ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト2011
バイロイトにおける「ローエングリン」のパブリック・ビューイング。
気持ちよさそうですな。
ビールなんか飲みながら、あの、ねずみ王国のローエングリンを楽しむなんてね。
NHKで生放送されたものも、録画も観ることもできなかったけれど、オンデマンド放送をお教えいただき、無事観劇することができました。
今日の記事は画像多めの長文です。
第1幕
夢幻的な前奏曲の流れるなか、ローエングリンは閉鎖空間から出ようともがいている。
エルザの夢の中なのか、モンサルヴァートの古い世界の中なのか・・・。
告発を受けたエルザは、背中に矢を射られてしまっている。
主要登場人物以外は、みんな「ねずみ」。
これがまぁ、よく出来てる。
手もネズミ手袋つけてるし、足もそうだし、立派な尻尾もうまく床にペタリと付くようになってる。
最初はあまりに奇妙だけれど、慣れるとその仕草が可愛く思えてくる。
王様は、威厳がまったくなく、終始おどおどしていて、カップルがいちゃつくのを粗末なプランターごしにのぞき見したりしちゃうし、ローエングリンとテルラムントの戦いの場を作るときも、コケたりしちゃう(笑)。
スポークスマンの式武官の方がしっかりして見える。
某官房長官か。
ローエングリン登場の場になると、ねずみさんたちは、ネズミ衣裳を尻尾つきのまま大急ぎで脱いでしまう。
ローエングリンを運んできた、というかローエングリンが従えてきたのは、棺桶のようなものに入った白鳥のレプリカ。
天井にはネズミの尻尾。
ねずみだった連中が帽子をとると、ほれ、ご覧の通り、カトちゃんでしたよ。。。
最後は、上から毛むしられた白鳥が降りてきて、王様、ご覧の通りの驚きぶりで、幕。
第2幕
闇(悪)の世界の第2幕前半。
ネズミたちが、泥棒したり、盗んだ金を数えたりしてる、ほんとの悪い連中をあえてわかりやすく。去年のこの場面での客席の笑い声が、ようやくわかった(笑)
「夜が明けたら・・・」、普通は朝ですが、この人たちには朝は来ない闇の住人。
ペトラ・ラングとトマッソンのご夫婦。ド迫力でございます。
情に絆されて優しく歌うエルザの後ろでは、オルトルートは白鳥の置物に馬乗りになっていたぶってますよ。
聖堂への入場を祝う人々、いや、ねずみたち。
カラフルなもんだ。
でも頭はカトちゃんだけど。
う~ん、君の尻尾は素敵だねぇ・・じゃねぇっちゅうの。
台詞とやってることがまったくそぐわない、笑い誘うローエングリン。
清楚な白の白鳥のようなドレス。
手には、もしかしたら毛むしられた白鳥の羽の扇子。
一方、黒のオルトルートは、ついに本性あらわし、エルザにくってかかる。
こわぁ~
こうして、エルザにむりやりチュウして、疑いの毒を注入完了。
ごらぁーー、てめぇ、エルザになにしてやがんだ。
とすごむローエングリン。
こうして、ネズミと左右の悪いご夫婦に見送られて祭壇を進むローエングリンとエルザ。
尻尾はこんなんです。ふふっ。
ところが、祭壇の十字架は、ガスマスクをつけた実験君みたいな作業員に壊されてしまうのであります。
この連中、始終出てきて、ネズミをとっ捕まえたり、悪の夫婦をしょっ引いたりと、このドラマに影の支配者がいることを匂わせるよな存在なのであります。
ローエングリンは、その十字架を奪い返し、自ら十字を造りかかげます。
エルザは気持ちがもうどこかへいってしまったようで、まるで白鳥のような仕草をしたりするのでありました・・・・。
第3幕
結婚行進曲は、ノリが良くて、ピンクちゃんも加わって踊ってます。
演奏もこんなリズミカルで弾んだ結婚行進曲は初めて。
ネズミの間をにこやかに進むふたりは純白。
ベッドルームでは、エルザの禁断の問いへの準備が着々と整ってゆく。
トドメは、白鳥のお迎えの幻影。
ベッドの間から、棺桶とその中には、むしられた羽。
忽然と出てきて、整然と戻ってゆき、ベッドはもとのまま。
すごいマシーンです。
ネズミに扮したテルラムントの急襲を受け撃退。
そして、エルザよ、何てこと言ってくれたのよ!
