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2011年12月30日 (金)

ワーグナー 「神々の黄昏」 フルトヴェングラー指揮

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レインボーブリッジを歩いてみました。

下は海だし、横は車がビュンビュンだし、風は強くて寒いし、正直恐ろしかった。

対岸のお台場が見えますの図。

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反対側に目を転じますと、東京タワーが輝いておりまして、そのまわりをビルが取り囲んでます。

極限まで成長しきった大都会は、立錐の余地もないほどに開発の手が及んでおります。

人間の手で街がここまで成長してしまうことの脅威を最近感じます。

そこまで誰も求めてないと思うのに・・・・。

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ワーグナー 序夜と3日間の舞台祝典劇「ニーベルングの指環」。

第3夜は、楽劇「神々の黄昏」。

今年不幸にして起きてしまった震災は、自然の前の人間の無力さ、そして連鎖して起きなくてもいいのに引き起こされてしまった原発事故は、これまでその利便性を享受してきたものが凶器にもなるというその反動を、それぞれ思い知ってしまうこととなった。

今年、世界中で引き起こされてしまった負のスパイラルはとどまることを知らず、それが個人個人それぞれにまで実感されるような世のなかとなってしまった。

こんな年の最後に聴く、ワーグナーの「ニーベルングの指環」は、人間(神々)が欲望から手を出してしまった指環ゆえに、愛も滅び、自らも滅んでしまうという物語が皮肉なまでに符合して感じ、聴こえる。

起承転結の「結」は、ビュンヒルデの自己犠牲。
そうワーグナーが至上としてきた女性による自己犠牲による救済の結末で、黄金はラインの川の底に返還され、神々の城は崩れ落ち、アルベリヒ一族も崩じ去り、ギービヒ家もしかり。壮大な劇の登場人物すべてが消滅してしまう。
「もう、終わりにしましょうよ」と、世の終わりの引き金を引いたのが、ブリュンヒルデだったのである。

ブリュンヒルデは、最後まで愛を断念しておらず、ジークフリートへの愛を歌いつつ最後を迎え、「ワルキューレ」から一貫して「愛の人」であったから、思えば「リング」の結末は「愛のによる浄化の勝利」でもあるわけ。
この勝利による「結」の部分は、ひとまずの落着であって、「結」のあとには、また「起」が待ち受けている。
すなわち、「黄昏」のあとには、「ラインの黄金」があって、また闘争が始まる。
人間は、こうして懲りない存在なのである、という解釈がいまや一番説得力がある。
「終わりはまた始まり」といった、歴史の繰り返し。
輪廻的な、東洋思想とはまた違った人間の業が繰り返されるというような意。

いづれにしても、「リング」は始まりも終わりもなく永遠の物語に思う。

あとひとつ、五行説というのがあって、「木」「火」「土」「金」「水」が万物の元にあるとの思想。中国の思想であるが、西洋の4大元素ともまた異なるもの。
いずれもが生と剋の関係をなしていて、思えばこの5つも、「リング」のなかで重要なモティーフとなって登場している。

「木」は、トネリコの木で、ウォータンの槍や知識のもとであり、武器を生みだすもとだったし、最期には城を焼き尽す元となる。

「火」は、ブリュンヒルデの山を覆い、最後には世界を焼き尽し浄化した。

「土」は、地上と地下を隔てる世界、すなわち闘争の舞台。ジークフリートはその土を後ろでに投げた。

「金」は、そう、黄金。富と野望の象徴。

「水」は、ラインの清らかな流れ。火が焼き尽した後を清めた。

   ジークフリート:ルートヴィヒ・ズートハウス 
   ブリュンヒルデ:マルタ・メードル

   グンター:アルフレート・ペル      
   ハーゲン:ヨーゼフ・グラインドル

   グートルーネ:セーナ・ユリナッチ   
   ワルトラウテ:メルガレーテ・クローゼ

   アルベリヒ:アロイス・ベルネルストルファー
   第1のノルン:マルガレーテ・クローゼ

   第2のノルン:ヒルデ・レッセル=マイダン   
   第3のノルン:セーナ・ユリナッチ

   ウォークリンデ:セーナ・ユリナッチ      
   ウェルグンデ:マグダ・ガボリ

   フロースヒルデ:ヒルデ・レッセル=マイダン

 ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮イタリア放送交響楽団/合唱団
                     (1953.11 @ローマ)


