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2012年1月 8日 (日)

プッチーニ 「トゥーランドット」 マゼール指揮

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標高136メートルなのに、周囲をさえぎるものなく、麓から海岸まで数分の場所なので、このような海が手に取るような光景に、温暖の地の利。

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食いしん坊だから、菜の花の辛子和えなんぞを食べたくなりました。

Puccini_turandot_mazzel

プッチーニ(1858~1924)の「トゥーランドット」

こちらもグランドオペラの名曲。

それも、もしかしたら最後の名曲かもしれない。

登場人物の歌手たちに加え、合唱である群衆や人々がドラマの中で重要な位置を占めるグランドオペラ。
大がかりな舞台になり、上演にお金もかかるが、そのかわり、豪華ではなやかになるため、オープニングや特別興行にはうってつけ。
「アイーダ」がその代表格で、プッチーニで、グランドオペラと呼べるのは「トゥーランドット」だけ。「トゥーランドット」以降は、これほど大掛かりなオペラは生まれていないのでは。

そして、「トゥーランドット」は、未完に終わったプッチーニの白鳥の歌。
ドラマと台本の選択・決定に、ともかくこだわり、人間関係を壊してしまうほどのこだわりを見せたプッチーニは、そのこともあって作曲に時間を要した。
そのかわり、出来あがった作品のドラマと音楽の結合度とその完成度の高さは、ワーグナーや中期以降のヴェルデイやシュトラウス、遡ってはモーツァルトらと双璧。
 美食家だったプッチーニが、家禽の骨を喉に詰まらせてしまったことが遠因で、咽頭癌にかかり、それと戦いながらの「トゥーランドット」の作曲は、執念とも呼べるものだったらしい。
とりわけこだわったのは、最後にもってくるトゥーランドットとカラフの二重唱。
このオペラの、キーである、「愛を知り、目覚める」という大団円のクライマックス。
ところが、ここを残して、気の毒な「リューの死」、いわば自己犠牲でもって、プッチーニは筆を置かざるをえなかった。
思えば、リューは、ミミや蝶々さんに通じる、プッチーニ好みの優しく儚い主人公。
その声もリリカルなソプラノ。
しかし、トゥーランドット姫は、超ドラマテックソプラノで歌われる、高飛車な姫さまで、プッチーニの好みの女性像ではない。
その姫さまの変身変貌を書くことができずに、リューの死でもって終わってしまったことに、プッチーニらしさをむしろ感じてしまう。
 
 初演の指揮をとった、当時のスカラ座の音楽監督トスカニーニは、リューの死でもって、指揮棒を置き、「先生が書かれたのは、ここまでであります。彼にとって、死は芸術よりも強かったのであります。」と聴衆に語った。
2回目からの上演では、フランコ・アルファーノの補筆完成したハッピーエンド版でもって上演されたという。
 レクイエムのようなリューの死のあと、とってつけたような場面が続くのは、やや興ざめで、いかにプッチーニの草稿があったとはいえ、これを完成させた、お友達のアルファーノは何者だ?
長く思ってきたけれど、アルファーノは、モツレクのジェスマイヤーではなかった。
「シラノ・ベルジュラック」(過去記事こちらこちら)という素晴らしい作品を知ってしまった私は、「復活」や管弦楽作品なども聴いて、これは捨て置けぬ作曲家との認識を深めつつあります。
偉大なプッチーニのあとでは、致し方なしであったと。

演奏の仕方、演出の仕方によって、終幕の弱点をいかに克服するか。
そのあたりも、このオペラの見どころです。

それから、このオペラは、悲劇(リューの死)、喜劇(ピン・パン・ポン~イタリア伝統のコメディア)、ロマンス(トゥーランドットとカラフ)の3つが同時に存立する希有の作品であること。
プッチーニの行き着いたオペラの結晶であります。
 蝶々さんで描いたまだ見ぬ日本、同じく西部の娘やマノン・レスコーの最後ではアメリカ、このトゥーランドットではシナの国。
異国情緒を好んだプッチーニは、音楽にもペンタトニック和音や、各国の旋律の引用、そしてエキゾティックな効果を出す大胆な和声、多様な楽器の扱いなどなど、そのオーケストラ技法は、ここ最後の作品で、最高の高みに行きついた。
マーラーやシェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、ドビュッシー、R・シュトラウスらと同時代の人であることを、今更ながらに思いおこすこととなる。

