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2011年9月

2011年9月30日 (金)

アイアランド 「忘れ去られた儀式」 ヒコックス指揮

Azumayama_cosmos_5

向こうは海、のいつもの山の上。

木の中の木漏れ日は、朝日でした。

Ireland_hikox

ジョン・アイアランド(1879~1962)。

英国音楽作曲のなかでも、かなり好きなアイアランド。
そしてまだ未聴の作品も多いし、音源化されていない曲も多い。

快活であったり、詩的でデリケートな小品も多いアイアランド。
そんななかで、一番のお気に入りが、「The Forgotten Rite」「忘れ去られた儀式」。
と、訳していいのでしょうか?

アイアランドの比較的初期の作品で、若い時分にチャンネル諸島のジャージー島とガーンジー島に訪問した時の印象を後にまとめたもので、1912年の作曲。
そのチャンネル諸島は、英仏海峡のフランス寄りに位置するノルマンディの島々。
位置的にはフランスに近いけれど、歴史的には英国領となっており、英国王室の所有とされる島々。
 しかし、イギリス連合王国には属さないという複雑な性格となっているそうな。
バイキングの名残もあり、そしてケルトの雰囲気もあり、という英仏・北欧の入り混じった独特の雰囲気みたい。
そして、なんといっても美しくも険しい海に囲まれた壮大な自然をその立地から想像できる。

Guernsey

ガーンジー島の画像を探しだしました。

それと、CDジャケットは、ジャージー島の古城のあと。

これらのイメージそのまま。

アイアランドの曲の中で、もっともロマンテックで、甘味な詩情と神秘的な様相と、壮絶なクライマックスを備えた大オーケストラのための小品。
マンチェスター生まれの英国人ながら、海を愛し、ケルトの文化にも深く共鳴していたアイアランドは、かつて訪れた島々の思い出を、その独特の感性でもって思いおこし、交響的な前奏曲としてまとめた。
その名もForgotten Rite。
いにしえを偲ぶ、遠い昔に海に囲まれたその地に住んだ人々や、その風物、そして自然を読み起こしたものと聴こえる。
ドビュッシーを敬愛したアイアランド独特の神秘感と、ミステリアスな曲想と響きに包まれてます。

ごく静かに弦の囁きのようなモティーフで始まるが、それは海のさざ波のよう。
そこに、木管やホルンが優しい合いの手をいれつつ、神秘的に始まる。
やがて、ディーリアスの音楽にも通じる、大オーケストラによる情熱的な、しかし、甘味でどこか荒涼感をともなった大いなるクライマックスへと高まっていきます。
でも、そこに待っていたのは、ハープの清涼なグリサンドと、高弦の澄み切った響き。
急速に曲は静かになって、ハープやチェレスタを神秘的に伴いながら消え入るように終えてゆく・・・・・・・。

10分足らずの曲ですが、こんなに詩的で、心に静寂と安らぎ、そして自然の神秘感を夢想させる曲は知りません。

バルビローリの演奏で知ったのがもう20年以上も前。
ディーリアス好きならば、そしてバックスやモーラン、ハゥエルズにも通じるアイアランドの素晴らしさが共感いただけると思います。
そして、アイアランドを集中的に録音してくれていたヒコックスロンドン響のクールでかつ熱い演奏には涙が出ます。

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2011年9月29日 (木)

バーンスタイン 「チチェスター詩篇」 バーンスタイン指揮

Jun_2

こちらのグラスは、日本酒。
この店には、初めて見聞きするような名前のお酒がたくさん。
しかも、どれもが超美味。

昨晩は、クラヲタ会に参加してまいりました。
遅れての参上となりましたが、美酒のおかげですぐにその遅れを取り戻すことができたと思います。

Jun_1

呑み助ならば、これだけで2〜3合はいけちゃう、4種の神器。

左党さんgolf130さんminaminaさん、そしてワタクシの4人。

クラヲタ会は、発展的に過去最大13名、最小2名の、実にフレキシブルなクラシック音楽好きの集まり。
お酒飲めなくても大丈夫です。

お互いに仕事のことなんか知らないし、関係なくって、ただ音楽が好きなだけの人々の集まり。
ぜひぜひ、ご参加くださいねー。

12月には、はるりんさんの快気祝いもかねて、忘年会をおこなっちゃいます。

その節は、どうぞよろしくお集まりください。

Jun_3_2

初秋にぴったりの冷製おでん。
洋食のような、日本食のおでん。
お酒にあいます。
美味しゅうございました。

神田 「和酒Bar&Dining 醇」におつれいただきました。

Bernstein_songfest_paslms

今日は、作曲家としてのバーンスタイン、「チチェスター詩篇」。

チチェスターは、英国南部、イングランドのウエストサセックスにある町。
大聖堂が有名で、そこでの音楽祭や宗教にまつわる歴史に数々綾取られた街のようです。
1965年に、そのチチェスター大聖堂よりの委嘱を受けて作曲され、かの地でニューヨークフィルを率いて初演した合唱作品であります。

テキストは旧約の詩篇から、108,100,23,2,131,133を取り上げていて、合唱と少年合唱、ソロ数名の大きな編成。
3部からなる18分あまりの曲ながら、バーンスタインらしいリズムカルで、かつシンプル、そして歌謡性とシリアス感にあふれた音楽になっている。

爆発的で野放図に明るい冒頭から、ボーイソプラノ(ソプラノ)ソロとハープの伴奏よる、メロデイアスで無垢な第2部。
その2部は、途中、主への反動とも思われるダイナミックなヶ所、しかし二重合唱のように背景では、先の無垢なメロデイも流れていて、たくみな筆致に驚く。
そしてシリアスな第3部は、弦の痛切な響きで始まり、やがて合唱が平和的な主への安堵の語りかけを感動的に歌い始める。
この美しい旋律は、バーンスタインならではのものでありまして、とっても感動的です。
そして祈りの音楽として、静かに曲は消えてゆくのでした。

楽観と悲観、これらが巧みに表出されるバーンスタインの音楽。
とても素敵な「チチェスター詩篇」であります。

12音技法でもって縛られるように作曲していたが、そこには自分を見いだせなかったというバーンスタン。
この曲でもって、調性音楽を極めてゆくかのようなレニーは、自身の血に流れるユダヤとクラシック音楽の伝統とを融合させ、独自の作曲家としてその才能を高めてゆくのでありました。

「チチェスター詩篇」を初めて聴いたのは、1975年。
ロンドン響を指揮したザルツブルク音楽祭のライブ放送でありました。
その直前に、ショスタコーヴィチが亡くなり、その5番の第2楽章が追悼として加えられたコンサートは、いまでも大事なFM音源のひとつです。
そのショスタコに、弾き振りでモーツァルトの17番、そして「チチェスター」。
ここまでが前半という長大コンサートのラストは、シベリウスの5番。
とてつもない名演の数々でした・・・・・。

きょうのCDは、DGにイスラエルフィルと録音した1977年のベルリンライブ。
ウィーン少年合唱団が歌ってます。

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2011年9月25日 (日)

In Sapporo with Die shönsten Operetten-Melodien

Sapporo

100年を迎える札幌大通公園。

Sapporo2

「さっぽろオータムフェスト」開催中。
ビールやラーメン、ご当地グルメ、旬の素材料理などのお店が驚くほど出てまして、賑わってましたよ。
わたしは、目的の店があるので、観察するだけでガマンです。

Die_schonsten_operetten_melodien

ドイツオペレッタの美しいアリアを集めた1枚を聴きながら。
なんといっても、レハールの「微笑みの国」から「Dein ist mein ganzes Hertz」。
テノールアリアの中でも、もっとも好きな曲のひとつ。
ルネ・コロの甘い美声で。

Sushiman_3

そして、1年以上ぶりのお寿司屋さん、いつもお世話になってます「すし万」。
根室のさんま。
濃厚かつ脂の乗り方がハンパない。

Sushiman_4

珍味です。時鮭の筋子。
プツプツが細かく、味わいがこれまた濃厚。
熱いご飯があれば何杯もいけちゃう。
日本酒に最高でしたねbottle

Sushiman_5

毛蟹の蟹味噌和えlovely
もうなんもいえないっしょ。
丁寧な仕事でございます。

Sushiman_8

厚岸の牡蠣。
軽く炙ってあります。
プリプリジューシーで、爽やかささえも漂う一品。
なまらおいしい・・・・crying

Sapporo3

少し人が少なめの、すすきの。
髭のニッカのオジサンの色が変わるんですな。初めて知った。

Maruyamagrill_1

翌日のお昼は、オムライス。
ふわふわ卵がおいしうございました。

Sapporo4

創成川沿いに立つ里程標。北海道開拓の始まりの地ともいわれます。
客先のすぐそばにて。

Kakehashi_1

そして、すぐに「すすきのの夜」を迎えてしまうことに。
去年に続く2度目の「かけはし」へ。
活イカさんは、まだ活動中で、吸盤の吸いつきも激しいのでした。
コリコリで甘~い。

Kakehashi_2

野菜も食べます。
炙ります。

Denden_3

普通に札幌ラーメンじゃつまらないので、と、歩いていて見つけたのが、石釜ラーメン「田田」。東京にもあるみたいだけど、麺は道内産。
優しい味の白味噌仕立てのスープ。ともかく熱いが、外は14度と涼しいから大丈夫。

Sapporo7_tokeidai

がっかり名所だけど、横から覗く夜の時計台。

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訪問先が、中島公園から足を延ばす先に数軒あり、公園を横切って、札幌コンサートホール「キタラ」をかすめて歩く。
札幌に来たら、キタラだけど、今回はこれといったコンサートなし。

Kamiiso_1

またもや夜。
塩ウニ食べます。
浜料理「かみ磯」へ。
でも美味しいものは疲れる。日常が恋しくなってくる・・・。
そりゃ飲み過ぎだからだcatface

Mamuro2

締めは、ラーメンじゃなくて、「豚丼」。
こちらも必ず行く「まむろ」。
親父さん相変わらず、「いつ来たの」「札幌は元気ないよ」・・・と。
ここの豚丼は、飲んだあとでも、スルッと入っちゃうし、翌朝も全然もたれない。
いつでも食べたいヘルシー丼pig

Sapporo5_norubesa

すすきの観覧車。
「ノルベサ」にのるべさ。

Okami_setagaya_saimi_2

最終日の昼のラーメン。これで仕事おしまい。
以前に食べて、その名とともに鮮烈な印象だった味噌ラーメン専門店「狼スープ」へ。
ところがしかし、店名はちっちゃくなってしまい、「せたが家&さいみ(彩味)コラボ店」となってました。
「狼スープ」は休業中で、その場をそのままに、期間ごとに、有名店のコラボラーメンにて営業中とのこと。
味噌と醤油のみの選択。
こちらは、煮干し出汁の味噌スープ。とかく濃い口で、強い味の札幌味噌だけど、こちらは味わいはそこそこ濃いものの、爽快な感じで、食後もさっぱり。
うまいんでないかいnoodle

