R・シュトラウス 「最後の4つの歌」 デラ・カーザ
今年も、この曲でおしまいにする日が来てしまいました。
例年にも増して、あっ、という間の1年間。
あの日のことは書きますまい。
あの日を境に、変わってしまった日々。
わたしにも容赦なく影響はありました。
会社員でないので、まったく堪えました、そして堪えてます・・・・・。
例年、多くのコンサートやオペラに行き、楽しんできましたが、今年は数えるほどしか行っておりません。
定期会員の神奈川フィル以外は、さっぱり。
そんな中で、2011年、一番心に残る演奏は、金聖響と神奈川フィルのマーラーの交響曲第6番。
3月12日の午後2時から。
震災の翌日に、たぐいまれなるシテュエーションのなか、演奏者も少ない聴衆も異常極まりない状況と感情の中で、なしとげてしまった奇跡の6番。
アバド&ルツェルン、ハイティンク&シカゴ。
生涯忘れえぬ6番に、また凄まじい6番の記憶が刻まれることとなりました。
コンサートやオペラに行かなかったのは、自らそれを封印したのと、明らかな経済的な理由によります。
多くの方々のレビューを涎を流しながら盗み読みするばかり。
でも、もう慣れましたよ。
膨大な音源を、この先見えてきた人生、いかに向き合うかも考えると、どんどん聴くしかない。
弱音は今年まで。
音楽とともに、頑張りますよ。
写真は、丸の内のフラワー・ファンタジア。
美しい地球をイメージしたかのような球体が多かったです。
R・シュトラウスの「最後の4つの歌」
毎年、12月31日は、この曲の記事で締めくくります。
シュトラウス最晩年の澄みきった心境。
しかし、かくしゃくたるシュトラウスは、これが最後だとは思っておらず、まだまだ創作意欲に富んでいた。
元気なお爺さん、かくありたいものです。
老いては、作曲なんてできないもの。すごい活力と、やはり才能です。
「かくも深く夕映えのなかに、私たちはなんとさすらいに疲れたことだろう、これがあるいは死なのだろうか」
いつも引用するアイフェンドルフの詩が、今年はとりわけ堪えるし、深く共感する。
わたしの大好きな夕暮れ。そこに感じる刹那的な美しさは死への甘き憧れと諦念。
その後にくる生への希望を感じさせるのもR・シュトラウスならでは。
美しすぎる夕映えは、希望の朝を用意する手立てだった。
そして美しすぎる、最高のシュトラウス・ソプラノのひとり、リーザ・デラ・カーザ。
カール・ベームとウィーン・フィルという最高の伴侶を得て、彼女がこの絶美の曲に、最高の歌声を残してくれた喜び。
デラ・カーザは1918年生まれで、まだご健在。
スイス生まれで、ウィーンで大活躍し、ウィーンのプリマとして50~60年代に一世を風靡した彼女。
シュトラウス本人からも、評価を得ていた彼女は、アラベラ、マルシャリン、ゾフィー、アリアドネ、マドレーヌ、さらにはサロメやクリテムストラなどのヘヴィーな役も歌うことのできた、マルチ・シュトラウス歌手。
モーツァルトも当然に素晴らしい。
クリアーで、まっすぐな歌唱は、後年のヤノヴィッツやシントウの先輩にあたるような気品とクリスタル感あるもの。
高貴さと一本筋の通った凛とした魅力あふれる彼女の歌声に、いつも痺れてしまうワタクシです。
モノラルの録音が、雰囲気がとても豊かで、そしてウィーンフィルの訛りもとても近くに聴こえて陶酔境に誘われてしまうようだ。
ベームもまた、デラ・カーザを評価して、共演を重ねた指揮者。
聴き慣れた4つの曲の配列とは異なりますが、そんなの関係ない名唱・名演。
麻薬にも似た、怪しく危険なこの1枚のさらにスゴイところは、デラ・カーザの「アラベラ」「アリアドネ」「カプリッチョ」が聴けるところ。
ショルティやカイルベルトで泣けるほどの名唱がステレオ音源で聴けるけれども、モノラル時代のこちらのデラ・カーザの滴り落ちるような魅力的な声はどうしようもないほど素敵。
アリアドネもいいし、そして、音楽があまりにも素晴らしい「カプリッチョ」で、わたしはデラ・カーザの魅惑の声とシュトラウスの儚いまでに彼岸に行きついてしまった音楽に、思わず涙するのでした。
美しいこと、それは素晴らしいことです。
2011年、いい年ではありませんでしたが、これにて終了。
どうもありがとうございました。
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