いまでもわからないけれど、ガリレオは真実を訴えつつ、世の風潮に屈せず負けなかった。
フィガロは、封建の世に、自由を貫き身分に歯向かった男。
そんな風に思う。
クラヲタゆえにわかってきた。

もっというと、道化やユーモアも混在し、ショスタコーヴィチの「バビ・ヤール」の世界。

イエス・キリストや原罪までも思いこしてしまう。
四半世紀以上前の政治原理と価値観多様の世界情勢を考えてもみる。
そして、いまのチンケな政治も。
いまは、人間主体だ。
クィーンの歌も生きてくる。

 3部ないしは4部形式のこの歌は、クラシックの交響曲のようでもある。
緩・急・緩。
フレディの熱い抜群の歌唱力に、4人のハーモニー。

すごい曲です。

この曲が突出してますが、劇場ライブを1枚のレコードに収めてみた名作音盤でもあります。
1976年の名盤。

最後には、「Got save the Queen」が演奏されます。

補足)
 ちなみに、ワタクシ、学生時代は、ジョン・ディーコンに似てるとイワレマシタ(笑)。

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2011年6月18日 (土)

アバドの10番と「大地の歌」

Abbado

アバドのマーラー放送中。
さまクラ緊急速報。

5月18日のベルリンのほやほやライブ。

5月は、毎年、アバドがベルリンに帰ってくる。

今年は、マーラー・イヤーということもあり、特別演奏会のため定期に加え、うれしい再登場。

わたしたち、アバド・ファンは、決まってマーラーファンでもあるんだけれど、ずっと渇望してきたことといえば、アバドの「大地の歌」。
「告別」だけは演奏したけれど、全曲は今回が初ではないかしら!
10番「アダージョ」と「大地の歌」の演奏会。

Abbado3_2

いま、待望の「大地の歌」が始まりました。
一聴して、わかる室内楽的明晰さと透明感。
そして、ベルリン・フィルのべらぼうな上手さ。
日本にビビって来なかったカウフマン。
彼あって、この演奏、(きっとCDにもなるでしょう)が成り立ったともいえるかも。
そして、控えてるのは、オッター。
アバドは、極めて稀なことだけど、譜面台を置いて指揮してますが、時おり確認程度。
初めて見ました、アバドの譜面。

深夜のマーラー。
お疲れモードだけど、じっくり観ましょう。
眠くなってなんていらんない。

そして、翌朝・・・・・・6月19日追記

Abbado_3

  「告別」、ことにその後半は絶品でございました。
指揮、オーケストラともに、マーラーの寂寥感と、それを突き抜けた先にある透明な境地のようなものを痛切に描きつくしていたように感じる。
オッターの歌が毒気がなさすぎて、クリーンにすぎるきらいはあったけれど、感動しながら歌っているのがよくわかり、長い、長い静寂のあと、彼女は涙さえ浮かべていたかのようだった。
力強いカウフマンの歌声は、この曲にぴったり。
 そして、アバドの真骨頂は後半。
ライブ録音としてCD化されると思うけれど、もう少し熟成してからの方がいいかも。
そう、ルツェルンあたりでもう一度。

Abbado1

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松山にて

Dougo

松山の道後温泉、坊っちゃん風呂より。

その日の、昼までは普通に東京にいました。

そして、その晩は、何故か松山。

どうせだからと、道後温泉で湯あみ。

Dougo1

いろんなことが重なり、たいへんだということで、その日急遽飛びました。

しばらくぶりの四国。そして、雨の松山。

Dougo2

市内を走る坊っちゃん列車。

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夜の写真しかありません。

結局、2泊せざるをえず、ぐだぐだに・・・。

でも、松山の夜は美味しいものがたくさん。

じゃこ天です。

Sakehachi2

呼子のイカがありましたよ。

対岸は九州ですからね。

甘くて、コリコリ。どうしよもなくうまい。

Sakehachi3

お刺身~heart04

大分で揚がると関アジ、関サバだけど、同じものが愛媛でも。

濃厚な甘さと引き締まった歯ごたえ。
鯵も鯛も、とんでもなくおいしかったnote

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愛媛は日本酒も最高。
東の人間には、ちょっと甘めだけど、すっきりとしながらも、旨口で、魚にあいますな。
石鎚、内子の純米酒などを堪能しましたぞ。
コンビニで梅錦を買って、自分のお土産。

そうそう、なでしこジャパンの試合前夜で、ホテルも同じだったみたいだし、それ風の女子も見かけましたが、よくわかりません。
ともかくあわただしくて、忙しくて、バタバタの松山。

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今朝は、早起きして、松山城に徒歩で途上。
梅雨空ですがね、市内が一望の絶景。

松山は、おいしい食文化と、文芸の香りと歴史に彩られ、ゆったりした、とても雰囲気豊かな街でございます。

東京に戻った土曜の昼。
ギャップは大きいのでした。
はぁ、疲れた~

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2011年6月15日 (水)

バーバー ヴァイオリン協奏曲 ジョシュア・ベル

Manhattan1

こちらは、マックのビック・アメリカシリーズ第2段の最後を飾っ「マンハッタン」。
2011年の第2段は、ボックス入りで、テイクアウトする際にも型崩れせず、原型のサンドが味わえることとなりました。

Manhattan2

バンズからして、いつものと違うし、はみ出るレタスがヘルシーさを呼び起こし、都会派のランチタイムにぴったりと思わせました。

Manhattan3

目をひくのは、パシトラミビーフのソーセージ。
そこにビーフパテと、決め手は、すっきり系のチーズクリームソース。

あぁ、こりゃ、おいしかったですねぇ。

シリーズ中、かなり上位にくる作品だったのでは。
それと、若い人以外にも受ける味でしたよ!

