モーツァルト レクイエム マリナー指揮
涼しくなったり、暑くなったり・・・・、そんな代わる代わるの毎日で気が付いたらもう10月。
そして、気が付くと各所に彼岸花が咲いてました。
曼珠沙華とも呼びますがね、わたしはそちらの、少し禍々しい名前よりは、彼岸花という名称の方が好き。
例年、今頃の記事には、彼岸花の写真を飾ってますので見てみてください。
群生したり、白かったりで、美しい花に思います。
この花の花言葉は、wikしたら、「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」・・・、とありました。
なんだか、いかにも秋の寂しい草花っていう感じ。
だからという訳じゃありませんが、今日はモーツァルトのレクイエム。
モーツァルト最後の作品、レクイエムはご存じのとおり未完に終り、その補筆補完を弟子のジェスマイアーが行ったのであるが、これまで幾百と聴いてきたこのレクイエム(いわゆるモツレク)。
レコードで聴いた場合、A面までが、曲でいうと「ラクリモーサ」あたりまでが、モーツァルトの手になる部分。
そのあと、B面は弟子の補筆・作曲部分ほとんど。
私が、このレクイエムに開眼したのは中学生の頃、たびたび取り上げますコンサートホール・レーベルの1枚で、ピエール・コロンボ指揮によるウィーンの楽団の演奏。
飽くことなく聴き、いまだに刷り込みだったりします。
そしてとかく稚拙と言われちゃうB面も、公平に聴いてました。
ずっと後年になってからです。
ジェスマイアー部分がイマイチではないかということを、話に聞くにつれ読むにつれ気が付いたのは。
でも、本心では、ずっと聴きなじんできた、トータルとしての「モーツァルトのレクイエム」であり、そんなことは別にどうでもいいことと、実は今でも思っています。
1971年にミュンヘンのヴィオラ奏者であり、かのコレギウム・アウレウムのメンバー、そして当地の大学教授フランツ・バイアーが行ったジェスマイアー版への補作。
レヴィン版など、ほかにも出ているが、いまのところ、ジェスマイアーを認めつつ、よりモーツァルトらしさを求めた版としては、このバイアー版による演奏がその他バージョンとしては一番多い。
コレギウムアウレウムのレコードはあったが、このバイアー版をメジャーとして大々的に取り上げ、大いに宣伝し売れまくったのが、今日聴くマリナーの演奏。
S:イレアナ・コトルバス Ms:ヘレン・ワッツ
T:ロバート・ティアー Bs:ジョン・シャーリー・クヮーク
サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ&コーラス
(1977.ロンドン)
学究肌的な模索的取り組み具合を一切感じさせない、真摯でかつ気負いのないマリナーならではのモーツァルト。
マリナーのモーツァルトらしく、すっきりと見通しよくって、テクスチュアが透けて見えて、しかもとてみ親近感あふれる演奏。
モツレクに親近感などと、いささか不具合かもしれないけれど、遠くで鳴っているようで、実は身近にあるモツレク、といった感じで、わたしが昔から聴いてきた、先の深刻なコロンボ盤や壮麗なカラヤン、厳しいベーム盤などと比べれば歴然だったのでありました。
そして肝心のバイアー版の違いは・・・。
ジェスマイアー版を基本としているので、楽譜でも対比してじっくり検証しない限り、明確な違いは個々には申し述べることができません。
でも、過剰な伴奏部分の見直しが核にもあった由で、たしかに耳で感じるのは、全体としてのすっきり感と透明感。
それと、単調な繰り返しに終始していたホザナの終結部が、とても宗教的な様相に変わってそれらしくなった。
あと、ティンパニやトランペットの追加によるピリオド的な効果。
でも、モツレクはモツレク。
どんな版でもいいんです。
当時人気のコトルバスの情味に満ちたソプラノと、ほかの抑制の効いた英国歌手たちとのバランス感が少し気にはなるが、英国のモーツァルトとも言ってもいい、サー・ネヴィルのモツレクは、後年のジェスマイアー版による再録音よりも、ずっと気に入っている。
今週の神奈川フィルのモツレクは、どうなるのでしょう?