Yurigahara_3

午後は、仕事仲間は帰還。わたくし、ひとりになって、百合ヶ原公園に。
こちらは市営の巨大な自然公園で丘珠空港の近く。
電車で行けます。
夏場はユリとラベンダーで覆われますが、いまはちょっと寂しく、花はダリア畑のみ。
こんな感じに、驚くほどたくさんの種類のダリアが咲きみだれてましたよ。

Yurigahara_2

きれいでしょ。

Yurigahara_1

こんな変わったヒマワリも。

季節はもう秋。
大雪山では冠雪と紅葉。
夏に別れを告げる、札幌出張でした。

Sapporo_t38_3

札幌駅に戻り、JRタワー(T38)に昇り、夕焼けウォッチングを敢行。
着た日の夕方、市内へ向かう電車から見た夕焼けが壮絶的に素晴らしかったので。
しかし、重い雲が空を覆う。
北西の小樽方面。

Umibozu_1

飛行機に間に合う時間を逆算し、それまで駅周辺で一杯。
すすきの以外は、チェーン店ばかりでおもしろくない駅周辺。
もっと探索すればあったかもしれないが、穴場の少し寂しい西口へ。
「うみぼうず」は、私好みの大衆居酒屋。
北大側だし、こういう店は絶対あると思った。
BGMは、ちあきなおみの喝采でした。昭和の香りぷんぷん。

以上、超ロング記事すいません。

近いうちにまた行くことになりそうな札幌でした。

先のオペレッタアリアのCDには、ルチア・ポップの素敵なツィーラーの「小鳥売り」が聴けます。
あと珍品は、エルンスト・コツーブの歌うレハール「ジュディッタ」。
コツーブは、その名とは裏腹に、もしかしたらショルティのリングでジークフリートを歌ったかもしれないヘルデンテノール。
思ったるい鈍重な声に不思議な味わいを感じました。

「百合ヶ原公園」は、左のサイドバーに写真集としてまとめました。
以前の夏の写真もあります。

飲食状況は、滞り気味の別館にて記事にいたします。

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2011年9月24日 (土)

Sapporo

Sapporo_t38_1

さっきまでいた札幌(23日)。

20~23日まで、札幌出張でした。

その間、書き貯めた記事を予約投稿いたしました。
コメント頂戴しながら、失礼をいたしました。
順次、お返ししてまいります。

久しぶりの札幌、びっしり客先訪問。
最終日の午後からフリーに。

こちらはJRタワー38よりの展望。

大通りに、すすきのを望む。

Sapporo_t38_2

暮れる前の同じ方向。

数十分で、最初の画像のように暮れてしまいました。

夕方から雲に覆われ、夕暮れの絶景はお預け。

景色や花、そして食べ物・・・・、またまたご案内しますよnote

数時間前まで、札幌でひとり居酒屋して、いまパソコンに向かうわたくしでした。

9月24日 0:58なり

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2011年9月23日 (金)

ワーグナー 「さまよえるオランダ人」 ヤノフスキ指揮

Kariwa

厳しい雰囲気漂う日本海。

数年前に撮った新潟の海。刈羽村あたりでしたでしょうか。
このそばに、あの施設があるんです。

それはともかく、海に囲まれた日本の、その海の風景や性格はそれぞれ異なりますな。
生態系もそれぞれで、海の恵みをわれわれ日本人は、これまでさんざん享受してきたわけでが、そんな海も途方もしれない牙をむくこともある。
それを思い知らされた今年。
長い歴史のなかで、海との付き合いも折り合いをつけてきたのです。

海を背景にしたオペラはたくさんあります。
先般の「シモン・ボッカネグラ」は、アドリア海の青い海。
今回の、「さまよえるオランダ人」は、北欧はノルウェーの北海もしくはノルウェー海あたりが舞台。
英国側に渡れば、こんどは「ピーター・グライムズ」の世界です。

Wagner_hollander_janowski

ワーグナー(1813~1883)の「さまよえるオランダ人」

全10作(リングをひとつとして)あるワーグナーのオペラ作品のうち、第4作目。

来年2013年は、ワーグナーの生誕200年と没後130年にあたり、同じ生年のヴェルデイとともに、企画や催しもたくさん練られている。

バイロイトでは、「リング」新演出がかかるが演出はまだ未確定とも。
またドン引き舞台になるんでしょうかねぇ~
指揮は、キリル・ペトレンコ。
音楽面の監督的存在のティーレマンは、2012新演出の「オランダ人」のみだから、おそらく、第9でも振るんでしょう。
 そして、主要7作以外の初期3作「妖精」「恋愛禁制」「リエンツィ」の上演にも踏み出すこととなる。わたしが以前から夏以外のシーズンにと、熱望してきたことが実現。
でも、制作はライプチヒ歌劇場との共同となり、上演もそちらで行われる。
指揮は、ウルフ・シルマー。

ほかの劇場でも、いろんな上演がなされることでしょう。
日本では、新国はまだ不明なれど、予測ではまだ未上演の「パルシファル」と「マイスタージンガー」の再演とみている。
二期会では、飯守先生の「パルシファル」(こちらは2012年)。
あらかわバイロイトは、もしかしたら「リング」通しもあるかも?

レコーディング面の最大の話題は、マレク・ヤノフスキによる主要7作の全曲録音。
ペンタトーン・レーベルによるベルリンでのコンサートスタイル演奏のライブ録音です。
これはすごいです。
短期間に、高水準の歌手を揃えて一気に演奏・録音するものだから、均一なレベルで、しかもややこしい演技や舞台背景もなく、奏者たちはワーグナーの音楽だけに没頭しながら、ワーグナーの音楽だけを奏でる。居合わせる聴衆たちも同じこと。

その第1作が「さまよるオランダ人」であります。
いま現在、「パルシファル」と「マイスタージンガー」はすでに録音されていて、以降「ローエングリン」「トリスタン」「タンホイザー」「リング」と続くそうな。
歌手陣もすごいですよ。
「パルシファル」     ニキティン、エルスナー、ゼーリヒ、デヤング
「マイスタージンガー」 ドーメン、スミス、ハラー、ゼッペンフェルト
「ローエングリン」    フォークト、ダッシュ、クロイツベルク
「トリスタン」       グールド、シュティンメ、ユン
「タンホイザー」     ケルル、シュティンメ、ドーメン、ゲーアハール
 リングは未公表 ※RSBのサイトで確認できます。


  ダーラント:マッティ・サルミネン    ゼンタ:リカルダ・メルベト
  エリック:ロバート・ディーン・スミス   マリー:シルヴィア・ハブロヴィッツ
  舵手:スティーヴ・ダヴィスリム     オランダ人:アルベルト・ドーメン

     マレク・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団
                    ベルリン放送合唱団
                 合唱指揮:エーベルハルト・フリードリヒ
                (2010.11.13@ベルリン・フィルハーモニー)


実績ある歌手たちによる理想的な配役。
まだまだ健在のサルミネンの滑らかで暖かみのあるダーラント。
立派すぎのヘルデンによるスミスのエリック。
一途な雰囲気が良く出てるメルベトのゼンタ。一本筋の通ったまっすぐの声がとてもよろしいソプラノです。新国でエリザベートを歌った彼女です。次はジークリンデを聴きたい。
そして、素晴らしかったのがドーメンのオランダ人。
キャリアの長いドーメンを見出したのは、アバドで、ヴォツェックに起用し、その後クルヴェナールも歌って地方劇場から世界の舞台に登場したバスバリトン。
アバドのトリスタンで来日したドーメンのクルヴェナールはいまもよく覚えてます。
少しほの暗い響きを持ったドーメンの声は、宿命を背負ったオランダ人にぴたりとはまっております。

ヤノフスキの終始緊張感を保った指揮には感服です。
30年前のドレスデン久方ぶりの「リング」では、アンサンブルを整えつつオケに語らせるような、交通整理的な指揮ぶりで、「ドレスデンのリング」というようなレッテルになっていた。
しかし、いまや様々な指揮活動を経て、舞台も録音も多数経験して、余裕と風格漂うワーグナー指揮者となりました。
もっとも安心して任せることのできるヤノフスキ。
ベルリン放送交響楽団からキレがよく、かつたっぷりとした先鋭なる明晰ワーグナーサウンドを引き出してまして、かつての東ドイツの放送管弦楽団と呼ばれた同じオケとはとうてい思えないのでした。
このコンビ、来日間近ですが、毎度苦言を呈したくなるほどの演目。
せっかく上り調子の名コンビの来演なのだから、ワーグナーやブルックナーやR・シュトラウスを取り上げてほしかった。
ドイツの放送オケが来ると判で押したように、ベートーヴェンやブラームスをお願いする日本の招聘サイドの見識を毎度疑いたくなる・・・・。

合唱の素晴らしさについては申すまでもありませんね。

ちなみに、来年2012バイロイトの新演出は「オランダ人」
演出はJan Philipp Gloger~グローガー?
40歳の若い演劇系の人らしい。ちょっと画像を調べたら、少し安心。
演劇色強いオランダ人になるんでしょうか。
指揮はティーレマン、オランダ人はロシアのエウゲニ・ニキティン。
ゲルギエフ門下生です。
ピエチョンカのゼンタ、ゼーリヒのダーラント。

以上、おわり。

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2011年9月21日 (水)

ハーティ 「ロンドンデリー・エアー」 トムソン指揮

Azumayama_cosmos_1

夏の日差しに少しお疲れ気味のコスモスでした。

Harty_thomson

アイルランド生まれの作曲家サー・ハミルトン・ハーティ(1879~1941)。
すでにその協奏曲作品を取り上げたおり、紹介しました。
編曲の達人として、ヘンデルの「水上の音楽」のフルオーケストラバージョンの演奏の際には、必ずこの人の名前がクレジットされてます。

