« ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 マルティノン指揮 | トップページ | サン=サーンス 交響曲第3番 チョン・ミュンフン指揮 »

2011年10月27日 (木)

マーラー 交響曲第1番「巨人」 エッシェンバッハ指揮

Mun_tokaidaigakumae1

とある洋食屋さんで食べた「カツカレー」でございます。

ヒレ肉をトンカツのように揚げるのでなく、パン粉をまぶして焼いた感じの大ぶりのカツ。
原形をとどめないまでに煮込まれた濃厚かつ洋風なカレーソース。
生クリームのマイルドな一筋が決め手でございました。

おいしかったですねぇ~

カツカレーといえば、ボリュームがあってガッツのある食べ物で、カレー屋さんや定食屋、蕎麦屋の定番としては、日本食みたいなもの。
 でもこちらは、洋食アレンジでした。

Mahaler_sym1_eschenbach

  マーラー 交響曲第1番 ニ長調 「巨人」

        「リッケルトの詩による歌曲集」

         クリスティーネ・シェーファー

 クリストフ・エッシェンバッハ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団
                                     (2008.11@ベルリン)


エッシェンバッハマーラーであります。

賛否両論ありますエッシェンバッハの音楽。

わたしは、無条件で好きであります。

なぜって? 若い頃はふさふさ、いまや○○のアタマだけじゃありませんよ。

ピアニストの時からそうだった、複雑極まりない内面感情の濃密な吐露。
何がエッシェンバッハをそうさせるのか?
聴いていて、いつも捉われる思い。
何もそこまで、というくらいの感情移入と味わいの濃厚さ。
器楽奏者が、指揮者となりオーケストラを得て、その表現能力の増大ぶりをフルに生かそうとして無理がたたることが多いのにくらべ、エッシェンバッハはピアニストであった時と、指揮者の時とでの落差があまりないように思う。
同じタイプとしてあえていえば、ロストロポーヴィチだが、ロストロさんはもっと単純明快で、ロシアというくくりで押さえることができそうだが、エッシェンバッハはもっとさらに複雑。

ドイツ領ポーランド生まれの孤児という境遇から、マーラーへの親近感は特別なもののはず。
エッシェンバッハのマーラーは、フィラデルフィアとの来日で壮絶な第9を聴いた。
メトとのワルキューレも観劇した。
チューリヒトーンハレと来日したときの、チャイコフスキーの5番も素晴らしい演奏だった。
それ以前から、宮城まりこさんの「ねむの木学園」との音楽を通した交流もあって、テレビで見て涙が出るほど感動した。

そんなヒューマンなエッシェンバッハのマーラー。
全曲56分の大演奏で、遅いところはじっくり遅く、速いところは俊敏に速く。
こんなメリハリと、濃厚なメロディーラインの創出とタメや巧みなルバート。
人によっては嫌味すれすれのアゴーギグライン。
わたしは好きですよ。
レニーとも親交あったエッシェンバッハですが、レニーのどっぷり同化マーラーと比べると、もっとずっと音楽が離れたところで鳴っていてで冷徹な眼差しも感じる。
思わぬ展開も相変わらずで、その予想もできないドラマ運びに聴き手は思わず飲み込まれてしまい、興奮と快感の坩堝と化すのでございます。

1楽章の若々しさ、2楽章の美しいレントラー、奇矯さの目立つ3楽章は恐ろしささえ感じる。
そして、終楽章は中間部の弦の陶酔的な歌と最強・興奮のクライマックス。

ベルリン・ドイツ響との共演も珍しいが、このオケがまたべらぼうに上手く、高性能である。
それと、録音がまた優秀ときた。

わたしの、この盤の楽しみの半分は、シェーファーの歌う、リッケルト・リーダー
彼女はアバドとのモーツァルト&シュトラウス以来、好きになりまして、音源もかなり揃えました。
最愛のパトリシア・プティボンが、ドイツ系の音楽ではシェーファーのあとをなぞるようにしているところも、そしてなんとなく雰囲気も似ているところもお気にいりのところ。
リリカルでありながら、歌や役柄への掘り下げの深さは抜群で、耳に心に厳しく迫ってくることも多々あるシェーファーの歌。
こちらの、リッケルトも素晴らしいのでした。
「わたしは、この世に見捨てられ」は、オケの儚さともども、シェーファーの透明な歌唱と言葉ひとつひとつへの思いの込め方があんまり最高に素敵なものですから、わたくしは思わず涙がにじんでしまいました。