ハンバーガー大好き。

Barber_vmcon_bell 

サミュエル・バーバー(1910~1981)のヴァイオリン協奏曲

数あるヴァイオリン協奏曲の中で、わたしの最愛の作品のひとつ。

ベルク、コルンゴルト、ディーリアス、エルガーなどと並ぶ大フェイヴァリットでして、三大BやMやTもいいけれど、それらは積極的には聴かない音楽たちとなってしまいました。
こんなこと言いつつも、実際Bや、M、Tを聴くと、すっかり気分よくなってしまう自分だったりするんですな、これがまた。

要は、ヴァイオリン協奏曲の名品は、至上の有名作品ばかりでなく、いろんな作曲家たちが心血を注いだジャンルゆえに、たくさんあるということなんです。

わたしは、世紀末や英国系に傾きがちですが、バロックや古典、ロマン・民族など、あらゆる時代に、素敵なヴァイリン協奏曲が残されているので、ともかく偏らずに、このジャンルの遍歴も楽しいものだと思います。

さて、バーバーです。

本ブログでは、もう何度も登場しちゃってます、泣けちゃう音楽のひとつ!

この曲を初めて聴いたのは、そんな昔じゃない。

アン・アキコ・マイヤース嬢の弾くテレビCMだった。
コピー機だったでしょうかね?
この協奏曲の急速感ある3楽章を弾く、彼女の姿、そしてそのキリリとした音色に、かっちょいい音楽に魅せられた。
 ほぼ、同時期に、N響に来演し、バーバーのこの協奏曲を弾いた。
それをテレビとFMで味わったのでございます。
その時の指揮は、サー・アレキサンダー・ギブソンでした。
 もう、なんどもなんどもビデオで見ました。
ギブソンのシベリウス2番も素晴らしかった。
同時に、ギブソンは、N響定期3つを指揮して、RVWとハイドンのロンドンシンフォニー、コケイン、フィンガル、スコットランド、ベルリオーズ、マンフレッド交響曲などを精力的に指揮しましたねぇ。
名指揮者のひとりです。
忘れられません。いまもCDRはわたしのお宝ですよ!

このバーバーの協奏曲の特徴は、1940年という戦時の作曲にありながらも、溢れいずる並々とした抒情にあります。
アメリカ保守派・穏健派のバーバーではありますが、戦時にもこうした、ノスタルジックな音楽が成立しえたこと、そして、それが余裕をもって音楽界に受け入れられたこと、それ自体が国力の余裕でございましょうか。

NHKの朝の連続ドラマを見てますが、あの戦時のドラマもきっと、当時の戦況と日本の状況からしたら手ぬるいと思われます。
 あの時代、日本という国は、切羽詰まっていたし、そういう状況にこそ、やたらと強い国だった訳なんだけど、戦争のもたらす悲壮感は、あのドラマにも少しは出ていると思います。
(実は、もっと暗くてやるせないはずだし、そうした朝ドラもNHK様はかつて制作していた。
それが、いま、軽めの基調となっているのは、時代の流れや震災の影響でしょうか・・・)
いずれも、お国は、本質をひた隠しにする体質。いまもおんなじですねぇ。

話はそれましたが、コープランドと別な意味で、アメリカの保守派で同国の良心のにじみ出たような音楽の数々を残したバーバー。

ノスタルジックで、幸せな家族の夕べの団らんのような素敵な第1楽章。
第2楽章の、遠くを望み、目を細めてしまいそうな哀感は、歳を経て、庭に佇み、夕闇に染まってゆく空を眺めるにたるような切ないくらいの抒情的な音楽。
もう、泣いちゃいそう。
ここまでの二つの楽章は、コルンゴルトの協奏曲にも似てます(涙)。
いまも、何度も繰り返し聴いてますが、泣くしかありません。

ところが、ここまで泣かしといて、無窮動的な性急かつ短編的な3楽章がきて、あっけないほどに終わってしまう。
この3楽章の浮いた存在は、バーバーのこの協奏曲を聴く時の謎のひとつだが、保守的なばかりでない無調への窓口をもかいま見せる作者の心意気を感じる次第。

ふくよかな抒情を紡ぎ出すとともに、鮮やかな技巧の冴えも存分に聴かせなくてはならない難曲。
そして、若い感性も必要。
ジョシュア・ベルのヴァイオリンは、線の細ささえもがここでは強みとなって聴かせる素晴らしいもの。
ジンマンの指揮は少しあっさり君で、かつてのスラトキンやプレヴィン!が懐かしく思い起こされますが、知的なアプローチはこれはこれで、いいかも。

アメリカ音楽、ことにコープランドやバーバー、ハンソンは、夢や希望がストレートにビューティフルで、心なごみますcatface

 過去記事

「スラトキンのハンソン」

「シャハム&プレヴィン」

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2011年6月14日 (火)

コープランド 「ビリー・ザ・キッド」 スラトキン指揮

Texas1

むふふ。

ハンバーガーネタです。
ハンバーガー大好きの、さまクラ男でございます。

ちょっと古めですが、そんなバーガー好きの心くすぐるシリーズを、期間限定で繰り広げてくれた、マクドナルド。
レギュラーメニューより、高めの設定も、バーガー好きのすそ野を広げる好企画でありました。

Texas2

ダブルバンズ(しかも軽くトーストしてありました)に、手作り感が出るような雰囲気のパテ。

Texas3

カリカリのフライドオニオンに、こんがりベーコン。
少し辛めの、バーベキューソース。

ほんと、おいしい。食べ応え十分。ビールにあう。

マックの最高傑作のひとつでしたね。

2010年のアメリカンシリーズ第1段でした。

2011・テキサス2よりもずっとうまかった!

