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2011年11月23日 (水)

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」 ジュリーニ指揮

Imperial_palace

内堀通り沿いにある和田倉堀。

九段下の合同庁舎に行き、帰りは東京駅までお堀沿いを歩きました。

左手は、建て替え工事中のパレスホテルですね。

そして静かなお堀に白鳥一羽。

水面に、大保険会社や銀行系のビルの姿が映えてます。

会社の同期生が、そういえばパレスホテルで式を挙げ、由緒正しいホテルで、これまた美味なるお料理をいただいたことがあります。
もう数十年も前のことでありますが、キャビアやトリュフなるものを初めて食べたのでした。

年代的に、いまや葬式ばかりだけど、誰かわたしを、ずっとご無沙汰の結婚式に呼んで。
飲んで食べたいだけだけど・・・・。

Tschaikovsky_sym6_giulini

チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」

「悲愴」を聴こうとは思わなかったけれど、CD棚を眺めていて、ふと手にしたのが、ジュリーニのCD。
ジャケットの指揮棒を握りしめ、音楽に入り込んでいるジュリーニの指揮姿を見つめて、何も考えずに即、CDプレーヤーにセット。

あぁ、なんて、歌にあふれた「悲愴」なのだろう。

46分42秒間、まんじりとしないで聴き入りました。

1981年に海外盤で発売時即購入して、もう30年にもなる。

当時の再生装置では、アンプのみがいまも現役で、その他は引退して、視聴環境もヘッドホンのちまちま聴きという寂しい状況になってしまった。

でも、ほんとうに、もしかしたら20年ぶり以上で聴く「ジュリーニの悲愴」は、私のなかで、だいぶ印象が変わって聴こえた。

少しゴツゴツして響き少なめの固い演奏に思っていた。
 でも、久しぶりの「ジュリーニの悲愴」の印象は、豊かな歌と高貴さ、そしてロサンゼルスフィルならではの、明るめのサウンドが、耳にとても心地よかったのでありました。
少しテヌートぎみに粘りながらの歌わせかたもジュリーニならではで、それが重々しくならないのも、ジュリーニたる由縁。
毅然とした音楽への取り組みが、オーケストラを熱くしてゆき、それぞれの楽章のピーク時には全員一丸となった誠実きわまりないクライマックスを築き上げる。

変にへそ曲がりなところがって、ロシア系の演奏はあまり聴きません。
かのムラヴィンスキーの演奏も、5番のライブは聴いたけれど、CDは、ろくに聴いてません。
ヨーロッパ系のチャイコフスキーやラフマニノフが好きなのです。
「悲愴」は、アバドとウィーン・フィルが一番。
あと、ハイティンク、バルビローリ、小澤(パリ)などを好んで聴いてきた悲愴。
ジュリーニもそれらの系譜にある、わたし好みの美麗さとさっぱり感、そして歌を持つ演奏であることを、いまさらながらに認識しました。

オケがシカゴだったら、という思いはあるにせよ、ここで聴くロスフィルの少し乾いた明るめの音色は捨てがたい魅力を感じますね。
同じロスでも、メータのデッカ盤は、もっとゴージャスでオケもとてもうまく聴こえるとろが面白いところ。

衝動的に「ジュリーニの悲愴」を聴いたのでした。

Imperial_palace_1

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コメント

私も九段下から竹橋経由大手町は、時々通勤の帰宅時に運動のため歩いています(本来は九段下から東西線で千葉県に帰るのを、2駅先の大手町から乗車)。
ジュリー二は、フィルハーモ二ア時代から最後のスカラ座フィル時代まで、全部好きです。悲愴については、ロスフィルよりもフィルハーモニアの方が彫りが深い感じで好きです。
クラヲタさんが挙げられた中では、小澤(パリ)は30年来の愛聴盤、ハイティンクRCOは最近やっと中古を入手し気に入っているものでした。

投稿: faurebrahms | 2011年11月23日 (水) 15時01分

faurebrahmsさん、こんばんは。
東西線をご利用ですか。
朝晩の混雑はひどいですね。
わたしも、行徳および、西船から竹橋という径路を長らく経験しました。朝晩は苦痛でしたが、好きな職場環境でした。

フィルハモニアとの旧録音は、未聴です。
PO録音のいくつかは、セラフィム時代からいくつか聴いてました。CD化されたものを再入手すべきと思ってますが、もしかしたらいい機会かもしれません。
 ハイティンクのチャイコフスキーはオケの魅力もあいまって、素晴らしいですね!

