ブリテン 「ビリー・バッド」 ハーディング指揮
波穏やかな瀬戸内の岩場。
海は、その場所によっていろんな顔を見せますな。
しかし、海は海。
海から、あらゆるものがやってきたし、その海の上では地上とは異なる秩序や規律が元来、厳然としてあります。
いろいろお付き合いしてきた会社の中でも、船会社系は苦手だった。
サイトが長かったり、独特のルールがあったりして、そして少し保守的だった。
でも、海はいい。
ブリテン(1913~1976)のオペラシリーズ。
傑作の呼び名も高い「ビリー・バッド」。
全部で16作あるブリテンのオペラ。
当ブログでは、これで9作目。
少しずつ全曲制覇に近づいてますが、音源確保が難しい局面も・・・・。
1951年の7番目のオペラ作品は、「白鯨」のハーメン・メルヴィルの小説をもとにしたもので、台本は、英国の小説家エドワード・モーガン・フォースター。
ブリテン・ピアーズ・フォースターの3人による共同作品といってもいいかもしれない。
もちろん、ブリテンの素晴らしい音楽がそこにあってのことながら、原作により社会性やヒューマンな主張を加えたのは、フォースターの力。
ちなみに、この3人とも、オトモダチなのです。。。。
いきなり、そんな風に書いちゃうと、思いきり引いてしまわれるかもしれませんが、さらにこの「ビリー・バッド」は女性のひとりも登場しない、男だけのオペラなのです。
ゲゲッ、と思わないでいただきたいのですが、船の上の男だけの世界。
合唱も男、そして少年合唱も活躍なのですよ。
このあまりにも、オホモチックな作品には、そんなわけで女声が欠乏しているため、あんまり何度も聴いていると、その潤い不足に、少し辟易としてきてしまうのも確かであります。
教会3部作なんてのもそうだったし・・・・。
でも、相変わらずブリテンの音楽はクールでかつダイナミックでかっこいい。
巧みに練り上げられた心理描写に付随してやまない説得力の高い音楽。
作曲当初、4幕仕立てで、それはまるでベルクの「ヴォツェック」のように、各幕に中にそれぞれにピークを設けながら、全体がシンフォニーのようにひとつにつながっている。
そして、本編のオペラが前後のプロローグとエピローグの枠でもってくくられ、ドラマ部分が回想録のように存在している。
それはまるで、先ごろまで放送されてた、朝ドラの「おひさま」のよう。
若尾文子演じる現在の主人公が、戦前戦後の若い自分を、井上真央によって演じ語る基軸の6カ月ドラマだった。
ブリテンの劇作におけるその構成力には毎度驚く次第です。
しかし、4つの幕における舞台変換の機能上の問題と幕間の多さによる緊張感の切断などから、2つの幕による版が1960年に作られ、今ではそちらでの上演や録音が一般的。
今日のハーディング盤も、そちらの2幕版。
初稿の4幕版には、ケント・ナガノの素晴らしいキャストによる蘇演ライブもあります。
ブリテン 歌劇「ビリー・バッド」
ビリー・バッド:ネイザン・ガン
ヴィア艦長:イアン・ポストリッジ
クラッガート:ギドン・サクス
レッドバーン:ニール・デイヴィス
フリント:ジョナサン・レマル
ラトクリフ大尉:マシュー・ローズ
赤ひげ:アラスデア・エリオット
ドナルド:ダニエル・ティート
ダンスカー:マシュー・ベスト
ナヴィス:アンドルー・ケネディ
スクイーク:アンドルー・トータイズ
一等航海士:アダム・グリーン
甲板長:マーク・ストーン
二等航海士・砲手:ダレン・ジェフリー
メイントップ:アンドルー・ステイプルズ
ナヴァスの友人・アーサー・ジョーンズ
:ロデリック・ウィリアムズ
ダニエル・ハーディング指揮 ロンドン交響楽団/合唱団
聖ルカ少年合唱団
(2007.12 @ロンドン・バービカン、ライブ)
時は、1797年、フランス革命後の自由精神の蔓延を阻止せんとする英独露墺などの列強との戦いのさなか。
英国艦船「無敵号」の船上がその舞台。
プロローグ
「無敵号」の元艦長E・フェアファックス・ヴィアは、引退後、かつての事件が頭から離れず、善と悪とについて想いをめぐらせている。
第1幕
その1797年の出来事。
無敵号の甲板では、水夫たちが上官の厳しい監視と叱責のもと、清掃作業に追われている。ところが、新米の若い水夫が何度もしくじり、鞭打ちの刑を命じられる。
