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2011年12月24日 (土)

フィンジ 「デイエス ナタリス」~生誕の日

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子供のころは、クリスマスはきらきら感と期待感、そしてヨーロッパやアメリカへの憧れ感に包まれてました。

ミッション系の幼稚園から育ちましたから、クリスマス会では、イエスの生誕の物語を園児たちで劇にするわけでした。
2年間の私の役柄は、イエスが飼葉桶で生れたときに周りにいた農民の役と、東方の博士のひとりだったような気がする。
ちなみに、イエスやマリアを演じた園児は、その後、小学校や中学校へ進学しても、ちょっと注目される男女だったりしてました。
このあたりは、いつの世になっても変わらないのでは・・・・。

そんな幼少期を経て、少し長じて、クラシック音楽に親しむようになり、バッハやヘンデルの音楽に感化されキリスト教のなんたるやを興味を持って学んだ。
やがて大学もミッション系となり、学問としてのキリスト教プラス、宗教としてのキリスト教が身近に感じられるようになり、初老のいま、現在にいたっております。

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物質的な意味での恵まれたクリスマスより、心の底から沸き起こる感謝と喜びがクリスマスの本質。

経済的に苦しくても、ケーキやチキンはなくっても、どんな人にも等しく優しいクリスマスであって欲しい。

イエスの生誕という喜びに、格差や不平等はあってはならないのですから。

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ジェラルド・フィンジ(1901~1956)のカンタータ「ディエス・ナタリス」。

生誕の日」または、「クリスマス」という邦題。

フィンジのことは、何度も記事にしてます。

フィンジのカテゴリーをご参照ください。

抒情的で、ナイーブなフィンジの作風は、どんなときでも聴く人の心に、静かに歩みよってくれて、寄り添うように一緒に歩んでくれる。
そして、時に見せる深淵に、わたしたちは驚き、慄いてしまう。

フィンジの音楽を聴く喜びと怖さです。

「ディエス・ナタリス」は、1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。
そんな長きの空間を、とこしえとも思える静けさに変えてしまう不思議さ。
この音楽に感じるのは、そんな静けさです。

弦楽オーケストラとテノールのためのカンタータ。
またはソプラノによる歌唱も可とするこの曲。
もともとはバリトンによるものですから、あらゆる声域で歌える美しい曲。

器楽によるイントラーダ(序奏)に導かれた4つの歌からなる20分あまりの至福の音楽は、いつもフィンジを聴くときと同様に、思わす涙ぐんでしまう。
イエスの誕生を寿ぐのに、何故か悲しい。

17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。

 1.イントラーダ(序奏)

 2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)

 3.歓喜(ダンス)

 4.奇跡(アリオーソ)

 5.挨拶(アリア)


この曲で最大に素晴らしいのは、1曲目の弦楽によるイントラーダ。
最初からいきなり泣かせてくれます。
いかにもフィンジらしい美しすぎて、ほの悲しい音楽。
何度聴いても、この部分で泣けてしまう・・・・・。
1曲目のモティーフが形を変えて、全曲を覆っている。
この曲のエッセンス楽章です。

トラハーンの詩は、かなり啓示的でかつ神秘的。
その意をひも解くことは、なかなかではない。
生まれたイエスと、イエスの前に初心な自分が、その詩に歌い込まれているようで、和訳を参照しながらの視聴でも、その詩の本質には、わたしごときでは迫りえません。

全編にわたって、大きな音はありません。
静かに、静かに、語りかけてくるような音楽であり歌であります。

楚々と歌われ、静かに終わる、とりわけ美しい最終の「挨拶」。

 ひとりの新参者
 未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
 この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
 見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
 けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
 それがなにより不思議なこと
 されども、それは実際に起きたこと


生まれきたイエスと、自分をうたった心情でありましょうか。
訥々と歌う英語の歌唱が、とても身に、心に沁みます。

いつものフィンジらしい、そしてフィンジならではの内なる情熱の吐露と、悲しみを抑えたかのような抒情にあふれた名品に思います。
わたしには、詩と音楽の意味合いをもっと探究すべき自身にとっての課題の音楽ではありますが、クラリネット協奏曲やエクローグと同列にある、素晴らしいフィンジの作品。
機会がございましたら是非。

今日の演奏は、ジェラルド・フィンジの息子、クリストファー・フィンジの指揮、ウィルフォード・ブラウンのテノール。イギリス室内管弦楽団。
直伝かどうかわかりませんが、すこし冷静で情がこもり過ぎないくらいのささやかさが、とてもいい演奏です。
ブラウンのテノールも、イギリステナーの清涼さがとても心地いいのでした。

この曲、あとマリナーとポストリッジが素敵すぎる演奏。
そして、ライブではソプラノの金子裕美さんのクリアな歌声に涙してしまった。

よきクリスマスを

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コメント

「ディエス・ナタリス」。僕は、ナクソスのイギリス・クリスマス音楽のCDで初めて知り、若干、マイブームになりました(お蔭でどんどんイギリス音楽にはまっていくゼ!)。演奏はデヴィッド・ヒル指揮するボーンマス交響楽団。ギルクリストがソロ歌ってます。何気に地味~ですが、それがまたイギリスっぽくて、フィンジにはまるきっかけとなりました。

追記

yokochanさんに散在させたお店が今日ラスト営業日でした。小売店の現状、厳しいですね。これで新潟からCDショップが消えました。

投稿: IANIS | 2011年12月25日 (日) 19時35分

IANISさん、こんばんは。
ディエス・ナタリスは、いつもどこかで聴いてましたが、本格記事を書いたのは初めてでした。
実演でのピアノ盤で聴いたときには、冒頭のイントラーダから泣いてしまいました。
どうもいけません。
フィンジを聴くと泣けてしまうのです。

英国音楽には、このようにして、泣ける音楽家がたくさんいるのです。
その音源を購入できた希少なショップの閉店情報。
正直、愕然としました。
流通の仕組みの変換が便利さと引き換えに、大事なものをどんどん失っていく結果になってます・・・・。
東京からも大手ショップ以外は消え去りつつあります。

投稿: yokochan | 2011年12月26日 (月) 20時44分

クリスマスの時期を迎えて、初めて、DIES NATALISを手にいれて、聴いています。上のコメントの方と同じように、Naxos版です。Naxos版にしてはCDケースも美しいですし、演奏もいいと思います。
 このサイトでフィンジを紹介してもらい、少しずつ、集めて聞いております。(イギリス音楽好きにはnaxosはありがたいです)
 仕事のBGMで聞き流しているので、一度聞いただけでは、ピントこないのですが、何度も聞きたいと思うし、何回か聞いているうちに、良さがわかってくる...そんな音楽だと思います。ディーリアスと比べると、音楽の幅は狭いように感じますが(良くも悪くも書き方が似ているように思います)、そんな素朴さも魅力なのでしょうね。


投稿: udon | 2014年12月12日 (金) 09時23分

udonさん、こちらにもありがとうございます。
いま、自分の記事を読み返して、その音楽も思い出して、涙ぐんでしまいました(笑)
フィンジの文字を見るだけで、条件反射のようです。
そんな作曲家は、私には、あとはディーリアスでしょうか。
お仕事の邪魔にならない、ともに、静かで楚々たる音楽ですが、コスモポリタンなディーリアスの音楽の方が、いろんな側面を持ってますね。
ディエス・ナタリス、わたくしも、このクリスマスに聴いてみようと思います。
ありがとうございました。

投稿: yokochan | 2014年12月13日 (土) 08時57分

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