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2011年10月

2011年10月30日 (日)

フランケッティ 「ゲルマニア」 

Raibow_brdg_1

芝浦側から見たレインボウブリッジの真下。

この上には、エレベーターで登れて、お台場まで歩いて行けるんです。

しかし、地上7階ぐらいで、横は車がビュンビュン、下は海で、風は強いし、かなり怖いですよ!

Raibow_brdg_2

こんな感じ。

景色は遠いけれど、これから寒くなると澄んできてよさそうです。

Franchetti_germania

アルベルト・フランケッティ(1860~1942)のオペラ「ゲルマニア」をDVD観劇。

このまったく知られていないといっていい、フランケッティは、イタリア・トリノ生れの作曲家で、10のオペラを中心に、管弦楽や器楽作品も残している。
その生年から、同時代のイタリアを見てみると。

  ・ボイート(1842~1918)
  ・カタラーニ(1854~1893)
  ・レオンカヴァルロ(1857~1919)
  ・プッチーニ(1858~1924)
  ・フランケッティ(1860~1942)
  ・マスカーニ(1863~1945)
  ・チレーア(1866~1950)
  ・ジョルダーノ(1867~1948)
  ・モンテメッツィ(1875~1952)
  ・アルファーノ(1875~1954)
     ※自己記事、モンテメッツィのオペラより

ヴェルディ後のイタリア・オペラ界にあって、プッチーニと完全にかぶり、同時にヴェリスモの流れにも位置しております。

わたしのもっとも好むヴェルディ後のイタリアオペラの時代。
その音楽は、ご察しのとおり、後期ロマン派風であり、ヴェリスモの激情も備え、かつイタリアの歌と輝きに溢れております。
しかし、フランケッティの最大の特徴は、自身がワグネリアンであったこと。
分厚いオーケストレーションに、意味深い引用の数々、ときに、ワルキューレやタンホイザーの響きさえモロに出てきます。
ヴェリスモ+ワーグナー+マイアベア・・・・・、こんな感じです。

全盛時代はひっぱりだこだったフランケッティで、プッチーニとのコンビで有名なイッリカは、「トスカ」の台本をまずフランケッティに渡し、作曲が進められることとなった。
しかし、多忙さや、思うように進まないことを理由に、同時に「トスカ」の作曲を熱望していたプッチーニにその台本がまわされることとなり、あの名作が誕生したわけだ。
ボエームもそうだけど、プッチーニには、なんだかそんな経緯が多いです。
我儘で愛すべきジャコモさん。
 一方、割りをくったフランケッティには、イッリカの台本による「ゲルマニア」がめぐってきたのでありました。

こちらは、1902年3月11日(!)にスカラ座で、トスカニーニ指揮、カルーソーのタイトルロールで初演され、大成功し、その後も第二次大戦まで頻繁に上演されたようだ。
こんな埋もれたオペラをベルリン・ドイツ・オペラが2006年のシーズンに取り上げ、その時の映像作品が本日のDVDなのです。

「GERMANIA」~「ゲルマニア」は、ローマ時代のドイツをあらわす呼称で、「ドイツ」と了解して支障ないと思う。
イタリアオペラだから、「ジェルマニア」と劇中では歌っております。

時は1806年。ドイツは神聖ローマ帝国として、その下に各地の諸侯が割拠していたわけだが、帝国はもはや無力で、隣国フランスのナポレオンの威力にさらされ、ナポレオン・フランス国の息のかかった「ライン同盟」のもとに諸侯各国が名を連ねることとなった。
 「ゲルマニア」は、こうした時代背景にあったドイツでの、フランスに敵対する若いレジスタンスたちの物語であります。

1806年のニュルンベルク。

プロローグ

1
 
学生たちが、たくさんの書物や手紙に囲まれて、全国に流布する反政府運動の書きものをしたためている。
実は、ここの地下に、反政府匿名図書の執筆者ジョヴァンニ・フィリッポ・パームをかくまっているのでした。
2

学生たちの精神的な指導者ヴォルムスは、シラーの言葉を引用し、理想論を展開しますが学生たち、そして仲間のクリソゴーノはどうも賛同できない。。。
そこへ、リッケがやってくる。
3

彼女は、いまはスパイ活動のため長期留守をしている過激的な思想の持ち主フェデリコ・ローヴェと恋仲で、彼からの便りを求めてやってきたのであるが、なにもなくがっかり。
それどころか、ヴォルムスが言い寄られる始末。
長い留守中に、ヴォルムスにひと時、心を許してしまったリッケは反省しているとともに、フェデリコが帰ってきたら、決闘をして殺さざるをえないと言われ、まずい過去に口をつむぐこととする。
 5

そこへ、当のフェデリコが帰ってくるが、なにも知らない彼はヴォルムスと抱き合ったり、彼女と抱き合ったりして、勇猛果敢な大アリアを歌って皆を鼓舞して盛り上がる。
がしかし、フランス警察たちが踏み込んでくる。
パームはしょっ引かれ、皆は逃げる。
彼を金貨と引き換えに売ったのは、仲間であったひとりの少年であった。

第1幕

 皆は、シュヴァルツヴァルトの森へ逃げている。
ここで静かな生活ができそうと、安心しているが、ヴォルムスの死も伝えられ、男たちは落胆し、リッケは少し安心。

8

神父が現れ、フェデリコとリッケの結婚をつつましく宣言し、人々はつかの間の幸せを歌う。

9

ふたりきりとなったフェデリコとリッケは、熱い二重唱を歌います。
 ところが、運命は逆転。
死んだと思ってたヴォルムスが、大怪我を負いながらも帰ってきたのです。
喜ぶフェデリコと暗澹と沈むリッケ。

11

旅立つヴォルムスを送りにいったフェデリコが出ていったあと、リッケは痛恨のアリアを歌います。
ここで、フェデリコに、変わらぬ愛を誓いながらも、ヴォルムスとの過去を手紙に託し、その場を出奔します。
ひとり帰ってきて、その手紙を呼んだフェデリコは激情し、ヴォルムスへの復讐を誓って激しく歌います。

第2幕

 数年後、ケーニヒスブルグ。
反ナポレオンのルイーズ女王を信望する地下組織の集まり。
ヴォルムスやクリソゴーノの姿も見える。
ここに、かつてパルムを密告した少年が連れられてきて、処刑が宣言される。
しかし、グリエルモ卿が少年をかばい、彼も反ナポレオンには必要と説き、一同は剣を納める。
そこへやってきたのは仮面姿のフェデリコ。

14

彼は、ヴォルムスをこずき倒し、決闘を挑み、会は不穏な雰囲気となってしまう。
剣を構えるふたりの上階には、女王が現れ、平和なドイツを乞い歌う。

15

それに心うたれた一同に、決闘間際のふたりは、再び心をひとつにして、戦うこととし、勇猛に戦場へ向かう。

エピローグ

 戦場あと。

16

舞台には、戦乙女(ワルキューレ)が現れ、戦士を探し、武具を置いて戦いの終わりを暗示します(これは、原作にあることなのか、演出の意図なのか不明であります)。
リッケが、フェデリコを探してやってきて、彼のうめき声を聴きだして、瓦礫から救い出す。
瀕死のフェデリコは、リッケの罪は知っているが、いまはもう幸せに死ねる、と歌うも、リッケは必死に生きることを説く。

17

でも、永遠の生と父の国を垣間見つつあるフェデリコは、もう死の旅へ。
最後に、ゲルマニアよ、おまえは自由だ!と叫び、こと切れる。

             

プロローグがやたらと長いのと、尻すぼみぎみの第2幕。
対訳がなくて、想像しながらの視聴でありますが、何度も聴くうちに、濃厚で分厚いオーケストラサウンドと、それを圧する歌手たちにあてられた力強い歌と情熱的で美しいアリアたちに魅せられるになりました。
フランケッティの音楽は素晴らしいのでありました。

曲中に、ドイツの子供の歌「Do you know how many stars」~「Weisst du wie viel Sternlein stehen」が引用されたりしていて、なかなかに緻密かつ知的な部分も見受けられます。
ドイツ万歳のオペラでありますからして、上演不可の時期があったことも頷けますが、なによりも、イタリアの境遇と重ね合わせ、イタリア魂を鼓舞した背景が、初演時、大受けした要因でありましょう。

 フェデリコ・ローヴェ:カルロ・ヴェントレ 
   ニッケ:リーゼ・リンドストレム
 カルロ・ヴォルムス:ブルーノ・カプローニ 
 クリソゴーノ:マルクス・ブリュック    
   パルム:アンテ・ジェルクシカ
 ヤーネ:サラ・ファン・デア・ケンプ    
   神父:アルチュン・コチニチアン
  ほか 

  レナート・バルンボ指揮ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
             ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団
     演出:キルステン・ハルムス
        (2006年 ベルリン・ドイツ・オペラ)


ヴェントレの暑苦しいまでの熱唱は、こうした曲では相応しく、聴いてて快感を覚える。
ヴェントレ? 聴いたことある名前だな、と思って調べたら、新国の「トスカ」でカヴァラドッシを聴いたのでした。
その時は、少し一本調子に思ったのだけれど、あの人だったのね。
 リンドステレムは、初聴きだけれど、この人の声はでかくて、高域はややキツイがなかなか感情移入の豊かさで、クールでスピントする声は素晴らしいと思った。
彼女は、ゼンタやヴェーヌス、トゥーランドットやサロメを持ち役とするドラマテック・ソプラノで、ちょっと注目かも。
恋敵役は、カプローニ。この人が一番イタリアしてた。
顔は濃いけど、こちらのマイルドなバリトンはヴェルディを得意にしている様子。
あと濃い系のひとり。いい人役のブリュックもいい味だしてました。
バイロイトでベックメッサーを歌ったこともある人のようです。

こうして、地味だけど、レベルの高い歌手が揃っているのがベルリン・ドイツ・オペラ
一時、音楽監督だったバルンボの生気あふれるオーケストラも魅力で、イタリアの歌と分厚いワグネリアンサウンドが存分に楽しめましたよ。
女性演出家のハルムスはいまや、この劇場の監督としてなかなかのリーダーぶりの様子。このゲルマニア演出は、全般に暗めなのがちょっとイマイチだけど、変なことをしてないところがいい。

ベルリンにある大きなオペラハウス3つ。
ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ベルリン・コーミッシュオーパー。
世界基準の前者、実験的な劇場の後者、その中間を行きながらも、珍しいオペラを上演するドイツ・オペラ。
世界一のオケや実力オケもたくさんあるし、東京の比ではないベルリンを痛感。


このDVDは、前から欲しかったけれど、昨年某ショップの閉店セールで格安ゲット。
ところが、いまやレーベルを変えて、さらにお安く売ってました・・・残念。

フランケッティ、覚えておいていい作曲家であります。
ちなみに、息子も作曲家だったみたいですよ。

最後に、写真写りのいい、美人のリントストレムを。

Lindstrom_resize

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2011年10月29日 (土)

ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 ボールト指揮

Gaisenmon2

パリの凱旋門。

フランス語で、「Arc de triomphe de l'Etoile

「アルク・ドゥ・トリヨーンフュ・ドゥ・エトワール」

さぁ、鼻から空気を抜き出しながら、みなさんご一緒に読みましょう。

どうです? おフランスしてございましょう?

ナポレオン・ボナパルトにまつわる建造物のひとつ。

わたくしは、幸いに2度観てます。
一度目は新婚旅行で、コースには入ってなかったのに、運転手さんが気を効かせて、雨降るパリの街を走ってくれて、放射状に延びる道からライトアップされた雨に煙るこの門を望むことができた。
もう一度は、仕事で。ヨーロッパ勤務経験者の案内で、地下鉄を乗り継ぎ、シャンゼリゼのカフェで酒を飲み、歩いてこの門の下まで行き、舐めるように拝見することができた。

死ぬまでに、もう一度、この門と、エッフェル塔に登りたいミーハー1号のわたしです。

そして、凱旋門といえば思い出すレコードが、ベートーヴェン交響曲第3番「英雄

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サー・エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団。

1969年に発売された、1000円廉価盤の草分け、ダイヤモンド1000シリーズのなかの第1回目発売分の1枚です。

ハンス・ユイゲン・ワルターの運命(+渡辺暁雄の未完成)、ブロニスラウ・ギンペルのメン・チャイなどとともに、即座に購入しました。
その後も、何枚か買いましたが、このエロイカも含めて、友人と交換したりあげたりしてしまい、いまや手元には少ししかありません。

このボールトの英雄は、凱旋門がそのジャケット写真でありました。
当時、このシリーズのジャケットにあしらわれたヨーロッパやアメリカ、ロシアの風景写真は、音楽ととてもマッチしていて、まだ見ぬ世界への憧れとともに、音楽と風土の関係も推し量ることができて、とても刺激的だったのです。

おおらか、かつ呑気な時代ですし、いまの情報過多の世の中からすると、とても想像力をなにかにつけてかきたてられ、感性を豊かにはぐくむことのできた時代ではなかったかと思います。

CD化されたこの演奏を、それこそ40年ぶりに聴きました。

いやぁ~、どこもかしこも懐かしいです。

エロイカは、その後たくさん聴いてきましたが、思えば、この演奏が自分のその原点ではなかったのではないかと思ったりすることができましたよ。
初めて聴いた小学生時代は、運命・田園・合唱とならぶベートーヴェンの交響曲だからと、勢い込んで聴いたものだが、馴染みの旋律はなく、やたらと長いだけで、しかも少々威圧的な音の連続に、ちょっと戸惑ったものだが、このボールトのレコードを擦り切れるほど聴くことで、曲に馴染んでいった。
 その後忘れ去ってた音源をこうしていま聴いてみると、長じてのちに、エルガーやRVWを通じて馴染みとなったボールトの音楽が、そのままに、ここにあることを発見できる。
昔などは、わかりようがないボールトの芸風。
いまこうして、構えの大きく、こだわりのすくないひと筆書きのような大らかで高貴なエロイカに、とても親近感と尊敬の思いを覚えることができる。