そんな中、水夫確保の絶好の機会として、航行中の商船から3人を強制徴用したとの知らせ。
船上の航海長レッドバーン、副長フリント、衛兵長フラッガートにより、その3人の取調べと適正検査が行われるが、最初の二人は却下。そしてビリー・バッドはその経歴と篤い忠誠心でもって、大いに評価を受け合格。
しかし、言葉をつまらせ、どもりであることが発覚するも、クラッガートが大いに気に入り重用されることになる。
さらにしかし、おおいに喜んだビリーは、感謝と船への賛美を歌い、さらに「人権!」と口走ってしまう。
すぐさま、危険分子のレッテルを張られ、クラッガードはビリーを気に入りつつも、狙いをつけることに。
そのあと、ヴィア艦長による士気を鼓舞する演説があり、ビリーは大いに奮起し、「艦長ヴィアに仕え、そのために死す、輝く星のヴィア」と歌う。
ヴィアはその艦長室で、その一面である知的な側面をあらわし、ギリシア・ローマの英雄伝などを読み感慨にふけっている。
士官たちは不穏分子ビリーのことを忠告するが、ヴィアは信じない。
甲板でくつろぐ、ビリーと仲間たち。
クラッガートの指示を受けたスクイークがでっち上げのために、ビリーの手荷物を探っているところを、ビリーたちに見つかってしまい騒ぎとなり、クラッガートもやむなく処分する。
クラッガートが次いで目をつけたのは、ドジばかりの新米の水夫。
金貨を握らせ、たぶらかす。そして、ビリーを貶めることを、まるで、オテロのイャーゴ、はたまたスカルピアのようなクレド(信条)でもって、その邪悪な心情を歌う。
案の定、いじめられっ子のその新米に同情し、すいぐさまひっかかったビリー。
仲間の言うクラッガートの陰謀だという話には、耳も貸さない善良無垢のビリー。
第2幕
敵の領域。いよいよ決戦と意気が上がる船上のヴィア艦長。
そこへ、クラッガートがご注進とばかりにやってくるが、その時、フランスの敵艦が戦闘区域内にはいり、臨戦態勢に。
クラッガートは差し置いて、艦長は全軍を指揮して、全船猛然たる雰囲気になる。
音楽も大興奮の坩堝に。
ビリーも敵艦に乗り込む気概を雄々しく歌うが、残念にも霧が立ち込め、敵は射程距離外に・・・・。
そして、再度、クラッガートは艦長の元へ行き、金貨を与え不穏な意図に仲間を募ったというビリーの不行状を訴えるが、艦長は信じない。
訴えに応じ、被告ビリーと原告クラッガートを呼んで、公正に裁こうとする。
クラッガートの訴えに対し、ビリーは弁明を求められて、例のどもりの発作が出てしまい、しどろもどろに。思わず、悪魔と罵り、クラッガートの肩に手をかけようとしつつも、殴打してしまい、その勢いでクラッガートは倒れ事切れてしまう。
「なんと運の悪いこと」、とヴィア艦長は、ビリーを別室に置き、緊急の軍法会議を開くが、事態を客観的にしか報告しない会議場の艦長。
「でっちあげです」、「助けて」とのビリーの言葉に、艦長は黙するばかり。
戦時条項や国家法規にのっとり、死刑執行と相成ったビリー。
処刑の早朝、月光をあびてひとり寂しく運命を受け入れるビリー。
仲間の酒の差し入れで、しばし仲間と別れを惜しみ、ひとりになり告別の歌を歌う。
いよいよ処刑。副長の処刑の弁に続き、ビリーは、「輝く星のヴィア、神の祝福を」と叫んでこときれる。
その瞬間、船上の船員たちから不平・不満の大きなため息の抗議が漏れる。
誰にも愛されたビリーの最後。
エピローグ
年老いた元艦長ヴィアの独白。
彼を救えたはずなのに、世の掟に捉われて口をつぐんでしまった・・・・。
なんてことをしてしまったのだ、彼は、私を祝福してくれたのに・・・・。
だがしかし、遥か昔のこと。。。。
幕
こんな粗筋だけど、全部おとこ。
殺伐としすぎていて、いやになっちゃうけれど、ともかくブリテンの沈鬱かつダイナミックでヒロイックなサウンドは最高。
ふたつの幕だと、薄まってしまうもうひとつは、元来の4つの幕切り替えが、まるでフェイドアウトして、次ぎの幕が同じ旋律や雰囲気で始まるという、境い目のない緊張感の連続。
2幕のそれぞれの場でもそれは感じとることができますが。
人物たちやその行動には、ライトモティーフ的な共通旋律が与えられ、かなり緻密に構成されていて、それをひも解くには、かなりの聴き込みも必要です。