独断のあらすじ

プロローグと序幕、ともかく長い。マイスタージンガー3幕、パルシファル1幕と並んで、ワーグナー3巨大幕。
3人のノルンは、ウォータンの近況や今後の見通しなどを綱を編みながら語るが、この部分はいらないかも。ところが、ウォータンを父と呼んでいるいるので、ここでも好色の神は女子をなしている様子。しかし、母やエルダだから、ワルキューレとの関係は?
 夜が明けると、新婚家庭は、ドラマテックソプラノとヘルデンテノールの凄まじい声の応酬による旅立ちの別れ。
おせっかいの世直し干渉修行に出たジークフリートを風の便りに、というかどうして知ったのかハーゲン。
狙いをつけて、新興国の主ギービヒ家へ招き入れ、忘れ薬を飲ませてしまうが、無防備で呑気なジークフリートは、ブリュンヒルデを思いながら一気飲みし、飲みほしたら即忘却。
わたしも欲しいぞ、忘れ薬
美人だかなんだか不明のグートルーネに惚れてしまうスットコどっこいぶり。
義兄弟の契りをいとも簡単に結んだグンターに、ミーメ制作の隠れ頭巾で変身。
わたしも欲しいぞ、隠れ頭巾

夫の留守を守るブリュンヒルデのもとには、妹がやってきて、姉妹の麗しい再会となるが、新婚指環をラインに返してと言われて、大ゲンカとなり妹は追い出されてしまう。
没落の父なんて、関係ナイ。

そこへ、変身したジークフリートがいとも簡単に火を乗り越えてやってきて、あわれブリュンヒルデはとっつかまって連れ去られることに。
この時、なぜ、指環を略奪し、それを死ぬまで自分の指にしていたか不明のすっとこジークフリート。

死んだはずのアルベリヒが出てきて、眠っているハーゲンと夢の中で会話。
わたしの亡父もよく夢に出てきますが、会話はできません・・・・・。
祭りの支度を家臣たちに命じ、大騒ぎのなか、ジークフリートは本物のグンターと入れ替わりトンボ帰り。
やがて帰ってきたグンターとブリュンヒルデ、ジークフリートとグートルーネの結婚式は、急に怒りに目覚めたブリュンヒルデが大騒ぎして、ごちゃごちゃに。
呑気で陽気なジークフリートを外しておいて、騙された正妻と騙されたと思っている新朗とペテンの王国の新しい主3人で、ジークフリート殺害の企画を決定。

リング最後の幕になって、「ラインの黄金」の冒頭のような原初の響きが戻ってくる。
ラインの娘たちに相対するのは、今度は今の指環の持ち主ジークフリート。
女も知り、すこしイケナイ大人になった呑気なジークフリートは、娘たちにちょっかいだしたりするが、弄ばれ、却って指環は持ってなさいと度胸あるところを刺激されて頑なになってしまう。自分が強い、1番と思いこんでいる強い国の人も、やがてそのお人よしゆえに、足をすくわれることになる・・・・。
狩りの成果は丸坊主、でもかつての英雄談義を聞かせておくれとせがまれて、記憶呼び覚まし酒を飲んで、戻りつつある記憶をひも解くジークフリート。
わたしも、欲しいぞ記憶呼び覚ましドリンク
やがて、ブリュンヒルデとの出会いに及んで、みんなびっくりも束の間、ウォータンの偵察部隊のカラスを見送った弱点の背中をハーゲンにブスリと殺られてしまう・・・。
育ての親や恐竜巨人族などを殺してきた無邪気な殺戮者ジークフリートは、因果応報、指環の祟りでもって倒れるのでした。
ここで、ハーゲンは指環を盗んでしまえばよかったのに。。。
 崇高なる葬送行進曲のあと、亡骸を前にギービヒ家は内部分裂。
死んだはずのジークフリートのオカルトチックな動きに悲鳴もわき、そこへ出ましたるは、幕引きの女ブリュンヒルデ。
ことの顛末を引き起こした父ウォータンにお小言を述べ、そしてジークフリートへの変わらぬ愛とその無邪気な英雄を讃えて歌うブリュンヒルデはかっこよすぎる。
火と水により、世界は浄化され、またあらたな一歩が踏み出されることとなるのでした。