ゆったりとした大河の流れのような第1楽章。
思いのほか、早めのテンポでさらさら流れる第2楽章は、淡い英国絵画のよう。
堂々とした歩みが戻ってきて、さらに木管の鄙びた風情がいい感じの3楽章。
間合いの取り方が絶妙で、フレーズのひとつひとつに味わいのある終楽章は、まさに堂々と背筋を伸ばしたままに毅然としたフィナーレが待ち受けておりました。

音がやや丸っこくて、1957年という時代を感じさせますが、分離もよく録音はかなりいいです。
いやぁ、ベートーヴェンには似合わない表現ですがね、40年ぶりに聴くボールトの素敵なエロイカでした。

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2011年10月28日 (金)

サン=サーンス 交響曲第3番 チョン・ミュンフン指揮

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10月28日にオープンの、有楽町ルミネ。

開店前夜の画像につき、どんな風だか知りませんし、だいたいの想像もつくものですから、しかも女性がターゲットだしで、たぶん行かないでしょうね。

ルミネは、JR東日本の駅ビルショッピングセンターです。
新宿駅から端を発し、駅ビルSCとして、どんどん大きく、先端SCとしても成長。

そりゃそうですよね。

駅というものは、ほとんどの人が必ず毎日通過し、利用するものだし、目的地への通過地点なのですからね。
その駅に、商業施設を作れば流行らない訳がない。
私鉄各線は、電車を敷設し、沿線を開発し、住宅を張りつけ街を造り、他の追従を許さない地域開発を行ってきたけれど、そのパイで私鉄・民鉄を上回るJRが駅を活用することにいまさらに目覚めたら強いことこのうえない。
高額賃料でも、人の数を思えばそこで店舗を構えたいと思う企業はたくさん。
 一方でまた、利便性において、こんな強力施設に破れ廃れてしまう立地もたくさん。
不合理であります。
というか、ずるいよね。

Chung_saint_saens

今日は、久しぶりにサン=サーンス(1835~1921)のオルガン交響曲を。

交響曲第3番であります。

1886年のこのオルガン付きの、一聴、派手な交響曲は番号なしをふくめて、サン=サーンスの完成された交響曲の5番目にあたるものだが、ほかの4曲はほとんど聴いたことがないし、多くの方々がそうでありましょう。
ワタクシも、マルティノンの番号付き全集を持ってますが、3番以外は、まったく記憶がありません。
デュトワでさえ、3番のみなのですから。

そもそも、サン=サーンスって、地味ですよねぇ。

「白鳥」の「動物の謝肉祭」のみが学校教材だっただけあって、やたらと有名で、それ以外いは、こちらの「オルガン交響曲」、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲、「死の舞踏」、「オンファールの糸車」、「サムソンとデリラ」・・・・、う~ん、わたくしは申し訳ないことに、このぐらいしか思い浮かびません。
実は、あらゆるジャンルに作品を残し、ことにオペラや劇作品はたくさんある多作家なのですねぇ。
ちゃんと研究すべき、と思い直したサン=サーンスなのです。

この交響曲は、主役ともいうべきオルガンにピアノも活躍する演奏効果のあがる曲だから、コンサートのメインにのぼることがともかく多い。
しかしですよ、わたしはまだ未体験なところがお恥ずかしいところです。

いっとき、この曲の虜になったのは、メータ&ロスフィルのレコードからでした。
ツァラ、ハルサイや惑星などの延長線として、グラマラスなコンビの格好の素材に選ばれたこの曲。
デッカの目覚ましい録音がここでも炸裂してました。
しかし、CD時代に聴き直したら、その音はびりつき、いにしえの録音に感じました・・・・。
難しいものですな。
レコード時代に聴いた、オーマンディやアンセルメも懐かしい大人のサン=サーンスであります。

予想に反して、落ち着きと清らかさに満ちていたのが、チョン・ミュンフン指揮するコンセルトヘボウ管弦楽団のライブでした。
こちらは、ヘボウ120周年に、無料ダウンロードできた音源たちのひとつで、ご丁寧にも、ジャケットも統一デザインでダウンロードできたものなのです。
音は、かなりよくって、CD化したりすると、さらの深みと重厚感を増すのです。

歳を経て聴くこの曲は、第1部後半、すなわち緩徐楽章のしっとりとした情感が一番お気に入りなのですが、チョン・ミュンフンの瑞々しい感性とオーケストラの温かみある音色がバッチリと手を携えて、味わい深い演奏になっているのです。
もちろん、ハツラツたるミュンフンですからして、2部のはじけぶりと、最後の大伽藍も、豊かなホールトーンと相まって、大いなる聴きものにございました。

コンセルトヘボウのこの曲の正規録音は、あったかしら??
ヤンソンスあたりで、もう一度生き生きしたオルガン交響曲を聴いてみたいもんです。
それと、ありえないけれど、ハイティンクがやってくれたら、威風堂々たる堅牢なオルガン大シンフォニーが生まれるかもです!

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2011年10月27日 (木)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 エッシェンバッハ指揮

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とある洋食屋さんで食べた「カツカレー」でございます。

ヒレ肉をトンカツのように揚げるのでなく、パン粉をまぶして焼いた感じの大ぶりのカツ。
原形をとどめないまでに煮込まれた濃厚かつ洋風なカレーソース。
生クリームのマイルドな一筋が決め手でございました。

おいしかったですねぇ~

カツカレーといえば、ボリュームがあってガッツのある食べ物で、カレー屋さんや定食屋、蕎麦屋の定番としては、日本食みたいなもの。
 でもこちらは、洋食アレンジでした。

Mahaler_sym1_eschenbach

  マーラー 交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

        「リッケルトの詩による歌曲集」

         クリスティーネ・シェーファー

 クリストフ・エッシェンバッハ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
                                     (2008.11@ベルリン)


エッシェンバッハマーラーであります。

賛否両論ありますエッシェンバッハの音楽。

わたしは、無条件で好きであります。

なぜって? 若い頃はふさふさ、いまや○○のアタマだけじゃありませんよ。

ピアニストの時からそうだった、複雑極まりない内面感情の濃密な吐露。
何がエッシェンバッハをそうさせるのか?
聴いていて、いつも捉われる思い。
何もそこまで、というくらいの感情移入と味わいの濃厚さ。
器楽奏者が、指揮者となりオーケストラを得て、その表現能力の増大ぶりをフルに生かそうとして無理がたたることが多いのにくらべ、エッシェンバッハはピアニストであった時と、指揮者の時とでの落差があまりないように思う。
同じタイプとしてあえていえば、ロストロポーヴィチだが、ロストロさんはもっと単純明快で、ロシアというくくりで押さえることができそうだが、エッシェンバッハはもっとさらに複雑。

ドイツ領ポーランド生まれの孤児という境遇から、マーラーへの親近感は特別なもののはず。
エッシェンバッハのマーラーは、フィラデルフィアとの来日で壮絶な第9を聴いた。
メトとのワルキューレも観劇した。
チューリヒトーンハレと来日したときの、チャイコフスキーの5番も素晴らしい演奏だった。
それ以前から、宮城まりこさんの「ねむの木学園」との音楽を通した交流もあって、テレビで見て涙が出るほど感動した。

そんなヒューマンなエッシェンバッハのマーラー。
全曲56分の大演奏で、遅いところはじっくり遅く、速いところは俊敏に速く。
こんなメリハリと、濃厚なメロディーラインの創出とタメや巧みなルバート。
人によっては嫌味すれすれのアゴーギグライン。
わたしは好きですよ。
レニーとも親交あったエッシェンバッハですが、レニーのどっぷり同化マーラーと比べると、もっとずっと音楽が離れたところで鳴っていてで冷徹な眼差しも感じる。
思わぬ展開も相変わらずで、その予想もできないドラマ運びに聴き手は思わず飲み込まれてしまい、興奮と快感の坩堝と化すのでございます。

1楽章の若々しさ、2楽章の美しいレントラー、奇矯さの目立つ3楽章は恐ろしささえ感じる。
そして、終楽章は中間部の弦の陶酔的な歌と最強・興奮のクライマックス。

ベルリン・ドイツ響との共演も珍しいが、このオケがまたべらぼうに上手く、高性能である。
それと、録音がまた優秀ときた。

わたしの、この盤の楽しみの半分は、シェーファーの歌う、リッケルト・リーダー
彼女はアバドとのモーツァルト&シュトラウス以来、好きになりまして、音源もかなり揃えました。
最愛のパトリシア・プティボンが、ドイツ系の音楽ではシェーファーのあとをなぞるようにしているところも、そしてなんとなく雰囲気も似ているところもお気にいりのところ。
リリカルでありながら、歌や役柄への掘り下げの深さは抜群で、耳に心に厳しく迫ってくることも多々あるシェーファーの歌。
こちらの、リッケルトも素晴らしいのでした。
「わたしは、この世に見捨てられ」は、オケの儚さともども、シェーファーの透明な歌唱と言葉ひとつひとつへの思いの込め方があんまり最高に素敵なものですから、わたくしは思わず涙がにじんでしまいました。

心に響く、マーラーの1枚でございました。
            

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2011年10月25日 (火)

ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 マルティノン指揮

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六本木ヒルズから。

前にも、ここからのショットは掲載しましたが、東京タワーと満月が見える幻想的なシテュエーションはなかなかのものでした。

Ravel_martinon

今日はラヴェル(1875~1937)のバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲を。

幻想的な画像にぴったりかもです。

1912年に、ピエール・モントゥーによってパリでバレエ初演された「ダフニス」。
その時代のバレエ作品が、ほとんどそうであるように、ディアギレフの委嘱によって生まれた大作で、ラヴェルが決定的な名声を得ることになるが、その後第一次大戦に参戦してゆくこととなる。

のちにラヴェル自身が編み出した、第1組曲と第2組曲。
ことに、いまや「ダフニス」といえば、このバレエ音楽の第3部にあたる部分の第2組曲が、その代名詞のようになってしまった。
20分間で、きらびやかさと精緻さ、そしてダイナミックな興奮が味わえる名組曲でありますから、当然といえば当然。
わたしも、当たり前のように第2組曲から入門。

全曲盤は、74年頃に出た、マゼールとクリーヴランドをFMで聴き、やたらと興味をもった。
そして1975年のラヴェル生誕100年。
小澤征爾が、当時のもう一方の手兵サンフランシスコ響を引き連れて凱旋した。
テレビ・FMで視聴した演目が、P・ゼルキンのピアノでブラームスの2番の協奏曲と、こちらの「ダフニス」全曲というプログラムだった。
そしてこのラヴェルには、まったくもって感激してしまった。
録音して何度も何度も聴きましたね。
小澤さんの、しなやかかつカッコいい指揮ぶり。
アンコールは棒を持たずに、指揮台を降りて、「ピチカートポルカ」でした。

さらに同年か翌年、新日本フィルの定期でも、小澤ダフニスを聴き、もう、ダフニスは全曲に限ると思いこんでしまったのでした。
この時の小澤さんの指揮も、ビジュアル的にも素敵なもので、田舎の高校生のワタクシは夢中になっちまいました。

そして買ったレコードが、廉価盤として出ていたRCAの1000シリーズの中のミュンシュ&ボストン盤。
これには、ほんとまったくお世話になりました。
何度聴いたかわかりませんね。
もしかしたら、ダフニス全曲は、このミュンシュ盤が指標になっているかもしれません。
その後も、たくさん聴きました。
デュトワの名を高名にしたデッカ盤や、アバドのすんばらしい歌い尽くしの美演。
そしてやはり好きなのは、アンセルメやクリュイタンス、モントゥーなどの遠き昔の麗しき音色のダフニス。
そして、今日のマルティノンは、いにしえの趣きある演奏と、現代のシャープでキレイな演奏との中間にあるような演奏。
これも大好きな演奏のひとつであります。
同時期のブーレーズ(ニューヨーク)の演奏も素晴らしいものでした。

ジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団、1975年頃の録音。

当時のマルティノンは、フランス国立放送管弦楽団(国立管)との活動が主体であったが、EMIがクリュイタンスに次ぐラヴェル全集を作るにあたり、パリ管との共演を選択したのは、当時、実に新鮮かつ以外なことだった。
雰囲気溢れるドビュッシーは国立放送管で。
より明晰で華やかなラヴェルはパリ管で。
その選択は、とても正しく、両オーケストラを鮮やかに振り分けることができたのは、マルティノンをおいて他にありません。

ソロの活躍する名技性も必要なダフニスにおいて、名人だらけのパリ管はうってつけだし、モントゥー以来、染み付いた伝統を組織こそ変われど、しっかり受け継いでいるのはパリ管。
ほんと、ほれぼれするくらいに、木管、弦、金管のソロは素晴らしくて、その集団たる各セクションの水もしたたるような美しさといったらないです。
ショルティからバレンボイムに、その音楽監督が受け継がれた時期だけれど、オケはそんな方々とは関係なく、純正マルティノンの粋で洒脱でモダーンな指揮を受けて、実におフランスしてございます。
テンポも、じつにゆとりがございまして、急がすあわてず、かといってのんびりもせず、エレガントにスムースに、かつダンディに進行してゆきます。
いまや失われてしまった感のある、わたしたちが思い描く憧れのフランス、そしてパリ管の音色が、そのイメージそのままに、ここにあるのでした。

葡萄酒でも傾けながら楽しみたい、マルティノンとパリ管のラヴェル。
でも実は、今日ワタクシは、日本酒をぐびぐび飲んでおるのでありました。
いい音楽には、酒ならなんでもいいんです。
このところのモガ・ベイ騒ぎでむしゃくしゃしてますがね、少し気分よくなりましたよ。

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2011年10月24日 (月)

予感的中 やめてよ「モバゲーー・ベイスターズ」

Mobage

ユニフォームの肩口には、キャップには、こんなのが・・・・・・。

Top1

ロゴは、こんなふうに・・・・・・・。

あ~あ、もう勘弁して。

横浜モバゲー・ベイスターズ」だってさ。

モガベーのほうが、まだ可愛げがある。

川崎時代の緑とオレンジの湘南電車カラーの時代から応援してきて、こんなに悲しく、情けないことはないですよ。
思えば、あの時代はどんくさい球団だった。
応援も大漁旗を振って太鼓たたくもので、垢抜けません。
ヤジも甲子園なみのガラの悪さ。