今日は、もうだいぶ以前から聴いていた、ブライデン・トムソン指揮によるハーティ作品のアンソロジー盤を久しぶりに取り出してみました。

     「The Children of Lir」~「リールの子供たち」

     「Dubblin Airによる変奏曲」

     「The Londonderry Air」

     「Ode to a Nightingale」

        Vn:ラルフ・ホームズ

        Sp:ヘザー・ハーパー

     ブライデン・トムソン指揮 アルスター管弦楽団


最初の「リールの子供たち」は、ケルト伝説に基づく7つの場面からなる音楽詩で、30分以上の大作。

リールは、アイルランドの海の神で、愛する妻イーヴとの間にフィノーラという娘と3人の弟という4人の子供たちがおりました。
そのイーヴが先立ち、可哀そうに思った祖父からイーヴの妹エヴァを後妻にということで、再婚し、エヴァも当初は子供たちを可愛がったものの、リールが子供ばかり溺愛するものだから嫉妬心を起こし、あるとき、湖へ連れ出し、3人の子供たちを白鳥に変えてしまう。
人間の言葉や歌は使えるものの、最初の300年、次ぎの300年、最後の300年と、それぞれ湖を替え転々としなくてはならない運命までも科す。
そして、北の国と南の国の王子と王女が結婚することとなり、教会の鐘が響いたら、人間の姿に戻ることができるとした。
フィノーラは弟たちをよくかばって、根気強く過ごした。
そして、900年の後、えもいわれぬ美しい鐘の音が響き、4人は人間の姿に戻ることができるが、もう先がない老人の姿に・・・・。
教会の聖者は、洗礼を施し、そして4人一緒のお墓に。。。という希望を受け入れ4人の名は同じ墓石に刻まれることとなった・・・・・。


まるでローエングリンの一部のような物語。
アイルランドの美しく、厳しい自然の中で永年さまよう気の毒な白鳥たちの物語を、ハーティは抜群のオーケストレーションの才と哀愁さそうメロディの宝庫でもって、素敵な交響詩へと仕立てました。
ともかく、物悲しくも美しい音楽。
親しみやすい旋律にあふれているので、初めての方でもきっと楽しめるのではないでしょうか。
途中、ソプラノのアカペラソロが雰囲気よろしく入ってきて、静かな湖に浮かぶ白鳥の歌を思わせます。
最後、4人の死は、救われた魂が優しく昇天してゆくようで、思わず涙が出てしまいそうになります。
アルヴェーンの交響曲や、ツェムリンスキーの「人魚姫」とも類似点を見出すことができる、桂曲でございます。

次ぐ「Dubblin Air変奏曲」は、ヴァイオリンソロを伴った主題と7つの変奏曲。
そのテーマは、アイルランドのトラディショナルメロディ「The Valley lay smiling beforeme」で、トマス・ムーアのアイリッシュ・メロディから得たもの。
急緩豊かで、時として懐かしさも感じさせる曲で、全編ヴァイオリンソロが活躍する協奏曲作品でもあります。

そしてお馴染み「The Londonderry Air」。
ヴァイオリンソロと弦楽、ハープのために書かれたこの哀愁さそう名曲が、心に沁み込まない方がおられましょうか・・・・。
コバケンがどういうヴァージョンで演奏してるか、わたしはコバケン未体験(今後もきっと)だから知りませんが、このハーティ版と、そしてホームズの泣きのヴァイオリン、ブライデン指揮するアルスター管の心の底から共感しつつ切々と歌うこの演奏に、ワタクシは涙ぐんでしまうことしきりでございます。

最後は歌曲集「Ode to a Nightingale」。
キーツの詩に書かれたとても詩的な作品で、夜鶯の歌。
20分あまりの作品で、声楽部門での永年のパートナーだったアグネス・ニコルズのために書かれた。
時に、エルガーを思わせたり、ディーリアス風だったりと先達たちを思わせることもあるが、独特のウォーム・トーンはハーティならではで、ここでは、ヘザー・ハーパーの気品あふれる歌声が素晴らしいものです。
最後の場面が、とっても美しい。

 Up the hill-side; and now'tis buried deep
  In the next valley-glads
  Was it avission,or a waking dream?
  Fled is that music - do I wake of sleep?



「ハーティのヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲」

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2011年9月20日 (火)

ベルリオーズ 幻想交響曲 モントゥー指揮

Hamamatsucho1

遅ればせながら、9月の小便小僧コスプレです。

Hamamatsucho3

防災にちなんで、火消しの法被姿。
粋だねぇ~
帽子には青い羽根。

Hamamatsucho2

後ろ姿も。

海難救助の青い羽根募金でした。

Berlioz_sym_fantastique_monteux_2

こちらも月一のベルリオーズ「幻想交響曲」シリーズ。

ひと月の経つのが、まことに早い。
まだ暑くて、ずっと夏の中にいそうだけれど、朝晩は涼しく、全国の天気図を見ると台風は気になるけれど、関東から東は20度前後になってきました。
秋と春が短く、夏と冬が長くなってきたような気のする日本です。

それはそうと、月一回聴いてる「幻想」もこれだけ習慣化すると、その旋律が頭にこびりついて離れなくなってくるし、もっと聴きたいのを我慢して、月一回のお楽しみにありつくと、ほんとうに気分がよろしいくなるもんです。

ルーティン化、常習化というのはコワいもんです(笑)

さて、9月の幻想は、懐かしいピエール・モントゥー指揮によるコンサートホール盤。
モントゥーの1875年生まれ、1964年没という時代背景は、いま私たちが聴く、後期ロマン派や近現代音楽の作曲家たちの活躍していた年代にある。
数々の初演作品があるということもさりながら、モントゥーの音楽には時代がかったものがひとつもなく、その清新で気品にあふれた演奏は、今も充分に通用する普遍的なものに思う。
トスカニーニよりは若く、フルトヴェングラーよりはずっと年上。
このあたり、とても面白く感じますね。
そして、わたしの好きな指揮者のマリナーとプレヴィンの師匠にもあたります。

そのモントゥーの最後の録音のひとつが、コンサートホール・レーベルに入れたこちらの幻想交響曲。同時期にチャイコフスキーの5番も録音している。
オーケストラは、北ドイツ放送交響楽団で、この楽団とはほかに、モーツァルトやベートーヴェン、ワーグナーやロシアものを録音しておりまして、昔から私は聴いてきた懐かしいものばかり。
録音が冴えないのがこのレーベルならではの玉に傷。

北海に面したハンブルクのオーケストラを指揮しても、モントゥーの作り出す響きは、伸びやかで明るく、自在で柔軟なものです。
恋人をあらわす主旋律の歌わせ方のうまさには脱帽だし、第2楽章の「舞踏会」のワルツの優雅さと品のよさにも感嘆。
「野の風景」の抒情も麗しく、ずっと浸っていたい雰囲気だが、不吉な幻影を見てしまってからの心の葛藤のあらわれでは、猛然としたアッチェランドがかかり驚かされる。
「断頭台」はキリッとていて、無駄に音を響かせない。エンディングもあっさりしたもの。
「ヴァルプルギス」の乱痴気ぶりはおっとりと着実で、品を保ったまま進行し、ハチャムチャがお好きな方には、やや消化不良となりましょうが、今日のわたしはこれで充分。
でも最後の追い込みは、88歳の指揮者によるものとは思えない若々しさがありました。

丸っこい響きに混濁感、録音が残念でありますが、パリジャン、モントゥーの貴重な晩年の録音でございます。
ステレオでは、ウィーンフィル盤、モノでは、サンフランシスコ盤が有名ですが、このハンブルク盤が一番モントゥーらしいようです。
かつてフランスの数々のディスク大賞を受賞した名盤。

Berlioz_sym_fantastique_monteux_3

CD復刻盤がこちら。
スワロフスキーとウィーンによる「ローマの謝肉祭」も入ってます。

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2011年9月18日 (日)

神奈川フィルハーモニー2012~2013シーズン展望

Minatomirai_zouhanapark

神奈川フィルハーモニー管弦楽団の来シーズン定期公演のラインナップが発表されております。
金聖響さん、就任4年目を迎える来シーズンは、9演目中5演目を指揮し、聖響さんの個性を生かした後期ロマン派中心のプログラム。
わたくし、さまよえるクラヲタ人にとって、まったく垂涎もののお気に入りばかりの演目。
金さんには、乾いた奏法で枯渇してしまう古典・初期ロマン派よりは、マーラー前後とそれ以降の音楽の方がずっとお似合いだと思ってきたから、とてもうれしいプログラミングでございます。

※神奈川フィルのホームページからコピーしました。

まずはご覧あれ。

■第280回定期演奏会
2012年4月20日(金) 19:00
指揮:金聖響 アルト:竹本節子  テノール:佐野成宏
マーラー/交響曲第10番より“アダージョ”
マーラー/交響曲「大地の歌」



■第281回定期演奏会
2012年5月25日(金) 19:00 
指揮:現田茂夫 ピアノ:後藤正孝
リスト/交響詩「前奏曲」
ピアノ協奏曲第1番
ワーグナー/楽劇「ニーベルングの指輪」管弦楽曲抜粋



■第282定期演奏会
2012年6月22日(金)19:00
指揮:金聖響
R.シュトラウス/歌劇「インテルメッツォ」4つの交響的間奏曲より
メタモルフォーゼン 

交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」


■第283回定期演奏会
2012年9月15日(土)14:00
指揮:伊藤翔
ホルン:プシェミスル・ヴォイタ
ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲
R.シュトラウス/ホルン協奏曲第2番
ブラームス/交響曲第2番


■第284回定期演奏会
2012年10月12日(金)19:00
指揮:キンボー・イシイ=エトウ
ヴァイオリン:シン・ヒョンス
ブラームス/ヴァイオリン協奏曲
ウェーベルン/交響曲
J.シュトラウス(2世)/皇帝円舞曲
ラヴェル/ラ・ヴァルス


■第285回定期演奏会
2012年11月23日(金・祝)14:00
指揮:金聖響
ピアノ:ゲルハルト・オピッツ
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第5番
R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」



■第286回定期演奏会
2013年1月25日(金)19:00
指揮:下野竜也
トランペット:三澤徹
ニコライ/歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
ハイドン/トランペット協奏曲
ブラームス(シェーンベルク編)/ピアノ四重奏曲第1番



■第287回定期演奏会
2013年2月15日(金)19:00
指揮:金聖響
マーラー/交響曲第10番(デリック・クック補筆完成版)


■第288回定期演奏会
2013年3月2日(土)14:00
指揮:金聖響
池辺晋一郎/交響曲第8番(神奈川フィル委嘱作品/世界初演)
レーガー/ヒラーの主題による変奏曲とフーガ
ラフマニノフ/交響曲第2番


もう、もうたまらないです。

こんなの神奈川フィルでやられちゃったら・・・・。
とりわけ、注目の曲目が赤い字です。
一部、うれし過ぎて字が巨大化してしまいましたよ。

先般の定期でも聖響さんが語ってました。
マーラーを中心に、その前後の関連筋の作曲家を集めたと。
リスト、ワーグナー、ブラームス、マーラー、シェーンベルク、ウェーベルン、R・シュトラウス、レーガーです。
「さまよえるクラヲタ人」をご覧になっていらっしゃればよくわかる、ワタクシが日頃聴きまくっている作曲家たちばかり。
ほんとに嬉しいです。

