神奈川フィルハーモニー 特別演奏会 聖響音楽堂 モーツァルト
神奈川県立音楽堂。裏にある掃部山公園口から。
昭和29年開館。上野の文化会館(昭和36年)より歴史があります。
坂の下にそびえる、みなとみらい地区のビルとの対比も面白いですね。
あちらには、みなとみらいホールがあって、そのどちらでも神奈川フィルハーモニーを聴くことができる幸せ。
響きが豊かで、優美さも感じる「みなとみらい」に比べ、音楽堂の響きはデッド。
そのぶん、一音一音が分離よくハッキリ聴こえ、そして木質感あふれる雰囲気が。
だから音楽がむき出しになってしまう怖さもありです。
モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
クラリネット協奏曲
CL:斎藤雄介
クラリネット五重奏曲~第2楽章(アンコール)
交響曲第41番「ジュピター」
金 聖響 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団
(3月3日 @神奈川県立音楽堂)
これまでのCDヴァーチャルコンサートの本番。
聴く前から予想済みだった演奏内容は、聴後の印象は想定内ということで、妙に納得。
それだけ、神奈川フィルの聴衆は、聖響&神奈川フィルの古典・初期ロマンの演奏に慣れてしまったというわけ。
古楽演奏を実践したピリオド奏法は、当初ほどノン・ヴィブラートも徹底していないし、ティンパニを除くと古楽器はひとつも見当たらないが、そのスピリットがオケに浸透してしまった感はありです。
「魔笛」から、乾いて薄めのフリーメイソン和音が空しく音楽堂に鳴り渡った。
その後の快速テンポと、うるさいくらいの金管とティンパニで、あっという間に終了。
コンサートだから無理もなしだが、オペラの感興はまったく感じられず、でした。
楽しみにしていたクラリネット協奏曲は、わたしの大好きな曲。
陰りがありながらも、澄みきった透明感のあるモーツァルトの音楽。
若い斎藤さんは大健闘。コンマス石田氏に、はっぱをかけられソリスト位置に立ち、闊達で若々しいクラリネットを聴かせてくれました。
演奏終了後、斎藤さんが真っ先に握手の手を差し出したのは石田コンマス。
オーケストラにおけるコンマスの役割とその大切さを、このシーンほど感じるものはありませんでした。
そして、この日、石田コンマスは、いつにも増してオーケストラをリードしているように見てとれましたね。
2楽章の夢見るような美しさは、桃源郷のようで、オケの柔らかな背景に乗って実に心地よいものでございました。
そして、さらに素敵だったのは、いや、この日、最高の聴きものだったのがアンコールのクラリネット五重奏。
石田・小宮・柳瀬・三宅4人とクラリネットの息がぴたりとあった超美演に息をつませて聴き入るのみでした。
オケが入らないこの曲に、いままで聴き親しんできたモーツァルトの響きを聴きとることができたのは皮肉なものでした。
20分の長い休憩時間に、いつものメンバーと、似たような感想を持ち合い確認。
ジュピター交響曲は、繰り返しをすべて行い40分の超ロング。
堂々たる出だしが、ピリオドでは、軽めのあっけない開始。
それはまさに、この奏法ならこうなる的な見本みたいなものかもしれないけれど、わたしは、「ジュピター」というタイトルが、曲の壮麗さから後年ついた、その「証し」がどこにも感じ取ることが出来ず、そうじゃないだろ、的な思いを最後まで捨てきれませんでしたね。
このあたりのことを、アフターコンサートで熱燗を酌み交わしながら語りあったのですが、初演当時、どんな音楽として鳴っていたのかを再現するには、聴き手の耳の変化や価値観、社会、しいては人間そのものの感情の変化などをも包括して考えなくてはいけないのかもしれません。
まぁ、そんなことは抜きにしても、ティンパニの強打と金管の強調は、古楽奏法の常套なれど、ここではあまりにそれが突出しすぎで、わたしには居心地悪いものでしたね。
聖響さんのいつものくねくね指揮も、その強調場面では、ここぞとばかりの動きをしております。