でも、楽しかったし、客は少なくても、みんな大洋が大好き。
横浜移転も前向きな変貌で、チームがスマートに一新し、眩しくなり、ますます好きになった。

苦節38年の優勝は甲子園で立ち会うこともできた。
弱くなっちゃったとはいえ、ベイスターズ愛には変わりありません。

でもさぁ、この名前はないよなぁ~

しかも機をてらった監督人事や秘策もやめてほしいよな~

ここまで来たら受け入れるしかないけど、ベイのファンであることが、こんな寂しいことってこと、これまでありませんでしたね。

あとお願い。
TBSのキャラクターBooBoとエキベー、そしてベイのキャラ、ホッシーたちは温存してくださいまし。

Ekibei

悲し~い

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2011年10月23日 (日)

マスネ 「ウェルテル」 デイヴィス指揮

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10月の夕刻の東京タワー。

先っぽは、あの震災以来、まだ曲がったまんま。

スカイツリーに負けないで頑張って欲しいのだ。

 

Massenet_werther_davis

 

マスネ(1842~1912)の「ウェルテル」を。
ご存じのとおり、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」を原作とする名作であります。

「若きウェルテル」は、わたくしも読みましたよ。
麗しき青少年としては、当然のごとく読まなくちゃなんない文学のひとつとして。
恋破れ命を絶つ純情多感な青年の物語は、ゲーテが書いてウェルテル熱が大ブームとなった200年前の人々の気持ちとは文化文明の変化もあり当然異なるけれど、わたしたちにも、甘酸っぱい青春の思いを味あわせてくれたもの。
いまの若いひとたちは、若きウェルテルなんて、読みはしないだろうなぁ。
 それにしてもゲーテは、多彩な人でありました。
ヴァイマール国の宰相までなったし、音楽の素養も高く、しかもあまりにも多くの音楽が、その作品につけられた。

フランスのマスネもそのひとり。
25作品もあるマスネのオペラだが、それらは多面的な作風を要するが、その基本は優美で色彩感豊か、そして親しみやすいメロディの宝庫である点。
ライトモティーフの多用や感情に即した音色の変化など、ワーグナーの影響も大きいし、イタリアのヴェリスモ的な激しい情感とリアルなドラマの追及もありです。
そして、わたしは、マスネの甘味な音楽に、時としてマーラーやプッチーニ、シュトラウスを感じることもあります。

ウェルテルは、主役はテノール。
相手役のシャルロッテは、メゾの音域。
恋敵役のバリトンもいい人だし、ここに出てくる人は悪い人がいない。
だかやよけいに、ウェルテルの純情多感ぶりと、何をそこまで的な恋への暴走ぶりが際立つ。
そんな一途な役柄に、ホセ・カレーラスはぴったり。
A・クラウスとともに、この役の最高の歌手に思います。
加えて、琥珀色のクリーミーボイスと評された、フレデリカ・フォン・シュターデがシャルロッテを歌っているのですから。

    マスネ 歌劇「ウェルテル」

  ウェルテル:ホセ・カレーラス  
  シャルロッテ:フレデリカ・フォン・シュターデ

  アルベール:トマス・アレン   
  ソフィー:イザベル・ブキャナン

  ラ・ヴァッリ:ロバート・ロイド  
  シュミット:ポール・クック

  ジョアン:マルコム・キング       
          その他


 サー・コリン・デイヴィス指揮 コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団
               少年少女合唱団
                                 (1980.2@ロンドン)

第1幕 シャルロッテの家の庭
 父ラ・ヴァッリとその友人たち、そして子供たちがクリスマスの歌の練習中。
そこへ、詩人ウェルテルが農夫に案内されてやってきて、このあたりの美しい田園風景に感動して歌う。
シャルロッテが現れ、弟妹たちに食事をあたえ、亡き母に代わって優しく世話をする姿にウェルテルはひと目ぼれ。
ふたりは、その晩に行われる舞踏会に出かけてゆく。
入れ違いに、亡母の望みによって婚約しているアルベールが長い旅行から帰ってきて、妹ソフィーに彼女の所在を確認し、結婚式の準備が整いつつあることに満足。
 晩になり、舞踏会から帰って、ますます彼女への想いを募らせたウェルテルは、高揚した気分も手伝い告白をするも、シャルロッテは心魅かれつつも、許嫁がいることを語り、ウェルテルは、ショックを受ける。

第2幕 教会の広場
 新婚のシャルロッテとアルベール。それを複雑な思いで見つめるウェルテル。
アルベールは、ウェルテルの気持ちを察し、気のいい妹ソフィーはどうかと誘うが、まったく気乗りのしないウェルテル。
花束を持ってウキウキと登場のソフィーは、ウェルテルのことが好きで、ダンスに誘うがはっきりしないウェルテル。
出てきたシャルロッテに、変わらぬ愛を語るが、いまや人妻のなり、気持ち魅かれつつもこの村を去るように頼む。
でも、12月のクリスマスには会いに来て・・・、と救いの一言を忘れなかった。
落胆したウェルテルは、出会ったソフィーに、もう二度と戻ることはないと告げ走り去り、ソフィーはアルベールとシャルロッテにそのことを涙ながらに告げる。
アルベールは、彼はまだ愛してるのだと知る。
 
第3幕 アルベールの家
 クリスマスイヴの夜、シャルロッテは寝室のデスクで、ウェルテルからの手紙を読んでいる。旅先からの手紙の数々、何度も読んでは、悲しみと不安に駆られている。
ウェルテルが心に占める大きさにますます気が付き、そして死をほのめかす手紙にも大いに動揺して歌う。
そこへ、クリスマスのお祝いにと、ソフィーがやってきて、姉の涙や冷たい手に驚き、クリスマスを父の家で一緒に過ごしましょうと誘うが、姉は一人にしておいて欲しいと。。。。
 ソフィーが去ったあと、入口にはウェルテルが立っている。
思いつめて、そして約束通り、クリスマスにやってきたのだ。
楽しかった頃を、懐かしむ会話。ふと、テーブルの上のピストルに目をとめるウェルテルだが、シャルロッテは素早く、その傍らにあったオシアンの詩集に話題を振り、かねてその詩を訳してくれたと語る。
ウェルテルは、ここで、あまりにも有名で悲しみの情熱に満ちた「オシアンの歌」を歌う。
歌のとおりに激したウェルテルは、想いのたけをまた口にし、拒むシャルロッテも彼の腕の中に飛び込む・・・・、がしかし、自制を効かせ、心と裏腹に、もう会えないと歌う。
絶望のうちに飛び出したウェルテルが、アルベールに託した手紙。
それは、旅に出るのでピストルを貸して欲しいというもの。
帰ってきたアルベールから、それを聞き、貸すがいいと言われたシャルロッテは、ピストルを執事に手渡す。
シャルロッテは、なんということ・・・と急がねばとウェルテルの元へ。

第4幕 ウェルテルの部屋
 クリスマスの夜。
シャルロッテが寂しく雪のちらつくなか、ウェルテルの部屋に駆け付けると、もうそこには、血を流したウェルテルが瀕死の状態で倒れていた。
助けを呼ぼうとする彼女を制し、このままシャルロッテの腕の中で、というウェルテル。
シャルロッテは、彼を愛した本当の気持ちを語り、ウェルテルは、これで悩みも悲しみも忘れられると歌い、自分が死んだあとのことを薄れる意識の中で語る・・・。
外では、子供たちの、そしてソフィーのクリスマスを祝う歌声が聴こえ、すべては終わったわ、と泣き崩れるシャルロッテ。

            幕

主役2人の若々しく、美しく凛々しい歌は、何度聴いても感銘とともに、爽やかな印象を受ける。
カレーラスの、いくぶん青っちょろい硬質な声は陰りを持った男を歌うのに最適。
オシアンの歌の素晴らしさには陶然としてしまうし、1幕のシャルロッテに出会う前の自然賛美が懐かしく覚えるほどの、劇への傾斜ぶり。
シュターデの手紙の歌も、涙が出るほどの儚さと大人の女性の悲しみが添えられていて、聴いてて思わずメロメロになってしまいます。
アレンのキッパリとした歌もよいです。
総じて、コヴェントガーデンで活躍していた英国歌手たちの品のいい歌はよいです。

デイヴィスのいくぶん重めのサウンドは劇的で聴きごたえ充分でありますが、柔らかな抒情性と洒落たセンスにおいては、プラッソン(クラウス盤)の敵ではありませぬ。
シベリスの録音の時にも気になった、鼻声や気合いの声がばっちり録音されていて、マスネのような音楽では、これもまたいくぶん気になります。
しかし、オケも含めて英国風の品の良さは、大いに評価すべきであります。

というわけで、青春カムバックの「ウェルテル」を楽しんだ休日の午後でございました。
久しぶりに聴いて、その旋律が、プッチーニの「修道女アンジェリカ」に似ているな、と思ったりもしました。
 一方で、クラウスのウェルテルが懐かしくも最高の思い出とともに思いおこされます。
そして、DVDで購入したものの、まだ封を切ってないガランチャのシャルロッテも観てみたい想いが募ってます。

Tokyotower20111015

場所を変えての東京タワー。

さらに暗くなってきました。

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2011年10月22日 (土)

恒例「ドコイク ベイ」

Hossy

毎年恒例の、コマッタちゃん二人組の登場の季節となりました。

まいどお馴染み、惨憺たる結果に終わった横浜大洋鯨ベイスターズ。
今年は、一度も試合に足を運ぶことがなかった。

でもさぁ、モガベーは、ファンとしては、正直カンベン。

京急やミツウロコの県内事業会社グループは遅きに失したか・・・・。

TBSHDは、DeNAとほぼ合意との本日の報・・・・・。

1999年創業で、またたく間に資本金103億、年商1100億の会社になったモガベー、いやモバゲーのDeNA。
何をやってる会社か、一口には言い切れないところが、昨今の新興企業たるところ。
通信事業や携帯関連ビジネスがメインなのでありましょう。
ある年代以上の方々には、まったく縁がないし、理解不能の分野かもです。
わたくしもそのクチか。

かつて、プロ野球の経営者は、電鉄系・マスコミ系・放送系・流通系・食品系などと、何をやってるか明確な日本を代表する有名企業ばかりだった。
業界や企業も栄枯盛衰。
わがベイスターズも、かつては下関本拠からスタートした遠洋漁業会社の名前を冠するチームだった。

その後の各球団の展開は、みなさまご存じのとおり。
金融系・通信系・IT系・・・・・。
思えば、モガベー、いやモガベイじゃなくってモバゲーもその流れの一環かも。

球団運営が儲かるというのは、難しいことかもしれないから、経営ツールの一環として活用するのはいまやあたりまえ。
それが好循環を生んで、球団にふんだんな資金が投じられ、強くなれば、それもいいかも。

でも、これまでのファンを大切にして、市民・県民のための球団としての自覚も持ち続けて欲しい。
創業者が新潟出身だから、期間を定めての横浜出奔だけは止めて欲しい!
一度なったら、安定的に普通に保有して欲しい。
球団名は変えないで欲しい。
ゲイスターズとか、モガベースターズとかいう名前だけは絶対にやめて欲しい!

あぁ、受け入れてしまっている自分が悲しい。

追)わかりやすい人間の行動としての村田のFA流出。
あの虚人憎しの反骨魂はどこいった、え?

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2011年10月21日 (金)

ドビュッシー 「海」 サロネン指揮

Sodegaura_rainbow_1

雨上がりの海で撮れた虹です。

薄ぼんやりとしてますが、このあと眩しく晴れていきました。

海はいいです。

日がな一日、海を眺めていたいです。

海の脅威をいやというほど知らされてしまったけれど、それでも、その先に広がる大きな世界や未知の風物に思いをめぐらせ、寄せては返す波を見ていると気持ちが緩やかになります。

海を見て育ったからよけいかもしれません。

子供の頃、父親と姉と始終来てました。
釣りに飽きた父親は、泳ぎも得意なものだから、沖に向かって一人で、どんどん泳いでいってしまいました。
その姿はどんどん小さくなって、頭も見えなくなってしまい、私と姉はとても不安になってしまうのでした。
でも、ほどなく、その姿が徐々に大ききなり、沖から泳いで帰ってくる父親にえもいわれぬ安心感と強さを見たのでした。

親父が亡くなって、もうだいぶになるけれど、今でも夢に出てくる光景です・・・・。

そんな姿を、自分は、もう大人になる子供たちに見せるまもなく、日々忙殺されて終わってしまいました。
矢のように過ぎる辛い毎日が疎ましく思います。

なんで、こんなになっちゃったんだろ。

Debussy_la_mer_salonen

ドビュッシー交響詩「海」。

定期的に取り上げてます、わたしのフェイバリット音楽であります。

昔のデッカイ、ウォークマンに「海」のカセットを仕込んで、砂浜に座ってぼぉ~っと、何度も何度も聴いていたものです。
ジュリーニとフィルハーモニアとデイヴィスとバイエルン(FM)の演奏がいたくお気に入りでしたね。
波の音が、その音楽としまいには一緒になってしまい、雰囲気をいやでも高めてくれまして、ドビュッシーの音楽のすごさが、実物の海と波しぶきによって理解できたような気がしておりました。

サロネンロサンゼルスフィルのクールでダンディな、今風の見通しのよい明晰なる演奏は、あの時、海で日々聴いたこの曲のイメージにぴったりのような気がします。

大人になって、東京暮らしをしながらも、彼女なしの週末は、誰もいない実家(両親は父親の仕事で名古屋に)に帰って、音楽三昧と、昼は海。
酒屋でビール買って、海で、海を聴きながらビールを飲むという、これまた密やかな楽しみに目覚めました。
夕方は、ロングビーチの下あたりまで、海を走るのです。
若かったですね~

