アダムス ハルモニウム デ・ワールト指揮
まだ桜咲くころ、御茶ノ水の聖橋からの1枚です。
地下鉄丸ノ内線に乗ってると、地上の光で眩しくなる場所がいくつかあります。
そんな瞬間のひとつが、ここ御茶ノ水駅。
その上は、中央線の快速と、総武線の各駅のJR御茶ノ水駅。
この3本がうまく捉えることができましたよ。
このあたりは、東京でも山と呼べる場所かもしれません。
御茶ノ水には、懐かしい思い出もたくさんあります。
同じ思いの方々もたくさんいらっしゃることと存じます。
ジョン・アダムス(1947~)の「HARMONIUM~ハルモニウム」。
さむよえるクラヲタ人が、アダムスを取り上げるのは、ヴァイオリン協奏曲に続いて2回目。
繰り返しのシンプルな表現が生み出す、五感を呼び覚ますような不思議な快感。
ミニマルミュージックは、ネットラジオなどを聴いてると、英米の放送局で繁茂に流されております。
フィリップ・グラスは、もっと内向的で室内的だけれど、アダムスは音がより外へ向かっているし、フルオーケストラによる快感と、オペラをもものする豊かな劇性ゆえに、その音楽のドラマティックな展開に興奮を覚える、そんな作曲家であります。
2部からなる、大オーケストラと合唱のための作品。
合唱作品といってもいいかもしれない。
和音や調和といった意のタイトル。
Negative Love or The Nothingと副題がついてる。
直訳すれば、「無為の否定的な愛または無」ということでしょうか。
1980年の作品で、このCDと同じくエド・デ・ワールト指揮のサンフランシスコ交響楽団によって初演されている(当録音は84年)。
ふたつの部からなり、2部は、さらにふたつに分けられる。
Ⅰ)は、「Negative Love」。
17世紀英国の詩人ジョン・ダン(John Donne)の詩によるもの。
アダムスは、愛の瞑想を表現したものと言っております。
神秘的な出だしのあと、mumumu・・・・と合唱のハミングが徐々にクレッシェンドしていって何度も繰り返され、はやくもアダムス・ワールドが全開。
しかし、これはハミングじゃなくって、NO!それが変化してNE、NE・・・、となりNeverとなってゆく。
Ⅱ)の最初は、「Because I could not stop for Dearh」~私が死のために立ち止まることは行かなかったので~
2部と3部のいずれも、米19世紀の奔放な女性詩人エミリー・デッキンソンの詩。
時間が拘束されたかのようなイメージの連続を表現しているのだそうな。
Ⅲ)そして、大きくはふたつめが、第3たる「Wild Night」~嵐の夜
そのタイトルの絶叫がすさまじい。
ⅠとⅢのイメージを融合。作曲者自身述べるように暴力的でセクシャルなものとも・・・。
Ⅰは男の愛、Ⅱは死、Ⅲは女の愛。
う~む、凡人のわたくしには、これらの詩のイメージと、ここでなってる繰り返しの音楽の意味するところがわからない。
だから、アダムスのカッチョよくも、少しセクシーで、かつ抒情的なこの音楽を、耳で聴く快楽として捉えて楽しむようにしている。
ところで、わたくしは、この曲の日本初演を聴いております。
岩城宏之と新日本フィルの演奏会でして、初なのにやたらと楽しくて、興奮して、mumumuが耳について、前半のブラームスの4番が霞んでしまったのを覚えております。
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