あら、言っちゃった・・・のエルザ。
こうして、スクリーンによるこれまた具象的かつ笑えるネズミ映像もふんだん。
ネズミ軍団の大群は、ちょっとキモイ漫画映像。
国王による軍への叱咤激励だけど、やはり頼りなく、走り疲れて、骨になっちゃって、その骨も朽ちてボロボロに。。。。。
喪に服したかのようなエルザ。
そして後ろにはカトちゃん。
そうです、ネズミたちはその頭部を外して、それらをピストルで撃っちゃうんです。
ネズミと自ら決裂か・・・・。
ローエングリンの衣裳も黒っぽくなりました。
いよいよグラールの物語ですな。
そして後ろには、カトちゃん。
フォークト・ローエングリンかっこええですな。
バイロイトのローエングリンの歴史に名を残すフォークトの名唱となりました。
エルザは服を脱いじゃうし、ざまぁみろ、とばかり出てきたオルトルートは、こんどは白い衣裳となって入れ替わり。
しかも、そのお化粧の半端なくすごいこと。
わたし、こんな指環が欲しかったの・・・・、とエルザは白鳥の迎えが来た悲しみのローエングリンをほったらかし。
ローエングリンの遺品をそそくさと頂戴して足元に。
白鳥の絵のついた卵のかたちの中からは、これまたキモイ胎児が臍の緒を引きちぎりながら出てくる。
つくりものかと思ったら、女の子かなにかが被りもので演じてるからリアルに動くんですよう・・・。なにもそこまで・・・。
ブラバント公の出現とともに、全員ぶっ倒れて、ローエングリンのみが舞台前面に歩みを進めて幕となるが、指揮者ネルソンスによってかなり引っ張られる最後の和音が鳴り終わっても、ローエングリンは歩みを止めず、幕も降りないからしばらく拍手はなし。。。
幕
ローエングリン:クラウス・フローリアン・フォークト
エルザ:アンネッテ・ダッシュ
テルラムント:トマス・トマッソン
オルトルート:ペトラ・ラング
ハインリヒ:ゲオルク・ゼッペンフェルト
式武官:サミュエル・ユン
そのほか
演出:ハンス・ノイエンフェルス
アンドリス・ネルソンス指揮 バイロイト祝祭管弦楽団/合唱団
合唱指揮:エーベルハルト・フリードリヒ
(2011.8.14 @バイロイト)
お騒がせノイエンフェルスの演出に何を読めばいいのだろうか?
パロデイの権化と化したノイエンフェルス演出。
何度も気になるところは確認したけれど、細部にこだわって観ると全体像がつかめないし、さりとて細部がとても巧妙に演出されていて、歌手の表情ひとつひとつにも意味があるようで、はたまたないのか・・・・・。
わたしには、まったく読み解けないし、オンデマンドではインタビューやドキュメントが欠落していたのでさっぱりわからない。
だから、気になった点だけを羅列しときます。
①「ローエングリンはどこから来て、どこへ去ってゆくのか」
閉鎖空間から抜け出そうともがき、あらわれたのがネズミと正邪の世界。
ネズミを解放したのか?
いや、あらゆる人を不幸にしてしまったのか?
最後は、通常、悲しい背中を見せて去るローエングリンが、ここでは舞台前面、
観客に向かって進んでくる。その顔は無表情。
②「神聖・威厳・地位・伝説の徹底軽視」
輝かしい甲冑姿と剣と楯はローエングリンにはなく手ぶらの白シャツの兄さん。
剣と楯は、事前に準備されていて軽々しい。
王様の軽さは前述のとおり。
歌われる言葉と、人物の言動の乖離が激しい。
フリーターのようなローエングリンからは、聖杯王の息子は想像できない。
③「正と邪の対比」
これまでのどの演出がそうであったように、ローエングリンとエルザは白系の衣装。
テルラムントとオルトルートはグレー~黒系の衣装。
ところが、3幕においては、その衣装カラーが逆転。
エルザにおいては喪服。
エルザに禁断の問いをさせることによって、正邪というより勝者敗者の立場が逆転。
ところがノイエンフェルスのパロディは、オルトルートに白いドレスを単純に纏わせる
ばかりでなく、2幕のエルザの白鳥ドレスならぬ、わたしには、アヒルのコスプレに
見えた。がに股で、カールした長いまつげ。これはいったい?