サロネンは、いまはフィルハーモニアに落ち着いてしまいましたが、ロスフィルとの相性は抜群だったと思いますね。
明るくカラフルなサウンドに、ジュリーニ仕込みの音楽を聴き合う落ち着きあるサウンド。
耳の鋭敏なサロネンの研ぎ澄まされた個性に磨きをかけられ、明るい中にも知的で、シェイプされた力強さと脂肪分のない軽やかな音楽が聴かれるようになったと思います。
ドゥダメル君はあんまり聴いてないからわからないけれど、サロネンとロスフィルのコンビなら、マーラーでもブルックナーでもドイツの本場でも聴かないようなユニークな響きで説得力ある演奏が聴かれたものです。
 ここでのドビュッシーは、細やかな音の出し入れへの配慮が、とても繊細なタッチで、思わぬ響きに時おり驚くところも多々あります。
パリで指揮した「トリスタン」の音源を持ってますが、あの怜悧でありながら暖かな眼差しを感じさせるワーグナー・サウンドの延長として、この「海」を聴きました。
精密でありながら明るく、そしてダイナミズムの幅が極めて広大。
ラストのエネルギーの放出のような鮮やかさも素晴らしいものでした。

フィンランド生まれの指揮者とカリフォルニアのオーケストラが奏でる、ノルマンディの海。

これもまた、素敵な「海」でした。

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2011年10月20日 (木)

メンデルスゾーン 交響曲第3番「スコットランド」 マリナー指揮

Hukushima_sky2003108_2 

この空は、震災よりずっと前の10月の福島の空。

淡い空に、夕焼け前のピンクがとてもきれいです。

毎度書きます。夕焼けフリーク(夕焼けにゃんにゃん、じゃなくて、夕焼けオヤジ)ですから。
各地で、夕方になると、空を見上げてます。

悲しいくらいに、きれいな福島の夕焼け。


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メンデルスゾーン交響曲第3番「スコットランド」。

春の息吹きを感じさせる「イタリア」と対象的な対をなすような交響曲。
それと、「フィンガルの洞窟」とも、憂愁の短調という意味で、かつスコッチつながりでもって関連性のある交響曲。
早世のメンデルスゾーンの筆は、速筆だったが、この「スコットランド」は中断を経て10年以上の歳月を要しているところが興味深い。
出版順からいうと、3番だけど、最後の交響曲であり、その中断の間にイタリア旅行から生まれた4番「イタリア」が完成されていて、スコッチは、インスピレーションはありながらも、なかなか筆の進まなかった曲だったのかもしれない。

1830年から42年にかけて作曲。
ベートーヴェンの第9が1825年、ベルリオーズの幻想が1830年です。
ちなみに、ワーグナーの最初のオペラ「妖精」が1833年。
ブラームスが生まれたのが1833年。
こんな感じのスコッチの背景です。

それを知っても知らなくても、このスコットランド交響曲は、メロディアスでうら寂しく、最後は堂々と明るく閉じる…、いかにも正しいロマン派の典型音楽であります。
いまや、古楽奏法の延長からとらえた堅苦しいまでの演奏方法や、かつての大ロマン派的演奏、たとえばクレンペラーのようなもの、そして従来通りの楽器や奏法でのロマン派的演奏を極めたもの…、サヴァリッシュ、カラヤン、ハイティンク(最高・最大限に普通の演奏なところが素晴らしいハイティンク)などなど。

メンデルスゾーン演奏にもこんな感じで変遷ありますし、ピリオドといった、ごく単に一つの奏法にこだわり、歴史を中抜きしてしまった解釈はおいといて、独自のメンデルスゾーンを聴かせてくれる指揮者もいます。

学究系や従来系とも、一味違って、歌謡性と構成の豊かさを引きだしたのがアバド。
それと、そこに近くも、英国のメンデルスゾーンの伝統と、透明感に秀でたマリナー

ここであげた指揮者たちが、わたしが思う最高のメンデルスゾーン指揮者だと確信してますが、いかがでしょうか。

デッカの70年代録音に次ぐ93年のフィリップス録音。
繰り返しを励行し、演奏時間約40分の大交響曲のようにしたマリナー、音楽はかつての録音に比べ、フレージングといい、間合いの巧みさといい、一回りもふたまわりも、余裕と自信に裏付けられた力強さがうかがわれる。
まさに、適性抜群のメンデルスゾーンだからこその、マリナーのそんな姿。
久しぶりに聴いて、2楽章における渋いまでの音色の選択。
このマリナーのジャケットに感じる、「セピアのメンデルスゾーン」的な色合い。
一方で、はずみまくる小粋なリズム感に、薄目のサウンドがもたらす見通し感と清涼感。

ブラインドテストしたら、このメンデルスゾーンがマリナーの指揮によるものとは当たらないでしょう。
深呼吸したくなる、サー・ネヴィルとアカデミーのスコッチでした。

追)なんたることでしょう、マリナーの来日が今年もあることを知りつつ、まだ先とのばしてしまい、終わってしまった。
ブラ1という、この前やったばかり、という思いもあって気乗りしなかったのも事実でして・・・・。

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2011年10月18日 (火)

母になったにゃんにゃん

Shibaneko1

わたくち、母になりました。

いつも目にしてたご近所ねこ。→こちら

こんな彼女も少し前、母になったのです。

Shibaneko2a

旦那はこちら。

おめぇ、文句あっか?

へぇ、なんもござんせん。

Shibaneko2

段ボールの一番気持ち良さそうな上の旦那の下の、お馴染みの清酒ケースには、同じ模様のうにゃうにゃ軍団が。
その横には、私のアイドルだった彼女が背中を見せております。

たまに通りかかると、声をかけますが、みんな同じ顔してます。

小さいにゃんにゃんは、3匹は確認してます

美人シリーズは、美人ねことなりました

パトリシア・プティボンも、母となり、その歌唱と演技に一段と個性と、加えて普遍的な力強い説得力を醸し出すようになりました。
母は強いのでした!

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2011年10月16日 (日)

「Melancoria」 パトリアシア・プティボン

Yurigaharabotan5

札幌百合が原公園のダリアの品種、色とりどり。

Yurigaharabotan4

 

おおぶりのピンク。

花を冒頭に。

そう、今日は、女声歌手。
それも最愛の、パトリシア・プティボンの新しいCDなのです。

2度の来日を、それぞれ聴き、間近に彼女のお姿を拝見したけれど、おしゃれな彼女、そのドレスは白や渋めのシルバー、ブラックやパープル、モスグリーンといたってシック。
さすがは、フランス女性です。
来日した彼女は、街ゆく日本の女性の姿をみて、黒の使いかたや、思わぬ色の着こなしにとても感心してました。

 

だから、ここにある2枚のダリアの色は、プティボンご本人のイメージとは異なりますこと、申し添えておきます。

この色の洪水の中にあったパープル系は、惜しくもろくな写真しかありません。

こんなんです。Yurigaharabotan7

いまいちすぎますが、中央の渋いところが彼女好みの色かもです。

ベルクの「ルル」では、どぎつい演出もあって、キツイ赤をまとってますが・・・・。

Patricia_petibon_melancolia

今回のパトリシア・プティボンの1枚は、スパニッシュです。

「Merancolia」~メランコリアSpanish Arias & Songs。

幅広いレパートリーと柔軟性を持つチャーミングな彼女、仏・独・伊・西・米・英と広範に各国の歌を歌います。
来日の際には、「さくらさくら」も歌ってくれましたから、もしかしたら日本の歌もいけちゃうかもです。
前にも書いたけれど、山口百恵(アリス)の「秋桜」を是非とも歌って欲しいと思ってます。
知的で、努力家、チャレンジ精神と、プロとしてのサービス精神の横溢したプティボンさまなのです。

メランコリア(メランコリー)は、憂鬱な、ちょっとアンニュイで落ち込んだ気分。
そんな気分の歌や、逆に、そのメランコリーな気分を晴らそうと陽気に、明るくふるまうような歌の数々。
そんなスペイン、ポルトガルやブラジル、フランスのラテン系の歌を集めた洒落た1枚。
CDブックレットの中で、ゆかりある方々のお名前をあげて感謝の彼女の言葉が書かれてます。

 

  1.グラナドス      「ある女の眼差し」  
  2.モンサルバーチェ 「黒人の子守歌」
  3.  〃        「黒人の歌」
  4.ホアキン・ニン   「エル・ヴィート」
  5.ヴィラ=ロボス   「ブラジル風バッハ第5番」
  6.トゥリーナ      「カンタレス」
  7.ヒメネス       「タランチュラは悪い虫だ」
  8.ゴメス&サアベドラ 「アディオス・グラナダ」
   9.ファリャ             「いながら楽しくこの世を過ごし」
 10.トローバ       「ぺテルナ」
 11.グラナドス       「ああ、私の命のマホ」

 12.シメオン       「マリネッラの歌」
 13.ブラガ民謡     「Odunge - uaerere」
 14.バクリ        「ア・ラ・マル」
 15. 〃         「シレンシオ・ミ・ニノ」
 16. 〃         「ハイ・クワイエン・ダイス」
 17. 〃         「ソロ」


       パトリシア・プティボン

    ギター:ダニエル・マンツァナス パーカッション:ジョエル・グレア
    
    ピアノ:スーザン・マノフ  

  ジョセプ・ポンス指揮 スペイン国立管弦楽団
                   (2010.9.25@マドリード)


ある女の眼差し、とはゴヤの書いたマハのこと。
グラナードゥスの「トナディーリァス」から「嘆きにくれるマハ」を歌っておりまして、冒頭からかなりアンニュイな感じで、ギターも物憂いです。

②と③は、スペインの作曲家モンサルバーチュの曲で、カリブのヒスパニックの音楽をスペインに紹介することに熱意を燃やした。「5つの黒人の歌」から。
しっとりとした②に、機関車のギコギコ走る擬音が面白い③は、飛ぶように歌うパトリシアのお姿が目に浮かびます。

は、有名な「EL vito」。ギターとパーカッションをバックに語りかけるように歌うパトリシア。やがて、リズムが動きだし、いやでも雰囲気が増してきて、彼女の魅惑的な歌声に早くもノックダウンすることとなります。
この曲は、ベルガンサやカバリエもよく歌ってました。
プティボンが選んだバージョンは、キューバのホアキン・ニンのものです、凝ってます。

 そして、有名なるはヴィラ=ローボスのアリア。
まるで耳元で、歌ってくれているかのようなパトリシアのハミングボイス。
軽やかなコロラトゥーラも味わえる、蠱惑的な歌声。

はトゥーリナの「カンシオーネス(カンツォーネ)形式による詩曲」から。
アンダルシアの雰囲気ムンムンの曲に歌唱にございます。

ヒメネスのこの曲は、やたらと有名。
おきゃんなプティボンのあのおどけた顔が浮かびます。
アイアイアイ・・・、のプティボンはやたらとカワユイのでした。

「Adios Granada」は、ギターにパーカッション。フラメンコ調のカンタオーラのようなプティボンの歌いぶり。その多彩な才能に舌を巻きます。まさに、スパニッシュ!
参りました。。。。。

ファリャのオペラ「はかなき人生」からのサルーのアリア。
気の毒な貧乏暮らしのヒロインが、悲しげに歌うアリアだが、さすがにプティボン。
オペラのひと場面ながら、没入ぶりが違う。

トローバのサルスエラ「La Marchenera」からの曲。哀感ただよう曲調は、最後は急速にテンポと力を増して、劇的に締めくくりますが、このあたりの急転直下の様変わりぶりもパトリーの面目躍如たるところ。

 ①と同じ曲集から、ここでも、マハの熱くて物憂い眼差しを感じますな。
炎のような瞳で見ないでよ、と歌ってます。

シメオンのサルスエラ「La canción del olvido」からの歌。
民謡調の単純な歌ながら、ギターとカスタネットがいい雰囲気を醸し出します。

乾いたドラムと鈴がエキソティックな出だし。ポルトガルの歌です。
妙に郷愁そそる音楽は、サウダージの世界でしょうか。
プティボンの朋友マノフ女史のピアノがここで活躍。

⑭~⑰
 フランスの現代作曲家バクリが、プティボンのために書き下ろした作品。
「Melodias de la Melancolia」と題された4つの歌曲。
パクリの曲は、ほかの曲が前回の来日でもプログラムに組まれていたが、プティボンの声質を知りぬいたその作風は、抒情的かつ繊細で、とても聴きやすい曲です。
フランスの作曲家だけれど、作詞家はコロンビア出身のモリーナという人で、これでもってフレンチとスパニッシュのブレンドが味わえるとバクリさんは語ってます。
切なくなってしまう⑭、あまりに美しい⑮、劇的で、ルルをも歌うようになったシャウトするドラマテック・プティボンが味わえる⑯。
このアルバムを総括するかのような⑰。
涙でも笑いでもない、歌や詩でもない、叫びや祈りでもなく、響きや口づけなんかでもない。ただ、わたしの甘味で知られたくないメランコリックなメロディなの・・・・・と歌います。

1曲1曲が、全体のなかで意味合いを持ちあっていて、それらが大きくスパニッシュというくくりに包括されている。
こうした企画力は彼女だけのものでないにせよ、歌でもってこれらを明快に描き分ける天性の才能には、ただただ脱帽です。
いったいいくつの顔を持っているんでしょうね、パトリシアさまは

 

 

 

 

DGのサイトより拝借の録音風景。
このCDについても、語ってます。

 

 

大人の雰囲気たっぷりの「EL Vito」をお楽しみください。

毎回1枚1枚、嗜好の異なる素敵なCDをリリースしてくれるパトリシア。
早くも、次作が楽しみです。
きっともう録音準備に入っていることでしょう。
 そして、なにより、まだ先だけど、再来年は日本にやってきますしね

パトリシア・プティボンの過去記事こちら

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2011年10月15日 (土)

