聖響&神奈川フィル モーツァルト・シリーズ3 CDコンサート③ カラヤン指揮
東京駅丸の内口の地下にあった雛飾り。
もう3月で、明日は、ひな祭り。
早いもんです。
そして、 大急ぎで、カラヤン。
神奈川フィルハーモニー特別演奏会 聖響音楽堂モーツァルトシリーズの事前CDコンサートをしてます。
モーツァルト 歌劇「魔笛」序曲
クラリネット協奏曲 (CL:斎藤雄介)
交響曲第41番「ジュピター」
3月3日 @神奈川県立音楽堂
カラヤンは、「魔笛」には決定的な演奏や上演を残せなかったかもしれない。
そんな風に思うのが、フルスペック全開のベルリン・フィルとの全曲録音。
壮大壮麗さが過ぎて、モーツァルト晩年の軽やかさと、透明感がやや後退した感じ。
でも、序曲単独で味わうゴージャスな雰囲気は、ベンツの車内で聴くカーステレオみたい。
カラヤンの魔笛は、74年だったか、ザルツブルク音楽祭のウィーンフィルとの上演が、いまだに素敵なものだった。マティス、コロ、プライ、グルベローヴァ!
CDRにして大事にしております。
ベルリンフィルのトップ奏者たちと録音した管楽器のための協奏曲は、後述の後期交響曲の録音とともに、カラヤンが、本格ものはEMI、有名ポピュラー曲はDGという路線を打ち出した当初のもので、70年代前半のカラヤンの至芸が味わえる逸品。
クラリネット協奏曲は、そう首席のカール・ライスター。
ベルリンフィルの木管は、ウィーンと並び称せられる名手の宝庫で、これはベルリンフィルとウィーンフィルのレコードを聴いて、木管の音色でまず区別がついたものだ。
そんなベルリンの顔的なライスターのクラリネットは、鮮やかな技巧と音色の滑らかさとまろやかさ。
最初の楽章からレガート気味に、流れるがごとく滑らかで羽毛のごとく柔らかな出だし。
それは、カラヤンの指揮するオーケストラもまったく同じことで、ソロもオケもまったく同体で、前回のウィーン産のモーツァルトと対比できるとするならば、こちらはカラヤンのモーツァルトといっていいかも。
2楽章の典雅さは、なにもそこまで、と思うくらいに想いを込めてしゃなりしゃなりと歌われるので、聴いてる間は極めて快感だけれど、はて、これでいいのかしら?と思ったりもする。
でも気持ちいいから、まぁいいか。
やっぱし、クラリネットもオケもうまいもんだ。
さすがはカラヤンだ。
聴いていて、あの腕の振り方が目に浮かぶ。
終楽章も同じ感じで、ときおりため息つかんばかりで、私には、ピンクのモーツァルトでした。
交響曲第41番「ジュピター」は、カラヤンにかかると壮麗の極み。
EMI録音に特有の遠くで鳴ってる感はあるものの、70年代前半のカラヤンにあった独特の勢いを感じさせる。
同時期の、ブルックナーやチャイコフスキー、マイスタージンガー、トリスタン、オテロなどです。
後半から80年代の大量の再録音では、極めようとする入念さが先行して、まわりくどさを感じることもあったが、60年代と70年代前半のカラヤンは、カラヤン嫌いだった私が再評価をするきっかけになった演奏が多い年代。
冒頭の力強い出だしも、これまたレガートがかかり、響きが豊かに鳴り渡りつつ、ピチカートひとつにもウマさを感じてしまい、妙に味わい深い。
緩やかな2楽章に、入念な3楽章。いずれも美しい仕上がり。
そして一気にアクセルを踏み込む終楽章はかなりヒートアップしまして燦然と輝くジュピターのエンディングを迎えるのです。
こうして、一夜のコンサートとしてカラヤンのモーツァルトを聴いてみたけれど、一面、流麗で流れ去るようなスタイリッシュなモーツァルトに聴こえるけれど、実は音の一音一音が見事に錬磨され、磨き抜かれた大理石のような美目麗しい盤石のモーツァルトなことに、いまさらながら気がついた。
ベートーヴェンでは、これに力強さと一気呵成のスピード感が加わるわけだ。
カラヤンはカラヤンだけれど、そのモーツァルトもカラヤンそのものでした。
それが実に楽しい聴きものでございました。
以上、神奈川フィルの音楽堂シリーズ特集終わり。
明日は、いよいよ本番ですよ。
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コメント
『ベンツの車内で聴くカーステレオ』
なんとも秀逸な表現^^
僕も年を取って、やっとカラヤンのすごさがわかってきたようです。
投稿: スマイルジャック | 2012年3月 3日 (土) 01時40分
スマイルジャックさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
ベンツを運転したことも、ベンツでカーステレオを聴いたこともありませんが、そんなイメージでした。
カラヤンのスゴさ、わたしも再確認中です。
投稿: yokochan | 2012年3月 3日 (土) 13時18分