ハイドン 交響曲第96番「奇跡」 アバド指揮
いまのこの時期、富士山は大気が霞んでなかなか、そのお姿を見ることができませぬ。
肉眼では、ぼやけながらも確認できましたが、画像にするとまったく見えない。
補正して、ようやく捉えることができました。
まだまだ雪がその頂には確認できますな(5月の模様です)。
不気味な沈黙の美。
富士山は美しい活火山でございます。
お願いだから、ずっと寝ていてくださいね。
ハイドンの交響曲第96番「奇跡」を、クラウディオ・アバド指揮するヨーロッパ室内管弦楽団にて。
ハイドンのザロモン(ロンドン)セットのひとつで、タイトル付きながらも、いまひとつ地味で、あんまり演奏されない交響曲だと思う。
でも、このセットなりの大きな編成の規模を持つスケール感とともに、各奏者のソロも活躍して、室内的な様相と、伸びやかな愉悦感もあって、とても魅力的な交響曲なんです。
この「奇跡」というタイトルにはまったく相応しくない、古典的な佇まいをもった均整のとれた交響曲なのであります。
そして、その「奇跡」の名前の由来とは、この曲の演奏の際に、指揮するハイドンを間近に見ようとする聴衆がステージ至近に詰めかけ、ホール後方がガラ空きになったそこに、天井のシャンデリアが落っこちてきたものの、おかげで誰一人怪我人がでませんでした、ということからきているそうな。
それもいまの研究では、違うシテュエーションだったとも・・・・・。
そして、思わず、オッとしてしまったのが、この曲の初演が、1791年3月11日だということ。
いまある、わたしたちにとって、忘れることのできないあの日から、220年前。
なんということでしょうか、奇跡交響曲!!
しかし、これまた、なんということでしょうか!!
最近の研究では、これもまた違う作品の初演日だったのでは、とされております。
まったくもって、なんだかなぁ~、のハイドンの奇跡交響曲です。
「幻想」を「ロマンティック」に抱いて、「奇跡」なんぞを信じちゃならんよ、ということでありましょうか。。。。
でも、この曲のまとまりのよさと、小粋な洒落っ気は、とても魅力的でして、おまけに、指揮するアバドの、そのロッシーニに対するかのような清新かつ小又の切れあがったかのような敏捷さと、抜群のリズム感が、生き生きと手に取るように味わえるのです。
アバドのハイドンは、しばらくご無沙汰だけれど、どんな奏法をともなっても、きっとアバドらしい、キリリと爽快なハイドンが味わえるはず。
また取り上げて欲しいものです。
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コメント
ハイドンの交響曲はいいですよね
最近ではモーツァルトのそれより好んで聴いております。
「奇跡」はエレガンスの極みというべき第2楽章が好きです
その第2楽章に関してはワルター/ウィーン・フィルが最高でしょうか。
ステレオで全曲を聴く時はセルかテイトを取り出して聴いています
投稿: パスピエ | 2011年6月11日 (土) 09時33分
パスピエさん、こんにちは。
わたしは、たまにしか、の、ハイドンですが、こうして聴いて見ると、ほんとにいいものです。
清々しい気分になりました。
ワルターもセルもテイトもともに、未聴のていたらくですが、この曲には本文には書きませんでしたが、いろいろ思い出があり、少し聴き広めてみたいと思っております。
投稿: yokochan | 2011年6月11日 (土) 23時18分