マックのバーガー・シリーズ、やっちゃいましょうかね。

Copland_billy_the_kid_slatkin

今週は、アメリカン。

まずは、アーロン・コープランド(1900~1990)。

ユダヤ系アメリカ人作曲家コープランドほど、アメリカの風土に根差した、よきアメリカという幸福な音楽を残した人はいないのでは。
ロシア系ユダヤ人を両親とするも、経済的にも幸せなアメリカ家庭に生まれたところがよかったかも。
ヨーロッパから流れてきた同時代人などに比べ、ほんとに明るく屈託のない音楽は、その背景そのもので、故郷アメリカを純粋に描ききっていて、いまも、東洋にいて聴くわたしなんぞに、アメリカの大地とネイティブな前途洋洋たる幸福感を味わあせてくれちゃう。

少しあとの、バーンスタインの屈折した音楽とは大きく異なるところが面白い。

アメリカン・バレエ三部作、「ビリー・ザ・キッド」、「ロデオ」、「アパラチアの春」。
アメリカ民謡も取り入れ、懐かしさとダイナミックな開拓精神の雰囲気に溢れた音楽たち。
そして、「ビリー」は、ちょっと渋い30分強。

アウトローとして知られた西部劇のちょっとダーティ-なヒーロー、ビリー。
義憤にかられ人を殺めてしまい、思わぬ騒動や戦争を巻き起こしてしまう人騒がせな人物だったようだけれど、ともかく「いいヤツ」だった・・・らしい。

そんな史実にもとづいたビリーの物語をバレエ化したのがコープランドで、1938年の作品。
世は、ナチスドイツとわが日本が、着々と、きな臭い方向へひた走っていた時期。

音楽は、西部の大平原の光景や、ビリーの活躍や、その逮捕、そして死を、民衆の踊りやその風物などを挿入しながら描いてます。
懐かしく、わたしたち日本人は知らないけれど、60年代にテレビで見たような、モノクロの西部劇やアメリカの開拓史を描いたドラマ、果ては、ディズニーの大昔のアメリカの大自然のドキュメンタリーなどを思い起こさせてくれます。

このような音楽を、スラトキンセントルイス響のコンビが演奏して、悪かろうはずがありません。
バーンスタインやオーマンディとは、また違う、リズム感あふれる軽やかさと、こだわりの少ない明るさが音楽を屈託ないものにしております。

ハンバーガーを頬張って、こんな音楽の背景を持ったアメリカには勝てませんやねぇ・・・。

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2011年6月12日 (日)

シューベルト 交響曲第8番(完成版) マリナー指揮

Ajisai_ryutsu_3

こんな色合いの紫陽花見つけましたよ。
白に薄いピンク、真ん中が青。

これからピンクになってゆく、まさか未完成じゃないでしょうね?

Shubert_sym8_marriner

シューベルト 交響曲第8番「未完成」完成版
サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

眉つばものと思われがちな未完成を完成させるという行為。
そんな中でも、しっかりと存在価値を確たるものとしているものは、マーラーの10番と、エルガーの3番でありましょう。
80年代前半、イギリスのハル大学の音楽教授、ブライアン・ニューボールト氏が補筆、というかほとんど書き足し、ほかの曲から追加して、無理むりに完成版としたのが、シューベルトの未完成交響曲。

シューベルトの交響曲で、いま番号が付けられて聴かれているのは8曲。
そのうち、1曲が8(7)番の「未完成」。
それ以外に、5曲、交響曲として手掛けた作品があって、そういう点からは、シューベルトは同時作曲進行の作曲家らしい未完の常習だったといえる。

この未完成交響曲も、グラーツ音楽協会名誉会員選出のお礼として書き始め、時間もなくなって、とりあえず完成できた2楽章までを送り届け、もらった側も、次があるだろうと、手をこまねいていたことから生まれでた「未完」。
 しかし、第3楽章のスケルツォ部分の全部と、トリオの一部はピアノ・スコアに残されているほか、スケルツォの最初の2ページ分のオーケストレーションも残されていて、シューベルトは、一応は完成を目指したものと推察されるが・・・・。

このわずかな痕跡を第3楽章スケルツォとして完成させ、影もかたちもない、第4楽章に、同じ調性のロ短調をもつ、「ロザムンデ」の間奏曲を持ってきて代用とした。
ロザムンデの中では規模がひと際大きく不釣り合いで、初期交響曲のフィナーレ様式も持っているからというこじつけ的な理由づけで。

 マリナーの演奏時間

  Ⅰ アレグロ・モデラート         14’59”
  Ⅱ アンダンテ・コン・モート     11’12”
  Ⅲ スケルツォ             6’33”
  Ⅳ アレグロ・モルト・モデラート  7’07”

               TTL                           39’51”

演奏時間からもおわかりのとおり、1,2楽章と後半とのギャップは、尻すぼみともいえるくらいに大きい。
ザ・グレイトで、ブルックナーやマーラーの域に達するような構えの大きさに達することがわかっているだけに、そして、前半がそれを充分に裏付ける内容と長さだけに、ふたつ併せて13分とはあまりに寂しい。

それでも、自筆のスケルツォ部分はなかなかのものである。
リズム感と歌謡性のマッチが、いかにもシューベルトの作。
であるが、そこからの発展性が乏しく、トリオのオーケストレーションはやや心細く、ただ繰り返すのみのあっけない内容。
シューベルトには、誰しも簡単になれない、っていうことです。
 そして、終楽章として採用された「ロザムンデ」の1曲は、それ自体は問題なく、立派な音楽。
悲劇的・ロマン的な調性としては同一感あれど、やはり劇音楽っぽくて、シンフォニーのトリを受け持つには、まして充実したリリシズムの境地を築いた前半部分に対して、あまりに役不足の感は否めず。

4楽章の完成版を聴き終えて、再度、前半ふたつの未完成を口直しに聴き直す、というなんとも言えない確認作業が必要なのでありました。
それで、トータル66分の大作となりました(笑)。

この完成版は、無駄とはいえないまでも、存在意義確立まではいたりませんな。

しかし、マリナーとアカデミーの爽快で、曇りない演奏は、実によろしく、前半はことに素晴らしい未完成に仕上がっております。
こんな透明感あふれる未完成、わたしは大好きですね。

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2011年6月11日 (土)