④「ブラバントの後継者」
呪縛が解けた弟は、少年として舞台奥から飛び出してくるのが通常。
しかし、あれですよ、今回は卵から出てきた胎児。
なんで胎児やねん。
みんな死んじまって、再生か?
ローエングリンは、また違うステージ(世界)へと旅立つ・・・・か?
⑤「すっきりステージ」
いろんなものが登場するけれど、舞台背景はすっきりと、メタリックでモノトーン。
簡潔なものです。
画像で見る限り、今年の「タンホイザー」や、前回の「パルシファル」は舞台中
ごちゃごちゃ。
(そういえば、シュルヘンジーフは去年、亡くなってるんですねぇ)
⑥「ねずみ社会」
もっとも目を引いた奇抜な存在。
着ぐるみ系を多用するノイエンフェルスだけど、バイロイトでネズミ出しちゃうところが。
ブラバント国の一般市民がねずみ。
そして、それを管理したり駆除したりする謎の実験君たち。
人間個性を失いちょこまかするネズミたちが歌うワーグナーの台詞は、空しいまでに
かみ合わず、皮肉の極み。
ローエングリンの登場のたびに、頭を脱いだり、手や足が戻ったりで、それが彼の
影響なのかどうかもさっぱりわからない。
昨年は「ハーメルンの笛吹き男」かとも思った。
ネズミ退治(解放)に来た男が、市民から裏切られ復讐しちゃうという・・・・。
でも、違うんだよなぁ。
ネズミである必然性がまったくなく感じる。
わかりません。
まだまだ謎はあるけれど、書き切れないし、そもそも理解を超えているので、この辺でオシマイ。
昨今の演出は、感じたままを受けとめればいいと思うくらいでないと、演出家の趣味趣向に惑わされて終わってしまう。
音楽の本筋を邪魔していないだけ、このローエングリンはましだったかもしれない。
初めて、その舞台に接する方も、それなりに楽しめたかもしれないが、やはりト書きに忠実な普通の舞台をまず観ることを望みたい。
劇場で、こんな舞台しか観れなくなってしまったら、オペラはオペラじゃなくなっちゃう。
演奏については、申し分ない出来栄え。
ネルソンスの活気あふれる演奏はなかなか堂に入ったもの。
そしてフォークトは、コロ、ホフマンと続いた70年代以降のローエングリンに並んだのではないだろうか。
アンネッテ・ダッシュの強い声も素晴らしい。
ほかの歌手も素敵なものです。
どうせなら猫も。
妙に可愛いネズミたち、映像で少しだけ確認できます。
しわがれ声のノイエンフェルスのインタビュー。
2010年のカウフマンの声は、フォークトと驚くほど異なる野太いもの。
アンネンッテ・エルザとのマッチングは、フォークトに軍配。
先のライブビューイングは、ご覧のとおり、大雨。
ドイツでも天候不順なんですな。
ネズミの大粒の涙か。。。。
本日の記事、長過ぎ、他サイトの引用多めであいすいません。
| 固定リンク
コメント
yokochanさん
丁寧な感想、楽しく拝読しました。
>どうせなら猫
が最高!!
>フォークトは、コロ、ホフマンと続いた70年代以降のローエングリンに並んだのではないだろうか。
演出は抜きで、素敵なローエングリンでしたね。
合唱団が登場しない場面はごくごく普通の演出として鑑賞できます。
投稿: edc | 2011年8月29日 (月) 10時12分
euridiceさん、こんにちは。
やたらと長く、画像も捨てるに忍びなく、だらだら記事になってしまいました(笑)
猫ちゃんを登場させて欲しかったですね~!
マイスタージンガーでは、不甲斐なく感じたフォークト氏は、ここローエングリンでは思索的な人物でなかなかでした。以外に力強く明確な声でした。
そうそう、合唱登場以外は、背景も普通ですから、とても普通のローエングリンでした。
不思議な演出家ですねぇ。
投稿: yokochan | 2011年8月29日 (月) 21時59分
ローエングリンって正義の味方みたいに思われてますし、実際ワーグナーも人知を超えた存在として描いてますが本当にそうなんでしょうか?