心に響く、マーラーの1枚でございました。
            

|

« ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 マルティノン指揮 | トップページ | サン=サーンス 交響曲第3番 チョン・ミュンフン指揮 »

コメント

このCDは聴いていませんが、youtubeで1番を振っている動画を見ました。素晴らしかったですよ。マーラーらしい病んでる感と、独特のほの暗い美感、激しい興奮が引き出された演奏でした。ライブで聴いたら鳥肌ものだったでしょう。ただ、以前北ドイツ放送響と来日したときに5番を聴きましたが、トランペットが冒頭からコケまくり引きました。エッシェンバッハはよく来日するので、また聴きに行きたいですね。

投稿: ナンナン | 2011年10月27日 (木) 23時39分

ナンナンさん、こんばんは。
エッシェンバッハは、マーラー全集を映像で完成させているみたいです。
オケはパリ管で、youtubeで千人とかも観ることができます。
特異なマーラーですが、おっしゃるように、なかなか魅力的なのです。
このCDも録音がとても良いこともあり感涙ものでした。
今回のウィーンフィルは聴いてませんが、この指揮者は目が離せません。

投稿: yokochan | 2011年10月28日 (金) 00時47分

ほほー。エッシェンバッハ先生のマーラーですか。まだ聴いたことがありません。是非近いうちに^^
エッシェンバッハ先生は私が少年期には最もエライ先生でした。お約束のピアノソナタとかソナチネとかやらせれていたころ、クリストフ殿は「え?これって?同じ曲?は?」と思わせるくらい、圧倒的な演奏をLPレコードで聴かせていました。絶対に到達し得ない域の演奏を少年時代の私はピアノ教師に「このように弾きなさい」と言われたのです。無理だろ。。永久に無理だよ。。ピアノ教師のあんた、だったら弾いてみなよ。。
その後エッシェンバッハ先生はどうしたものかDF様をはじめとする名歌手の伴奏者として活躍するのです。
最後に先生が姿を現したときは、またまた、「え?先生ですか?え?頭は?え?そうですか。。。先生。。。頭いっちゃいましたねー。。。」状態でした。しかも大指揮者になっていらしゃったのです。シューマンとかベートーベンとか無難な曲(!?こういう言い方ってどうなんだ)の指揮者とばかり思っていたら、なに!マーラー!しかも全曲盤を予定?
さすがです。
バレンボイムが指揮を始めた頃、ロストロポービチが指揮者デビューしたとき、私は心の中で「やめてえ==!とにかく自分の楽器だけやってて!」と叫んでいました。しかし、両人ともすばらしい指揮者に^^
そうですか。マーラーですか。期待しています。
先ほどの叫びはアシュケナージ先生に対して今でも叫び続けています。聞き入れてもらえそうもないのですが。。。

投稿: モナコ命 | 2011年10月28日 (金) 14時13分

モナコ命さん、こんばんは。
わっはっは。
そうなんです、「○○のない男」エッシェンバッハさまのマーラーは、なかなかに素晴らしいのです。
全曲は予定ではなく、すでにパリ管と映像収録が済んでいるそうなのです。

モーツァルトや教本の貴公子が、いまや、マーラーの大家になっているのですから、人間わからないものです。
マーラーにとどまらず、ブルックナーやワーグナーも極めているところがスゴイです。
リングやパルシファルも振るんですから。

素敵な、そのお姿に、親近感を覚えてます。

そして、アシュケさまは、どうにも歩が悪いですな。
テレビで始終観れちゃうところもマイナス要因で、あのチマチマした性急な指揮姿は、そのまま音に現れているような気がします。
ピアノでは、ポリーニかアシュケさんだったのに・・・・

投稿: yokochan | 2011年10月28日 (金) 22時04分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マーラー 交響曲第1番「巨人」 エッシェンバッハ指揮:

« ラヴェル 「ダフニスとクロエ」 マルティノン指揮 | トップページ | サン=サーンス 交響曲第3番 チョン・ミュンフン指揮 »