マーラー 交響曲第7番 バルビローリ指揮
夜の桜です。
怪しくて、引き込まれてしまいそう。
春爛漫の陽気は、ここ数日夜も続いて、歩いていて気持ちよく上気してしまうのは、上ばかり見ているからか。
もうひとつ、毎度登場の東京タワーを背景に葉桜化の進む枝垂れを。
今日もマーラーを。
マーラー 交響曲第7番 ホ短調
サー・ジョン・バルビローリ指揮 ハルレ管弦楽団
BBCノーザンオーケストラ
(1960.10.20@マンチェスター)
ほぼ毎日、番号順に聴いてるマーラーも、後期の7番になりました。
9曲プラスアルファだから、思えば休憩入れても2週間とかからない全曲チクルス。
聴き側は気楽だけど、演奏する側はさぞかし大変でしょう。
各奏者のソロがやたらと多く、しかもそれは名人芸的で、失敗したら全体が崩壊し、命取り
。そして「夜の歌」とタイトルされるように、ギターとマンドリンがセレナーデのように活躍するから、大オーケストラとしての音のバランスのとり方が難しい。
そしてバランスといえば、5つの楽章で、真ん中に怪しげなスケルツォ、その両端に「夜曲」、さらにそれらを大きく包み込むように1楽章が、巨大なソナタ形式。
終楽章がロンド形式。
変わった姿の7番。
しかして、その音の響き具合も、自由自在の気ままさ。
ときに無調の域へ踏み込んだり、古典的なまでの調性を聴かせたり、新奇な奏法を示したりと、はなはだその音響は当時としては驚きの世界だったはず。
6番と併行して1904年から書かれ、1905年に完成。
その間、アメリカデビューや、ウィーンの歌劇場のポストの辞任など、多忙な動きがあり、しかも8番という巨大な作品の作曲もあって、この7番の初演は1908年になった。
1905年といえば、日本は日露戦争の年ですよ。
同年、R・シュトラウスはあの「サロメ」を初演して社会的な大問題を引き起こし、ライバルであり友でもあったマーラーへの影響も少なからずありや・・。
さらに他芸術分野に目を転じると、クリムトを始めとするウィーン分離派の活躍。
クリムトの濃厚絢爛な絵や、O・ヴァーグナーのアール・ヌーヴォ的な建築物の数々、エゴン・シーレや、オスカー・ココシュカらのいくぶん表現主義に満ちた絵画・・・。
これらと同時期にあり、芸術分野の垣根を超えて、お互い影響しあった芸術家たちの筆頭株がマーラーその人。
それは、妻アルマの影響も大きく、アルマが後に芸術を後押ししてゆく、ある意味でのファム・ファタールになってゆくのもマーラー故かとも思ったりします。
こうした流れの真っ只中にある曲が、第7交響曲だと思う。
いまや、世紀末が総合芸術として理解され、評価される時勢になったけれども、わたしがマーラーを聴き始めた頃は、そんな風潮や理解は一般には及ばす、7番は6番と並んで、一番難解な音楽だった。
演奏会にかかることなんて、ほぼゼロ。
そんななかで、唯一の記憶が、76か77年にギーレンがN響に来演したとき。
現代音楽専門家みたいだったイメージの当時のギーレンがN響にもって来たのは、マーラーの6番と7番。
いずれも録音し冷徹なる演奏で、特に7番は初だったので曲を覚えるに精いっぱいの状況だった。
人気は、いまやそうとうに上がったものの、演奏回数では8番と並んで一番少ないかも・・、の第7交響曲でありました。
バルビローリの1960年ライブは、オーケストラが手兵のハルレ管にBBCのオケ。
このBBCは、いまのBBCフィルハーモニックで、やたらと巧いオーケストラなんです。
どういった按配の混合か不明なれど、脂が乗り切ったころのバルビローリは、思うがまま、自身が感じた通りに共感したマーラーをうちたてております。
モノラルだし、テンポの緩急が大時代めいているヶ所も見受けられますが、このバルビ独特のうねりと盛り上がりの妙には、もろ手を挙げて感銘するしかありません。
思いきり歌いまくり、まるでオペラ、しかもプッチーニのようなふたつの夜曲に、変幻自在の両端楽章に怪しさ満点の中間のスケルツォ。
バルビローリのマーラーは、8番以外が聴けるようになったが、その中でも一番資質にあっていて、幻惑感のあるのがこの7番の演奏に思います。
7番の聴きどころ・・・・。難しいなぁ。
どこといってなし、でも、あっと言う間に音楽に取りこまれ、夢中になってると80分が過ぎてしまう。
1楽章は推進力ある出だしの音楽の創生ぶりと、甘味さもただよわせる第2楽章の対比。
2楽章と4楽章の、おもにホルンセクションの活躍ぶりを中心にしたソロ楽器が聴きどころ。
前述のとおり、ギターとマンドリンの入る4楽章は、夢見心地で、わたくしは日曜の晩、寝る前に密かに聴いたりする楽しみを持っております。