                  

「神々の黄昏」の音源は、フルトヴェングラーを選択。

フルトヴェングラーの「リング」が、EMIから彗星のように出現したのは72年頃だったでしょうか。
ローマ交響楽団という謎の楽団が最初にリリースされたときのオーケストラ名だった。
1953年に、ローマ放送局において1幕1幕個別に演奏会形式で上演されたもので、各幕の終わりにはイタリアっぽい聴衆の盛大な拍手が入っている。
フルトヴェングラーはEMIに、この放送録音を正規に発売することを望んだが、EMIは、フルトヴェングラーのリングを、ウィーンで録音することを企画し、54年に「ワルキューレ」の録音が実現したものの、フルトヴェングラーの死によって途絶えてしまった。
 当時、リングのレコードが死ぬほど欲しかったクラヲタ少年が、モノラルでローマのオケのリングなど選ぶはずもなく、絶対カラヤンと思いこんでいた矢先に、ベームのバイロイトライブが、これまた忽然と発売されることとなり、そちらに飛びついたわけなのです。

83年、こんどは、チェトラから、フルトヴェングラーのスカラ座のリングが登場することなった。このときは、もしかしてステレオ?なんてことも噂されたが、ちゃんとモノラル。
わたし、ハイライト盤で我慢。
後年、全曲盤を揃えたが、ローマのオケより数等上のスカラ座オケのワーグナーに新鮮な感銘を覚えたのでした。

ローマの放送オケは、ときおりヘマをするけれど、フルトヴェングラーの下で、だんだんとワーグナーの真髄が指揮者から乗り移ってきて、極めて情熱的な演奏を繰り広げるようになる。
それが一番味わえるのが、この「黄昏」のそれも第3幕。

ジークフリートの死から、凄まじいまでの気迫に溢れた演奏となり、ブリュンヒルデの自己犠牲の場面では、もう感動が止まらない情熱急行列車となっているのだ。
フルトヴェングラーの凄いところは、こんなところにあるんだろう。
最後の大団円は、神々しいまでの素晴らしさ。

ズートハウスは、昨今のスマートなヘルデンからすると、少しばかり昔のカロリーオーバーな声だけれど、さすがに力強く、声とするとイェルサレムに似ていると今回思った。
そして、メードルのブリュンヒルデは素晴らしい。
少しフラットなところもあるものの、女性らしい優しさもともなう素敵なブリュンヒルデ。
メードル・ヴァルナイ・ニルソンと、50~60年代は、素晴らしいブリュンヒルデとイゾルデに恵まれていたものだ。
グランドルの憎々しいハーゲンも定評あるもので、ユリナッチのグートルーネやレッセル=マイダンの端役も素敵なもの。
しかし、グンターとアルベリヒの歌唱はちょっと時代めいてました。

このローマのリング、最近SACD化されて、素晴らしい音になったそうで、なんと28,000円もしちゃう。贅沢はとどまるところを知らないものです。

以上、「リング」終了しました。

「神々の黄昏」過去記事

「ブーレーズ&バイロイト」

「クナッパーツブッシュ&バイロイト」

「カラヤン&ベルリン・フィル」

 

「エヴァンス&尾高忠明~抜粋」

「ショルティ&ウィーン・フィル」

 

 

 

 

 

「ミトロプーロス&ニューヨーク・フィルの第3幕」

 

 

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コメント

本で読んだのですが
ジークフリートが薬ですっかりグートルーネの虜になるのは
「彼が元々浮気願望があったから」と・・・
「トリスタンとイゾルデ」も薬で(LOVE)2になるのも実はお互い好きだから?
まぁ、薬は触媒に過ぎない…のでしょうかね。

この作品ではなんといってもピカレスク・ヒーローであるハーゲン!
ワーグナーによるとアルベリヒ一族=ユダヤ人
力自慢の神を知恵で倒すのはまさしく資本主義なんでしょうか?

