「真夜中のドア」 松原みき
LOVEであります。
西新宿にありますLOVEです。
外人さんも、肩寄せ合ってシャメしてLOVEです。
人生は、いつの世もLOVEです。
別に男女のことに限らずです。
ちょっと用事がありまして、方南町(丸ノ内線の支線の終点・杉並区)に行きました。
その方南町は、わたしが新宿に続いてサラリーマン時代、住んだ街。
会社の車で直帰して路上駐車を平気でして、翌朝渋滞の中、新宿を抜けて竹橋までよく出勤したもんです。
今回、方南町から新宿まで距離をスマホで計測したら約4Km。
電車賃を浮かせることもできるし、これなら軽いと思い、まっすぐ一直線歩きました。
しかし、意外とアップダウンがあって結構キツイ。
でも40分くらいでクリアしましたよ。
「松原みき」をご存知でしょうか。
またまた郷愁の思い出話で恐縮です。
オヤジの昔話にお付き合いください。
1979年の冬、大ヒットとなった「真夜中のドア」を歌った松原みき。
1959年11月生れの彼女、わたしとほぼ同世代で、しかも同じ月の生れ。
クラヲタ兼あらゆる音楽をどん欲に聴いていた大学生のワタクシ、すぐに彼女に注目して、そのシングル・レコードを買い求めました。
45回転のドーナツ盤をすり減るほど聴きましたよ。
ジャズの心得のあるパンチの聴いた抜群の歌唱力に、少しハスキーだけど、可愛い歌声。実力とチャーミングな美貌に恵まれた彼女です。
「夜のヒットスタジオ」のビデオも実家のどこかにあるはず。
その後も順調に活躍し、作曲活動も盛んにおこなった彼女。
松原みきは、2004年に癌のため44歳で亡くなってしまったのでした。
青春時代から大人の世界を垣間見だした頃、何度も聴いた彼女の歌。
家庭も成し、子供にも恵まれたころに、彼女の訃報に接した時は、本当にショックでした。
東京の都会の冬のひとコマを歌った「真夜中のドア」。
私は私、あなたはあなた
昨夜言ってたそんな気もするわ
グレイのジャケットに見覚えのあるコーヒーの染み
相変わらずなのね、ショーウィンドウにふたり映れば・・・
冬の寒い晩、二度目の冬を迎えて、別れてしまったふたり。
そんなちょっと悲しいけれど、都会的な別れをスマートに歌った曲です。
この曲に、いまのような喧騒で雑多な渋谷でなく、わたしの大学時代の古きよき、そしてちょっとお洒落な渋谷を思います。
youtubeお借りしました。
もう懐かしくてしょうがありません。
しょっぱい毎日ですから、よけいに心に染みました。
そして、このレコードのB面「そうして私が」も名曲なのでした。
http://www.youtube.com/watch?v=-N7AdT-WJQw
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コメント
Stay with me 雨が雪に~ おっとっと、もとい Stay with me 真夜中のドアをたたき~ 懐かしいですね。松原みき様。可憐な印象の美人でしたよね。亡くなられて8年近い月日が経ちますね。当時の私の直属の上司が彼女の大ファンで、朝のワイドショーで訃報知って「僕のみきちゃ~ん」と半泣きしてた事を思いだしました。44歳…若すぎる死でした。
投稿: ONE ON ONE | 2012年2月 1日 (水) 01時36分
知りませんでした。松原みき様。。。そうだったんですね。1959年!なんてこった!私と同い年。。。しかも美人ちゃんではないか^^おしいなー。。44才は早すぎます。私の同級生の美人ちゃんたちも30代でやはりガンで亡くなっています。5人です。葬儀で泣きました。
最近どうしたものか1959年物にこだわり始めました。先日、1959年のコニャックでポールジローのヘリテージというのをゲットしました。低所得者の私には高額極める品でしたが、2本購入しました。1本は保存用、1本は毎晩少しずつ飲むために。この1959年年にモナコが初来日した。この年に現天皇陛下がご婚礼の式を行われた、この年にローバーミニが作られた、この年に「少年マガジン」「少年サンデー」創刊、この年に長嶋選手が天覧試合で本塁打を。。。。
私の生まれた年、1959年!コニャックのポールジローは今最高の味になっています。
投稿: モナコ命 | 2012年2月 1日 (水) 14時40分
ONE ON ONEさん、こんばんは。
ふふっ、聖子ちゃんじゃありませんね。
みきたん、いや、みき様でした。
わたしも大好きな歌手でした、歌手でライターの実力派でしたし、可愛かったから・・・・。
亡くなったときは、わたしも悲しかったですよ。
同世代だけに、時代のお終いみたいでしたから・・・
投稿: yokochan | 2012年2月 2日 (木) 00時37分
モナコ命さん、こんばんは。
えーっ、そうなのですか、30代で5人も・・・。
なんということでしょうか。
そして59年へのこだわり、実に正しきことに存じます。
モナコの初来日、あのオテロの年ですねぇ~
あぁ、わたくしは1歳です(笑)
東京タワーと同じ年、そして今年、若手のスカイツリーにその地位を譲り渡す悲しさです。
それにしてもヴィンテージ級のブランデー、わたくしも味わいたいです。
ポール・ジローですか!