在京オケにひけを取らない素晴らしいプログラミング。
保守的にならなかった、その勇気を称えますsign03
以前にも書きましたが、ファンが今聴きたいのはこのあたり。
マーラーやブルックナーがこれだけ好まれ、その周辺音楽に耳が行くのは当然のことでして、知的で前広な横浜&神奈川の聴衆であれば、きっと大受けします。
そして、在京オケしか聴いたことのない、首都圏の聴衆をも引き付けることとなりましょう。

神奈川フィルをまだ聴いたことのない皆さん、この際是非にも横浜へscissors

note横浜で神奈川フィルのマーラーと
                           その周辺音楽を聴きましょう
note



聖響さんのお話では、来シーズン最後の演目、レーガー、ラフマニノフには、さらにその次ぎの年のシーズンへの繋がりがあるといいます。
レーガーは生誕140年、ラフマニノフは生誕140年・没後70年の年。
さらに2013は、ワーグナーとヴェルディの生誕200年の記念すべき、いや、わたしにとっては、空前絶後の恐るべし記念年なのです。
 単純にロシアものシリーズかと思ったけれど、記念の年に焦点を絞るのでしょうか!
ますます楽しみな聖響&神奈川フィルでございます。

おっと、まだ今シーズンが残ってます。
10月 金 聖響 モツレク  森麻季 林美智子
11月 広上   ドヴォ8
 1月 ゲッツェル ブラ4
 2月 金 聖響   マーラー 1番
 3月 金 聖響   ベートーヴェン 5・6
名曲シリーズですが、こちらもどうぞnote

7月に、神奈フィルで聴きたい音楽~お願いランキングをやりました。
 神奈川フィルハーモニー お願いランキング
リングとラヴェルは当たり。
推奨路線は大当たり。
なんだか、とっても嬉しい。

マーラーは、「千人」と「角笛」歌曲、「亡き子」「若人歌」をやって、ほぼコンプートして欲しいものです。

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2011年9月17日 (土)

神奈川フィルハーモニー定期演奏会 下野竜也 指揮

Minatomierai20110916

しばらくぶりの「みなとみらい」。

神奈川フィルハーモニーの2011年後期の定期演奏会が始まりました。

Kanagawaphl_20110916

指揮は、神奈フィル定期の常連になりつつある、下野竜也

いかにも、下野氏らしいユニークかつ楽しくも知的なプログラム。
しかも、神奈川フィルハーモニーの主席奏者や、オーケストラの持ち味が存分に楽しめるときたもんだ。

   シベリウス  アンダンテ・フェスティーヴォ

   ニールセン  ヴァイオリン協奏曲

           Vn:石田 泰尚

   グルダ    チェロと吹奏楽のための協奏曲

           Vc:山本 裕康 

   ラヴェル   スペイン狂詩曲

   ゼキーニャ・アブレウ   ティコ・ティコ (アンコール)

    下野 竜也 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
         ※シモノー&聖響 対談付き
                     (2011.9.16@みなとみらいホール)


一見、とりとめなく、ばらばらに散りばめられた選曲に思われるが、なかなかに考え抜かれ、そして好奇心も刺激され、かつ満足させるに充分な素敵なプログラム。
舞台の転換もあったりして、長いコンサートになりました。
終演後、時計を見たら9時25分でありました。

前半が、フィンランドとデンマークの北欧もの。
後半は、オーストリアとフランスとスペイン、ブラジルと?マークが付いちゃう不思議さだけれど、聴いてみれば、カーニバルチックなお祭りのノリの音楽。
しかも、神奈フィルの名手ふたりのソロも相まって、最高に盛り上がりましたよ。

シベリウスの素敵な小品。
このあたりのシベリウスの愛らしい作品を、わたしは結構好んでいて、日曜の晩、月曜が始まる前の日などのお休み前の音楽として楽しむことも多い。
安らかな気分にさせてくれます。
冒頭から、すっかりリラックスさせてくれた神奈フィルの弦ならではの桂演です。

 俺サマ石田さまの登場。
今日は、黒のシャツに、紫のタイと渋い。
そして、ニールセンの協奏曲も渋い。
晦渋な印象ばかりの交響曲のイメージからすると、旋律線が良く見え柔らかく聴きやすい。それでもとらえどころのない曲に思っていた。
けれども、こうして実演で聴くと、全体の構成もわかりやすく、親しみやすい曲に感じた。
バーバーの協奏曲を感じたり、シベリウス風のひんやり感も味わえる。
そして、石田さまのスリムでかつ熱いヴァイオリン演奏は、この曲をクールでスマートな音楽として聴かせてしまうところがいつもの石田氏らしいところ。
コンマス席で座って弾いていても、立ちあがるようにして弾いちゃうけれど、ソロとして演奏していると、その多彩なアクションとに目も耳もくぎ付けになる。
大きくなったり小さくなったり(そう、屈伸しちゃう)、跳ねたり、足踏みしたり・・・です。
でも、それがこけおどしの音楽となって反映されないところが、この方のすごいところ。
どんな動きをしようとも、出てくる音楽は、豊穣かつ繊細。
細見な音色は、こうした北欧系の音楽や後期ロマン派の音楽にぴったりであります。
オケの仲間を見渡しつつ、下野さんとも顔近付けてアイコンタクトしつつ、実に気持ち良さそうに弾いておりました。
一気呵成に終わる洒落たエンディングもオケとともにバッチリ決まって大ブラボーでございましたsign01

休憩時間歓談中は、隣にいらっしゃった聖響さんがお知り合いと、マーラーの話を一生懸命にしているのを、こちらも耳を澄まして、ふむふむと一生懸命に盗み聴きしておりました(笑)

後半は、チェロの山本さん、指揮の下野さん、おふたりとも、吹奏楽&バンドメンバーと一緒にステージに登場。
フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、ホルン、トロンボーン、テューバ、コントラバスに加えギター、ドラム、ベースといったユニークかつクラシカルじゃない編成。
みなさん、燕尾服から黒いシャツ姿に衣裳替え。
グリーンの蝶ネクタイとグレーのハットもお洒落なのでありました(笑)
 ジャズ奏者としても鳴らしたピアニスト、フリードリヒ・グルダが、朋友ハインリヒ・シフのために書いた協奏曲。
時代錯誤のロック風、アルプスの田園牧歌風、シリアスな無伴奏風、古典風、ジャズっぽくかつカーニバル風の行進曲・・・・、こんな多彩な5つの楽章からなる30分の音楽は、聴く側も演奏する側も楽しめるオモシロ作品なのでありました。
まさに、人をくったような、グルダそのひとを感じさせる。
 バンドが入るものだから、チェロもマイクを当てて増音。
それが全然不自然じゃなくて、バランスがとても取れてました。
横長に配置して、カジュアルないでたちで、みなさんリズムも取りながらの演奏は、聴くわたし達も、思わず動きたくなってしまう楽しさに溢れてます。
ちなみに、youtubeで観れる「アルミンクの新日フィル」の演奏会は、とってもお堅いクラシック寄りの演奏風景ですので、今回のものとの比べてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=Ludf3NPN3UY&feature=related

石田さんの個性とまた異なる山本さんのチェロは、その誠実で優しいお人柄そのもので、ジャジーでポップな曲を弾いてもそれは変わりません。
とってもナイスで、しかも無伴奏の楽章ではチェロの響きのコクと深みが漂い、神妙に聴きいるのみでした。ベートーヴェンのオマージュみたいにも感じたこの場面、グルダもこんな曲書いたのだなぁ、と妙に感心。
その前、アルプス風ののどかな楽章では、フンパーディンクの「ヘンデルとグレーテル」を思わせるもの。
それから、やや古風なメヌエット楽章は、ギターやタンバリンもポロポロ鳴って、こちらはドン・キホーテみたいな雰囲気に。
ドイツかオーストリアの田舎のサーカスみたいな少しばかりチープで、仰々しい終楽章。
この曲がにぎにぎしく終わると、これまた大ブラボーsign01

フルオーケストラへの配置中に、下野さんが登場して、客席にいた聖響さんを呼び出し、楽しい同期歓談をご披露のおまけ付き。

最後は、ステージにオケメンバーぎっしりのラヴェル
こちらはもう、ゴージャスな耳のご馳走。
文句なし、なにもいうこたぁ~ござんせんよ。
イェ~イ、最高だぜ、って感じ。
それにしても、ラヴェルって天才的です。
オケがこんなに精妙かつ多彩に鳴り渡るなんて。
それを完璧に再現した下野さんの明快な指揮ぶり。
そして神奈川フィルのきらきら美音は、ここに至って大炸裂。
ここでも飛び交う大ブラボー

終わりかと思ったら、下野氏は山本さんを引っ張ってきました。
石田・山本を両翼に配置して、アンコールはきっとお馴染みの曲、ということで・・・・・。
おんやまぁ、始まったのはラテンナンバーの「ティコ・ティコ」じゃぁありませんか、お客さん。
ヴァイオリンとチェロの独奏付き、フルオケによる「ティコ・ティコ」は、これまたゴージャスきわまりないフルサービス全開、満漢全席横浜中華街状態sign02
神奈川フィルの輝かしい響き炸裂の大爆発状態。
目尻、鼻の下、わたしの顔はすべて伸びきり破顔状態。
下野氏のプログラミングとステージ盛りあげ上手の魅力と実力に感服状態。

参りました、やられましたよ。

Doubustuendori_1_2

そして、スゴイ勢いで、いつもの神奈川フィルを勝手に応援するメンバーと、ラストオーダー間近のいつもの店に直行して、スゴイ勢いでコンサートの興奮そのままにビール飲みまくりました。
あんまり夢中で、いつもの写真を撮り忘れ・・・・。

こちらは、最終ぎりぎりまでの2軒目の中華で紹興酒を飲むの図。

みなさん、お世話になりました。

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2011年9月15日 (木)