ところでフルトヴェングラーのSACDよく売れてますが
そもそもCDのスペックすらない録音がSACDで良くなる
というのが私には理解不能です。
マスターテープも半世紀も経てば劣化しているし。

投稿: 影の王子 | 2012年1月 1日 (日) 09時57分

影の王子さん、こんにちは。

ジークフリートは、ブリュンヒルデに出会う前から母親願望から女性に興味ありすぎで、基本的に好きだったんでしょうねぇ。
トリスタンとイゾルデは、早い時期から惹かれあっていて、いまや伯父の妻になってしまうイゾルデをあきらめていたなかでの媚薬。
両方とも死薬と認識いして飲んでるわけですから・・。

ワーグナーはややこしい人です。

SACD盤はともかく高いです。
生涯手にすることはなさそうです。
なにもそこまでという気持ちがありますから。

投稿: yokochan | 2012年1月 1日 (日) 13時14分

明けましておめでとうございます。今年もさまよえる様のサイトを拝見させていただきます。
フルトベングラーのローマ盤ですね。好きです。さまよえる様とは反対にスカラ座盤よりローマ盤のほうがオケがしっかり録音されていて好きです。スカラ座盤はオケが貧弱で歌手が気の毒に思えます^^;
ジークフリートのズートハウス!けっこう好きです。やたら立派なメードルも好きです。
フルトベングラー盤はどうかするとクナ盤より好きです。クナは遅い。。。遅すぎて時々しんどくなるんですよ。。。エライ批評家の先生達はホメているけど私はあんまり。。
こちらのローマ盤はオークションで日本製のCDセットを4000円くらいで入手できました。CD15枚くらいのセットです。クナのセットはLP20枚くらいのものをやはり3500円くらいでオークションで^^
私のような貧乏人にはオークションってありがたいです。
今年もワグナーをはじめ、クラシックについてさまよえる様のお話を聞かせてください。

投稿: モナコ命 | 2012年1月 2日 (月) 20時02分

モナコ命さん、あけましておめでとうございます。

スカラ座だと思って思い入れで聴いちゃうからなんでしょうね。
録音はローマの方がいいし、各幕ごとの演奏会形式ですので、安定感はたしかにありますね!
いずれ聴き比べでもしっかりやってみたいです。

聴き比べといえば、クナとフルヴェンも面白いですが、ご指摘とおり、たまにクナを聴くと遅々としたドラマの運びに驚いてしまいます。
が、しかし慣れてくると、これもワーグナーだな、と入り込んで聴いてしまうのです。
ばかですよね。

昨今のスマートで華奢なワーグナーとは隔世の感ある巨大な両ワーグナー指揮者ですね。
オークションはわたしにもありがたい存在ですが、これもやりすぎると大変。自粛中です(涙)

今年も、よろしくお付き合いのほどお願いいたします。

投稿: yokochan | 2012年1月 3日 (火) 11時19分

このフルトヴェングラーの『ローマの指環四部作』、故ー佐川吉男さんが演奏自体は、ベストに挙げられておられました。実は二十代の頃、『ラインの黄金』のみアメリカSeraphimの6076と言うLPで聴きました。指揮者没年の前年の割に、混濁の多い音質にお手上げとなり、放出してしまいました。アメリカで需要の高いオートーチェンジャー式プレーヤーに向くように、第1&6,2&5,3&4面のカッティングだった事は、覚えております(笑)。まぁ、今ではちょっと早きに過ぎた売却だったかな‥との念が無くも無いですが、現在のCDからどの程度の音質が鳴るのか‥試聴してみたい気持ちもございます。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年12月 7日 (土) 15時16分

安くなってボックス化されたものを買い直しましたが、CD初期のものより、音に芯を感じることができ、一新された印象です。
ネット上でも、著作権切れの音源として聴けるようですが、そちらはまだ確認しておりません。

投稿: yokochan | 2019年12月11日 (水) 08時23分

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