マーラー 交響曲第9番 アバド指揮
六本木ヒルズから、けやき坂を望み、東京タワー。
この景色が大好きなんです。
頑張れ東京タワーって感じ。
東京という大都会を半世紀に渡って見守り、ともに生きてきた東京タワー。
この風情と風格は、どんなに高くモダンなスカイツリーが出来ても越えられるものではありません。
六本木写真との色合いの符合に、ご満悦の、わたくし、クラヲタ人。
最愛のマエストロ、クラウディオ・アバドの指揮で聴く「第9交響曲」。
マーラー 交響曲第9番ニ長調
いまや泣く子もだまる9番は、このマーラー。
毎度の昔話。わたしがマーラーの9番を意識し始めたのは、1970年のバーンスタインとニューヨークフィルの万博来日公演。
演奏会なんていくことは夢の夢だった小学生。
レコ芸で、この曲を指揮する、白い燕尾服姿のバーンスタインとNYPOの写真や吉田秀和氏の評論を見たり読んだりして、マーラーって誰、ベートーヴェン以外の第9はいったいどんななんだ? とむちゃくちゃ好奇心にかられて眠れなくなった。
その後、サワリの部分をCBSソニーのサンプルレコードで聴いたり、森正さん指揮するN響の演奏をテレビでちょい見したりて、薄ぼんやりと聴き始めたのが71年頃。
そして、同じ頃、FMで放送されたコンドラシンとモスクワフィルのレコード演奏を録音して、ついに全曲を確認。
そんな純情なマーラーの9番体験を経ているのです。
当時は、レコードが出ていたのは、バーンスタイン、ワルター、ハイティンク、クレンペラー、クーベリック、コンドラシン、バルビローリ、ショルティくらいだったから、いまや山のように出ている音源を見るにつけ、隔世の感ありありです。
鳥の羽根の統一ジャケットで、1枚1枚愛おしむように集めてゆく喜びを与えてくれたアバドのマーラー・シリーズ。
76年の2番から始まって、アナログからデジタルに録音方式も変わり、オーケストラもシカゴとウィーンを使い分けるという贅沢なシリーズは、9番を前に止まってしまった。
いまもって唯一の録音8番も、さらにブランクがあるのだが、9番を前にしたアバドの黙考ぶりは、単にマゼールがウィーンフィルを使って先に録音してしまったというばかりではないと思った。
87年のウィーンムジークフェラインでのライブ。
長く務めたスカラ座の音楽監督と決裂し、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に86年に就任
したばかりの頃。
ウィーンとのさらなる蜜月の始まりに、モーツァルトやベートーヴェン、新ウィーン楽派などを集中的に演奏し、ウィーンの街とも一体化していったアバド。
そして、ついにマーラーの9番を指揮する時がやってきた。
この演奏はNHKFMでも放送され、私はバーンスタインとベルリンフィルのときと同じように、とっておきの高級カセットテープを用意して、万全のエアチェック体制でスピーカーの前に待ち受けたのを昨日のことのように覚えている。
その後、ベルリンフィルとの再録音(99)、マーラー・ユーゲントとの映像(04)、ルツェルンでの映像(10)と4つのマーラー9番を残しているアバド。
それぞれに、素晴らしく、とくに直近のものは神が舞い降りているが、それでも忘れ難くも大いに愛着があるのはウィーン盤(87)であります。
この偉大な交響曲に初めて挑む初々しい新鮮さと、慈しむがごとく丁寧な指揮ぶり。
甘やかなウィーンフィルの音色を受けて、3番や4番のときのように、オーケストラと幸福な一体感を感じる。
この次にくる新ウィーン楽派やツェムリンスキーが切り開くユーゲントシュティール様式の先がけを、このアバド&ウィーンフィルの演奏では確実に聴きとることができる。
濃密でありながら、若々しい稀有なマーラー演奏は、この時期のアバドならでは。
後年のアバドのマーラーの9番は、さらなる進化をとげて、演奏するひと、指揮するひと、それぞれの存在すら忘れさせてしまいような無の境地ような透徹極まりない演奏へと近づいてしまったのでした。
いまのわたしには、2010年のルツェルン演奏を記事として取り上げるには畏れ多い気がしてできません。
というか、言葉にできないのです。
ということで、9番ミニシリーズの最後は、アバドとウィーンフィルの最上の姿が味わえるマーラーでございました。