シューベルト 交響曲第9番 シュタイン指揮

Ajisai_ryutsu_2

紫陽花の季節です。

街を歩いてると、いろんなところに咲いていて、普段咲いてない時はどんなだったろうかと思ってしまう。

いろんな種類に色があって、梅雨時、目を楽しませてくれます。

古来、いろんな歌人や詩人が紫陽花を愛で歌を詠んだ。

日本原産だけど、シューベルトならどんな歌を書いたでしょうな。

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シューベルト交響曲第9番「ザ・グレイト」をホルスト・シュタイン指揮のウィーン交響楽団にて。

いまや、グレイトの名称も取れ、交響曲第8番ハ長調という味気ない名前が主流。
学究の成果はともかく、わたしは、かたくなに、交響曲第9番「ザ・グレイト」でいきたい。

かつての昔は、交響曲第7番だった。

こんなに、番号の変わる交響曲も珍しい。

ドヴォルザークも出版の関係でそうだった。
新世界は第5番だったし、イギリスと呼ばれなくなった8番は4番だった。

いまや、むかしばなしでございますね。

このシューベルトの歌心に満ち溢れた長大な交響曲は、未完成を聴いたあとに興味を引いて聴くレコード1枚分だったけれど、CD時代になってから、未完成とセットで1CD。
だから、未完成と同時にやってくる大ハ長調となった。
未完成が、しっかり完成されていたら、規模的には、この大ハ長と同じ1時間の大作となったこででありましょう。
そして、未完成交響曲の濃厚なロマンティシズムと滴る抒情は、もしかしたらこの大交響曲とはまた違った複雑な味わいを持っているのかも。完成していたらさぞかし、と思われます。

しかし、この9番(8番)の魅力は、無限とも思われる歌謡性の豊かさが、明るい長調を基本としたなかにとめどなく溢れだしてくるところなのです。
ある意味わかりやすく、伸びやかなシューベルトの本質がここにあり、また一方、2楽章の哀感ただようオーボエの主題が、次々に広がってゆくとめどない抒情は、淡々とした運びのなかに、未完成のそれとはまた異なる深い淵を覗いたような感じを受ける。

歳を経て聴く、この第2楽章は、やたらと身に、心に滲みるようになりました・・・。

もちろん、ほかの3つの楽章も大好きですよ。
伸びやかで朗々たる第1楽章。
中間部が、シューベルトならではの踊るような3楽章。
これもリズム豊かで、明るく聡明な終楽章。

久しぶりに聴いて、心解放される思いでしたね。

シュタインは、バンベルクとシューベルト全集を残してますが、わたしは、そちらはまだ未入手。
ウィーン響とのライブを愛聴してます。
オケの柔らかさと、意外なまでのシュタインの歌い回しの豊かさ。
シュタインの器用さと芸風の豊かさと感じる桂演なのですよ。
1992年2月、ウィーンのムジークフェラインのライブ。
シュタインは、70年代、ジュリーニのあと、ウィーン響の指揮者をラインスドルフやアツモンとともにつとめていて、相性もよかったんです。

「幻想」を「ロマンティック」にいだき、「奇跡」を起こすことは、きっと無理だけど、希望は「グレイト」にねhappy01
今週の交響曲シリーズでした。

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2011年6月10日 (金)

ハイドン 交響曲第96番「奇跡」 アバド指揮

Fuji_201105

いまのこの時期、富士山は大気が霞んでなかなか、そのお姿を見ることができませぬ。

肉眼では、ぼやけながらも確認できましたが、画像にするとまったく見えない。

補正して、ようやく捉えることができました。

まだまだ雪がその頂には確認できますな(5月の模様です)。

不気味な沈黙の美。
富士山は美しい活火山でございます。

お願いだから、ずっと寝ていてくださいね。

Abbado_haydn_sym96

ハイドンの交響曲第96番「奇跡」を、クラウディオ・アバド指揮するヨーロッパ室内管弦楽団にて。

ハイドンのザロモン(ロンドン)セットのひとつで、タイトル付きながらも、いまひとつ地味で、あんまり演奏されない交響曲だと思う。
でも、このセットなりの大きな編成の規模を持つスケール感とともに、各奏者のソロも活躍して、室内的な様相と、伸びやかな愉悦感もあって、とても魅力的な交響曲なんです。

この「奇跡」というタイトルにはまったく相応しくない、古典的な佇まいをもった均整のとれた交響曲なのであります。
そして、その「奇跡」の名前の由来とは、この曲の演奏の際に、指揮するハイドンを間近に見ようとする聴衆がステージ至近に詰めかけ、ホール後方がガラ空きになったそこに、天井のシャンデリアが落っこちてきたものの、おかげで誰一人怪我人がでませんでした、ということからきているそうな。

それもいまの研究では、違うシテュエーションだったとも・・・・・。

そして、思わず、オッとしてしまったのが、この曲の初演が、1791年3月11日だということ。
いまある、わたしたちにとって、忘れることのできないあの日から、220年前。
なんということでしょうか、奇跡交響曲!!

しかし、これまた、なんということでしょうか!!
最近の研究では、これもまた違う作品の初演日だったのでは、とされております。

まったくもって、なんだかなぁ~、のハイドンの奇跡交響曲です。

「幻想」を「ロマンティック」に抱いて、「奇跡」なんぞを信じちゃならんよ、ということでありましょうか。。。。

でも、この曲のまとまりのよさと、小粋な洒落っ気は、とても魅力的でして、おまけに、指揮するアバドの、そのロッシーニに対するかのような清新かつ小又の切れあがったかのような敏捷さと、抜群のリズム感が、生き生きと手に取るように味わえるのです。

アバドのハイドンは、しばらくご無沙汰だけれど、どんな奏法をともなっても、きっとアバドらしい、キリリと爽快なハイドンが味わえるはず。
また取り上げて欲しいものです。

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2011年6月 8日 (水)

ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」 メータ指揮

Azuma_park_1

山の頂きと、見下ろす海。

毎度ご案内の吾妻山公園山頂です。

わたしが、麓にある小学校の生徒だったころは、こんな風にきれいに整備されてなくて、ただ単なる山の上で、あんまり行ってはいけない場所だった。
ただ、そこにあった神社は、由緒豊かで、お祭りもさかんで、出店も楽しかった・・・・。

いまや、JRで広域の方が乗り付けていらっしゃる名スポットとなりました!