2幕の戦闘部分での、ドラムの連打やフルオケによる勇猛なサウンドには、興奮させられます。
そこで、テノール役、そう、ピーター・ピアーズを想定した艦長が激を飛ばす訳なのですが、どう考えてもピアーズの役柄じゃない。
ドラマテック・テノールの役柄じゃないところが、このヴィア艦長の面白いところでして、このCDでも性格テノールっぽいのポストリッジが青白く、そして悔恨に満ちたヴィアを歌ってます。
タイトルロールじゃありませんが、ある意味主役のヴィア艦長の複雑な二面性。
新規採用による純粋かつ愛すべきビリーを文字通り、信じ愛しながらも、立場や規律を優先して死にいたらしめてしまう。
ブリテンの描くオペラの役柄に多い性格かもです。
世間から抹殺され浮いてしまったピーター・グライムズや、ねじの回転の家庭教師、ヴェニスに死すの少年愛のアッシェンバッハ・・・・・。
そして、このドラマにはまた、殉教者キリストの姿も読みとることができる。
ビリー=イエス、ヴィア=ピラトおよび大衆、クラッガート=旧守派・ユダなどと。
救えなかったヴィアと、ヴィアを皮肉にも祝福し救ってしまったビリー。
深いドラマがまだまだ読みとれそうです。
このCDは、ロンドンでのライブ録音で、若いダニエル・ハーディングがその意欲をむき出しにしてブリテンの音楽に体当たりしたような魅力があります。
音のキレはよく、鋭くも、抒情も豊かで、2幕後半の晦渋さも実に充実している。
作者の音源をなんといまだに聴いてないのですが、ヒコックスの神々しい演奏に若々しさと大胆さで迫る名演に思います。
歌手では、ポストリッジの独り舞台。
ピアーズがそうであったように、どう聴いてもポストリッジの無敵号の艦長は理知的にすぎ、力強さに欠ける。
しかし、その言葉ひとつひとつに込めらた抜き差しならない思い。
聴いてて疲れてしまうくらい。
ユニークで、妙に冷静なヴィア艦長なのでした。
ガンの暖かいバリトンによるビリーは、疑いをしらない朗らかで明るい歌。
死を前にした独白での、素晴らしい歌は、淡々としつつ、思わず涙さそうものです。
サックスの身の毛もよだつ悪意に満ちたクラッガートも素敵な適役。
作者の自演盤以外にも、次々に登場している「ビリー・バッド」は、ブリテンのオペラ作品のなかでも、いろいろな解釈の余地を残しつつも、歌手の力によって様々な可能性を見せてくれる名作になっております。
わたしは、ヒコックス盤が最高に思ってますし、4幕版のK・ナガノも迫真の演奏になってます!
「ビリー・バッド」、特殊しぎるシテュエーションに、いろんな思いもよぎりますが、でも、ブリテンの音楽は素晴らしいのでした。
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コメント
愚生は、LP及びCDでキチンと聴き通したブリテンのオペラは、『ピーター-グライムス』と『ルクテティアの凌辱』のみですので、投稿資格があるのか例によって、甚だ心許ないのですが‥。
イギリスDeccaへの作曲家の自演盤が、カルショーがBBCに転出する前に、最後のプロデュースであった‥と、故-三浦淳史さんの『レコ芸』誌への執筆で読んだ覚えがございます。男性が主要パートを占めている点では、マスネの『ノートルダムの曲芸師』と、双璧ではないでしょうか。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年6月27日 (木) 03時26分
ブリテンのオペラは、それぞれにデコボコはあるものの、全体として、モーツァルト、ワーグナー、ヴェルディ、プッチーニ、シュトラウスと並ぶ偉大なオペラ作曲家だと確信してます。
なかでも、「ビリーバッド」は、ピーター、ねじの回転、真夏の夜、グロリアーナ、カーリュー・リバーなどと並ぶ傑作だと思います。
残念ながら、マスネはあまり聴いてませんで、「ノートルダム」のオペラの存在すら知りませんでした。。
なんたって、「マノン」を初めてまともに聴いたのがついこの間ですからして。
女声だけのオペラはいくつかありますが、男声のみは、珍しいですよね。
投稿: yokochan | 2019年6月27日 (木) 08時37分