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2012年1月24日 (火)

シベリウス 交響曲第4番 セーゲルシュタム指揮

Echizen

冬の日本海。

いつぞやの越前海岸。

冬の日本海は本来もっと厳しく、人を寄せ付けない雰囲気かもですが、この日は波もなく、静かな海。

分厚い雲から、いつ降り出すか、またはいつ雷が鳴るか・・・。

冬の北陸、それも終りごろは、雷を伴った悪天候の日々と聞きます。
わたしも、なんどか味わいました。
弁当忘れても、傘忘れるな・・・・。
そんな日本海側の天候を思うと、わたしの生息する関東エリアは、夕べのような積雪もまれにありますが、恵まれているのです。
でも、そんな絶海から獲れる海の幸はまた格別です。
日本人でよかった・・・的なものがあります。

Sibelius_sym4_segerstam_2

厳しい寒さが全国的に続くこの日にシベリウス(1965~1957)。

交響曲第4番 イ短調

シベリウスの7曲はまんべんなく好きなのですが、歳とともにその嗜好も変わり、最初は当然のこととして2番。
その後に、1番と5番。
次ぎは、3・7ときて、最後は4番や6番に至る。

しかし、わたしは、2番・1番以外は、いきなり同時にやってきた。

FM東京で、ヘルシンキ・フィルのシベリウス交響曲全曲演奏の来日公演を放送したとき。
全部エアチェックして、冬の寒い日々にむさぼるようにして聴いた音源。
渡邊暁雄オッコ・カムが振り分けたそのシリーズは、CDとして音源化されました。
その音源を聴きまくった時は、ホット・ウイスキーが流行ったときで、わたしもそれを飲みながらひとり音楽に没頭する日々でした。
会社生活、ごく初期の頃。

あの頃に、心熱くして聴いた4番の交響曲。
それも、第3楽章のラルゴの静謐な世界が徐々に、それも何度か熱を帯びていって、ついにフォルテに達するところに、寒さも忘れるほどの熱い感銘を覚えたものでした。
独り暮らしの都会の侘び住まい。
寂しさと悲しさの無聊をかこつかのような寒い夜に、聴くのはシベリウスの7曲の交響曲にマーラーのすべて、そしてディーリアスにワーグナーでした。

だから、シベリウスの音楽にも、若き日々への懐かしい郷愁を感じてしまうのです。
みなさん、それぞれ、もしかしたらシベリウスへの想いをお持ちかもしれません。
ことにわれわれ日本人には、そんな気持ちや想いが強いのかもしれません。
英国が周囲を海に囲まれた島国で、自然豊かな国ゆえにシベリウスの音楽の演奏の伝統があるのと同じように、海と山と、そして森や水にも豊かな、わが日本にもシベリウスをすんなりと受け入れ共感する土壌があるものだと思います。

それゆえに思う、本場フィンランドの人たちの演奏するシベリウスを絶対視する憧れの想い。
ヘルシンキフィルのシベリウス全集は、定番の間違いなしのベルグルンドに続いてセーゲルシュタムも録音しました。
デンマークでの録音はまだ未聴なのですが、ヘルシンキのものは1枚1枚揃えて、楽しみに聴いてきた全集。
セーゲルシュタムの演奏は、てきぱきと運ぶ機能的な側面を持ちつつ、じっくりとした歌いまわしにもシベリウスの真髄を見る想いでして、構えも大きく壮大な北欧の自然も体感できるような演奏なのです。

交響曲の多作家として完璧ギネスのセーゲルシュタムのデビュー盤は、フィリップス社へのワーグナーで、ニルソンとかのへっぽこと呼ばれたブリリオートと録音したもの。
北欧出身者同士のワーグナーは、なかなかのものでした。
そして、ヘルシンキフィルとの来日でも聴いた5番が忘れられない。