Burckner_4_mehta_2 

「幻想」の次は、「ロマンティック」。

表題もいろいろです。

幻想を思い求めて、ロマンを追い求めて、なにが悪い?
厳しい現実にこそ、こんな音楽の数々に身を投じて気分を紛らわすのであります。

ブルックナー交響曲第4番「ロマンティック」。

カラヤンとベルリン・フィルのEMIのレコードの録音から入門したこの曲。
中学生のわたくし、そして、それが初ブルックナーでした。
マーラーより、ちょっと早い出会いでしたね。

ブルックナーといえば、壮麗で輝かしいイメージを先に植えつけられてしまったのも、そのカラヤン演奏のおかげ。
もっと深遠で、崇高なイメージをさらに重ね合わせるようになったのは、ベーム、ヴァント(ケルン盤)や、ハイティンクを聴くようになってから。

そして、わたしの思いでの「ロマンティック」の1枚は、メータロスアンゼルス・フィルハーモニーのデッカ録音。

デッカ=ロンドンの売れっ子指揮者として、録音効果のあがるダイナミックな音楽ばかりで勝負して、ことごとくベストセラーを築いてきたコンビの1970年の録音。
R・シュトラウスや、ハルサイ、惑星、1812年などと同じ頃の録音で、UCLAのロイスホールでの目も覚めるような素晴らしい音がしっかり捉えられてます。

ずしりとした低音。はじけるようなティンパニ。輝かしい金管に、しっとりとした木管。
そして抜けるように鮮やかな弦楽器。
メータ&ロスフィルのイメージそのもので聴くブルックナー。

こんな耳のご馳走は贅沢な限りでして、いつまでも、どこまでもこのまま浸っていたいんです。
同じ系統のロマンティックに、これまた私の好きなバレンボイム&シカゴ響のものがありますが、あちらはもっと複雑で、妙にしんねりむっつりしてますが、メータ&ロスフィルはその屈託のなさといったらありません。
そして、ここのある音楽の音色の美感たるや、とてつもない魅力なんです。
 妙に考えすぎの、せせこましい音楽よりは、何十倍も美しい音楽に感じますよ。
そんな明るさと美しさのなかに聴く第2楽章は、意外や意外、ヨーロッパの教会のある街を思わせたりするんですね、これがまた。
メータの憎いほど、うまいところだし、ウィーンフィルとフィラデルフィアの良いところを目指したといわれるロスフィルの音ゆえ、そしてデッカの録音ゆえでございますねぇ。

Burckner4

72年発売時のレコード芸術の裏表紙。
この美しいジャケットも魅力的で、レコード店で何度も手に取ってため息をついていたものです。

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男をあげた、大巨匠ズビン・メータの若き日々の演奏の数々を、いまこそ聴きましょう。
そして、廃盤の数々の復活を望む。
同じコンビのブル8なんぞ、聴いてみたいぞよ。

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こ、この、からすのやろう!!

恐怖のカラス。

クラヲタ・ブログだからといって、マリア・カラス様ではありませんよ。

黒々とした、憎っくきカラス。
鳥のカラスざますわよsign03

今日、仕事中、夕方17時くらいのこと、港区の某公園を抜けて歩いていたら、木にカラスが止まってました。
そんなことは、あたりまえの図式。
何気に、その木の下を通り過ぎたら、頭に衝撃を感じたのです。

え?

えっ、えーーーっsign02

そのカラスの野郎が、わたしの頭めがけて後ろから攻撃をしかけてきたのです。

口ばしではなく、足で掴みかかるようにですよ。

イタタタタッーーーツ。

思わず、声に出しましたよ。
周囲には人がいましたが、襲撃は見ていなかったらしく、わたしの哀れな声だけが響きました。

コイツです。犯人は、このやろうです。


Karasu

鞄から、カメラを取り出して、撮影してやりましたよ。

いったい全体なんだったんですかね。

頭に、食べ物を乗せて歩いていたわけじゃないですよ。

ともかく、いてぇ。

傷や出血はありませんがね、悔しいったらないですよ。

髪の毛5本は持ってかれたかも、ですよ。(ちくしょーーー)

わたしの、輝きに魅せられたとしか、言いようがありませんよ。

これからは、帽子生活ですかねぇ・・・・

とほほ、でござんすよ、みなさん。

カラスとトンビには、くれぐれも、気をつけてくださいましよ、みなの衆weep

悔しいから、本日は二本記事ですわ!

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2011年6月 6日 (月)

ベリオーズ 幻想交響曲 バレンボイム指揮

Shobenkozou_201106_1

JR浜松町駅の小便小僧。
こちらも毎月のお着替えコスプレを特集してます。

6月は、そう、梅雨の雨合羽ルック。
雨の晩に撮影しましたから、雰囲気あります。

Shobenkozou_201106_2

小便一直線。

黄色いカッパに赤い雨傘。
かわいいもんです。

来月は、夏バージョンで、バケーション来ますかね。
それとも、今年は節電ルック?