いまだに難解な幽霊の浮遊するがごとき3楽章は、流れる柳のように身を任せるしかないですな。苦手ですよ、いまも、とらえどころなしで。
そして、妙に能天気で取って付けたような終楽章。
5番に似たかのうようなあっけらかんとした終末をどう聴くか・・・・。
7番は、初レコードのレヴァインとCD初期のアバドのふたつのシカゴ盤が最高。
バーンスタイン盤は旧盤が素敵。
インバルにもハマったし、テンシュテットも面白い。
ハイティンクも最高。
そしてなんだかんだで、この曲のレコードでの初真価は、5番や6番と同じにショルティ&シカゴの剛演でありましょう。
今日は、熱燗片手に酔いながらの更新。
春の夜の夢。
外は、雨が本降りになってますよ。
交響曲第7番 過去記事
「アバド&シカゴ交響楽団」
「テンシュテット&ロンドンフィルハーモニー」
「金聖響&神奈川フィルハーモニー 演奏会」
さいごに、一言、「クソ巨珍め」
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コメント
マイナーびいきが行くつく先が第7。第8は別として(あれは別格です)第7の演奏でバルビローリがあるなんて知らなかったです。マーラーを聴き始めて最初の頃はお金がないからFMでかじりつくように聴いてましたっけ・・・。その頃初発売されたクレンペラーの録音をテープ(オープンリールです)に録音し、磁性体がすり減るまで聴いたものでありました。
なもんで、あの超絶的に「遅い」速度で慣れてしまって、フツーのテンポの第7の演奏のなん都速く感じたことか。今でこそ、第4楽章まではクレンペラー以外の演奏でも「フムフム」と聴けますが、フィナーレだけは、クレンペラーのが基準となってます。要は、フィナーレの副次主題をどれだけ歌いロマンティックに演奏するか、そして、どんどん変化していくロンド主題をフィナーレ全体に整合性させていくかが、フィナーレの演奏を成功させるカギになっているのではないかと考えるようになりました。
yokochanさんがハマる演奏ですので、是が非でも聴かねばなりませんね。
投稿: IANIS | 2012年4月15日 (日) 09時08分
IANISさん、まいど、こんにちは。
6と7はマイナーコンビだったのに、いまや6番は堂々のメジャー入り。
7番はまだ取り残された最後の牙城のように存在してます。
わたしもエアチェックを通じて広げていったマーラー・レパートリーですが、7番はギーレンN響とベルティーニ・ベルリンフィルのふたつです。
そしてこともあろうに、クレンペラーのマーラーは「大地の歌」しかしらない不届きものです。
きっと遅いだろうことは想像がつきますが、このまとめが難しい終楽章がどうなっているが、とても興味があります。
ご指摘ありがとうございました。
クレンペラーやワルターといった、一世代前の作曲者直伝世代をもう一度確認の要ありそうです。
投稿: yokochan | 2012年4月15日 (日) 13時48分
バルビローリのこの曲はレアものですが濃いですよね。正規ではご案内のハイティンクのコンセルトヘボウ管弦楽団との80年代に入れたものが一番好きですが(あとベルティーニなんかもオツですが)、バーンスタインとはまた違った意味でこのなりふり構わず感情の赴くままの演奏は、この曲の一つの姿かも知れませんね。
他になかなかと思うのはロスバウト、コンセルトヘボウでのコンドラシン、ガン克服後のテンシュテット、マズアにノイマンのゲヴァントハウス時代のなど。あと面白いのでは名演でもあるクレンプはもう語られておられるので、なんだか笑えるフェッツ、ヘンテコではなかなかのギーレン、テンシュテットのエジンバラライヴ、それから先達に敬意を表して朝比奈さんあたりでしょうか。80年代はレヴァイン、クーベリック、バーンスタイン、ショルティくらいしか手に入らなかったのですが案外実は静かに人気があるようですね。
投稿: yurikamome122 | 2012年4月17日 (火) 06時33分
yurikamomeさん、こんばんは。コメントとTB、どうもありがとうございます。
この曲は生真面目な演奏もよろしいですが、少しばかりヘンテコ・ヘンタイの気が混じった方がよろしいようで。
こちらのバルビやバーンスタイン、テンシュテットたちの独壇場に合わせて、ご紹介のフェッツやギーレンも確認してみなくてはですね。
6番とともに、いろいろ個性的な演奏がひしめいてます。
マーラーの奥の深さが、この曲あたりからずいぶんと出てきているように感じます。
日常、ふっと出てくる旋律が、この7番だったりします。
もっといろいろ聴いてみたいと思ってます。
投稿: yokochan | 2012年4月17日 (火) 23時11分