塀の上の「にゃんにゃん」

Chobi_1

とあるお宅の塀の上に、にゃんにゃん発見。

寝てるよ、まったく。
ブロックだから厚さ、10~12㎝ですよ。

Chobi_2

こんな感じで、呼んでも起きないし。

カラーリング変だし。

Chobi_3

おっ、対岸の奥の塀には、またもう一匹。

ご親族と思われる。

Chobi_4

こいつ、微妙に味のある顔つき。

遠くてごめんニャさい。

Chobi_5

眠れる先の1号ねこも、コンビニビニール袋ガサガサ攻撃で、薄目を開けて、当方の存在をようやく認識。

Chobi_6

なはははは・・・・・・・っhappy02

おもろいで、あんた。

ちょびヒゲみたいな鼻まわりに、耳。
お体のツートンも良さげな、ナイスちょび君ぢゃぁないですかい。

あんた気にいったsign03

Chobi_7

遠くの親族も、拡大してみたらこんな感じ。

配合の按配が実に似ていて、きゃつ(キャッツ)もまた味わい深いのです。

彼らのシュッ没エリアは押さえてありますので、また取材に出かけてみたいと思ってます。

初回は、カメラを持たなかったので、車を止めて観察していたんです。

その時は、同じようなブチの子供が2匹いて、喜んでやってきて、車の下に入っちゃったんですよう。
あわてて、出て下を除いたけれど、一匹いない。

どこいっちゃったんだろうと、探しまくったら、なんと、タイヤの上、すなわち、ボディとタイヤの隙間でくつろいでるじゃありませんかhappy02
笑えましたが、なんとも間抜けで、無防備なにゃんにゃんなのでございました。

その間、これら親とみられる方々は、呑気に寝たり、体掻いたりしてましたねcat

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2011年9月13日 (火)

シェーンベルク 「清められた夜」 カラヤン指揮

Hills_4

昨日は中秋の名月。

そして1日あとの、ほぼ満月の今日13日の「月と東京タワー」です。

毎度お馴染みバカチョンカメラの解像度の低さには悲しいものがありますが・・・・。

Hills_2

ずっと引いて、遠望を。

こちらは、六本木ヒルズからの眺めです。

仕事を終え、散歩がてらに行ってきました。

月を見とれる若い男女も多かったです。

Schoenberg_karajan_2

月夜の晩に、シェーンベルク

そうくれば、「月に浮かれたピエロ(ピエロ・リュネール)」ということになりがちですが、ずっと若いころの、ロマンテック極まりない、いわば男女のちょいとエロい音楽ともいうべきが、清められた夜=浄夜

過去2度、記事にしてますが、それ以上語ることはありません。

要約すると、デーメルの官能的な詞は、違う男の子を宿してしまった男女の不合理かつ、生れ出ずる子供主体の前向きかつ、男子歩み寄りの物語。
そしてその音楽は、ワーグナーの影響、いまだ多大だった中、トリスタンの持つ官能的な側面のみを浮き彫りにしてしまった感あり、濃厚な後期ロマン派の典型的な響き。

そして、このような音楽を指揮しては、ピカイチ的な指揮者が、その分野にやや遅れて参入したカラヤン。
新ウィーン楽派やマーラーには、70年代を少し経てから本格的に取り組んだカラヤン。
むしろ、お得意のプッチーニから、逆アプローチしたかのような歌謡性と旋律線のかっこよさの追及から成り立ったジャンルなのではないかと思ったりしている。
プッチーニは、マーラーやR・シュトラウス、ウィーン楽派の作曲家たちと同世代だし、豊穣で巧妙なオーケストレーションは、究極の美を誇っているのだから・・・。

それにしても、カラヤン指揮するベルリン・フィルのある意味行き着いてしまった究極の機能美は、こうした曲では青白くうねるような怪しい炎のように感じるまでに、官能美に達している。
炎は、赤や朱に燃えるよりも、青白く燃える方が熱く、そして不純物なくクリーンなのです。

以前の記事にも書きましたとおり、この妖しい音楽は、「トリスタンとイゾルデ」を得意にする指揮者にとっても同様、素晴らしい演奏を残しております。
カラヤン、ブーレーズ、バレンボイム、メータ、サロネン、そしてきっと亡き若杉さん。
わたし的には、アバドにも是非残しておいて欲しい曲目。
それから、日本のオケでは、なんといっても美味なる神奈川フィルの弦楽セクションにて!

  男と女が寒々とした林の中を歩んでいる。

  月がその歩みにつきそい、二人を見下ろしている。

  月は高い樫の木の梢のうえにかかっている・・・・・。


1899年、19世紀もそれこそ終焉の年の作品。
日本は明治32年。
幕末の系譜、勝海舟が亡くなり、清国に数年前に勝ち、国際社会に顔を出し始め、数年後の日露戦争を控えていた時分。

そんな風に思うと、日本における西洋音楽はかなり後発だし、ヨーロッパでの音楽の進化は、感覚の域まで達していた訳なんです。
ちなみに、マーラーは第4交響曲まで手掛けております。

満月に思う、あれこれ。

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2011年9月11日 (日)

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ガヴァッツェーニ指揮

Sagamiwan

陽光眩しい海。

遠くに見える島は大島。

Verdi_simon_gavazzeni

海を背景にした男のドラマ、ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」。

ヴェルデイのオペラのなかで、一番好きな作品。
当ブログでも3回目の登場。
作品の経緯やあらすじはこちら→「ゴッピのシモン」

なんで、こんなに好きになったのか。
それは、敬愛する指揮者クラウディオ・アバドが情熱を傾けて執念のように上演し続けた作品だから。
スカラ座時代(1968~86)に、何度も何度もとりあげ、観衆からは、またか?と思われつつも、その都度、完璧な精度を保ち、深い感動を与え続けてきた「アバドのシモン」。
1981年、スカラ座の引っ越し公演で、日本でも上演され、それを観劇したわたくしは、これまでの人生屈指の感銘に残る舞台として今でも脳裏に焼き付けている。
こちらの記事です→「アバドのシモン」

ゴッピによる名録音はあったものの、どちらかというとヴェルデイ諸作品の中で、渋すぎるがゆえに埋もれがちだった「シモン・ボッカネグラ」の素晴らしさを世に認めさせたのは、アバドの功績であります。
 そして、歌手では、ピエロ・カプッチルリニコライ・ギャウロウのふたり。
この二人の渋い男の世界と火花散る共演があってこそ、アバドのシモンにも深みが生れた。

アバドのシモンが録音されたのが1976年で、この年、日本でも「シモン・ボッカネグラ」が本邦初演された。
NHKの企画した「イタリア・オペラ団」最後の年。
この公演もわたくしは、巨大NHKホールで接することができた。
朝早くから銀座のプレイガイドに並び、チケット争奪に参加したけれど、あっけないほど簡単に手にいれることができた。
「シモン」と「アドリアーナ・ルクヴルール」下さい、とわたくし。
窓口の女性は、「え?カヴァレリアとパリアッチじゃないの?」
 そう、あのとき、一般の注目はドミンゴがついに来日して、一晩で、「カヴァ・パリ」を歌うということに人気が集中していたのです。
クラヲタ道まっしぐらの変な高校生でした。

Simon2_3 

その時のキャストが、カプッチルリギャウロウリッチャレッリメリーギでありました。
二期会などで何度かオペラは観てましたが、初めて接する本物のイタリアオペラの世界に、大きなホールを圧する歌手たちの底力。
とりわけ、カプッチルリの輝かしさとギャウロウの低音のピアニシモの美しさに鳥肌ものでした。
その2人もいまはこの世になく、スカラ座来演で再びまみえた、彼らの2つのシモンの舞台は、わたしの思い出の宝物でございます。

NHKFMでは、来演演目を事前に予習のかたちで、放送してくれていて、シモンは、当時唯一の現役盤だったガヴァッツェーニ指揮のRCA盤が流され、私も録音して一生懸命に聴いたものです。
1973年頃の録音。
すなわち、スカラ座でアバドが上演していた頃のもので、当時はまだDGによるスカラ座録音再開が準備が整ってなく、慎重なアバドも録音に踏み切らなかった。
真打アバド盤の登場で、影が薄くなってしまったガヴァッツーニ盤。
久しぶりに聴いてみると、オーケストラの精度と深み、劇的な場面での鳥肌立つ素晴らしさでは、アバド&スカラ座には及ばないが、オケの一人ひとりに染みついたカンタービレの心。
現在の没個性的、国際化したオーケストラの音色からすると、RCA管弦楽団という、おそらくローマのオペラや放送曲のオケと思われるが、イタリアオペラ訛りとでいいましょうか、本能的なまでの歌に付随し相和するその響き。

シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ フィエスコ:ルッジェーロ・ライモンディ
アメリア:カーティア・リッチャレッリ      ガブリエーレ:プラシド・ドミンゴ
パオロ:ジャン・ピエトロ・マストロメイ     ピエトロ:マウリツィオ・マッツエリ
隊長:ピエロ・デ・パロマ            腰元:オルネラ・ジャケッティ


  ジャナンドレア・ガヴァッツーニ指揮 RCA管弦楽団/合唱団

場数を踏んだ後々のカプッチルリにはみられない若さと声の馬力。
そのブリリアントな声の魅力には抗しがたいものがあって、これぞヴェルディ・バリトンと思わせる。
スカラ座来演では、演技が伴ったこともあるが、もっと内面的に踏み込んだ渋い歌唱で、1幕2場の民衆への呼び掛け「Fratricidi! Plebe! Patrizi! Poporo!・・・」の味わい深さは素晴らしいものだったが、ここでは体を張った熱い呼びかけが、民衆を黙らせるに足る力強い歌となっている。
亡きマリアを思う恋人、海賊の統領からジェノヴァの総督として善政をひく政治家、娘を思う父親、敵対する義父との葛藤、かつての部下の裏切りに悩む長。。。。
こんな多面的な存在としてのシモンを歌い込まなくてはならない難役。
そして、最後は死を前に、自分を育んできた大きな海を眺めながら、すべてを諦念のなかに置き去ることとする。
 シモンというオペラの魅力の一端は、主人公の思いが、われわれ男性が持つ悩みと一緒なところ。
壮大なオペラの世界だけれども、実は身近なドラマなのです。
そんなシモン=カプッチルリの図式は、とうてい壊しようがない。
ミルンズだろうが、まして某大テノールが挑戦しようが、わたしにはダメなのです。
シモンの代名詞は、アバド・カプッチルリなのです。

ギャウロウに変わるバスとして唯一許せるのがライモンディ
こちらのフィエスコは、声の対比としては義息子のカプッチルリに比して若すぎの感ありながらその美声はなかなかに魅力。

Simon1_2

  そして、舞台でも観たリッチャレッリのアメリアが初々しくて、フレーニともまた違った魅力にあふれております。
ドミンゴの立派すぎるガブリエーレは、若さと無謀一直線のこの単純な役柄には勿体ないくらい。
NHKイタオペで、スカルピアを歌ったマストロメイは、この役ぐらいしか音盤がないけれど、なかなか良いバリトンだった。ここでも悪漢を威力的な声で演じてます。
懐かしいピエロ・デ・パルマの声も嬉しいもの。

