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2011年12月18日 (日)

ワーグナー 「ワルキューレ」 ベーム指揮

Hills2

六本木ヒルズのツリーイルミネーション。

真っ赤な円錐状のツリー。

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こんな感じで、真っ赤な花びらとゴールドの帯で出来てます。

手間暇かかってますねぇ。

冬の寒さと、今年の辛さをちょっぴり忘れさせてくれる暖かな赤とゴールドでした。

Bohm_ring4

ワーグナー 序夜と3日間の舞台祝典劇「ニーベルングの指環」。

第1夜は、楽劇「ワルキューレ」。

物語は、指環をめぐる具体的な権力闘争から、少し距離を置いて、「ラインの黄金」の出来ごとから30~40年くらい経過した人間社会とそこに降りてきた神々を描く。

「起承転結」とは、中国の漢詩の構成のひとつなれど、ワーグナーはそれを知っていたのか否か、リングの4つの楽劇は、まさにその「起承転結」なのであります。

ものごとの始まりは、「起」であった「ラインの黄金」の略奪。
「承」は、前作の指環の争奪シーソーゲームを受けて、神々の側からの奪還作戦の布石と愛の挫折。
「転」は、無敵のヒーローの登場で、物語に英雄の大活躍によるハッピーエンドを聴衆に期待させる。
しかし、「結」では、ヒーローも破れ、聴衆の期待は破れ、「終わり」という結末を創成する。

ワーグナーの劇作の才は、こうした長大な物語をこのような構成でもって作り上げ、そこに極めて雄弁な音楽を付随させたこと。
強引なまでの独りよがりの性格で、人間性の悪さでは極め付きのワーグナーだけれども、残された作品は、極めて偉大で、いつの世にもその存在を誇りうる永遠の普遍性を持つものなのだ!

「ワルキューレ」は先に書いたとおり、指環は登場せず、直接の指環争そいはない。
そしてここにあるのは、「愛」の物語。
前にも何度か書いてますが、その「愛」も多彩でして、時にインモラル。
兄妹が愛をはぐくみ、子をなしてしまうのだから。
そして、やがて生まれる甥っ子への愛の予感。
略奪され無理やり夫婦にされてしまった気の毒愛。
正妻に頭が上がらず、いいなりになってしまう夫の見かけの愛。
旅先や計略で生れた子供たちとの親子愛。
その親子愛は、離れ離れの父と息子の信頼とその思いもよらぬ悲しみの別れ。
そして自分をもっとも理解している最愛の娘との今生の涙の別れ。
しかし、そこに厳然とあるのは、愛を断念せざるを得ないという、指環に魅せられてしまったものの悲しい宿命。

あぁ、愛のデパートの数々は、なんて悲劇的で、かつ素晴らしいのでしょうか!


独断のあらすじ

皆に止められ、泥棒から奪った指環を手放したウォータンはいまだに未練たっぷりで、指環を鎖国状態の巨人国(某japan)から再度拝借するために、戦いに秀でた英雄を量産することを考え、その頂点が自身が人間界に赴き生んだのがウェルズグ族。
期待のジークムントなのでありました。
没落の欧州のような神々が入植し生んだウェルズング族は、聡明なれど戦い好き。
助けようと思い、よかれと思って救っても、却って恨みと憎しみを買うばかり・・・。
父とはぐれ、やがて追われる身になるも、敵国で相見まえしは妹なり。
その妹とイケナイ恋に陥り、愛しか眼中になく、まわりのことはおかまいなしの夢中の逃避行に・・・・

可愛い子には旅をさせろ、とばかりのウォータンは自身が与えた最強の武器ノートゥングを難なく手にいれた息子ジークムントの逃避行にニンマリ。
ところがどっこい、不倫の末の、しかも下界の人間どもに生ませた子供、さらにしかも兄妹愛でもって、いかに略奪愛とはいっても正式な夫婦の誓いを破って逃げたジークムントとジークリンデが憎くてしょうがないのが正妻のフリッカ様。
欧州の伝統と格式からしたら、本能のおもむくままの民族はケシカランのである。
亭主ウォータンをつかまえて、正論でもって堂々と対峙し、見事、亭主の矛盾を看破してしまい、ジークムントの保護を断念させたあげくに、逃げられ夫の勝利を約束させてしまう。
いつの世も、げに恐ろしきは妻なり!!あぁ。。。
苦しい心の内を理解してくれるのは、天塩にかけて強い娘に育てたブリュンヒルデ。
でも諦念を滲ませ、きっぱりとあきらめるウォータンなのでありました。
 しかし、父のDNAをしっかりもった娘は、愛まっしぐらのジークムントとジークリンデに会って、これこそ父の意志とばかりに、大いに同情して戦いに勝手に助成してしまう。
これを見た父ウォータンは、最愛の息子ジークムントの武器を砕き、哀れ死にいたらしめてしまう。そいて、仮にも我が命令。
背いたからには許しはせぬと、ブリュンヒルデを愛するがゆえの怒りに燃える。
このあたり、すでにブリュンヒルデは愛と同情に芽生えた段階で、アメリカンになってしまったのでした。