Berioz_sym_fantastique_barenboim

ベルリオーズ幻想交響曲シリーズ。
毎月1枚。

6月は、ダニエル・バレンボイム指揮パリ管弦楽団の演奏。

バレンボイムは、おおよそ個性のつかみにくい演奏家で、ピアノと指揮に及ぶ、その広大なレパートリーと超人的なまでの音楽への積極姿勢とタフネスぶりには、舌を巻かざるをえない。
ときに、気の抜けたような演奏もあるけれど、ワーグナーのように本人が全霊を傾ける作曲家の場合、とてつもない気合のこもった名演を成し遂げる。
暗譜で没頭したように指揮をしてしまう「トリスタン」が、その典型的な一例。
来日公演で聴かせてくれた「トリスタン」は、強靱なワーグナーだった。

そして、バレンボイムの個性が味わえるのが、若いころの一連のベルリオーズ演奏。
初めて得た、フルオーケストラのポストのパリ管弦楽団のレパートリーを次々に取り上げ録音していった。
それは、フランスものばかりで、それ以外は、フレンチ・ワーグナー。

70~80年代、こちらも音楽にどん欲で、フランスのオーケストラに対する憧れも加わって、出てくる録音はみんな集めていったものです。
フランスもの以外を、シカゴで録音する贅沢も、バレンボイムには許されていて、ブルックナーやシューマン、名曲集なども、みなさんご存知の通り。

小沢&ボストンのDGベルリオーズ全集がとん挫してしまい。そのあとを継いだのが、バレンボイム&パリ管。
オペラの一部を残して、CBSと合わせ、大半が録音された。
サイケデリックなジャケットも懐かしい。
ちなみに、バレンボイムのあと、DGのベルリオーズは、レヴァインとBPO。
こちらも未完成にて終わってます。。

バレンボイムのベルリオーズは、構えが大きく、細部にわたるまで手が込んでいる感じで、しなやかに流れのいい小沢や、巧みで音の幅が豊かなレヴァインとも、大きく異なるように感じる。
鼻につく手前の生々しさや、強烈なダイナミズムは抑え気味にして、細かな節回しやニュアンスの豊かさが先にたつ感じ。
部分部分は面白いが、全体の流れのよさは少し置き去りにされたみたいに感じる。
けれど、その後のおもしろいように鳴りまくるベルリンフィル盤や、未聴だけれど、すごそうなシカゴ盤などとも比べて、パリ管のベルりオーズという、ファンには羨望と喜び感のある名門を聴く喜びは、また格別なんです。
管楽器の名手たちによる鮮やかさと、輝かしい金管、そして高域の美しい弦楽。
おフランスを楽しむ喜びざぁ~ます。

もっとフレンチな演奏は、このあと取り上げますが、超人バレンボイムの、決して超人でなかった頃の、素直でかつ複雑な表情をしたベルリオーズは瑞々しい魅力があるものでした。(1978.4 @パリ)




「幻想交響曲」一覧

「ミュンシュ&パリ管」


「ミュンフン&バステューユ」

「クリュイタンス&フィルハーモニア」

「アルヴィド・ヤンソンス&レニングラードフィル」

「マリス・ヤンソンス&バイエルン放送響」

「プレヴィン&ロンドン響」

「サヴァリッシュ&スイス・ロマンド」

「小澤征爾&ボストン響」

「ミンコフスキ&ルーブル、マーラー・チェンバー」

「パスカル・ヴェロ&神奈川フィル演奏会」

「ハイティンク&ウィーンフィル」

「アバド&シカゴ響」

「メータ&フィレンツェ五月祭演奏会」

「マリス・ヤンソンス&バイエルン放送響演奏会」

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2011年6月 5日 (日)

グリーンウェーブ コンサート13th 

Greenwave2

親密でチャーミングなコンサートに行ってきました。

この、緑の光あふれるホールは、ゴルフ練習場のレストランホール。
保土ヶ谷区のハンズゴルフクラブでの、グリーンウェーブ・コンサートは、13回目を数えるチャリティーイベントだそうで、今回初めてお伺いしました。

勝手に神奈川フィルを応援する会の音楽視聴活動の一環にございます。

そう、神奈フィルのヴァイオリン奏者、森園ゆりさんの恒例コンサートでもあるのでした。

まず、イギリスのティータイム風に、サンドイッチやフルーツ、スィーツなどをいただけました。
ゴルフ場のレストランは、本格的でおいしい。


Greenwave13

   ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」

   クライスラー 「ボッケリーニの様式によるメヌエット」

   バッチーニ  「妖精の踊り」

   リスト      「小人の踊り」(ピアノソロ)

   エルガー   「愛のあいさつ」

   シンディング 「組曲」~「プレリュード」

   パラディエス 「シチリアーノ」

   フォーレ    「子守唄」

   ブニャーニ(クライスラー編) 「前奏曲とアレグロ」

   サラサーテ  「カルメン幻想曲」


       ヴァイオリン:森園 ゆり

       ピアノ     :佐藤 裕子

         (2011.6.4@ハンズゴルフクラブ)


「復活~つなぐ」が今回チャリティのテーマで、収益金は、例年のみどり財団ではなく、震災の被災地へ寄付されるとのこと。

そして、冒頭にプログラムには当初なかった、ラヴェルがしっとりと演奏されました。
オープンなホールなので、音響が不安でしたが、とても響きはよく、ヴァイオリンもピアノもしっかり芯があって聴こえ、まったく問題なしでした。
一見、名曲コンサートのようでいて、実は普段なかなか聴くことのできない、本格的なプログラムで、わたしも初めて聴く曲もいくつか。
進行役のもと、森園さんの曲紹介を交えて、コンサートは進められます。

普段、オーケストラの一員として、遠目に拝見している森園さん。
静かにおしとやかにヴァイオリンを弾いてらっしゃるイメージを持っていたけれど、このソロコンサートでは、技巧満載の難曲に堂々と対峙。
すごい集中力でもって、バリバリと弾かれておりました。
その鳴りっぷりのよさに、わたくしは驚き、そして、その音色に、慣れ親しんだ彼女の所属する神奈川フィルハーモニーの響きを感じたのです。
そう、「ひとり神奈フィル」ですよ。
潤いと艶やかさに満ちた美音の芳醇サウンドが、神奈フィルの、特に弦。
応援メンバーともども、聴いていて、とてもうれしくなりましたね。
ピアノの佐藤さんも、コンビネーションばっちりで、同質の音色です。