ラフマニノフ ピアノ・ソナタ第2番 グリモー

Sapporo_yurigahara_1

ぼたんです。

とうてい同じ品種とは思えないくらいに、数多いその種類は、あまりにも華がありすぎです。

Sapporo_yurigahara_2

これもそうです。

でも葉っぱが似てます。

今日の音楽と、演奏者のイメージが黄色だったりしましたので、黄色をチョイスしてみました。

なかなかでしょ。

左のサイドバーにある、札幌百合ヶ原公園のフォト集をご覧くださいまし。

Grimaud_chopin_rachmaninov

そんなにまで、お顔のアップをジャケットにしないで欲しい。
おじさんは困ってしまうから。
エレーナ・グリモー

かつて、オリヴィア・ニュートン・ジョンのレコードジャケットもそうだった。

例の狼・愛のイメージがあるものだから、ちょっと野生味も感じてしまう、シャープな印象のグリモーさまの画像にございます。

で、今日は、このCDから、ラフマニノフピアノ・ソナタ第2番を。

ラフマニノフの2番といえば、協奏曲や交響曲ばかりじゃございません。
このピアノソナタも、ラフマニノフらしい輝きと連綿たる抒情にあふれた名作なのです。

1913年、ベネチアで着想しつつ、ロシアで完成。
年代的には、交響曲の2番はとっくに書きあげているし、協奏曲も3番まで終了。
ピアノ作品では、「音の絵」や小品いくつかを残すのみ。オペラも全部終り、「鐘」とラップする時期。
そうです、もう、われわれが思うラフマニノフの真髄が随処に聴くことのできる、そんな最充実期の作品。
でも、1番は?
わたくし、まだ聴いたことがありませんので、勉強します。

初版と、それを短縮化した31年版もあるほか、親交あったホロヴィッツが、作曲者の許可を得て、自身が納得できる版を作った改訂版もあって、ややこしいが、さらに今回のグリモーも、作者の初稿とホロヴィッツ版を参照しながらの演奏を行うなど、妙にややこしい。
いずれ一度、それらの聴き比べをしなくちゃと、これまた勉強が必要なわたくしです。

しかしながら、ここで聴くグリモーのラフマニノフはとても素敵だ。
ラフマニノフといえば、アシュケナージで、そのピアノと指揮のすべてのラフマニノフを聴いてきたが、思えばアシュケナージのラフマニノフは、ラフマニノフの最大公約数みたいなところがあって、完全で落ち度なく、同じする祖国を遠くにあって思う的な心情にも完璧なまでに、ことかかないところがある。

 グリモーは、そんな同じ境遇意識や美意識から遠いところで、ラフマニノフの音楽のみに焦点をあてて弾いてしまったみたい。
孤独と矛盾をとらえ、そこにある甘味なロマンティズムはさておいて、シャープな響きでもって切り込んだラフマニノフ。
いつも、その魅惑的な音楽に陶酔してしまう第2楽章の、キリリとした佇まいは、実にしっかりとしてます。豊富な歌にも事欠かないけれども、とろけるとまではいかない冷静さと、ある意味、すこし突き放したようなクールな美しさがあったりして、いまの世の中風だったりしたのです。

グリモーの魅力は、その探究心と知的な企画力。
このCDも、同じ2番で、同じ変ロ短調のショパンのソナタを併録しているところ。
こちらのショパンもクール・ビューティーな演奏にございました。

ところで、ホロヴィッツのこの曲の動画がありましたがなぁ~
そりゃもう、凄まじいものでございますなぁ~
一度お試しを・・・・。

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2011年10月14日 (金)

ベルリオーズ 幻想交響曲 バーンスタイン指揮

Hamamatsucho_201110_a_4

早いもんです、もう10月の小便小僧、そして幻想交響曲を取り上げる日がやってきました。

Hamamatsucho_201110_b

今回も法被を着たイナセな小僧。
一直線の放水がお見事ですな。

Hamamatsucho_201110_c

祭りじゃ、祭りっ

「小若」・・・間違ってたらごめんなさい。
福島県石川郡の浅川町の秋祭りに小若会という組織があって、毎年ナイスな山車を作っているそうだ。
そちらのことでしょうかね?

豊穣を祝う秋祭り。今年みたいな年こそ、盛大にやって欲しいですね。

Berlioz_sym_fantastique_baernstein_

今月のベルリオーズ「幻想交響曲」は、バーンスタインニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で。
バーンスタインは、11年前の今日、10月14日に亡くなったのでした。
享年72歳は、早すぎる死でしたが、酒と煙草の不摂生とはいえ、作曲家・指揮者・ピアニスト・教育者・文筆家・・・、幅広い音楽の顔を持ち、それぞれに充実した果実を残したその生涯は、思えば、人生極めてしまっていたのかもしれません。

そんなことを思いつつ、上り調子だった1968年の録音の幻想を聴きました。
このところ、バーンスタインについて書くとき、DG後期の演奏より、CBSからDG初期の頃のものがいい、と書いてます。
そんな中のひとつが、ニューヨークフィル時代の終わり頃のこの幻想。
70年の、来日演目として取り上げられていて、そのときの興奮たるやさぞかし、と思い続けてきた。
けれども、CD化されたこの演奏は、レコードの幾分けばけばしい、ニューヨーク・フィルのサウンドがかなり落ち着いたものになっていて、だいぶ印象が違うものになっていた。

Berlioz_sum_fantastique_bernstein_n

わたしの今聴くCDは、90年頃にリマスターされたロイヤルコレクションンのひとつだが、このシリーズで、チャイコフスキーやストラヴィンスキー、ワーグナーなども揃えてみたけれど、やはりレコードとかなり違う。
いやむしろ、バーンスタインとニューヨークは、こんなにも渋かったっけ・・・、てな具合です。

この幻想もかなり落ち着いて、堂々たる佇まい。
枯れつつあるワタクシのチェックポイントは、3楽章の「野の情景」をいかに味わい深く聴かせるかだが、これがなかなかに渋くまとまっているのです。
中間部の恋人出現のアッチェランドもさほどではないし、夢見心地もほどほどに、田園交響曲のような自然讃歌・描写に聴こえるのです。
この清々しさは得難いものでしたね。

しかし、さすがにバーンスタイン。
1楽章のジワジワと盛り上がり、やがて飛び跳ねるのようなリズム感に支配されるさまや、ワルツの同じくリズムのよさ。
終楽章は、各楽器を思いきり鳴らしきり、デフォルメチックな様相も呈するが、最後の熱狂は思ったほどじゃなくて、的確な指揮ぶりでオケの突っ走りを巧みにコントロールしている印象。

わたしの印象がちょっと大人しすぎますかね?
でも、こんな生真面目なバーンスタインも微笑ましく好きだったりします。

後年のフランス国立管との再録は、もっとエキセントリックでしたが、そう何度も聴くことができないように思います。
そちらは、またいずれの小便小僧とともに書きたいと思いますが・・・・。
もうひとつ、63年のニューヨーク盤もありますが、そちらは未聴です。
このCDには、「ベンベヌート・チェリーニ」と「ローマの謝肉祭」のそれぞれ序曲の飛びきりイキのいい演奏が併録されていて、結構熱い興奮が味わえますぞ。

70年半ばから、DGに移籍したバーンスタインの録音は、「ライブで燃える」、ということで、その録音のほぼすべてがライブ録音でなされるようになった。
それからのバーンスタインは、また面白くなるのですが、CBS時代の啓蒙的な演奏の数々も、今でも色あせないその曲々の模範的な演奏を根差したものといえると思います。
そんな中にもパッションの爆発を見せて、突如の盛り上がりを示したりするレニーなのでした。

このレコードには、バーンスタイン自らが幻想について語った付録LPが付いてました。
「ベルリオーズのサイケデリックな旅行」(?)というものだったでしょうか。
70年に大量に発売されたバーンスタインのレコードの一環で、当時のジャケットはバーンスタインのかっこいい横顔。
懐かしいなぁ。
小学生の自分。
幻想は、現実にとって変わり、夢は遠くになりにけり・・・・です。

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2011年10月13日 (木)

ルクー 「弦楽のためのアダージョ」 バルトロメー指揮

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まだ本格的な秋の夕暮れの空じゃないです。

気温が少し高めですから。

深まる秋が楽しみであります。

Franck_lekue_bartholomee

ベルギーの天折の作曲家、ギョウム・ルクー(1870~1894)の「弦楽のためのアダージョ」。
24歳という早すぎる死に、残された作品で完成作はあまり多くはないけれど、その断片は数多くありといいます。
ヴァイオリン・ソナタが、その抒情に満ちた美しさで有名ですな。(こちら→過去記事

セザール・フランクのお弟子さんということもあって、今日のCDは、フランクの交響曲とルクー作品をカップリングしたもの。
かなりナイスな組み合わせございます。
実は、フランクの交響曲フェチでもありますワタクシ。
いくつも揃えましてございまして、本場ベルギーの演奏ということで、飛びついて購入したのが、もう15年くらい前でございました。
幻想ばっかりもなんだから、フランク・シリーズでもやろうかと、棚を見ていて今さらながらに気が付いたこちらのルクーの存在。

いかにもルクーらしく、棚の中で、静かにひっそりと佇むCDでございました。

この曲は、1891年、ルクー21歳の作品で、とうていそんな若者の作品とは思えないくらいに、熟した悲しみに満ちております。
フランクの弟子でありながら、その音楽はそうでもなく、基本のみを教わったようで、自身が好きだったバッハやベートーヴェン、そしてワーグナーの音楽の流れを独自に昇華したルクーなのである。
だから、この12分たらずの音楽には、甘味なる世紀末の香りがほのかにするし、マーラーからシェーンベルク、ウェーベルンといったウィーンの流派の雰囲気もぷんぷんに漂うのだ。
これは、ほんとうに素晴らしい音楽です

15年前に買って、ほとんど放ってあったCDを復活することができるのも、ブログのおかげ。
フィンジのように、ナイーブでデリケートな側面も持ちつつ、先に記したような後期ロマン派風、そしてウィーン楽派をも先取ったような大胆な側面をも持つルクーの桂品は、コンサートなどでももっと聴かれていいと思う。
 秋の気配がもっと濃厚になり、そろそろ上着がもう1枚、というような季節にぴったりの寂しくも、ほの悲しい音楽なのでした。

バルトロメーが、本場リエージュ・フィルハーモニーを指揮したこの演奏は、極めて素晴らしいと思う。
曲への共感が申し分なし。

リエージュは、ルクーの生地ヴェルヴィエからもほど近い美しい街。
そして、リエージュはフランクの生地なのです。
その、よりドイツに近いヴェルヴィエはそのリエージュ州の街のひとつ。ルクーの立ち位置もわかるような気がします。
ブリュッセルのように海がなく、内陸だけれども美しい川がある。
なんだか、とっても行ってみたい。
ベルギーといえば、あとアントワープですな。

ワッフルやビール、そして美食ばかりじゃない、音楽の国・ベルギーをよく注目してみたいものです。
古楽の世界でいうと、フランドル楽派の興隆した国ですし。
話が脱線しました・・・・

ルクーのアダージョ。
楚々とした音楽の運びに、聴いてて泣けてくる。
でもそんなに悲しくもない。
けれど、無類に美しい。
わたしの、死出の音楽候補がまたもうひとつ加わってしまったようだ。

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2011年10月12日 (水)

ローベルト・アラーニャ ヴェリスモ・オペラ・アリア集

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浜松町の貿易センタービルの真下でやってます、大つけ麺博。
9月23日~10月16日。
その間、3期に分けて、店が入れ換わる。
最終期間に、酔いに任せて行ってきましたよ。

Tukemen_2011_b

8店舗のなかからチョイスしたのは、イタリアンの巨匠・落合務と、音羽のちゃぶ屋とのコラボ店。

そのまま紹介文を書きます・
「鶏と豚のスープに香ばしいイカスミソースを加え、干し椎茸、干し貝柱の旨味を重ねたつけ麺。こってりとそた味わいに、竹炭を練り込んだ黒い麺とバジルの風味が映える」

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いったい、どんなだろ?

でも、そのお姿は、こんな感じにまっ黒けのイカスミパスタみたいな麺に、味噌汁みたいなスープ。

Tukemen_2011_d 

でも、つぃーーっとすすれば、たしかに先の文章のとおり、シコシコ麺にバジルの香りはイタリアン、そしてスープもイタリアン風にイカスミとニンニク味。
でも、すすった後は、ダシの効いた和テイスト。
おぉ、おぉ、と思う間もなく、少なめのコンビニ風の盛り付けの麺はすぐに終了。
妙に、後引くのは、おいしいつけ麺の宿命でございましょう。

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フランス人だけど、イタリアの歌魂をもったテノール、ロベルト・アラーニャ

この人は、知的な歌唱を持ち味としますが、役柄へのプロフェッショナルな没頭感と、真の音楽魂がやたらと熱いものだから、イタリア聴衆の因習的(悪意的)なまでのヤジに真っ正直に反応してしまい、いくつかのいざこざを起こしてきた。
スカラ座のラダメス事件がそうでありますが、そもそもスカラ座の永年の聴衆は手厳しいことで有名だ。
同郷の誇り、アバドは神様扱いだけど、そのアバドはスカラ座への復帰がなかなか実現しない。
ナポリのムーティも、神々しさではアバドと同列の扱いだったけど、隙間風が吹いて、ムーティもスカラ座には復帰しようとしない。
歴史と伝統あるハウスは、なかなかに難しいものなのでしょう。

そんなことは置いといて、ロベルト・アラーニャの素晴らしい歌声による、ヴェリスモ・アリア集をイタリアンコラボつけ麺を食べた今宵、聴くことにしましょう。

たった今、来日中のルーマニア出身の美人のかみさん、ゲオルギューを持つ、イケメンの旦那アラーニャ。
ドイツもの以外、伊仏のロール全般をまんべんなく歌いこむアラーニャの声域は、リリックからスピントの間。
ドラマテックテナーではないけれど、アラーニャの知的かつ迫真歌唱にかかると、その作品がアラーニャのために書かれたのではないかと、思うくらいに劇性を帯びて迫ってくる。
甘口が多かった、フランス系のテノールの中にあって、スペインが生んだ最大テノール、ドミンゴのような存在に思えるのです。

実演ではまだ未体験ですが、DVDなどで観るアラーニャは、劇中に没頭し、役柄にハマりきった迫真の演技を見せてくれます。
文字通り、口角泡を飛ばす勢いで、涙も流さんばかりの熱演・熱唱であります。
愛すべき奥様と演じた、ラ・ロンディーヌ(つばめ)におけるそのお姿は印象的でしたし、パリアッチも、怒りの下の悲しみが恐ろしいものがございました。
そして、シラノ・ド・ベルジュラックのひとり舞台はドミンゴを超えました!

そうです、わたしにはアラーニャは、フランス・オペラもいいけれど、ベルカントやヴェルデイもいいけれど、ヴェリスモ系のテノールなのですよ!