この話、よく考えるともしローエングリンさえ来なければ全ては丸く収まったような気がするんですね。
テルラムントとオルトルートは悪みたいに描かれてますが、実際にはテルラムントは歴戦の勇士であり公爵位の正統な後継者です。
オルトルートもキリスト教徒でないでけで、立派な家柄の出でしょう。夫を公爵にするためにゴットフリートを白鳥に変えたわけですが、相手は子供だし暗殺するほうがずっと簡単だった筈で、それでもあえて生かして白鳥にしたわけでその程度の優しさはあるわけで決して邪悪な魔女ではないんですね。
もしローエングリンさえ来なければテルラムントは公爵となり戦場でも活躍してブラバント公国も立派に治めたんじゃないしょうか。
エルザは弟殺しの汚名を着せられたままですがそのうち許されたかもしれません。
それがローエングリンが来たばかりテルラムントは殺されエルザもオルトルートも死んでしまいます。
ゴットフリートだけは人間の姿で戻ってきますが幼児がそのまま君主になれるわけもなくブラバント公国はもっと混乱してひどい状態になるでしょう。
そう考えるとローエングリンのせいでみんな死んでブラバントの国民も不幸になるんですね。
つまりはローエングリンは本当は神の使いでも何でもなく彼こそが邪悪な存在なのでは?と思ってしまいます。
そmそも白鳥の騎士の見かけが美しいからとかテルラムントに決闘で勝ったからとかいって彼が正義の味方という証明にはならんですよね。
しかも名前や身分すら明かそうとしない非常にいかがわしい人物なのにひたすら熱狂する愚かな民衆・・・まさにネズミと同じです。
このノイエンフェルスの演出はそういう作者も意図しなかった物語のある意味破綻した構造を暴き出す意図があるんではないかと思いました。
投稿: | 2011年8月30日 (火) 13時33分
若い頃から「いつかはバイロイト詣に行こう」と貯金を続けてきましたが、もうやめた!やめた!やめた!
とんだ茶番です。ドイツ人も愚かな国民だ。こんなイカレタ演出に後から意味づけして論ずるのも愚かに思える。ワグナーファンとしては嘆かわしい。演出の良し悪しを議論したり、演奏の良し悪しを論ずるのはいいのだが、せっかく歌手やオーケストラが正常な演奏をしているのに、ステージがこんな馬鹿げたドタバタをやっているんじゃお話にならん。
しばらくは画像はチンピラ紳助が消えて清浄化されたお笑い番組でも見ることにします。
いつになく強硬なコメントでご迷惑をおかけしました^^;
投稿: モナコ命 | 2011年8月30日 (火) 20時30分
読み人しらずさま、コメントどうもありがとうございます。
ナルホド。
ローエングリンの怪しさを炙りだした側面には、わたくしも賛成です。
あの軽装もいかがわしいし、エルザとの初夜の軽薄な動作も意図されたものに感じました。
不幸な救いのない物語ですね。
ですが、わたしには、白鳥の騎士であって欲しいものです。
普通の舞台をいくつも観てますが、余計なことを考えずに音楽と舞台に没頭できますし・・・・。
示唆に富んだ、コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2011年9月 1日 (木) 00時18分
モナコ命さん、こんにちは。
おぉ、いつものモナコ命さんじゃないですぅ。
お怒りのほどは、ごもっとも。
ドイツの劇場は、みんなこんなのばっかりみたいです。
ドイツのオペラハウスのサイトをネット・サーフィンしてダイジェスト映像なんかを観てると、そう実感します。
下半身丸出しのモーツァルトや、坊やに射殺されちゃう蝶々さん・・・・、もう気分が悪くなります。。。
バイロイトも、そんな流れが加速中。
でもですよ、わたしは、ワーグナーが死ぬほど好きですから、ヘンテコでもすっとこどっこいでも、観てやろうという前傾姿勢で挑むことができます。
先週、関西に行きましたが、あちらの話題は伸介ばかり。民主党や原発より、大きな話題なところが、ホンマ関西らしいとこでした。
投稿: yokochan | 2011年9月 1日 (木) 00時26分
いつも楽しく拝読しております。
私もたまたまベルリンでテレビ観劇いたしました。
中継の日のみテルラムントはユッカ・ラジライネンが歌ったと思います。
ヴァーグナーや彼の作品が持つ神秘性や卓越性といったものが、現代において皮肉の視点からしか描けないのは理解できます。ただ、それを「聖地」で行うことに意味はあるのか? そう感じました。
ヴァーグナーやヨーロッパの背負っている暗い歴史を通してもなお人々を魅了する"作品の力"というところに目を向ける演出が求められているのではないでしょうか。
投稿: | 2011年9月 1日 (木) 07時00分
お名前ございませんが、コメントどうもありがとうございます。そして毎度拝読いただき恐縮でございます。
ラシライネンとのダブルキャストは気になってましたが、ドイツでの放映はそちらでございましたか。
新国のウォータンやクルヴェナールでお馴染みゆえ、聴いてみたいところです。
そうですね、ワーグナーの築き上げた音楽劇に漲る壮大さや人知を超えたドラマは、それ自体が雄弁すぎて、ご指摘のとおり、結果的に、イジル対象として捉えざるを得なくなった悲しさがあるのかもしれません。
ドイツ人がこぞって、過去のみそぎにしのぎを削るのは、われわれ日本人にはなかなか理解ができないことですし、すごい勇気があるものだと思います。
そのあたりと、>作品の力<を結びつける演出。
ご指摘の点、おおいに賛同いたします。
日本人演出家あたりから、そうした面に光をあてる作品が出てくると、本当にうれしいのですが!