ホールの天窓からは、ゴルフ場周辺の豊かな緑が見えて、それが風にそよいでおります。
陽光と、緑と風。
それを感じながら、音楽を聴く歓び。
癒されます。

シューベルトの持つ単純だけど、ちょっと深い世界。
佐藤さんの詩的で鮮やかなリスト。
最愛のエルガーは、今日の雰囲気にぴったりのチャーミングなもの。
フォーレの優しさ。
初聴きのプニャーニ(クライスラー)の毅然としたたたずまい。
そして、盛り上がった名曲幻想曲、カルメン。
 アンコールには、この4月より、ヴュルツブルクに留学された森園さんのお嬢様の今回コンサート用の書き下ろし作品が素敵に演奏されました。

楽しかったです。
野口さん2枚で、こんな思いができまして感謝です。

終演後、ご挨拶を申し上げて、アフターコンサートへ。

保土ヶ谷ということで、駅に戻って周辺で、とも思いましたが、1年前に食べて、夢にまで出てきたあの焼肉屋さんを探すことに・・・・・。

Keijyouen_9

この時期に「ユッケ」ですよ。
新鮮だから全然OK。
甘くて、芳醇。
たまりませんねぇ~

Keijyouen_1 Keijyouen_9a

ユッケ、ダブルでheart04

Keijyouen_10

肉厚のぷりぷりちゃんは、レバ刺し、よ~んnote

Keijyouen_6

カルビ中lovely

Keijyouen

焼肉写真集heart02

「京城苑」 (同名の店が横浜市内にもいくつかありますが、こちらは情報少なめ、隠れ名店なり)

素敵なコンサートに、おいしい酒と食事、そして音楽の仲間。
皆さま、どうもありがとうございました。

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2011年6月 4日 (土)

ノイエ・ムジカ東京 第1回定期演奏会

Komorebi

西東京市のこもれびホールです。
久しぶりに保谷に行きましたね。
かつては、保谷市。
仕事でよく行った場所を通過して、なかなか雰囲気あるこちらのホールへ。

一昨日(5月31日)の神奈川区のコンサートと、ほぼ同じメンバーによる演奏会。
若い演奏家のアンサンブル団体、ノイエ・ムジカ東京の第1回定期。

勝手に神奈川フィルを応援する会・分科会でもありました。


Nuea_musica

 第1部 

    イベール 木管五重奏のための3つの小品
 
    ドビュッシー 「夢」

            「スティリア風タランテラ」

            「映像」第2集~「金色の魚」

    プーランク 六重奏曲

         ピアノ:津田理子 (イベール以外)

 第2部 

    ラヴェル   「亡き王女のためのパヴァーヌ」

    ドビュッシー 「ベルガマスク組曲」

    サティ     「風変わりな美女」

         編曲:徳備康純 (プーランク以外)

    徳備康純   ヴァイオリン、ピアノ、室内合奏のための協奏曲
             「風の変容」

         ヴァイオリン:福富博文

         ピアノ:津田 理子

       山本 裕康 指揮 ノイエ・ムジカ東京

              (2011.6.3 @こもれびホール)


第1部は室内楽を挟んで、津田さんのピアノによるドビュッシーが核。
これが、実は絶品にございました。
不可思議かつジャジーな雰囲気のイベールが出だしゆえ、のりきれないままに、ピアノが舞台中央に運び直され、津田さん登場。
そして、さりげなく弾き始めるや、その最初の一音から輝きと柔和さに満ちた音色で、ホールの雰囲気が一変してしまった。
これは、もう、格が違うとしかいいようがありませぬ。
しっとりとしたドビュッシー、鮮やかな新緑のドビュッシー、ミステリアスな輝きのドビュッシー、おおよそ、わたしたちが思うドビュッシーのイメージが過不足なく自然体で描かれておりました。
もっと聴きたかった・・・。

そして、一昨日の冒頭の曲、プーランク。
今回は、よかったのでは。
軽妙さと皮相なペシミズムとユーモア、このあたりを感じるには難しかったけれど、かなり音が見えてきた感じ。ここでも、津田さんのリードが光ります。
そう真面目ぶらずに、もっと楽しそうに、乗って欲しいとも感じましたがね、曲のよさが、前回よりもずっとよくわかりました。

さて、後半は、指揮者・山本裕康さんが出ずっぱり。
ご本人は、チェロを持たずに舞台に歩いて出てくるのが、非常に難しかったとおっしゃってますが、確かにそうなのかもしれません。
ピアニストも手ぶらで出てきますが、ピアノという楽器という目標があって、そこにたどり着けばいい。
歌手も、自分そのものが楽器。
しかし、指揮者は、手ぶらで、何十人もいる奏者たちに向かって出てきて、自分は音を出すことがなく、対峙しなくちゃなんない。
 音を出すことなく、舞台に出るのって、楽器奏者の皆さんからしたら、何か忘れ物をしてしまった空白感があるんでしょうね。
しかし、楽器奏者から、指揮者になった人たちは、やはりひとつの楽器や10本の指では創造できない世界を棒ひとつで繰ることができる喜びに魅せられ、やめられなくなってゆくんでしょうな。
 引退などとおっしゃらず、とりあえず、間をとって、弾き振りなどを、またお聴きかせ願いたいものであります!

そんな風に、次も期待したくなる山本さんの指揮。
今回は、徳備先生の編曲と、新作初演。
おもちゃ箱をひっくり返したような、なんでもありのサティが、聴いていて思わずニヤリとしてしまうようで面白かった。

そして、「風」のいろいろな姿を描いた新作は、聴いていて吹き抜ける風を感じることができる音楽。
それは鋭くもあり優しくもあり、和テイストのとても素敵な曲でありました。
津田さんのご主人で、絵もお書きになる指揮者のシュヴァイツェルさんの作品(プログラムの表紙)をご覧になって、あたためてきた作品とのことでございました。

2回のコンサート、身近に音楽を親しく感じることのできる、とても印象深いものとなりました。

時間も押して、池袋着は10時。
yurikamomeさんと二人、短期決戦で居酒屋に。

Nagaimo

長芋の漬け物に、よく冷えたビール。

夏風邪中で、薬飲んでるから、アルコールはだめと言われておりますが、そんなの関係ない(笑)。
いい音楽のあとは、いい酒に肴。

適度で切り上げたものの、電車ダイヤが大幅乱れ、事務所泊まりとなりました(笑)。

聴くところによれば、勝手に応援分科会その1の方は、波乱の晩だったご様子で・・・・。

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2011年6月 2日 (木)