EMI時代に録音された、そのヴェリスモ系オペラアリア集。

 1.プッチーニ    「トゥーランドット」
 2.ジョルダーノ   「アンドレア・シェニエ」
 3.カタラーニ    「ラ・ワリー」
 4.ザンドナ
イ    「ロミオとジュリエット」
 5.レオンカヴァッロ 「ラ・ボーエム」
 6.ポンキエッリ    「ラ・ジョコンダ」
 7.マスカーニ     「カヴァレリア・ルスティカーナ」
 8.チレーア      「アドリアーナ・ルクヴルール」
 9.レオンカヴァッロ 「ジプシーたち」
10.  〃        「チャタートン」
11.  〃        「ザザ」
12.ジョルダーノ    「おふざけの夕食」
13.  〃        「フェドーラ」
14.ウォルフ-フェラーリ 「スライ」
15.プッチーニ     「トゥーランドット」終幕ヴァージョン


       テノール:ロベルト・アラーニャ

  マーク・エルダー指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                     (2003.6@EMIスタジオ、アビーロード)


お馴染みでない作品もありますが、プッチーニの名前に隠れてしまった、レオンカヴァッロ(ボエームの素晴らしいアリア)やジョルダーノのそれこそ名も知れぬ作品や、ザンドナイやカタラーニの名品。
ヴェルディ後の、イタリアオペラ史を支えた人々を知るに絶好のアリア集。
こうしたサワリを機に、全曲を是非にも探求したくなるのです。

これらを、アラーニャは絶唱といかずとも、巧みな抑制をもって、わたしたちのそこここにある涙の一滴みたいな感じでもって、心にふれる歌声を聴かせてくれております。

わたくしが一番感激したのは、もうひとつの「ラ・ボエーム」のマルチェッロのアリアです。
プッチーニと違って、本家レオンカヴァッロのボエームでは、ロドルフォがバリトン、マルチェッロがテノールなのです。→「レオンカヴァッロのボエーム」
それと、自身でも歌いたい、大好きな役柄チレーアの「アドリアーナ・ルクヴルール」のマウリツィオのアリアですね。
カレーラスが蘇演した「スライ」や、レオンカヴァッロやジョルダーノの珍しいオペラ、いずれもアリアをこうして抽出して聴くと、捨てがたい作品に思います。
それぞれ、ただいま勉強中につき、いずれ記事に出来るものと思ってます。

Alagnagheorghiu 

ゲオルギューとついたり離れたりのアラーニャ。
お互い、もういいでしょ。
若くはないんだし(なんて書いたら怒られるか・・・・)。
かみさんのHPより拝借の夫婦のひとこま。

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2011年10月11日 (火)

エルガー 序曲「コケイン」 ヒース指揮

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英都ロンドン。
もうだいぶ前、唯一のロンドン訪問のおり買った絵葉書から。
ビックベンが完成した19世紀中頃の様子でしょうか。

今日のニュースで、この時計台が傾斜しつつあることが報じられた。
以前から報告されてたそうだけど、私は初耳。
傾きは、0・26度というから差ほどとは思えないけれども、でも傾斜進行中ということで、ちょっと怖い話。

ピサの斜塔は、5・5度で、それと同じ、すなわちピサ並みにベッグベンが傾斜するのは、計算上あと4000年のことといいます。はぁ。


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エルガー(1857~1934)の描いたロンドン讃歌。
それが、演奏会序曲「コケイン」。
生粋のロンドンっ子のこと「コックニー」の故郷という意味。

交響曲の作曲は、もう少しあとだけど、「エニグマ」や「デロンティアス」を残し、英国の大作曲家としてヨーロッパにもその名をとどろかせていたエルガー。
快活かつおおらかで、明るい希望にも満ちた「コケイン」は、活気あるロンドンの都そのもの。
同じロンドンの街を題材にした、ヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲は、もっと陰りと大都会の矛盾をも照らしだしているけれど、エルガーの序曲に聴くロンドンは明るい前向きな側面の大都会。
しかし後年の交響曲で、ロンドンはおろか、夕映えの大英帝国の憂愁のようなものを描きだすことになるのです。

楽しい街の光景から、まいどお馴染みのノビルメンテと記された動機によるロンドンの人々の描写。そして恋人達や、軍楽隊、教会の様子などなど。
とても気持ちのいい、伸びやかな音楽であります。

今日は、エドワード・ヒース氏(1916~2005)の指揮するロンドン交響楽団の演奏で。
そう、大工の生まれから身を起こし、英国第68代首相(70~74)となった方であります。
子供の頃から音楽の勉強もしていたヒース氏は、ロンドン響との関係も深く、1971年に楽団が基金活動のために行ったガラコンサートにて、事前に名前を明かされることなく予定されたコンサートながら、実はバレバレであったとか。
当時の首席、プレヴィンと振り分けあったコンサートのライブです。

オケがうまいから・・・、という以上の余芸ぶり。
気品ある主題の歌わせ方など実に素敵なものだし、最後のクライマックスも堂々たるものでございました。
しっかし、このジャケットに見る生真面目な指揮ぶりも印象的だけれど、お馴染みだったロンドン響の面々。
かつて男性だけのオーケストラ。実演や写真で始終お世話になってましたから懐かしい時代のものです。

政治家と音楽。身近なところでは、我が国の某元首相は、オペラ好きでバイロイト詣でまでしちゃった。
そして、立派に音楽家しちゃってたのは、西ドイツのヘルムート・シュミット首相(74~82)。ピアニストとして、モーツァルトやバッハの複数台の協奏曲のソロをつとめた録音もあるし、某オケのソリストとしても登場していたくらい。

イギリスとドイツの音楽好きの首相たちでした。

そうそう、気になって英独の首相歴任数を調べてみました。
70年代から、いま現在まで。

 英国・・・・8人(ヒース、ウィルソン、キャラハン、サッチャー、メージャー、ブレア
          ブラウン、キャメロン)
 
 ドイツ・・・5人(ブラント、シュミット、コール、シュレーダー、メルケル)

 日本・・・24人(佐藤栄作  etc   野田佳彦)

何もいうこたぁ~ないですな。
最短2か月の人もいましたし。
傾き具合激しいっす。
余談、おしまい。

エルガーの「コケイン」でした。

    

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2011年10月 9日 (日)

ブリテン 「ビリー・バッド」 ハーディング指揮

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波穏やかな瀬戸内の岩場。

海は、その場所によっていろんな顔を見せますな。

しかし、海は海。
海から、あらゆるものがやってきたし、その海の上では地上とは異なる秩序や規律が元来、厳然としてあります。

いろいろお付き合いしてきた会社の中でも、船会社系は苦手だった。
サイトが長かったり、独特のルールがあったりして、そして少し保守的だった。

でも、海はいい。

Britten_billy_budo

ブリテン(1913~1976)のオペラシリーズ。

傑作の呼び名も高い「ビリー・バッド」。

全部で16作あるブリテンのオペラ。
当ブログでは、これで9作目。
少しずつ全曲制覇に近づいてますが、音源確保が難しい局面も・・・・。

1951年の7番目のオペラ作品は、「白鯨」のハーメン・メルヴィルの小説をもとにしたもので、台本は、英国の小説家エドワード・モーガン・フォースター。
ブリテン・ピアーズ・フォースターの3人による共同作品といってもいいかもしれない。
もちろん、ブリテンの素晴らしい音楽がそこにあってのことながら、原作により社会性やヒューマンな主張を加えたのは、フォースターの力。
ちなみに、この3人とも、オトモダチなのです。。。。

いきなり、そんな風に書いちゃうと、思いきり引いてしまわれるかもしれませんが、さらにこの「ビリー・バッド」は女性のひとりも登場しない、男だけのオペラなのです。
ゲゲッ、と思わないでいただきたいのですが、船の上の男だけの世界。
合唱も男、そして少年合唱も活躍なのですよ。
このあまりにも、オホモチックな作品には、そんなわけで女声が欠乏しているため、あんまり何度も聴いていると、その潤い不足に、少し辟易としてきてしまうのも確かであります。
教会3部作なんてのもそうだったし・・・・。

でも、相変わらずブリテンの音楽はクールでかつダイナミックでかっこいい。
巧みに練り上げられた心理描写に付随してやまない説得力の高い音楽。
作曲当初、4幕仕立てで、それはまるでベルクの「ヴォツェック」のように、各幕に中にそれぞれにピークを設けながら、全体がシンフォニーのようにひとつにつながっている。
そして、本編のオペラが前後のプロローグとエピローグの枠でもってくくられ、ドラマ部分が回想録のように存在している。

それはまるで、先ごろまで放送されてた、朝ドラの「おひさま」のよう。
 若尾文子演じる現在の主人公が、戦前戦後の若い自分を、井上真央によって演じ語る基軸の6カ月ドラマだった。

ブリテンの劇作におけるその構成力には毎度驚く次第です。
 しかし、4つの幕における舞台変換の機能上の問題と幕間の多さによる緊張感の切断などから、2つの幕による版が1960年に作られ、今ではそちらでの上演や録音が一般的。
今日のハーディング盤も、そちらの2幕版。
初稿の4幕版には、ケント・ナガノの素晴らしいキャストによる蘇演ライブもあります。

  ブリテン 歌劇「ビリー・バッド」

  ビリー・バッド:ネイザン・ガン  
  ヴィア艦長:イアン・ポストリッジ
  クラッガート:ギドン・サクス   
  レッドバーン:ニール・デイヴィス
  フリント:ジョナサン・レマル   
  ラトクリフ大尉:マシュー・ローズ
  赤ひげ:アラスデア・エリオット  
  ドナルド:ダニエル・ティート
  ダンスカー:マシュー・ベスト      
  ナヴィス:アンドルー・ケネディ
  スクイーク:アンドルー・トータイズ 
  一等航海士:アダム・グリーン
  甲板長:マーク・ストーン            
  二等航海士・砲手:ダレン・ジェフリー
  メイントップ:アンドルー・ステイプルズ
  ナヴァスの友人・アーサー・ジョーンズ
        :ロデリック・ウィリアムズ

     ダニエル・ハーディング指揮 ロンドン交響楽団/合唱団
                    聖ルカ少年合唱団
     (2007.12 @ロンドン・バービカン、ライブ)


時は、1797年、フランス革命後の自由精神の蔓延を阻止せんとする英独露墺などの列強との戦いのさなか。
英国艦船「無敵号」の船上がその舞台。

プロローグ
 
「無敵号」の元艦長E・フェアファックス・ヴィアは、引退後、かつての事件が頭から離れず、善と悪とについて想いをめぐらせている。


第1幕
 
 その1797年の出来事。
無敵号の甲板では、水夫たちが上官の厳しい監視と叱責のもと、清掃作業に追われている。ところが、新米の若い水夫が何度もしくじり、鞭打ちの刑を命じられる。
そんな中、水夫確保の絶好の機会として、航行中の商船から3人を強制徴用したとの知らせ。
船上の航海長レッドバーン、副長フリント、衛兵長フラッガートにより、その3人の取調べと適正検査が行われるが、最初の二人は却下。そしてビリー・バッドはその経歴と篤い忠誠心でもって、大いに評価を受け合格。

しかし、言葉をつまらせ、どもりであることが発覚するも、クラッガートが大いに気に入り重用されることになる。
さらにしかし、おおいに喜んだビリーは、感謝と船への賛美を歌い、さらに「人権!」と口走ってしまう。
 すぐさま、危険分子のレッテルを張られ、クラッガードはビリーを気に入りつつも、狙いをつけることに。
 そのあと、ヴィア艦長による士気を鼓舞する演説があり、ビリーは大いに奮起し、「艦長ヴィアに仕え、そのために死す、輝く星のヴィア」と歌う。
 ヴィアはその艦長室で、その一面である知的な側面をあらわし、ギリシア・ローマの英雄伝などを読み感慨にふけっている。
士官たちは不穏分子ビリーのことを忠告するが、ヴィアは信じない。
 甲板でくつろぐ、ビリーと仲間たち。
クラッガートの指示を受けたスクイークがでっち上げのために、ビリーの手荷物を探っているところを、ビリーたちに見つかってしまい騒ぎとなり、クラッガートもやむなく処分する。
 クラッガートが次いで目をつけたのは、ドジばかりの新米の水夫。
金貨を握らせ、たぶらかす。そして、ビリーを貶めることを、まるで、オテロのイャーゴ、はたまたスカルピアのようなクレド(信条)でもって、その邪悪な心情を歌う。
 案の定、いじめられっ子のその新米に同情し、すいぐさまひっかかったビリー。
仲間の言うクラッガートの陰謀だという話には、耳も貸さない善良無垢のビリー。


第2幕
 
敵の領域。いよいよ決戦と意気が上がる船上のヴィア艦長。
そこへ、クラッガートがご注進とばかりにやってくるが、その時、フランスの敵艦が戦闘区域内にはいり、臨戦態勢に。
クラッガートは差し置いて、艦長は全軍を指揮して、全船猛然たる雰囲気になる。
音楽も大興奮の坩堝に。
ビリーも敵艦に乗り込む気概を雄々しく歌うが、残念にも霧が立ち込め、敵は射程距離外に・・・・。

 そして、再度、クラッガートは艦長の元へ行き、金貨を与え不穏な意図に仲間を募ったというビリーの不行状を訴えるが、艦長は信じない。
訴えに応じ、被告ビリーと原告クラッガートを呼んで、公正に裁こうとする。
 クラッガートの訴えに対し、ビリーは弁明を求められて、例のどもりの発作が出てしまい、しどろもどろに。思わず、悪魔と罵り、クラッガートの肩に手をかけようとしつつも、殴打してしまい、その勢いでクラッガートは倒れ事切れてしまう。
 「なんと運の悪いこと」、とヴィア艦長は、ビリーを別室に置き、緊急の軍法会議を開くが、事態を客観的にしか報告しない会議場の艦長。
「でっちあげです」、「助けて」とのビリーの言葉に、艦長は黙するばかり。
戦時条項や国家法規にのっとり、死刑執行と相成ったビリー。
 処刑の早朝、月光をあびてひとり寂しく運命を受け入れるビリー。
仲間の酒の差し入れで、しばし仲間と別れを惜しみ、ひとりになり告別の歌を歌う。
 いよいよ処刑。副長の処刑の弁に続き、ビリーは、「輝く星のヴィア、神の祝福を」と叫んでこときれる。
その瞬間、船上の船員たちから不平・不満の大きなため息の抗議が漏れる。
誰にも愛されたビリーの最後。