投稿: yokochan | 2011年9月 1日 (木) 22時00分
こんにちは
たまたま調べごとがあって、ネットを巡っていましたところ、こちらに行き着きました。
実は、わたしはテレビなどの画像や映像を、自分のブログで引用したく、著作権に関して調べていたところだったのですが、こちらで引用されている画像はやはりNHKなどに許諾をひとつひとつとられているのでしょうか?私もNHKのドキュメンタリーの一部などを画像ないしは映像で引用したく考えていました。なかなか煩雑な事案で、私もよくわからなく困っておりました。
本日記の内容と直接関係ないもので誠に恐縮ですが、ご教示いただければ誠に幸いです。
投稿: さすらい人 | 2012年1月 5日 (木) 15時45分
さすらい人さん、こんにちは。
わたしのブログは画像が多く、そのほぼ大半は自身が撮影したものですので、著作権上はまったく問題なく、むしろ、私の画像が知らないところで引用されているとしたら困りものではあります。
わたしの文章をそっくり他のブログに引用されたこともあり、正直不愉快でした。
でもわたしは、自身の画像は気楽にブログに貼り、皆さまに楽しんでもらうことで、格別のガードやサインも付さずに公開してます。公開する以上は、いたしかたなしとの気持ちです。
そして自作以外の、舞台写真の引用につきましては、出所を明らかにしてまして、指摘を受けましたらすぐに対応するようにしております。
しかし、いまのところ、そのようなことはございません。
そしてもうひとつ、本記事のような映像の編集による画像の添付。
NHKやバイエルン放送局の許諾は当然のこととして、取っておりません。
記事に、画像の由来を付すべきだったかと思ってます。
厳密には、ご指摘のとおりにすべきですが、これは至難の技に違いありません。
本来、こうした画像は、営利目的に使うと違法なのでしょうが、私のような個人の楽しみのためのblogは、とても微妙なところでして、やはり厳密にはNoなのだと思います。さらにCDジェケットも同様。
blog記事を面白く、わかりやすくするための画像はいわば禁じ手なのでしょうが、私的には、自身の鑑賞日記みたいにしていて、後年何度も読み返したりして楽しんでいるのです。
これも不特定第三者への公開が出来てしまうと、やはり問題となるわけで、困ったものです。
ちなみに、本記事の画像は、自身でテレビを撮影したものと、バイエルン放送局の画像のふたつを使用してます。
結論的には、わたしも断じきれませんが、画像の引用は厳密にはNG。
ですが、わたしは味気ない記事よりは、楽しい記事をと思い、このまま継続したいと思ってます。
今後は少し控え目に、でも、当局よりご指導があれば、即、編集します。
海外の状況はもっと緩やかだと思います。
我が国のこうした分野での厳密ぶりは、たの規制とともに、閉塞感すら覚えるものですが、いたしかたないです。
わたしには、不勉強にて、ご教示などできるものではありませんが、ご自身がどのようなブログを目指すかということにもあろうかと存じます。
いずれにせよ、難しい問題です。
投稿: yokochan | 2012年1月 5日 (木) 22時49分
大変丁寧なレスポンスありがとうございます。
お人柄に感じ入りました。
やはり厳密にはNOなのでしょうね。
著作権権法第三十条には私的使用は認められていますが、どうもブログを含めたネットは私的にあたらないというのが常識のようです。
おっしゃるように画像や映像があるほうが楽しいのですが、厳しい法との兼ね合いは実に悩ましいですね。
投稿: さすらい人 | 2012年1月 6日 (金) 12時51分
さすらい人さん、こんばんは。
そうですね、残念ながらNoなのですよね。
実は、わたくしは、大学時代、いまこの道の大家の教授の著作権法の授業を専攻しましたが、もう30年以上も前のこと、呑気な時代で、いまとはメディアの進化の具合が雲泥の差で考えも異なるものでした。
