ルクー 「弦楽のためのアダージョ」 バルトロメー指揮
まだ本格的な秋の夕暮れの空じゃないです。
気温が少し高めですから。
深まる秋が楽しみであります。
ベルギーの天折の作曲家、ギョウム・ルクー(1870~1894)の「弦楽のためのアダージョ」。
24歳という早すぎる死に、残された作品で完成作はあまり多くはないけれど、その断片は数多くありといいます。
ヴァイオリン・ソナタが、その抒情に満ちた美しさで有名ですな。(こちら→過去記事)
セザール・フランクのお弟子さんということもあって、今日のCDは、フランクの交響曲とルクー作品をカップリングしたもの。
かなりナイスな組み合わせございます。
実は、フランクの交響曲フェチでもありますワタクシ。
いくつも揃えましてございまして、本場ベルギーの演奏ということで、飛びついて購入したのが、もう15年くらい前でございました。
幻想ばっかりもなんだから、フランク・シリーズでもやろうかと、棚を見ていて今さらながらに気が付いたこちらのルクーの存在。
いかにもルクーらしく、棚の中で、静かにひっそりと佇むCDでございました。
この曲は、1891年、ルクー21歳の作品で、とうていそんな若者の作品とは思えないくらいに、熟した悲しみに満ちております。
フランクの弟子でありながら、その音楽はそうでもなく、基本のみを教わったようで、自身が好きだったバッハやベートーヴェン、そしてワーグナーの音楽の流れを独自に昇華したルクーなのである。
だから、この12分たらずの音楽には、甘味なる世紀末の香りがほのかにするし、マーラーからシェーンベルク、ウェーベルンといったウィーンの流派の雰囲気もぷんぷんに漂うのだ。
これは、ほんとうに素晴らしい音楽です
15年前に買って、ほとんど放ってあったCDを復活することができるのも、ブログのおかげ。
フィンジのように、ナイーブでデリケートな側面も持ちつつ、先に記したような後期ロマン派風、そしてウィーン楽派をも先取ったような大胆な側面をも持つルクーの桂品は、コンサートなどでももっと聴かれていいと思う。
秋の気配がもっと濃厚になり、そろそろ上着がもう1枚、というような季節にぴったりの寂しくも、ほの悲しい音楽なのでした。
バルトロメーが、本場リエージュ・フィルハーモニーを指揮したこの演奏は、極めて素晴らしいと思う。
曲への共感が申し分なし。
リエージュは、ルクーの生地ヴェルヴィエからもほど近い美しい街。
そして、リエージュはフランクの生地なのです。
その、よりドイツに近いヴェルヴィエはそのリエージュ州の街のひとつ。ルクーの立ち位置もわかるような気がします。
ブリュッセルのように海がなく、内陸だけれども美しい川がある。
なんだか、とっても行ってみたい。
ベルギーといえば、あとアントワープですな。
ワッフルやビール、そして美食ばかりじゃない、音楽の国・ベルギーをよく注目してみたいものです。
古楽の世界でいうと、フランドル楽派の興隆した国ですし。
話が脱線しました・・・・
ルクーのアダージョ。
楚々とした音楽の運びに、聴いてて泣けてくる。
でもそんなに悲しくもない。
けれど、無類に美しい。
わたしの、死出の音楽候補がまたもうひとつ加わってしまったようだ。
| 固定リンク
コメント
こんばんは。
ルクーのアダージョ偏愛です。
エリサさんのSpiegelが一番お気に入りです。来週のサロメの予習していましたが、刺激され、取り出して聴いています。
投稿: | 2011年10月13日 (木) 21時43分
Mieさん、こんばんは。
この素晴らしい音楽の理解者がいらっしゃって、とてもうれしいです。
シュピーゲルSQによる演奏の音源は未知でした。
室内楽の名品とのカップリングは魅力的ですね!
私の聴いている、弦楽オケによる演奏はもしかしたら少し濃厚にすぎるかもしれませんが、心にビンビン響いてきました
新国はご無沙汰しちゃってますが、トロヴァトーレとサロメが同時期に観劇できる状況になっているんですね。
尾高さんの降板が残念ですが。。
投稿: yokochan | 2011年10月14日 (金) 23時09分