総じてバランスはあまりよくないのも毎度のこと。
8・6・5・4・3(1Vn・2Vn・Vla・Vc・Cb)のコンパクト編成のジュピターは、もっとはちきれる若さと小気味よさを前面に押し出してもよかったかも。
終楽章のフーガで、少しだれてしまった部分をかなぐり捨てるかのような大爆発があり、そこで少しスカッとしたところでございました。
前回のマーラー1番と同じく、最後でまた帳尻合わされて、ヤラレてしまいましたよ。
今回のアフターコンサートは、野毛口にある名居酒屋「一の蔵」にて。
さばの味噌にをあてに、熱燗。
宮城の銘酒、「一の蔵」各種をお試しで。
こんな風に飲みまくり、何本お銚子を倒したでしょうか。
シュナイト時代も、こちらにはお世話になりっぱなし。
5時から10時まで5時間の超ロングは、演奏会2本分語りました。
こうしていろんな議論を巻き起こし、ある意味、音楽を聴くという受動的な動作以上のことをこうして投げかけてくれるオーケストラってほかにあるでしょうか。
まだ成否の定まらない、現代オケにこうしてピリオド奏法を植え付けつつある神奈フィルのこの現状。
一方で、指揮者やその考えによっては、グラマラスな美麗なオーケストラにも転じるフレキシブルな存在ともなった神奈川フィルは、ファンとして誇っていい存在になりつつあるのかもしれません。
いや、それは確信をもって言えるのです
それが好悪は別にして、わかりつつあるこの回の演奏会。
酔いも心地よく、そして酩酊の具合もなんだか考え過ぎで、半分冴えてた湾岸半周の帰り道でございました。
焼き鳥一周、こんなに食べちゃいました。
お疲れさまでした。
| 固定リンク
コメント
どうも先日はありがとうございました。
いろいろと考えてしまったコンサートですが、こう言ってはなんですがおっしゃるように、演奏を聴きながら、そしてそのあとも良くも悪くも挑発されて、語り合えて、そう言う雰囲気の神奈川フィルはやはり好きです。
いろいろと悩ましげな演奏ではありましたが課題を提起されたのは間違えないようで、その課題を一緒に語り合えるのは何物にも代えがたい楽しみでもあります。
今週末のベートーヴェンは困ったものですが、受け身ではなくこちらも果敢に聴衆として攻めてみたいと思います。
今週末もよろしくお願い致します。
ご丁寧にありがとうございます。
投稿: yurikamome122 | 2012年3月 5日 (月) 08時17分
yurikamomeさん、こんばんは。
こんな神奈川フィル道に引き入れていただいて本当に感謝しております。
どんな演奏会でも気になって聴きとどけなくてはならない心情になってますし。
喩えは別ですが、高校生時代から応援してる、ベイスターズと似たものもあります。
そんな神奈川フィルが、もしかしたら、問題提起型オケになりつつあるのかと思うと、おっしゃるように、ますます攻めの姿勢と応援の姿勢で挑みたくもなるようになります。
予想通りになりそうなベートーヴェンですが、こちらこそよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2012年3月 5日 (月) 20時47分
こんばんは。
藤原のフィガロ、かみさんがどうしても行くというので、どうぞ。最前列真ん中トンガリ席だったそうです。やはりゼッタの音楽とても良かったそうです。当方、次はないような。川越 塔子のスザンナは、砂川 涼子の伯爵夫人より立派だったそうです。今週のオランダ人楽しみです。
投稿: | 2012年3月 5日 (月) 21時26分
Mieさん、こんばんは。
藤原歌劇は、もうしばらく観劇してないです。
ゼッダは、急きょ登板だったみたいですね。
さすがのベテランです。そして、奥様もしっかりオペラ通になってらっしゃいます!
今回、オランダ人は行けませんが、初演時のウシタローがよかったです。
ゲルギエフの秘蔵っ子、ニキティンは注目の歌手ですね。
お楽しみください。
投稿: yokochan | 2012年3月 6日 (火) 23時38分