かつてシュナイト師は、バイアー版。
気負いなく、すっきりと聴かせて欲しいものです。
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コメント
マリナー卿のレクイエムですね。またまたオヤジ心をそそるソプラノ、コトルバス夫人をようこそ^^
コトルバスを最初に聴いたのはクライバー&パバロッティと一緒のボエームのライブでした。NHK教育放送で見ていました。残念ながら録音が劣悪で今となってはトホホな状況ですが、DVDで海賊版で販売しているところを狙って買いました。画像もトホホです。。。
ご案内のレクイエム。ラクリモーザまでは私も心から楽しめるのですが。。。さまよえる様の守備範囲の広さには敬服いたします。
その後コトルバスちゃんの演奏はアリア集とか椿姫で聴いていましたが、残念ながらレコードされていません。せいぜいメータ盤の復活とか、スザンナとかくらい。あれほどの実力を持ちながら今ひとつ注目されずに&騒がれずに終わってしまった感があります。今でも大ファンなのですが。
投稿: モナコ命 | 2011年10月 5日 (水) 15時52分
モナコ命さん、こんにちは。
コトルバス夫人は、そう、愛すべきソプラノでしたね。
フレーニとポップの中間みたいな感じでしたし、ドイツもの、イタリアもの、フランスものも全部goodでした。
早くの引退は残念でしたし、カルロスのボエームが正規に残されなかったのも痛恨です。
わたしは、アバドのカルメンのミカエラや、レヴァインの魔笛のパミーナ、ジュリーニのリゴレットのジルダなどが思い偲ばれます。
youtubeで、コトルバスの映像をいろいろ見ました。
遠目には、同郷のアグネス・バルツァに似て見えました。
レハールを歌う素敵なコトルバス様を発見しました。
少し辛いですが、メトのガラのようです。
http://www.youtube.com/watch?v=8R0NnLlGpic&feature=related
投稿: yokochan | 2011年10月 6日 (木) 18時54分
マリナーはいいですね。彼のモツアルトはどれもいいと思います。私も口直しでシュナイトさんのを聴いてしまいました。
今回聖響さんが使ったのがジュスマイヤー版をレオポルト・ノヴァークが改訂したものだそうです。
ジュスマイヤー版と変わっていなかったですが、いろいろなところに小細工がありましたが、これはたぶん棒を振っている人の指示なのでしょう。
印象は如何なものかという感じでありました。
彼は古典は指揮してはいけないようであります。
だんだん彼という指揮者に対する印象が確信に変わってきました。
投稿: yurikamome122 | 2011年10月 8日 (土) 16時28分
yurikamomeさん、こんばんは。
昨日は失礼いたしました。
いろんな意味で楽しみにしていたのに、今後もちょっと不安な仕事の感じです・・・・。
口直しが必要になるモーツァルトだったようですね。
半ば予測し、半ば裏切られた感じでもあります。
あれだけ、マーラーでは、われわれの近くで音楽が鳴っていたのに・・・。
ノヴァーク改訂版というのは知りませんでしたが、肝心なのは版などではなく、演奏家の心と気質ですものね。
幸か不幸か、聖響さんの古典は、このところご無沙汰でしたので、ともかく自分の耳で確かめたかったところです。
しかし、なるほど、だったのですね。。
投稿: yokochan | 2011年10月 8日 (土) 21時02分
過去記事に失礼致します。
本来なら、作曲者の真筆部分のみで終わるのが妥当なのでしょうけれど…あの短さで終わらせるには余りに勿体無いラクリモサ…
モーツァルトも罪作りでございますよね…
投稿: Booty☆KETSU oh! ダンス | 2013年9月 7日 (土) 16時48分
Booty☆KETSU oh! ダンスさん、こんにちは。
レス遅れ、すいません。
最近どうもいけません。
これからは即返しに努めます。
でもこの曲のラクリモーサは、絶品ですね。
これこそ絶筆。
いまあのフレーズを頭のなかに思い起こして涙ぐんでます。
投稿: yokochan | 2013年9月11日 (水) 10時46分