著作権ビジネスもありますゆえ、その立場はゆるぎないものに発達しました。
ゆえに、われわれ個人も、自己管理・自己責任で気をつけ、気を使いながらも、楽しい記事を残してまいりたいと思ってます。
今回は、このような問題提起をいただき、ありがとうございました。
感謝しております。
投稿: yokochan | 2012年1月 6日 (金) 23時05分
本当に丁寧に対応いただき、ありがとうございます。
自己責任で、私も自分なりの表現を考えたいと思います。
ところで、お礼と言うわけではありませんが、
この日記で挙げられたノイエンフェルスのバイロイト「ローエングリン」ですが、以前に私が友人と解題したことがあり、私なりの解釈を大きな枠組みだけですが、以下に記しておきます。
神?権力者?研究者?は実験を行ないました。「禁問」を担保にした、人間性の回復という実験(始終、青い防護服の人間が管理していることと、無機質的な舞台が、実験であることを表象)。実験対象はもちろん人間(ネズミはモルモットという暗喩であると共に、集団行動の表象など多義的)。その一種のリトマス試薬のような形で送り込まれたローエングリンでしたが、集団は人間性の一定の回復がみてとれましたが(ネズミが次第に人間の格好になる)、一方で個人崇拝(ローエングリン信奉)が盲目的な追従になったり(3幕に見られるファッショ化)、同様に人間を試すために送られてきたと思われるオルトルートによって、脆くも禁問を破ってしまうエルザなど、実験は結果的に失敗。
残されたものは惨たらしい未来の姿(それがおぞましき胎児姿であるゴットフリート)
以上はあくまで大枠ですが、私と友人では、ワーグナーが提示した「禁問」が問いかける人間の相互関係を、ノイエンフェルスは、人間に対する実験を通して、捉え直したのではないかと思いました。
ワーグナー好きでも、これは勘弁という人が日本には多かったことは事実ですが、オペラのみならずドイツの演劇界は、2013年のバイロイトリングの演出に内定した、ベルリンのフォルクスビューネ劇場の監督であるカストロフもそうですが、演劇の最先端をいっています。
観る人間の想像性と教養、そして音楽を汲み取り感じ取る感性を総動員させる、彼らの手法に応えることは大変なことですが、ある意味では、聴衆・観衆に大いなる知的創造を促すことだと思います。
ノイエンフェルスを非難することは簡単ですが、それよりも、私もそうなのですが、想像と教養そして感性を常に蓄え、養うことのほうが、彼ら演出家のためにというより、我々の人生にとって重要な気がします。
投稿: さすらい人 | 2012年1月 8日 (日) 12時59分
さすらい人さん、こんばんは。
こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます。
読み応えのある解読をじっくり拝見いたしました。
なるほどです。
ローエングリンは前奏曲で、閉じ込められた空間であがき、それは使命をもって送り込まれた人間の最後の抵抗。
そして、終幕では、顔色変えず、淡々と醜い胎児を残し、次の使命に向かい歩み去る。
人間は変わらず、不安感のあるエンディング。
とても参考になり、啓示に富んだお話でした。
感謝です。
知的想像を促される舞台。
オペラではまだ後進の日本の舞台ですが、勉強熱心な日本の聴衆にこそ、逆にこうした舞台が必要なのかもしれません。
いずれにせよ、考えることを失った聴き手にはなりたくありません。
ですが、一般大衆といいますか、普通にある聴き手を考えますと、なかなか難しい問題ではあります。
このたびは、いろいろと示唆に富むお話や、問題提起、本当にありがとうございました。
またどうぞ、よろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2012年1月 9日 (月) 01時07分