ワーグナー 「パルシファル」 ヨッフム指揮
いまどきの野辺の花がこんな感じで集まってましたよ。
どうですか、この自然の織りなす色彩。
グリーンに黄色に青に淡い紫。
喩えは、「野のユリ」ですが、イエスは、栄華を誇ったソロモン王でさえ、その花ほどに、着飾ってはいなかった、そして、その花は働きもせず、何もしないと、諭しました。
人間の築き上げたものは、所詮栄枯盛衰、限りあるもの・・・ということにございましょう。
ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルシファル」
第3幕は、聖金曜日の設定で、悪漢から聖槍を奪還し、艱難のあげく、それをもとあるべきところへ運んできたパルシファル。
そのパルシファルを称え、聖金曜日の奇跡と歌う隠者グルネマンツは、自己を苛むパルシファルに対し、野辺の花々の微笑みを歌う。
そのパルシファルの聖者としての初の仕事は、クンドリーへの洗礼。
聖水の洗礼を受け、はらはらと涙するクンドリー。
かつて、魔性の域に住みながら、奉仕することで救いを得ようとしていたクンドリーは、ヴェーヌスであり、ヘロディアスであり、マグダラのマリアである。
クンドリーも、アンフォルタスと同じくして、永遠に救われない苦悩にあえぐ。
かつてのキリストに対する罪。前者は、キリストを嘲笑、後者はクリングゾルの毒牙にかかり溺れてしまった罪。
二人を救うのは、「同情によって智を得た、鈍き愚者」。
それがパルシファル。
その元愚者によって救われるアンフォルタスは生き、クンドリーは最後はこと切れてしまうが、クンドリーは死による自身の救済を得たわけで、最近の演出では、死なずに、みんな最後に未来を称えたりするものもある。
わたし的には、死んで欲しいし、アンフォルタスも逝っちゃって欲しい。
いずれにしても、「パルシファル」の登場人物の中で、一番興味深いのがクンドリーなのであって、その二面性ゆえに、カラヤンなどは、ふたりの歌手で演じ分けをさせたこともあったくらい。
でも、これは無理があって、1幕と3幕は歌う個所があまりに少なく、出ずっぱりの2幕とのバランスが悪すぎるから歌手の力量の差が出過ぎてしまう危険もあって、もうそんな冒険はしないのが普通となった。
「タンホイザー」では、逆にヴェーヌスとエリーザベトを同一歌手で演じることもあって、歌手の負担は大きいが、パルシファルの場合よりも意義は大きくそちらは大賛成。
戦後新バイロイトの代名詞ともいえるヴィーラント・ワーグナーのパルシファルは、1951年から1973年まで続いたロングラン演出だが、クンドリー役を見てみるとその変遷がおもしろい。
クンドリー役の変遷。
マルタ・メードル→アストリッド・ヴァルナイ→レジーヌ・クレスパン→イレーネ・ダリス→
パーボ・エリクソン→ヴァルナイ→クリスタ・ルートヴィヒ→アミー・シュワルト→グィネス・ジョーンズ→ルドミュラ・ドヴォルジャコヴァ→ジャニス・マーティン
クレスパンまでは、往年の名歌手で、その後は無名で、名を残さなかった人もいて、ルートヴィヒが1年だけ(このあたりはザルツブルクのカラヤンとの絡みもありそう)で、60年代後半からの小粒化は否めないところ。
肝心のクナの正規盤が、クレスパンではなくダレスなところが残念だが、ブーレーズ盤にわたしの好きなジョーンズの名唱が残されたのは嬉しい。
このあとのクンドリーの定番は、80年代のマイヤーまで待たなくてはならない。
そして、指揮の変遷。
なんといっても、ハンス・クナッパーツブッシュの専売特許。
クレメンス・クラウスが1年振った時があるが、亡くなるまでヴィーラントのパルシファルとともにあった。
その後は、クリュイタンスとブーレーズという正反対のラテン系指揮者にゆだねられるが、最後はシュタインを経て、オイゲン・ヨッフムが受け持つことになり、このヨッフム指揮をもってヴィーラントの演出はバイロイトにおいて姿を消すこととなった。
