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2011年9月11日 (日)

ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」 ガヴァッツェーニ指揮

Sagamiwan

陽光眩しい海。

遠くに見える島は大島。

Verdi_simon_gavazzeni

海を背景にした男のドラマ、ヴェルディ「シモン・ボッカネグラ」。

ヴェルデイのオペラのなかで、一番好きな作品。
当ブログでも3回目の登場。
作品の経緯やあらすじはこちら→「ゴッピのシモン」

なんで、こんなに好きになったのか。
それは、敬愛する指揮者クラウディオ・アバドが情熱を傾けて執念のように上演し続けた作品だから。
スカラ座時代(1968~86)に、何度も何度もとりあげ、観衆からは、またか?と思われつつも、その都度、完璧な精度を保ち、深い感動を与え続けてきた「アバドのシモン」。
1981年、スカラ座の引っ越し公演で、日本でも上演され、それを観劇したわたくしは、これまでの人生屈指の感銘に残る舞台として今でも脳裏に焼き付けている。
こちらの記事です→「アバドのシモン」

ゴッピによる名録音はあったものの、どちらかというとヴェルデイ諸作品の中で、渋すぎるがゆえに埋もれがちだった「シモン・ボッカネグラ」の素晴らしさを世に認めさせたのは、アバドの功績であります。
 そして、歌手では、ピエロ・カプッチルリニコライ・ギャウロウのふたり。
この二人の渋い男の世界と火花散る共演があってこそ、アバドのシモンにも深みが生れた。

アバドのシモンが録音されたのが1976年で、この年、日本でも「シモン・ボッカネグラ」が本邦初演された。
NHKの企画した「イタリア・オペラ団」最後の年。
この公演もわたくしは、巨大NHKホールで接することができた。
朝早くから銀座のプレイガイドに並び、チケット争奪に参加したけれど、あっけないほど簡単に手にいれることができた。
「シモン」と「アドリアーナ・ルクヴルール」下さい、とわたくし。
窓口の女性は、「え?カヴァレリアとパリアッチじゃないの?」
 そう、あのとき、一般の注目はドミンゴがついに来日して、一晩で、「カヴァ・パリ」を歌うということに人気が集中していたのです。
クラヲタ道まっしぐらの変な高校生でした。

Simon2_3 

その時のキャストが、カプッチルリギャウロウリッチャレッリメリーギでありました。
二期会などで何度かオペラは観てましたが、初めて接する本物のイタリアオペラの世界に、大きなホールを圧する歌手たちの底力。
とりわけ、カプッチルリの輝かしさとギャウロウの低音のピアニシモの美しさに鳥肌ものでした。
その2人もいまはこの世になく、スカラ座来演で再びまみえた、彼らの2つのシモンの舞台は、わたしの思い出の宝物でございます。

NHKFMでは、来演演目を事前に予習のかたちで、放送してくれていて、シモンは、当時唯一の現役盤だったガヴァッツェーニ指揮のRCA盤が流され、私も録音して一生懸命に聴いたものです。
1973年頃の録音。
すなわち、スカラ座でアバドが上演していた頃のもので、当時はまだDGによるスカラ座録音再開が準備が整ってなく、慎重なアバドも録音に踏み切らなかった。
真打アバド盤の登場で、影が薄くなってしまったガヴァッツーニ盤。
久しぶりに聴いてみると、オーケストラの精度と深み、劇的な場面での鳥肌立つ素晴らしさでは、アバド&スカラ座には及ばないが、オケの一人ひとりに染みついたカンタービレの心。
現在の没個性的、国際化したオーケストラの音色からすると、RCA管弦楽団という、おそらくローマのオペラや放送曲のオケと思われるが、イタリアオペラ訛りとでいいましょうか、本能的なまでの歌に付随し相和するその響き。

シモン・ボッカネグラ:ピエロ・カプッチルリ フィエスコ:ルッジェーロ・ライモンディ
アメリア:カーティア・リッチャレッリ      ガブリエーレ:プラシド・ドミンゴ
パオロ:ジャン・ピエトロ・マストロメイ     ピエトロ:マウリツィオ・マッツエリ
隊長:ピエロ・デ・パロマ            腰元:オルネラ・ジャケッティ