ガヴァッツーニのつぼを心得た指揮ぶりは、先に記したオケと一体で、アバドほどの凄みはないけれど、安心して、シモンの世界に浸りきることができる点で推奨できます。

Simon3

このオペラの幕切れは、服毒を受けてしまったシモンの悲しい死で終わります。
冒頭のエピローグでは、恋人を失い、娘も行方不明、義父からは冷たく罵られ、知らぬ間に総督に担ぎあげられてしまった孤独なシモンだった。
 そして、最後は愛娘と新たな後継者となった娘婿、そして相まみえ許し合った義父、彼らに囲まれ壮絶な死を迎える。
音楽は、さながら「レクイエム」のようであります。

私も、海を見ながら旅立ちたいものです。

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2011年9月 9日 (金)

チャイコフスキー&マーラー 交響曲第5番 M・ホーネック&Promsその後

Kushikatsu

大阪での居酒屋のひとコマ。

串カツ注文。
カラリと揚がったサクサク串カツ。
目の前にある並々と入ったソースの容器。
これに一発漬けて一口に食す。

兄ちゃん、二度漬けはあかんでsign01

左手の紅ショウガがいたく気に入ったワタクシにございました。

Honeck

9月10日、そう日本時間の明日昼ごろまでやってます、英都ロンドンのプロムス2011。

ヨーロッパの夏のメジャー音楽祭で一番長いんじゃないでしょうか。

ちなみに、バイロイトは8月でおしまい。
同時に来夏の新作「オランダ人」の内容を発表してます。
このあたりは、また「オランダ人」の記事を近々書こうと思いますので、そちらで。

8月後半からのプロムスを、聴いたものだけおおざっぱに。

・エルガー ヴァイオリン協奏曲 タスミン・リトル  快活で素敵なタスミンのエルガー

・ナイジェル・ケネディのバッハ おしゃべりが過ぎるがおもろすぎやでぇ

・オラモのニールセン   この人、いい指揮者になったねぇ

・カラビッツのラフマニノフ交響曲第2  期待はずれ 青ちょろい

・ウィグルワースのブリテン  ビエロフラーヴェクが体調不良で降りてしまったけれど
                  実にいいブリテン。英国の指揮者層も厚くなってる。

・ハイティンクのブラームス  ECOと3番と4番、アックスとふたつの協奏曲
                  若々しさに脱帽のブラームス。

・ダウスゴーのブラームス   ビエロフラーベクの代役で1番。
                  軽快でむちゃくちゃおもしろかった。ブラボーの渦!

・サー・コリンのチャイコ    マーラーユーゲントと重鎮デイヴィスのチャイコ4番。
                  最後の最後のむちゃくちゃ盛り上がり、熱いぜコリン。

・サー・コリンのミサソレ    ロンドン響。夏には辛い曲目だけど立派なもんだ。


そして、マンフレート・ホーネック指揮ピッツバーグ交響響楽団の演奏会がふたつ。

 ①ブラウンフェルス ベルリオーズの主題による幻想的変容
  
   ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第4番  E・グリモー

   チャイコフスキー 交響曲第5番


 ②ワーグナー   ローエングリン 前奏曲

   リーム     歌われし時

   マーラー    交響曲第5番


外来オケがプロムスで2演目のせるのは、かつての常連だったベルリンフィルやウィーンフィルだった。
ことしは、英国オケを主体としたちょっと渋めのプログラムだったから、ふたつの5番の人気交響曲をひっさげていたホーネック&ピッツバーグが目立った存在に感じたのです。

われわれ日本人にもお馴染み、ウィーンフィルのライナー・ホーネックの息子で、自身もウィーンフィル出身。
在京オケによく来演しているが、わたくしはまだ未体験。
今回、アメリカのビッグイレブンの一角のピッツバーグの音楽監督としてのロンドン楽旅。
すでにエクストンレーベルからCD発売されてますが、同レーベルは優秀録音は認識しつつもの、なかなかにお高いので手にする機会があまりないのでした。

そして聴いたこのプロムス。

表情付けは大胆ではないけれど、緩急豊かで、威勢がよく聞かせどころのツボを心得ていて、それらがまんまと聴き手の気持ちにハマってくる。
味わいの点ではまだまだながら、聴きなじんだふたつの5番の交響曲が、妙に新鮮かつゴージャスに聴こえたのです。
ライブならでは勢い興奮がありながら、以外にも沈着な音の処理は、このまま年月を積むと大物に変貌してゆく可能性を感じました。
いつもながらに、ロンドンの聴衆の熱狂は凄まじいものがありますが、チャイコの5番の終楽章のコーダでは見事にフライング拍手が決まってましたよ(笑)

プレヴィン、マゼール、ヤンソンス、A・デイヴィス、ヤノフスキと続いた名門ピッツバーグはドイツ系の音色を持った優秀オーケストラ。
オペラ指揮者としての適性も充分なホーネック。
なかなかに面白い組み合わせ。

これからも注目ですな。

そうそう、プロムスのストリーミング放送もあと1週間。
デュトワ、ガーディナー、ラストナイトの3演目はまだ未聴です。

プロムスのHPはこちら・・・ストリーミング放送は1週間の命、お早めに→Promus2011

 プロムス2011記事

 「ノリントンのマーラー 第9」

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2011年9月 8日 (木)

マーラー 交響曲第4番 マリナー指揮

Azumayama201108_4

わたくしにとっては、天国のような場所。

いつも紹介してますが、海と山と花々。
約30分で登頂。
ここに来れば浮世も忘れることができます。
実家に帰ったときは、必ず朝登ります。
夏は、遠くがぼやけて、海山空の境界線が曖昧ですが、空気が澄んでくると、それはもう美しい光景なのです。

小学校時代から、ここには来てましたからかれこれ40年以上。
昔は、なにもない山でした。

Kibanacosmos

別なところに咲いていたキバナコスモス+アリさん。

Mahler_sym4_marriner 

久々のマーラー、そして、マリナー卿

サー・ネヴィル・マリナーマーラーだなんてsign02

毎度古臭い話でごめんなさい。
マリナーといえば、「四季」。
それがほぼマリナーが日本でメジャーになったレコードで、以来、アカデミー室内管弦楽団と切ってもきれない関係ということで、「マリナー&アカデミー」と完全に同一体のイメージに。
そしてそのレパートリーも、バロックから古典、そして近代にかけての室内オケ的な小ぶりな演奏曲目。といった具合に、マリナーのイメージはなんとなく固められていった。

いまだに、それを引きずっているから、「マリナーありえへんシリーズ」なんて聴き方を、当ブログでは特集しちゃってるけれど、案外若い方々には、そんなイメージはなく、マリナーはフルオケも、室内オケも普通にこなすマルチ指揮者ということになっているかもしれないし、アカデミーも室内オケじゃなくて、変幻自在な普通のオーケストラという受け止め方が出来上がっているのではないのでしょうか。

マリナー好きのわたくし、その音源を数々揃えるなか、マーラーはこの交響曲第4番と、歌曲のみ。
ブルックナーは0番があったけれど、ともに珍しい、そして他の番号は考えにくい作曲家でありましょう。
誰が考えても、マリナー卿が「千人交響曲」を振るなんてことを考えつかないですよね。

オーケストラは、シュトゥットガルト放送交響楽団
チェリビダッケにしごかれ、少し間をおいてマリナーが受けた鋭敏な放送オーケストラ。
ちなみに、マリナーのあとがイタリア人のジェルメッティ、そのあと少し間をおいて、いまのノリントン。
実に多彩な指揮者の系譜。
英国人ふたり。
サー・ネヴィルとサー・ロジャーともに、古楽演奏からスタートしたふたり。
後者は、大胆なまでに、現代オーケストラに自前の論理に基づいたピリオド奏法を持ち込んだけれど、マリナーはずっと温厚・柔軟で、先鋭さは少なめで、濃厚な味わいを薄めに、音楽のテクスチュアが爽快かつ淡白で、耳当たりが実によろしい。
 このあたりに、マリナーの音楽造りの好き嫌いが出そうだが、わたくしは、そんな少し軽めの、耳に優しいマリナーが大好きなのです。
加えて、近年到達しつつある芸風の大きさが、意外なまでの爆発力を持っているものだからライブはまったく目が離せないのであります。

このマーラーは、1989~90年の録音。
全編を流れる、こだわりの少ない爽快なマリナー節。
当然に、思い入れのあるようなポルタメントやテンポの揺れは少なく、透けて見えるような透明感と、こだわりのない楽譜が見えるような歌い回し。
全4楽章、そのような感じで、とても美しいマーラーでして、クリアーで純粋無垢、緩やかで軽めな音色がわたくしには実によろしいのでした。
3楽章のほんとに美しい歌と、感動の高まりのピークも実に自然な高揚感に溢れてます。
 こんなマーラーらしくないマーラーも、本当に耳に優しいものです。
ソプラノの白井光子さんの、清潔で、かつドイツ語の明確な発声による名唱が、終楽章を親しみあふれる身近な天国のようにしております。
あぁ、なんて、素敵なのでしょう。

サー・ネヴィルのマーラーでした。

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2011年9月 4日 (日)

バーンスタイン ミサ曲

Ginkaku

渋い銀閣寺。

わたしじゃなくって、息子が撮ってきました。
デジカメを持たせ、撮り方を格別伝授しなくとも、そこそこの写真を撮ってきましたよ。
ふふふっ、親として嬉しい限り。
ネタとして使わせていただけますので(笑)

Bernstein_mass

レナード・バーンスタイン(1918~1990)のミサ曲

1972年の作品で、この曲を完成させつつあった70年に、バーンスタインは、ニューヨークフィルと来日していて、わたくしは毎度のことながら唯一の情報元であった、「レコ芸」で、その演奏の模様や、小沢・日フィルとの親善野球試合の写真などを憧れのもと、眺めていた小学生だった。
ちなみに、そのときの演目が、幻想、ベト4・5、そして、マーラーの第9だった。

毎度ながらの昔話で、恐縮でございます。

最近、作曲家バーンスタインの方が、親しい存在になりつつある。
指揮者バーンスタインなら、70年代以前のもの。
DG初期からCBS時代。
活気みなぎるバーンスタインが、ヨーロッパを席巻し、世界のレニーになった頃。

このミサ曲の時代背景。アメリカは、ニクソン治下、ベトナム戦争中。
少し前は、R・ケネディの暗殺、沖縄返還合意・・・・。
ソ連との両極関係にありながら、悩める大国は病んでいった。
それを頭に置きながら聴く、バーンスタインのミサ曲。
死語にも匹敵するカテゴリーのミサ曲を近代作曲家が真剣に取り組むなんて、しかも、カトリックの音楽をユダヤ人が手掛けるなんて。