投稿: yokochan | 2011年11月23日 (水) 23時45分

ジュリーニですね。悲愴はジュリーニがやりそうもない曲なのに!あるんですねー。聴いてみます!
ジュリーニと言えば、パリに行ったときに、ブルックナーのチケットを買ったのですが、演奏会の直前に亡くなってしまい聴きそびれてしまいました。でもフランス語がちっともな私たち夫婦は「え?は?なに?どしたの?」状態でした。
代役の指揮者が指揮台から「ジュリーニのために黙祷を」と呼びかけましたが、会場からはどうしたものかブーイングが沸き、なんとなーくヨロシクナイ雰囲気の中でのブルックナーでした。
ついぞ生で聴くことのできなかった指揮者です。ベートーベンの第9の最終楽章の最後のあの遅すぎるテンポに代表されるように「ジュリーニ=おっせんすよ!だんな!」というイメージが私にはあります。小澤氏にも少しこの遅さをお裾分けしてあげることはできないものかと思うときもあったりして^^;

投稿: モナコ命 | 2011年11月24日 (木) 19時33分

モナコ命さん、こんにちは。
パリでの出来事、貴重なご体験ですね。
ジュリーニは、引退後数年して亡くなってますので、引退中のジュリーニが亡くなった、という意味での黙祷ではなかったのでしょうか?
それにしても、ブーイングとはまた??ですねぇ。
フランス人(語)はさっぱりわかりませんねぇ・・・・

ジュリーニのテンポの遅さが気になるのは、CBS時代(晩年)に思いますが、それでもEMIの第9は重々しいです。
この悲愴も遅いですが、重くは感じませんでした。
小沢さんは、円熟に達してもテンポは弛緩せずキビキビですね。アバドも同じです。
いまの大巨匠たちは、そんな感じなのかもです。

投稿: yokochan | 2011年11月25日 (金) 16時44分

前にも書かせていただきましたが
ジュリーニの(結果として)最後の来日公演、ロス・フィルとの「悲愴」&「運命」を聴きました。

ジュリーニの魅力は楽曲の解釈を突き詰める、独特の美学ではないでしょうか?
ただ(バーンスタインもそうですが)晩年に特定のオケの音楽監督をせず、フリーの客演を続けたのは、よし悪しでは?
その点では、やはりチェリビダッケは徹底していましたね。
あ、彼はジュリーニの悪口は言ってませんでしたね。

投稿: 影の王子 | 2011年11月27日 (日) 12時11分

影の王子さん、こんにちは。
ジュリーニとロスフィルの公演は、わたしは逃してしまったクチです。
大昔のウィーン響との来日のみが実演経験です。

>楽曲の解釈を突き詰める、独特の美学<
求道的なあの姿を見るにつけ、わたくしも同感いたします。
奥様の病気さえなければ、ロスフィルに腰を据えて、別な次元のジュリーニが生まれていたかもしれませんね。

投稿: yokochan | 2011年11月27日 (日) 22時12分

ロス・フィルとはせめて録音だけでも継続してほしかったですが
奥様の病気で結局欧州から出なかったから仕方ありませんね。
ベートーヴェンやブラームスもロス・フィル時代に完成してほしかった。
ベルリンやウィーンだと、彼の指示通りに「弾けてしまう」から、タガが外れてしまったのかも?

フィルハーモニアとのEMI録音を探していますが
ブリテンの「ピーターグライムズ」の「4つの海の間奏曲」は飛び切り美しいです。

投稿: 影の王子 | 2011年11月27日 (日) 22時46分

影の王子さん、こんばんは。
ロスフィルとのベートーヴェンとブラームスは同感です。
フィルハーモニアとのものは、セラフィムレコードでの廉価盤をいくつか揃えましたがブリテンは取得しそこないました。わたしも、再発熱望です。

投稿: yokochan | 2011年11月27日 (日) 23時33分

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