バッハ ゴールドベルク変奏曲 P・ゼルキン
涼しげな水槽をパシャリ。
ほんと、暑いですな。
歳とると、温度調節のためか、やたらと汗をかきます。
寝てる間も、スゴイ汗。
もうやだ、オジサンなんだからもう。
水枕で寝てるような錯覚に陥るくらいにジャブジャブ(笑)
それでも夢見ながら寝てるから呑気なもんです。
夏の夜の夢は、自分でも不思議なものばかりで、ミステリアスです。
眠れぬ夜の、なぐめの音楽、バッハの「ゴールドベルク変奏曲」。
わたしなんぞは、これを肴に、どんどんグラスのピッチが進んでしまうので、ますます眠りから遠ざかってしまう魔の音楽。
でも、飲みもひと段落して、寝巻に着がえて、歯も磨いて、顔も洗って、準備万端眠りに入りますという時に、タイマーをかけて流し聴きするとき、脳波は安定し、ゆったりと安眠ムードに陥るのであります。
そんな意味でも、慰めの音楽。
そして、タイマーなどをかけずとも、主題のアリアだけを聴くだけで、眠りへの臨戦態勢は整い、安らかなる安眠へと誘ってくれるのでありました。
繰り返しを伴うと60分間。
バッハの考え抜かれ、練りに練られた巧みな構成は、聴いているとわからないくらいに流れのいいものであるが、音楽書や解説などでひも解くと、その緻密な出来栄えに驚きを隠せない。
最初と最後に置かれたアリア(主題)。
それに基づく30の変奏曲。
その変奏曲も、中間部のフランス風序曲の華やかな存在をピークに、2部から構成され、前半、後半も数字の倍数でカノンや舞曲などの形態をとるなど、緻密に造られているから驚き。
チェンバロでも、ピアノでもどちらも全然素晴らしい。
ピアノ音楽としても厳然として存在しているところがバッハの音楽の偉大なところ。
チェンバロなら、ヴァルヒャとリヒターとレオンハルト。
ピアノなら、新旧グールドとペライア、そして、本日久しぶりに聴いたピーター・ゼルキン盤がお気に入り。
P・ゼルキンの3度のゴールドベルクは94年の録音で、それ以前のふたつは、わたしは未聴です。
先鋭で神経質なイメージの強かった息子ゼルキンは、偉大な親父の背中の反動としてあった時期も若いころがあった。
しかし、内面重視、複雑な様相を呈するピアニストとして、より深みに達する表現に到達しつつあったのがこの94ゴールドベルクで確認できる。
音の明確な際立て方は、鮮やかなタッチと怜悧なまでのピアニズムでもって、ますます引き立ってきているようだ。
でも随処に感じられるゆとりと、一音一音への思い入れが感じられ、全体のイメージとしては、先鋭から内面重視+普通さ、へとシフトチェンジしたみたいだ。
グールドは、その息遣いに、聴く側も引き入れてしまい有無を言わせずの部分があるが、ピーターのピアノは、聴いて、一緒に息づくことができる、そんな呼吸のよいゴールドベルクなのでした。
ピーター・ゼルキン、今年64歳になります。
新譜は少ないけれど、まだまだ今後注目のピアニストです。
この8月の真夏に来日も予定されてます。
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コメント
こんにちは。
バッハのゴールドベルク変奏曲は、好きな曲でよく聴きますが もグールドの演奏しか持っていないためそればかり聞いていました。
P・ゼルキンの演奏のお話、大変興味深くよませていただきました。やはり、いろいろな演奏を聴いてみるべきだと思いました。
ところで、ブログにエルミタージュ美術館の第2報として、レンブラントから、印象派、ゴーギャン、マチスまで膨大なコレクションについて、美術館内の写真とともに載せましたので是非見てください。
ブログになんでも結構ですので、コメントをいただけるとうれしいで
投稿: dezire | 2011年8月15日 (月) 10時56分
dezire さま、こんにちは。
ゴールドベルクといえば、やはりグールドです。
グールド以外のピアノ演奏。そしてチェンバロ演奏も是非お聴きいただくとバッハの面白さ、グールドのすごさもわかると思います。
エルミタージュ美術館は本当に、宝の山、豪華絢爛ですね。
是非にも訪問したい美術館として、思い続けております。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2011年8月16日 (火) 21時47分