交響曲第3番「カディッシュ」は作曲中起きたJ・F・ケネディの暗殺を受けて、故ケネディに捧げた。1968年のこと。
そして、同時に構想を練りつつあったミサ曲は、ケネデイ未亡人ジャックリーヌ・オナシスの依頼により建てられたケネディ・センターのこけら落しとして作曲が進められることとなった。
そして、出来あがったその曲は、ミサ曲の概念を打ち破る劇場音楽としての上演形式であり、クラシック音楽のカテゴリーに収まりきらない、ロックやブルースを取り入れた総合音楽的様相を呈した大作となったわけである。
バーンスタインは、この作品を「歌い手、演奏家(楽器)、ダンサーのための劇場用作品」と称している。
それは、こんな舞台の様子(後生大事にとってあったFMファンの切り抜きから)。

Bernstein_mass_1

衣装には、時代を感じさせるが、ミサ典礼文をこんな感じで歌い踊り演じちゃうことに、聴衆は冒瀆よりは、新鮮な感動と共感を覚えた。
教会内の厳めしい形式的な秘義を劇場に解放してしまった・・・とでもいえようか。
こんな発想をすることができたバーンスタインの天才性。

曲は、ラテン語によるミサ典礼文を基本に置きながら、そこに英語によるバーンスタイン自身とS・シュワルツによって書かれた台本がからんでくる。
キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュスデイ、これら通常典礼文がしっかりあって、それらは時にロックのようにシャウトして歌われたり、ブルース風だったり、現代音楽風だったりのバラエティ豊富な展開。
その間に絡んでくるのが、追加された歌唱部分で民衆たる合唱やソロによるものと、ミサ全体を司るCerebrant(司祭)のバリトンによる歌唱。

 前半部分は、典礼も挿入部分も主を賛美し、神の栄光を称える。
司祭は冒頭、「Sing God a simle song・・・・・」~「神に、シンプルに歌を捧げよ!生のあらんかぎり、主を讃える歌を歌おう・・・・」と実に美しい讃歌を歌う。
この曲、わたしは気にいってまして、カラオケで歌いたいくらい。
中学生の頃に発売されたこのミサ曲の、特別サンプル17cmLPをCBSに応募してもらったが、その冒頭がこれ。何度も聴きました。変な中学生でした。

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しかし、典礼の合間合間に、人々の神への不信や不満が芽生えてきて、「何いってんだ!」とか「早く出てこ~い」なんて好き勝手歌い始める。
不穏な空気が後半はみなぎってくる。
 クレド=信仰告白に対しては、「告白すりゃぁ、それでいいってか!」「感じてることは表に出せない、見かけなんて嘘ばかり。ほんとうのもの、主よそれがわからねぇ・・・」と不満をぶつける。
しかし、司祭はそれに対し、「祈りましょう」・・・としか答えることができない。
「選べるのだったら、一本の木だってよかったんだ。人間になんてなるんじゃなかった・・」と病んだ発言。
「あんたは、またやってくると言ってた。いったいいつ来るのよ!いつまでわたしたちを苦しませているのよ、世の中はひどいことになっているよ・・・」
途中、ベートーヴェンへのオマージュのような章もあって、第九の旋律が流れる。

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それでも司祭は、祈りましょうと、聖体拝領を行ってミサの儀を進める。
次ぐアニュスデイは、通常のミサやレクイエムでは神妙かつ優しい曲調なので、そう思って聴くと、まったく裏切られることになる。
民衆と個人ソロが入り乱れて、不平不満大会となって沈黙する神への怒りへと変貌してゆき、暴徒化してゆく。音楽も、大音響となって収拾がつかなくなる・・・・・。
 そこへ、司祭が「PA・・CEM、Pacem」と叫び、赤葡萄酒に満たされた聖杯を床に叩きつけ、聖杯は大きな音を立てて砕け散る。
「平和、平和を」と叫んだ司祭。
これからが、司祭の最大の歌いどころ。15分以上をソロで歌い抜けなくてはならない。
法衣服を脱ぎ、「粉々に砕けてしまった、物事はなんて簡単に壊れてしまうんだ。」と悲しそうに、そして空しく歌う。
「まだ待っているのかい?・・・、 だが君たちは、君たちなんだ、何が君たち歌い手たちに出来たかを、それを歌い、それを祈るんだ・・・・」
司祭は、舞台の下に消えてゆく。
 前半に出てきたオーボエの神秘的なソロの音楽を、こんどはフルートソロが静かに奏で、やがて最初はボーイ・ソプラノの少年合唱で、次いで民衆やソロ、そして再び一般人のなりで現れた司祭役も加わって感動的な「Secret Songs」が始まる。
「Lauda」すなわち、誉め讃えの言葉が繰り返される感動的なエンディングは、マーラーの千人交響曲の神秘の合唱にも似ている。
だが、それと違うところは、「汝に平安され」と囁かれ、「全能の父よ、耳を傾けてください、われわれを祝福し、ここに集まったすべての人を祝福してください、アーメン」と静かに閉じ、ナレーターが最後にミサの終了をアナウンスする壮麗さとは無縁の渋い印象的な終わり方だ。
「The Mass is ended;go in Peace」

不穏な時代にも、人の心にある祈りと平和への思い。
沈黙の神への問いかけは、自分の心への問いかけに等しい。
宗教の概念を超えた素晴らしいミサ曲だと思います。

演奏云々をいうべき音源ではないが、司祭を歌うのが、なんと若き日の、アラン・タイトゥスであります。
いまやバス・バリトン歌手として、バイロイトや新国でウォータンを歌ったあの人。
あの声が全然想像できない、明るめでテノール音域までも楽々とこなす、しかもロック風歌唱もばっちりのタイトゥス。
独壇場ともいうべき素晴らしい歌唱でした!

    司祭:アラン・タイトゥス
    合唱:ノーマン・スクリブナー合唱団
        バークシャー少年合唱団
    その他歌手
    舞台監督:モーリス・ペレス
    指揮:レナード・バーンスタイン
    オーケストラ&ロックバンド
    プロデューサー:ジョン・マックルーア
         (1971.9@ワシントン)


久しぶりに真剣に聴いたバーンスタインのミサ曲。
大いに感動しました。

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2011年9月 3日 (土)

ショスタコーヴィチ 交響曲第15番 ヤンソンス指揮

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夕方に客先帰りに立ち寄った日本庭園。

ここ、実は靖国神社の中なのですよ。

九段下から靖国通り沿いに縦長の神社の一番奥にあります。

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こんな静謐な庭園があるんです。

誰もいなかったので、わたくし、思索にふけってしまいました。

え? 何をって?

今日の晩ご飯はなんだろう?
酒は何にしよう?  ってね。

世俗的なワタクシでした。

Shostakovich_sym15_jansons

ショスタコーヴィチ(1906~1975)の交響曲シリーズ。

ようやく最後の交響曲第15番
ばらばらと聴き、記事に残したという意味では、とっくに終わっているけれど、連続CD聴きの記事の一環としてはこれは最終回。

1971年の作曲で、初演は息子マキシムによる1972年。
海外初演は、ロジェストヴェンスキーがモスクワ放送響と来日して大阪で行った大阪フェッスィバルの一環。
東京でも演奏された。
そのどちらか不明だが、NHKが放送して、わたくしはその模様を、ロジェヴェンさんのおもろい指揮ぶりとともに視聴して、ショスタコの5番以外の交響曲に触れることができた。
放送を録音して何度も聴いたが、その引用の多いパロデイ交響曲に魅力を感じることができなかった。
 そう、「へんなのっ!」でおしまい。
わかったようで、わからないまま、この曲はそこで世間から埋没していった気がする。
息子初演盤と、ソ連系のロジェヴェンとコンドラシン、そして新しもの好きのオーマンディ。
このくらいが70年代に出て、あとはほったらかし。

この曲を純粋な、そして真摯な交響曲として大真面目に捉えたのがハイティンクとザンデルリンク。
このあたりから、わたしのこの曲の聴き方も変わってきて、シリアスで透明感ある独特の作品との見方を強めていった。

そう、ウィリアムテルに惑わされてはいけない。
あの軽薄にみえる第1楽章もよく聴けばシニカルな半面、寂しさもひとしおの感あり。
 そして、終楽章とならぶこの曲の白眉は、第2楽章。
荒涼とした寒々しいロシアの大地をゆったりと沈鬱に進む葬送の行進。
それがじわりじわりと進むなか、突如として痛切きわまりない大咆哮となるところは、いかにもショスタコらしく、シロフォンを伴っていて切り裂くようなクライマックスとなる。
その後は、死に絶えたような陰鬱さ・・・・
 休みなく続くスケルツォ的な3楽章は、1楽章と同じく軽薄な様相を呈しつつも、どこか厳しい雰囲気。
そして、これまた引用の多い終楽章は、「リング」全体を覆うライトモティーフ「運命の動機」そのもので始まる。「ワルキューレ」の死の告知の場面や「ジークフリートの葬送行進曲」を思わせる。
「リング」は、世界を意のままに出来る黄金から指環を造り出したアルベリヒが、その指環を略奪され、それを持つものに死の呪いをかけた。その指環の争奪戦の長大なドラマ。
あらがいがたい運命が全編に付きまとうわけ。
その運命の動機を、結果として最後になった交響曲の終楽章に持ってきたショスタコーヴィチ。
解き明かすことのできないその意図は魅力を持った謎であります。
 その運命的な主題や、「トリスタン」的な半音階、ムツェンスクマクベスなどよりの引用もちらほら。
中間部では、第7交響曲の主題を用いながらこれまた強烈なクライマックスを築くが、全体を覆う沈滞ムードは侵しがたく、力を失ったあとは明滅するような彼岸めいた雰囲気となる。
マーラーの第9みたいに。
打楽器が多様される15番。最後は、チェレスタに誘導されて自身の第4交響曲やチェロ協奏曲などの終結部分と同じように各種打楽器が虚無的な雰囲気を醸し出しながら静かに終わる。

不思議な魅力の第15番。

ヤンソンスの全集のなかの97年のこの録音は、ロンドン・フィルを起用した。
順応性高く、そしてハイティンクとも録音済みのLPOは渋いサウンドで、ヤンソンスの真摯でほどよく聴かせ上手な指揮に応えている。
妙にデフォルメされたところもなく、引用部分が浮き上がってしまうことのない仕上がりのいい演奏に感じます。
この録音から10年以上たったいま、バイエルン放送あたりともう一度録音してみて欲しいものです。
 かつては考えられないくらいに、この曲のCDも出てますし、演奏会でもよく取り上げられるいまであります。