 トゥーランドット:エヴァ・マルトン            カラフ:ホセ・カレーラス
 皇帝アルトゥム:ヴァルデマール・クメント ティムール:ジョン=ポール・ボガート
 リュー:カーティア・リッチャレッリ            ピン:ロバート・カーンズ
 パン:ヘルムート・ヴィルトハーパー        ポン:ハインツ・ツェドニク
 役人:クルト・リドゥル

   ロリン・マゼール指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団/合唱団
                        (1983.9.1@ウィーン国立歌劇場)


トゥーランドットのCDや映像は多く出ているけれど、それらは劇場のオペラ指揮者のものがほとんどで、オーケストラと指揮者が強力というものが少ないように思う。
そうでないのが、マゼール、カラヤン、メータ、ネルソンスぐらい。
オーケストラは、ウィーンフィルとロンドンフィルぐらい。
いわば歌手中心のものが多かった。

マゼールやメータが好んで指揮するプッチーニには、甘味さや濃厚な歌いまわしと、ドラマティックな描き分けの見事さがある。
ことにマゼールは、このトゥーランドットにはうってつけの指揮者で、時に見栄を張ったかのような引き延ばしや、お涙ちょうだいの場所での思い切った感情移入などは、実際に舞台に接していたら、その感動やさぞかしと思われる。
悲喜愛の描き分けもさすがに巧いもの。
CDで何度も聴くには、そして昨今の演奏の風潮からすると、鼻についてくるもの確かで、トゥーランドットには、いま、新しい感覚や新しい世代の指揮者による演奏が求められていると思う。
ワーグナーの演奏には、常にそうした潮流があるものだが、オーケストラ部が優れているプッチーニにも起こってしかるべきですからして。
しかし、ウィーンフィルのプッチーニは素晴らしい。
リューの死の場面の静謐な音楽とオーケストラの暖かな音色には泣けてくる。

脇役にいたるまで、名人が配されたウィーンのこのキャストは実にいい。
マルトンの不感症女から愛の女性への変貌ぶりは、ツボにはまっているし、カレーラスの気品をかなぐり捨てた熱血王子ぶりも最高。
しかし、一番好きなのは、リッチャレッリの美しすぎて、気の毒すぎる儚いリューだ。
その定評あった弱音の美しさが実演にも関わらず、完璧なまでに聴こえ、うっとりと味わえる。カラヤン盤でのタイトルロールよりは、やっぱり、こっちの役柄の方がいいに決まってる。
懐かしいクメントの立派な王様はしょぼしょぼじゃないし、チョイ役のリドゥルツェドニクのポンなど、味わいあります。

プッチーニが好きです。

トゥーランドット過去記事

 「新国立歌劇場公演  テオリンのトゥーランドット!」

 「県民ホール(びわ湖共催) 神奈川フィル」

 「第3幕ベリオ版フィナーレ シャイー指揮」

 「グィネス・ジョーンズのトゥーランドットのアリア」

 「岡田昌子のトゥーランドットのアリア」

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コメント

Dear, yokochanさま。
「トゥーランドット」のCD、実はこれしか持ってません。後はDVDばっかです。やっぱり、歌手が強力ですね。カレーラス、マルトン、リッチャレッリ・・・。凄いです。カラフ、ドミンゴが最高だと思ってますが、カレーラスは、決して見劣りしない-ばかりか、情熱の濃さに関しては、ドミンゴ以上ですね。
巷では「変態」扱いされているマゼールですが、繰り返し聴いていると、「これしかないっ!」と思えてくるから不思議です。カラヤンのCDでは、オーケストラが気色悪すぎますし(シュターツオーパーとウイーン・フィルなのに・・・)。