第4回 津田理子音楽の集い in 横浜

Kanaku

開演30分前のホール。

こちらは、東神奈川駅直結の神奈川区の文化施設、かなっくホールです。
なかなかの音響と親密な雰囲気が味わえるホールでした。

第4回 津田理子 音楽の集いに行ってまいりました。

Michiko_tsuda

   第1部 アンサンブル

    プーランク 六重奏曲
 
    ドビュッシー ベルガマスク組曲~「月の光」

            前奏曲集~「亜麻色の髪の乙女」

    R=コルサコフ 「くまん蜂は飛ぶ」

    ラヴェル    「ハバネラのように」

    シャブリエ   「楽しい行進曲」

     編曲 徳備康純 (プーランク以外)

   第2部 ピアノ独奏

    シューマン 「子供の情景」

    リスト  パガニーニの主題による超越技巧練習曲
           「トレモロ」「オクターブ」「ラ・カンパネラ」

     ピアノ:津田 理子

     山本 裕康 指揮 ノイエ・ムジカ東京

              (2011.5.31@かなっくホール)


チューリヒ在のピアニスト、津田理子さんは、当地のトーンハレにおいて、ピアノリサイタルと室内楽のコラボコンサートを毎年行っているそうでして、その日本版ともいえるコンサートが、今回4回目を数えるこちらでした。

いつも、お世話になっております作曲家の徳備先生(ブログでは鎌倉スイス日記主幹の先生としてご存知の通りです)が顧問をつとめられる、ノイエ・ムジカ東京の主催。
そして、なによりも、われらが神奈川フィルハーモニーの首席チェロ奏者の山本裕康さんが指揮デビューという大注目のコンサート。

こうした顔ぶれによる素敵なコンサートが実現したのは、関係者のご尽力によるものです。ありがとうございました。

神奈川フィル勝手に応援メンバーとともに挑んだコンサート。
1曲目のプーランクは、ピアノと管楽アンサンブルによる六重奏曲。
津田さんが暖かくリードしつつ、若い奏者の皆さんの演奏は、音がほぐれる前に、終わってしまった感じもあって、ちょっと気の毒だったかな。

そして、いよいよ指揮者山本さんの登場。
10名の弦、木管・金管による編成。
チェロを持たない山本さんの登場を見るのは、もちろん初めて。
そして、舞台でその後ろ姿だけを見ることになるもの初めて。
初づくしだけれど、指揮棒を持たない山本さんの動きは、明快で、とてもしなやか。
その背中をみているだけで、いつもの誠実で気取らない優しいチェロ演奏を思い起こしてしまう。
あたりまえだけど、人間、前も後ろも同じ(笑)。
そして、きっと若いアンサンブルメンバーたちも、正面から氏の優しい眼差しと的確な指揮を受けて、とてもリラックスして気持ちよく演奏していたのではないでしょうか。
先のプーランクのときと大違い。
指揮が入ることで、一本芯がとおり、音楽の筋道が見えた感じ。
徳備先生の、洒落ていて、ここでこう来て欲しいというところで見事に決まるツボを心得た編曲による小品集が、それぞれ鮮やかに描きだされていたように思います。
 ピチカートの使い方が絶妙の「月の光」と、小粋なシャブリエが、ことに楽しめました。

山本さん、あと1回ありますが、それで指揮活動引退なんてせず、指揮を継続していって欲しいものです。
いろんな指揮者の背中を見てきましたが、本格的な指揮者の背中をしてましたよ!

後半は、雰囲気がうって変って、津田さんのピアノソロ。
シューマンとリストというともにロマン派最盛期の音楽ながら、その趣きは全然違う。
シューマンは、シューベルトからブラームスという流れにあるのを感じ、リストはベルリーズやワーグナー。
こうして、津田さんの一音一音をないがしろにしない着実なピアノで聴くシューマンは、その最初の音から、すぐさまドイツの森へ誘ってくれるような深みのあるものでした。
いやぁ、シューマンってやっぱりいいなぁ・・・・とため息をつく。
 そして、文字通りの超絶技巧のリスト。
技巧一点張りのピアニストには絶対出来ない味わいの付加。
自然体で、こんな難曲を無理なく聴かせてくれるピアニストってめったにいらっしゃらないのでは!
いやぁ、リストって、すごいわ、ワーグナーの義父だけのことはあるなぁ(?)・・・・とため息をつく。

 そして、アンコールのプーランクの洒落た小品に、ヒナスエラ(アルベニス? どっちだ?)の南欧ムードの曲にと、楽しませていただきました。

若い奏者たちの可能性に満ちた演奏とそれを受け止め束ねた誠実な指揮、そして、深みある人生が織り込まれたような格段のピアノ。
両方が一晩で味わえました。

徳備先生の新曲を交えた、同じ出演者の皆さんによるコンサートがもうひとつ。

   ノイエ・ムジカ東京第1回定期演奏会
       ~津田理子さんをお迎えして~
          指揮:山本裕康
  
   6月3日(金) 19:00 保谷こもれびホール

   詳細はこちら



Negishiya

このかなっくホールの下に、居酒屋の名店「根岸家」あり。
再開発で、この複合文化施設の1階に入ったとのことにございます。
yurikamomeさんのご案内で、待望の訪問。
飲んベの心くすぐる、気の置けない居酒屋で、音楽の余韻を皆さんで楽しみました。
どうもお世話になりました。

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2011年6月 1日 (水)

夏風邪の中で??

本日、体調悪し。

そして寒~い。

山本裕康指揮デビューレポート、「第4回 津田理子音楽の集い in 横浜」の記事は半分しか書けず、明日に持ち越します。

おバカかな、政局のニュースを横目に、もう寝ちゃいます@21:00。

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