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2011年6月28日 (火)

フランツ・シュミット 交響曲第4番 ルイージ指揮

Sengakuji_1

天候は不順ですが、夏本番は、日に日に強くなってます。

さて、こちらの後ろ姿。
おわかりの方は、相当な通ですな。
少し隠れた家紋もヒントになります。
ここの寺に主と仲間とともに眠る方です。

どこまでも延命の使命をあげつらって継続してしまうアホな政権に、今日、期せずして最寄駅を降りたら、細心の案内体制とガードに驚いた東電株主総会。
株主の方には申しわけありませんが、どちらもこちらも絵空事のようです、わたくしのような貧乏庶民には・・・・。

先週来、交通期間は毎朝乱れております。
3か月以上経って、弱者はもう限界。
被災地ばかりでなくって、国内全域・・・・。
日本中、生き残れる安全区域の人々の情報しか出てこない。
テレビやマスコミもその方棒にすぎない。
どれだけの人々が国内で、苦しんでいるでしょうか。
ばかやろうの政治家どもに、心から立腹してます。
あいつらも、一文無しから体験してみればいいんだ。
 
生きることが精いっぱいの人々がたくさんいるのに、あいつらは、自己の延命と名誉しか考えてういない。
すべてを失う恐怖を味わわせてやりたい。

Sengakuji_2

はい、正面。

そうです、大石内蔵助さんでございました。
泉岳寺の入り口に立つ高潔なる像。
手にするは、浪士たちの連判状で、遠くを見やるその視線は江戸城を向いてます。

こんな高潔で、目線高い人物こそ、いまの日本に必要な人。


五反田でちょっと打ち合わせがあり、面白くないことになったので、芝方面にある事務所までムシャクヤして歩いてしまった。
途中、泉岳寺に寄って、大石さんを見上げ、四十七士にご挨拶し、ちょうど練習中のN響練習場の横を通って帰りました。
少し、元気が出ましたよ。
ありがとう300年前の浪士のみなさん。
 それにしても、○響のみなさん、いい車乗ってるねぇ。

Franz_schmidt_sym4_luisi

フランツ・シュミット(1874~1939)の交響曲第4番

ブラティスラヴァ出身で、ウィーンにて活躍したシュミットは、シェーンベルクと同年の生れ。
シェーンベルクが、無調から自身があみだした十二音へと躊躇なく進んでいったのに対し、F・シュミットは、番号交響曲を4曲、室内楽・器楽ソロ、オペラ、声楽にと、レパートリー的に、その軸足は過去に踏みがちな存在。

一番有名なのが、この交響曲第4番と、オペラ「ノートルダム」、そしてオラトリオ「7つの封印」。
おぺラを除けば、それらび録音は多くて、愛好家も多いんです。

マーラーのずっとあとの、この交響曲。
自然や人間、その心理などとは無縁に思われるような難しげな晦渋さと、伝統にのっとった明快な構成感。
なんだか中途半端なイメージしか与えかねない音楽だけど、その、しんねりむっつりとした音楽が、実の本質は、情熱的で夢想的なところがわかると、超はまってしまう。

まずは、ブラームスの1番の延長で聴きましょう。
次は、マーラーのなんでもござれ的な聴き方で聴きましょう。
そして、前期シェーンベルク的な豊穣なロマンティシズム的な耳で聴きましょう。
随所に甘やかな歌回しを聴きとれるはず。

明快な4つの楽章からなる伝統的な交響曲。
ひとつの主題がトラウマのように全体を支配する。
旋律をたどることも容易だし、それが変転するさまを、追いかけるのも魅力。
2楽章の涙に濡れたような葬送風のアダージョ楽章が素晴らしい。
 冒頭のトラウマモティーフから始まる終楽章。
ここで、マーラーのような大爆発があれば、暗から明が、もっと際立ち、この曲はもっと演奏されていたかもしれない。
このように、演奏効果にやや乏しい第4をはじめとする交響曲。
渋好みですが、マーラー、シュトラウス、プッチーニ、レオンカヴァッロ、シェーンベルク、シュレーカー、などなどがお好きな方、そしてその系譜が想像できる皆さん、シュミットの交響曲を聴いてみてください。

わたしは、CD初期80年頃に、メータとウィーンフィルによるCD(録音はレコード時代)で目覚め、スウィトナーがN響で取り上げた演奏を録音して聴き、あとはヤルヴィとベルリンフィルのFM放送も聴き、などをしております。
 しかし、今回の、ルイージと、中部ドイツ放送響の隅々まで日の当ったかのような明るくも、リリカルな演奏を聴いちゃうと、また別次元のシュミットを思うことができる。
 ヴェルディのような地中海サウンドを、思ってしまったワタクシ、間違っておりますでしょうか。