73年の最後のパルシファルをわたしは3幕の一部のみFM録音していて、それが実はパルシファルの刷り込み演奏なのです。
そして、71年版ですが、手に入れたのがGM(ゴールデン・メロドラム)盤。
ずっと聴きたかったパルシファルのひとつ。
しかし、録音はモノラルで、フラッターノイズもあり70年代とはとうてい思えないラジカセ的サウンドでかなり残念。
それでも音自体は鮮明で、待望の「ヨッフムのパルシファル」をしっかり確認できる。
ヨッフム71 Ⅰ(103分) Ⅱ(63分 )Ⅲ(72分)
クナッパーツブッシュ61 Ⅰ(116分) Ⅱ(68分) Ⅲ(73分)
ブーレーズ70 Ⅰ(94分) Ⅱ(59分) Ⅲ(65分)
ご覧の通りのタイミング。
ゆったりと悠久の時間が流れるクナッパーツブッシュと、その反動ともいえるキッパリとしたブーレーズ。
その中間に位置する演奏時間からみるように、ヨッフムの穏健で堅実な音楽造りが、そのままパルシファル演奏にも反映されている。
遅からず、速からず感じたホルスト・シュタインの堅牢な演奏にタイム的には近い。
いにしえのワーグナー演奏の曖昧模糊な世界からすると、その音色は明るめでくっきりしてる。
南ドイツ出身のヨッフムのブルックナーやバッハのような暖かく、こだわりの少ないおおらかさ、そんなイメージのパルシファルでありました。
DGのマイスタージンガーもまさにそう。
良きドイツの香りや響きだけれど、それは古臭くもなく、無国籍でもない「ドイツ」。
わたしにとって、あのおいしいビールがあって、教会が真ん中にあって、郊外は森に囲まれた街がある、そんな「ドイツ」のイメージがそう。
オペラティックな雰囲気のよさもさすがのもの。
第3幕の聖金曜日の場面の音楽の高まりは、最高の感銘をもたすもので、ここばかりをかつてのエアチェックテープで聴いてきたものだから、今回、その刷り込みヨッフム盤ということで、涙ぐむほどの感動を味わった。
そして、最後のパルシファルの「役立つのはただひとつの武器」で、その最後の言葉、「öffnet den Schrein!」のSchreinを長くのばしてきれいに響くように歌わせるのは、ヨッフムの指示かも。
73年のキングの歌い方もそうだった。
これもまた、続く聖なる合唱とともに、感動的な場面であった。
アンフォルタス:トマス・ステュワート
ティトゥレル:カール・リッダーブッシュ
グルネマンツ:フランツ・クラス
パルシファル:シャーンドル・コンヤ
クリングゾル:ゲルト・ニーンシュテット
クンドリー:ジャニス・マーティン
聖杯守護の騎士:ヘリベルト・シュタインバッハ、ヘインツ・フェルドホフ
小姓:エリザベス・シュヴァルツェンベルク、ジークリンデ・ワーグナー
ハルトマン-グニフェク ハインツ・ツェドニク
花の乙女:ハンネローレ・ボーデ、エリザベス・フォルクマン
インゲル・パウスティアン、ドロテア・ジーベルト
ウェンディ・ファイン、ジークリンデ・ワーグナー
アルト独唱:マルガ・ヘーフゲン
オイゲン・ヨッフム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
演出:ヴィーラント・ワーグナー
演出補:ハンス・ペーター・レーマン
(1971.7.24@バイロイト)
70年代を代表する歌手たち。
多国籍な顔ぶれもバイロイトならではで、いずれの歌手たちも、ワーグナー歌手として、数々の録音に登場してます。
小粒感は否めないが、美声と豊かな表現力は、50~60年代の個性豊かな歌手たちとは異なるもの。
ステュワート、リッダーブッシュ、クラス、ニーンシュテットの低音4人が、そうして素晴らしい。
クラスのみが、存命だけど、早くに引退してしまったこのなめらかで若々しい歌声のバスは、私はかなり好き。
コンヤのパルシファルは、硬質で生真面目な印象が同情により目覚めた後半以降がよろしい。アンフォーールターースの一声は目覚めの一発、強力です。
おバカさんを演じるには、今夜(コンヤ)は難しい。