ショスタコーヴィチの連続シリーズ、ようやくおしまい。
ロシア系の専売特許だった時代を経て、西側ヨーロッパ圏。
そしていまや、われわれアジア圏も含めた世界潮流でもってショスタコは聴かれ、録音されている。
ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチが人気交響曲作曲家の現在です。

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2011年9月 2日 (金)

オッフェンバック チェロ協奏曲 ペルノー&ミンコフスキ

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車で走っていたら、突如出現した20世紀初頭の豪華客船。

まるで、タイタニック号であります。

こちらは、ディズニー・シーの裏側から、すなわち、左手が海(東京湾)、右手がディズニーシーというシテュエーションにございます。

ディズニーランドとシーの外周は、道路で一巡できます。
花火の時は大変だけど、普段はスイスイ走れる。

大昔は、TDLに行かずして楽しむドライブコースとして、よく利用させていただいたものです。
この前、久しぶりに走ってみたけれど、いま住む千葉側からのアプローチだと、途中、震災の影響が生々しくのぞめる光景でありました。

夢の国も、日本の天災には打ち勝てないのでありましょうか・・・。

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そして、突如として前に現れ、すぐさま右折していなくなってしまったミッキーバス。

可愛いのであります。

どこまでも追跡したくなります。

ディズニーの版権ももっと手が届くようにして、こんなバスや電車を日本中、ことに東北に走らせたらどうでしょうかねぇ~

Offenbach_romantique_minkowski

アールヌーヴォ風、モノクロームな雰囲気が実に素敵でおしゃれなジャケット。

オッフェンバックの管弦楽曲と知る人ぞ知るチェロ協奏曲の1枚。
そんなCDが、かつてのドイツのグラモフォン系古楽レーベル、アルヒーフから出てくるいまの時代。

レーベル内、レーベル間の合理化・最適化などで、かつてと異なるCD(レコード)マーケット。
DGも包括的にユニヴァーサルレーベルの中のひとつとなってしまったが、そのDG内での区分けは、古楽系がアルヒーフ。それ以外がドイツグラモフォン。
どちらかというと、バッハ、ヘンデル以前の区分けだったけれど、音楽家でもカラヤンがバッハ以前を録音してもDG。
リヒターが、ハイドンを演奏するとDG。
不思議な区分けだった。

いまも不思議は、アバドがペルゴレージやモーツァルトをモーツァルト管と入れるとアルヒーフから出るようになった。
そして、ミンコフスキがベルリオーズを録音したらDG、ハイドンやモーツァルトはアルヒーフ。そして、今宵のオッフェンバッハもそのアルヒーフ・レーベル。

書いてて、考えてて、さっぱりややこしくなってしまった昨今のレーベル関係。
デッカ・フィリップス・DG系が、RCAとソニーが・・・、まったくわからん。
昔はレーベルごとの特徴がそのジャケットにしっかり出ていたけれど、いまは無国籍風。

CD(音源)の個性、しいては価値がますます軽く、希薄になりつつあるように感じる。

このところ、前置きばかり。

今日のCDは、先鋭かつ敏感・俊敏・新鮮極まりない、マレク・ミンコフスキ指揮するレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルのオッフェンバック集。

  歌劇「地獄のオルフェ」(天国と地獄)から 序曲

  チェロ協奏曲 ト長調 「軍隊風」
  
  歌劇「ラインの妖精」から 序曲、バレエ、グランド・ワルツ

  歌劇「月世界旅行」から「雪の踊り」
       1. 序奏
       2. 青いつばめたち
       3. 雪だるま
       4. 雪のにぎわい
       5. ポルカ
       6. マズルカ
       7. 変奏
       8. ギャロップ・ファイナル

   チェロ:ジェローム・ペルノー

    マレキ・ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル
                      (2006.1M グルノーブル)


協奏曲以外は、普段聴きなれたオッフェンバック(1819~1880)の明るく、軽快で屈託ない音楽。
ミンコフスキも弾みまくるイキの良さで勝負しまくってます。
でも、天国と地獄が景気のいい能天気音楽に聴こえず、流れの必然としてあらわれるあのメロディ、といった感じで、とっても音楽的。
しかも、通常のあっけらかんバージョンとはちょっと違った大音楽風の版です。

そして初聴きだったチェロ協奏曲。
そもそもオッフェンバックの、こうした純粋音楽を聴くことも初めて。

チェロの名手だったオッフェンバックの1937年28歳の作品。
途中、行進曲風だったり、小太鼓が勇ましくなったりするので、軍隊風。

これが43分の大作なのだけれど、どうしてこれが、ドヴォルザークのようにチェロ協奏曲の定番大曲として普及しなかったか・・・・。
伝統的な急緩急の3楽章形式。
なじみやすい旋律やフレーズにあふれ、チェロの名人芸的な扱いもふんだんにあって聴きごたえは十分ながら、どこか地味。
 ドヴォルザークのような民族色や、それにともなうノスタルジックな哀感が、オッフェンバッハには欠けていて、耳に心地よい楽しいメロデイや当たり障りのな屈託のなさが、どうもその魅力にはなりきれていないようだ。

1楽章と、その旋律に似た3楽章も、似ているゆえに冗長さを増すことになったかも。
でも2楽章の歌に溢れた抒情はいい。

どうもオペラ作曲家の器楽作品というものは、歌に溢れてはいても、純粋音楽としてのカタにハマりきれないので、イマイチ感を不思議にも催す結果となっているのではないかと。
ドニゼッティやベルリーニなどがその典型。
やはり、歌で勝負なのです。

そんなこと言いつつも、若いフランスのチェリストペルノー君の甘さと上滑りしない品の良さに満ちたチェロには魅かれるし、ミンコフスキお得意のオッフェンバックだけあって、明るく正しいヴィブラート控え目のオーケストラサウンドが楽しめるのでありました。
明るく、ちょっと悲しいオッフェンバックのチェロ協奏曲。
機会があれば、一度お聴きください。

山本裕康さんのチェロ、聖響&神奈川フィルにぴったりのチェロ協奏曲ですよnote

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2011年9月 1日 (木)

ガーシュイン 「パリのアメリカ人」 マゼール指揮

Taro_1

大阪ミナミ。
法善寺横丁にあるバーの老舗名店スコッチバー「TARO」。
こちらのタンブラーのマスターがタローさん。
息子さんとふたり、にこやかに、そして厳しくも。
繊細・清潔極まりない見事な手順で、素晴らしい一杯を作ってくれる。
いつもお世話になってる方がおなじみで、こちらで待ち合わせて、軽くやって次に繰り出したり、へたすりゃ、ここから伊丹や関空に直行して東京に帰る、なんてことをこれまで何度もやってました。
地元の大店の二代目さんなんて方もお隣で飲んでたりして、懐の深いお店なのです。

この日は、これまたお世話になってるお馴染みの方と3軒目で訪問。
ジェムソンのロックをなみなみと飲んでしまいました。
あとたくさん・・・・。

そうそう、こちらは、おつまみも美味しくて、チーズ・トーストが絶品でございます。

Hozenji_1

いい雰囲気の路地だけど、品格があるのが法善寺横丁。

Gershwin_maazel

9月1日、関東大震災、防災の日。
台風も近付いてますッ!!

今朝9時から、東京都心に入る主要道路は10分間封鎖され、めったにみられない車輛なしの道路を見物することができました。
3.11の帰宅にともなう交通障害を受けての、規制の訓練といいます。
もう、あんなこと起きないことを望みますが、備えは絶対必要。
日本は災害の上になりたっている国ですから・・・。

全然関係ないけど、本日はガーシュインを。

ナニワの神奈川ないしは千葉県人。
それらしく振るまっていても、関西系のみなさまの明るさには参ります。
どうも、東の人間は切羽つまっていて、余裕がない。
あちらは、余裕はなくとも、笑いがある。
街の明かりも、なんだかんだで明るい。
関西でも、大手チェーン店は、課せられた命題があるから節電に躍起だけれど、そうじゃない方々は、全然明るい。
暗い夜に慣れてしまった、ワタクシ東日本人には、大阪の街は明るすぎだったのです。
 これでいいと思います。
大阪は明るくなくっちゃ!

そしてようやくガーシュイン。
「パリのアメリカ人」と「ラプソディー・イン・ブルー」は、それにピアノ協奏曲も併せて、アンドレ・プレヴィンとレナード・バーンスタインが双璧の定番。

協奏曲はないけれど、「キューバ序曲」を合わせた、ロリン・マゼール盤は、上記2種にくわえて、わたしの中では最高の1枚。
ジョージ・セルのあとのクリーヴランド管弦楽団を受けたマゼールは、いきなりプロコフィエフやガーシュインを取り上げ、その明快で鮮やかな指揮ぶりでもって、このオケが機能的なアメリカのオケだったのだ、と強く思わせてくれた。
1974年の録音で、同時期に「ポギーとベス」もクリーヴランドと録音してのけたマゼール。

ベルリン放送響、ベルリン・ドイツ・オペラ、クリーヴランド、フランス国立管、このあたりが一番好きだったマゼール。
そのあとは、自我が強すぎたり、政略が鼻についたりと、どうも好きになれなくなってしまった。(でも、ウィーンフィルと演奏したマーラーの5番は、絶品でした)

このガーシュインの素敵なところは、ひとつにはデッカの鮮やかな録音にもあって、レコード時代、このサイケなジャケットをスピーカーの上に飾りながら、鳴りのよいサウンドに身を任せつつ、マゼールの指揮ぶりよろしく、手首の返しだけで、少し首を振りながらスウィングするようによく指揮マネして、その美音に酔ったもんだっけ・・・・。

このオーケストラ、ほんとにうまい。
弦がきれい。管にも味がある。ブラスもキレがある。
マゼールのウマすぎるお手並みも、ここでは気にならず、とっても粋。
このレコードが出たころ来日して、この曲をNHKホールで演奏して、そのテレビ放送を見た。
イメージからして、ヨーロピアンだったクリーヴランド管がアメリカのオケであることが、ノリのいい楽員の演奏姿からも確認できたのが面白かった。
 そして、大真面目なマゼールの指揮。
その数年前、ベルリン放送響との来日(コンマスは豊田耕児)では、指揮棒を持たず、顔の表情もやたらと豊かで、まるで魔法使いのような指揮ぶりだった。
さらにその前、万博の年には「ローエングリン」が放映され、ピットの中の生真面目な指揮ぶりもなんとなく覚えている。
 ともかく、70年代のマゼールは千変万化する、おもろい存在だったのだ。

そんな記念すべきガーシュインを、大阪の街を思いだしながら聴いてみました。

Hozenji_4 

右手は不動明王。

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