ファビオ・ルイージのコスモポリタンなフランツ・シュミットでした。

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コメント

泉岳寺は、病弱だった父が生前「死ぬまでにどうしても行っておきたい所」と言っていた所で、東京見物で真っ先に訪れたようです。私も、いつか行くつもり。
いや、ホンマにバカ政治家のいろいろには頭に来ていますよ。それに輪をかけて毎日暑いし・・・。

ルイージは、ほとんど無名の頃に名古屋フィルでヴェル・レクを聴きましたが、颯爽としてて、なんとなく「カンテッリを聴いた」って感じでした。今や立派なマエストロですね。

フランツ・シュミットは、私もメータのCDと、メストか誰かのFM放送で遅まきながら出会いました。私にはまだまだ開墾最中のレパートリーです。

投稿: 親父りゅう | 2011年6月28日 (火) 23時36分

親父りゅうさん、まいど、こんばんは!

お父様の行きたかった泉岳寺なのですね。
訪れたのは昼時。

周辺のサラリーマンやOLたちが、あちこちで、お弁当を広げてました。
そうでないワタシは、異質に見えるくらいに、日本人観光客のいない平日の昼です。
写真を撮ろうとすると、OLが、あっちへむけると、サラリーマンが・・・・。
こんな環境なのです。

ちょっと前は中国人が多かったですが、今回は、中東系の方々が熱心に写真を撮ってました。

若い頃のルージをお聞きになったよし。
カンテッリ!
なるほどにございます。
キッパリとしつつ、歌も豊かな名匠になってきましたね。
何度も聴いて、少し音楽が見えてきた気のするシュミットでしたあ。

投稿: yokochan | 2011年6月29日 (水) 00時06分

フランツシュミット聴き始めたの、実は今月から。シェーンベルク室内交響曲第1番からソナタ形式の展開部セクションを抜き、ブルックナーみたいなオルガン音響、ヒンデミット・シェーンベルクにも近い楽器の扱い、シューベルトっぽいメロディ、マーラー交響曲第10番のような慟哭が組み合わさった、不思議な曲。ヴィーンでは市民からもヴィーンフィルからもシェーンベルクも器楽曲と受難曲を書いたら実力に満ち溢れた作曲家で、市民もこの曲のメロディを口ずさみ、今でも市民から愛されて。ピンとこなくて3番から好きになり4番に聞き入ってます。葬式で掛けて欲しいです。メータWPhとネーメヤルヴイデトロイトの演奏が好きです。ヴィーンっ子のアルミンクが故郷のオケと演奏した音源をいつか聴きたいですね( ´-` ).。oO

投稿: Kasshini | 2020年12月20日 (日) 03時07分

ご指摘のメータ盤、レコード時代より、この作曲家は誰なんだろうと思ってみてました。
CD化されてすぐに、ピンクと紫に黒の手袋のジャケットのものを買いました。
 あとは、スウィトナーとN響のエアチェック音源でも親しみました。
遠くで鳴っているような不思議と魅力ある音楽であります。
いまは、オペラ「ノートルダム」と「7つの封印の書」も聴いてますので、いずれはブログに残したいと思います。
ヤルヴィ、アルミンクも聴いてみたいですね!

投稿: yokochan | 2020年12月22日 (火) 08時33分

アルミンクが故郷のオケかコンセルトヘボウかフィラ管の美美音オケで、は個人的な願望ですね。クレメンス・クラウス、クリップス、アーノンクールと言ったヴィーンっ子が誰も残してなくて。交響曲第2番もヤフオク、アマゾンでも手に入らないヴィーンっ子のラインスドルフが1番見事でしたし。今年のクリスマスはフランツシュミットの7つの封印の書、ベートーヴェンのミサソレ、メシアンのキリスト教音楽を聴いて過ごします。

投稿: Kasshini | 2020年12月24日 (木) 15時32分

コンセルトヘボウ、フィラデルフィアは、きっとよいですね!
こんご、もしかしたらペトレンコがベルリンでやるかもしれませんね。
クリスマスは、存外に忙しくて、思っていた大曲は聴くことができませんでした。
まったく季節感を感じない今年の年末であります。

投稿: yokochan | 2020年12月29日 (火) 08時09分

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