 エピローグ

年老いた元艦長ヴィアの独白。
彼を救えたはずなのに、世の掟に捉われて口をつぐんでしまった・・・・。
なんてことをしてしまったのだ、彼は、私を祝福してくれたのに・・・・。
だがしかし、遥か昔のこと。。。。


             

こんな粗筋だけど、全部おとこ。
殺伐としすぎていて、いやになっちゃうけれど、ともかくブリテンの沈鬱かつダイナミックでヒロイックなサウンドは最高。
ふたつの幕だと、薄まってしまうもうひとつは、元来の4つの幕切り替えが、まるでフェイドアウトして、次ぎの幕が同じ旋律や雰囲気で始まるという、境い目のない緊張感の連続。
2幕のそれぞれの場でもそれは感じとることができますが。
人物たちやその行動には、ライトモティーフ的な共通旋律が与えられ、かなり緻密に構成されていて、それをひも解くには、かなりの聴き込みも必要です。
 2幕の戦闘部分での、ドラムの連打やフルオケによる勇猛なサウンドには、興奮させられます。
そこで、テノール役、そう、ピーター・ピアーズを想定した艦長が激を飛ばす訳なのですが、どう考えてもピアーズの役柄じゃない。
ドラマテック・テノールの役柄じゃないところが、このヴィア艦長の面白いところでして、このCDでも性格テノールっぽいのポストリッジが青白く、そして悔恨に満ちたヴィアを歌ってます。
タイトルロールじゃありませんが、ある意味主役のヴィア艦長の複雑な二面性。
新規採用による純粋かつ愛すべきビリーを文字通り、信じ愛しながらも、立場や規律を優先して死にいたらしめてしまう。
ブリテンの描くオペラの役柄に多い性格かもです。
世間から抹殺され浮いてしまったピーター・グライムズや、ねじの回転の家庭教師、ヴェニスに死すの少年愛のアッシェンバッハ・・・・・。

そして、このドラマにはまた、殉教者キリストの姿も読みとることができる。
ビリー=イエス、ヴィア=ピラトおよび大衆、クラッガート=旧守派・ユダなどと。
救えなかったヴィアと、ヴィアを皮肉にも祝福し救ってしまったビリー。
深いドラマがまだまだ読みとれそうです。

このCDは、ロンドンでのライブ録音で、若いダニエル・ハーディングがその意欲をむき出しにしてブリテンの音楽に体当たりしたような魅力があります。
音のキレはよく、鋭くも、抒情も豊かで、2幕後半の晦渋さも実に充実している。
作者の音源をなんといまだに聴いてないのですが、ヒコックスの神々しい演奏に若々しさと大胆さで迫る名演に思います。

歌手では、ポストリッジの独り舞台。
ピアーズがそうであったように、どう聴いてもポストリッジの無敵号の艦長は理知的にすぎ、力強さに欠ける。
しかし、その言葉ひとつひとつに込めらた抜き差しならない思い。
聴いてて疲れてしまうくらい。
ユニークで、妙に冷静なヴィア艦長なのでした。

ガンの暖かいバリトンによるビリーは、疑いをしらない朗らかで明るい歌。
死を前にした独白での、素晴らしい歌は、淡々としつつ、思わず涙さそうものです。
サックスの身の毛もよだつ悪意に満ちたクラッガートも素敵な適役。

作者の自演盤以外にも、次々に登場している「ビリー・バッド」は、ブリテンのオペラ作品のなかでも、いろいろな解釈の余地を残しつつも、歌手の力によって様々な可能性を見せてくれる名作になっております。

わたしは、ヒコックス盤が最高に思ってますし、4幕版のK・ナガノも迫真の演奏になってます!

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「ビリー・バッド」、特殊しぎるシテュエーションに、いろんな思いもよぎりますが、でも、ブリテンの音楽は素晴らしいのでした。

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2011年10月 8日 (土)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 マイ&ノイマン

Sapporo_yurigahara_cosmos

札幌の百合ヶ原公園のコスモス。

空にはセスナが飛んでました。

北のコスモスは、少し華奢で色も淡いのでした。

Dvorak_vccon_may

秋のドヴォルザーク

そして、秋はチェロ協奏曲がお似合い。

今日は、ドイツの女流チェリスト、アンゲリカ・マイが、ヴァーツラフ・ノイマンチェコフィルハーモニーという鉄壁のバックを得て録音した1983年の録音のCDで。
この音源の存在は知りませんでした。
某ショップで、未開封状態で確保。
普通に読んじゃうと、アンジェリカ・メイ(Angelica May)ということになって、いかにアメリカ娘みたいになっちゃうけれど、ドイツ生まれの彼女、アンゲリカ・マイさんなのでした。

彼女は、いまはあんまり名前を見なくなってしまったが、かつて札幌冬季オリンピックの時に、夏のミュンヘン五輪との関係で来日したミュンヘン・フィルのソリストとして同行してハイドンの協奏曲を演奏していて、雑誌の記事でわずかに記憶に残るチェリストだった。
ちなみに、そのミュンヘンフィルは、ケンペが当初より病気がちで来日不能。
そして本来は、ノイマンが率いてくる予定だったが、政治的なことからこれも不能となり、地味なベテラン、フリッツ・リーガーとともにやってきた。
NHKのテレビで観ましたよ。
その時のソリストが、このマイと、ピアノのリヒター・ハーザー、そしてパイネマン、という、いまや懐かし、そしてまぼろし級のドイツの演奏家ばかりでございました。

そんな薄ぼんやりとした記憶のマイさんの経歴は、ピアノとヴァイオリンを学び、本格チェリストを志し、カザルスに認められ、その弟子となり、チェコを中心に、ことにノイマンとの共演によって名声を高めていったとされる。
室内楽にも長じ、そして、ソロやその室内楽での後進への指導という才能にも恵まれ、ウィーンやチェコで教鞭を取っているそうだ。
実力派のマイさんです。

気心の知れたノイマンとチェコフィルとの共演盤はいくつかあるようだが、その代表格はこのドヴォルザークでしょう。
一音一音、丁寧に弾きわける女性らしい輪郭の豊かな演奏に感じます。
もちろん壮大で豊かな場面では、オケにも助けられて朗々と歌いまくっております。

第2楽章が実に美しい。
自分も歳とともに、こうした緩徐楽章に心かよわせるようになってきた。
深まる秋を思うとよけいにそう。
中間部の短調のやるせない旋律の背景は、さざ波のようにたゆたう弦。
ここでのチェコフィルの弦の美しさといったらありません。
次ぎは、そのモティーフをチェロが引き継ぎ、主旋律は木管にて奏でられる。
本当に美しい場面であり、マイさんのチェロとノイマンとチェコフィルは、その抒情性と憂愁の美において完全に一体化してます。

本場嗜好をあんまり持ちたくはないが、さりげない一節(ひとふし)にも、意図せずとも気持ちのこもったオーケストラの魅力は、渋くもありながら強みでもあります。
聴きなれた場所も、あれっ、と思うことしきりでありました。

久しぶりのドヴォコン、秋空を眺めながら、とても気持ちよく聴くことができました。

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2011年10月 7日 (金)

シューベルト 交響曲第3番 ヒコックス指揮

Yurigahara1_2

一見、荒れ果てた藪畑みたいですが、一応英国風の庭園の一角。

英国のガーデニングは、なすがまま、趣くがまま、みたいなところがあって、自然に任せてしまう大らかさがある。
それが、しかし野趣に富みながらも、植物本来の持つ美しさが生かされるところが、英国風なんです。

何もせずとも、ナチュラルなところの美しさがあるんですね。

実は、今日、神奈川フィルの定期会員でありながら、仕事で行き着くことができず聴くことができなかった。
楽しみにしていた、聖響さんのモツレクは、豪華な歌手陣だったし・・・。
いつもの仲間たちのレヴューを楽しみたいとは思いますが、しかし、波乱の一報が・・・・。

Schubert_sym38_hikox

今日は、シューベルト交響曲第3番

地味な曲だけれど、この曲を、カルロス・クライバーの演奏で好きになったという方も多いのでは。
未完成とのカップリングだったカルロス盤。
しかし、未完成以上に、はじけ飛ぶ俊敏さと意欲に溢れていたカルロスの演奏。

そして、今日は、亡きリチャード・ヒコックス指揮するシティ・オブ・ロンドン・シンフォニアの演奏で。
これがまた実に素晴らしい演奏なのです。
この短めの交響曲に溢れる歌心と、リズム感あふれる躍動感を、ごく自然に、なんらの作為も感じさせずにサラリと引き出し演奏して見せた洒落た桂演。

古典派の延長上にありながら、いかにもシューベルトチックな歌謡性に満ちていて、いつもどこかで聴いていたいような曲であります。
この古典とロマンの端境期の音楽に、いまは、いろんなアプローチが可能です。
リズム感の良さは、いかにもピリオド風にスコンスコンとやりたくなるところですが、ほんのちょっとしたところにもあふれ出ているシューベルトの歌心が置いてきぼりにされてしまうような気がします。
「合唱の神さま」みたいな存在だったヒコックスが描き出すシューベルトは、先にも書いたとおり、気負いのないサラリ感がとってもいいのです。
無味乾燥なところは一切なく、従来奏法によりながら、塵や埃にまみれておらず、実に新鮮なシューベルトを聴かせてくれます・
もちろん、「未完成」もすっきりした名演でございます。

あぁ、ヒコックスの死が悔やまれます。

そして聖響モツレク、結果はともあれ聴いてみたかったです・・・・。

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2011年10月 6日 (木)

R・シュトラウス 「ツァラトゥストラはかく語りき」 ショルティ指揮

Saigokatsu

田町駅から2分、第一京浜沿いにあります、西郷隆盛と勝海舟の会見の地の碑。

官軍として江戸に迫りつつあった、倒幕・東征軍。
当時もう世界的な大都市となっていた江戸と敗軍徳川の恭順姿勢を守ろうとした勝海舟。
幕末ものが、お好きな方なら、もう涙してしまう、西郷VS勝の会談。
日本の運命がある意味決まった会談かもです。

いまやビルだらけの一角。
田町・三田近辺は薩摩屋敷関連だらけ。
そういえば、NECの巨大ビルも薩摩藩邸あとみたい。

Strauss_zarathustra_solti

今日は有無を言わせぬR・シュトラウスの豪演を。

交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」。

サー・ゲオルク・ショルティ指揮のシカゴ交響楽団にて。

ジャケットも懐かしい発出レコードのもの。
1枚のレコードに贅沢にゆったりカッティングしたもの。

いつものように昔話。
「ツァラトストラ」は、レコード時代は1枚1曲があたりまえだった。
片面16分くらいで、この曲の録音効果を最大限に引き出すため、詰め込みをしなかったためでありましょう。
真っ先にオジサンたちに思い浮かぶのは、メータ&ロスフィル。
そして、バーンスタイン&ニューヨークフィル、カラヤン&ベルリン・フィル、ハイティンク&コンセルトヘボウ、そしてショルティ&シカゴなのでした。
これら70年代を彩った「ツァラトストラ」は、CD化されて、「英雄の生涯」や「ドンファン&ティル」などとのカップリングになって、かつての単独販売がウソのようになってしまったし、その価格も1000円以内に・・・・・。

あぁ、お小遣いためて、思い切って買って、大事に大事に聴いてた私はいったい・・・・・。
 円高の恩恵もあり安くなるのはいいが、この安易さはいったいなんだろ。
わけもなく、紙の箱に大量に入れられてバカスカだされるBOX集大成もの。
ありがたみがまったく希薄。音楽は、いまや使い捨て、いや、聴き捨て時代か。
丹念に1枚1枚集めて、大切に聴いてきた人をバカにしてるとしかいいようがない。
まったく、なんてこったい
でも、まぁしょうがない、そんな世の中になっちまった。

こんな毎度の不平不満はさておいて、久々に聴いたショルティ&シカゴの「ツァラトストラ」。
イメージとして剛腕で貫きとおした力技の演奏との記憶を抱いていた。
実際、冒頭部分は、デッカの分離の目覚ましくよく、唸る低音も強力な録音効果もあって鮮やかで気分よろしい快感を得ることになる。
 ダイナミックさにかけては壮絶なまでの展開を見せてくれるけれど、でも、聴き進めば、意外や以外、渋くも丹念な味わいのツァラなのでした。
幾層にも重ねられたシュトラウスの分厚くも、かつ軽やかなオーケストレーションの妙。
これらを、完璧なまでに軽々と再現してみせたショルティ&シカゴ響。
ことに、シカゴのブラスはスゴイですよ、お客さん。。。
 でも第2部の後半では、早熟(32歳の曲)のシュトラウスが先取りしてしまった枯れ行く人生のひとコマを実に精緻に、そして慈しむように演奏しておりました。

ショルティにはベルリンフィルとの再録があるようだが、わたしは未聴。
大型装置で、周囲に気兼ねせず、「ツァラトストラ」の聴き比べをしてみたいものです。
その時は、このショルティ盤にメータ旧盤、カラヤン旧盤は必須でございます。
「ツァラトストラ」の永却回帰は、アナログに帰着するのでありました・・・・・。

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2011年10月 4日 (火)

モーツァルト レクイエム マリナー指揮

Higanbana2011_1

涼しくなったり、暑くなったり・・・・、そんな代わる代わるの毎日で気が付いたらもう10月。
そして、気が付くと各所に彼岸花が咲いてました。

曼珠沙華とも呼びますがね、わたしはそちらの、少し禍々しい名前よりは、彼岸花という名称の方が好き。

例年、今頃の記事には、彼岸花の写真を飾ってますので見てみてください。
群生したり、白かったりで、美しい花に思います。

Higanbana2011_2

この花の花言葉は、wikしたら、「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」・・・、とありました。