  ジャナンドレア・ガヴァッツーニ指揮 RCA管弦楽団/合唱団

場数を踏んだ後々のカプッチルリにはみられない若さと声の馬力。
そのブリリアントな声の魅力には抗しがたいものがあって、これぞヴェルディ・バリトンと思わせる。
スカラ座来演では、演技が伴ったこともあるが、もっと内面的に踏み込んだ渋い歌唱で、1幕2場の民衆への呼び掛け「Fratricidi! Plebe! Patrizi! Poporo!・・・」の味わい深さは素晴らしいものだったが、ここでは体を張った熱い呼びかけが、民衆を黙らせるに足る力強い歌となっている。
亡きマリアを思う恋人、海賊の統領からジェノヴァの総督として善政をひく政治家、娘を思う父親、敵対する義父との葛藤、かつての部下の裏切りに悩む長。。。。
こんな多面的な存在としてのシモンを歌い込まなくてはならない難役。
そして、最後は死を前に、自分を育んできた大きな海を眺めながら、すべてを諦念のなかに置き去ることとする。
 シモンというオペラの魅力の一端は、主人公の思いが、われわれ男性が持つ悩みと一緒なところ。
壮大なオペラの世界だけれども、実は身近なドラマなのです。
そんなシモン=カプッチルリの図式は、とうてい壊しようがない。
ミルンズだろうが、まして某大テノールが挑戦しようが、わたしにはダメなのです。
シモンの代名詞は、アバド・カプッチルリなのです。

ギャウロウに変わるバスとして唯一許せるのがライモンディ
こちらのフィエスコは、声の対比としては義息子のカプッチルリに比して若すぎの感ありながらその美声はなかなかに魅力。

Simon1_2

  そして、舞台でも観たリッチャレッリのアメリアが初々しくて、フレーニともまた違った魅力にあふれております。
ドミンゴの立派すぎるガブリエーレは、若さと無謀一直線のこの単純な役柄には勿体ないくらい。
NHKイタオペで、スカルピアを歌ったマストロメイは、この役ぐらいしか音盤がないけれど、なかなか良いバリトンだった。ここでも悪漢を威力的な声で演じてます。
懐かしいピエロ・デ・パルマの声も嬉しいもの。

ガヴァッツーニのつぼを心得た指揮ぶりは、先に記したオケと一体で、アバドほどの凄みはないけれど、安心して、シモンの世界に浸りきることができる点で推奨できます。

Simon3

このオペラの幕切れは、服毒を受けてしまったシモンの悲しい死で終わります。
冒頭のエピローグでは、恋人を失い、娘も行方不明、義父からは冷たく罵られ、知らぬ間に総督に担ぎあげられてしまった孤独なシモンだった。
 そして、最後は愛娘と新たな後継者となった娘婿、そして相まみえ許し合った義父、彼らに囲まれ壮絶な死を迎える。
音楽は、さながら「レクイエム」のようであります。

私も、海を見ながら旅立ちたいものです。

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コメント

こんばんは。
セビリア行ってきました。最前列ど真ん中でした。シラグーザ良い声でしたが、チェレネントラの時ほど余裕は感じられませんでした。ゼッダ80歳とは思えません。すごいです。次はないような。オケは4プルト、新国へ鳴り響くのは無理のようでした。

投稿: | 2011年9月12日 (月) 22時08分

Mieさん、お暑い中、観劇お疲れさまでした。

シラグーサは、ボローニャ来演でも活躍とのことで、わが方にはすっかりおなじみですね。

ゼッタも80歳ですか。
思えば、ロッシーニ・ルネサンスの功績の第一人者でもありますね。
ゼッタがいなかったら、アバドの清新なロッシーニと、それに始まる、無駄のない小編成のキレのいいロッシーニは復活しなかったでしょうね。

投稿: yokochan | 2011年9月13日 (火) 23時17分

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