ちょっと調べてみました。
なんだかとても美味しそうなブランデーですね。
1958は難しそうですが、普通のヤツを早速探してみます。
投稿: yokochan | 2012年2月 2日 (木) 00時46分
はじめまして!
私も松原みきさんのファンでした。「真夜中のドア」のほか素敵なナンバーが沢山ありました。
これからというときにがんで亡くなるとは・・・・(涙)
このブログを見て、久しぶりにCDを棚から取出し
聴き、安らかなひとときを過ごしました。
投稿: suzushi8 | 2012年2月 4日 (土) 20時27分
suzushi8さん、こんばんは。
コメントどうもありがとうございます。
松原みきの死は、本当に衝撃でした。
EPレコードをいつくしむようにして大事にしてきました。
CDで買い直そうと思ってます。
ほんとうに、懐かしです。
そして、もう永遠に聴くことにでいない歌声なんですね。
ありがとうございました。
投稿: yokochan | 2012年2月 5日 (日) 00時16分
こんにちは、クラヲタ様。みき様ネタをもうひとつ。先に登場した当時の上司O課長。今で言う女子会に彼を呼んで飲んだ際「俺の永遠のアイドルはみきちゃんだ~」と熱く叫んでおりました。私は話半分で聞いていて、松原みき様と朝倉未稀様を勘違いし「え~っ、売れなくなってきた時、ヘアヌード写真出しちゃった人ですよね~?」と言ってしまい、こっぴどく叱られました。その後、みきちゃん違いを謝り、松原みき様を褒め称えた事は言うまでもありません(汗)
投稿: ONE ON ONE | 2012年2月 5日 (日) 15時52分
ONE ON ONEさん、こんばんは。
なかなかナイスな上司さまじゃありませんか。
それにしてもグラマーな朝倉未稀と間違えるなんて(笑)
そっちのみきさんも、懐かしいですねぇ。
投稿: yokochan | 2012年2月 6日 (月) 23時30分
みきさんのCD買って聴いてます。何やら最近、世界中で大ヒットしてるそうです。私が好きなアーティストの声を二度とリアルタイムで聴けない時代になりました。でも当時の彼女の声や演奏、それを聴いていた私たちの記憶や感覚は生き続けています。
投稿: セッチ | 2021年6月20日 (日) 23時05分
セッチさん、コメントありがとうございます。
東南アジアを中心に、この曲が流行ってるようですね。
松原みきさんの歌を聴いて、もう40年以上が経過し、彼女の早すぎる死からも17年が経ちました。
でも、この曲を聴くと、あの頃のこと、自分がどうだったかなど、走馬灯のように思い出させます。
まったくおっしゃる通りです、わたくしも同じです!
投稿: yokochan | 2021年6月23日 (水) 08時15分
こんばんは。
松原みき さん本当に好きなシンガーでした。
サウンドインSとかにも出ていましたし、真夜中のドア、ブラウンシュガー等売れたヒット曲も良いですが、ポケットパークの2曲目It's so creamyが大好きですね。
晴れたら休みの日の午後に聴きたい曲です。
投稿: マック | 2022年5月 4日 (水) 22時48分
マックさん、コメントどうもありがとうございます。
松原みきさんは、小柄でキュートで可愛い方でした。
一方でパンチのある歌声は抜群の歌唱でした。
ブラウンシューズ、It's So Creamy、ともに忘れてましたが、youtubeで聴いてみたら、よく聴いていた曲でした。
ホント懐かしいです。
思い起こすことができました、どうもありがとうございました。
投稿: yokochan | 2022年5月 9日 (月) 08時36分
世界一の歌唱力世界一綺麗さを今日知りました
もっと早く知りたかった
投稿: | 2023年1月15日 (日) 09時11分
コメントありがとうございます。
ずっと永遠に聴き継がれる名曲となりました!
投稿: yokochan | 2023年1月21日 (土) 11時10分