ブリュンヒルデが怒りの没落神ウォータンから逃げ隠れた先は、父が大いに励んで産ませた8人の戦乙女軍。
兄(夫)の折れた剣を持ったジークリンデに、将来自分の夫になるであろう子供が宿っていることを告げ、勇気づける。
怒髪天にも昇る勢いの父ウォータンが飛んできて、娘から神性を奪い、眠りにつかせ一介の男に委ねられる普通の女になることを宣言されるブリュンヒルデ。
この時点で旧主国から追放。自由の国の人になるブリュンヒルデ。
父娘の涙の別れは、なんど観ても、なんど聴いても、感動の涙なくしてはいられない。

「Wer meines Speeres Spitze furchtet,
                                    durchschreite das Feuer nie!」


 (わが槍の穂先を恐れるものは、この炎を超ゆることなかれ!)

ウォータンは、こんな捨てゼリフを残して、火に囲まれ眠る愛娘を振り返りつつ、山を降りてゆくのでした。

生れ来る、自分を知らない英雄がいとも簡単にその炎を超え、自分をも超えてしまおうとは・・・・。いやそれを期待し、老大国が破れてしまうことも知りつつ。

   ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」

    ジークムント:ジェイムズ・キング    
    ジークリンデ:レオニー・リザネック

    フンディンク:ゲルト・ニーンシュテット 
    ウォータン:テオ・アダム

    フリッカ:アンレリース・ブルマイスター 
    ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン

    ゲルヒルデ:ダニカ・マスティロヴィッチ 
    オルトリンデ:ヘルガ・デルネシュ

    ワルトラウテ:ゲルトラウト・ホッフ 
     シュヴェルトライテ:ジークリンデ・ワーグナー

    ヘルムヴィーゲ:リアーネ・シュニック
     ジークルーネ:アンネリース・ブルマイスター

    グリムゲルデ:エリザベス・シャルテル 
    ロスワイセ:ソーニャ・ケルヴェーナ


  カール・ベーム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
              (1967.7 @バイロイト)


ワルキューレ、いや、というかリング自体の刷り込みがベーム盤

レコード時代、ベーム盤によるリング全曲視聴を何度行ったであろう。
歌詞対訳を見ながら、そして指揮もしつつ、歌も歌いつつ。
時には、お気に入り場所を抜粋して。
なかでもワルキューレは、一番ターンテーブルに乗った。
ジークムントの「冬の嵐は去り」、1幕の終わり、2幕前奏曲、死の告知、2幕終わり、ワルキューレの騎行、ウォータンの告別~終幕

すべて頭に刻まれてます。
ジークムントやウォータンは歌えるかもしれません。
当然、指揮もできそうです。

65年から始まったヴィーラント・ワーグナーの最後の演出は、死後の69年まで続くが、指揮者は、ベームとスゥイトナー、マゼールが受け持ったからその豪華ぶりは今や伝説。
68と69年は、マゼールが一人で全曲担当。
65年は、ベーム。
66と67年は、ベームとスゥイトナーが交互に指揮。
モーツァルトを得意としたベームとスゥイトナーの近似性を感じるし、ライブで燃える二人も一緒。ヴィーラントの指揮者選びの確かな眼を感じる。
だから、スゥイトナーのリング音源、ついでマゼールのリングも是非出して欲しい!

ベームの燃えるような爆発的な演奏は、スタジオ録音ではとうてい味わえないもの。
スタジオ録音しか知らない人は、このリングやトリスタン、オランダ人、マイスタージンガーといったバイロイトライブ録音を是非とも聴くべきで、ベームへの認識が一変するはずだ。
濃厚なロマンと感情の高ぶり、熱いフォルテは、1幕の終わりやウォータンの告別において顕著。
一方で、管楽器一本で、登場人物の深い沈鬱をあらわしたワーグナーの巧みな筆致も精緻なまでに表現している。
 それをしっかり捉えた迫真の録音状態も、いまもって最高に思う。

ショルティ盤と多くの歌手がかぶるが、2~3年後のこちらもまだまだ最盛期で、キングニルソンがまったく素晴らしい。
最高のジークムントたるキングの悲劇的な色合いと、不器用なまでの硬直さは、その力強い声とともに、いまだに他の追従を許さない。
ペーター・ホフマンとともに、忘れえぬ永遠のジークムント。