なんだか、いかにも秋の寂しい草花っていう感じ。

だからという訳じゃありませんが、今日はモーツァルトレクイエム

Mo_requiem_marriner

モーツァルト最後の作品、レクイエムはご存じのとおり未完に終り、その補筆補完を弟子のジェスマイアーが行ったのであるが、これまで幾百と聴いてきたこのレクイエム(いわゆるモツレク)。
レコードで聴いた場合、A面までが、曲でいうと「ラクリモーサ」あたりまでが、モーツァルトの手になる部分。
そのあと、B面は弟子の補筆・作曲部分ほとんど。
私が、このレクイエムに開眼したのは中学生の頃、たびたび取り上げますコンサートホール・レーベルの1枚で、ピエール・コロンボ指揮によるウィーンの楽団の演奏。
飽くことなく聴き、いまだに刷り込みだったりします。
そしてとかく稚拙と言われちゃうB面も、公平に聴いてました。

ずっと後年になってからです。
ジェスマイアー部分がイマイチではないかということを、話に聞くにつれ読むにつれ気が付いたのは。
でも、本心では、ずっと聴きなじんできた、トータルとしての「モーツァルトのレクイエム」であり、そんなことは別にどうでもいいことと、実は今でも思っています。

1971年にミュンヘンのヴィオラ奏者であり、かのコレギウム・アウレウムのメンバー、そして当地の大学教授フランツ・バイアーが行ったジェスマイアー版への補作。
レヴィン版など、ほかにも出ているが、いまのところ、ジェスマイアーを認めつつ、よりモーツァルトらしさを求めた版としては、このバイアー版による演奏がその他バージョンとしては一番多い。

コレギウムアウレウムのレコードはあったが、このバイアー版をメジャーとして大々的に取り上げ、大いに宣伝し売れまくったのが、今日聴くマリナーの演奏。

  S:イレアナ・コトルバス  Ms:ヘレン・ワッツ
  T:ロバート・ティアー    Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク

    サー・ネヴィル・マリナー指揮 
        アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ&コーラス
                             (1977.ロンドン)

学究肌的な模索的取り組み具合を一切感じさせない、真摯でかつ気負いのないマリナーならではのモーツァルト。
マリナーのモーツァルトらしく、すっきりと見通しよくって、テクスチュアが透けて見えて、しかもとてみ親近感あふれる演奏。
モツレクに親近感などと、いささか不具合かもしれないけれど、遠くで鳴っているようで、実は身近にあるモツレク、といった感じで、わたしが昔から聴いてきた、先の深刻なコロンボ盤や壮麗なカラヤン、厳しいベーム盤などと比べれば歴然だったのでありました。

そして肝心のバイアー版の違いは・・・。

ジェスマイアー版を基本としているので、楽譜でも対比してじっくり検証しない限り、明確な違いは個々には申し述べることができません。
でも、過剰な伴奏部分の見直しが核にもあった由で、たしかに耳で感じるのは、全体としてのすっきり感と透明感。
それと、単調な繰り返しに終始していたホザナの終結部が、とても宗教的な様相に変わってそれらしくなった。
あと、ティンパニやトランペットの追加によるピリオド的な効果。

でも、モツレクはモツレク。
どんな版でもいいんです。

当時人気のコトルバスの情味に満ちたソプラノと、ほかの抑制の効いた英国歌手たちとのバランス感が少し気にはなるが、英国のモーツァルトとも言ってもいい、サー・ネヴィルのモツレクは、後年のジェスマイアー版による再録音よりも、ずっと気に入っている。

今週の神奈川フィルのモツレクは、どうなるのでしょう?
かつてシュナイト師は、バイアー版。
気負いなく、すっきりと聴かせて欲しいものです。

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2011年10月 2日 (日)

チャイコフスキー 「イオランタ」 フェドセーエフ指揮

Sapporo_yurigahara_tower

北方の国を思わせるこの光景。

札幌の公園のひとこま。塔がいい雰囲気だしてますし、木々が完全に北国のそれです。

そして、10月に入って急に涼しく、いや寒くなりました。

音楽を聴くには快適な季節だけど、ちょっと急に寒過ぎだ。

私は、外で飲まないときは、ほぼ毎日発泡酒(たまにビール)を飲むのだけれど、その量が急速に落ちた。
気温と麦酒の摂取量は比例してますな。
しかし、北海道に行くと、乾燥してるし、冬は室内は暑いくらいに暖房してるから、ビールもこれまた美味いんだな、これが。

Tchaikovsky_iolanta

チャイコフスキーのオペラ「イオランタ」。

全部で13作あったチャイコフスキーのオペラ作品。
そのうち、破棄や未完、転用されたものを除くと9作。
しかし、いま名前を目にすることが多いのは、それらの中の5作ぐらいでしょうか。
「エウゲニ・オネーギン」「マゼッパ」「オルレアンの少女」「スペードの女王」そして「イオランタ」の5つ。

「イオランタ」は、1891年の作曲で作品69。
「スペードの女王」の翌年で、交響曲で言えば5番と6番の間の最充実期に書かれたわけで、オーケストレーションの巧みな筆致や鮮やかなまでに劇的な描き方、憂愁と抒情、情熱に富んだ奮い付きたくなるような美味なる調べの数々・・・。
素晴らしい作品であります。

マリンスキー劇場からの依嘱により、一晩でオペラとバレエとが上演できるようにと、ふたつの劇場作品を書くこととなり、そのひとつがこの「イオランタ」であり、もうひとつのバレエが「くるみ割り人形」(作品71)だった。
「くるみ割り」に溢れ出るメロディの宝庫を思いおこしていただければ、この「イオランタ」にも同様に美しい旋律が満ちあふれているであろうこと、想像できますでしょう。

1幕の抒情オペラと副題が付された100分あまりの麗しい恋愛劇。
「レネ王の娘」という戯曲に基づき、弟モデストが台本を担当。
15世紀、フランス南部の山中がその舞台。

 チャイコフスキー 歌劇「イオランタ」

 イオランタ:オルガ・ミキテンコ     
   レネ王:ベンノ・ショルム
 ボデモン:ピョートル・ベッツァーラ   
 ロベルト:アンドレイ・グリゴリエフ
 エブン・ハキヤ:ウラディミール・クラソフ 
 アルメリク:ロマン・ムラヴィツキー
 ベルトラン:ニコライ・ディデンコ    
 マルタ:ニナ・ロマノヴァ
 ブリギッテ:ベッラ・カバノヴァ      
 ラウラ:ラリーシャ・コステューク

ウラディミール・フェドセーエフ指揮 モスクワ放送チャイコフスキー交響楽団
                 モスクワ室内合唱団
         (2002.3@モスクワ音楽院大ホールライブ)
   

レネ王の娘イオランタは、生まれながらの盲目で、王のもとから離れ、山に囲まれた別邸で乳母マルタとその夫で門番のベルトランや友人ブリギッテやラウラとともに、ひっそりと暮らしていました。
レネ王は、イオランタが盲目であることを自身に一切気付かせることなく、周囲にも言い聞かせ、皆は優しく注意深くイオランタに接していたのでした。
当然に外部からの音信もシャットアウト。門扉には、ここに入ったら死刑、とまで書いてある。
 イオランタは、皆に囲まれて歌う。悲しい涙を知らずにすごしたけれど、心のうちの寂しさを。。。美しいアリアです。
一方、王の到着を知らせる使者がきて、やがて王が南方より名医を連れて登場。
医者ハキヤは、姫が真実を知り視力を強く望まないうちは治らないと強く断定し、王はこれまでの方針が間違っていたのか、と傷心。
ここでの神に憐れみを求める王のアリアも素晴らしい。
 次ぎの場面・・・。
王によって定められたイオランタの許嫁ブルゴーニュ公爵ロベルトとその親友ボデモン伯爵が、山で道に迷い門前にやってくる。
ロベルトは、すでに心に決めた愛する人がいて王に断りをいれたいと情熱的な恋人讃歌を歌い、ボデモンはまだ見ぬ恋人に神聖な愛情を捧げる歌をそれぞれに歌う。

バリトンとテノールの聴かせどころです。
 恐る恐る、庭に踏み入り、やがて館で眠るイオランタを発見。
魔界に踏み込んでしまったと救援を求めに走るロベルトだが、ボデモンは姫の美しさにくぎ付けに。やがて起きたイオランタと会話が始まり、ふたりとも魅かれあうように・・・。
手元にあった赤や白のバラを記念に所望したボデモンだが、イオランタが手渡すバラは白ばかり・・・・、やがてイオランタが盲目であることに気付いたボデモンは、彼女におおいに同情し、愛情を込めて光の素晴らしさと、闇にあってもイオランタの心の光を愛すと歌い、一方でイオランタは太陽の光、天からの贈り物を見たいと強く歌い始めます。
この二重唱の美しさと情熱の高まりには感動です。
 やがて、王をはじめ、皆が集まってきて、ボデモンに驚くが、イオランタに盲目の秘密を明かしたとあって、なんてことしてくれた、と非難集中。
しかし、イオランタは光が見たいと所望し、王は名医による処方を進めるが、姫は仰せとあれば…的で少し消極的。
なればと、王は、もし目が完治しなかったらボデモンを家宅侵入で処刑にすると宣言。
イオランタは愛する伯爵のために、苦しみに耐え、そして光を見ることを強く望み信じる気持ちになります・・・・・。王と医者は顔を見合わせてニンマリ。
 手術に向かった姫のあと、親友の救出に現れたロベルト。
そこで王とバッタリ会い、他に好きな人ができたから勘弁、と告白し、当然の成り行きに、王は喜んでボデモンを祝福。
そこへ、目に包帯をしたイオランタが、医者に添われて登場。
包帯をとると眩しさに眩みますが、木々の美しさ、そして空の光に感動します。
王の声に父の姿を認め、ボデモンの声に愛する人の姿を認め、全員でイオランタの目が見えるようになったことを喜び、神への感謝を捧げるなか、ハッピーエンドの喜ばしいエンディングとなります。

                  幕

どうでしょうか、シンプルな筋立てと、悪役の登場しない幸せなドラマ。
そこにつけられたチャイコフスキーの音楽も、再三書きますが美しさの極み。

正規ライブ録音で、音は極めて優秀。
歌とオケのバランスもよろしく、チャイコフスキー節を音の面でも堪能できます。
フェドセーエフは小細工を弄せず、チャイコフスキーのリリシズムと旋律美のよさをストレートに聴かせてくれます。
モスクワのオケも丸くなって、こうした曲ではヨーロッパ風になってきたように聴こえます。

Olgamykytenko  
歌手では、美人のウクライナ生まれのミキテンコのタイトルロールが素敵なもの。
ぼんやりと夢見心地の女性から、強い希望を持ったキリリとした女性への変化をとてもよく歌い込んでいるように感じます。
彼女は、この役やタチャーナで活躍中。来春はウィーンで、K・ペトレンコの指揮でイオランタを歌うみたいです。

あと相方テノールのベッツァーラ
いまやひっぱりだこのリリックテノールです。
「ばらの騎士」のテノール歌手役を観たことがありますが、ともかく美声でかつよく通る声。
ポーランド出身として、イタリアオペラ以外にも、こうしたスラヴ系の歌にもとても強みがあるようです。ミキテンコと2人の二重唱には震えました。

ほかの歌手もいいです。

「イオランタ」は、愛すべき美しいオペラでした。
チャイコフスキーのオペラ、次は「スペードの女王」いきますから。

 チャイコフスキーのオペラ記事

 「エウゲニー・オネーギン」 レヴァインのCDとショルティのDVD

 「エウゲニー・オネーギン」 二期会公演 コンヴィチュニー演出

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2011年10月 1日 (土)

エルガー チェロ協奏曲 ナヴァラ&バルビローリ

Ginza6

銀座のミキモトのショーウィンドウ。
昨年2010年バージョン。
今年、今頃はどうなってるのか、まだ見にいってません。

エルガーチェロ協奏曲
初秋に聴くに相応しい音楽。

驚くべきことに、エルガーの名曲、チェロ協奏曲は演奏会の記事では何度も書いているのに、単独で取り上げたことのない、「さまよえるクラヲタ人」。

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好きなのはやはり、デュプレだし、これは星の数ほどたくさんの皆さんが書いてらっしゃるしで、なかなか機会を持てなかった。
 ハレルとマゼールという、おおよそこの曲にイメージしない演奏が結構よかったりであったけど、そんな記事を書くのも気が進まないところに、念願だったアンドレ・ナヴァラバルビローリハレ管の57年の録音を手にすることができたのです。

デュプレと同じバルビローリの指揮、オケはこちらはハレ管弦楽団。
1957年ステレオ最初期の録音で、昔はテイチクからでた一連のパイレーベルのレコードで出ていたものと記憶します。

ここでのソリスト、アンドレ・ナヴァラ(1911〜1988)は、フランスの名手であります。
フランスのチェリストというと、フルニエ、トルトゥリエ、ジャンドロンに代表されるように、気品としなやかさ、そうして香気の豊かさ・・・・っていうようなイメージに彩られているように思います。
そしてナヴァラのチェロも確かにその路線にもあると言っていいかもしれないけれど、もっとより剛毅で、一音一音が克明で、ハッキリしているように聴こえる。
エルガーのみの比較でありますが、無伴奏なども出ているようなので、ほかのフランス系チェリストの大家との比較も、実に興味深いのであります。
演奏家であると同時に、教育者としても高名なナヴァラの弟子にはH・シフがいるそうな。

冒頭のいきなりのカデンツァからして、ナヴァラの豊かだが、決して媚びのない真っ直ぐ一直線のチェロに耳が惹きつけられる。
そして、それをうけてのバルビローリの全霊を込めた指揮とそれに食らいつき一体となったハレ管の一生懸命さ。
冒頭で決まってしまった。
 あと素晴らしいのが、3楽章の男泣きのようなチェロ。
甘さは微塵としてなく、淡々としたなかに、エルガーの優しい思いが伝わってくるようなチェロに、バルビローリの合いの手。
そして、終楽章の渋いことといったら。
もともとそんな曲調だし、悲壮感が漂う曲だけれども、くっきりとした輪郭を描きつつ、そこにエルガーらしいノーブルさと荘重さも漂わせているように聴こえる。
多くは語らないチェロだけれども、バルビローリとともに、聴けば聴くほどに味わい深いエルガーなのでありました。

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