J・マーティンは、声域が広く、マイヤーと同じく、ジークリンデやイゾルデも歌えるソプラノ・メゾで、なかなか若々しく女性的ながら、やや大味で、高音が少し耳につく。
ちゃんとした録音では、このあたりは解消されそうで残念でありますが。
端役に、大ベテランや後に活躍する歌手の名を見出すのもバイロイトならでは。
66年に亡くなってしまったヴィーラントの意匠を引き継いだのは、ペーター・レーマンとハンス・ホッター。
かつての抽象的演出がむしろ想像力豊かで、音楽に没頭できて、懐かしい。
ヴィーラント演出の映像は、そのさわりくらいしか見ることができないけれど、73年のパルシファル最終公演のオルフェオによる音源化を切に望みます。
アダム、キング、マッキンタイアらが出てました。
今月は、いよいよ、バイロイト音楽祭の開幕。
文字通り、汗だくでネット中継を待ち受けましょう。
リングのない今年、オランダ人以外の作品が上演される。
そして、今年の新演出は、セヴァスティアン・バウンガルテンSebastian Baumgartenという若い人で、ベルクハウスやウィルソンのアシスタントを務めて学び、近時ドイツ系の劇場で徐々に名を上げてきている人。
こんな人→
今回も過激(奇抜?おもしろ?)になるのでしょうか?
そして、指揮は古楽もなすヘンゲルブロックなところが最大の楽しみ!
歌手も初登場の旬の人ばかり。
ウォルフガンク亡きバイロイトは、新鮮な実験劇場的な様相を取り戻しつつあるのだろうか?
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コメント
管理人さんこんにちは。
パルジファル前奏曲の導入部は静かに厳かに立ち上がりますがトランペット奏者にとっては一夜の正否を決定する鬼門ですがライブでは上手くいかないのが普通です。
ワ―グナ―はトランペットが上昇する緊張感や空気の密度を考えたんでしょう…
ヨッフム老はマイスタージンガ―、カルミナブラ―ナなど後期への基準となる名演をされました。
コンセルトへボ―との来日時のブルッナ―7の2楽章の木製のフル―トソロのあたりの素晴らしいはありありと思い出されます。
投稿: マイスターフォーク | 2011年7月 5日 (火) 08時14分
ヨッフムのパルチファル!これまた、ワグナーを極めたさまよえる様ならではの選択ですね。不勉強な私はこちらの演奏を最後まで聴いたことがありません^^;
いつもデラックスなカラヤンとか濃厚なクナの演奏ばかり聴いてしまいます。反省してます。
ヨッフムのワグナーは専らマイスタージンガーばかりでして。。。このすっきりした演奏は好きです。
さまよえる様のご紹介を見てさっそく反省も生かしながら聴いてみました。だいぶ前に購入したCDですが、1回も通して聴いていなかった。今夜実行します。後ほど感想をいいます^^
投稿: モナコ命 | 2011年7月 5日 (火) 17時01分
マイスターフォークさん、こんにちは。
パルシファルのトランペットは、最初から最後まで、天上の響きのように鳴らなくてはならず、確かに、難しいですね。
バイロイトの劇場で聴くと、きっと柔らかく美しく響くのでしょうね。
ヨッフムは、オペラの実力をこのあたりを通じて、もっと見直されて、音源がたくさん出てきて欲しい指揮者のひとりです。
コンセルトへボウとの来日公演を聴かれたのですね。
語り草になってますね。
話をお聞きするだけで、感動してしまいそうです!
投稿: yokochan | 2011年7月 5日 (火) 17時05分
モナコ命さま、こんにちは。
パルシファルは、トリスタンもいいですが、こうして聴くと、ワーグナーの行き着いた局地のひとつでもあります。
いろんな演奏で楽しめます。
ヨッフム翁は、この楽劇にはぴったりの指揮に思いました。
録音の悪さのみが光る(?)音源でした。
是非、印象をまたお聞かせください。
投稿: yokochan | 2011年7月 5日 (火) 17時22分