ヴォーン・ウィリアムズ 南極交響曲 ボールト指揮
さすがに行ったことない「南極」ですよ。
Google earthをよく利用してますが、これもさすがに南極を見てみることはなかった。
街並みが手に取るようにわかる画像は、これまたさすがにありません。
ともかくデカイ。この氷の塊が溶けたら、とんでもないことになることがよくわかりました。
この未知の大陸に人間は100年前から何度もトライしていて、いまや各国が基地を設けて研究にいそしんでおります。
そのなかでも日本の昭和基地は歴史も古く、実績も豊かで心強いですな。
昭和基地のブログを発見しましたよ。 →昭和基地NOW!
珍しい写真がたくさん掲載されてまして、地球は未知でかつ広く、そんな地に日本人同胞が頑張っていると思うと心強くなりました。
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ(RVW:1872~1958)の交響曲シリーズ。
交響曲第7番は、「南極交響曲」。
番号付き交響曲だけれど、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲は標題付きのものだと、番号で呼ばずに、標題で呼ぶことが多い。
「海の交響曲」(1番)、「ロンドン交響曲」(2番)、「田園交響曲」(3番)、そして「南極交響曲」です。
南極○号というと、とんでもないことになるけれど(笑or18禁)、南極第7交響曲というと、いかにもスペクタクルでミステリアスな感じであります。
実際、このR・シュトラウスばりの、標題性豊かで、写実的な交響曲は、まるで「アルプス交響曲」の南極バージョンのような感じなのです。
オルガンがギンギンに鳴って大氷河の絶景を思わせるし、ウィンドマシンも極めて寒々しい効果をあげている。さらに、ひょこひょこ歩きのペンギンまで模写されてるんだから。
多彩なRVWの9つの交響曲のなかでも、交響詩的かつ映画音楽風。
それもそう、「南極のスコット」という映画につけた音楽をベースに自身で5楽章編成の交響曲に編み直したものだから。
ちょっと手抜きをして、過去記事をそのままコピーしておきます。
>作曲者は「SINFONIA ANTARTICA」というイタリア語の表示を与えた。1951年、80歳という年齢での作品で、驚くべき創作意欲である。
ベースの映画は、1912年に南極点を目指したイギリス、スコット隊の遭難の悲劇を描いたものらしい。一度音楽付きで観てみたいものだ。
ちなみに、スコット隊に先んじること1ヶ月前には、ノルウェーのアムンゼン隊が南極点に到達している。アムンゼン隊は極点のみをひたすら目指し、スコット隊は途中、学術的な研究や観察を経ながらの進行ゆえに差と悲劇が生じたと言われる。
肝心の交響曲は、大編成のオーケストラによる「南極」の描写音楽という要素に加えて、大自然に挑む人間の努力やその空しさ、最後には悲劇を迎えることになり死を悼むかのような悲歌に終わる。こんな一大ページェントなのだ。
シュトラウスのアルプス交響曲のような楽天的な派手さはなく、常にミステリアスで、悲劇性に満ちた交響曲になっている。
描写の部分では、氷原を表わすような寒々しいソプラノ独唱や女声合唱、滑稽なペンギンや鯨などが表現される。怪我をした隊員が足手まといになることを恐れ自らブリザードの中に消えてゆく・・・、こんな悲しい場面もオーボエの哀歌を伴って歌われている。
最終楽章では、大ブリザードに襲われ壊滅をむかえてしまう。嵐のあとは、またソプラノや合唱が寒々しく響き、全く寂しい雰囲気に包まれる。ウィンドマシンの音が空しく鳴るなか曲は消えるように終わる。<
ここに記したように、大自然に挑む人間の営みの偉大さと、空しさが、RVWの練達の筆致でもって描かれております。
この曲の演奏は、プレヴィンとロンドン響の明確でわかりやすい演奏がいまもってNO1と思ってます。
それと、ハイティンクの楽譜に忠実な壮大な演奏と、ブライデン・トムソンの勇壮なる男性的な演奏。
そして、今宵久しぶりに聴いた、サー・エドリアン・ボールトの指揮するロンドン・フィルの毅然とした演奏も極めて素晴らしいのです。
スコット隊の使命感と到達後戻ることのできなかった彼らへのレクイエムのように、悲しみと哀感に溢れた名演であります。
プレヴィン盤では、オリジナル通り、ナレーションが入ってじつに雰囲気豊かなのでありますが、ボールト盤は寒々しいノーマ・バロウズのソプラノと合唱だけで、却って背筋が凍りつくような効果をあげております。
寒くなったここ数日。
これ聴いて、確実に体が冷えてしまったです。
風呂入って寝よっと。
「希望が無限なように思われる苦難を耐え忍ぶこと。・・・・ひるまず、悔いることなく、全能と思われる力に挑むこと。このような行為が、善となり、偉大で愉しく、美しく自由にさせる。
これこそが人生であり、歓喜、絶対的主権および勝利なのである」(シェリー詩)
1楽章の引用句。
「私は今回の旅を後悔していない。我々は危険を冒した。また、危険を冒したことを自覚している。事態は我々の意図に反することになってしまった。それゆえ、我々は泣き言を言ういわれはないのだ。」
遭難後、発見されたスコット隊長の日記。
終楽章に引用された一節。
※プレヴィンの記事、レコード解説より
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