この演奏で聴く、最後の死ぬように・・のピアニシモは、優しいいたわりと、明日への希望の微笑みを感じるのです。
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コメント
管理人さん 本年は大変お世話になりました。
いよいよ大晦日で私事ではありますが家内清め氏神に参拝のちに毎年何故かOP.14a幻想交響曲をゆったり聴くのが20年間慣わしなんです…
おかしいでしょうが続けてます。
今日はバレンボイム、ベルリンです。
マ―ラ9ですが深い思い出あります。
病床10年余りの父が去って、はや 10年近いですが病室で最期の看取りは私だけ父と2人になりたくて誰にも連絡しませんでした。
だんだん呼吸が浅く遠くなり終には気配も確認出来なくなり…
そうなんですね。私の中にはあの9番終楽章エピロ―グが理解出来、沈むように鳴ってました。アバトで…
来年もどうぞ良い音楽御紹介頂きます。
私は酒も煙草も縁切して5年なりますが良い年をどうぞ♪
投稿: マイスターフォーク | 2011年12月31日 (土) 11時35分
マイスターフォークさん、こんにちは。
そして、本年はどうもお世話になりました。
好き勝手に聴いてのダラダラ感想書き。お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。
幻想で年末を過ごすのも、実にいいですね。
気分が晴れそうです。
わたしは、シュトラウスです。
そして、ご尊父さまの思い出とマーラーの第九。
お亡くなりになるその場に立ち会われた由。
そこにマーラーの第九が鳴っているなんて・・・・。
壮絶であり、悲しくもあります。
わたしは14年前の父の死には立ち会えず、駆け付けた時には、もう白い布がかかってました。
そこでは音楽は残念ながら鳴りませんでしたが、マーラーの第九は、親しい人の死に相応しい終結部を持っています。
来年もまたよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。
投稿: yokochan | 2011年12月31日 (土) 14時58分
アバド&ウィーン・フィルとのマーラー9番。このCDは私も思い入れがあります。
僭越ながらTBさせていただきたく存じます。
アバドの音楽には慈愛と救いがあります。
それにいたしましても大変な一年になりました。
そんな中でも何度かお酒の席でご一緒できまして光栄でございました。
また来年もよろしくお願いいたします。
それではよいお年をお迎えくださいませ!
投稿: minamina | 2011年12月31日 (土) 16時18分
minaminaさん、こんばんは。
そして今年も御世話になりました。
なんだかむちゃくちゃで、ご無体ばかりの2011年でしたが、最後にアバドの第9シリーズで気持ちよく締めることができました。
慈愛と救い。
アバドの生真面目で博愛にあふれた演奏の真骨長でありますね!
TBありがとうございました。
どうそ、よいお年を御迎えください。
投稿: yokochan | 2011年12月31日 (土) 22時46分
マーラーですが、晩年のイメージは
アルマ未亡人によってかなり脚色されていたようです。
最近出版された本では、死の直前まではかなりエネリギッシュに活動してたと。
第9のように精妙な曲は心身ともに健康でなければ作曲できないでしょうね。
第9のジンクスも「大地の歌」は歌曲であり交響曲ではない
(これまた未亡人のせいで公開が遅れたピアノ版があることから)
第10ありきの第9だと考えれば…嘘ですね。
「物語」を排して音楽を聴くように努めたいものです。
投稿: 影の王子 | 2012年1月 1日 (日) 10時09分
影の王子さん、こんにちは。
マーラーの晩年のアルマのお話、知りませんでした。
もともと、マーラーはオペラ指揮でも新大陸も含め活動の幅がひろく、まさにエネルギッシュな人でしたね。
50歳すぎで、隠居じみた言動は少なからず違和感あります。
しかし、わたしも昨今弱気な年寄り魂に覆われつつあるのですが・・・・。
>「物語」を排して音楽を聴くように努めたいものです。<
おっしゃる通りですね。
虚心に聴きたいと思います。
投稿: yokochan | 2012年1月 1日 (日) 13時38分