シェーンベルク 「清められた夜」 カラヤン指揮
昨日は中秋の名月。
そして1日あとの、ほぼ満月の今日13日の「月と東京タワー」です。
毎度お馴染みバカチョンカメラの解像度の低さには悲しいものがありますが・・・・。
ずっと引いて、遠望を。
こちらは、六本木ヒルズからの眺めです。
仕事を終え、散歩がてらに行ってきました。
月を見とれる若い男女も多かったです。
月夜の晩に、シェーンベルク。
そうくれば、「月に浮かれたピエロ(ピエロ・リュネール)」ということになりがちですが、ずっと若いころの、ロマンテック極まりない、いわば男女のちょいとエロい音楽ともいうべきが、清められた夜=浄夜。
過去2度、記事にしてますが、それ以上語ることはありません。
要約すると、デーメルの官能的な詞は、違う男の子を宿してしまった男女の不合理かつ、生れ出ずる子供主体の前向きかつ、男子歩み寄りの物語。
そしてその音楽は、ワーグナーの影響、いまだ多大だった中、トリスタンの持つ官能的な側面のみを浮き彫りにしてしまった感あり、濃厚な後期ロマン派の典型的な響き。
そして、このような音楽を指揮しては、ピカイチ的な指揮者が、その分野にやや遅れて参入したカラヤン。
新ウィーン楽派やマーラーには、70年代を少し経てから本格的に取り組んだカラヤン。
むしろ、お得意のプッチーニから、逆アプローチしたかのような歌謡性と旋律線のかっこよさの追及から成り立ったジャンルなのではないかと思ったりしている。
プッチーニは、マーラーやR・シュトラウス、ウィーン楽派の作曲家たちと同世代だし、豊穣で巧妙なオーケストレーションは、究極の美を誇っているのだから・・・。
それにしても、カラヤン指揮するベルリン・フィルのある意味行き着いてしまった究極の機能美は、こうした曲では青白くうねるような怪しい炎のように感じるまでに、官能美に達している。
炎は、赤や朱に燃えるよりも、青白く燃える方が熱く、そして不純物なくクリーンなのです。
以前の記事にも書きましたとおり、この妖しい音楽は、「トリスタンとイゾルデ」を得意にする指揮者にとっても同様、素晴らしい演奏を残しております。
カラヤン、ブーレーズ、バレンボイム、メータ、サロネン、そしてきっと亡き若杉さん。
わたし的には、アバドにも是非残しておいて欲しい曲目。
それから、日本のオケでは、なんといっても美味なる神奈川フィルの弦楽セクションにて!
男と女が寒々とした林の中を歩んでいる。
月がその歩みにつきそい、二人を見下ろしている。
月は高い樫の木の梢のうえにかかっている・・・・・。
1899年、19世紀もそれこそ終焉の年の作品。
日本は明治32年。
幕末の系譜、勝海舟が亡くなり、清国に数年前に勝ち、国際社会に顔を出し始め、数年後の日露戦争を控えていた時分。
そんな風に思うと、日本における西洋音楽はかなり後発だし、ヨーロッパでの音楽の進化は、感覚の域まで達していた訳なんです。
ちなみに、マーラーは第4交響曲まで手掛けております。
満月に思う、あれこれ。
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コメント
この曲は、大学時代にブーレーズのNYPにて、官能的響きに病みつきとなり、今ではレヴァインBPOあたりが気に入っています。
投稿: faurebrahms | 2011年9月14日 (水) 05時33分
きれいな夕焼けの後、月見を楽しむ数日。残暑は厳しいけれどすっかり秋の装いとなりました。
原典であるジュリアード弦楽四重奏団、ヨーヨー・マ、ワルター・トランプラーの方がくっきりと詩的なサウンドですが、カラヤンを始めとする流麗なオーケストラの方が今の季節に最適ですね。
投稿: eyes_1975 | 2011年9月14日 (水) 19時45分
faurebrahms さん、こんにちは。
浄夜は、高校生のときシェーンベルクの記念の年にたくさん放送された作品の中で、カラヤンのライブを録音してからハマりました。
初レコードは、バレンボイムとイギリス室内管。
その後、わたくしもブーレーズ盤をクリムトのジャケットとともに愛聴し、のちにブーレーズが再録音したオリジナル編成も気に入ってます。
投稿: yokochan | 2011年9月15日 (木) 08時00分
eyes_1975さん、こんにちは。
暑いけれど、夕焼けがきれいになって、月も秋っぽくなってきましたね。
ジュリアードとマの演奏があるのですね。
知りませんでした。
室内版は、おっしゃるようにすっきり・くっきりサウンドですね。
たまに聴くと実に新鮮に聴こえます。
そいてカラヤンには、毎度やられてしまいます。
投稿: yokochan | 2011年9月15日 (木) 08時07分
最近、このサイトを見るようになった者です。
シェーンベルクは無調、12音と思い込んでいたころに、
清められた夜を聞いて、驚いたのを今でも覚えています。
おそらく、みなさんも感じているかと思いますが、後半?の始まりを告げ、エンディングにも奏される、囁くような分散和音をバックに、バイオリンが高音で奏される部分~あの表現は究極的な美しさと思います。雲の間から月の光がこぼれてくるような…感じがします。
それゆえ、この部分が理想的に奏される演奏には中々巡り合えていません。マーラーの5番のアダージェットもそうなのですが、「もっと美しく奏されるべきでは」という思いが強くて、なかなか、満足できる演奏に出会えていません。
このサイトで紹介されいたCDも聞いてみたいとおもいます。
投稿: udon | 2012年1月21日 (土) 20時20分
udonさん、こんにちは。
コメントどうもありがとうございます。
ご指摘の浄夜のか所は、思いおこすことができます。
わたしも大好きなところで、陶然とする場所ですね。
たしかにカラヤンは美しいです。
あと私のお気に入りは、レヴァイン(ベルリンフィル)とバレンボイム(イギリス室内管)です。
十二音前のシェーンベルクは、浄夜とグレの歌、どちらも大好きです!
投稿: yokochan | 2012年1月22日 (日) 20時38分