厳冬の晩に聴く、セーゲルシュタムのシベリウスの4番。
熱くも孤独の寂しさも味わえる桂演でございました。

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コメント

フィンランド人はフィンランドを含む北欧演奏家によるものがなじんでいる。愛国心ですね。手元にベルグルンド、ヘルシンキ・フィルがありますが、この悲壮感に酔いしれてしまいます。「悲愴」(チャイコフスキー)「幻想交響曲」(ベルリオーズ)みたいな幻覚が現れてくるのか、明るい響きでは不釣り合いです。オーケストラも我が家同前なのか、フィンランド演奏家だと落ち着きます。カラヤンのドイツ・グラモフォン録音くらいでしたら原典を損なわない。これも定番で飽きることがない。
仮に石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」をアンジェラ・アキさんが歌うのも悪くはないが日本の旅情より欧州の街中と波長が違ってきてしまう。それと同じことですね。

投稿: eyes_1975 | 2012年1月24日 (火) 20時33分

マーラーに比べるとシベリウスにはシンパシーを感じない。
シベリウスの晦渋な顔が彼の音楽そのものと言う気がする。
ただし芸術性はマーラーより遥かに高い。
マーラーのように声楽や大編成、特殊楽器とかの「力技」ではなく
独特の書法でユニークな交響曲を作りだしたのが彼の偉大さ。
最高傑作は第5だと思うが、第4と第5はペアで聴かれるべきかも知れない。
第4の闇が第5で晴れやかな光の空になるから・・・

投稿: 影の王子 | 2012年1月25日 (水) 00時03分

eyes_1975さん、こんばんは。
本場ものをあがめる傾向は、シベリウスには顕著です。
そしてそれは正しい!
デジタル時代になって数多く出た本場のシベリウスは、それぞれお国ものとしての特徴がありますが、鄙びていて、高弦が澄みきっているのはみな共通。
ご指摘のベルグンドとヘルシンキは、愛好家には鉄板的演奏ですね!
カラヤンもウマい。あれもありですが、ヨーロピアンとしてのくくり。
バルビローリやデイヴィスの英国紳士のものは、独自のものと思います。
それらは、元アイドルの城之内早苗かな??

投稿: yokochan | 2012年1月25日 (水) 21時40分

影の王子さん、こんばんは。
わたしは、マーラーと同時期に訪れたシベリウス。
記事にも書きましたが、ハマったその時の侘びしい境遇が生涯忘れがたい思いとなって結びついてます。
じっと耐え、そして時に熱い思いに焦がれ、やがて夜明けが来ると言った感じ。

国への思いとかいったものは、パーソナルな想いだけのマーラーとまったく次元は異なりますが、わたしには、どちらも大切な作曲家です。
4番と5番。たしかにそうですね。
ワーグナーなら、トリスタンとマイスタージンガーの関係かもしれません。

投稿: yokochan | 2012年1月25日 (水) 21時51分

yokochanさま、影の王子さま~。

ご無沙汰していました。お元気ですか? さて、シベリウスの4番ですかぁ~? 確かに、影の王子さまのおっしゃられるように、シベリウスは私にとってもマーラーほどのシンパシーは感じませんねぇ~。ただ、私も最小限の動機主題を組み合わせ、変容し発展させて行く独自の作曲技法には、舌を巻くものがあり~マーラーとは対照的な凝縮の美学には、感服し芸術性の高さを感じますね。特にそれが顕著なのが、第4番と第7番でこの2曲がシベリウスの最高傑作ではないかと思う所存~。

じっと耐え、熱き思いにも焦がれ、やがて夜明けが訪れるというコンセプトなら~交響詩「夜の騎行と日の出」も同じなのでは~? とふと思ったのですが~。


投稿: Warlock Field | 2012年4月29日 (日) 15時14分

Warlock Fieldさん、こんにちは。
こちらこそご無沙汰をしておりました。
シベリウスは、なにより短めなのがいいです(笑)
そして、そこに感じる豊かで荒涼とした北欧の自然を素直に楽しめばいいと思ったりもしてます。
「凝縮の美学」
まさにシベリウスに相応しい表現ですね。
わたしも、4と7番に行きついたのは、そんなに昔ではありません。
「夜の騎行と日の出」、ミステリアスでもあり、美しい曲でもありますね。

投稿: yokochan | 2012年4月30日 (月) 13時17分

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