投稿: IANIS | 2012年1月 8日 (日) 22時21分

IANIsさん、まいど、こんにちは。
マゼール盤お持ちですね。
マゼールとプッチーニの相性はとてもいいです。
エドガーとボエーム以外は、全部録音しましたようで。
わたしも変態扱いしてますが、その変態ぶりも曲によって、ひとたびハマると病みつきになるようで。
カラヤンは一部聴いて、これは私にはムリと思い聴いてません。
歌手のすごさでは、メータとプラデッリ盤です。
トゥーランドットは、変貌前と後とで、ガラリと変わるクンドリーっぽい役ですから、前はニルソン、後はリッチャレッリなんてのがいい組み合わせです。
カラヤンはベルリンで録音して欲しかったところです。

投稿: yokochan | 2012年1月 9日 (月) 13時36分

どちらかといえば、オペラ全曲盤を購入するときの決め手は「主役のテナーは誰か」が私には重要な要素なのです。
カレラス!よいではないか^^
さまよえる様がおっしゃるようにパバロッティやドミンゴよりも真実味を感じます。
「運命の力」も最近はモナコ盤よりカレラス盤をくり返し聴いています。
リッチャレルリ。よいなー。。。ずば抜けたプリマドンナではないけど、可愛いソプラノ、カワイイ女性、という歌い方が好きです。最初に「ボエーム」ディビス盤でカレラスと歌っている様子を聴いてからこの2人の組み合わせのプッチーニは仕上がりが上品で素敵!
私もプッチーニが好きです^^
あと冬場はワグナーもベルディも好きです。

投稿: モナコ命 | 2012年1月 9日 (月) 18時48分

モナコ命さん、こんばんは。
わたしも、テノール主義者です!
ワーグナーもイタリアオペラも、テノールから選択です。
かつては、デル・モナコばかり。
その後は、カレーラスでした。
ドミンゴは、なんでもドミンゴになってしまうので、意識して避けました。オールマイティすぎるんですよね。

そして、リッチャレッリとのコンビは、その私生活でも仲のよいコンビでしたし実態でもあったように、ふたりのフィリップスへの共演盤は、指揮がディヴィスでも甘くて素敵なものでした。
ボーエム、よかったです。

独はワーグナーとシュトラウス、伊はヴェルデイとプッチーニ、そしてオールマイティでモーツァルトと、オペラの鉄板ですね!!

投稿: yokochan | 2012年1月 9日 (月) 22時56分

こんにちは。このトゥーランドットはよく聞きました。映像ではマルトン、ドミンゴのメトのが好きで繰り返してましたけど、録音はこれ。今はDVDもあるみたいですね。

話がとびます。アバド好きのyokochan さんはもうご存知でしょうけど、昨年5月のベルリンフィル「大地の歌」を聞きました(視聴も)もしまだでしたらブログの方にどうぞ。

投稿: edc | 2012年1月13日 (金) 08時59分

↑失礼しました。以前に記事を読んだような気はしたのですけど・・ ほんとずれてます。

投稿: edc | 2012年1月13日 (金) 10時18分

euridiceさん、こんにちは。
メトのレヴァインのものですよね。
あれはゴージャスなものでした。わたしも楽しみました。
そしてこのウィーンの映像もあるようですが、観たことありません。どうも演出の評判がいまひとつみたいです。

そして、アバドの大地の歌。
NHKが珍しくも、ライブで放送してくれまして、それを視聴しました。
お気になさらないでください。
取り上げた同じ演奏をまた記事にしてしまい、あわてて消すこともあるような私ですからして(涙)

さっそく、音源ダウンロードさせていただきました。
暮れに、ベルリンでは同じオッターで、ラトルが「大地の歌」を取り上げてるようです。
テノールは、スケルトン。
無料のちょっぴりのハイライトを視聴しましたが、こちらもなかなかでした。
テノールは、カウフマンの勝ちでした。

投稿: yokochan | 2012年1月13日 (金) 23時52分

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