ニルソンの怜悧でありながら女性的なブリュンヒルデも、ヴィントガッセンのジークフリートとともに、わたしの永遠の存在。こんな歌手はもういません。

アダムの少しアクが強いが明るめのバスバリトンのウォータンも、ホッターやステュワートと並んで、わたしの耳に刻まれた存在。

ニーンシュテットブルマイスターの強力な存在も、当時のバイロイトの層の厚さを物語るもので、いまの多国籍化した演出優位の劇場からしたら遠くて懐かしいものだ。
年齢を経たいま、ジークリンデのリザネックをよく聴いてみたら、声が荒れぎみで、ちょっと驚いた。そしてこんなに叫ぶジークリンデも、よく考えたらほかにないなと。
演出なのだろうか、ジークムントが剣を抜く場面、夢の中でうなされる場面、ジークムントがフンディンクにやられてしまう場面。
その叫びがなかなかスゴイもので、歌唱の粗さに若い頃は気がつかなった。
でも、この人の魅力は、その夢中の歌唱で、3幕でお腹の子供を告げられて一転、生きる希望を見出し、そして感謝を捧げるところの迫真ぶりは感動的。

ワルキューレたちのなかに、のちの大歌手デルネッシュの名前を見つけることができるのも、当時の豪華ぶり。

「ワルキューレ 過去記事」

「ハイティンク&バイエルン放送響」

「新国立劇場公演 エッティンガー指揮①」


「新国立劇場公演 エッティンガー指揮②」

「二期会公演 飯守泰次郎指揮①」


「二期会公演 飯守泰次郎指揮②」

「テオ・アダムのウォータンの告別」

「ブーレーズ&バイロイト」

「メータ&バイエルン国立」

「ノリントン指揮 第1幕」


「カラヤン&ベルリンフィル」

「エッシェンバッハ&メトロポリタン公演」

 

Hills5

六本木ヒルズは、ウィスキーキャンペーンでした。

うまそーーー。

「ワルキュー」は、思い出のたくさん詰まった「ベームのリング」から選択しました。

次週はクリスマスに「ジークフリート」。

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コメント

好きです!ベーム盤!何度聞いても好きです!
ショルティ盤と歌手がかなりダブっていますが好きです!
「ジークムントとウォータンなら歌える」と豪語しているさまよえる様。わかります。私もシークフリートは無理かもですが、ジークムントならいけそうです。
J・キングのジークムントを愛するあまり、他のテナーを「キングならこう歌うのに」と愚かな比較をしてしまうときがあるんです。
カルショーの自叙伝でショルティ盤のジークムントを最初F・D様にオファーしたという記述があります。D・F・D様も熟慮の後にこの役を断ったともあります。
聴いてみたかった!D・F・Dのジークムント!!!
え?そうなんだ?スイトナーとマゼールがベームと一緒にバイロイト時代を築いていた?初めて知りました^^;無知な私。。。さまよえる様って何でも知っているんだなー!!尊敬!
その音源があるなら是非聴いてみたいですね。

投稿: モナコ命 | 2011年12月19日 (月) 19時51分

モナコ命さん、こんばんは。
おぉ、ここにも、ベームのリング(ワルキューレ)のファンがいらっしゃって、とてもうれしいです。

ジークムントはバリトンの音域にも近いので、歌えちゃうのです。ジークフリートはキツイですが、トリスタンはそこそこいけそうです(笑)
FD様のジークムントの件は、知りませんでした。
わたしも聴いてみたかったです。
ついでに、ウォータンとジークムントの二役なんて、最高に面白いですね!
ジェイムズ・キングは、キング・オブ・ジークムントです。もともとバリトンだったから暗めの声が最高なのです。
ラモン・ヴィナイもバリトンとヘルデンでした。

マゼールのリングは、新潮社が本みたいなオペラブックとして昔、発売してますが、モノラルのひどい音質だったみたいです。
まったく入手不能ですが、原色のおもしろいリングだったようです。
ややこしい権利関係をクリアして、マゼール、シュタイン、スゥイトナー、シュナーダーなどのバイロイト音源を復刻して欲しいものです!

投稿: yokochan | 2011年12月19日 (月) 23時42分

こんにちは、
私もワーグナー『ワルキューレ』を鑑賞してきましたので、興味深く深く拝読させていただきました。主要キャストの歌手陣は世界でも最高水準といいえるほど素晴らしく、日本ではワーグナー指揮の第一人者と言える飯守泰次郎さん指揮・東京フィル音楽がみなとみらいホールでブルックナーをご遺書した時のように、新国立劇場のオペラパレスに鳴り響き、最高に感動的な舞台だったと感じまた。「感動の涙なくしてはいられない」こと、全く同感です。

私も『ワルキューレ』の舞台を解消した感想と魅力、ワーグナーや芸術監督・飯守さんの意図等について考察してみました。見識あるさまよえる神奈川県人さんに読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などご指導いただけると感謝いたします。

投稿: dezire | 2016年10月14日 (金) 12時12分

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